元人間の…なんて言ったけか?
ポケモン達が集まるポケモン広場、より遥か東。群青の洞窟の近くに、小さな町がひとつ。ポケモン広場を治安がいいとするならば、ここら一帯はまさしく逆だった。十年前に起こった件の自然災害により盗難や強盗などの被害が報告され始め、その不穏だけが残ってしまったというわけだ。しかし、世の中捨てたものではない。逆“だった”。つまり、まだ完全とは言わないまでも、治安が回復しつつあるということである。その快調は、ひとえにあるひとつの救助隊チームによるものであった。
「リンちゃん! オレンサワーふたつ! 」
この町はもともとマグマの地底の地熱による温泉や、樹氷の森の冷気と月光が織り成す幻想的な夜景など、観光地としての魅力は多分にある。治安の回復により、観光客は増加。自然と酒場の活気が出てくるというものである。
「はい! お待ちどう! 」
リンと呼ばれたクチートは飛びっきりの笑顔と共に注文の品を客に差し出した。リンは酒場の看板娘。実は彼女に会うためにこの町に来るという者も少なくない。
「こっちも頼むよ! 」
「はいはい! 今行きます! 」
きびきびと働き、まるで仕事を心の底から楽しんでいるようなその姿は、老若男女問わず人気を呼ぶ。
「いやぁ、やっぱいいなぁ、リンちゃん。」
「だなぁ。」
だらしない顔で客は差し出されたグラスに口をつける。
「ほんと、救助隊様々だな。」
「救助隊といえば! あの元人間の……なんて言ったけか? 」
「ポケモンズだろ! イーブイとピカチュウの!」
「そう! それそれ。」
あのポケモンズがぱっと出てこないあたりを見るとかなり酔っているらしい。
「あん時はびっくりしたよな。キュウコン伝説の人間っていう最悪のレッテルから、世界を救った英雄だぜ?
俺も救助隊やろうかなぁ〜。そしたら、リンちゃんが、かっこいい! 、なんて言っちゃったりして! 」
「ばぁか。お前じゃブロンズランクが関の山だ。」
「なに言ってんだ! ブロンズランクにもなれねぇよ! 」
「「がははは!」」
そんなしょうもない会話も店を騒がしくする一因で、今宵も酒場は眠ることはないと、そう思われていた。
事態は急変してなんぼである。
酒場の扉を開けたのは、いかにもポケモン殺ってそうな目をしたサイドン。彼を知るものは、驚きで酔いが覚めてしまったに違いない。現に、数匹のポケモンたちは直ちに口をつぐんだ。知らない、もしくは気づいていない者たちは未だ騒ぎ続けているので、店内が静まり返ったわけではないが、明らかに入り口付近の空気は凍っていた。
「おい……まじかよ……。ゼッドだ……」
「ゼッドって、あの闘技場の!? 」
「ぜってぇ目合わせるなよ! 」
小声で、ゼッドという名が飛び交う。
ポケモン同士が決闘をし、どちらが勝つか。そんな賭博が行われている闘技場において、最近「圧し潰し」の異名を欲しいままにしているのがこのゼッドというサイドンである。名の由来は、彼の勝負の終わらせ方にある。圧倒的な腕力で嬲り続け、とうとう立つことすらもできなくなった相手を
その巨大な足をもって踏み潰す。
ゆっくりと体重をかけていく。例え降参していたとしても容赦はしない。相手の身体はみしみしと明らかに不自然な音を立て、そして、全ての骨が一斉に閾値を迎えるという。その痛みはーー
なぜこんなことができるのか?
この問いに対し、彼はこう答えたという。
「お前ら、音楽聞くだろ? そういうことだよ。俺は、あの骨の悲鳴が、たまらなく好きなんだ。」
ゼッドのことを知らぬ者もその気迫に恐れをなし、だんだんと騒ぎ声が小さくなっていく。
「いらっしゃいませ! お一人様ですか? 」
「あぁ? 見りゃわかんだろぅが。」
「……失礼しました! こちらの席へどうぞ! 」
並みのポケモンなら怯えてしまうような圧に、変わらず笑顔で接客するリンには敬服といったところか。
指定された席を乱暴に足で引き、ドスンと座る。上体を反り返し、まさに傲慢。後ろの客は何とも居心地が悪そうである。
「なんか文句あるか? え? 」
「い、いえ……」
ここで看板娘が割って入る。
「お客様。他のお客様にご迷惑をおかけ……」
「ビール。」
「……かしこまりました。ですが、他のお客様……」
「うるせえな!! さっさっともってこい!!
それとも、踏み潰されてぇってことか!?
俺は男も女も関係ねぇぞ!! 」
「リ、リンちゃん!! 大丈夫! 俺は気にしてないから! 早くビール持ってきてあげて! 」
「……かしこまりました。すぐお持ちしますね! 」
なおも笑顔を崩さぬ彼女は店員の鑑であろうか。しかしながら、一連のやり取りで店の活気は下降の一途をたどっている。
「こ、怖ぇ!! なんだあれ!? 迷惑な客とかそんなレベルじゃねえぞ!? 」
「それにしてもリンちゃんすげぇな……」
先ほどまでポケモンズの名も出てこなくなっていた客の酔いも完全に醒めてしまっていた。
「今日も付けでよろしく。」
「申し訳ありません、お客様。当店では付け払いはいたしておりませんので。」
「今日だけ! 一生の頼み! 」
「そうなるとお客様は39回目の転生になりますが? 」
サイドンへのビールをつぐ片手間に、カウンターでこれまた面倒な客の相手をするリン。ゼッドと比べると数倍増しに思える。
「じゃあ、ジャンケンで勝ったら付けで! 」
「申し訳ありません。今、あちらのお客様へ商品を運ぶところですので……」
一度に面倒ごとを2つも抱えながらも、リンの表情はキープされたまま。その忍耐強さに客が脱帽していると
「そういうのは、やめませんか。」
案の定、第3の面倒ごとが発生した。
面倒2号の酔っ払いとその対応に追われるリン以外の全員の視線がゼッドの前に立つ、黄色い背中に向けられた。
「なんだ? てめぇ? 」
「だから、他に迷惑をかけるようなことはやめませんか、って言ったんです。」
これには押し黙っていた者たちもざわめく。
ゼッドに刃向かったポケモンは、ひと回りもふた回りも小さい、黄色い電気ポケモンであった。
「くくく……。いいぜぇ。お望み通り鳴らしてやるよ……! 」
ゼッドが立ち上がると、さらにその体格差があらわになる。
「ほんとは僕もこんなことしたくありませんが……仕方ありませんね。」
呼応するように電気ポケモンの身体がバチバチと音を立て始めた。
一触触発の雰囲気が店中に立ち込める。
「ちょっ!? お客様!? 」
「おっ? 逃げるか? 不戦勝か? 付けってことでいい? 」
「いまそれどころでは……!」
おそらくゼッドの攻撃を一発でも喰らえばひとたまりもないだろう。タイプの相性も悪い。勝機は限りなく0に近いはず。しかし、あの目。全くもって恐れていない。
両者睨み合ったまま、動かず。
ゼッドは気づく。このポケモンは強い。もちろん自分が勝てるビジョンはある。
しかし、それと同等に色濃く、負けるビジョンもーー久しい冷や汗がゼッドの額を流れる。
「お客様! おやめください! 」
「よし! じゃあ、付けってことで!
39回目でサンキュー! はっはっはっ! 」
見守るポケモンたちが固唾を飲み込んだ
そのときーー
ブチっ
「付けはできないって言ってんでしょーーが!!!!!!!!!!!! 」
凄まじい怒号と共に、白い影が黄色いポケモン、続いてゼッドにぶち当たる。
団子3匹兄弟よろしく重なった3匹は勢いそのままに店の入り口を破壊し、道の中ほどまで地面をえぐりながら突き進み、そして、止まった。
皆の視線は気を失ったサイドン、デンリュウ、ザングースから
ちょうど、ザングースの頭を掴みぶん投げ終えたような体勢のクチートに向けられる。
やってしまった、という表情からの、いつもの笑顔に戻して
「ま、
またのお越しをお待ちしてまー…す。」
町の復興に貢献した救助隊「ヨサメ」のリーダー。ザングースのザン。
この物語の主人公である。