8. Another reencounter
辺りが黄昏色に染まり始める頃。額に汗を浮かべたユキは、ヒイラギシティの通りを歩いていた。
リョウラン地方を代表とする都市部。街全体がアスファルトやコンクリートで出来ている為か、気温が上がりやすい。ここより規模の小さい町であるスミレタウンでさえそうなのだから、ヒイラギシティでは尚更だ。人の数や交通量も多い為、街全体の気温は余計に高くなる。その暑さは黄昏時であるこの時間でも多く残るほどで、何もせずとも身体が火照ってしまうほどだ。熱中症対策の為にも、水分補給は必須だろう。
今朝。サユリがヒイラギシティを発つ様子をユキは見送った。どうやらミズヒキタウンに向かうつもりらしく、そのために早起きして出発する必要があるようだ。当然、ユキも一緒にいかないかと誘われたのだが、彼女はそれを断ってしまった。
サユリには最もらしい理由を言って誤魔化したが、本当の目的は別にある。ユキはヒイラギシティでやらなければならない事があった。
「どこにいるのよ、アイツ……」
昨日再会した、ルカリオを連れた少年。ユキは彼を捜していた。もう一度会って、ガツンと文句を言ってやりたかったのだ。
あの人は悪くない。昨日サユリはそう言っていたが、ユキはどうも腑に落ちない。女の子を泣かせておいて、悪くない訳ないじゃないか。しかもまともに謝りもしないのだから、尚更だ。
ユキの彼に対する印象は最悪だ。スミレタウンで彼の意思ではなかったとは言え助けて貰った事すらも、忘れてしまうくらいに。
だからこそ、ユキはあの少年にもう一度会う。そして絶対に文句を言ってやる。ここで引いたら負けになるような気がして、ムキになっている。変に負けず嫌いな彼女の性格が、全面的に表に出ていた。
とは言ったものの、この広い街であの少年を捜すのは簡単ではない。ルカリオを連れていると言う特徴はあるものの、それだからと言って飛躍的に発見しやすくなる訳でもないのだ。そもそもあの少年がルカリオをボールの中に戻して行動していたら、その特徴も搜索の手がかりにならなくなる。現にユキは、ついさっきまで何の手がかりも掴めずにいた。
だが、今からほんの数分前。ようやく手がかりらしいものを手に入れる事ができた。
それは、とある噂話だった。
ヒイラギシティポケモンジムのジムリーダーを、ルカリオ一匹で倒したトレーナーがいる。
『ポケモンジム』。それは、ポケモンの強さを競い合う為の施設。その責任者こそが、『ジムリーダー』と呼ばれるトレーナーである。
多くのポケモントレーナーが、自らの実力を確かめる為に毎日のようにジムを訪れている。その中にも、ジムリーダーとのバトルに挑戦する者は『チャレンジャー』と呼ばれていた。
ジムリーダーとポケモンバトルを行い、それに勝利するとその証として一つのバッジを進呈される。ジムリーダーに挑戦しにくるトレーナーの多くが、そのバッジが目的だ。
なぜバッジが必要なのか。それは、とある大会の参加条件にジムバッジの収集が含まれているからだ。
その大会こそ、『ポケモンリーグ』。この辺で行われるのは『リョウランリーグ』と呼ばれている。選りすぐりのトレーナー達が数多く集まる、リョウラン地方最大のポケモンバトル大会である。
ポケモンマスターを目指すトレーナーの殆んどが、優勝を目指している大会。しかし、そもそも参加する事が難しい。
リーグ出場のためには、リョウラン地方に点在する八ヶ所のジムに挑戦し、それら全てのジムのバッジを手に入れる必要がある。つまり、ジムリーダー八人に勝利しなければならないのだ。
ジムリーダーは皆、凄腕のポケモントレーナー。彼らに勝つことこそが、リーグ出場の最低条件。その壁が越えられず、挫折して諦めるトレーナーも多いと聞く。それほどまでに、リーグ出場は難しい事なのだ。出場できただけでも、それは誇れる事である。
今一度言う。ジムリーダーは凄腕のトレーナーだ。チャレンジャーのレベルにあわせて使用するポケモンを選出するとは言え、そう簡単にバッジを渡してくれるほど甘くはない。
そう。ジムリーダーをルカリオ一匹だけで倒すなど、かなりの実力を持っていなければ到底成し得ない事なのだ。しかし噂が本当なら、あの少年はそれをやってのけた。
「アイツ……やっぱり只者じゃない」
ひょっとしたら自分は、とんでもない奴を捜しているのではないだろうか。
そんな考えを、ユキは払拭しようとする。あの少年がトレーナーとしてどんな実力を持っていようと、そんな事は関係ない。それとこれとは話が別だ。あの少年がサユリを泣かせた事には変わりない。
「あぁもうっ! 思い出しただけでもホントむかつく!」
そんな風に文句を言いながらも、ユキは少年の捜索を続ける。
おそらく少年はまだヒイラギシティから出ていない。彼がジムバトルを行ったのは、噂が正しければ今日の午後。ついさっきの事だ。まだ街中にいる可能性は十分ある。
しかし、ヒイラギシティは広い。手がかりが掴めたとは言え、未だに少年の行方は知れていない。その足取りも謎だ。
ユキはポケモンジムの付近を重点的に捜している。本当はジムリーダーに話しを聞くのが早いのだろうが、残念ながら今は不在なのだ。聞いた話によると、このジムのジムリーダーは、ジムリーダーと同時にポケモンドクターの職にもついているらしい。言わばポケモン専門の医者だ。それ故に多忙なのだろう。仕方がない事だった。
大小様々なビル。それが立ち並ぶ通りを、ユキは一人で歩く。
そんな時だった。意外な人物と再会を果たしたのは。
「あっ……あー!」
思わずユキはその人物に指を向け、大声を上げてしまった。
そのにいたのは一人の少年と一匹のポケモン。ポケモンは、バシャーモ。もうかポケモン、バシャーモだ。燃えるような赤い身体に、鳥類を彷彿させる顔。二足歩行で、背丈も高い。間違いなかった。
そしてそのバシャーモを連れる少年と言うのは――。
「り……リュウジ……!? なんでアンタがここにいんのよ!?」
「あ……?」
ボサボサの髪。鋭い目つき。高い身長。
スミレタウン出身の、ヤガミ博士の弟。リュウジに間違いなかった。
「ケッ……ンだよ、テメェかよ……。別に俺がどこにいようと、テメェには関係ねぇだろ」
「なっ……なによその言い方!」
鬱陶しそうに顔を背けるリュウジ。面倒くさそうに適当にはぐからそうとする彼の姿を見て、ユキの頭に血が上る。あの少年のせいでただでさえイライラしていたと言うのに、こんな所でリュウジに会ってしまうとは。ユキの機嫌は悪くなる一方だ。そんな彼女を見て、バシャーモは少し尻込みしていた。
「アンタ……スミレタウンでの評判が悪いからって、今度はヒイラギシティで何かやらかそうって言うの? あ! まさかまた人のポケモンを手に入れようと……!」
「してねぇよ。勝手に決めつけんじゃねぇ」
自分で勝手に話を飛躍させるユキを見て、リュウジが呆れたようにため息をつく。それがユキの癇に障ってしまった。今にもプンプンといった効果音が聞こえてきそうだ。
そんな中、ユキの矛先が自分に向くのを恐れてか、バシャーモがジリジリと距離を取ろうとしていた。
「そ……そのため息なに!? なにを意図してそんな……!」
「うるせぇよ。ギャーギャー喚くな」
ここまで来たら、手のつけようがない。少なくともリュウジには、ユキを宥める事はできないだろう。そもそも、そんな事をする気はリュウジには毛頭ないが。
「つーかバシャーモ! いつまでビビってんだ! 逃げんじゃねぇ!」
「…………ッ!?」
バシャーモがビクッと身体を震わせた。あからさまに怯えている。
リュウジは呆れるばかり。バシャーモはいつもこうだ。怒っている人間の女に滅法弱い。きっと何かしらのトラウマがあるのだろう。おそらくヤガミ博士――アカリのせいだ。間違いない。
「とにかく、だ。今はテメェと話している暇はねぇ。俺にはやることがある」
「こっ……こっちこそ願い下げよ! 誰がアンタとなんか……!」
「テメェが話しかけてきたんだろ……」
理不尽な物言いをするユキを前にして、流石のリュウジも疲れてきた。先に話しかけてきたのはユキの方じゃないか。それで終始喧嘩腰では、溜まったもんじゃない。リュウジも人の事は言えないので、それ以上は突っ込まなかったが。
はぁ、とため息を一つすると、リュウジは踵を返して立ち去ろうとする。これ以上、ユキには付き合いきれないのだ。
しかし、その時だった。
「うわああああ!」
悲鳴。それにも似た叫び声が、どこからか聞こえてきた。思わずリュウジは足を止め、反射的に振り返る。
「な、なにっ!? なんなの……?」
その叫び声は、ユキの耳にも届いていたらしい。
声の高さと質から考えて、おそらく男性のもの。しかもくぐもったような声だ。しかし周囲の人々を見ても、それに気づいた人は殆どいなかった。おそらく、声の発生源はリュウジとユキにギリギリ届くくらいの場所。
チラリと通りの脇を見ると、そこには路地裏があった。そこで、リュウジは直感する。
あの声はこの路地裏から聞こえてきたものだ。くぐもっていたのはその為だろう。しかもこの位置ならば、周囲の人々に聞こえなかったのも納得できる。本当に近づかなければ、まるで気づかないくらいなのだ。
「路地裏から……!?」
真っ先に動いたのはユキだった。迷うことなく路地裏に飛び込み、声の発生源に向かおうとしている。
そんなユキの姿を見て、リュウジも路地裏に入る事にした。
別にユキが心配だとか、そんな事は考えていない。無償で人助けをするほど、リュウジはお人好しではないのだ。ただ、面白そうだっただけ。何が起きているのか気になったから、今はユキについて行く事にしたのだ。
「行くぞ、バシャーモ」
ユキとリュウジは、薄暗い路地裏を進む。こんな時間なのだから、視界はかなり悪い。街灯なども取り付いていない為、夜になるとこんな路地裏は瞬く間に漆黒に閉ざされてしまうのだ。もう少し遅い時間だったら、本当に前に進めないくらいだっただろう。ユキならば、ヒトカゲの尻尾の炎を松明代わりにして進めたかも知れないが。
「うっ……何か気味悪い……」
路地裏はジメジメしている。しかも何だか生臭い。できればあまり長居はしたくなかった。
ふと前を見ると、そこには横に逸れる道があった。薄暗い為、目を凝らさなければ見えないが間違いない。何だか妙に目に入る。あの横道の先に、何かがあるような気がした。しかも、背筋が寒くなるような不気味な感じ。何だかこれ以上は先に進まない方がいいような気がして、ユキは思わず立ち止まってしまう。
(いやいや……! なにビビッてんのよ、あたし! 大丈夫、全然へっちゃら……!)
そんな風に自分に言い聞かせて、ユキは無理矢理前に進もうとする。が、その時。
「ば……化物め!」
ドサッと音を立てて、誰かがそこから飛び出してきた。流石にユキは驚いて、立ち止まるどころか思わず後ずさりしてしまう。
飛び出してきたのは男性だった。半袖のワイシャツに青いズボンを身につけた、一人の男性。その表情は、恐怖と焦りで満ちていた。
一体、何が起きたのか。ユキは咄嗟にその男性に尋ねようとしたのだが、彼女が口を開く前にその男性は逃げ出してしまった。
ユキとリュウジなど目もくれず、彼女たちの脇を無理矢理通過しようとする。ポケットから何かが落ちたが、そんな事も気にならないようだ。やがて強引に通り抜けると、男性は走って行ってしまった。
「チッ……。何だ、アイツは……?」
男性が落とした何かを広い上げながらも、リュウジは舌打ちをする。
それは一枚のカードだった。どうやら証明書か何からしい。プリントされているのは、奇妙なロゴと男性の顔写真。書かれているのは、あの男性の名前と思われるものと、聞き覚えのない単語。
「アシッド団……?」
ボソリと呟くリュウジ。彼の目の前で、ユキは慎重に脇道へと近づいていた。
誰だったかは知らないが、あの男性があそこまで慌てているのは異常だ。しかも、こんな路地裏で。あの脇道の先には、一体何があると言うのだろうか。
正直、怖い。強がっていられなくなるのも時間の問題だ。しかし、何が起きているのか知りたいと言う好奇心が恐怖に勝って、ユキは脇道を覗いてみる事にした。
建物の陰に隠れながらも、片目だけで覗き込もうとする。
脇道の先。すぐ目の前は小さな広場のような空間になっている。そこに、見覚えのある姿が二つ確認できた。
「えっ……!?」
思わずユキは声を上げて、身体を乗り出してしまう。そんな事をしてしまったのだから、当然そこにいた彼に存在を確認されてしまった。ユキと彼らの視線がぶつかる。
その広場にいたのは、少年とポケモン。ユキがこれまでずっと捜し続けていた少年。そのパートナーである、青いポケモン。
はどうポケモン、ルカリオ。そして、あの黒髪の小柄な少年だった。
「アン……タは……!」
「……お前、あのデンリュウを連れてた奴と一緒にいた……」
突き刺さるような冷たい視線を送る少年。反射的にユキは身構えてしまった。
そうだ。文句。ユキはこの少年に文句を言いにきたのではないか。ヒイラギシティ中を捜し回って、この時間になってようやく見つけた。今が、チャンスなのだ。
しかし、ユキは――。
「……一体、何をしたのよ……!?」
少年に向けての第一声は、それだった。もう既に、文句を言うだとか、そんな事はどこかへ吹っ飛んでしまったのだ。
化物と叫び、一人の男性が脇道から逃げ出してきた。しかし、その先にいたのはこの少年とルカリオだった。つまりあの男性が言う『化物』とは、この一人の一匹の事。それが何を意味しているのか分からず、ユキは困惑していたのだ。
「……お前には関係ない」
いつもと変わらぬ少年の口調。相変わらず無言で無表情なルカリオ。
昨日も一昨日も見たはずの、彼らの姿。しかし今ばかりは、背筋が凍るほどに不気味に見えた。踏み込んではいけない所に踏み込んでしまったような気がして、ユキは尻込みしそうになった。
「関係、ない……なんて……!」
「ヘッ……やっと見つけたぜ……!」
気づかぬ内に怯えていた自分にユキが苛立ちを覚え始めたその時、割り込んできたのはリュウジだった。
実に満足そうな表情。その表情の裏にあるのは、燃え上がるような感情だった。
一昨日。この少年に負けてから、ずっとリュウジはリベンジの機会を狙っていた。ヒイラギシティまで来たのも、この少年を捜す為だ。そして今、こうして追いつく事ができた。
リュウジはユキとは違う。この少年が何者であろうと、そんな事はどうでもいいのだ。ただリベンジができれば、それでいい。
「はぁ……。何でまたお前が……」
「勝ち逃げなんてさせねぇぞ。もう一度俺とバトルしろ!」
ビッと人差し指を向けながらも、リュウジは少年にそう持ちかける。しかし対する少年は、面倒くさそうにため息をついていた。
「何でまたお前とバトルしなきゃならないんだ? そんな事をする理由がない」
「テメェになくても俺にあるんだよ! さっさと構えやがれ!」
どうやらリュウジは今にでもバトルをしたいらしい。バシャーモもそんな彼と同じ意見なようで、一歩前に出て臨戦態勢を取っていた。
だが、肝心な少年と彼のルカリオは何やら微妙な表情を浮かべている。
「……おい。テメェ……ナメてんのか……? どうして構えねぇ!? まさか負けるのが怖いとか言わねぇよなぁ……?」
「……違う」
「ならさっさと……!」
「今のお前じゃ俺には勝てない。だからやるだけ無駄なんだよ」
「なっ……!?」
少年の視線が一気に冷たくなる。それは、あのリュウジでさえも一瞬気圧されそうになってしまう程に。あまりにも冷たい、軽蔑した瞳。リュウジに畏怖の念を抱く事なく、逆に抱かせようとするくらいの勢いだった。
妙に張り詰めた雰囲気の中、少年とルカリオが歩き出す。愕然とするリュウジとユキの横を通り抜け、少年はこの場から立ち去ろうとした。しかし。
「テメェ……!」
「いやいや……本当に素っ気ないねぇ、君は」
リュウジが飛び掛ろうとしたその時。別の誰かの声が流れ込んできた。
無論、ユキの声ではない。この三人の誰でもない、乱入者の声。声の高さから考えて、おそらく男性――少年だろう。
流石の少年も怪訝に思ったらしく、ピタリと足を止める。目の前の暗闇から、一人の少年が姿を表した。
「やぁ。久しぶりだね、タクム君」
「エドガー……」
唐突に現れた少年――エドガーが、まるで友人に久しぶりに会ったかのような口調で彼に言う。タクムと呼ばれた少年も、ボソリとエドガーの名を呟いていた。
(えっ……な、なに……? なんなの……?)
あまりにも唐突過ぎて、ユキはますます混乱していた。
突然現れたのはベージュがかった髪を持つ少年。首にかけているのはヘッドホン。上に羽織るのは赤いポロシャツ。下に履くのはジーパン。身長はそこそこ。歳相応と言った所か。エドガーと言う名前から察するに、おそらくは他地方出身なのだろう。
しかし何より気になるのが、エドガーと黒髪の少年――タクムが、どのような関係なのかと言う事だ。ただの顔見知りではないような、そんな気がする。それがユキの第一印象だった。
「……どうしてお前がリョウラン地方にいる?」
「どうしてとは、とんだご挨拶だね。……多分君と同じ目的さ」
ユキとリュウジの事など気に留めず、エドガー達は話を進めていた。
怪訝そうに目を細め、エドガーを睨みつけるタクム。しかしそんな視線を向けられてもエドガーはまるで怯まず、それどころか面白がっているような表情まで浮かべて見せた。
そんなエドガーの事を、タクムは少し鬱陶しく思っているらしい。ふぅっと息を吐き出すと、タクムはエドガーから目を逸らす。彼の足元にいた二匹のポケモンが目に入った。
「……またそのニャオニクス兄妹を使って出歯亀か? 成程、それで俺の居場所を掴んだって事か。まったく……相変わらず悪趣味だな」
「人聞きが悪いなぁ……。ちょっと探し物をしていただけだよ。ね?」
「にゃお」
片方の青いポケモン、オーブが呼応するかのように鳴き声を上げる。もう片方の白いポケモン、ソワレは相変わらず鳴き声も上げないが、今回は少し様子が違った。
何も言わない。しかしチラリチラリと、どこかへ視線を送っているのが分かる。その視線の先にいるのが、タクムのルカリオ。つまりソワレは、タクムのルカリオの事が気になっているようなのだ。ルカリオはその視線にまるで気がついていないようだが。いや、無関心なのだろうか。
「……まぁいい。俺の邪魔をしなければ、それで」
そう言い捨てると、タクムとルカリオは再び歩き出す。エドガーの横を通り抜け、今度こそ立ち去ろうとする。
「……アシッド団を追っているんでしょ?」
アシッド団。エドガーがその名を口にした瞬間、タクムは立ち止まった。そしてチラリと振り向いて、エドガーに視線を向ける。
「だったら、僕と手を組まないかい?」
「なんだと……?」
「君と僕は同じ目的を持っている。僕もアシッド団を追ってるんだ。だから君と僕が手を組めば効率も上がると思うよ?」
タクムは視線を前に戻す。しかしそれでも、エドガーは話を続けた。
「僕の洞察力と君のバトルセンス。その二つがあれば、アシッド団なんて……」
「俺は誰とも組むつもりはない」
エドガーの言葉を遮るように、タクムはそう言い放った。
無関心。その言葉が似合うような口調で。信頼も何も感じていない。誰も信じていない。そんな感情が、タクムから伝わってきた。
「アシッド団は俺が一人で潰す。誰の力も頼らない。他人と馴れ合うつもりもない。俺は……誰も信じない」
タクムの語調が、より一層暗くなった気がした。
誰の力も頼らない。誰とも馴れ合わない。どうしてタクムがそんな考えを抱くのか、エドガーはそれを知っている。知っているからこそ、彼は放っておけなかった。このままじゃ駄目だ。タクムにも分かって欲しいと、エドガーは強く思っていた。ただ、それを表情に出さないだけで。
(何なの……コイツ……)
蚊帳の外に置かれ、彼らのやり取りを横で見ていたユキは、最早タクムの感情をまるで掴めずにいた。ついさっきまでタクムに対しては、感じの悪い奴くらいの評価だったのだが、今は違う。
気味が悪かった。自分で殻を作っている彼が。それに閉じ籠っている少年が。
「誰とも馴れ合わない、って……? 本当にそうかな?」
「……何度も言わせるな。俺はこれ以上、誰とも関わりを持ちたくない」
「それじゃあ、昨日。あの時、どうしてサユリちゃんを助けようとしたのかな?」
「サユリ……!?」
タクム達の会話の中で、突然出てきた幼馴染の名前に驚いて、ユキは思わず声を上げた。
サユリ。どうしてエドガーがその名を知っているのか、ユキにはまるで分からなかった。ユキは今までこのエドガーと言う少年に会った事がない。勿論、それはサユリだって同じはずだ。それなのに、この少年はなぜサユリの名を知ってるのだろうか。
「……あのデンリュウを連れた奴、か」
「そう。デンリュウ。アシッド団は、サユリちゃんと一緒にいるデンリュウを狙っていた。君はそれを知ってたんでしょ? これ以上サユリちゃんがデンリュウと旅を続けたら、あの子達とアシッド団の衝突は避けられないよねぇ……? だから君は、サユリちゃんに旅を止めさせようとした。アシッド団がサユリちゃん達に接触するのを避ける為……サユリちゃんを助ける為に。違うかい?」
「……違うな」
即答、だった。
「俺はただアシッド団の好きにされるのが気に入らなかっただけだ。それに……あいつがアシッド団に関わったら、俺の邪魔になる可能性があった。だから、あらかじめその種を摘んでおこうとした。それだけだ」
ただ淡々と、タクムはそう述べた。これにはエドガーも流石に言葉が詰まる。
ユキはまるで話についていけてなかった。リュウジも珍しく静かだ。
無理もない。タクムの事もエドガーの事も、何一つ知らないユキ達には、殆んど理解できない内容なのだ。これは、タクムとエドガーの問題なのである。
「……そう。でも逆効果だったよ? あのバトルでデンリュウの力が暴発してしまったせいで、アシッド団にその居場所を掴まれてしまったんだからね。もう既にアシッド団はサユリちゃん達に接触した。アシッド団の好きにされちゃったねぇ?」
「ちょ……ちょっと待って! 待ってよ!」
しかし、これにはユキも割り込まざるを得ないだろう。
サユリ。自分の幼馴染。彼女が、アシッド団なるものに接触された。そんな話を聞いて、ユキは黙っていられない。もしサユリの身に危険が迫っているのだとしたら、尚更だ。
「ん? 君は……?」
「あたしはサユリの友達よ! ねぇ、教えて! サユリに何かあったの!? あの子は大丈夫なの!?」
「落ち着いて。サユリちゃんは大丈夫だよ。アシッド団は僕が追い払った。しばらくは安心しても良いと思うよ」
「そう……なの……?」
エドガーにそう告げられ、ユキはホッと安心する。それと同時に、冷静になって思考を巡らせてみた。
なぜエドガーがサユリの事を知っているのか。それはユキの知らない所でたまたま会っていたからだろう。アシッド団に襲われていた所をエドガーが助けた、と考えれば納得できる。
つまり、エドガーはサユリの恩人だ。それならば、彼を責め立てる理由はない。
「接触された、か。それならそれで仕方ない。最終的に俺は俺の目的が達成できれば、それでいい。だからあいつがどうなろうと、そんな事はどうでもいい。知ったこっちゃない」
「アンタ……いい加減にしなさいよ……!」
冷酷に言い放つタクム。ユキはもう我慢の限界だった。
気に食わない。どうもタクムの言葉を聞いていると、イライラが募ってくる。確かに、サユリがどうなろうとタクムには関係ないのかも知れない。でもだからと言って、そんな言い方は酷いではないか。いや、それ以前に、タクムの考え方そのものがユキにとって理解し難いものだった。
「どうでもいいとか、知ったこっちゃないとか……。そんな言い方はないでしょ……! 誰かが危険な目に遭ってるって聞いて、アンタは何にも感じないって言うの……!?」
「……あぁ。そうだな。他人の事なんか興味ない」
「ッ!? バカ……じゃないの、アンタ……! 他の人の事なんか興味ない……? どうでもいい……? 誰も信じないって……!? アンタなんかが、一人で何ができるって言うのよ!?」
他人の価値観に踏み込むなんて、そんなお節介は邪魔だ。タクムはそう思ったのだろう。
少しだけ、ほんの少しだけタクムは表情を歪ませる。背を向けられているユキ達には見えない顔つき。その表情には、止め処無い苛立ちが見え隠れしていた。
ギリっと歯ぎしりをした後、タクムは立ち去ってしまう。
「ちょ、ちょっと! 何か言いなさいよ! 逃げるなぁ!」
ギロリとルカリオがユキを睨みつける。しかし、そんな事は気にならなかった。声を張り上げて、ユキはタクムを引きとめようとする。
しかし、それは無駄に終わってしまう。タクムもルカリオもその歩みを止める事はなく、暗闇の中に消えてしまった。
残されたのは、ユキとリュウジとエドガー。そして、彼らの手持ちポケモンだけ。
「むかつく……」
漂う沈黙。そんな中で、ユキの声だけが木霊する。
「むかつくむかつくむかつく! もうっ! 何なのよアイツは!」
ジタバタと暴れながらも、ユキは悪態を吐き出した。
そんな事をしても、あのタクムと言う少年には何も届かない。分かってる。そんな事は分かっているけれども、それでもユキは我慢ならなかった。
どうしてこんなにもイライラしているのか。正直、自分でも驚いたくらいだ。それほどまでに、ユキにはあの少年が気に食わなかったのだろう。
「にゃお……」
そんなユキとは打って変わって、沈んだ鳴き声を上げたのは青いニャオニクス。オーブは傍らにいるソワレの姿を見て、胸が痛くなったのだろう。
普段は感情を表に出さないソワレ。そんな彼女は、今日は露骨に落ち込んでしまっている。今にも泣き出しそうな表情で、俯いてしまっている。こんな様子のソワレは、滅多に現れないはずなのに。
「……大丈夫だよ、ソワレ。タクム君も、ルカリオも。いつかきっと、戻ってきてくれる。僕はそう信じてる」
落ち込むソワレの頭を撫でながらも、エドガーはそう声をかける。
エドガー達は知っている。タクムという少年の事を。だからこそ、今の彼を見ていると胸を締め付けられるような思いに駆られてしまう。
エドガー達が踏み込んで、それでタクムが変われるかなんて分からない。でも、それでも何かの力になれるなら。エドガー達は、まだ立ち止まる気などなかった。
「……ねぇ。幾つか教えて」
そんなエドガー達に、ユキが声をかける。おもむろに立ち上がると、エドガーはチラリと振り向いた。
「アシッド団って、一体なんなの……? デンリュウを狙ってるってどう言う事……!? サユリ達は、一体……!」
「……悪いけど、それに答える事はできない」
熱くなったユキは、エドガーに幾つもの質問を突きつける。しかし、それは冷静に一蹴されてしまった。
「ど、どうして……!」
「知るだけでも危険が伴う事だってあるんだよ。まだ君は奴らに目をつけられてない。だったら、知らない方がいい」
「そんな事……!」
「話は終わりだよ。行こう、オーブ、ソワレ」
ユキが言い終わる前に、エドガーの方から話を切り上げてしまった。彼も自分のポケモン達を連れて、路地裏を後にしてしまう。それ以上、振り返る事もしなかった。
結局。結局何も分からず終いだった。
本当はつまらない意地でタクムを追いかけていただけのはずなのに。気がついたら、踏み込むべきではない所の直前まで辿り着いてしまっていた。
何かを成し遂げようとしているタクム。そんな彼を知っているエドガー。そして、アシッド団という謎の組織。あまりにも多くの事を前にして、ユキの処理速度が追いついていなかった。ただ呆然と、そこに立ち竦むしかない。
なぜだか自分だけ良いように言い包められた気がした。エドガー達は何かを知っているのに、それを話したくない。だからユキが混乱している隙に、逃げ出したのではないだろうか。
頭の中でそう考えていると、再びイライラしてきた。
「一体……何なのよ! もうっ!」
ユキが一人で叫ぶ中、珍しく静かなのはリュウジとバシャーモ。
彼らだって馬鹿ではない。あの状況では、変に口を挟まないのが得策だと考えたのだ。そうすれば、自分達にとって有益な情報を勝手に漏らしてくれると睨んでいた。
結果として、その作戦は上手くいった。
あのエドガーという少年についてはどうでもいい。リュウジはあくまで、タクムと再戦したいだけなのだ。しかし、肝心のタクムが乗り気じゃない。そんなやる気のない相手に仮に勝ったとしても、納得いかない。
それならば、タクムをその気にさせればいい。彼が本気でリュウジにバトルを挑みたくなる状況を作り上げれば、それで万事解決だ。
「成程……。アシッド団かぁ……」
リュウジの手の中にあるのは、さっきの男が落としたカード。感情が高まった影響か、思わずそれを持つ手にも力が入る。
日が沈み、辺りもすっかり暗くなった時間帯。宵闇の中、ニヤリと口元をつり上げたリュウジの表情が浮かび上がった。