7. 襲撃、二人の追跡者
本来ならば比較的穏やかなはずの木漏れ日の林道。しかし現在、そこには普段いるはずのないイレギュラーな存在が紛れ込んでいた。
エドガー曰く、それは悪の組織。その一員である一人の少女が、冷たい瞳で標的であるデンリュウをジッと睨みつけていた。
突き刺さるような鋭い視線。そんなものを受け続け、デンリュウの身体の震えは段々と強くなってゆく。その少女からは、さっきの青年のようなどこか抜けた印象は微塵も感じられない。与えられた任務を、必ず遂行しようとする強い意思。たとえどんな困難な状況に置かれても、それを切り抜けようとする強い覚悟。
間違いない。この少女、本当に――。
「ククク……残念だったな、少年よ」
そんな時、目の前にいる少女の背後から、またあの青年が現れた。マニューラを傍らに連れて、相変わらずの笑みを浮かべている。
これで二人。同じ目的を持った人物が揃ってしまった。
「フフ……まぁそう悲観するな少年。神に選ばれしこの俺から逃れようなど、そもそも出来るはずのない事だったのだ……!」
「……はぁ。何言ってんのよあんたは。一度逃げられてるじゃない。また見つけられたのはあんたのお陰じゃなくて、ヘルガーの鼻のお陰でしょ」
そう言うとその少女は、足元にいた一匹のポケモンに視線を向ける。黒い身体をした四足歩行のポケモンで、頭には二本の角。長い尻尾の先端は、悪魔を彷彿させるような三角形状。
ダークポケモン、ヘルガー。そのポケモンは、唸り声を上げてエドガー達を威嚇していた。
「どうしようエドくん……。あの人たち、きっとデンリュウを追って……」
「サユリちゃんは下がってるんだ。ここは僕達に任せて」
不安そうに声を上げるサユリに向けて、エドガーが笑顔を浮かべてそう答える。サユリを安心させようとしてくれているのだ。エドガーのその言葉を聞いたサユリは、コクりと小さく頷いて数歩後ずさる。
サユリが下がった後、エドガーはあの青年と少女に向き直った。
「一応確認しておくけど、あなた達は何者で、何が目的なんだい?」
「フッ……。そう言えばまだ自己紹介が途中だったな。いいだろう! 特別に最初から話してやる……! この世界が……」
「私達はアシッド団。そのデンリュウを回収しにきた」
青年が何かを話そうとしたその時、少女の方が割り込んできてそれを中断させた。
アシッド団。今の目的はデンリュウの回収。彼女は自分でそう明かした。改めて本人からそう説明されると、サユリの恐怖心は余計に強くなる。
でも、逃げない。確かにエドガーは任せろと言ってくれた。だけれど、任せっぱなしなんて駄目だ。自分の身くらい、自分で守れるようにならなければ――。
「なっ……貴様! どこまで俺の邪魔をする気だ!」
「うっさい中二病。あんたのその痛々しい口上を聞いてると虫唾が走る」
そんな中、あの青年と少女は、何やらもめているようだった。どうやら、少女に台詞を中断された事により、青年はご立腹らしい。ビシッと人差し指を少女に向け、かなりムキになって熱弁している。けれども少女は、そんな話には無関心。あまり仲は良くないのだろうか。
「ククク……どうやら貴様は何も分かっていないようだな。だがしかし! コードネームくらいは名乗らせて貰うぞ!」
「はぁ……。面倒くさい……。もう好きにすれば?」
ヤレヤレと言った感じで少女が同意すると、青年は実に満足そうな表情を浮かべた。すると青年は数歩前へと足を踏み出し、立ち止まると自分の存在をアピールするかのようにバッと両腕を広げる。
何かするつもりなのか。そう思い、警戒したサユリとエドガーは身構える。しかし、青年の取った行動はあまりにも予想外過ぎるものだった。
「いいかよく聞け! この俺こそ神に選ばれし存在! アシッド団十二使徒の一人! コードネーム、サジタリウスである!」
「…………へ?」
唖然として思わず間の抜けた声を出すサユリ。顎に指をあて、冷めた瞳で青年に視線を向けるエドガー。今も尚、妙なポーズを取るアシッド団の青年。
誰もが言葉一つも発せず、暫しの沈黙が訪れる。ピュウっと音を立てて風が流れ込んできて、この場の微妙な雰囲気がより一層強くなる。
しかしそんな沈黙も、ヘルガーを連れた少女のため息によって終わりを迎えた。
「はぁ……本当に意味わかんないわね。なんで十二使徒なのに星座なのよ。て言うか、他の十一人はどこにいるのよ」
ひどく呆れた表情で、少女はそう言う。しかし青年はその程度ではまるで臆せず、その飄々としたキャラを崩そうとしなかった。
「意味が分からないだと……? ククク……確かに貴様には理解できるはずがないな。アシッド団十二使徒のサジタリウスと言う、このコードネームの重みが……!」
「……理解したくもない。見てるこっちまで恥ずかしくなるから止めてよそれ。あんたの名前はサジタリウスじゃなくてコウスケで……」
「なっ……!? 待て! ミッション中はコードネームで呼び合えとあれほど言っただろう! 安易に本名を晒して、どんな危険に直面するか……」
二人の口論は、何やら本題から逸脱してきているようだ。デンリュウを奪取しに来たのではないのか。呆然としたサユリは、何も言えずにただ二人の口論が終わるのを待つことしかできない。
しかし、口論はますますヒートアップして、終わるような気配はまるでなかった。いや、熱くなっているのはコウスケと呼ばれた青年だけだが。
「まったく……何度言えば分かるのだ貴様は!? いいか、今後この俺の事はサジタリウスと呼べ! 分かったかジェミニよ?」
「あんたの妄想に私まで巻き込まないでよ……。私の名前はマリア。ついでに牡羊座よ」
どうやらコウスケは自分独自の世界観を持っているようで、それをマリアと名乗った少女にも押し付けようとしているようだ。しかし、マリアは実に冷静にコウスケの妄想をあしらっている。表情はかなり鬱陶しそうだが。
妄想好きな残念な青年と、無愛想で冷淡な少女。まさに「混ぜるな危険」と呼ばれる組み合わせだ。ここまで仲が悪いと、任務とやらにも支障をきたすのではないのだろうか。
「マリアさん……? カロス地方の人かな?」
「え? どうして分かるの?」
冷めた視線を向けていたエドガーが、不意に口を開く。それを聞いたサユリは、首を傾げて質問した。
「いや、僕もカロス地方出身だからね。それっぽい名前は何となく分かるんだよ」
「へぇ……。そうだったんだ」
そう言われて見れば、確かにエドガーはリョウラン地方の人とは少し違った印象を受ける。そもそもエドガーと言う名前は、リョウラン地方ではあまり見かけない。しかもよく見ると、瞳も少し緑がかったような色をしているようだ。なるほど、カロス地方出身だと言えば納得できる。
あのマリアと言う少女も、本当にカロス地方出身なのだろうか。そう思い、チラリと彼女の方へと視線を向けたその時、サユリはとある事に気がついた。
「え……と。エドくん……? これって今の内に逃げられるんじゃ……」
マリアとコウスケの口論は未だに終止符を打たれていない。コウスケは相変わらず十二使徒がどうだとか、コードネームがどうだとか訴え続けているのだが、マリアもマリアで態々反論してしまっているので埒があかない。まるで泥沼にはまってしまったかのように、抜け出す事もできないようなのだ。サユリ達の事すらも、まるで気にしていないように見える。
つまり、これはチャンスなのではないだろうか。あの二人組が言い争っているこの隙に逃げ出せば、上手く撒けそうに思える。
それに気づいたサユリが、エドガーにそう提案したのだ。
「確かに……意外と上手く行くかもね。このまま逃げちゃおうか?」
少し考え込んでいたエドガーだったが、どうやらサユリと同意見のようだ。サユリは無言でコクンと頷き、デンリュウの手を引いて立ち上がる。
エドガーは二人から目を逸らさず、オーブとソワレと共にソロリソロリと数歩後ろに下がった。
息が詰まりそうな緊張感。聞こえてくるのは、アシッド団二人組の口論と、風で揺れ動く草木が擦れ合う音。緊張のあまりサユリは唇を噛み締め、デンリュウはサユリの手を握る力を強めた。心臓の鼓動も早くなり、外に音が漏れているのではないかと思うほどに、ドクンドクンと言う心拍は強く感じられた。
やがてサユリの目の前まで、エドガーが移動する。
「……行こう、サユリちゃん」
「う、うんっ」
そう言うと、エドガーはオーブとソワレを傍らに連れて走り出した。その背後にピッタリついて、サユリとデンリュウも駆け足で移動し始める。
この窪地は出入り口がいくつかある。アシッド団がへる出入り口は、ヒイラギシティ側。つまりその全く逆方向であるミズヒキタウン側の出入り口の方へと向かえば、逃げ切る事も可能なはずだ。お世辞でも足が早いとは言えないサユリとデンリュウでも、このままアシッド団が油断してくれていれば一気に駆け抜ける事だって出来るはず。
そう思い、息を殺して素早く駆け抜けようとしたエドガーとサユリだったが――。
「……逃がさない。ヘルガー」
マリアが指を指してそう指示すると、彼女の足元にいたヘルガーが飛び出す。風を切るようなスピードで走り続け、あっと言う間にエドガー達を追い抜くと、その進行方向上に割り込んできた。
「グルルル……!」と唸り声を上げ、ヘルガーは威嚇する。鋭い歯を剥き出しにして威嚇するその表情は、今にも襲いかかってきそうな剣幕だった。やむを得ず、エドガーとサユリは立ち止まってしまう。
「う、嘘……。速い……!」
「……そんなに上手くいかない、か」
ヘルガーの移動速度とマリアの切り替えの早さに愕然とするサユリ。流石のエドガーもこれには参ったらしく、その表情に少し焦りの色を浮かべていた。
マリアはずっとコウスケと口論をしていたはず。にも関わらず、こうしてヘルガーを仕向けてきた。あの状態のまま、周囲への警戒も怠っていなかったと言う事か。
考えが甘すぎた。やはりあの少女は、悪人とは言え戦闘のエキスパート。生半可な考えでは、すぐに足をすくわれる。
「フッ……だからさっきも言っただろう。神に選ばれしこの俺から逃れる事など……」
「あんたは何もしてないでしょうがっ」
さも自分の手柄のようにコウスケがそう言ったが、マリアはそれを冷静にあしらう。先ほどと変わらぬ光景に見えるが、エドガー達がマリアを見る目は少し変わっていた。
たとえ隙を見せているようでも、マリアと言う少女は実は周囲をよく見ているのだ。一瞬たりとも、油断はできない。
「あんまり手荒な真似はしたくないんだけどね……」
「……奇遇ね。私もそう思っていた」
仕方なさそうにエドガーがそう言うと、マリアが思いもよらぬ反応を見せた。
「あなたも手荒な真似はしたくないって事? よく言うよ。現にデンリュウを強奪しようとしてるじゃないか」
「……このバカがいきなり襲いかかった事は詫びるわ。でも私達だってリスクを負うような事は極力避けたいの。できれば温厚に事を進めたいんだけど?」
チラリとコウスケに視線を送りながらも、マリアが言う。怪訝に思ったのかエドガーは眉をひそめた。
「温厚に、ねぇ……」
「そう。だから取り引きしましょ。大人しくデンリュウを引き渡してくれれば、私達はこれ以上あなた達に危害は加えない。それでどうかしら?」
デンリュウを指差しながらも、マリアはそう言った。
マリアの提案を呑めば、少なくともサユリは助かる。しかし、それじゃ意味がない。デンリュウを犠牲にしてまで助かろうなんて事、サユリが望むはずがないのだ。それは、会ったばかりのエドガーにだって分かる。トレーナーならば、大切なパートナーを簡単に手放すなんて事できるわけがない。
「フフッ……。そんな提案、僕がそう易々と受け入れるとでも思ったのかい?」
「……だろうね。手荒な真似はしたくないだなんて、あなたの方こそよく言うわよ。真っ先に私を妨害してきたのはあなただったし。最初から強行突破でもしようとしていたんでしょ?」
マリアとエドガーがそんなやり取りをしていたが、サユリは置いてけぼりのような状態になっていた。
真っ先に妨害してきた、とは一体何の事を言っているのだろうか。ひょっとして、サユリと出会う前にエドガーは一度マリアに会った事があるのだろうか。
しかし、そんなサユリでも分かる事がある。エドガーはこの状況を強引に打開しようとしている、と言う事だ。おそらく、アシッド団二人のマニューラとヘルガーを退いて、この場から一気に駆け抜けようとしている。それならば。
「エドくん……わたしも……!」
わたしも、戦う。
そう言おうとしたサユリだったが、それはエドガーの言葉によって遮られてしまった。
「大丈夫。ここは僕に任せて。アイツらをやっつけて、必ず突破口を開いてみせるから」
「で、でも一人じゃ……!」
「心配はいらないよ。僕は一人じゃない。ソワレも、オーブもいる。パートナーがいるから、戦えるんだ。……それに、女の子にまで戦わせるなんて事、僕にはできないからね」
エドガー一人じゃ、危険だ。そうサユリは思ったのだが、結局エドガーに引き止められてしまう。サユリに語りかけるエドガーの口調は、相変わらずの柔らかさだ。
サユリは不思議に思っていた。どうしてエドガーは、ここまでして自分を助けようとしてくれるのか。どうして危険を顧みずに、会ったばかりの自分の為にここまでしてくれるのか。エドガーの本当の目的は、一体なんなのか。
彼は一体、何者なのか。
「……あなたはつまり、たった一人で私達を倒すつもりなの? 舐められたものね」
「だから一人じゃないって。僕には頼れるパートナーがいるんだ」
「にゃお!」
エドガーがマリアにそう言うと、それに呼応するかのようにオーブが鳴き声を上げる。ソワレは何も言わなかったが、それでもエドガーを信頼している事が伝わってきた。何も言わずに、オーブと共に前に出る。
ソワレの場合、鳴き声や表情で気持ちを現すのが苦手なだけだろう。だからこそ、行動でそれを現す。それこそが、彼女なりの表現なのだ。
サユリにもはっきりと分かる。エドガーとソワレとオーブ。この一人と二匹の間には、確かな絆が存在している。
「交渉決別ね。仕方ない……。こっちも次の手段を使わせてもらうわ」
「どうぞ、ご自由に」
マリアの眼光がさらに鋭くなるが、エドガーが浮かべる表情はかなり余裕そうだ。ヘルガーに周り込まれた時には少し焦りの表情を見せていたものの、今はとても落ち着いている。
次の手段を使わせてもらう。そうマリアは言った。交渉の次に彼女達が用意している手段――。それは、一つしかない。
「……コウスケ、行くわよ」
横にいたコウスケに視線を向けながらも、マリアがそう言う。しかしコウスケは何やら不服そうな表情を浮かべて、
「だから何度言わせる……? 今の俺はコウスケではない……!」
そう言うコウスケの傍らで、マニューラが腰を低く落とした。鋭い爪を構え、地につく脚にグッと力をこめる。その爪が鈍い光を纏い始めると、マニューラが一瞬だけ目を見開く。
「サジタリウスだ!」
コウスケのその言葉が引き金となったかのように、ポケモン達は動いた。爪に鈍い光を纏わせたマニューラが、ソワレ達に“つじぎり”を放つべく急接近する。それに続くように、マリアのヘルガーも“かみつく”を行うべく走り出した。
ヘルガーとマニューラは、一箇所に固まっているソワレ達を二方向から挟み撃つように接近している。しかも“つじぎり”も“かみつく”もあくタイプの技。エスパータイプのニャオニクスにとって、驚異と成り得るタイプだ。このままでは、二匹いっぺんにやられてしまう可能性だって十分ある。
エスパータイプがあくタイプに弱いと言う事は、この時のサユリはよく分かっていない。しかし、このままでは危険だと言う事だけは彼女にも伝わってきた。二対二とは言え挟み撃ち。回避が難しい状況な為、サユリの目にはこの状況がピンチのように映っていたのだ。
「オーブ……ソワレ……」
しかし、そんな中で聞こえてきたのは、落ち着いたエドガーの呟き。その直後、目を疑うような事が起きた。
「にゅ……らっ……!?」
真っ先にうめき声を上げたのは、ソワレでもオーブでもない。コウスケのマニューラだった。“つじぎり”を仕掛けたはずのマニューラ。しかしその技は、ソワレ達には届かなかったのだ。その代わり、マニューラの腹部にはソワレの拳が突きつけられていて――。
「なっ……何ィ!? なんだこれは!?」
「にゅら……」
突きつけた拳からソワレが少しだけ力を抜くと、マニューラが弱々しく鳴き声を上げる。グラリとバランスを崩して、マニューラは崩れるように倒れ込んでしまった。
流石のコウスケも、これには愕然とせざるを得ない。マニューラは“つじぎり”を放ったはず。ヘルガーだって、“かみつく”で攻撃したはずなのだ。しかし、そのどちらの攻撃もあっさりと回避されてしまった。それどころか、ニャオニクスであるソワレがあんな物理的なカウンターを仕掛けてきた。コウスケも、マリアも、そんな事は予想もできるはずがない。
「おっと。急所に当たったかな?」
崩れ落ちて意識を失ったマニューラを見て、エドガーはスカした様子でそう言った。
マリアは怪訝に思った。特殊攻撃が得意なはずのニャオニクスが、あんな物理的な攻撃でマニューラを一撃で戦闘不能に追い込んだ? そんな事、ありえるのだろうか。おそらく、あの技は“グロウパンチ”。かくとうタイプの技だ。
確かに、こおりとあくタイプであるマニューラは、かくとうタイプの技に弱い。しかし一般的に物理攻撃が苦手と言われるニャオニクスの、しかも低威力な“グロウパンチ”で一撃で倒される事など、本当にあるのだろうか。たとえ急所に当たったとしても。
だが、そこでマリアの脳裏に一つの技の名前が浮かび上がってきた。
「……“てだすけ”」
「おっ。ご名答。その通りだよ」
ボソリと呟くマリアに対し、薄ら笑いを浮かべつつもエドガーがそう告げる。
自分の攻撃を放棄させる代わりに、他のポケモンの技の威力を増大させる技、“てだすけ”。ダブルバトル専用であるその技を、オーブに使わせていたのだ。それにより、ソワレの“グロウパンチ”は威力が引き上げられていた。
「なっ……! “てだすけ”だと……!? だが……!」
「えぇ。まさかニャオニクスに“グロウパンチ”なんて覚えさせてるなんてね。ニャオニクスは、元々物理攻撃があまり得意ではないポケモン。それなのに、態々そんな技を……。そこまでして覚えさせてるのには、何かこだわりでもあるのかしら?」
マリアもコウスケも、ニャオニクスに“グロウパンチ”を覚えさせている事に驚いているようだ。
サユリにはよく分からない。その技を覚えているニャオニクスは、そんなに珍しいものなのか。確かにあの体つきでは、かくとうタイプ技は些か不向きにも見えるが。
「こだわり……ね。友情の証、とでも言っておこうか」
物思いにふけった様子で、エドガーがそう答えた。
友情の証。そう言うエドガーの表情は、少し陰っていた。“グロウパンチ”と言う技は、エドガーとソワレにとって何か思い入れのある技なのだろう。サユリでもそれは分かった。なぜならエドガーあの表情は、サユリが見たどの表情よりも強い感情がこもっていたのだから。
けれども、その真意は分からず終いだった。何事もなかったかのように、エドガーは顔を上げてしまったのだ。
「さて、と。残すはそのヘルガーだけだね。悪いけど、もう終わらせてもらうよ」
「……調子に乗らないで。これ以上、あなたの思い通りにはさせない」
エドガーは、サユリ達に言えないような何かを抱えている。それなのに、サユリを助けようとしてくれている。
どうして? サユリを助けて、彼に何のメリットがある? ただの人助けのつもりなのだろうか。
ひょっとして彼は、ただのお人好し? いや、それとは少し違う。そんな気がする。今ここでサユリを助ける事によって、彼に何らかの形で利益になるのではないのだろうか。
何となく、と言う無責任な感覚だが、サユリにはそう思えてならなかった。
「ヘルガー、あのニャオニクス達を仕留めなさい。“あくのはどう”」
「させないよ。オーブ、“でんじは”」
サユリのそんな思いなど露知らず、ヘルガーとオーブ達の攻防戦は続いていた。
ヘルガーの“あくのはどう”が発動するよりも先に、オーブから“でんじは”が放たれる。それは瞬く間にヘルガーの身体にまとわりつき、その自由を奪う。“でんじは”により身体が麻痺し、ヘルガーは“あくのはどう”を放てなかった。
「速い……。まさかそのニャオニクス、“いたずらごころ”……?」
「フフフ……残念だったね。これでヘルガーの身体の自由は制限された」
動きたいけど、身体が言う事を聞いてくれない。まさに、昨日のウデッポウと同じ状況だ。ヘルガーはマリアの指示を遂行する為に、無理矢理動こうとしている。けれども、結局それは叶わない。麻痺には勝てず、ガクンと膝を落としてしまう。
「さぁて。行くよ? オーブは“てだすけ”。ソワレは……そうだなぁ……。うん。やっぱり“グロウパンチ”」
エドガーがそう言うと、ソワレが走り出す。右腕をグッと引いて力を集中させると、その拳がオレンジ色の光を纏い始めた。オーブの“てだすけ”もあり、その光は一際大きく見える。
振りかぶったその拳で、ソワレはヘルガーを殴りつけた。“グロウパンチ”は頭部へと直撃し、ヘルガーは大きく怯む。しかし、まだ戦闘不能にまで追い込まれていなかった。四本の脚で強く踏ん張って、かろうじてまだ立ち続けている。
「ふぅん……。流石に一撃じゃやられないよね」
「……ッ! ヘルガー、反撃よ」
「まぁ、一撃で倒せないって言うんなら、もう一発叩き込めばいいんだけど」
「くっ……まさかこれほどとはね……」
そんなやり取りの直後、バトルはあっけなく決した。身体が痺れて動けないヘルガーに向けて、オーブの“てだすけ”を受けたソワレが“グロウパンチ”で殴りかかる。今度は肘を腰辺りまで引いた後、ヘルガーの下顎向けてアッパーカット。その力に流されて、ヘルガーは宙に殴り飛ばされた。そのまま身体が半回転し、背中から地面に叩きつけられる。
叩きつけられたヘルガーは、一瞬だけ身を反らしながらも悲鳴にも似た鳴き声を上げる。その直後、ぐったりと倒れ込んで意識を失ってしまった。
「ヘルガー……!」
「ヘルガー、戦闘不能。これで僕達の勝ちだね」
歓喜の笑みを浮かべるエドガー。それを見たマリアは、悔しそうな表情を浮かべていた。
無愛想な少女であるが、感情を表に出せない訳ではないらしい。二人がかりで襲いかかったのにも関わらず、こうも翻弄されてしまっては流石に苛立ちを感じずにはいられなかったようだ。
そんな中、サユリはただ何も言えずにそのバトルを見ている事しかできなかった。圧倒的に不利な状況で、エドガーがこうも簡単にアシッド団を退いた。勿論、それにはかなり驚いている。しかし、それだけではない。
エドガーのあの戦い方――。どことなく彼に似ている気がする。相手を麻痺状態にして身体の自由を奪い、止めの一撃。そして“グロウパンチ”と言う、かくとうタイプの技。
考え過ぎ、だろうか。相手を麻痺させる戦略はかなりポピュラーだ。何もあの少年特有の戦い方ではない。しかし、どうも引っかかる。
まさかエドガーは、あのルカリオを連れた少年と何かしらの繋がりがあるのではないのだろうか。
「フフフ……中々やるな少年! まさか俺達アシッド団の猛攻を掻い潜るとはな……! だがしかし! これで終わりでは……」
「仕方ない。今回は撤退させてもらうわ」
何やら一人で盛り上がっているコウスケを無視し、マリアはヘルガーをボールに戻す。やむを得ないと言った様子だが、無視されたコウスケは当然納得する訳がなかった。
「なっ……撤退だと!? まだデンリュウの回収は終わってないぞ!」
「これ以上の任務続行は不可能よ。私もあんたも、もうこれ以上ポケモンは連れてきてないでしょ。残念だけど、今回は私達の負けね。あの子みたいなトレーナーの介入を想定せずに軽装できたのが、そもそも間違いだったの」
「うぐっ……!」
コウスケは何も言い返せない。マリアの言う通りだった。
今回の任務は、あのデンリュウの回収。所持しているのは新人トレーナー。そう報告があった。そのため然程難しい任務ではないと判断し、軽装で来てしまったのだ。今はマニューラ以外のポケモンを連れていない。しかもそのマニューラは未だに意識を失ったままだ。仮に目覚めたとしても、バトルを続ける事はできないだろう。
仕方ない。ここはマリアの提案に従うしかない。
「やむを得んか……」
「分かったならよろしい」
コウスケがマニューラをボールに戻している横で、マリアはサユリ達に視線を向けていた。
またあの眼光。彼女達は、もうこれ以上バトルはできないと言うのに。それでも、その眼光を向けられているだけで、心の底から嫌な感じが引きずり出される。
あんな瞳で睨まれ続けていると、恐怖で身体が動かなくなる。ハブネークに睨まれたニョロトノとはこの事か。
「今回はあなた達の勝ち。でもこれで終わりじゃない。アシッド団は、そのデンリュウを狙って再び現れるわ」
「覚えておくがいい少年少女よ! 次こそは必ず! 必ずやこの俺が貴様らに神の裁きを……!」
「訳わかんない事言ってないで行くわよ」
コウスケの首筋の襟を掴み、マリアは踵を返して歩きだす。
デンリュウを狙い、突如として現れた謎の組織、アシッド団。エドガー達は、彼らの撃退に成功したのだった。
―――――
「ふぅ……意外とあっけなかったね」
木漏れ日の林道の窪地から出たエドガーは、伸びをしつつもそう言った。サユリも安心した途端、身体の力が抜けて崩れ落ちそうになる。
助かった。自分達は助かったのだ。そう強く実感できるようになっていた。
「うぅ……良かったぁ……」
「キュゥ……」
未だに身体は震えている。ホッとしたのか、デンリュウはドサりと座り込んでしまった。
ヘルガーに周り込まれた時は、本当にどうなるかと思った。マリアというあの少女の力を実感させられた気がして、何もできなくなってしまった。
しかし、エドガーはそれ以上の強さを持っていた。バトル中、終始余裕そうな雰囲気を崩さず、しかもソワレ達は一度も攻撃を受ける事なく勝利を掴んだ。その実力を前にして、ただただ賛辞せざるを得ない。
「エドくんって凄く強いんだね。あの人達に勝っちゃうなんて……!」
「いや、それほどでもないよ。手荒な真似はしたくないってのは、実は割と本気だったし。これでも結構ビビってたんだよ?」
冗談めかしてそう言うエドガー。あの緊迫感からようやく解放されたサユリは、それを聞いて破顔する。心拍も元のペースに戻りつつあり、落ち着いてきた。
「……でも、最後までエドくんに助けられっぱなしになっちゃったな……。どうお礼をしたらいいか……」
「フフッ……別にお礼なんていらないよ。僕が勝手にやっただけだし」
落ち着いてきたからこそ、冷静な思考もできるようになる。サユリは改めて、あのバトル中にずっと抱いていた疑問を思い浮かべた。
考えれば考えるほど、その気になって仕方なくなる。いや、目の前に本人がいるのだから、いっそのこと聞いてしまおうか。
「どうして……エドくんはわたし達のことを助けてくれたの?」
「え?」
「だってあの人達は、ポケモンの強奪なんかもする悪い人なんだよね? それなのに、今まで会った事もなかったわたしなんかの為に、あの人達に立ち向かおうとするなんてそんな……」
「……人助けに理由なんて必要なのかな?」
さも当然のように、エドガーは言った。
あまりにもあっさりとし過ぎていて、サユリは驚きのあまり何も言えなくなる。そんなサユリの様子が可笑しかったのか、エドガーは苦笑していた。
「ごめんごめん。別に困らせるつもりはなかったんだけど……。僕の事は、ただの親切な通りすがり人、とでも思ってくれればいいよ」
「通りすがり……?」
通りすがりに人助け。それこそ凄い事だとサユリは思う。通りすがりに見ず知らずの人を助けよう何て、誰でもできる事ではない。
しかし、本人が気づいていないだけで、サユリだってそうだ。リュウジのバシャーモに襲われているデンリュウを見て、真っ先に飛び出して助けようとするくらい、お人好しなのだから。
「さて。サユリちゃんはこのままミズヒキタウンに向かうつもりなのかな?」
「……え? う、うん」
色々と考えていたサユリに、エドガーがそう尋ねてきた。少し反応が遅れてしまったが、サユリは慌てて首を縦に振る。
「それじゃ、ここでお別れだね。僕はヒイラギシティに行かなきゃいけないから。……一人で大丈夫?」
「そうなんだ……。うん。わたしは大丈夫だよ。いつまでも誰かの力に頼ってばかりじゃいけないから……。色々とありがとう、エドくん」
「いやいや。どういたしまして」
そう言うとエドガーは、手招きでソワレとオーブを呼び寄せる。そしてクルリと踵を返すと、身体だけ向けてサユリに手を振った。
「じゃあ、僕はもう行くね。バイバイ、サユリちゃん。また会えるといいね」
「にゃお!」
「うん! エドくんも元気で!」
「キュウ!」
エドガーと共に手を振ってくれるオーブ。相変わらず素っ気ないソワレ。そんな様子を見せてくれた後、エドガー達は去って行った。
小さくなってゆく彼らの背中。正直、あんな思いをしたばかりなので、心細くないと言えば嘘になる。しかし自分で言っていた通り、これ以上誰かに頼り続ける訳にはいかないのだ。トレーナーとして旅をするのなら、自分の身くらい自分で守れるようにならなければ。
そうだ。もっと、もっと強くならなければならない。ライバルとして認めてくれたユキの為にも。自分を支えてくれた人達の為にも。守られる存在じゃなくて、守る存在になる為にも。
いつまでも、このままじゃ駄目なんだ。
「よーし……。わたし達も頑張ろうね!」
「キュン!」
そうデンリュウと意気込みをした後、サユリ達は再びミズヒキタウンへと向かう。
木漏れ日の林道で起きた、予想外な騒動。過程はどんな形であれ、それはサユリの士気を高める結果になった。
しかし、彼女はまだ知らない。この程度では、まだまだ序の口だと言う事を。アシッド団とは、どのような組織なのかと言う事を。彼らの――真の目的を。