6. 襲撃、狙われたデンリュウ
ヒイラギシティはリョウラン地方南西部の中では最も大きな街である。単純な街全体の面積も然ることながら、ビル等の建築物や生活する人々の数、外部から訪れる人の数も他の街と比べて群を抜いている。交通の便もよく、それも人を惹きつける一つの要因となっているのだろう。
また、ポケモンセンター等の設備も最新鋭の物が揃っており、他の街で出来る事はヒイラギシティでも出来て当然、とも言わしめる程である。言わばヒイラギシティはリョウラン地方の最先端を走っている主要都市であり、リョウラン地方の顔とも言える街であった。
そんなヒイラギシティの朝。
既にこの時間では街を行き交う人々の数もかなりの数となっており、騒がしくも賑やかになってきている。現時刻はちょうど人々が活動し始める時間であり、通学や出勤などが理由で街を歩く人が殆どだろう。これからもっと、賑やかになる。
しかし、そんな時間帯のヒイラギシティにも人気(ひとけ)の少ない場所がある。それは、いくつか存在する路地裏である。
とあるビルとビルの間には、ちょうど人二人が横に並んで歩けるか歩けないかくらいの微妙な隙間が空いている。しかし薄気味悪いそこを好き好んで通ろうとする人など殆んどおらず、車も通れない程の道幅の為自然と人通りが少なくなってしまう。賑やかで騒がしい表の通りとは打って変わって、そこはまるで別世界のように静けさに包まれていた。
だが、そんな路地裏にも全く人が来ない訳ではない。今日も一人、とある少年が無造作に積み上げられた石のブロックの上に腰掛けていた。
少しベージュがかった髪を持つ少年で、座っているせいで分かりにくいが身長もそこそこある。濃い赤色をしたポロシャツを羽織っており、下はジーパン。ヘッドホンを頭にかけ、目を瞑って何か音楽を聞いているように見える。
その少年の前には、一匹のポケモンの姿があった。青い体の二足歩行のポケモンであり、二本に分かれてカールした尻尾が特徴的。耳は半開き状態になっており、中の模様がチラリと見え隠れしていた。
よくせいポケモン、ニャオニクス。そのオスの個体である。
少年の目の前にいるニャオニクスの身体は今、青白いオーラのようなものに包まれていた。瞳も青白く発光しており、よく見ると少しだけ宙に浮いている。サイコパワーを使用している証拠だ。
ニャオニクスは耳の裏にサイコパワーを放出させる目玉模様の器官があり、耳を折りたたんでそれを隠す事でエネルギーを上手く制御している。一度(ひとたび)解放すればトラックを捻り潰す程のパワーが出るらしく、あまりにも強力なので普段は自分で抑制しているらしい。
そんなエスパータイプのポケモンが、ヘッドホンをかけた少年の前でサイコパワーを解放している。しかし、攻撃の為ではない。少年に“送信”しているのだ。いや、正確には“映写”と言うべきか。
誰にでも出来る事ではない。強力なサイコパワーを持っているから、それ以上に少年とニャオニクスの間に強い信頼関係があるからこそ出来る芸当。
「……見つけた」
不意にボソリと、その少年が呟いた。ニヤリと笑みを浮かべると、おもむろにヘッドホンを外して立ち上がる。外したヘッドホンを首にかけ直し、ふぅっと息を吐き出すと少年はゆっくりと目を開いた。
「……にゃお」
少年の呟きを聞いたニャオニクスが、鳴き声を上げて“映写”を止めた。青白い光もスっと消え、目も元々の色に戻る。その緑色の瞳を少年に向けながらも、浮遊していたニャオニクスは音もなく着地した。
「さて、僕たちも行こうか。オーブ」
ニッコリと笑みを見せながらも、少年はニャオニクスに声をかける。オーブと呼ばれたニャオニクスは、短く鳴き声を上げつつもコクンと小さく頷いた。
少年が歩き出すと、その少し後ろからオーブもついて行く。
ヒイラギシティ、南ゲート付近の路地裏。満足そうな表情を浮かべながらも、少年達はそこを後にした。
―――――
2番道路――『木漏れ日の林道』。潮風の街道に隣接している道路である。
ヒイラギシティの南ゲートから潮風の街道に出た後、少し歩くと横に逸れる道がある。その先が木漏れ日の林道であり、森林地帯を貫く自然豊かな道路だ。
道路の周囲は多くの木々に囲まれており、日陰も多い。その名の通り、天気の良い日は木の枝や葉の隙間から木漏れ日が降り注ぎ、涼しげな雰囲気を醸し出す道路だった。
少年のピカチュウとバトルをした翌日。ヒイラギシティのポケモンセンターで一泊したサユリと彼女の手持ちポケモン達は、木漏れ日の林道を訪れていた。
一度はトレーナーを諦めかけていたサユリ。しかしユキに励まされ、サユリの心境は少し変わっていた。デンリュウもウデッポウも、不甲斐ないサユリを見限ったりせず、寧ろ元気づけてくれたくらいだ。
そんな彼女達に支えられ、サユリは再び前を向けるようになっていた。
サユリはようやく気づけたのだ。自分一人で背負い込もうとして、その結果自分はパートナーの気持ちにも気づく事が出来ないでいた、と。だからこれからは、皆と同じ歩幅で歩いてゆく。そう心に強く誓い、サユリは歩みを再開したのだった。
「う〜ん……やっぱりこういう場所は結構涼しいね」
草木から溢れる木漏れ日に目を細めながらも、サユリは空を仰いだ。爽やかなそよ風も流れてきて、正直ヒイラギシティの街中よりも快適だ。
今朝、サユリはヒイラギシティを出発したのだが、ユキは一緒ではない。ユキはヒイラギシティで何やら用事があるらしく、一緒には行けないと言うのだ。彼女曰く、「そもそもライバルなんだから、別行動して競い合うべき」との事。そんな事もあり、サユリとユキは別々に行動する事になった。
次のサユリ達の目的地は、『ミズヒキタウン』と言う小さな町。木漏れ日の林道の先にあるその町には、とある物の為にも一度訪れてみたいと思っていた。
ヒイラギシティからミズヒキタウンまでは徒歩でまる一日、車でも数時間かかる。つまりスミレタウンから向かうとなると尚更時間がかかるため、そう易々と訪れる事ができなかったのだ。木漏れ日の林道は交通の便も悪く、ミズヒキタウンは少し訪れにくい印象を受ける。
ミズヒキタウンへの交通の便が悪い理由。それは地方の協会が定めたとある制約が原因である。
リョウラン地方は最新の科学技術を積極的に取り入れている反面、環境保護にもかなり力を入れている。協会が定めたいくつかの地区は、これ以上の森林伐採及び開発が禁止されているのだ。木漏れ日の林道もその一つであり、最寄りの大きな街であるヒイラギシティとの間にも列車のレール等を引くことができない。バスも殆んど通っておらず、徒歩以外で向かうには自家用車を使うしかなかった。
とは言ったものの、道路の整理はしっかりされており、進みにくい訳ではない。開発禁止地区に定められる前の木漏れ日の林道は本来、林産物を運ぶ為に開通された道路だった。現在はそのような利用はされていないが、整備は意外としっかりしている為、代わりに街道として利用されている。他の街からミズヒキタウンに向かう者、またその逆を行う人々にとって、木漏れ日の林道は重要な道路だった。
「キュウ……?」
「……あぁ、ごめん。ちょっとボーっとしてた」
空を仰いでボーっとしてたサユリだったが、デンリュウに声をかけられて我に返った。
ヒイラギシティを出発してから、まだそう時間は経ってない。こんな所でモタモタしてたら、日が沈むまでにミズヒキタウンに辿り着けないかも知れない。今は少しでも進んだほうがいいだろう。
幸い、潮風の街道と違って日光が直接降り注ぐような場所は少ない。日光に体力が奪われる機会が少ない為、運動音痴なサユリでもそこそこ長い時間歩く事ができるだろう。熱中症対策の為にもこまめに水分補給を取りながら、サユリ達はミズヒキタウンを目指して木漏れ日の林道を歩き続ける。
一時間程歩いた頃だろうか。
「あ……れ……?」
ゾクリと、背筋に寒気が走ったような気がして、サユリは立ち止まった。横を歩いていたデンリュウもすぐに足を止め、心配そうな表情を浮かべる。
「キュン?」
どうしたの?
そう言いたげな視線を向けて、デンリュウは首を傾げる。キョロキョロと辺りを見渡しながらも、サユリはそれに答えた。
「何だか……誰かに見られているような……」
サユリが足を止めた理由。それは誰かの視線を感じた為だ。
サユリは不器用で少し鈍臭い所があるが、周囲への気配りを完全に怠っている訳ではない。こうして誰かの視線を感じ取る事は、頻繁ではないにしろたまにある。
誰かに見られている。現段階ではあくまでサユリの気のせいである可能性もあるが、やはりどうも気にかかる。背筋に走った悪寒はかなり気味が悪く、それを思い出す度に不安感が強く募るのだ。
周囲には木々や草が多く、姿を隠す場所は余る程ある。例え人影が見当たらなくても、簡単には不安感を拭えない。知らず知らずの内に、サユリの頬を嫌な汗が流れ落ちる。
その時だった。
「キュウッ!?」
突然サユリの横で聞こえたのは、デンリュウの悲痛な鳴き声。その直後には、ズシャッ! と何かが地面に擦りつけられる音。サユリが慌てて振り向くと、そこには吹っ飛ばされて倒れこむデンリュウの姿があった。
「デンリュウ!?」
サユリが目を離した隙に、デンリュウは誰かに攻撃された? しかし、一体誰が――。
少し視線を下に向けると、その犯人の姿がすぐに目に入った。
そこにいたのは、一匹のポケモン。頭部の赤い扇状の飾りが特徴的で、体の色は基本的に紺色。二本の足で立っており、その足と腕の先には鋭い爪も確認できた。
いつの間にか現れたポケモンに驚いて、サユリは思わず身を引いてしまう。そんな中、サユリは咄嗟にポケモン図鑑を取り出して、そのポケモンをカメラで読み取ってみた。
「マニューラ、かぎづめポケモン……? この子がデンリュウを……!」
木陰から飛び出して、突然デンリュウに襲いかかったポケモン。それがこのマニューラである事は間違いない。何が目的でそんな事をしたのか分からないが、マニューラは未だにデンリュウに鋭い眼光を向けている。ジリジリと歩み寄り、追撃を加えようとしているのだ。
デンリュウは然程ダメージを受けておらず、まだ立ち上がれる体力を残していた。それを見て、マニューラは止めを刺そうとしている。
「い、いけない……! ウデッポウ!」
サユリはすかさずモンスターボールを取り出し、ウデッポウを外へと出す。ウデッポウはすぐに状況を理解したようで、素早く右腕の鋏をマニューラに向けた。
「“みずでっぽう”!」
サユリが指示を出すとほぼ同時に、ウデッポウの鋏から数発の“みずでっぽう”が発射される。それらは歩み寄るマニューラの足元に着弾し、その進行を妨げた。
「にゅら……?」
飛んできた“みずでっぽう”から逃れようと、マニューラは反射的に飛び退いた。進行を妨げたウデッポウに視線を向けると、ギロリと目を細めて睨みつける。
その隙に、サユリとウデッポウはデンリュウの元へと駆けつけた。
「だ、大丈夫? 怪我はない?」
「キュン!」
幸いにもかすり傷程度で済んだようで、デンリュウは大丈夫そうだ。どうやらマニューラの奇襲攻撃が直撃して吹っ飛ばされた訳ではなく、回避すべく飛び退いて転んでしまっただけのようだ。しかしそれでも完全に回避出来たわけでなく、少しかすってしまったようだが。
「で、でもどうして急に……」
「ククク……。どうやら身を守る事くらいは多少出来るのだな」
「えっ……?」
そんな中、サユリの耳に流れ込んできたのは、男性のものと思える声だった。その声を聞いた瞬間、サユリは驚いてビクリと身体を震わせる。直後、マニューラのちょうど背後の木陰から、一人の青年が姿を現した。
背丈はそこそこ高く、耳にかかるくらいの髪の色は黒――と言うよりどちらかと言えばマニューラの体のような紺色に近い。顔つきも中々整っており、俗にいうイケメンの部類に入るだろう。その服装は、半袖のワイシャツ姿。第一ボタンを外して着用し、青いネクタイを結んでいる。そして下には、青と白が半端に混じったかのような長ズボンをはいていた。
そんな青年が、何やら自信に満ちた表情でサユリ達を見据えている。整った顔立ちで薄ら笑う彼への第一印象は――。
(何か……笑い方がわざとらしい……)
デンリュウに突然襲いかかった来たのは、あのマニューラ。そしておそらく、この青年はマニューラのトレーナー。つまり、この青年がマニューラに指示してデンリュウを襲わせたのだろう。
しかし、その目的がまるで見えない。どうして急に襲いかかってきたのだろうか。
「あ、あなたがマニューラの……?」
「フフフ……その通り……!」
青年が突然サユリに背後を向けたかと思うと、傾けるように顔だけを振り向かせる。一字一句妙にはっきりした口調で、青年がそう答えた。
何やら動作一つ一つがわざとらしく、それを見ているとこっちの調子が狂いそうになる。しかし、相手は突然奇襲を仕掛けてきたポケモンとそのトレーナー。少なくとも善人ではない。
調子が狂いそうになりながらも、サユリは確かな恐怖心を感じていた。
そう、自分達は襲われているのだ。殆んど本能だけで動く野生のポケモンなどではなく、確かな理性を持った人間に。
恐怖心に支配されて、サユリの口元が震え始める。無意識の内に腰を落として、サユリはデンリュウを抱き寄せていた。
それでもサユリは、青年を睨みつける。必死になって恐怖心を振り払い、青年に言葉を投げかけた。
「どうして、急にデンリュウを……! あなたは一体……誰なんですか……!?」
「……知りたいか?」
「……へ?」
サユリの間の抜けた声が響く。青年はまたあのわざとらしい笑い声を上げると、実に満足そうな表情を浮かべた。
「え、えっと……あの……」
「そうか知りたいか! ククク……いいだろう。教えてやる……!」
困惑するサユリなどまるで気にせず、青年は一人で勝手に話しを進める。妙に大袈裟な身振り手振りで、青年は説明を始めた。
「この世界が創造されてから進化を繰り返してきたポケモンと、英知でその行動範囲を広げてきた人類。今や世界の大半は人類によって支配され、ポケモンと上手く共存している。しかしそれは偶然による産物ではない! 定められた運命という必然の賜物なのだ……!」
青年はノリノリでそう語る。恐怖心を感じていたはずのサユリは、完全に呆気にとられていた。
この青年が何を言っているのか、まるで意味が分からない。どこかの宗教の人――? いや、それとも適当な事を言ってサユリを惑わせようとしているのだろうか。もしそうなのだとすれば、サユリは既に彼の策略にはまってしまった事になる。頭の中が混乱して、目が回りそうになっているのだ。
「にゅ……にゅら……」
そんな中、青年の横では彼のマニューラが少し引き気味で頭をかいていた。
また始まったよ――。そう言いたげな視線を向けて。
「しかし! 人類とポケモンの中には、定められた運命を打ち破る力を持つ者がいる……! そう! この俺こそ、神に選ばれし存在! その名を……!」
ピピピピピピ――。
バッと両腕を広げ、大きく空を仰いだその時、青年の左腕につけられたライブキャスターから呼び出し音が鳴り響いた。
ライブキャスターの呼び出し音によって、青年の言葉は中断される。空を仰いだその状態のまま、彼は少しの間だけ固まってしまった。
「えっ……な、なに……?」
「キュウ……?」
サユリもデンリュウも呆然としてしまっていた。
この青年は善人ではない。それは分かる。しかし、どうも調子が狂うのだ。どこか抜けている――と言うか、あまりお近づきになりたくないような――。
サユリ達が呆然としていると、青年は突然背中を向ける。着信音が鳴るライブキャスターを操作して、誰かと通話し始めた。
「なんだ……! なぜ貴様はこのタイミングでかけてくるのだ……!? 今、俺は忙しい……。貴様と話などをしている暇は……」
『……邪魔者が一人、そっちに向かった。迎撃……排除して』
「……はぁ? 何を言って……」
ドォン!
青年の通話中、突如として爆発が発生した。黒い球体のようなものがどこからか飛んで来たかと思うと、それがマニューラの近くで爆発したのだ。その爆風で砂埃が舞い上がり、途端に視界が悪くなる。
「な、なんだこれは!?」
青年が驚きを露わにする。その直後、またあの黒い球体が飛んできて、再び爆発が発生した。しかも今度は一度だけではなく、二度三度と連続で。
何が何だか分からずに困惑し始めたのは、青年だけではなかった。
サユリ達も突然の出来事に驚いて、戸惑い始める。砂埃のせいで前もまともに見えず、余計に不安になってしまうのだ。
「キュン……!」
「な、何が起きてるの……!?」
何者かがどこからか攻撃を仕掛けている。しかしその標的はサユリではなくあの青年だ。となると、この爆発を起こした張本人は、サユリを助けようとしてくれている――?
何にせよ、これはチャンスなのではないだろうか。今なら、あの青年から逃げる事だって出来るかもしれない。
そう思ってサユリは踵を返そうとするが、そこには自分が思っていた以上に曇った視界が広がっていて、まともに動けるような状態ではなかった。この視界では、どっちが前でどっちが後ろなのかもはっきりしない。これでは、デンリュウとウデッポウを連れて逃げる事なんて――。
「えっ……?」
そんな時、サユリの腕が何者かによって引っ張られた。
サユリの細腕を、ふんわりと包み込むような手。一瞬どちらか分からなかったが、大きさから考えておそらく男性のものだろう。しかし、位置的にあの青年ではない。突然乱入してきた、第三者。
「……こっちだよ。ポケモン達を戻して。早く逃げよう」
サユリの目の前から、そんな声が聞こえた。
声の質から考えて、おそらく少年。サユリの腕を引っ張っている人に間違いない。やはりサユリ達を助けようとしてくれていたのだ。
サユリは声の主に従って、ウデッポウをボールに戻す。立ち上がったデンリュウの腕を引いて、その少年について行く事にした。
「なっ……! 待て逃がすか!」
しかし、あの青年がサユリ達を黙って逃がす訳がない。砂埃はだいぶ晴れてきて、視界がはっきりしてきたのだ。
青年のマニューラが飛び出して、逃げようとするサユリ達に襲いかかろうとした。
しかし。
「……ソワレ、“シャドーボール”。さっきみたいに牽制程度でいいよ」
少年が誰かにそう指示を出す。その直後、割って入って来たのは一匹のポケモンだった。
白い体。カールした二本の尻尾。そして、開かれた耳。青白いオーラに包まれて浮遊しているそのポケモンは、突き出された自身の両腕の先に黒い球体を生成していた。それはみるみる内に大きくなり、その禍々しさも増してゆく。
球体がある程度の大きさになると、その白いポケモンは、マニューラに向けて黒く禍々しい球体を打ち出した。
「にゅら!?」
「うおっ!?」
その球体、“シャドーボール”が爆発すると、マニューラと青年が同時に声を上げる。マニューラの動きは完全に止まり、大きな隙ができた。
「さて、今の内に……」
「う、うん……!」
少年に連れられて、サユリとデンリュウはその場から逃げ去る。追加で打ち込まれた“シャドーボール”の余波が残る中、サユリ達は青年の追跡を振り払う事に成功した。
―――――
「ふぅ。ここまで来れば取り敢えず一安心かな」
木漏れ日の林道の外れ。木の陰によって外部から気づかれにくいその場所は、普段から人があまり寄って来ない窪地になっている。ミズヒキタウンに向かうには真っ直ぐに進むだけでばいいので、態々道を逸れる必要がないからだ。
そんな場所にちょうどあった切株に腰下ろして、サユリは走ったせいで乱れた息を整えようとしていた。
サユリ達を助けてくれた人物。それは、彼女とそう歳が変わらなそうな少年だった。少しベージュがかった髪を持ち、首にはヘッドホンをかけている。上には赤いポロシャツを来ており、下はジーパン。息を切らした様子もないその少年が、サユリを見据えていた。
そんな彼の傍らには、二匹のポケモンの姿が。片方はさっきマニューラにシャドーボールを放った白いポケモンで、もう片方はそのポケモンによく似た姿をした青いポケモン。同じ種類のポケモンなのだろうか。
「助けてくれて、ありがとう。え……と……」
「……ん? あ、そっか。自己紹介がまだだったね。僕の名前はエドガー」
助けてくれた少年にお礼を言おうとして、彼の名前をまだ知らなかった事に気づく。もじもじとしていると、少年の方からそう名乗ってきた。
エドガーと名乗った少年が、スっと手を差し伸べてくる。サユリはそれに答えようとして、差し出された手を握り返した。
「わたしはサユリ。エドガー……くん……?」
「そう。この地方じゃあんまり見かけない名前かな? 僕の事はエドって呼んでもいいよ。よろしくね、サユリちゃん」
そう言うとエドガーは、ニコリと無垢な笑みを浮かべる。その笑顔を見ていると、サユリの緊張感も次第にほぐれてきた。
異性と話す機会があまりなかったサユリは、初対面の少年を前にすると少し緊張してしまう。しかし、エドガーは悪い人ではなさそうだ。助けてくれた人に対して、警戒心を抱くのも失礼だろう。強ばっていた表情を解き、サユリは笑顔を零した。
「……ホントにありがとう。エドくん達がいなかったら、わたし達どうなっていたか……」
「いやいや。礼には及ばないよ」
そう言うエドガーの傍らにいる二匹のポケモン。その青い方のポケモンが、ジッとサユリを見つめている事に気がついた。白い方のポケモンは素っ気ない態度でそっぽを向いていたが、青いポケモンはサユリ達に興味深々のようだ。
そう言えば、何というポケモンなのだろう。どこかで見た事があるような、ないような。
「……あぁ。紹介するよ。ニャオニクスのオーブとソワレ。青い方がオーブで、白い方がソワレって僕は呼んでる」
「にゃおっ!」
「…………」
オーブと呼ばれたポケモンが元気に鳴き声を上げるが、ソワレと呼ばれたポケモンはそっぽを向いたまま相変わらずの態度だった。
ニャオニクス。そうだ、思い出した。確か、オスとメスとで容姿が大きく異なるポケモンだ。青い方がオスで、白い方がメスだったはず。スミレタウン付近では見かけないポケモンだが、サユリは以前テレビで見た事があったのだ。オスとメスで容姿が違うという特徴が、印象に残っていた。
エドガーは、この二匹のポケモンの事をそれぞれオーブ、ソワレと呼んでいるらしい。つまりニックネームをつけているという事だ。
「オーブくんに、ソワレちゃん。よろしくね」
サユリが笑顔を向けると、オーブも笑顔で返してくる。しかしソワレは素っ気ないまま。どうやらこの二匹は真逆の性格をしているようだ。オーブは人懐っこいようだが、ソワレはあまり興味を示していない。
先ほどマニューラに攻撃したのはソワレだったが、あの様子を見た感じではだいぶバトルに慣れているようだった。おそらく、エドガーのトレーナー歴はあまり短くはないのだろう。そうでもなければ、あんな動き出来るはずがない。しかも、初対面のサユリを助ける為に危険を承知で牽制を行うとは――。物腰の柔らかい様子の少年だが、かなりの勇気も持ち合わせている。
「それにしても……」
あのマニューラと青年は、一体何が目的で襲いかかってきたのだろう。結局何を言っているのか分からず終いだったが、あの様子では再び襲いかかってくる可能性もある。
正体も目的も分からない。そう言う人物ほど、放っておけば大きな不安要素になってしまう。
「さっきの人……何が目的だったんだろう……?」
「……ん? アシッド団の事かい?」
「えっ……? アシッド団……?」
ボンヤリと呟くサユリ。しかしエドガーの口から聞きなれない単語が飛び出してきて、思わずオウム返しした。
アシッド団。何かの組織の名前だろうか。しかしそんな組織の名前なんて、聞いた事がない。全くの初耳だ。
「アシッド団……って……?」
「まぁ要するに悪の組織ってヤツさ。どうやらヤツらは、君のデンリュウを狙っているみたいだね」
「デンリュウを……狙っている……?」
アシッド団。悪の組織。そのフレーズを聞いてサユリが真っ先に思い浮かべたのは、一昔前にカントー地方を騒がせたとある組織の事だった。
自分達をポケモンマフィアと称するその組織は、ポケモンの強奪などの悪事の他、部門経営の掌握や大企業の制圧などと言った行為も行っており、表と裏からカントー地方を支配しようとしていた。しかしそんな計画はとあるポケモントレーナーの介入により、大きく狂い始める事となる。結局、彼らの野望は未遂に終わり、その組織は解散してしまったらしい。そう言った話を以前に聞いた事があった。
もし、そのアシッド団なるものが、サユリが思い浮かべた組織と似たような連中なのだとすれば。ポケもを使って、悪事を働くような組織なのだとすれば。そんな奴らに狙われているデンリュウは、どうなってしまうのだろうか。
「キュウ……」
デンリュウが不安そうな鳴き声を上げる。デンリュウだって、何となく感づいているのだろう。アシッド団と言う謎の組織に自分が狙われている、と。
「どうして、あの人たちはデンリュウを狙っているの……?」
「さぁ? そこまでは……。アシッド団は本来、あんまり目立つような組織じゃなかったはずなだけどね。でもここ一年くらいで突然活発に活動し始めたみたいでさ。最近のポケモン強奪事件なんかの殆んどが、ヤツらが関与しているらしいんだ。でも何が目的でポケモンを強奪しているのか、それは全くの謎。誰かに売り払っているような形跡もないみたいだし、ポケモンの売買で儲ける事が目的じゃないみたいなんだけど……」
淡々と話すエドガーを前にして、サユリは驚きを露わにした。
このエドガーの情報量は、何なのだろう。サユリも聞いた事のないアシッド団と言う組織。確かに最近、ポケモンの強奪などと言った事件はテレビ等で報道されているのを見た事があるが、アシッド団の事までは知らされていなかった。それほどまでにアシッド団と言う組織の事は曖昧で、大きな情報も掴めていなかったのだろうか。あるいは、民間人の混乱を防ぐ為にあえて報じなかった、と言う可能性もあるかも知れない。
しかし、エドガーはそんな組織の情報を既に多く握っている。見るからにサユリとあまり歳も離れていなさそうな少年が、なぜアシッド団の事を知っているのだろうか。
彼は一体、何者なのだろうか――。
「……サユリちゃん? どうかした? そんな度肝を抜かれたような顔して」
「へっ……!? い、いや……どうしてエドくんはそんなにアシッド団に詳しいのかなって思って……。聞いた事もない組織だったし……」
サユリがそう言うと、エドガーの表情が一瞬だけピクリと変わる。少し影がかかったかのような、そんな表情。聞いてはいけない事を聞いてしまったような気がして、サユリは口をつぐみたくなるような衝動に駆られた。
しかしエドガーはすぐに表情を元に直し、何事もなかったかのようにまた話し出す。
「まぁ色々あって……ね……」
だが、その時。
「……見つけたわ」
そんな声が聞こえてきた。
透き通るような女性の声。けれどもどこか冷たく、突き刺さるような印象を受ける。サユリは慌てて立ち上がり、エドガーと共にその声の主を探し始める。木々の間に立つその少女の姿を見つけるのに、そう時間はかからなかった。
桃色の長髪を持つ少女で、身長は高く手足もスラリと長い。そのスタイルは抜群によく、モデルさんみたいな体型だなとサユリは思った。しかし彼女の服装を見ると、恐怖心が掻き立てられる。マニューラを連れたあの青年と、似通った服装をしていたのだ。ただし、ネクタイの代わりに青いリボン。長ズボン代わりに、同じような配色のスカート。それらを身につけていた。
この服装の印象。おそらく彼女もまた、さっきの青年と同じ――。
「もう見つかっちゃったか。意外に早かったね」
そう言うとエドガーは、サユリとデンリュウを守るよう両腕を広げて立ち立ち塞がる。オーブとソワレもエドガーの横に立ち、その少女をギロリと睨みつけていた。
少女はサユリ達に、冷たい瞳を向ける。見下すように見据えるその姿を見ていると、さっきの青年の時よりも、はっきりと感じる事がある。この人は、敵だ。エドガーの言っていた通り、本気でデンリュウを捕まえようとしている。
怖い――。サユリの心が、そんな感情で支配されてゆく。
デンリュウと始めて会ったあの日。彼女はリュウジと彼のバシャーモに襲われていた。やっとの思いでそれから逃れられたかと思ったら、今度は妙な組織に狙われてしまった。
どうして――デンリュウばかりこんな目に遭うのだろう。一体、デンリュウが何をしたと言うのだろうか。
サユリは再び、デンリュウを抱き寄せる。涙目になりながらも、デンリュウは震えていた。
小刻みなデンリュウの震え。それが肌を通じて伝わってきて、デンリュウを抱き寄せるサユリの腕にも自然と力が入っていた。