1. 出会い、少年少女のプロローグ
潮の香りが、辺りに漂う。周囲の空気は生ぬるく、少し湿気も多い気がする。流石は夏。太陽の光は容赦なく降り注ぎ、温度はグングン上昇していた。
波が打ち付ける音が絶えず響き、ゆらゆらと独特の浮遊感を感じる。海上を進む船の上は、照りつける太陽によって上昇した気温と、ジメジメとした湿気のせいであまり快適とは言えなかった。海上の為か常に潮風が身体に打ちつけられ、体感気温は多少下げられているものの、流石に湿気まではどうにもならない。何となく身体が湿っているような気がして、苦手な人とっては嫌になってしまう程だろう。
その船の行き先は、とある地方であった。比較的大きな地方であり、豊かな自然が印象的な綺麗な地方である。他の地方とも隣接している場所にあるが、客船を受け入れる港町も存在し、陸と海どちらからでも訪れる事ができる。こうして見ると、交通手段に秀でている印象も受ける。そのため機械技術等も決して遅れている訳ではなく、寧ろ最新技術を積極的に取り入れる傾向もあり、近代化が図られているらしい。にも関わらず豊かな自然の多くが残されている所を見ると、自然保護に対する弛まぬ努力も感じられた。
そんな地方へと向かう船の甲板。そこに一つの人影があった。ジーッと船の進行方向を眺め、何かを待っているように見える。身体の大きさはかなり小さく、120センチ程しかない。人間の子供にしても、かなり小柄な方であるが――。いや、彼は人間ではない。
腕や脚は黒い体毛で覆われているが、腹部や背中はクリーム色であり、頭や腰、尻尾にかけては青い。頭にはとんがった耳があり、瞳の色は赤色である。後ろ脚で器用に立ち、ジッと海を眺めている――ポケモンだった。
後ろ脚で器用に立っている、と言うよりそもそもこれが平常なのだろう。ポケモンの中では、二足歩行の種は別に珍しくもないのだ。
そのポケモンはジッと海を眺め続けていたのだが、何かを見つけたように瞬きを一つすると、突然 踵を返した。トコトコと歩き出し、まっすぐに目的の場所へと向かう。
船の客席、屋根の下でちょうど日陰となっており甲板と比べると幾分か快適な、一人用の席。そこに座っている一人の少年の前まで来ると、ポケモンは立ち止まった。
少年は片手で頬杖をつき、スヤスヤと寝息を立てている。ちょうど日陰で生ぬるい風でさえ涼しく感じられ、船の揺れもゆりかごのように感じられるこの席で、ついつい眠くなってしまったのだろう。ポケモンが前に来ても、起きる気配はなかった。
「……………」
ポケモンは無言のまま、少年の肩を軽く叩いた。モゾモゾと動き、少し反応があったものの、少年はまだ起きない。よほどぐっすり眠っていたのか、この程度では効果はなさそうだ。
仕方なくポケモンは少年の肩を掴み、ユサユサと揺すってみる。流石に目が覚めたのか、少年は頬杖をついて寄りかかっていた顔をおもむろに上げ始めた。
「うぅ……ん……」
ボンヤリとしつつも顔を上げた少年は、その重い瞼をゆっくりと開く。眠っていた自分を起こしてくれたポケモンが、すぐ目に入った。
「……ルカリオ? どうかしたのか?」
まだ少し寝ぼけている様子で、少年は目の前のポケモン――ルカリオにそう言った。
少年の問いに対しルカリオは鳴き声一つ上げなかったが、代わりにどこかを指差した。ルカリオの示す先は、船の甲板。いや、もっと先だ。少年は立ち上がり、ルカリオの示す方向をよく見てみた。
船の周りに広がるのは、広く青い海。しかし船の進むその先に、一つの港町が見えた。
「……そうか。そろそろ着くのか」
ボソリとそう言うと、少年はゆっくりと歩き出した。日陰から日の光の下へと出ると、眩しさのあまり思わず片腕で陰を作った。寝起きのせいか、太陽の光が妙に眩しい。それでも少年は歩き続け、やがて船の端まで辿り着いた。
腕をどけると、目的地の港町はすぐ近くまで来ていた。とりわけ大きな街と言う訳ではないが、少年も乗っているこの船を受け入れるのに十分な港設備が整っている。この地方を代表とする港町、スミレタウン。船の目的地は、その町だった。
しかし少年が見据えるのは、もっと大きな物だった。彼にとって、スミレタウンは目的地ではない。あくまで出発点だ。あの町から、少年の歩みが、彼のやるべき事が、始まるのだ。
目の前に広がる世界。それを眺めていると、これから始まる旅のビジョンが脳裏に写り、少年を支配する。フゥーと息を吐き出して、少年は目の前の地方の名を、呟いた。
「リョウラン地方、か……」
―――――
ポケットモンスター
交錯するフィーリング
―――――
「ハァ……」
スミレタウンは今日も暑かった。
本格的な夏に入ってから、今日で五日目。毎日朝から気温はグングン上昇し、昼を過ぎた頃には最高気温に達する。町の大部分がアスファルトでできている為、気温が上がりやすいのだ。今日もまだまだ暑い時間が続きそうだ。
スミレタウンはリョウラン地方を代表とする港町である。漁業よりも客船を迎える設備が充実しており、リョウラン地方の海の玄関とも言えるだろう。他地方から船を使って訪れた多くの人々がこの町を訪れ、各々目的地へと目指す。多くのポケモントレーナーも、この町を出発点に決めると聞く。
そんなスミレタウンの海沿い。人通りの多い道から少し外れた場所に設けられたベンチに、一人の少女が腰掛けていた。浮かない表情でため息をつき、なにやら悩み事でもありそうである。
キャモメの群れが飛ぶ空には、やや西よりに太陽が浮かんでいる。時刻は午後三時くらいだろうか。一時間ほど前に船が定着したようだが、現在 少女が眺める海は静かだった。
彼女は悩み事があると、決まってこの場所を訪れる。こうして海を眺めていると、どんな悩みも洗い流してくれそうな気がして、何となく少女はこの場所が好きだった。
今日も一つ、小さな悩みを抱えた少女はこの場所を訪れた。それはひょっとしたら、他人から見ればくだらない悩みなのかも知れない。けれども、その少女の心から見ると重要で、決して軽視してはいけない。そんな悩み――。
「さーゆーりっ!」
「わっ、わわわっ!?」
突然背後から肩を叩かれ、少女――サユリは露骨に驚きを表した。ため息混じりに考え事を続けていた結果、周りが全く見えていなかったらしい。誰かが近づいてきていたなど、全然気づかなかった。
サユリが振り返ると、そこには彼女と同い年くらいの少女が目を丸くして立っていた。
艶のある綺麗な髪をツインテールとしてまとめており、顔立ちは整っている。体つきはスレンダーであり、スラリとした手足が羨ましい。活発的な雰囲気を醸し出す少女だった。
「な、なんだユキちゃんかぁ……。驚かさないでよぉ……」
「い、いや、あたしは別に驚かす気は無かったんだけど……。サユリが勝手に驚いたんでしょー?」
少し呆れたような表情を見せながらも、ユキと呼ばれたその少女は最後には笑みを浮かべた。
控えめなサユリとは対象的な、活発的な性格であるユキはサユリの友人であった。ユキとの付き合いは幼少の頃からであり、いわゆる幼馴染である。
頼りないこんな自分を、いつも引っ張ってくれる。サユリにとってユキはそんな存在であり、彼女は密かに憧れの念を抱いていた。自分もユキのように強い存在になりたいと、常々思っているものの中々上手くいかないのが現状だった。
「でもどうしてわたしがここにいるって分かったの? 誰にも言ってなかったはずだけど……」
「ん? サユリがよくここに来てる事は知ってたよ? 白い帽子をかぶった女の子がこっちの方に歩いていくのを何度か見たことがあるのよねー。やっぱりサユリだったか」
「そ、そうなんだ」
サユリとしては、密かに秘密の場所だと決め込んでいたのだが、バレバレだったらしい。
サユリはこのつば広の白いハット型の帽子がお気に入りで、よく身につけている。サユリの髪型はロングヘアの赤髪であり、身につけるのは明るいオレンジ色のワンピース。服装はそれほど目立つものではないのだが、白い帽子をかぶっている事が多いと言う事もあって、遠目から見てもサユリだと一目瞭然なのである。
勝手に秘密の場所だと思い込んでいた自分に何だか恥ずかしくなり、サユリは軽くうなだれた。
「それで? ため息なんかついてどうしたの? 悩み事?」
「そこも見てたんだ……。うん、ちょっとね……」
「当てて見せようか? 明日のこと考えてたんでしょ?」
「えっ……えっ!? どうして分かったの!?」
「図星、か。まぁ何となくだけど。あんたは分かりやすいからねぇ……」
考え事を直球で見抜かれたサユリは、慌てふためく。そんなサユリを、ユキはニヤニヤしながらからかった。
「そんな深刻な顔して悩む事じゃないでしょ。むしろあたしはすっごい楽しみっ! だって明日は待ちに待ったポケモンが貰える日っ! 悩んでなんかいられないわよ!」
ビシッと人差し指をサユリに向け、ユキは高々と熱弁した。
リョウラン地方では、十四歳となるとトレーナーとしてポケモンを持つことが許される。ポケモントレーナーとして、旅をする事ができるようになるのだ。
ポケモントレーナー。それはポケモン達を育て、時にはバトルさせる人達のこと。ポケモンバトルと呼ばれるそれは、スポーツのような感覚で各地に広まっていた。そしてそのトレーナーの第一歩として、ポケモンと共に旅をすると言うのがほとんど常識として知られていた。
ポケモンと共に様々な場所を冒険し、数々の困難を乗り越えて共に成長してゆく――。ポケモントレーナーは、多くの人が憧れる大きな道だった。熱弁するユキも無論 胸が躍っているようで、数日前からその日を待ちわびていた。
ちなみに、一昔前までは十歳の時点でトレーナーとなる事ができたと聞く。しかし近年 規約の見直しが行われ、改めて十四歳からと定められたらしい。そんな事もあり、ユキのトレーナーに対する憧れは、大きく膨れ上がっていた。
しかし対するサユリはと言うと、不安そうに俯いてしまっていた。
サユリもユキも、歳は十四。トレーナーとなれる年齢に達している。普通ならば、ポケモンが貰えると言う事は喜ばしいことなのだが――。サユリの表情は浮かなかった。
ポケモンが嫌いと言う訳ではない。寧ろポケモンは大好きだ。ポケモン達と、リョウラン地方を冒険する。それに対する憧れも、ちょっぴり抱いていた。
それならどうして、サユリは悩んでいるのだろうか。原因は、もっと初歩的な所にあった。
「わたしって、ユキちゃんみたいに強くないし……。鈍臭いし……。ちゃんとポケモン達と冒険できるのか、不安なの……。ポケモン達は、大好きだよ? 一緒に冒険もしてみたい。でも……わたしみたいのが、本当にトレーナーになれるのか……分かんなくて……」
ベンチに腰掛けていたサユリは、ワンピースの裾をギュッと握り締めていた。俯いた彼女の表情を一目見るだけで、心の底から悩んでいるのだと伝わってくる。
サユリは、自信が持てなかった。自分の事は、自分が一番よく分かっているつもりだ。鈍臭くて、おっちょこちょいで――。何をやっても失敗ばかり。誰かの手本になる事なんてできないし、誰かを引っ張っていく事などもってのほかだ。
だからこそ、サユリは不安だった。ポケモントレーナーとして、ちゃんと前に進めるのか。本当に自分は、トレーナーになる資格があるのか。サユリの言う通り、本当に分からなくなってきていた。
しかし、その悩みを聞いたユキの反応は、サユリにとって予想外のものだった。
「……プッ! ククク……アッハハハハ!」
こらえきれなくなり、ユキは思わず吹き出した。まるで何かが吹っ切れたかのように、お腹を抱えて笑い出す。
当然サユリは困惑して、オロオロと慌て始めた。
「わっ……わわわたし何か変なこと言ったっ!?」
「い、いや……ごめんごめん……。そんな事で悩んでたのかぁと思って」
笑い過ぎたせいか目尻に涙を浮かべながらも、ユキはそう答えた。対するサユリは未だに状況を理解できていないようで、目をパチクリさせている。
少し経ってようやく笑いが止まったユキが、サユリの肩にポンっと手を置いた。
「サユリは心配し過ぎっ! そりゃあ、あたしだってちょっとは心配とか不安もあるよ? でもそれ以上に、まだ見たこともない世界に飛び出せるってワクワク感の方が強いから、そんな不安も気にならなくなってるだけなのよ。サユリだって、弱い訳じゃない。あたしはそう思うな。要は気持ちの問題! もっと自信を持って! ね?」
「ユキちゃん……」
前向きな言葉を投げかけてくれたユキを見て、サユリの表情が少し明るくなった。
ユキはいつもこうだ。サユリがどんなに悩んでいても、こうして手を伸ばしてくれる。何もできずに迷っているサユリを、助けてくれるのだ。
けれども、サユリとしては少し情けなかった。いつまでも、助けてもらってばかりじゃ駄目だ。自分もしっかりしないと。
何度もそう思うのだけれど、空回りしてばかりだ。きっと心のどこかで、助けてくれると期待してしまっているのだろう。だから、今度こそ――。
「まぁ……あんまり無理してトレーナーにならなくても……。こればっかりはサユリが自分で決める事だから、あたしにはアレコレ口出しする権利なんてないんだけどね」
「……うん。ありがとうユキちゃん。ちゃんと考えて、どうするか決めるね」
「そうっ! その意気よサユリ!」
グッと親指を立て、ユキはニコッと笑顔を見せた。サユリもまた、笑顔でそれに答える。
そうだ。いつまでも後ろ向きな考え方じゃ駄目だ。自分は、本当はどうしたいのか。そのしっかりとした答えを、見つけなければ。
「じゃ、そろそろ行きましょ。こんな日陰も何もない場所にいつまでもいたら、熱中症になっちゃうわよ」
「うん。そうだね」
海辺のせいか意外と強い風に帽子が飛ばされないようにおさえながら、サユリは立ち上がった。
ポケモンが貰える日は、明日。その時までに、自分の気持ちをまとめておこう。
一足先に歩き始めたユキに続くように、サユリもその場をあとにしようとする。
そう。ちょうど、その瞬間だった。その“音”が聞こえたのは。
「えっ……?」
ズゥン! と言う、地響きにも似た音。何かが何かに叩きつけられる。そう言った表現が正しいだろうか。とにかく、よくこの場所を訪れるサユリでも、ここでこんな音を聞いたのは始めてだった。思わずピタリと動きを止め、サユリはキョロキョロと辺りを見渡し始めた。
「サユリっ! 今の変な音、聞こえた?」
「う、うん。なんだろ……?」
勿論その音はユキの耳にも届いたらしく、歩き始めた足を止め、サユリにそう確認した。
胸騒ぎがする。何か、良くない事が起きている。サユリはそんな風に感じていた。このまま聞かなかった事にして見過ごせば、あとで後悔しそうな、そんな気がしたならない。
何が起きているのか、この目で確認してみたい。見過ごしたくない。いや、見過ごしてはいけない。
そんな使命感のような、でもちょっぴり不安な好奇心に駆られ、サユリは自分でも気づかぬ内に動き始めていた。
「ちょ、ちょっと待ってよサユリ!」
慣れない足取りで走り出したサユリを見て、ユキは反射的に彼女を追いかけた。
正直運動はあまり得意ではないサユリに、走って追いつくのは難しくない。あっと言う間に追いついてそのままサユリを止めようと考えたのだが、いつになく真剣な彼女の表情が目に入り、ユキはそれを思いとどまった。
一体何が起きているのか。確認してみたいと言う好奇心も、正直ユキの中にはあった。だからこそ、だろうか。ユキはこのまま、サユリについて行く事にした。
―――――
音の発生源と思われる場所は、さっきの所からそう遠くない倉庫街のような場所だった。
貨物船で届く荷物などを保管しておく場所であるが、人通りは多くない。今日、入港したのは客船だけだったと言う事もあり、余計に人は少ないのだろう。
そこに辿り着いた時、それはすぐに目に入った。
倉庫の茶色く薄汚れた壁に、黄色い何かが力なく寄りかかっているのが見えた。足を投げ出している為、全体的な大きさは分からなかったが、少なくともサユリ達よりも大柄と言う事はないだろう。お腹にあたる部分は白く、首と尻尾には黒い縞模様。その尻尾の先と額には、赤い球体がくっついていた。
「ユキちゃん……。あの子って……」
「……うん。多分、デンリュウって言うポケモンだと思う」
サユリとユキは倉庫の陰から様子を伺っていた。
ライトポケモン、デンリュウ。そう、あれは正真正銘のポケモンだ。こんな町中の、しかも人通りの少ない倉庫街にポケモンがいるなど、少し考えられない。どこからか迷い込んでしまったのだろうか。
だが、問題はそこだけではなかった。
「……で、その近くにいるのが……」
そのデンリュウのそばには、一匹のポケモンを連れた少年の姿があった。
サユリ達と同い年か、少し年上くらいだろうか。デンリュウを睨みつけるその少年は、見るからに感じが悪い。目つきは悪く、髪はボサボサ。お世辞でも良い行いをしている雰囲気には、思えなかった。
少年が連れているポケモンは、かなりの長身だった。二足歩行のポケモンであり、パッと見た感じでは人間に近い姿をしている。しかし頭部は人間のつくりとは大きく異なっており、むしろ鳥類に近い。手にも鉤爪がついているようで、さらに手首の体毛は炎を彷彿させるようだった。
サユリもユキも、そのポケモンの事も、彼を連れてる少年の事もよく知っていた。
「バシャーモ……を連れているって事は、アイツ……」
「リュウジくん……だよね……?」
もうかポケモン、バシャーモ。そしてリュウジと言う名のポケモントレーナーだった。
サユリ達より一つ年上であり、トレーナーになったのも去年の事だ。つまりトレーナーとしては先輩にあたり、ポケモンバトルはかなりの実力を持っているらしい。
しかしそんな事よりも、彼を有名にする要因が他にあった。
「チッ……手間かけさせやがって……。そろそろ終わりにすんぞ」
弱々しく鳴き声を上げるデンリュウを見て、リュウジは吐き捨てるようにそう言った。ギロりと鋭い眼つきで睨みつけ、宛ら今にもとんでもない事でもしそうである。
感じの悪い目つきで睨みつけられ、驚いたデンリュウはビクリと身体を震わせた。危機感を感じたのかデンリュウは逃げ出そうとするのだが、恐怖のあまり足が震えてしまっているようで上手く立ち上がる事ができない。
それでも懸命に立ち上がろうとしているデンリュウを見て苛立ちを覚えたのか、リュウジは再び舌打ちした。
「まだ動けんのかよ。しゃーねぇな……。バシャーモ!」
リュウジは後ろに立っていたバシャーモに、チラリと視線を送った。コクンと小さく頷いたバシャーモが、睨めつけつつもデンリュウに歩み寄ろうとしていた。
「な、なにしてるんだろ……?」
倉庫の陰でその場面を見ていたサユリが、そう呟いた。暑さのせいとは違う、嫌な汗がサユリの頬を伝う。
そうは言っているものの、サユリは何となく感づいていた。リュウジと彼のバシャーモが、何をしようとしているのか。
「あのリュウジの事だから、どうせロクでもない事だろうね……。何にせよ、このままじゃデンリュウが……」
「たす……けなきゃ……」
「……えっ?」
「助けなきゃ! このままじゃデンリュウが危ないんでしょ!?」
「い、いやでも! 助けるって言ったって……」
「このまま見過ごすなんて……そんなの絶対嫌だよ!」
「ま……待ってサユリ! 策もなく突っ込んでも……!」
ユキのそんな言葉はサユリの耳には届かなかった。倉庫の陰から飛び出して、デンリュウの元へと走って向かう。正直、何も考えていなかった。ただ、このまま放っておく訳にはいかない。あのデンリュウを助けたい。そんな気持ちが、サユリを突き動かしていた。
「まったく……。サユリ、あんたって子は……」
何度か転びそうになりながらも、サユリはデンリュウのもとへと向かう、歩み寄るバシャーモより先に辿り付き、上手く間に割り込む事に成功した。
「やめてっ!」
両腕を広げ、サユリはリュウジ達の前に立ち塞がった。
突然の乱入者を前に、バシャーモは歩みを止める。その後、バシャーモは目を細めて鬱陶しそうにサユリを睨みつけた。
「あ? なんだテメェは?」
最初から喧嘩腰で、リュウジもサユリを睨みつける。今更ながら、サユリは恐怖心を感じ始めた。
勢いだけでに突っ込んで、この後どうしようか何も考えてない。時間が経てば経つほどに恐怖心は強くなり、サユリは小刻みに震え始めた。
しかしそれでも、サユリは逃げようとしなかった。
「お願い、もうやめて! この子、嫌がってるんだよ……! これ以上、傷つけるのはやめて!」
「なんだ? そのデンリュウはテメェのポケモンだってのか?」
「そう言う……わけじゃないけど……」
「ならとっとと失せろ。俺はソイツを捕まえようとしてんだ。邪魔すんじゃねぇ」
「そうはいかないのよね〜」
サユリのリュウジの言い合いに、今度はユキが割り込んできた。腕を組みながら歩み寄り、得意げな表情でリュウジ達を見据える。何か考えがあるかのように、余裕そうな雰囲気を醸し出していた。
「ユキちゃん……!」
自分が勝手に飛び出して、ユキはついてこないんじゃないかと、心のどこかではそう思っていた。けれども実際、ユキは人の事を言えないくらいお人好しだ。こうして、サユリについてきてくれた。
そんなユキを見て苛立ちを更に募らせたリュウジが、また言葉を吐き出す。
「今度はなんだ? テメェも邪魔しようってのか?」
「ふんっ! アンタにデンリュウを渡したら、何をされるか分かったもんじゃないわよ。アンタ評判かなり悪いわよ〜? 強いポケモンや珍しいポケモンばっかり集めて、いらなくなったら切り捨てる。時にはポケモン達に暴力も振るってるって聞いたわよ……。どうせ今もそんな事ばかり繰り返してんでしょ?」
「はっ! 周りの評価なんか知った事かよ。俺はこのデンリュウが欲しい。こんな所にトレーナーのものじゃないデンリュウがいるなんて、珍しいコトだろ? だから捕まえようとしてんだよ」
「……ダメだこいつ。どうしようもないわ……」
ユキ達が言い合いしている間に、サユリはデンリュウに駆け寄った。しゃがみこんで自分の視線をデンリュウのそれに合わせ、その頬に優しく触れてみる。
「……大丈夫? 動ける?」
小刻みに震えてサユリにも警戒していたデンリュウだったが、彼女の優しげな声を聞きすぐに警戒心を解いてくれたらしい。「キュゥン……」と弱々しくだが鳴き声を上げ、サユリに答えてくれた。
怪我をしているみたいだが、どうやらまだ動けそうだ。リュウジは本当にデンリュウを捕まえようとしていたらしく、故意に手加減して攻撃していたのだろう。逆にそのお陰で助かった。
「いい加減失せろ! ポケモンも持ってねぇテメェ等に何ができんだよ!」
「なっ!? ほんっと最低! 女の子に向かってその口の聞き方はなんなのよ!」
ユキとリュウジはまだ口喧嘩を続けていた。不良がましく罵声を浴びせるリュウジだったが、ユキも一歩も引かない。
ホント、怒ったユキちゃんは容赦ないなぁとサユリは密かに思った。
「テメェが何を言おうと時間の無駄だ。デンリュウを助ける事はできねぇ」
「……それはどうかしら?」
「なんだと……?」
ユキはニヤリと笑った。リュウジに抵抗できる力は何も持っていないはずなのに、この余裕。それは結果的にリュウジの警戒心を強めた。
何か考えがあるはずだ。自分を出し抜けるような、そんな考えが――。
リュウジがそう考え始めた時、ユキは動いた。
「サユリっ! 今よ!」
「う、うんっ!」
「なにっ……!?」
ユキが声上げると同時に、立ち上がったデンリュウの手を引いたサユリは駆け出した。ここはちょうど一本道のような場所だった為、隙を見て逃げ出そうと狙っていたのだ。
リュウジもバシャーモも完全にユキに気を取られていた為、サユリの動きに気づくのが遅れてしまった。
「へへんっだ! バッカじゃないの! あたしにばっかり気を取られるからよ!」
「クソっ! なめやがって!」
そう言い残した後、サユリに続いてユキもそそくさと逃げ出した。一泊ほど遅れて、リュウジとバシャーモは二人と一匹を追いかける。
ここは倉庫街。それ故に入り組んだ道も多い。そのお陰で足が遅いサユリとデンリュウでも、それなりに上手く逃げる事ができた。
「よし。このままなら……」
やがて倉庫街を抜け、小さな通りに出た。
見覚えのある通りだ。確かここは、主要となる大通りから少し外れた場所だったはず。つまりもう少し進めば、大通りに出る事ができる。
「サユリ! このまま大通りに出るわよ! さすがにあそこじゃ、リュウジも暴れられないでしょ」
「う、うん。行こうっ!」
サユリの息が切れてきた。デンリュウも怪我のせいか足取りは重い。このままでは追いつかれるのは時間の問題だ。その前になんとしてでも大通りまで出なければ。
もう少し。この道を真っ直ぐ進めば大通りだ。脇道に逃げるなどと言う小細工をしている暇はない。とにかく真っ直ぐ進めば――。
「させるか! バシャーモ!」
あと一歩の所だった。もう少しで大通りだと言う所で、信じられない跳躍力でサユリ達を飛び越したバシャーモに、道を塞がれてしまった。
突然現れたバシャーモを前に、サユリ達は反射的に足を止めてしまう。このまま引き返す事も、できなかった。
「そ、そんな……」
「くぅ……もう少しだったのにィ……」
デンリュウの手を引いていたサユリが弱々しく声を上げ、さすがのユキも悔しそうに爪を噛んでいた。
彼女達には、もうどうする事もできなった。ポケモンもまだ持っていないし、男相手に向かって行っても、結果は見えている。そもそもポケモンを持っていたとしても、初心者のサユリ達に勝ち目があるとは到底思えなかった。
もう、抵抗する術も残されていない――。
――完全に諦めかけていた、その時だった。
「終わりだな! 追いかけっこもここまで……」
ドンッ!
勝利を確信したリュウジがサユリ達に追いつこうとするが、突然横道から現れた誰かにぶつかり動きが止まった。
「いっ……つぅ……」
「……あぁ。わるい」
リュウジにぶつかったのは、一人の少年だった。
黒髪の少年であり、身長はそれほど高くない。むしろ背の高いリュウジと並ぶと小柄に見えるくらいだ。顔つきはまだ幼さを残しているような印象で、歳は恐らくサユリ達とそう変わらないだろう。だが、見覚えのない少年だった。
「な、何が起きたの……?」
一瞬の出来事だった為、サユリは状況をよく理解できてなかった。恐らくサユリ達に追いつこうと前ばかり見ていたリュウジが、横道から出てきたこの少年にぶつかったのだろう。
明らかにリュウジが悪いのだが、少年は一応すまなかったと思っているようで、軽く会釈してそのまま立ち去ろうとしていた。
「おいちょっと待てよ……!」
しかしリュウジはそうはいかなかった。
「……なんだよ」
「テメェ……人にぶつかっておいてその態度は何だ……?」
立ち去ろうとした少年の腕を掴み、一方的に睨みつけた。
初対面の相手にいきなり喧嘩腰。リュウジはいつもこんな感じなので今更驚かないが、このような状況ではサユリ達は複雑な心境だった。
逃げようと思えば、逃げれそう。しかしここで逃げれば、あの人を囮したようで気分が悪い。ここは行く末を見守るしかない。
「テメェ見ねぇ顔だな。この町の人間じゃねぇな?」
リュウジはそう言った後、少年の隣で一匹のポケモンがリュウジを睨みつけている事に気がついた。
見たことのあるポケモンだ。確か、リョウラン地方では生息は確認されていないポケモン。この少年のポケモンなのだろうか。もしそうだとすれば、彼は他地方から来たポケモントレーナーと言う事になる。
「そのポケモン……ルカリオか。なるほどそうか……。テメェ、ポケモントレーナーだな?」
「……だったらどうした。俺はもう行くぞ。離してくれよ」
鬱陶しそうに少年は言うが、リュウジはそんな要求などお構い無しだ。少年の了承など気にせずに、一人で勝手に話を進めた。
「待て……。そう簡単に逃がすと思うか? そうだな……。俺と取引しろ」
「……は? 取引?」
「そう、取引だ。俺とテメェでポケモンバトルするんだ。もしテメェが勝ったら、今日の所は見逃してやる」
「何だよそれ……」
ニヤリと笑いながらも、リュウジはそう提案した。対する少年は、めんどくさそうに頭を掻いている。
それにしても、喧嘩腰のリュウジを前にしてもここまで余裕を保てるとは――。この少年、意外と大物なのかも知れない。
「……で? 俺が負けたら?」
「そのルカリオをいただこう」
少年の問いに対し、リュウジは当然のようにそう言った。何か企みがあるかのようなその表情は、宛らアニメの悪人のようである。
少年はリュウジの提案を何となく察していたようで、気ダルそうな表情をしていた。
「ちょっとアンタ! いい加減にしなさいよ!」
そんなリュウジの言葉を聞いていたユキが、声を上げた。
「デンリュウだけじゃなく、その子も自分のものにしようって言うの!? て言うか、そのバトルの条件アンタが有利なことばっかりじゃないの!」
「うるせぇ! テメェは黙ってろ! このルカリオを手に入れたら、次はデンリュウの番だ……!」
「うぐぅ……」とユキは言葉が詰まる。いくらユキが何を言おうと、リュウジは考えを改める気はないらしい。
リュウジと言う少年はそう言う奴だった。他の人の気持ちなど考えず、自分の価値観を周りに押し付けようとする。誰が何と言おうと、彼は反省などしない。迷惑行為を続ける不良。
ユキの言葉など、聞き入れるはずがなかった。
「じゃ、じゃあこうしなさい! もしその人が勝ったら、このデンリュウも見逃して!」
「あ……?」
「ゆ、ユキちゃん……!」
最後の抵抗と言った所か。ユキはそう提案した。
見知らぬ人を巻き込んでしまう事に、ユキは罪悪感を感じないと言えば嘘になる。もはやサユリは慌てふためき、オロオロしてしまっている程だ。
しかし、ついカッとなって言ってしまった。このまま良いように言いくるめられるなんて、耐えられない。そんなくだらない意地が、こうした結果を招いてしまった。
「へっ……。いいだろう。この俺が負けることなんてありねぇからな」
リュウジはユキの提案を呑んだ。自信に満ちた口調でそう言い、相変わらずの不敵な笑みを浮かべ続ける。
少し自分の発言を後悔しているユキだったが、リュウジにそんな事は分からないだろう。寧ろ火に油を注いでしまったようなものだ。リュウジの士気はさらに高まり、やる気満々である。
「さぁどうする? もちろん逃げるなんて言わねぇよなぁ?」
勝手に話を進めるな。そう言いたげな視線で、少年はリュウジを見据える。
「……俺が勝ったらお前は引き下がるんだな?」
「あぁ……。俺は一度した約束は守る」
心底めんどくさそうな表情で、少年は大きくため息をついた。その後、勝手に話を進めた張本人であるユキ、そしてサユリとデンリュウ、バシャーモにチラリと視線を送り再びリュウジに向き直る。
渋々と言った感じに、少年は口を開いた。
「……わかったよ。バトルすればいいんだろ」
「そうこなくちゃな……!」
まるで既に勝った気でいるように、リュウジは浮き立っていた。よほどバトルに自信があるのか、それともこの少年がたいした事ないとでも思っているのか。
ちなみに、有無も言わずにバトルの景品にされた少年のルカリオだったが、特に気にする様子もなく表情一つ変えなかった。ルカリオは知能の高いポケモンであり、人の言葉も理解できるらしいのだが――。少年と同じく、ここまで冷静にいられるのは何か理由があるのだろうか。
「た、大変なことになっちゃった……」
そんな様子を見守っていたサユリは、呆然としていた。いつの間にか話がドンドン進み、いつの間にかこんな状況に――。頭の整理が追いつかない。何が何だか、訳が分からなくなってきた。
「一体、どうなっちゃうの……」
―――――
「使用ポケモンはお互い一匹ずつ。戦闘不能になった方が負け。それで言いよな?」
「あぁ……。何でも言いから早く始めてくれ」
あの場所から少し進んだ所に、とある公園がある。子供が遊ぶような遊具などは見当たらず、ただ大きな広場が大半を占めているシンプルな公園だが、そこにはポケモンバトルを行う為のバトルフィールドが設けられている。正式なバトル大会が行われるような、そんな設備とまではいかないものの、バトルするだけなら十分だった。
そのフィールドの端と端。ルカリオを連れた少年と、バシャーモを連れたリュウジがお互い向き合っている。いつでもバトルを始められる、そんな状況だった。
「だ、大丈夫かな……?」
そのフィールドの外。いわゆる観客の為のスペースで、サユリとユキ、デンリュウは少年達を見守っていた。
巻き込まれてしまった少年も、あのルカリオと言うポケモンも、バトル初心者ではなさそうだ。しかし、あのリュウジ達に勝てるのかどうか。
「ど、どうだろ……? 巻き込んじゃったあたしが言うのもアレだけど……、ちょっと厳しいかも……。リュウジはあんな奴だけど、バトルの腕は確かだから……」
ユキでさえも、焦りが顔に浮かび上がっていた。
無理もない。自分が巻き込んでしまったのだから、罪悪感を感じているのだろう。落ち着かない様子で、バトルの開始を待っていた。
「キュン……キュゥン……!」
そんな中、デンリュウはサユリの横で鳴き声を上げていた。見てみると、何やら不安そうな、申し訳なさそうな表情で、サユリとユキを見つめている。
元はと言えば、デンリュウを助けようとしたせいで、こんな事になってしまったのだ。デンリュウ自信も罪悪感を感じており、落ち着かないユキを見ていたたまれなくなったのだろうか。
そんなデンリュウの頭を、サユリは優しく撫でた。
「大丈夫。心配しないで。あの人は、きっとリュウジくんに勝ってくれる……。だから……!」
デンリュウを撫でながらも、サユリはバトルフィールドに振り向いた。
「今は、信じよう」
「バシャーモ、“ブレイズキック”だ!」
一瞬だけ両足に体重を乗せると、バシャーモは強く地面を蹴りつけた。その勢いで身体ごと前に押し出し、一気に加速してルカリオに急接近する。炎を纏った右脚で、なぎ払うようにルカリオを蹴りつけようとした。
大振りではあるが範囲は広く、力強い一撃。まともに受ければひとたまりもないだろう。
「……“みきり”」
しかしルカリオはバシャーモが足を振り上げた直後、素早くバックステップをとりその攻撃をかわした。少年が指示した技は“みきり”。相手の動きの一歩先を読み、的確に回避する技。これにより、バシャーモの“ブレイズキック”は空振りに終わる。
「まだまだぁ! “ブレイズキック”で追撃しろ!」
早くも回避に専念し始めたルカリオを見て、リュウジは次なる指示を出す。もう一度炎を纏った脚で蹴りつけ、ルカリオに追撃を加えようとした。
しかしルカリオはその攻撃も難なくかわし、バシャーモはまた空を蹴る事になる。が、それだけでは終わらなかった。初めから避けられるのと読んでいたかのように、バシャーモは“ブレイズキック”を連発し始めたのだ。二発、三発四発と、両足交互に次々と“ブレイズキック”を放ってゆく。
ルカリオは上手く身体をひねらせて攻撃を避け続けているものの、いずれは限界がくる。バシャーモの攻撃は単調なのが幸いで、リズム良く動けば避けるのは難しくないようだが――。
「……そろそろ、かな」
少年がボソリとつぶやいた直後、ルカリオの動きが変わった。今まで攻撃を回避する為に身体を上手く捻らせるだけだったが、今度は腰を低く落とした。バシャーモの攻撃はルカリオの頭部を狙ったものだった為、そうする事で上手く回避する事ができ――。
「“グロウパンチ”だ」
一瞬の隙をつき、ルカリオは右ストレートでパンチを放った。“ブレイズキック”の直後だったこともあり、バシャーモはその素早い反撃を回避する事はできない。ルカリオの“グロウパンチ”は、的確にバシャーモをとらえていた。
「や、やった……!」
その一撃を見たサユリが、思わず声を上げた。
ルカリオの初撃が上手く決まったのを見て、勝機を感じていた。やはりあの少年なら、リュウジに勝ってくれる。サユリはそう強く思うようになっていた。
「いや……。多分、あれじゃ倒せない……」
しかし、ユキの表情は浮かなかった。
確かにルカリオの攻撃は当たった。一撃も加えられていないバシャーモと比べると、多少優位な立ち位に立ててはいるのかも知れない。
しかしいくら一撃当てらてたと言えども、ダメージ量が少なければあまり意味はない。
「その程度の攻撃がなんだ! バシャーモ、“スカイアッパー”!」
ルカリオの攻撃を受けた直後、まるでダメージを感じさせないバシャーモが素早くアッパーを放った。
“グロウパンチ”と呼ばれる技は、あまり大きな威力は期待できない。その代わり、ある特殊な効果があるのだが――。今の攻撃にはあまり意味は無かった。
バシャーモの“スカイアッパー”は、“グロウパンチ”を放った直後のルカリオの下顎に直撃した。大きく上に吹っ飛ばされ、ルカリオは宙を舞う。
「そ、そんな……!」
サユリは思わず両手で口を抑えた。ド素人のサユリの目からでも分かる。あの技は、さっきのルカリオのパンチよりも威力が高い。あんなものをまとも受け、立ち上がれるとは思えなかった。
ところが、サユリのそんな見解はあっさりと打ち砕かれた。殴り飛ばされたかのように見えたルカリオだったが、クルリと空中で一回転して体勢を立て直し、音もなく綺麗に着地したのだ。
直撃したように見えたが、ルカリオはケロッとしている。あまりダメージは受けていないようだ。
「ケッ……。上手く身体を引いて流したか」
どうやらルカリオは攻撃を受ける直前、瞬時に身を引いていたらしい。上手い具合に力を流し、ダメージは最小限に抑えられた。
ケロリとしているルカリオを見て、サユリはホッと胸をなで下ろしていた。
「それにしてもよぉ……」
リュウジは苛立っていた。
こちらの攻撃が上手く当たらず、イライラしているのではない。あの少年、そしてルカリオの動きを見て、リュウジはずっと違和感を感じていた。それはリュウジにとって、もっとも気に食わない違和感。
「おいテメェ!」
「……今度はなんだ?」
「……手ぇ抜いてやがるな?」
リュウジのその一言を聞き、「えっ……!?」と声を上げたサユリは、少年の方へと目を向けた。それとほぼ同時に、ユキも少年を見てみる。
少年は特に表情を変える事もなく、また大きな反応を見せる事もなくただ佇んでいた。
「ルカリオのその構え、まるでやる気を感じられねぇ……。しかもあのタイミングで“グロウパンチ”なんか打ちやがって……。あの程度の威力の技じゃ、すぐに反撃されるに決まってんだろ。いやそれだけじゃねぇ」
リュウジは人差し指をルカリオに向けると、一段と大きく声を張り上げた。
「テメェのルカリオは波導の力を一切使ってねぇじゃねぇか! それを使えば、もっと強力な攻撃だってできるはずだろ! まさか俺ら相手じゃ、波導の力なんて必要ねぇとでも思ってんのか?」
「…………別にどう戦おうとお前には関係ない」
「なんだと……! ナメやがって……! 手ぇ抜いて俺に勝てると思うなよ! 全力できやがれ!」
遂に我慢できなくなったリュウジが、怒りで声を張り上げた。
観客スペースで見ていたサユリでさえも、その怒りの声にビクッと身体を震わせる。しかし怒りの矛先を向けられたあの少年は、ため息でそれを返していた。
落ち着いている。怒りに身を任せているリュウジとは対象的である。それゆえに、リュウジは少年に苛立ちを覚えずにはいられなかったのだろう。
「……しょうがない」
めんどくさそうに頭を掻きながらも、少年はボソリと呟く。やがて顔を上げ、ルカリオを見据えた。
「……ルカリオ」
名前を呼ばれたルカリオは、チラリと振り向いた。そのルカリオの視線とトレーナーである少年の視線がぶつかり、少しの間 動きが止まる。やがて何かを理解したかのように、ルカリオはコクりと頷いた。
何か攻撃がくるのか。そう考えて身構えたリュウジだったが、少年は予想もし得ない行動に出た。
少年は上着の襟元に指を突っ込み、ゴソゴソと何かを探り始めたのだ。少年の不可解な行動を前に、リュウジは眉をひそめる。何をするつもりなのだろうか。
やがて何かを掴んだ少年は、それごと指を引っ張り出した。
それはネックレスだった。男性物のシンプルな作りのネックレスで、少年はそれを首に下げていたようだ。ネックレスには小さな球体の石がついており、それは日光が当たると虹色にボンヤリと輝いているように見えた。
「あん? 何だ?」
すると少年はネックレスについている石を、ギュッと握りしめた。何かおまじないでもしているように見えるが、一体何の為にそんな事を――。
しかし次の瞬間。その現象は突然起きた。
「なっ……に……!?」
強く、そして眩い虹色の光が、握りしめた少年の拳から溢れ始めたのだ。いや、光を発しているのは少年の拳ではない。握りしめた、あの小さな石――。まだ明るい時間だと言うのに、その光はしっかりと視覚できた。
目の前で起きているその現象を前に、サユリもユキも言葉が出なかった。
神秘的で、温かい。そんな虹色の光。それを身体全体で感じ、何も喋れなくなる。目の前の現象を頭で理解するのが、追いつけていない。
膨張する光に呼応するかのように、ルカリオからも虹色の光が発生した。ドンドン強くなる光はやがてルカリオの身体全体を覆う程までになる。その姿は、宛ら虹色の殻のようだった。
「クソッ……。これは、まさか……!」
そしてまるで殻が破られるかのように、光が弾け飛ぶ。その中から出てきたのは――、ルカリオのような姿をしたポケモンだった。
体つきはルカリオそのものであるが、その体格は一回りほど大きい。青と黒、そしてクリーム色だった体色には赤色が加わり、やや明るくなった印象を受ける。元々鋭かった眼つきはさらに鋭くなっていた。
「なに……あれ……」
その現象を見てユキが第一に発した言葉は、それだった。
何が起きたのか、よく分からない。急にルカリオから光が現れ、その光が破られると中にいたはずのルカリオの姿が変わっていた。分かるのはそれくらい。ユキもサユリも、目の前で起きた現象を整理するだけで精一杯だった。
「有り得ねぇ……こんな事……」
しかしそんな中、リュウジのみがその現象を理解していた。
一度だけ、テレビで見たことがあった。確か、あれはカロス地方と呼ばれる場所で撮影された出来事。そう、カロス地方だ。あれはリョウラン地方での出来事ではない。
しかも聞いたことがある。それは、カロス地方でその存在が確認された、ポケモンの新たな可能性。リョウラン地方では、起きるはずのない現象。
しかし目の前で起きたそれは、リュウジの想像とあまりにも酷似している。いや、最早否定する事などできない。酷似した何かではなく、そのものなのだ。
進化を超えた進化。限界のその先にあるもの。それは――。
「『メガシンカ』……だとぉ!?」
「……ルカリオ」
気がつくと、バシャーモの目の前にはそのルカリオがいた。バシャーモでさえも驚きのあまり立ち尽くしていた為、ルカリオの接近に気づく事ができなかったのだ。
しかし、気づいた頃にはもう遅い。訳も分からず混乱したバシャーモが一歩後ずさるが、無駄だった。
「“インファイト”」
その攻撃で、バトルは決した。
気がつくと目の前にいたはずのルカリオがバシャーモの背後に着地し、気がつくとバシャーモは、力なく倒れ込んでいた。
“グロウパンチ”。低い威力の代わりに自らの筋力を増幅させる事のできる技。それを使ったあとのルカリオの攻撃は、バシャーモを戦闘不能にまで追い込むのに十分な威力を持っていた。
―――――
リュウジはただ呆然と立ちすくんでいた。今さっき起きた事が、未だに信じられない。
バトルに負けた。ポケモンバトルについては絶対的な自身を持っていた自分が、今日初めて会った奴に負けた。しかも、メガシンカなどと言う芸当をやってのけた、あの少年に。
一体なんなんだ、あいつは。
「さあ、アンタの負けでしょ。約束通り、デンリュウは見逃しなさい」
うなだれていたリュウジだったが、声をかけられて顔を上げる。仁王立ちしたユキが、睨みつけていた。
「うるせぇな……。分かってる。もう狙わねぇよ」
「あら? 珍しく素直じゃない。まぁ、あそこまで完敗すれば仕方ないか……」
「……テメェそれ以上言うとぶん殴るぞ」
相変わらず口は悪いが、さっきのように今にも暴れだしそうな雰囲気はない。完敗し、少なからずショックを受けているようである。珍しく大人しかった。
「あー、もうどうでもいいや。俺は帰る。テメェらも勝手にしろ」
大袈裟に声を上げたリュウジはおもむろに歩き出し、その場を立ち去った。負けた悔しさを隠したいのか、ポケットに手を突っ込んだその歩き方までもが大袈裟だ。その様子を見て、ユキはニヤニヤと笑っていた。
「ゆ、ユキちゃん……。そんな風に笑っちゃ悪いよぉ……」
「なぁに言ってんのよサユリ! 元はと言えば、アイツが悪いんでしょ。いい薬よ!」
「で、でも……」
ユキはそう言うが、生真面目で気の弱いサユリはあんな風に笑う事はできない。いくら相手がリュウジのような奴でも、サユリは人を責めたりするのが極端に苦手であった。
「さてと。早くデンリュウの怪我の手当をしてあげましょ。ここからなら研究所が近いかな……。あそこなら傷の手当とか、デンリュウの保護とかもしてくれると思うし」
「う、うん。でもちょっと待って」
デンリュウの手当を提案したユキだったが、サユリは少し時間を貰う事にした。
デンリュウの怪我の具合が心配だ。早く手当したい所である。しかしリュウジとのポケモンバトルに勝ち、自分達を助けてくれたあの少年に、一言お礼が言いたかった。
「ルカリオ、行くぞ」
少年とルカリオは、さっさとこの場を立ち去ろうとしていた。
バトルが終わった後、ルカリオの姿はもとに戻っていた。バトルの間だけ爆発的な力を発揮した不思議な現象だったが、常にあの姿でいられるわけではないらしい。
それにしても、あれは一体何だったんだろう。あれもポケモンの技の一種だったのだろうか。ポケモンバトルなどした事のないサユリにとって、あれは見たことも聞いたこともない現象だった。確か、『メガシンカ』。リュウジがそう言っていた気がする。
「あ、あのっ!」
立ち去ろうとしていた少年を、サユリは呼び止めた。
元々彼はサユリ達とは無関係だ。巻き込まれてしまっただけである。こんな風に呼び止めて、これ以上は迷惑をかけたくない。
しかしこの一言だけは、どうしても言いたかった。
「助けてくれて……ありがとう」
少年はチラリとサユリに目を向け、すぐにプイッと目を逸らす。
「勘違いするな。別にお前たちを助けようとした訳じゃない。からんできたアイツを追い払っただけだ」
それだけ言い残し、少年は立ち去った。
やはり迷惑だったのだろうか。お礼など、余計なお世話だったのだろうか。よく分からないが、どうやらサユリは少年の気に障る事をしてしまったようだ。
巻き込んでしまったのが、やはりマズかったのか。
「なによアイツ。感じわるぅ……。謝ろうと思ってたのに……」
「……仕方ないよ。巻き込んだのはわたし達の方なんだし……。でも……」
立ち去ってゆく少年の背中を見て、サユリはふと思い出していた。
「さっきのバトル、凄かったよね……」
「まぁ……うん……。只者じゃないわよね、アイツ。あのリュウジにあっさり勝っちゃったし」
「何ていうか……。あの人はルカリオを凄く信頼してたし、ルカリオも負けないくらいあの人を信頼しているみたいだった……。だからこそバトル中もあんなに冷静で、お互いを信じあう事ができてたんだね……」
「ま、それがポケモントレーナー……って事かな?」
サユリは空を仰いだ。さっきの少年のバトルが頭に浮かび、それがシミジミと心に染みる。どうしてこんな気持ちになるのか。理解するのは簡単だった。
この気持ちの正体は、あの少年への――ポケモントレーナへの憧れなのだと。
「……ユキちゃん。わたし決めた」
「ん……?」
「わたし……ポケモントレーナーになる! あの人みたいに、ポケモン達と心を通わせてあんな風にバトルしてみたい……。ポケモン達と、もっともっと仲良くなりたい……。だから……!」
それはサユリの強い決意だった。
いつも他人に流されてばかりだった。自分の気持ちを表に出せないでばかりいた。そんな自分に、自信を持つ事ができなかった。
そんな彼女が、初めて自分で決断し、心に誓った決意。トレーナーとなり、ポケモン達と心を通わせたい。
サユリの瞳は、いつにもなく真っ直ぐと前を見ていた。
「そう……」
サユリに習って、ユキも空を見た。
さっきよりも西に傾いた太陽により、空は茜色に染まりつつあった。その空は遠くに入道雲が見えるだけで、それ以外の雲は見当たらない。真夏の太陽が容赦なく照りつけ、ジリジリと暑い一日。けれども空の天気は、清々しかった。
「……いいんじゃない? サユリが決めた事なら、それで!」
サユリもユキも、自然と笑みがこぼれていた。