18.衝突、歴然の実力差
金属と金属がぶつかり合うような、鋭く甲高い音が響いた。
その直後に続いて響くのは、ギリギリと何かが擦れ合うような音。まるで刃と刃が拮抗し、鍔迫り合いでも起きているかのようだ。力と力がぶつかり合い、暫し均衡状態が続く。
何が起きたのか。サユリは咄嗟に判断する事ができなかった。ブロンド髪の女性の雰囲気が急に変わったと思ったら、彼女の傍らにいたダイケンキが急に飛び出してきて――。そうだ。引き抜かれたアシガタナで、デンリュウと一緒に斬り裂かれそうになったのだ。幾多の戦いの中で洗練されたあのような刃で斬りつけられたとなったら、人間であるサユリなどひとたまりもないはずだったのだが。
「……あれ?」
しかし、サユリの身体には痛みどころか衝撃すらも走らなかった。ただ、あの金属音にも似た音が鼓膜を刺激するだけで、特に何の異常もない。
ダイケンキのアシガタナは、サユリもデンリュウも捉えられずにいた。
「まぁ……。良い反応ですね……」
ブロンド髪の女性――クロエが関心するように声を上げる。彼女の視線の先にいたのは、振り下ろされたアシガタナを受け止めるルミナのゲッコウガだった。
素手で止めている訳ではない。掲げられたゲッコウガの右手に握られているのは、風車型の刀。俗に言う手裏剣と言う物だろう。しかし、一般的な手裏剣と異なる点が二つ。一つはサイズが大型であると言う事。掌には収まり切らず、それどこかゲッコウガの頭部の大きさ程度にまで匹敵する程。
そして、二つ目の違い。それはこの手裏剣の材質だ。金属などの類ではない。あれは、水だ。体内に蓄積されていた水を念力で操作、固定し、手裏剣の形を作り上げている。“みずしゅりけん”と呼ばれている、ポケモンの技の一種だった。
ゲッコウガは水で作られた大型の手裏剣の丁度中央部を手に持ち、それでダイケンキのアシガタナを受け止めている。細身のポケモンなのだが、どうやら腕力は相当鍛えてあるらしい。殆んど微動だにせず、ダイケンキの攻撃をしっかりと押さえ込んでいた。
「サユリ! デンリュウ! 無事か!?」
ルミナの大声が耳に入り、サユリはハッと我に返る。目の前の光景を頭の中で理解すると、思わず一歩足を引いてしまった。
ルミナが機転を利かせてゲッコウガを割り込ませていなかったら、今頃サユリはどうなっていたのだろう。アシガタナで斬り裂かれて、それから――。想像するだけで背筋に悪寒が走る。
「押し切れ! ゲッコウガ!」
ルミナの声が届くと、ゲッコウガの眼光が更に鋭くなった。
右手に“みずしゅりけん”を作り上げ、ダイケンキのアシガタナを受け止めていたゲッコウガだったが、今度は空いている左手に新たな“みずしゅりけん”を生成する。そしてダイケンキの腹部へと向けて、鋭く一太刀。
「ッ!?」
しかし。ゲッコウガの“みずしゅりけん”は、空を斬っていた。攻撃が直撃するその瞬間、ダイケンキは力を緩めて大きく身を引いていたのだ。ヒュンっと虚しく風を斬る音が響いただけで、手応えも何も感じない。それどころか、大きく空振りをした影響で隙を見せる結果になってしまった。このままでは、手痛い反撃を受けてしまう。
咄嗟に危機を察知したゲッコウガは、素早く一歩踏み出して体重を足に乗せる。そこから身体のバネを利用して、一気に飛び退いた。
幸いにもダイケンキが反撃をしてくる事はなく、お互い距離を大きく取るだけで終わる。
「ったく……。そう上手くいかないか……」
「あっ……。ご、ごめん、ルミナ……。わたし……足引っ張っちゃって……」
「気にすんな。ゲッコウガへのダメージはほぼゼロなんだ。大した影響ないだろ」
そう言うルミナはチラリと一瞥してサユリの様子を確認した後、直ぐにまた視線をアシッド団に戻してしまう。一瞬の隙すらも見せぬよう、細心の注意を払っているのだろう。
それ程までに、ルミナはアシッド団を警戒している。こんなルミナを見たのは初めてだ。先ほども隠す事なる怒りを露わにしていだが、今回は少し違う。怒りの裏に、また別の感情が漂っているような。そんな気がした。
「手裏剣は飛び道具だというイメージがあったのですが……あなたのゲッコウガはそんな使い方をするのですね……。面白いです」
「……どんな事にも例外はあるって事だ」
不気味に微笑むクロエに対し、ルミナは冷たく言い放つ。
確かに、手裏剣は投擲武器というイメージが強い。しかし、ルミナのゲッコウガはそんなイメージとは裏腹に、手裏剣を構えてそのまま白兵戦へと持ち込んでいた。あれでは手裏剣ではなくほぼ小刀のような物だが、それが彼の戦い方なのだろう。珍しい戦闘スタイルだ。
「よし……」
短く深呼吸して気持ちを落ち着かせた後、サユリは改めてアシッド団に向き直る。
これ以上、ルミナ達の足を引っ張る訳にはいかない。アシッド団を追い払い、ポケモン達も助け出す。簡単な事ではないが、きっと大丈夫だ。ルミナと力を合わせれば、あんな奴ら――。
「ルミナ……わたしも……!」
「……サユリ。お前はデンリュウを連れて逃げろ。アタシが奴らの相手をしている隙に……」
「えっ……?」
意を決して一歩踏み出そうとした矢先、サユリはルミナに肩透かしを食わされる。
それは、自分一人で十分だと言う事なのだろうか。それとも、サユリ達がいると枷になると判断して切り捨てようとしているのだろうか。だとすれば心外だ。確かに実力はルミナにも遠く及ばないのかも知れない。でも、それでも。サユリにだって、ポケモン達を助けたい思いがあるのだ。
「そんな……わたし達だけで逃げるなんて……!」
「キュウ!」
「アシッド団はデンリュウを狙ってるんだ。なら、態々奴らの前に姿を現す必要はないだろ。それに……お前はアタシを連れ戻しに来たんだろ? 大方、ミライにでも頼まれて……」
「……連れ戻す?」
「そんな心配は無用だ。アタシ達だって、伊達にポケモントレーナー続けてないからな」
何やらルミナは勘違いしているようだ。どうやら、飛び出してきたルミナを連れ戻しに来たと思い込んでいるようだが――。
正直、サユリにそのような気持ちはない。と言うか、自分も殆んど飛び出してきたようなものだ。言ってしまえば、やっている事はルミナとほぼ同じ。そんな自分が、どうしてルミナを連れ戻す事など出来ようか。
「…………」
サユリは何も言わずに前に出る。そんな彼女の行動があまりにも予想外だったのか、ルミナは愕然としていた。
「お、おいサユリ……!」
「……戦うよ、わたし達も。大丈夫。絶対に足は引っ張らないから」
「お前……」
抗議の声を上げそうになったルミナだったが、どうやらサユリの目を見てその考えを改めてくれたらしい。思う事は多々あるようだが、無理矢理飲み込んでくれた様子。それ以上、サユリにあれこれ口出しをする事はなかった。
「フフフ……お喋りは終わりましたか? では……続けましょうか」
冷たく、骨の髄まで染み込むような、クロエの不気味な声が響く。サユリ達の間に、一気に緊張が走った。
自然と頬から汗が滴り落ちる。自分の中で、五月蝿いくらいに警鐘が鳴り続ける。この人は、危険だ。今までと同じような考え方では、決して渡り合う事はできない。
「……あのゲッコウガを無力化し、迅速にデンリュウを回収します。マリア、援護を」
「了解です」
必要最低限のやり取り。ただそれだけで、マリアは自分の立ち回りを的確に判断したらしい。軽い口論になりかけたサユリやルミナと比べると、その心境に決定的な違いが存在するのは明らかだ。やはりこの手の任務には慣れているのだろうか。
何にせよ、気が緩められない事に変わりはない。マリアは元より、今のクロエは初対面の瞬間と比べると危険だという印象が跳ね上がっている。できる限り、長引かせずに勝負を決めなければならない。そうしなければ、何かよくない事が起きるような――。そんな漠然とした予感を感じる。
「ダイケンキ……“シザークロス”」
最初に動いたのは、クロエと彼女のダイケンキだった。右足に収納されていたアシガタナも引き抜き、ダイケンキは二刀流で構える。その瞳が捉えるのは、ルミナのゲッコウガ。マリアに提案した通り、まずはゲッコウガから片付けるようだ。
しかし。ゲッコウガとて、そう易々と倒される程ヤワじゃない。
「向かい撃て……! “けたぐり”だ!」
ダイケンキの“シザークロス”が標的を捉えるよりも一段と速く、ゲッコウガは無駄のない動きで身体を落とす。四つん這いの体勢から大きく身体をひねらせて、迫るダイケンキに向けて回し蹴りを放った。
狙うは足。体重が多く乗った一部分を的確に狙い、ダイケンキの体勢を崩そうとする。
だが、ダイケンキもただ無鉄砲に攻撃してきた訳ではない。ゲッコウガの動きを見て瞬時に状況を判断し、振り上げていたアシガタナの片方を素早く割り込ませる。その剣の腹で、ゲッコウガの“けたぐり”を防いでいた。
「防がれた……ッ!?」
「あらあら……残念」
ダイケンキの攻撃はまだ終わっていない。振り上げられたもう片方のアシガタナで、ゲッコウガを斬りつけたのだ。右上段から、左下段へ。“けだぐり”を防がれた際の衝撃で動けなくなったゲッコウガに、その攻撃を回避する術はない。なるべく身体を後方に引き、少しでも攻撃を浅く受けるしかなかった。
だが、それも気休めだ。大してダメージを軽減する事もできず、ゲッコウガの身体が揺れる。その隙に、ダイケンキの追撃が襲いかかって来た。今度は右下段から左上段への切り上げ。身を引く暇すら与えられず、まともに攻撃を受けてしまう。
“シザークロス”の名の通り×を描くように斬りつけられ、ゲッコウガはそのまま大きく飛ばされてしまった。
「ゲッコウガ……!? そんな……!」
「キュン……!?」
サユリとデンリュウが悲痛な声を上げる。
ダイケンキの“シザークロス”が直撃。細身のゲッコウガでは、あのように真正面から受けてしまっては致命的なダメージになりかねない。元々ゲッコウガは、攻撃を“受ける”のではなく“回避”するのに特化したポケモンなのだから。タイプの相性がいまひとつでもない限り、今の攻撃を受けて立ち上がる事など――。
「……あっ……」
しかし。ゲッコウガは立ち上がった。“シザークロス”をまともに受けてしまったはずなのに、ゲッコウガは未だ意識を保ったままだったのだ。流石にダメージは小さくないが、それでもバトルを続行するのにも支障はきたさない程。肩を上下に揺らしながらも、ゲッコウガの瞳は尚も強くダイケンキを捉えていた。
どうして? あの一瞬に、ダメージを軽減する要素があったのだろうか。
「“シザークロス”があまり効いていない……? フフッ……なるほど。“へんげんじざい”ですか。迎撃が失敗する事を見越しての“けたぐり”だった……と言う事ですね」
「あんまり認めたくねーけど……保険をかけておいて正解だったぜ……」
ルミナのゲッコウガの特性。それは“へんげんじざい”。文字通り、変幻自在に自らのタイプを切り替える事のできる特性。それだけなら聞こえはいいが、実はそこまで万能ではない。実際には、技を使った瞬間に、自らのタイプがその技のタイプと同じものに変化すると言う特性だ。つまり変化する事のできるタイプには制限があり、あくまでゲッコウガが使える技のタイプだけに限られる。
とは言っても、強力な特性である事に変わりはない。今回のように、むしタイプの攻撃を受ける前に自らをかくとうタイプへと変化させ、ダメージを軽減する事もできるのだから。使い方次第では、実に驚異的な特性と成り得るだろう。
つまるところ、ゲッコウガが“シザークロス”を受けても無事だったのは、その特性のお陰だったと言う事だ。“へんげんじざい”の知識のないサユリは、相変わらず疑問符を浮かべているが。
「面白い……。本当に、面白いですね……」
零れる笑みを抑えられない様子で、クロエはそう口にする。嘲笑している訳ではない。本当に、心の底から楽しんでいる。特徴的なバトルスタイルと、珍しい特性を持つゲッコウガに興味深々と言う事か。
「あぁ……。だからこそ、残念です」
本当に面白い。故に、勿体無い。
「これから……終わらせなければならないなんて」
ぞわっと、不快な寒気がサユリの背筋を走った。
終わらせる? 何を言っているんだ、この人は。状況から言葉の意味を解釈すれば、それはつまり――。
「で、デンリュウ!」
「キュウ……!」
反射的に、動いていた。
「“でんきショック”!」
すぐにでも、ゲッコウガの援護をしなければ。あのダイケンキを、止めなければ。本当に、取り返しにつかない事になる気がする。
大丈夫。ダイケンキはみずタイプのポケモンだ。デンリュウのでんきタイプ技ならば、多少強引でも押し切る事だってできるはず。
鳴き声を上げてサユリの指示に応じ、デンリュウは直様技の準備を開始する。瞬きを一つするよりも速く、バチバチと両腕が帯電し始めた。
デンリュウもだいぶ技に慣れたようだ。ついこの間まではろくに制御する事もできなかったのに、今はこうして不自由なく電気エネルギーを放出する事ができるようになっている。もう暴走するような可能性は、殆んどゼロだと言っても過言ではないだろう。
ある程度の充電が完了し、デンリュウはキッとダイケンキを睨みつける。確実に命中させる為にも、集中力を極限まで高めて狙いを微調整する。
その直後。充電した電気を解放し、鋭く“でんきショック”を放つ。その攻撃は一直線に飛んでゆき、一秒と経たずにダイケンキを貫く――はずだった。
「……ッ!?」
デンリュウが放った“でんきショック”がダイケンキに到達するよりも速く、どこからか飛んできた黒いエネルギー波によって、それは撃ち落とされた。爆発音が響き、爆風が周囲に乱れるが、ダイケンキにダメージはない。デンリュウの攻撃は、完全に不発に終わった。
「邪魔はさせないわ。あなた達は大人しくしてて頂戴」
マリアに冷たい声が耳に響く。あの黒いエネルギー波は、ヘルガーが放った“あくのはどう”だった。
まさかこんなにも的確に、かつ簡単に攻撃を相殺されてしまうとは。まるっきり想定してなかった訳ではないが、流石に実演されると面食らってしまう。
サユリは息が詰まりそうになった。
「……随分と悔しそうな顔ね。まさか簡単に通用するとでも思っていたのかしら?」
「それは……!」
「でもこれで少しは実力の差を実感できたんじゃない? 確かにそのデンリュウは、強い電気エネルギーを持っている。でも明らかに実践不足ね。場数が違うのよ、あなたと私じゃ」
サユリは何も言えない。マリアの言っている事が、あまりにも的を射ていたから。何も、言い返す事ができない。
確かにマリアの言う通り、サユリ達は実践不足だ。そもそも、サユリはトレーナーになったまだ日が浅い。バッジを一枚持っているとはいえ、実力は精々駆け出しトレーナーレベルだ。
でも。
「……確かに私達は弱いです。あなた達と戦っても……勝てないどころか勝負にもならないかも知れない……」
それでも。
「……だけど、私はいつまでも足掻き続けます……! もう、諦めたくなんかないから……!」
諦めない。絶対に、立ち止まったりしない。これ以上、デンリュウを傷つけたくない。心配をかけたくない。だから、サユリは足掻き続ける。そう心に決めたから、サユリの気持ちは揺るがない。
勝てる勝てないなんか関係ない。ここで逃げたら、絶対に後悔する。だからこそ、足掻いて、足掻いて、足掻き続ける。
「……ふぅ。本当に、愚かね」
マリアが溜息をつく。心の底から、呆れた様子で。
「なら、教えてあげるわ」
おもむろに腕を上げ、その指先をサユリ達に向けて。
「あなたがやろうとしている事……それは果敢な英断なんかじゃない。ただの無鉄砲な自己満足よ」
冷たく、そして無機質な声音で突きつけられる言葉。それとほぼ同時に、再びヘルガーが動いた。
チリチリと口元から火花が散ったかと思うと、その次の瞬間には業火と呼ぶべき程の激しい炎が溢れ出す。刹那、その口元から大量の炎が放射され、デンリュウに襲いかかった。
“かえんほうしゃ”。ほのおタイプ技の中でも特にポピュラーで、かつ安定した威力と命中率を併せ持つ技である。
「っ!?」
「キュウッ!?」
文字通り、あっと言う間だった。ヘルガーから放たれた“かえんほうしゃ”はみるみる内にデンリュウを包み込み、やがて完全に飲み込んでしまう。始めて間近で見るその技を前にして、どうやらサユリは愕然として須臾の間だけ放心状態になっていたらしい。デンリュウが悲痛な鳴き声を上げ、その業火が燃え上がるまで声を上げる事すらできなかった。
「デンリュウ……ッ!」
頭の中で状況を理解した先に待っているのは、狼狽。苦しむデンリュウを目の当たりにして、頭の中が真っ白になって。何も出来ずに、ただ攻撃が止むのを待つ事しかできなかった。今までならば。
しかし、今回は違う。サユリだって、何度も同じ誤ちを繰り返すような愚かな真似はしない。
(ダメ……落ち着いて……! 今ここでわたしが焦ったら……)
高ぶる気持ちを無理矢理押さえつけて、サユリは平常心を保とうとする。何とか落ち着かせる事に成功した。ふぅっと、一度呼吸を整える。
しかし、のんびりとしてはいられない。この状況を打開する為に、どう行動するのが最善なのか。それを考察し、瞬時に判断しなければならない。
(何とかして“かえんほうしゃ”を突破しないと……。無理矢理にでも相殺して……!)
“でんきショック”ではダメだろう。もっと、身体の底から一度に大量の電気を放出させる技なら、或いは――。
(そ、そうだ……!)
そこまで考えて、サユリは思い出した。
“かえんほうしゃ”を無理矢理にでも相殺する。それに適した技を、デンリュウは使えるではないか。ヒイラギシティでのジムバトル――その最後を締めくくった、あの技が。
「デンリュウ……! “ほうでん”して!」
炎の中で苦しむデンリュウに向けて、サユリは一つの指示を出す。苦痛で表情を歪めていたデンリュウだったが、サユリの声だけはしっかりと受け取る事ができたらしい。涙目になりながらも小さく頷き、その技を発動した。
身体の奥から大量の電気を引っ張り出し、それを一気に文字通り放電する。さっき使った“でんきショック”のように狙いを定めて放つ事ができず、自らを中心としてある程度の範囲に無差別に放電してしまう技だ。今まで誤爆を恐れて使わなかった技であるが、この状況なら逆に利用できる。内側から“かえんほうしゃ”に別のエネルギーをぶつけ、一か八か相殺する。
「キュゥウ!」
デンリュウの鳴き声と、一際大きな音。その直後、一際強い発光と共にデンリュウを包んでいた“かえんほうしゃ”は消滅した。サユリの思惑通り、上手く相殺する事ができたのだ。二つのエネルギーはデンリュウの周囲で四散し、光の粒子となってパラパラと散らばる。
「ふぅん……」と、少し関心したかのようにマリアが声を上げた。
「あの状態で相殺できるのね、そのデンリュウ。流石、と言うべきかしら」
「……? 何を言って……」
「ますます早急に回収する必要が出てきたわね。これ以上力をつけられたら、後々面倒だもの」
どうにもマリアの言葉が引っかかった。まるで、サユリも知らない何かを、既に掴んでいるかのような口振り。ここまでデンリュウに固執する理由は、そこにあるのだろうか。
しかし。どんな理由があるにせよ、そんな事は関係ない。奴らが嫌がるデンリュウを無理矢理連れて行こうとしているのは明白だ。今はそれが分かれば十分だった。
「さて。それじゃ、そろそろ大人しくして貰うわ」
「……! で、デンリュウ……! でんきショ……」
「遅い。ヘルガー」
危機を察知したサユリは咄嗟に次の指示を出そとするが、やはりマリアの方が一枚上手。サユリの指示よりも先に、ヘルガーを動かした。
四本の脚で地を蹴り、大きく跳躍するヘルガー。思考が追いつかずに何もできないデンリュウに飛びかかり、そのまま押し倒した。だが、それだけでは終わらない。押し倒したデンリュウのその首元に向け、その鋭い牙を突きつけたのだ。ヘルガーに噛み付かれ、デンリュウは声にならない悲鳴を上げる。
「ッ! デンリュウ……!」
サユリは息を呑む。
“かえんほうしゃ”から脱出したのも束の間、一瞬でも気を抜いたのが間違いだった。隙を見せれば、すぐにでもまた追い込まれる。そんな事、分かっていたはずなのに。
やはり。マリアの言う通り、場数の違いが戦況に大きな影響を与えているのだろうか。
「と、兎に角脱出……! デンリュウ! “ほうでん”して振り払って!」
何はどうあれ、このままでは危険だ。早急にヘルガーを振り払い、体勢を整えなければなるまい。
幸運にも、今はヘルガー自らが攻撃を仕掛けている。あの至近距離でデンリュウによる全力の“ほうでん”を食らえば、流石のヘルガーも無事ではいられないだろう。
しかし。
「キュ……ゥ、ウ……」
「で、デンリュウ……!?」
デンリュウは、動かない。否、動けなかった。
サユリの声は届いている。けれども、その指示を実行する事ができない。ヘルガーに押し倒され、首元に噛み付かれ。その体勢のまま、まるで身体の自由奪われてしまったかのように動けなくなっていたのだ。痛々しく表情を歪ませ、唸り声にも似た悲鳴を上げる。できる事と言えば、それくらいだった。
「そ、そんな……! どうして……」
「ポケモンにだって急所……弱点があるのよ」
何が起きているのかまるで分からずに、混乱して困窮するサユリ。説明を始めたのは、マリアだった。
「急所である一点に強い力を与え続ければ……その痛みは嫌でも全身に広がる。痛覚を刺激され続けると、力が入りにくくなるでしょう?」
つまりデンリュウは関節技を極められているような状態だと言う事か。あれはただの“かみつく”攻撃だったはずだが、技術次第でこんな使い方もできてしまうとは。
だが、納得する時間も余裕も、今のサユリにはない。デンリュウが苦しんでいるのだ。彼女を助け出す事だけで、頭がいっぱいだった。
「う、ウデッポウ! お願い!」
そして突発的に思いついたのは、この方法。デンリュウが自らの力だけで脱出できないのなら、別のポケモンが援護をしてやればいい。既にこれはルールに則したポケモンバトルではないのだから、出し惜しみは禁物だ。それに、また少しでも隙を見せれば、更に悪い状況にまで持っていかれる危険性もある。それだけは避けなければならなかった。
「ウデッポウ……デンリュウを助けてあげて……!」
モンスターボールから飛び出したウデッポウに、サユリは涙が零れそうになりながらも頼み込む。ウデッポウは何も言わずに、ただ静かに頷いてくれた。
右腕のを鋏を向け、デンリュウに噛み付くヘルガーに向けて“みずでっぽう”を――。
「そう来ると思ったわ。でも……」
今まさに“みずでっぽう”が放たれんとした、その時。マリアが投げた“別の”モンスターボールから、新たなポケモンが飛び出した。
ヘルガーと同じく、黒い四足歩行のポケモン。ヘルガーと違う点は角がない事と、頭から背中にかけての毛が幾分か長い事か。そのポケモンは飛び出すと同時に鋭い牙をギラつかせ、ウデッポウに飛びかかる。
“かみくだく”攻撃。瞬時に反応したウデッポウは飛び退いて事なきを得たが、真面に受ければひとたまりもない。“みずでっぽう”も不発に終わり、状況はまるで好転していない。それどころか。
「このポケモンは……!?」
「グラエナ……。今回はあの時と違って、軽装じゃないのよ」
かみつきポケモン、グラエナ。マリアはヘルガー以外のポケモンも連れてきていたのだ。
状況は悪化した。恐らく、あのグラエナもヘルガー並みの実力を有しているだろう。そうなれば、ウデッポウでも突破は難しい。サユリにもっと実力があって、ウデッポウの力を十二分に引き出せれば、勝負はまだ分からないのかも知れないが。今の彼女の実力じゃ、精々時間稼ぎが関の山だろう。
(この人……)
強い。エドガーは割とあっさり勝っていたように見えたが、それは彼だからこそできる芸当だったのだろう。そこでサユリは予感する。あの時出会ったエドガーと言う少年は、実はとんでもない人物だったのではないか、と。
「でも……」
エドガーが一体何者だったのかは気になるが、今はそんな事を考察してる場合じゃない。今ここにエドガーはいないのだ。自分たちだけで、何とか切り抜けるしかないだろう。
だが――。
「あらあら……どうしたのですか? あなたのゲッコウガ、だいぶ動きが鈍ってきていますよ?」
「くそっ……!」
ルミナのゲッコウガにも、限界が近づいていた。
サユリ達がマリアのポケモンと戦っている間も、“みずしゅりけん”とアシガタナの打ち合いは続いていた。初めこそ実力が拮抗しているように見えたが、徐々にダイケンキが押し始め、今現在のゲッコウガは完全に防戦一方だ。
ルミナとゲッコウガが弱い訳ではない。寧ろ彼女らの実力は、サユリなど比べ物にならない程高いものだろう。ただ、相手があまりにも悪すぎた。
クロエは幹部――アシッド団の中でも屈指の実力者なのだ。並のトレーナーなどに、負ける訳がなかった。
―――――
(くそっ……くそっ、くそっ!)
自分は何て無力なんだろう。こんな奴らに、ここまで押されるなんて。
ルミナは胸の奥から込み上げる憤りを抑えられずにいた。握り締めた拳に自然と力が入り、息をするのさえも忘れそうになる。
無論、この憤りの原因はアシッド団が許せないからだ。しかし、それ以上に。まるで力が及ばない不甲斐ない自分の方が、もっと許せなかった。
強くなったと思っていた。誰かの力になれるようになったのだと、そう信じていた。でも――それは思い過ごしだったのかも知れない。
これじゃ、まるで――。
「は、ははは……」
自嘲する程に、情けない。
(あーあ……。あいつだったら、涼しい顔して乗り切っちまうんだろうなぁ……)
ルミナの脳裏に、一人の少年の姿が浮かび上がる。
いつもいつも、飄々としていて、落ち着いていて。どんな困難でも、当然のように乗り越えてしまいそうな、そんな少年。彼ならば、きっとこの状況でも打開できるだろう。
それに比べ、自分はどうだ? 頭に血が昇って、一人で突っ走って。結局、このザマだ。
「フフフ……。そろそろ終わりにしましょうか。本当はもっと楽しみたかったのですが……仕方ありませんね」
あぁ、そうか。これで、終わりなのか。
「楽しかったです。本当にありがとうございました。それでは……。さようなら」
こんな、ところで――。
「終演には早すぎないか?」
――えっ?
何が起きたのか。理解するのに時間を有した。
気がつくと、体勢を崩したゲッコウガに止めを刺そうとしていたダイケンキは、大きく吹っ飛ばされていた。そのあまりの衝撃でアシガタナは手から抜け、カラカラと音を立てて地を滑る。想像以上にダメージが大きかったのか、立ち上がろうとするダイケンキは唸り声を上げていた。
「……はっ?」
思わずそんな間の抜けた声が出てしまうのも無理はない。状況が、あまりにも変化し過ぎている。
吹っ飛ばされたダイケンキと、片膝を付いたゲッコウガ。その間に割り込んだのは、一匹のポケモン。山吹色の巨体に、頭には触覚。そして、背中には巨大な翼。
ルミナはこのポケモンを知っている。ドラゴンとひこうのタイプを持つ、ドラゴンポケモンに分類されるポケモン。
「まぁ……。援軍ですか?」
そのポケモン――カイリューに攻撃されたダイケンキを見て、クロエはそう口にする。しかし、その表情に動揺や焦りの色はない。寧ろ、この状況を楽しんでいるかのような、そう感じられる面持ち。
そんなクロエの視線の先に向けて、ルミナはおもむろに振り向く。一人の青年が、そこにはいた。
「ッ! アンタは……!」
育て屋の制服。紺色の髪。人の良さそうな顔立ち。
ポケモンリーグ、現役チャンピオン。ミライだった。
―――――
まるっきり予想していなかった訳ではない。ルミナに続いて育て屋から飛び出す際、彼は言っていた。すぐに追いかける、と。だから今ここに彼が現れても、何も驚く所はない。
でも。それでも、こんなにも気持ちが高ぶってしまうのは、押さえ込んでいた恐怖心の所為なのだろうか。
「ミライさん……!」
カイリューを連れて現れたミライを見て、サユリは声を上げずにはいられなかった。
「ごめん、遅くなった。あとは俺に任せて」
それだけを言い残し、ミライはアシッド団達に向き直る。いつもは人のよさそうな表情を浮かべている彼だが、今回ばかりは違う。その眼つきは、突き刺さるように鋭い。セツナを縛り付け、ポケモン達を強奪しようとして。更にはデンリュウとゲッコウガをここまで痛めつけた。そこまでした奴らに対し、怒りを覚えない理由はなかった。
「チャンピオン……!? まさかこのタイミングで……!」
愕然とした表情で声を上げたのはマリアだ。ミライが現れたのが予想外――と言う訳ではないだろう。予想はしていたが、望んではいなかったと言う所か。驚きの裏に、忌避感のような感情が含まれているのが分かる。
想定しうる中で、最悪の状況。彼女達にとって、今がそれなのだろう。
「さて、と。何なのかな、あなた達は」
油断なく彼女らを睨みつけたままで、ミライは問う。至って温厚な口調ではあるが、強い威圧感を隠す事なく乗せている。ここまで感情が高ぶるのは、いつ以来だろうか。ただ、感情に身を委ねて暴走している訳ではなく、頭の中は驚くほどに冷静なのだけれども。
「チャンピオン……。あなたがミライなのですね? こんにちは。私達はアシッド団です」
「……アシッド団?」
ミライの威圧感など、意に介さず。クロエは笑みを浮かべながらもそう答えた。
まるで悪行を実感すらしていないような女性にミライは一瞬だけ度肝を抜かれそうになるが、同時に彼女が口にした妙な単語に興味を傾ける。
アシッド団。聞いた事のない名前だ。何かの組織の名前だと言う事は流石に分かるが、それ以上の情報がない。ミライが知らないほどに小さな組織なのか、それとも――。
(……いや、今はそんな事どうでもいい)
そこでミライは、それ以上の思考を止める。アシッド団がどう言った組織なのかは気になるが、今はそんな事を考えるより先に、やるべき事がある。
「……カイリュー」
チラリと自分のパートナーを一瞥しながらも、ミライはただその名を口にする。ただそれだけで、カイリューにはミライの考えが伝わったらしい。
カイリューの姿が、消えた。
「…………ッ!」
否。消えたと錯覚してしまう程の、超高速で動いたのだ。その場にいた者の殆んどが、まるで反応できなかった程のスピード。まさに、神速。
デンリュウを押し倒していたヘルガーと、ウデッポウに噛み付こうとしていたグラエナが、大きく殴り飛ばされて地に倒れこむ。その瞬間になって、マリアの表情がようやく変わった。
「なっ……に……!?」
倒れ込んだヘルガーとグラエナを見て、マリアは絶句する。グラエナはよろよろと立ち上がる気力を見せているが、ヘルガーは完全に昏倒。グラエナだって、仮に立ち上がれたとしてもまともに戦えるのかすら分からない。
一瞬だ。あの一瞬で、ポケモン一匹を戦闘不能にし、瀕死直前に追い込む程のダメージをもう一匹に与えた。
無茶苦茶だ――。そう言いたげな表情を、隠す事すらできずにいた。
「サユリちゃん、すぐにデンリュウをモンスターボール……には、入らないんだっけ。なら、なるべく早く引かせるんだ」
「は、はいっ!」
言われるがまま、サユリはデンリュウに駆け寄った。ヘルガーに噛み付かれ続けていた為にだいぶむせ返っていたが、どうやらダメージ自体はそれほど大きくはなかったらしい。すぐに立ち上がり、後退する事ができた。
取り敢えずデンリュウの無事が確認でき、ミライも安堵の溜息をつく。そして、再びアシッド団に視線を向けた。
「“しんそく”……凄いスピードでしたねぇ……。その巨体からでは、とても想像できません」
クロエは実に感心しているようだ。仲間のポケモンが倒れていると言うのに、まるで気にもとめてないように見える。彼女にとって、何よりも好奇心が最優先事項なのだろうか。
――いや。確かに好奇心は旺盛かも知れないが、それ以上に自らの約割に忠実なのだろう。味方が倒されても動揺せず、追い込まれても尚平静でいられる。その心持ちがあるからこそ、彼女はアシッド団の幹部としてここにいるし、その約割を全うしようとしている。刺激された好奇心に素直なのは、そのついででしかない。
「……申し訳ありません、クロエさん。私の油断が招いた結果です」
「いやいや。良いんですよ、マリア。これも想定内ですし。さて……」
申し訳なさそうに頭を下げるマリアを宥め、クロエはミライに目を向ける。二人の視線が、ぶつかった。
「丁度良かったです。一度あなたと手合わせしたいと思ってました」
「……奇遇ですね。俺もちょっとバトルしたかったところです」
破顔しながらも口にするクロエに対し、ミライは皮肉っぽく答える。
クロエの傍らには、いつの間にか立ち上がったダイケンキがアシガタナを構えていた。さっきの攻撃も手加減したつもりはないのだが、どうやら随分と頑丈であるらしい。
「やれやれ。想像以上に長期戦となりそうだ」と、ミライは思わずひとりごちた。
「……悪い、カイリュー。少し付き合ってくれ」
ミライが声をかけると、カイリューは何も言わずに頷いた。いつ飛び掛って来るか分からないダイケンキを視界に捉え、警戒心を緩めずに臨戦態勢を取る。
ミライとクロエ、そしてカイリューとダイケンキが睨み合い、暫しの沈黙が訪れる。お互いがお互いを威圧するが、しかしどちらもまるで怯まない。一瞬の隙すら見せる事なく、それ故に均衡状態は長く続いていた。
神経を集中させている所為か、そよ風が肌を撫でる程度でも随分と鬱陶しく思えてくる。痺れを切らしたミライが初激を加えようかと考え始めた、その時だった。
「こぉぅらぁぁぁああ! 見つけたぞクロエぇぇええ!」
聞き覚えのない甲高い声が、周囲に響き渡った。
互いに睥睨していたミライとクロエにより周囲には緊迫した雰囲気が張り詰めていたのだが、その緊張感も一瞬にして音を立てて崩れ落ちる。
何が起きたのか。理解するよりも先に、再び状況が変わった。
「……へ?」
思わずそんな間の抜けた声を上げてしまう。
見慣れない一人の少女が、真横から飛び込んできた。比喩などではない。本当に“飛び込んできた”のだ。クロエに向けて、飛び蹴りを噛ます為に。
「おっと」
しかし、クロエは慣れた動きで一歩飛び退いて、危なげなく飛び蹴りを外す。クロエを仕留め損なった少女は悔しそうに唸り声を上げつつも、音を立てて豪快に着地した。
「避けるなぁぁああ!」
「これはこれは……アヤノではありませんか。こんな所で、どうしたのですか? 随分と荒れているみたいですけど?」
ふわふわとした様子のクロエだったが、それに対し少女は今にも噛み付きそうな剣幕だ。「グルル……」という唸り声は、最早獣のそれに近い。
アヤノ、と呼ばれていたか。その少女の服装は、クロエと全く同じもの。つまり彼女もアシッド団の一員という事になる。
だが、そこで一つ強い違和感を覚える事になる。その原因は、少女の容姿だ。鮮やかな若草色の髪に、四葉のクローバーを模したような銀色のヘアピン。そこまでは良い。しかし、その容貌、身長、そして体型。どこをどう見ても、十歳前後くらいの少女にしか見えない。そんな少女が、アシッド団? 何かタチの悪い冗談ではないのか。そう疑ってしまう。
「はぁ? どうしたのかだって? それはお前が一番良く知ってるんじゃないか!? 自分の心に聞いてみろよ!」
「あの、何を言ってるんですかあなたは? 取り敢えず一旦落ち着きましょうよ。ほら、深呼吸。ひっ、ひっ、ふー」
「しらばっくれるなぁぁぁああ! 証拠は揃ってるんだぞ! お前は……お前は、ボクの……!」
アヤノがぷるぷると震え始める。強い怒りが、心の奥底から止めどなく溢れてくるのだろう。そして、少しの間だけタメを作って、
「ボクのシュークリームを食べただろぉぉぉおお!!」
爆発。
目尻に涙を浮かべながらも、アヤノは怒鳴り声を上げた。あまりにも多く怒号を上げすぎた所為か、彼女はそこで息切れを起こしてしまう。それを見たクロエが面白そうにニコニコと笑い、アヤノが再びキッと睨みつけていた。
この素振り。やはり見た目相応の少女にしか見えない。なぜこんな少女がアシッド団に所属しているのだろうか。
「お二人共、喧嘩なら他所でやって下さい。……アヤノさん。あなたはクロエさんに噛み付くために態々ここまで来たのですか?」
「なっ……!? お前はコイツの肩を持つって言うのか!? ま、まさかマリアも共犯……!?」
「……殴りますよ?」
「ハイ、ゴメンナサイ」
マリアが笑顔を見せた所でようやくアヤノは落ち着いた。尤も、目は全く笑っていなかったのだが。常日頃から振り回され続けて、色々と溜まっているものがあるのだろう。
「それで、ご用件は何ですか? 見ての通り、私達は任務中ですので手短にお願いします」
「……緊急の招集が入ったんだよ。任務中の団員も、一旦切り上げてすぐに戻って来いってさ。でもなぜかマリア達は応答してくれなかったみたいで……。仕方なくボクが直接声をかけに来たって訳」
「応答がない? いや、そもそも本部からの通信なんて……。あぁ……」
「ま、マリア? どうしてそんな目で私を見るのですか?」
ジト目でクロエを睨みつけたあと、マリアは目頭を抑えつつも大きく溜息をつく。どうやら、原因に心当たりがあるらしい。
「まぁ、それは良いでしょう。しかし、なぜアヤノさんが態々そんな約割を買って出たのですか? 幹部であるあなたがやる仕事じゃないでしょう?」
「そりゃあ、一刻も早くクロエにシュークリームの恨みを晴らそうと……」
「…………」
「ハハハ、ヤダナー。エガオガコワイヨ?」
満面の笑みで右腕を振り上げたマリアを見て、流石のアヤノも涙目でカタカタと震え始める。口調もどこか片言だ。一度あの拳骨を食らった事があるのだろうか。
と言うか、今とんでもない事が聞こえた気がする。この十歳前後にしか見えない少女が、幹部だって?
「まさかそんな理由で幹部の仕事をすっぽかして来たのですか? いい度胸していますね……?」
「ままま待って! これも重要な仕事で……!」
「まぁまぁ、マリア。その手を下ろしてください。ダメですよ〜、こんな小さな子供相手にむきになっちゃ……」
「だぁれが小さな子供だコラァァア!? お前ボクをからかうのもいい加減にしろぉぉお!!」
――あぁ。今の気持ちを言葉で表そうとすると、どうなるのだろうか。
ミライは全く状況が呑み込めず、ただそこで立ち竦むしかできなかった。それはサユリとルミナも同じなようで、ポカンと口を開けたまま放心状態になっている。
あの少女が現れてから、もう色々と台無しだ。これからクロエとバトルをしようとしていたはずなのだが、最早そんな事もどうでも良くなりそうな雰囲気だった。
「……おい、お前らいつまでそんな事続ける気だ? アタシらを馬鹿にしてんのか……?」
そんな中、先に口を開いたのはルミナだった。明らかに怒って頭に血が上っているのが分かる。今にも青筋が浮かび上がってきそうな勢いだ。まぁ、いきなりあんな態度を取られえては無理もないが。
「……あぁ、悪かったわね。後で私がしっかり扱いておくから」
「……えっ? ちょ」
「いやー、その必要はない。今からアタシがぶっとばすからな。ポケモン達も助けられて、一石二鳥だぜ」
口を挟もうとしたアヤノは盛大にスルーされた。
アヤノを無視したルミナは、今にも怒りが爆発しそうな程にご立腹な様子。このままでは本当にぶっとばしかねない。しかし、ここで彼女が暴れたら、流石に収拾がつかなくなりそうだ。できればご遠慮願いたいのだが――。
「その事なんだけど、今回は手を引かせてもらう事にするわ」
「なんだと……?」
「緊急の招集が入ったの。遅れる訳にはいかないのよ。私としては、デンリュウだけでも回収したいのだけれど」
マリアはチラリと視線を向ける。それに気づいたデンリュウが、びくりと身体を震わせた。
まさか強引にでもデンリュウを連れて行くつもりなのだろうか。だとすれば、そんな事を許す訳にはいかない。ミライはその視線を遮るように、デンリュウの前に割り込んだ。サユリもまた、危機を察知したのかデンリュウを抱き寄せる。
そんな彼女達を見たマリアは、一息。
「まぁ、今回は諦めるわ。時間もあまりないようだし」
デンリュウから視線をそらし、渋々と言った様子でそう口にする。そんなマリアの表情には、疲労が色濃く現れていた。彼女も彼女で色々と苦労しているようである。ちょっぴり同情してしまう。
しかし。一人だけ、納得していない人物がいた。
「……おい。ここまで来て逃すわけねーだろ。お前らを放っておくと、どうせまたロクでもない事を仕出かすに決まってる」
ルミナだった。
頭に血が上っている今の彼女が、はいそうですかと素直にアシッド団を逃がす訳がなかったのだ。それは彼女のゲッコウガも同じ考えのようで、ふらつきながらも再び“みずしゅりけん”を構えている。
誰が見ても分かる。あんな状態で戦うのは危険だ。このまま突っ込んだ所で、返り打ちに合うのは目に見えている。しかし、ルミナはそこまで気を回せる程冷静ではなかった。
「血の気の多い子ね、あなたは」
「ほざいてろ。今ここでお前らを全員……」
「だけど今はあなたに構ってる時間はないのよ。悪いわね」
「なっ……!?」
その時。バラバラという大きな音と共に、周囲の空気が乱れた。
腕で顔を覆わなければ目も開けられない程の激しい烈風が襲いかかってきて、ルミナは大きく後ずさった。ミライもサユリも、その烈風の前にして声を上げる事もできなくなる。
息をするのも難しい中、無理矢理にでも吹き荒れる烈風の先を見る。そこには、一台のヘリコプターが確認できた。
「まさか……!」
ルミナが舌打ちする。上空でホバリングするヘリコプターから、縄梯子が降りてきたのだ。奴らはあのヘリコプターを使ってここから退散するつもりらしい。
「やはりヘリを呼んでいたのですか。用意周到ですね」
「ふふーん♪ どうだ、見直した? それじゃ、さっきの事は許し……」
「それとこれとは話が別です」
「うわーん!?」
泣きそうになるアヤノを無視して、マリアがもう一度前を向く。両腕で顔を覆いながらも、鋭い眼つきで睨みつけているルミナと目が合った。
「一応忠告しておくけど、これ以上首を突っ込まない事ね。痛い目を見る事になるわよ」
「……ッ!」
「それでは、私達はもう行きますね〜。機会があれば、またお会いしましょう」
それだけを言い残し、二人は涙目のアヤノを連れてヘリコプターに乗り込んでしまう。その間もルミナは必死になって前に進もうとするが、ヘリコプターの吹き降ろし風に抗う事は敵わず――。
結局。ホバリングしていたヘリコプターが飛び去るその瞬間まで、何もできなかった。ただ、去っていく機体を恨めしく眺める事しか、できなかった。
―――――
「ルミナ……」
アシッド団が撤退し、ホッとするのも束の間。未だ空を仰ぐルミナを見て、サユリは胸を締め付けられる思いに駆られていた。
結果としてデンリュウは連れて行かれず、他のポケモン達も助けられた。アシッド団には逃げられてしまったが、それでも悪い結末ではなかったと思う。
でも。
「どうして、そこまで……」
アシッド団と対峙した時、そして今現在のルミナの様子。そこがどうしても気になっていた。
あれは強盗犯に対する怒りから来る素振りとは明らかに違った。何か、別の理由がある。恐らく『アシッド団』だったからこそ、抱かずにはいられなかった感情。
アシッド団との間に、何かあったのだろうか。けれども、サユリは深く詮索するつもりはない。きっとそれは、ついさっき出会ったばかりのサユリにどうこうできる問題ではないから。今は、ただ何も言わずに待ち続ける事しかできない。
拳を強く握り締め、未だに空を仰ぐ少女。彼女の身体は、震えていた。