16.王者、ミライという青年
育て屋。様々な理由でポケモンの傍にいてやれなくなったトレーナーからそのポケモンを預かり、代わり世話をしてくれる施設、及びそれを運営する人達の名称。一流のポケモンブリーダーが面倒を見てくれるとだけあって、利用をする人が後を絶たない人気の施設である。
その育て屋は、カルミアシティの最南端に存在した。
島のほぼ全体に広がっている街。そんな街の最南端なのだから、当然近くには海がある。波の音とキャモメの鳴き声が響き渡るその場所に到着すると、サユリはなぜだか妙に懐かしい気分を覚えた。
波の音とキャモメの鳴き声。サユリの耳に響くその音は、スミレタウンのお気に入りの場所でもう何時間も耳にしているから。その所為もあって、懐かしい気分になると言うか、どこか安心するのだろう。
「ここだな」
ルミナに半ば強引に連れられて、歩く事数分。心の準備が整わないまま、サユリは育て屋まで到着してしまった。
目の前にあるのは、これまでの街の雰囲気とはちょっぴり違う木造の建物。建物の外観は特に変わった所はなく、大きさも普通くらい。しかし、つい目を見張るのはその後ろに広がる広大な庭。
地形を上手く利用した起伏のある形の庭で、そこには何匹かのポケモンが放し飼いにされている。きっとトレーナーに預けられたポケモン達だろう。何匹かで仲良く遊んでいるポケモンもいれば、一匹でふらふらしているポケモンもいる。それぞれのポケモンの性格や相性がはっきりと現れていて、それを眺めているだけでも数十分は過ごせそうだ。初めて育て屋を訪れたサユリは、見た事のなかったポケモンの新たな一面を目の当たりにできて、新鮮な気分だった。
しかし、今は育て屋の見学が目的ではない。
「ほ、ホントに来ちゃった……」
サユリがぼそりとそう呟く。育て屋を前にして、緊張のあまり心臓の鼓動が跳ね上がっていた。
そう。今のサユリ達の目的は、チャンピオンであるミライに会う事だ。その為にここまで来た。しかし実際に育て屋を前にすると、どうも身体が強ばってしまう。やっぱり迷惑なじゃないかとか、そもそも不在なじゃないかとか、相も変わらず頭の中はそんな思いでいっぱいだ。深く考えれば考える程、その時間に比例して緊張感が高まってくる。
「よし。入るぞ、サユリ」
「ちょ……ちょっと待って! まだ心の準備が……!」
「いや、あのな……。こういうのって、時間が経てば経つほどやりにくくなろだろうが。さっさと会っちまった方が後々楽だぞ」
ずかずかと進んでいくルミナ。最早サユリは彼女に引きずられるしかない。その後ろにデンリュウがついて行く。
確かにルミナの言う通り、ここでいつまでもモジモジしてても埒があかない。心の準備などと言ってモタモタしていたら、余計に気まずくなってしまうだろう。いい加減、腹を決めるしかない。
サユリの手を引きながらも、ルミナは育て屋の扉を開ける。
外部から見た様子では、育て屋の建物自体はそれ程大きい訳でも小さい訳でもない。しかし中に入ってみると、広がっていたのは意外と小さな空間だった。
然程大きくないエントランスに、ポケモンを預けたり引き取ったりする為の受け付け。それ以外はポケモンを転送する為の端末や、順番待ちの為のソファが置かれているだけだ。
どうやらこの建物内の一部もポケモンを飼育する為のスペースとなっているらしく、トレーナーとのやり取りをする為のスペースは最小限に抑えられているのである。ポケモンを多く預かる施設だけあって、飼育スペースはそれなりの大きさを確保しなければならないのだろう。
ルミナに連れられてその建物の中に入ったサユリは、まじまじとその内装を眺める。雰囲気は外観と殆んど同じで、木造が主の建物のようだ。木材独特の匂いが、サユリの鼻をつついていた。
「いらっしゃい! ポケモンを預けに来たのかい?」
サユリ達の声をかけてきたのは、受け付けにいた一人の女性。
歳は二十代後半から三十代前半くらいだろうか。背丈は割と高い。髪は焦げ茶色で、その長さはそこそこ。育て屋の制服と思しき服を着用しているが、袖は捲り上げているようだ。
周囲をもう一度見渡してみても、ここにはサユリ達の他にこの女性しかいない。サユリの想像通り、やはりミライは不在だったのだろうか。
「なぁ、ここでチャンピオンのミライが働いてるんだろ? 今はいないのか?」
サユリが思った事を彼女自身が口にする前に、ルミナがその女性に質問した。
何の遠慮もなく堂々とそんな質問を口にしたルミナを前にして、見ているサユリの方がヒヤヒヤしてしていた。もう少し控えめな態度で尋ねた方が良かったんじゃないかと、そんな風に感じてしまう。
「……なんだい? あんたらあの子に会いにここまで来たってのかい?」
「あぁ。まぁアタシは付き添いなんだけどな。ミライに会いたがってるのはこいつ」
親指でサユリを指差すルミナ。その様子を見た女性の視線がサユリに向けられた。
いきなり視線を向けられて、びくりと身体を振るわせるサユリ。さっきのルミナの時もそうだったが、急にそんな事をされるとどうもビクついてしまう。睨まれているような気がして、背筋が寒くなってくる。
「ふぅ……あんたら分かってるのかい? あの子は確かにここで働いているけど、それと同時にチャンピオンでもあるんだ。毎日忙しい日々を送っていて、休む時間も殆んどありゃしない。だからあんたらのわがままに付き合ってやれる程、暇じゃないんだよ」
「そう、ですよね……やっぱり……」
正論だろう。サユリは俯きながらも呟く。
やはりミライは多忙を極めていた。ポケモンリーグチャンピオンと育て屋を併用しているのだから、必然的にそうなる。いや、ミライ程に注目されているトレーナーなら、仮に育て屋出なくともきっと忙しかっただろう。あそこまで何度もチャンピオンの座を勝ち取っているのだ。注目されない訳がない。
サユリの想像は正しかった。ミライに会う事はできない。
「さぁ、用がないなら行った行った! 私だって忙しいんだ。いつまでも相手してられないよ」
その女性は少し迷惑そうにそう言った。
確かに、ミライに会えない以上いつまでもこんな所にいては仕事の邪魔になってしまう。そもそもポケモンを預けるつもりがないサユリ達が育て屋に押しかけるのは、やはり迷惑だったのだろう。
ここは大人しく帰ろう。そう、サユリは思ったのだが――。
「おい、おばさん! そりゃちょっと冷たすぎるだろ。少しくらい会わせてくれてもいいじゃねーか!」
「おっ……おばさん……!?」
どうやらルミナはまだ引き下がるつもりはないようだ。この女性の対応が気に入らなかったらしく、身を乗り出して言い返す。
しかし。ルミナが言い放った一つの言葉が、その女性の癇に障ってしまった。
「なぁ……おばさんはないだろう? 私はまだ二十九歳。二十代だよ二十代。まだおばさんだなんて……」
「……はぁ? おいおい、笑わせんなよ。三十手前でまだおばさんじゃねーって無理があるんじゃねーのか、お・ば・さ・ん?」
ぴくぴくと震えながらも女性は指摘するが、追い打ちをかけるかのようにルミナが言い返す。
何やら険悪なムードが漂い始める。この女性はルミナにおばさん呼ばわりされた事が頭にきたらしい。しかし、ルミナもルミナでこの女性にはあまり良い印象を抱いていなかった。女性の言い分を受け止めようとせず、逆にこちらから噛み付く。
お互い、一歩も譲らない。
「まったく……口の悪い娘だねぇ……。もうちょっと可愛げな喋り方できないのかい?」
「口が悪いのはお互い様だろ」
二人はバチバチと火花を散らす。いつの間にか話題も脱線してしまっている。
サユリは完全に取り残されていた。元々育て屋に用があったのはサユリだったはずなのに、気がついたら蚊帳の外だ。
このままだとマズイ。何とか二人を宥めなければ。
「あ、あの……落ち着いて下さい! ルミナも……ね? 言い争っても何も良い事ないよ……?」
「キュン!」
「サユリ達は黙ってろ。ここで引いたら負けだ!」
「ま、負けって……」
何をそんなにムキになっているのか。しかし何にせよ、サユリではルミナを宥める事はできなさそうだ。そして、この女性も。サユリが口を挟んだ所で、二人の暴走は止まらない。デンリュウも彼女らを宥めようとしてくれているようだが、全くと言っていいほど効果がない。
(ど、どうしよう……)
最早サユリは何もできず、ただまごまごするしかない。こんな時、例えばユキなら強引に割り込んで止める事もできるだろうが――。サユリにそんな事はできない。
いや。だからと言ってこのままにしておく訳にはいかない。できるできないの問題じゃない。何とかしなければいけないのだ。今それができるのはサユリだけである。
相変わらず険悪ムードの二人。そんな二人を宥めようとするサユリとデンリュウ。しかし、状況はまるで好転しない。ピリピリとした雰囲気のまま、ただ時間だけが過ぎてゆく。
しかし。ルミナと育て屋の女性との口喧嘩は、意外な形で終わりを迎えた。
「セツナさん! 頼まれた物、持ってきましたよ!」
ガチャリと扉が開けられて、外から誰かが入ってきた。その場にいた全員の視線が、その人物に向けられる。
そこにいたのは、一人の青年だった。髪の色は黒――というよりもどちらかと言えば紺色に近い色合いで、爽やかな顔つきをした人のよさそうな青年である。どうやらこの育て屋で働くスタッフらしく、服装もこの女性と同じ物だ。女性と違い、袖を捲くってはいないが。
「あっ……」
その青年を見て、サユリが思わず声を漏らしてしまう。
見覚えのある顔。聞き覚えのある声。しかし、初対面だ。この青年は、サユリの事は知らないだろう。けれども、サユリはこの青年の事を知っている。
それもそうだ。だってこの人は、リョウラン地方のトレーナーじゃ誰でも知ってる程の有名人じゃないか。サユリが会いたがっていた人物。育て屋を訪れたいと思った理由になった青年。
そう。この人こそ、チャンピオン。
「ミライ……! 頼まれた物って、まさかあんた……!」
「はい。ポケモンフーズ二百キロ分ですよね? あ、もう倉庫にしまっておきましたので」
「いや簡単に言うけど……本当に大丈夫なのかい? あんたここ最近忙しかったみたいじゃないか。育て屋の仕事なんて他のスタッフに任せて、あんたは少し休んでたほうが……」
「忙しかったからこそですよ。俺、ここ最近育て屋の仕事できてなかったじゃないですか。それなのに休むこと何てできませんよ。それに……この時間帯に手が空いてるスタッフって俺だけですし。セツナさんあんまり人を雇わないんだから」
その青年、ミライはセツナと呼ばれた女性に向けてさも当然のようにそう言う。ここ最近忙しかったそうなのだが、まるで疲れを感じさせなかった。
意図して隠している、訳ではなさそうだ。しかし、きっとミライは疲れていない訳ではない。ただ、彼自身もそんな疲れが気になっていないのだ。それ程までに、ミライは『育て屋』と言う仕事にやり甲斐を感じている。
「まったく、本当にあんたって子は……」
セツナは半ば呆れているかのような、諦めているかのような表情を浮かべていた。
チャンピオンでありながら、育て屋で働くミライ。この育て屋のオーナーであるセツナは、そんなミライを間近で見てきた。だからこそ、彼女はミライの事はよく知っている。誰よりも真面目で誰よりも熱心な彼が、中途半端な仕事をする訳がなかった。
「ところで……その子達はお客さんですか?」
するとミライの興味は、見覚えのない少女達へと向けられる。
「へぇ……アンタがミライか。ほら見ろサユリ! 来てよかっただろ?」
「へっ!? あ、う、うん……」
ルミナが肩を組んでくる。完全に油断していたサユリは、そのままバランスを崩しそうになってしまった。慌てて踏みとどまって難を逃れる。
サユリの緊張は極限まで高まっていた。今にも目が回りそうだ。
あのミライが、ポケモンリーグのチャンピオンが、目の前にいる。信じられないが、これは現実だ。サユリが緊張しない訳がない。
「えっと、君たちは?」
「アタシはルミナだ。で、こいつはサユリ。アンタに会いにここまで来たんだ」
「俺に会いに?」
緊張のせいで殆んど喋れないサユリとは対照的に、遠慮なくミライに話しかけるルミナ。チャンピオンを前にしても、全く緊張していない様子。しかも初対面の歳上の人に対してもため口だ。
サユリは少し気が弱すぎるが、逆にルミナは態度が大き過ぎである。
そんな態度を見たセツナが、再びルミナに突っかかる。
「おい、あんたいい加減に……」
「いや、セツナさん。俺は別に構いませんよ?」
しかし最後まで言い終わる前に、それはミライによって遮られてしまった。
「ミライ……!」
「この子達は、俺に会うために態々ここまで来てくれたんですよね? だったら追い返す事なんてできませんよ。それに丁度仕事も一段落ついた所ですし、少しくらいなら時間も作れるはずです」
「いや、だから……。はぁ……。まったく……敵わないよ、あんたには……」
ついさっきまでサユリ達を追い返そうとしたセツナが、簡単に折れた。
どうやらミライは一度決めた事は頑なに曲げない性格らしい。そんな彼を知っているから、セツナはミライに執拗に意見を押し付けようとはしない。最早彼女は本当に諦めているのだろう。ミライには敵わない、と。
「それで? 俺に何の用かな?」
ミライがルミナ達に要件を確認する。再びルミナが口を開こうとするが、しかし彼女は途中で言い淀んだ。
「うーん……よしっ。サユリ、アンタが自分で言え。人見知りを克服するチャンスだぞ」
「……そ、そうだよね。いつまでもルミナに甘えてちゃ……」
薄々感づいていたが、付き添いであるはずのルミナが何でもかんでも説明してしまうのもおかしな話だ。ミライに用があるのはサユリなのだから、サユリ自身の口でしっかりと伝えなければ。
「み、ミライさん……。あなたに会いたいって思ったのは、わたしの方なんです……。わ、わたし……つい最近ポケモントレーナーになったばかりで……。デンリュウと出会って、一緒に旅を初めて……。でもその途中である人に出会って、思ったんです。もっとポケモンと仲良くなりたい。その為に、もっと強くなりたいって……」
旅立つ前は、ただ漠然とした思いでポケモンを貰える日を待っていた。しかしあの少年と出会ってから、そんな考えは変わった。
もっとポケモンと心を通わせたい。もっとポケモン達と仲良くなりたい。そう思った。
だから。
「だから……ミライさんとお話してみたかったんです! ポケモンチャンピオンのミライさんなら、わたしなんかよりもポケモン達を知ってると思ったから……。わたし……」
「……なるほど。それで俺に会いに来てくれたんだね」
サユリの話を聞いたミライが、頷きながらもそう言った。
相変わらずの、裏表の無さそうな爽やかな表情。サユリの話を、キチンと受け止めてくれているのが分かる。実際に会ってみて、テレビ越しの印象と何ら変わらない人なんだな、とサユリは思った。
「あの……ごめんなさい、図々しくて……。やっぱり迷惑、ですよね……」
「いや、そんな事ないよ。そうか、君はポケモントレーナーになったばかりで……。よし、分かった」
「えっ?」
思わず間の抜けた声を上げてしまうサユリ。まさかミライがこんなにも簡単にサユリの気持ちを理解してくれるとは、流石に思わなかったのだ。
しかも、それだけじゃなかった。
「俺でよければ力になるよ。あんまり大したこと話せないかも知れないけど……」
「えっ……いいんですか!?」
「うん、大丈夫だよ。それで君の前進の手助けができるなら、俺も嬉しいからさ」
すんなりと、サユリの願いを受け入れてくれたのだ。初対面で、しかもいきなり押しかけた少女の願いを、だ。
信じられない。ミライに会えただけでなく、ちゃんと話ができるなんて。
「ホント……お人好しだよ、あんたは。そんなんだから休みもまともにできないんじゃないのかい?」
「……そんなにお人好しですかね、俺? でも、いくら忙しくても俺は今の生活に満足しているので。全然苦じゃないですよ」
少々呆れた様子のセツナ。しかし、やはりこんなミライの姿は何度も見てきているのだろう。呆れながらもどこか彼を認めてくれているような、そんな思いが言葉にこもっていた。
セツナに笑顔を見せた後、ミライはサユリ達に向き直る。
「さて、と。ここじゃ邪魔になっちゃうし、取り敢えず外に出ようか」
「は、はい! ありがとうございます、ミライさん!」
育て屋の扉を開きながらも、ミライがそう促してくる。深々と頭を下げてお礼を述べた後、サユリ達はミライのもとへと歩き出す。
「やったなサユリ! 念願のミライと話ができるぞ」
「うん! ルミナも……ありがとう。ルミナがいなかったら、わたしきっと諦めてたと思うから……」
「おうよ。気にすんなって。ウジウジしているアンタを見て、放っておけなくなったアタシが勝手にやったことなんだからさ」
そんなやり取りを最後に、彼女達は育て屋を後にした。
―――――
ミライについて行った先にあったのは、とある喫茶店だった。
育て屋を出て歩く事数分。海辺に建てられたそれは、所謂ポケモントレーナーが利用する事を想定した喫茶店らしく、ポケモンをボールの外に出していても入店可となっている。この店ならば、モンスターボールに入りたがらないデンリュウがいても安心である。
扉を開けて中に入ると、そこに広がっていたのは至って普通の喫茶店の内装。しかしやはりお客さんはポケモントレーナーが多いらしく、何匹かのポケモンの姿も見受けられる。
談笑しているトレーナーや、じゃれあっているポケモン達。あまり大きくない喫茶店だが、とても賑やかな店だった。
どうやら、ここはミライ行き着けの喫茶店らしい。彼曰く、たまに息抜きする際によく訪れる店との事。もっとも、最近は多忙である為にあまり訪れる時間がなかったようだが。
通されたテーブル席に、ミライと向き合うような形で腰をかけるサユリとルミナ。
初めはドギマギしっぱなしのサユリだったが、しばらく話している内に徐々に慣れてきていた。ミライがサユリのペースに合わせて穏やかに受け答えしてくれる為、人見知りなサユリでも意外と早く馴染めたようだ。今では自分から話題を振れる程にまて進展している。
「……なるほど。それでデンリュウがフィニッシャーになって、カズマさんに勝ったって事だね」
「そうなんです! 途中は本当にどうなることかと思ったんですけど、でもデンリュウが最後まで頑張ってくれて……」
「キュン、キュンっ!」
話題になっているのはヒイラギシティでのジムバトル。サユリのお陰だよと言わんばかりに、デンリュウは鳴き声を上げていた。
思えばあのバトルはかなりギリギリだった。あのまま暴走していたら、どうなっていたか。想像しただけでも不安になってくる。
「カズマさんかぁ……。俺もバトルした事あるけど、最初は苦戦したよ。あの“おんがえし”はかなりキツかったなぁ」
しみじみとミライはそう語る。どうやら手痛い一撃を食らった事もあるらしい。
「へぇ……アンタでも苦戦とかするんだな」
「そりゃするよー。俺が駆け出しの頃なんか……。あ、その頃はヒイラギシティのジムリーダーってカズマさんじゃなかったけど……。まぁ何にせよ、いきなりジムに挑んだらボコボコにされちゃってさ。あの時は本当に悔しくって、必死になって特訓したっけ」
チャンピオンの常連。異才とまで言われている彼でも、苦戦なんてする事があるのか。そうルミナは疑問に思ったようだが、ミライには笑われてしまった。
ミライだって完璧じゃない。ポケモンリーグの頂点に立つ彼でも、最初は未熟だったと言う事か。
「でも今は何度もリーグで優勝してて……ミライさんは凄いです。ミライさんは天才だって、よく聞きますし……」
「ははは……天才、か。別に全然そんなんじゃないんだけどなぁ……」
苦笑いをしながらそう呟くミライから、何やらしんみりとした雰囲気を感じられた。気になったサユリが思わず首を傾げる。
『天才』と言う言葉に対し、ミライはあまり良い思いを抱いていないように思える。そんな風に評価されるのが、どうも不服なようなのだ。表情にはそんな感情を現したりしないものの、雰囲気だけは隠せていないようだ。
変な事を言ってしまったか。サユリは慌てて口を塞ぐ。
「あっ……ご、ごめんなさい! わたし、余計なこと言って……」
「……えっ? いや、別に余計なことなんて……。気にすることないよ」
再び笑顔を見せるミライ。さっき感じたあの雰囲気も、既になくなっている。
まさか気を遣わせてしまったか。余計な事を言ったのは、サユリの方だと言うのに。そんな事を思うと気まずさと同時に恥ずかしさが込み上げて来て、顔が熱くなってくる。あまり変な事を言わないように、注意して言葉を選ばなければ。
「キュゥン……」
「だ、大丈夫……。ありがと、デンリュウ……」
俯いたサユリを見て心配になったのか、デンリュウがもの悲しげな鳴き声を上げる。我に返ったサユリは、慌てて顔を上げた。
ここでデンリュウに心配をかけてどうする。いい加減、この気弱な性格をどうにかしなければ。そう思いつつも、サユリはデンリュウに優しく声をかける。
サユリとデンリュウ。そんな一人と一匹を見たミライが、微笑みながらも口を開く。
「サユリちゃんはポケモンと仲良くなりたくて、そのヒントを貰いに俺に会いに来たって言ってたけど……」
名前を呼ばれたサユリはミライに向き直りつつも、きょとんとした表情を浮かべる。
「もう俺があれこれ言う隙はないのかも知れないね。その子、もうサユリちゃんに凄く懐いてるみたいだから。君はもう、ポケモンと仲良くなる為の秘訣を見つけてるんじゃないのかな?」
「秘訣……?」
ミライの言葉をイマイチ理解していないサユリが首を傾げる。
確かに、デンリュウはサユリによく懐いてくれている。いや、デンリュウだけじゃない。ウデッポウも、タツベイも。形に違いはあれど、皆サユリを信頼してくれている。
でも。サユリは特段変わった事をした覚えはない。ただ、トレーナーとして普通の事をしてきただけ。『秘訣』なんて意識した事ないのだ。だから、サユリは首を傾げた。
「いや、ごめん。秘訣なんて、そんな大それた物じゃないのかもしれない。ただ、ポケモンの気持ちを正面から受け止めて、その気持ちを理解して……。サユリちゃんも、もうとっくにその気持ちを感じてるんじゃないかな?」
「ポケモンの……気持ち……?」
「そう。デンリュウがそんなにも懐いてるのがその証拠だよ。だから心配しなくても大丈夫。サユリちゃんなら、きっとどんなポケモンとも仲良くなれるよ。俺はそう思うな」
ミライのそんな言葉が、サユリの心に響いてた。おもむろにデンリュウの方へと振り向くと、彼女と視線がぶつかる。
ポケモンの気持ちを受け止めて、理解する。サユリはミライに会う前から、無意識の内にそれを行っていた。それは当たり前の事だって、そう思っていた。まさかそれがポケモンに近づける近道だったなんて、知らなかったのだけれども。
サユリは、もう身に付けていたのだ。ミライの言う『秘訣』を。
「わたし……」
「まぁ、アンタは優しいからなぁ。会ったばかりのアタシでも分かる。サユリだったら直ぐにポケモンと打ち解けられるだろって、最初の印象からでも何となく感じられたぜ」
ルミナの言う通り、サユリは優しかった。そして誰よりもポケモンの事を考えていた。だからこそ、デンリュウもウデッポウもタツベイも。そんな彼女に惹きつけられたのだ。
サユリは自分自身の事を、何の取り柄も才能もない少女だと思い込んでいた。しかし、実際にはそんな事はない。こんなにも強い信頼関係を、ポケモン達との間に築き上げているじゃないか。それだって立派な才能だろう。サユリだって、何もできない訳じゃないのだ。
「そうか……わたしにも、できることはあるんだね……」
臆病で、ずっと引っ込んで隠れていたサユリの心。それが少しだけ、顔を覗かせる事ができるようになった気がした。
―――――
ミライがサユリ達を連れて育て屋を後にしてから数分。セツナは一人、事務系の仕事を片付けていた。
いつお客さんが来ても良いように、営業時間中に受け付けから人がいなくなるような事があってはならない。だからこそ、セツナはなるべく受け付けから離れないようにしている。ある程度場所を選ばずにできる仕事は、受け付けで片付けてしまうのだ。
パソコンでデータを打ち込みつつも、セツナはミライの事を思い浮かべる。
連日のチャンピオンとしての仕事に続き、この育て屋での仕事。確実に疲労は溜まっているはずなのに、今度はあの少女達の相手を引き受けた。
ミライはいつもこうだ。どんな事でも受け入れて、断るような事はしない。だから休みもなくなってしまう。
彼はあまりにも生真面目で、お人好しで。そして、不器用過ぎるのだ。いつも余計に頑張り過ぎてしまう。
「まったく……本当に大丈夫なのかねぇ……。身体を壊さないといいけど……」
しかしいくらセツナが心配したって、ミライは「大丈夫です」の一点張り。ここ最近は半ば諦めかけていたのだが、一人になって深く考えるとやはり心配になってくる。いつか倒れてしまうんじゃないかと、そんな事も考えてしまう。
「はぁ……ホント、あの子は……。ちょっとは私の心配の事も考えてくれれば……」
ブツブツと愚痴を言い始めた、その時。ガチャりと音を立てて、育て屋のドアが開かれた。パソコンのディスプレイから視線を外し、セツナは前を向く。
てっきりミライ達が帰ってきたのかと思ったが、どうやら違うようだ。入って来たのは、見覚えのない少女と女性の二人組。初めて来るお客さんだろうか。
「いらっしゃい。ポケモンを預けにきたのかい?」
受け付けに歩み寄って来る彼女達に向けて、いつも通りセツナが声をかける。その時に気づいた事だが、この二人はどちらも似通ったような服装をしているようだ。ワイシャツにリボン、そしてスカートと言った服装。しかし良く見ると、二人のリボンの色が少し違う事に気づく。片方の桃色の長髪の少女は明るい青色のリボンだが、もう片方――ブロンドのショートヘアの女性は暗い紺色のリボンだった。
こんなにも似た服装をしているなんて。どこかの会社かなにかの上司と部下、と言った所なのだろうか。
「あ、ごめんなさい。今日はポケモンを預けに来たわけじゃないんです」
セツナがまじまじと服装を眺めていると、ブロンドショートヘアの女性がにこにこと笑顔を振り撒きながらそんな事を言った。
その女性の言葉を聞いて、セツナは彼女達に訝しげな視線を向ける。ポケモンを預けるのが目的ではないのなら、何の為に来たのだろうか。まさか、彼女達もミライが目当てなのだろうか。
そう決まった訳じゃないが、もしそうだとしたら丁重に帰って貰おう。ちょうどミライの心配をしていた所なのだ。これ以上、彼に負担をかける事なんてできない。
「それじゃあ……何をしにここまで来たんだい?」
「いえ、大した事じゃないんです。ただ……」
どうせ「ミライに会いに来た」と言うに決まってる。そう思いながらも、セツナは一応要件を確認する。
しかし。その女性から返ってきたのは、セツナの想像とは全く違う言葉。あまりにも突拍子もない、唐突過ぎる言葉だった。
「ただ……この育て屋に預けられているポケモンを何匹か頂戴しようと思いまして」