15.邂逅、破天荒な少女
リョウラン地方は上空から見るとUを逆さまにしたような形をしている。実際にはもう少し歪んではいるのだが、大雑把に言ってしまえばそんな形。地方の南が大海原。その南から中央にかけてが巨大な入り江となっているのだ。因みに、南以外の三方向は他地方と隣接している。
南から中央にかけてが入り江となっている訳だが、ただ単に海が広がっているのではない。入り江の真ん中、ちょうどリョウラン地方の中心に位置する場所。そこには一つの島がある。
その島の名前は、『カルミア島』。『カルミアシティ』と呼ばれる街が存在する島。人口もそれなりに多く、島全体はかなり活気に満ちている。
それもそのはず。カルミアシティは全てのポケモントレーナーが目標とする大きなポケモンバトルの大会、ポケモンリーグが行われる事で有名な街である。毎年時期になると、地方に点在する八ヶ所のジムでバッジを勝ち取り、リーグの出場権を得た多くのトレーナー達がこの地に集うのだ。
今はまだリーグ開催まで時間がある為、それほど騒がしい訳ではない。しかしそれでも活気がある事には変わりなく、高層ビルが建ち並ぶヒイラギシティとはまた違った賑わいを見せる街だった。
現在、サユリはそのカルミアシティに向かう為にとある乗り物に乗車中だ。
カルミアシティはそこそこ大きな島である為、島の東西には本島と繋ぐ橋が架けられている。それぞれ『カルミアイーストブリッジ』、『カルミアウェストブリッジ』と呼ばれているその橋からアクセスが可能なのだ。ポケモンリーグが行われる重要な街である事もあり、交通の便は整っているである。
サユリが利用している乗り物はモノレールだ。ヒイラギシティにその駅があり、カルミアイーストブリッジを通ってカルミアシティまで運んでくれる。しかも運賃は無料。これを利用しない手はないだろう。と言うか、そもそもカルミアイーストブリッジには歩道が存在しない為、徒歩で渡る事はできない。車を使うか、こうしてモノレールを使うか。どちらかを選ぶ必要がある。
「……あっ。ほら見て、デンリュウ。見えてきたよ」
「キュウ?」
モノレールの席に座って外の景色を眺めていたサユリが指を差す。示す先にはカルミア島。そしてその上に建てられたドーム状の建造物、『カルミアドーム』。あの建物こそ、ポケモンリーグが行われる会場。ジム巡りを決めたからには、サユリ達もいつかあの場所でバトルを行う日が来るかも知れない。
しかし、今はまだリーグには早い時期だ。カルミアシティに行っても、特に大きなイベントがある訳ではない。この時期のカルミアシティは、リーグが開催されている時期と比べるとだいぶ落ち着いた雰囲気の街となっている。
何のイベントもないのなら、早く次のジムに向かった方がいいのではないかと思うかも知れない。しかし、サユリにはカルミアシティでやりたい事――いや、正確にはとある人物に会ってみたかった。
(そもそもリーグに出場できるって決まった訳じゃないし、もし出場できなかったら会えないかも知れないよね……)
ポケモンリーグは毎年冬にここカルミアシティで行われている。トレーナーにとって、年に一度の一大イベント。そもそも参加するのが難しい大会であり、その頂点であるチャンピオンの座には相当の実力者でなければ辿り着けない。
もう一度言う。チャンピオンには相当の実力を持っていないと辿り着く事ができない。しかし、ここ数年。その難関とされるチャンピオンの座を立て続けに何度も獲得している人物がいる。
ポケモンリーグの常連――否、チャンピオンの常連。そう言われれば、その人物がいかに凄まじい実力を持っているのか、誰でも想像に難くないだろう。因みに、前リーグのチャンピオンにはジムバッジを集めなくてもリーグに出場できる権利が与えられるのだが、それでも連続で優勝できる者はそういない。一部では異才とまで呼ばれている、そのポケモントレーナーの名は。
「ミライさん……。どんな人なんだろ?」
ミライ。ポケモンの育成やバトル、それら全てが天才的だと言われているポケモントレーナーの青年。サユリも何度かテレビ等で見た事があったが、画面越しの印象は爽やかな好青年と言った感じ。そのミライが、カルミアシティにいる。
デンリュウと出会って、旅を初めて。サユリはもっと強くなりたいと思った。もっとポケモンの事を知りたいと思った。
だからこそ、ミライに会いたかった。チャンピオンであるミライならば、サユリなんかよりもポケモンの事をよく知っている。サユリなんかよりもずっと長い時間、ポケモンと心を通わせている。そんな彼と会えば、サユリの前進にも繋がる。そう思った。
「って、来てみたけど……」
そんな訳で、カルミアシティのちょうど中心に位置する駅でモノレールから降りたサユリ達。駅から出ると、そこに広がっていたのはお洒落で落ち着いた印象の街並み。アスファルトの道路や大きなビルばかりのヒイラギシティとは違い、クリーム色のレンガ造りの建物が目立つ明るい雰囲気の街である。そして、街の北にはモノレールからも見えたカルミアドーム。さっきよりも近づいた事により、その大きさは更に強く実感できる。
カルミアシティ。ここにチャンピオンであるミライがいる。いるはずなのだが――。
「ほ、本当に会えるのかな……?」
「キュゥ……?」
ミライはカルミアシティにある『育て屋』と呼ばれる施設で働いているらしい。ならばその育て屋に行けば彼に会えるはず――と考えていた。しかし、そんな考えはあまりにも安直過ぎるのではないだろうか。
ミライはチャンピオンだ。最早リョウラン地方でその名を知らぬ者はいない程に有名人なのである。そんな人物なのだから、毎日多忙な日々を送っているはず。育て屋の仕事やポケモンバトルのトレーニングは勿論の事、雑誌やテレビ等の取材、さらには大きなイベントの出席まで。ヘタをすれば、休日と呼べる休日すらもないのでは?
会える会えない以前の問題。そもそも、都合よく育て屋にいるのかどうかも怪しい。仮にいたとしても、初対面のサユリいきなり会ってくれるとは思えない。
「そ、それに会えたとしても……わたし、人と話すのあんまり得意じゃないし……。ろくに話せるかどうか……」
お世辞でもコミュニケーション能力が高いとは言えないサユリは、初対面の人が相手だと口下手になってしまう傾向が強い。頭の中が真っ白になって、何も話せなくなってしまうのだ。
勢いだけでここまで来てしまったが、やはりもっとよく考えてから行動すべきだったか。流石に気持ちが軽すぎただろう。
「ま、まぁ……。取り敢えず行ってみる……?」
「キュウ!」
いつまでもウジウジしてはいられない。折角下車したのだから、何もしないのは勿体無いだろう。駄目元で行ってみるか。そんな思いを胸に、サユリはデンリュウと共に歩き出す。
駅から真っ直ぐ進み、カルミアシティの中央通りを進む。夏の強い日差しが街全体に降り注ぐが、周囲が海で囲まれている為かヒイラギシティと比べると体感気温はあまり高くない。海から流れてくる冷たい空気が、街の気温を幾分か下げてくれているのだろう。
北にあるカルミアドームとは逆方向、つまり街の南部に向けてサユリ達は歩いている。地図によると、こちらの方向に育て屋があるようなのだが――。
「ん……?」
地図を見ながら中央通りを進んでいたその時。妙な話し声が耳に入り、サユリは思わず視線を向けてしまう。
道の端。とある建物の外壁部分に、何人かの人が集まっている。半円状に並んでおり、どうやら誰かを取り囲んでいるようなのである。因みに、並んでいるのは全員男。
「あ、あれって……」
それの中心。つまりあの少年達に絡まれているのは、一人の少女だった。
歳は十四か十五くらいだろうか。その割に胸が大きい気がするが、何となく雰囲気がサユリと同年代くらいに感じられる。黒髪のサイドポニーで、瞳の色は青。服装はシャツにデニムのミニ。透き通るような白い肌が眩しい。
とても可愛らしい顔つきをした少女だ。アイドルにいてもおかしくないくらいに。しかしそれ故に、
「なぁ、どうせ暇なんだろ? 俺達とどっかいこうぜ」
下心を持って近づいてくる男もいる。
あの少女は、複数の少年に半ば強引にナンパされているようなのだ。背中は壁。前は少年達。逃げ道は完全に塞がれてしまっているように見える。
「な、何か囲まれちゃってるみたいだけど、大丈夫かな……?」
「キュウ?」
とは言ったものの、正直サユリにどうこうできる問題じゃない。仮にサユリが声をかけて止めようとした所であの少年達は聞く耳持たないだろうし、逆にサユリの方が絡まれてしまうかも知れない。そう考えると、怖くて動けそうにない。
周囲を見ても、あの少女を助けようとする人は誰もいない。触らぬ神に祟りなし。皆見て見ぬふりだ。
「ねぇねぇ、何か答えてくれよ〜」
少年の一人が少女に声をかける。しかし、その少女は何も答えない。彼らの事など気にも留めず、何かを口に運んでいるのだ。どうやらハンバーガーを食べているようである。
複数の少年に囲まれているのにも関わらず、呑気に何かを食べられるとは。このような状況に慣れているのだろうか。
その後も少年達は何度も少女に声をかけるが、彼女は何も答えない。ただ黙々とハンバーガーを食べ続ける。次第に少年達もイラついてきたようだ。
そんな様子を、サユリは思わず息を飲んで傍観してしまう。まさに一触即発。あの少女は大丈夫なのだろうか。あの人数の少年を相手に、抵抗できるようには見えないのだが。
やがて、少女はハンバーガーを食べ終わる。それと同時に、苛立ちを募らせた一人の少年が一歩前に出る。
「おい、お前いい加減に……」
「……るせーよ……」
「……えっ?」
「うるせーって言ってんだよ! 聞こえなかったのか!?」
しかし少女の口から飛び出してきたのは、その容貌とはあまりにも不釣合な荒々しい言葉だった。
「アンタらの目は節穴か? アタシは飯を食ってただろーが! それなのにしつこく訳わかんねー誘いしてきやがって!」
少年達は揃って目を丸くする。あまりにも想定外な展開に、頭の整理が追いついていないのだろう。まさかこんなにも可愛らしい顔つきをした少女が、ここまで荒っぽい性格だったとは。誰が想像しただろうか。
サユリとデンリュウも、その様子を見て愕然とする。
「あー、あれか? アタシが女だからって舐めてんのか? 何人かで囲めば大人しく屈服するとでも思ったか? バッカじゃねーの。アタシがアンタらなんかに従う訳ねーだろーがっ!」
「このっ……言わせておけば……!」
頭に血が上った一人の少年が、その少女に掴みかかろうとする。そこそこがたいの良い少年で、女の子が太刀打ちできるような相手ではないように見える。少なくとも普通の女の子ならば、掴み上げられるか押し倒されるかして終わりだろう。
しかし、あの少女は違った。
「なっ……!?」
掴みかかってきた少年の腕を素早く受け止めたのだ。そのまま腕を背中の方へと捻り上げ、体重を乗せてその少年を押し倒す。利き腕を奪われた少年は、顔面から倒れ込んでしまった。ドスンと、鈍い音が響く。
「おいおい……アンタ見かけによらずもやし野郎か?」
体格差のある少年一人をいとも簡単に無力化し、それでも尚余裕そうな表情の少女。そんな様子を目の当たりにして、その場にいる全員が一瞬だけ硬直する。
信じられない。この少女のどこにこんな力があるのだろうか。
「ッ! コイツ……!」
だが、少年達も黙っていない。仲間を倒されるのを見た少年が一人、少女に殴りかかった。
これは流石に危ないのではないか。少女の両手は最初に掴みかかってきた少年を押さえつけるのに使っている為、ふさがってしまっている。あの少女がいくら強いと言っても、これでは防ぎようがない。
「あっ……危ない……!」
サユリも思わず声を出してしまう。その間も、少女に向けて少年は拳を振り上げる。
しかし。
「ひっ……!」
拳を振り上げたその瞬間、少年の手首に生暖かい感覚が纏わりつく。殴りかかろうとした少年の腕を、誰かが掴んで制したのだ。突然の感覚に驚いた少年は間の抜けた声を上げてしまう。
恐る恐る、少年は振り返る。いつからそこにいたのか、少年の腕を掴んでいたのは一匹のポケモンだった。あの少女のポケモンなのだろうか。
忍者ような姿をしたポケモン。青い身体にキリリとした瞳。特に特徴的なのは舌で、それをマフラーのように首元に巻いている。少年を掴む手、それに加えて足には水掻きも確認できる為、水中を移動するのも得意そうな印象を受ける。
「なっ……なんだお前……!」
震える声で少年が怒鳴るが、そのポケモンの鋭い眼光を浴びると完全に萎縮してしまう。無理もない。ポケモンが相手では、あの少年の力ではどうする事もできないのだから。
「う、うわああああ!」
ヤバい。絶対にヤバい。コイツらは関わってはいけない奴らなんだ。その様子を見て本能的にそう察知したのか、残っていた少年達も一目散に逃げ出した。情けなく叫び声を上げながらも、それぞれ四方八方に逃げ去ってゆく。
「ったく、情けねー奴らだな。おいゲッコウガ、その辺にしといてやれ」
少女の指示を受け、そのポケモン――ゲッコウガは掴んでた手を離す。少女も取り押さえていた少年から手を離すと、その二人も一緒になって逃げ出した。最早プライドもへったくれもない。
「はぁ……何でああいう奴らはアタシなんかに絡んでくるのかね……」
逃げ去ってゆく少年達を横目に、少女は溜息をつく。ナンパされたのは初めてではないので、正直もう慣れっこだ。しかし、どうしてこうも何度も絡まれるのか、少女はいまいち分かってない。
彼女に自覚はないようだが、あんな風に自分よりも身体の大きい男を圧倒できる程の力があるなんて、その少女の外見だけで判断できる人はまずいないだろう。身長は少し高いが、細身の体つき。顔つきもどちらかと言えば大人しそうだ。にも関わらず、あの怪力。荒っぽい性格もあの怪力も、その外見からではとても想像できない。だからこそ、近づいてきたのだろう。
「……ん? どうした、ゲッコウガ」
ブツブツと文句を言っていた少女だったが、自分のパートナーであるゲッコウガがどこかをじっと見つめていた事に気づく。少女がそう声をかけると、ゲッコウガは自分の正面を指差した。
何かを見つけたのだろうか。少女はゲッコウガの示す先に視線を向ける。
「あっ……」
そこにいたのは、一人の少女と一匹のポケモン。サユリとデンリュウだった。
「あ、あのっ……その……えっと……」
少女と視線が合い、サユリはまごまごとする。その少女に睨まれているような気がして、サユリは言葉を失ってしまった。
まさか怒っている? 傍観していたことに気づかれて、それが気に障ったのだろうか。さっきの少年のように、押さえつけられてしまうのではないか。考えれば考えるほど怖くなってくる。
実際に少女が何を考えているにかは分からないが、今のサユリは必要以上に怯えてしまっている。あんなものを見た後では、誰だってそうなるのは無理もないだろう。
「おいっ!」
「は、はいっ……!?」
「その声……。あー、さっき危ないとか言ってた奴か、アンタ」
「えっ、ま、まぁ……」
確かに、サユリは思わずそう口にしてしまった。それも聞こえていたのだろうか。
まさかそれも怒っているのだろうか。だとすれば、ますますマズイ。早く謝らなければ。
「ごっ……ごごごめんなさい!」
「……は?」
「わ、わたし……気になって見ちゃって……。それなのに何もしなくて……。これじゃ……見て見ぬふりと同じ、ですよね……」
サユリは慌てて頭を下げた。
そうだ。サユリは見ているだけで、何もしなかった。困っているって分かってたはずなのに、助けようとしなかった。助けに入れなかった。これでは怒られても仕方ない。
しかし。少女は不思議そうな表情を浮かべてサユリに歩み寄る。
「そんなこと気にしてたのか? 別に気にすることねーって。アンタ見た感じ鈍そうだし、アイツらには敵わないだろー? ……って言うか、アンタひょっとしてアタシにビビってる?」
「へっ!? い、いや……そんな訳じゃ……」
引きつった表情で、サユリはブンブンと首を横に振る。そんなサユリの様子を見て、少女は困ったような表情を浮かべた。
「あっちゃー……参ったな……。いきなり男をぶっとばすような所見られちゃ、そりゃビビるよな……」
「えっ……?」
「……まー、あれだ。そんなにビビるなって。別に取って食ったりしねーからさ。な?」
ニッと、少女は笑顔を見せる。怯えているサユリを、安心させようとしてくれていた。
サユリはゆっくりと顔を上げる。
ひょっとして、サユリは勘違いしていたのではないだろうか。この少女はてっきりリュウジのような性格だと思い込んでいたのだが、実際には違う。さっきのは、食事中にしつこくナンパしてくる奴らが頭に来ただけなのだろう。
確かに口調は悪いが、きっと悪い人じゃない。
「あ、そうだ。喉渇かねーか? 驚かせた詫びにジュースでもおごってやるよ」
「え……でも……」
「遠慮することねーって。ほら、ついてこいよ」
流石にそこまでしてもらうのは悪い。勘違いして勝手に怯えたこっちも悪いのに。サユリは遠慮したのだが、しかし少女はまるで聞いてくれない。
結局サユリは押し切られ、その少女について行く事にした。
―――――
「ほい。サイコソーダだけど、いいか?」
「う、うん……。ありがとう……」
ベンチに腰掛けていたサユリに、少女は缶ジュースを差し出す。サイコソーダ呼ばれる炭酸系の飲み物だ。手に取ると、ヒンヤリとした感覚が肌を刺激した。
プシュッと音を立てて飲み口を開けながらも、少女はサユリの隣に腰掛ける。そして豪快にゴクゴクとサイコソーダを飲み下した。
「ぷはぁ! やっぱ暑い日に飲むと一段と旨く感じるな」
サユリもちびちびと飲み始める。サイコソーダはサユリも好きだが、炭酸独特のシュワっとした感覚の中ではあんな風に一気に飲み下すなんて事はできそうにない。これくらいの速度が精一杯だ。
「……あぁ。そう言えば自己紹介がまだだったな」
ふた口ほどでサイコソーダを飲み干すと、少女は思い出したようにそう言った。
そう言えば、確かにサユリは少女の名前を知らない。サユリと彼女はまだ出会ったばかりで、そもそもまだまともに話もしてない。当然、自己紹介もまだだった。
「アタシはルミナ。で、コイツは相棒のゲッコウガ。カロス地方から来んだ。アンタは?」
「わ、わたし……? わたしはサユリ。この子はデンリュウだよ。最近トレーナーになったばっかりで、スミレタウンからここまで来たの」
「へぇ……サユリに、デンリュウか。よろしくな」
気さくな笑みを浮かべるルミナ。ビクビクとしていたサユリだったが、その笑顔を見て少し緊張が解れる。やっぱり彼女はいい人だ。警戒する必要はない。
それにしても、ルミナはカロス地方から来たのか。エドガーの出身地方と同じ。
ゲッコウガはカロス地方の初心者用のポケモンの一種であるケロマツの最終進化系。しのびポケモンの分類されるポケモンだ。リョウラン地方ではあまりみかけないポケモンだったのだが、ルミナがカロス地方出身だとすれば彼女が連れていても不思議ではない。
「んー……サユリって歳いくつだ?」
「えっ……? 十四、だけど……」
「って事はアタシより一つ歳下か。でもまぁそんなに緊張するなって。もっと気楽にいこうぜ」
緊張を見透かしてか、ルミナはサユリの肩にぽんっと手を置く。
初対面のサユリにここまで気さくに接してくれるとは。上がり症のサユリでも、これならだいぶ落ち着いて受け答えできる。
しかし。サユリは少し不思議に思っていた。
「あの……ルミナちゃんは初対面のわたしにどうしてそこまで気を遣ってくれるの……? 最初の印象だけで勝手に怯えてたわたしも悪いのに……」
「ん……? いや別に気を遣ってるつもりはねーけど……。でもまぁ、関係ないアンタまでビビらせっぱなしってのも何か後味悪いし、それで無意識の内にアンタのことを気にかけてるのかもな。それに……アンタを見てると、なぜだか昔のアイツを思い出すんだよなぁ……。それで……」
「……あいつ?」
「いや、何でもない。こっちの話だ」
ルミナは飲み終えたサイコソーダの空き缶をゴミ箱に投げ入れる。上手い具合に成功し、がこんっと缶と缶がぶつかり合う音が響く。
「あー、それと。アタシの事は呼び捨てで呼んでくれ。別にちゃん付けしなくてもいいからさ」
「えっ……えぇ!?」
呼び捨てで呼べ、とは。いきなりそんな事を言われて、サユリは驚いた。
サユリは弟であるユウト以外は基本的に呼び捨てにしない。ちゃん付けか、くん付け。あるいは、さん付けだ。何となくそれで慣れてしまっているのだから、いきなり呼び捨てで呼べと言われても少し躊躇ってしまう。
「いや、ルミナちゃんとかそんな風に呼ばれるようなキャラじゃねーだろ、アタシ」
「そ、そんなことないよ……」
「それにさ、アタシ自身もちゃん付けで呼ばれるのが好きじゃねーっていうか……。何て言うか……背中がムズムズするんだよ」
つまりちゃん付けで呼んで欲しくないという事か。それならば呼び捨てで呼ぶべきか。
幼馴染であるユキですらちゃん付けなのだから、家族以外を呼び捨てにするのはこれが初めてかも知れない。ぎこちなくなりそうだが、何とか頑張ってみよう。
「えっ……と、それじゃ……。ルミナちゃ……じゃなくて……。る、ルミナもポケモントレーナーなんだよね……? やっぱり、ポケモンリーグを目指してるの?」
「おう、まぁな。これからヒイラギシティのジムに向かおうとしてた所だ。けど途中で腹が減っちまってな。それでカルミアシティに寄って飯を食ってたってこと」
その最中にあの少年達にナンパされていたのか。彼女も災難である。
「サユリはどうなんだ? リーグ目指してんのか?」
「う、うん……。ヒイラギシティのジムバッジは貰ったから、次はユーカリシティに向かう所で……」
「おぉ、すげーじゃん! あれ? じゃあなんでカルミアシティに寄ったんだ? モノレールを使うにしても、わざわざここで降りる必要ねーし……。あ、ひょっとしてアンタも腹が減ったのか?」
「いや、そういう訳じゃなくて……」
朝ごはんを食べたのが少し遅い時間だったので、サユリはまだ空腹感は感じてない。ルミナのように、食事をする為にカルミアシティの駅で降りたのではない。
サユリがカルミアシティに来た目的は一つ。チャンピオン――ミライに会うこと。
「カルミアシティの育て屋さんに行って……それで、ミライさんに会ってみたくて……」
「ミライ? あー、あのチャンピオンの?」
「うん……。で、でも……きっと無理だよね。ミライさんも忙しいと思うから、わたしなんかに会ってくれる訳ないし……。そもそも都合よく育て屋さんにいるとは限らないし……」
サユリは今になって、自分の考えの安直さを改めて再認識する。
忙しい中、一人の少女の為に時間を作ってもらうのも悪い。きっと迷惑なはずだ。やはり寄り道などせず、ユーカリシティにまっすぐ向かうべきだったか。
「いやいや、それは行ってみなきゃ分からないだろ。行く前から諦めるなって」
「……いや、やっぱり悪いよ。時間を割いてもらうのも……」
「弱気だなぁ。せっかくカルミアシティで降りたのに、無駄足になっちまうぞ」
ルミナの言う通りだ。このまま何もしなかったら、本当に無駄足になってしまう。
でも。そうは言われても、どうしようもない。ミライに迷惑をかけると思うと、申し訳ない気持ちでいっぱいになる。
やはり気が引ける。無駄足になろうがなんだろうが、やっぱり行きづらい。
「ったく。しょうがねーな」
もじもじとするサユリ。そんな様子を見かねたルミナが、おもむろに立ち上がる。
「る、ルミナ……?」
「要するに一人で行くのが心細いんだろ? ほら、アタシがついて行ってやるからさ。さっさと行こうぜ、育て屋」
「えぇっ!? い、いや、その……」
一人で行くのが心細い。正直、図星である。
しかし、だからと言ってルミナにここまで迷惑をかける訳にもいかない。あれこれ理由をつけて踏み出すのを戸惑っているのはサユリの問題だ。それにルミナを巻き込むなんて事は――。
「どうしたんだよ? 今更遠慮する事なんてねーぞ」
「だ、だって……ルミナはヒイラギシティに向かう所なんでしょ? それなのに、わたしなんかにつき合って……」
「気にすんなって。そんなに慌てる必要ねーし。さぁ、善は急げだ! 行くぞ、サユリ!」
「きゃっ!? ちょ、ちょっと待って! 行く、行くから……! 引っ張らないでよぉ……!」
急にルミナに腕をひっぱられて、まだサイコソーダが入った缶を落としそうになった。慌てて持ち直しながらも、サユリは立ち上がる。
こうして、サユリはルミナと共にミライに会いに行く事となった。
殆んどルミナに引きずられるような形で、サユリは育て屋に向けて歩き始めるのだった。