14.Lonely avenger
それは、黄昏時の出来事だった。
「にゅらっ!?」
豪腕が叩きつけられ、マニューラは殴り飛ばされた。
自分よりも体格の大きいポケモン。がたいもかなりしっかりしており、見るからに物理攻撃が得意そうな印象を受ける。そんなポケモンの“アームハンマー”をもろに直撃してしまっては、マニューラもひとたまりもない。こおり、あくタイプのポケモンである故、かくとうタイプの攻撃は非常に相性が悪いのだ。
殴り飛ばされ、大きく宙を舞う。どさりと地面に叩きつけられ、そのまま意識を失ってしまった。
「ま、マニューラ……!」
そのマニューラのトレーナー――コウスケも、流石に声を張り上げていた。
今回はマリアはいない。今は単独行動中だ。
相変わらずデンリュウの回収任務を担っていたコウスケだったが、また邪魔をされてしまった。これで何度目だろう。もう数えるのもバカらしくなってきた。毎日、毎日、彼はこうして邪魔をしてくる。しかし、今回は今までで一番酷い。いきなり現れて、いきなり“アームハンマー”だ。最早話し合いで解決しようとする気もないらしい。
「クッ……貴様! 一体何度邪魔をしたら気が済むのだ!」
ビッとそのトレーナーに指差しながらも、コウスケは怒鳴りつける。こうも邪魔をされ続けては我慢ならない。これ以上、この任務を長引かせる訳にはいかない。
「何度……? 何度だってするさ。あなた達がそうやって現れる限り……」
丁度建物が陰になり、薄暗くなっている場所。コウスケと対峙していたその少年が、そこから数歩前に出た。日の光が当たり、薄暗闇の所為で確認しにくかったその姿が露わになる。
赤いポロシャツ。首にかけるヘッドホン。少しベージュがかった髪。エドガーだった。
そんな彼の傍らにいるのは、オーブでもソワレでもないポケモン。刺々しい鎧のような上半身。それを支えるのは強靭な脚。二足歩行のポケモンであり、その立ち姿はやや猫背気味である。
とげよろいポケモン、ブリガロン。くさ、かくとうタイプのポケモン。
「ありがとうマロン。何度も付き合わせてごめんね」
マロン。自分の手持ちポケモンであるブリガロンの名を呼びながらも、エドガーは優しく声をかけていた。
ここはヒイラギシティ。その北部。
何度撃退しても、アシッド団はサユリのデンリュウを狙って毎回現れた。ここ数日間ずっとだ。
エドガーはずっとアシッド団を警戒していた。オーブとソワレの能力を使えば、広範囲を監視する事も難しくない。デンリュウを狙ってアシッド団が現れる度に、エドガーは何度も妨害していた。
しかし、ここまでくると流石に埒があかない。そろそろ尻尾を掴まなければ、事態はいつまで経っても好転しない。
エドガーの目的。それはサユリのデンリュウにアシッド団を近づけさせる事だけではない。真の目的は、アシッド団の本拠地を突き止める事。
アシッド団はかなり大きな組織だ。それならば、それ相応のアジトか何かがあるはず。こうしてアシッド団を撃退して、そのあとをつければ自ずと本拠地に辿り着ける――と思っていた。しかし、実際はそう上手くいかない。
「さて、そろそろ教えてくれないかな? あなた達の本当の目的とか、本拠地とか……」
「ククク……この俺がそう易々と情報を漏らすわけがないだろう!」
「……往生際が悪いな。いい加減にしないと……」
エドガーはマロンと共に一歩前に出る。そして、今まで見せたこともないような冷たく鋭い視線を、コウスケへと向ける。
「僕も本気で怒るよ? いつまでものんびりと交渉し続けると思ったら大間違いだ」
いつまでも、こんな事を続けてはいられない。そんなにも頑なに口を閉ざすと言うのなら、エドガーにも考えがある。
これ以上手荒な真似はしたくなかったのだが――。仕方ない。
「本気で怒る……だと……? フ、フフフ……貴様も口だけは達者で……」
鋭く睨みつけられ、その威圧感でコウスケも押され気味になる。これまで何度も邪魔をされたが、こんな目つきで睨みつけられたのは初めてだ。それに少なくとも、彼はこれまで攻撃する前にコウスケに声をかけてきた。あの時は、まだ話し合いで解決をしようとしていたのだろう。
でも。もうそんな事は無意味だ。そう、エドガーに確信させてしまった。
「…………ッ!」
コウスケは黙り込む。
これからどうする? マニューラは戦闘不能。そう、マニューラですらあのブリガロンには敵わなかった。それならば、これ以上この少年とバトルを続けても更に消耗してしまうだけだ。このままバトルを続けても、事態が好転するとは思えない。
ならば仕方ない。あれをやるしかないだろう。
「ぐっ……ぐわああああああ!」
突然大声を上げると、コウスケは右腕を押さえ込んでうずくまる。あまりにも唐突すぎるコウスケの豹変を前にして、エドガーも驚いて思わず身を引いてしまった。
何が起きたのだろうか。妙にわざとらしい気がするが。
「ク、クソッ……! こ、こんな……こんな時に……! この右腕に封じられし邪神が……!邪神が、暴れ……ぐはっ!?」
「……えっ?」
「くっ……このままでは封印が解けてしまう……! 致し方ない……ここは撤退するしか……!」
何の事を言っているのか、始めはエドガーにも理解できなかった。邪神だとか、封印だとか、まるで意味が分からない。
少し考えた結果、エドガーは一つの結論に至る。あれはきっと、コウスケの勝手な妄想なのだろう。以前にも十二使徒だとか何とか言っていたし、おそらく彼は妄想の中で勝手に設定を練る癖があるのだろう。しかし、妄想の中の設定をいきなり現実に持ってこられても正直ついていけないが。
「フッ……フッハハハ! 命拾いしたな少年……! さらばだ!」
「あっ……!」
エドガーが呆然としている内に、いつの間にかマニューラをボールに戻したコウスケがそそくさと逃げ出していた。呆然としていたが為に、エドガーの反応が遅れてしまう。
コウスケは逃げ足だけは無駄に速い。それは何度も接触しているエドガーにはよく分かっていた。
そう。こうして逃げるコウスケを追跡して、アシッド団の本拠地を見つけようと試みた事もあった。しかし、結果は無駄に終わった。彼は一向にアジトと思しき所まで帰らないのだ。いや、彼だけではない。ヒイラギシティに現れるアシッド団の全員が、だ。
おそらく、彼らは任務を達成するまで本拠地に帰らないのだろう。つまりアシッド団がデンリュウの回収を完了するまで、追跡と言う形で本拠地を見つける事はできない。
しかし、流石にデンリュウを囮に使う事はできない。これ以上、関係ないサユリ達を巻き込む訳にはいかないのだ。それならば、どうするか。
「逃がさないよ」
捕まえて、意地でも本拠地の場所を吐かせる。それが手っ取り早かった。
逃げるコウスケ。エドガーはマロンを連れて、走って追いかけようとする。もう逃がさない。いくら適当にはぐらかそうとしても、エドガーは諦めない。何が何でも、絶対に聞き出してやる。
しかし、その時。
「……にゃお!」
「……オーブ?」
走り出すその前に、エドガーの足をオーブが手で突っつく。目を向けると、サイコパワーの影響か瞳を青白く光らせたオーブの姿がそこにあった。どうやら、別行動をしているソワレから映像を“受信”したらしい。
「何か見つけたのかな?」
コウスケを追うか、“受信”している映像を見るか。少し迷ったが、エドガーは映像を見る事を選んだ。このままコウスケを追いかけても、おそらく情報を引き出すのは難しい。それならば、この映像を見た方が、きっと有益な情報を得られるはずだ。
エドガーは首にかけていたヘッドホンを耳に付け直し、周囲の音をシャットアウトする。そして目を瞑り、一気に集中力を高めた。それと同時に、オーブがエドガーの脳裏に“受信”した映像を“映写”する。
これこそがオーブとソワレ、そしてエドガーの専売特許。ソワレが見た風景を映像としてオーブに“送信”、“受信”したその映像をオーブがエドガーの脳裏に“映写”する。この能力を使い、エドガー達は広い範囲を監視していたのだ。だからこそ、デンリュウを狙うアシッド団をすぐに見つける事ができた。
しかし、今回は何だろう。既にエドガーはコウスケというアシッド団と遭遇している。それなのに、ソワレから新たな映像が送られてくるなど――。
「えっ……これは……!」
その映像を確認して、エドガーも思わず声を上げる。
写っていたのは、コウスケとは違うアシッド団だった。エドガーもまた一度も遭遇していない人物。
「そうか……今回のあの人は囮……」
エドガーがコウスケに気を取られている隙に、別のアシッド団が動いていたと言う事か。これにはしてやられた。この映像は、ここからではかなり離れている場所だ。今から向かっても、このアシッド団と接触できるとは思えない。
「でも……」
だけれども、それ以上に気になる事が一つ。このアシッド団は、今現在誰かと交戦しているようなのだ。自らのポケモンに指示を出し、攻撃しているのが確認できる。
その相手。アシッド団と対峙するポケモン。エドガーは、このポケモンに見覚えがあった。
「タクム君……やっぱり……」
エドガーもよく知る少年、タクム。彼のポケモンに、間違いなかった。
―――――
その少年は焦りからか汗を流していた。
歳は十代後半くらいか。おそらくまだ二十歳には達してない。その服装はアシッド団の制服。そう、彼はアシッド団の一員である。
「こらっ! どこに隠れた! 出てこいよ!」
アシッド団の少年は声を張り上げる。しかし、返事は返ってこない。
こんな。こんな話、聞いてなかった。提示された任務とは違う。あのトレーナーとポケモンは、任務とは無関係のはずなのに。急に襲いかかってきた。何なんだ、あいつは。
アシッド団の少年が連れるポケモンは、紫色の巨体を持つポケモン。刺々しい触覚に鋭い瞳。長い胴体を四本の脚で支えている。
メガムカデポケモン、ペンドラー。むし、どくタイプのポケモンである。
ペンドラーは頻りに視線を動かし、周囲を警戒している。自分達に襲いかかってきたトレーナーとそのポケモンは、どこかに身を潜めてしまったのだ。おそらく、隙を見て攻撃してくるつもりなのだろう。
ここは街の中でも人通りの少ない、いずれ撤去される予定であろう廃墟のような場所。積み上げられた瓦礫の山や何かの作業に使うであろう大きな機械など、隠れる場所はいくらでもある。
「こうなりゃしらみつぶしで……」
隠れられそうな所を、片っ端から攻撃する。痺れを切らした少年が動き出そうとしたその時。
ドンッ! という大きな音と共に、ペンドラーに何かの塊が直撃した。
「なっ……!」
少年も慌てて振り返る。そこにはずぶ濡れになり、あまりにも強い衝撃の所為か倒れ込んで咳き込むペンドラーの姿が。
「“ハイドロポンプ”……!? くそっ! どこから……!」
瓦礫の山の陰。そこに彼らはいた。
小柄な体格。黒髪の頭。鋭くアシッド団とそのポケモンを睨みつけている少年――タクム。その傍らにいるのはルカリオ。
そして、もう一匹。ペンドラーに“ハイドロポンプ”を放った張本人。
巨大な甲羅を背負ったポケモンだった。体長はタクムと同じくらいだが、図体はかなりがっちりしている。何より目を引くのは甲羅から突き出る二本のランチャーで、さっきの“ハイドロポンプ”もそこから放ったものだ。その容貌は、ヤガミ博士から貰えるポケモンの一匹――ゼニガメと、どことなく似ている気がする。
それもそのはず。このポケモンは、ゼニガメの最終進化系。こうらポケモン、カメックスなのだから。
「反撃……来るか……?」
身を潜めつつもタクムはボソリと呟く。
あんな派手な技を打ったのだ。これで奴らに自分の居場所が突き止められたと考えて間違いない。だがそれでいい。ここまではプラン通りだ。
「……次だ。戻れ、カメックス」
タクムは一度カメックスをボールへと戻す。それを仕舞うと、彼はまた別のモンスターボールを取り出した。そのボールをどこかへ投げ、タクムはルカリオと共に素早くその場から退避する。
「そこだペンドラー! “ハードローラー”!」
少し遅れて、アシッド団の少年がペンドラーに指示を出す。ペンドラーは身体を丸め、“ハイドロポンプ”が飛んで来た方向へと転がって突っ込んだ。瓦礫の山が、音を立てて崩れ落ちる。
しかし。
「い、いない……? 外したか……!」
少年は悔しそうにそう呟く。
タクム達は既に退避した後だった。ペンドラーの“ハードローラー”は、ただ瓦礫の山を崩すだけに終わってしまう。しかもそれだけではない。
「……ッ!?」
「あ、熱っ! 何だ……!?」
隙を見せたペンドラーに、今度は炎の塊が襲いかかってきたのだ。完全に意表を突いた攻撃。ペンドラーもそのトレーナーである少年も、対処できるはずがない。
むしタイプポケモンであるペンドラーは、ほのおタイプの攻撃に弱い。あまりにも激しい火力故に濡れていた身体は一瞬にして乾き、今度は引火する。炎に包まれ、ペンドラーは悶え苦しんでいた。今のはかなり苦しい攻撃だろう。
しかし、何よりも気になる事が一つ。
「“ハイドロポンプ”の次は“かえんほうしゃ”って……どうなってんだよ!?」
普通、相反する二つのタイプの攻撃がこんなにも短時間に飛んでくる何て考えられない。ましてや“ハイドロポンプ”と“かえんほうしゃ”だ。そんな二つの技で攻撃する方法は、必然的に限られてくる。
ドサリと倒れ込むペンドラー。 慌てて駆け寄るアシッド団の少年。そこで、彼はとあるポケモンを目にする事になる。
二足歩行のポケモンであり、その姿はどことなく魔女を彷彿とさせる。身体全体が赤やオレンジ、黄色といった毛皮で覆われており、ほのおタイプのポケモンである事が伺える。
キツネポケモン、マフォクシー。そのタイプは 、ほのおとエスパー。
マフォクシーは先端に炎を灯した木の枝をこちらに向けている。おそらく、あそこから“かえんほうしゃ”を発射したのだろう。宛ら、魔法使いの杖と言った所か。その容貌に似合った攻撃方法である。
しかし、そんなマフォクシーでも流石に“ハイドロポンプ”などいう技は使えない。となると、やはり――。
「……終わりだな」
「っ! お前……!」
背後にあった瓦礫の陰から、そのマフォクシーのトレーナーであるタクムが現れた。
相変わらず鋭い瞳で睨みつけ続けるタクム。その瞳からは、怒りにも似た強い感情が感じられる。しかし、そんな瞳を向けられても、アシッド団の少年はお構えなしに不平の言葉を吐き出す。
「卑怯だぞお前っ! バトル中に隠れてこそこそ次から次へとポケモン交代しやがって……! もっと正々堂々……」
「……黙れ」
冷たく、そして有無も言わせないような口調でタクムは言い放つ。さっきまで強気だったアシッド団の少年も、その威圧感の前では流石に口を閉ざしてしまう。
睨みつけているその視線も、更に冷たいものになる。
「アシッド団は徹底的に叩き潰す。例えどんな手を使ってでも……」
ゾクッと、少年の背筋に寒気が走る。
ヤバい。こいつは、絶対にヤバい。明らかに自分より歳下であるはずなのに、なぜだか妙に大きく見える。子供の戯言、などではない。この少年なら、本当にやりかねないのではないだろうか。アシッド団の、壊滅を。
「ったく……威勢だけは一丁前だな、小僧……」
そんな中。聞こえてきたのは男性のものと思われる低い声。丁度、アシッド団の少年の真後ろ。その物陰から一人の男性が姿を現した。
おそらく歳は中年の域に達しているだろう。身長は高く、かなり筋肉質。そして口元には煙草を加えている。どことなくベテラン臭が強い。
服装はアシッド団の制服――なのだが、通常のものとは少し違う。具体的に言えばネクタイの色と襟。ネクタイの色は一般的なアシッド団のものよりも更に濃い青色であり、寧ろ殆んど紺色。そして、襟には小さなバッジが一つ取り付けられている。金色の枠の中に奇妙なロゴが入ったバッジ。あのロゴこそが、アシッド団のシンボル。
彼もアシッド団、である事には変わりない。しかし、ただのアシッド団ではない。
「おぉ! 助けに来てくれたんですね、ユタカさん! いやー、助かりました!」
「今回だけだ。あんまり甘ったれるんじゃねぇ、シュン。任務中に不測の事態はつきものだ。柔軟に対応できるようにしておけ」
煙草をふかしながらも、ユタカと呼ばれたその男は少年――シュンを叱りつけた。
厳格な雰囲気。あのシュンという少年とは、威厳がまるで違う。この男、只者ではない。タクムが今まで戦ってきたようなアシッド団とは、まるでレベルが違う。
「成程……。あんたが四人いるアシッド団幹部の一人……」
「ほう……? 俺を知っているのか」
突然現れた男を前にしても、タクムは冷静に状況を判断する。
シュンとは違う制服。纏う雰囲気。そして、ユタカという名前。それを確認して、タクムは判断した。彼がアシッド団の幹部であると。
ユタカという名の幹部がいること、そして幹部が四人いるという事は既にリサーチ済みだ。他の三人の幹部については未だに不明だが、今はそんな事は関係ない。
幹部と遭遇できたのだ。これ以上にないチャンス。
「ルカリオ……」
マフォクシーをボールに戻し、タクムはルカリオの名を呼ぶ。
相手は幹部。様子見などの悠長なことをしてはいられない。一気に叩き潰す。
「おいおい……。どういうつもりだ、小僧」
「決まってるだろ。アシッド団は誰一人逃しはしない……」
ギロリと、タクムはユタカを睨みつける。強い憎しみが篭った瞳で。
「それはつまり……お前はアシッド団を壊滅させようとしてるって事か……」
「あぁ……。俺がリョウラン地方に来た目的は一つだ。ジムバッジの収集も、そのついででしかない。俺の……いや……」
ギュッと、握る拳にも力が入る。胸の奥からは、どんどん黒い感情が膨らんでくる。
それはタクムだけではない。ルカリオも同じだった。普段からあまり感情を表に出さないルカリオも、唸り声を上げて怒りを露わにしている。
タクムとルカリオ。彼らが今回、リョウラン地方を訪れた目的。それは一つだった。
「……俺達の目的はアシッド団に復讐する事だ。お前らが滅びるまで……俺達は戦い続ける」
決意に満ちた瞳を向け、タクムはそう宣言する。覚悟も既にできていた。
復讐。タクム達の原動力は、それだった。
アシッド団に、大切なものを奪われた。アシッド団の所為で、あいつが苦しむ事になった。信じていたのに、裏切られた。
許せない。絶対に、許せる訳がない。だから復讐する。だからアシッド団を潰す。だから、タクム達は戦っている。
「ガキが……粋がってんじゃねぇ……」
ユタカはふかしていた煙草を捨てると、足で踏み潰して火を消す。そして生意気な少年を、ギロリと睨みつける。
「復讐だぁ……? たった一人で何ができる……。孤独な復讐者気取りか?」
「俺は一人で戦う。他人なんて信用できない……。友達も、仲間も……いらない。そんなもの、無意味で無価値な存在だ」
ユタカはため息をつく。
あまりにも身の程知らずだ。一人で戦う? 本当に一人だけでアシッド団を敵に回すつもりなのか。本当に、それでアシッド団を潰せるつもりなのだろうか。
「おい、小僧……」
最早呆れる余裕もなかった。あまりにも無謀で生意気な少年を前にして、ただただ苛立ちが募る。
ユタカは判断した。この少年は、口で説明しても自分の立場を理解できない。それならば、別の方法で分からせる。自分がいかに無力なのか、それを痛感させて屈服させる。
「大人を舐めんじゃねぇ……。ガキが何をしようとごっこ遊びにしかならねぇんだよ。お前がいかに無力なのか……それを今から分からせてやる」
吐き出すようにそう言うと、ユタカは一つのモンスターボールを取り出す。サイドスローで投げられたそのボールが空中で放物線を描き、その途中でポンッという音と共に中にいたポケモンが飛び出した。
二メートルを越える巨体を持つポケモンだった。白と黒の体毛で身体全体が覆われており、かなりガッチリとした体つきである。また、葉っぱを咥えたその顔つきはかなりガラが悪い。
そのタイプはかくとう、あく。こわもてポケモン、ゴロンダだった。
「ンダアアアアアア!」
ボールから出た途端、そのゴロンダは雄叫びを上げる。その要望に見合って、かなり気性の荒いポケモンなのだろう。今にも飛びかかってきそうな剣幕だ。
この威圧感。さっきのペンドラーとは比べ物にならない。流石は幹部のポケモン、と言った所か。
「……ルカリオ。一気に全力で行くぞ」
しかし、タクム達は屈しない。例えどんなに強力なポケモンが立ち塞がろうと、引くわけにはいかない。アシッド団が存在する限り、彼らは何度だって食らいつく。
タクムは首にかけて上着の中に隠していたネックレス――『キーストーン』を取り出すと、それを握りしめて神経を集中させる。変化はすぐに現れた。
キーストーンから虹色の光が溢れ始め、それに呼応するかのようにルカリオからも光が発生する。その光はあっと言う間に膨張し、やがてルカリオを包み込んだ。その間も、握り締めるキーストーンの光は収まる事をしらない。
「な、なんだよこれ……! 嘘だろ……?」
そんな光景を見たシュンが、間の抜けた声を上げる。
彼はこの現象を知っていた。そして本来、それはリョウラン地方では起こるはずのない現象である事も。だからこそ、余計に信じられないのだ。
虹色の光が四散し、溢れる光が突然止まる。光の中から出てきたのは、ルカリオ――とはどこか違うポケモン。
メガルカリオ。ルカリオがメガシンカした姿。
「め、メガシンカなんて……! て言うか、メガルカリオの波導ってこんなに凄いのかよ……!?」
シュンは思わず顔を腕で覆う。
メガシンカをした途端、ルカリオの身体からは一気に大量の波導が放出されていた。それは空気すらも刺激し、突風を発生させる程。
メガシンカもそうだが、こんなにも強く感じられる程の波導だなんて。にわかには信じられない。
「ほう……?」
狼狽するシュンとは裏腹に、ユタカは驚く程に冷静だった。
確かに、いきなりメガシンカなどされて最初は多少驚きはした。しかし、それと同時に一つの心当たりが浮かび上がっていた。
リョウラン地方でのメガシンカ。それと同時に急激に強くなる波導。そして、アシッド団に強い恨みの念を抱いている少年。それらのキーワードから、導き出される答えは一つ。
「そうか……。そいつが被検体002……」
「そこで何をしているっ!」
薄暗くなってきたその場所に、懐中電灯のライトが照らされる。目を向けると、そこは廃墟の出入り口の一つ。警察と思しき人物が立っていた。
あれほど派手にバトルしていたのだ。近くを通りかかった人や、周辺住民の耳にその騒音が入っていてもおかしくはない。不審に思った誰かが通報したのだろうか。
「チッ……邪魔が入ったか。おいシュン! ここは一旦退くぞ」
「えぇ!? どうしてですかユタカさん! あいつをぶっ飛ばせるチャンスなんですよ!?」
「このタイミングで騒ぎが大きくなると厄介だ。警察の連中と直接やりあうのも得策じゃねぇ。少し考えれば分かる事だろうが」
「むっ、むぅ……分かりましたよ」
ここで警察と衝突してまであの少年を始末するのはリスクが大き過ぎる。警察にアシッド団の事をあまり詳しく知られてしまっては、“あの計画”にも支障をきたす可能性もある。
それに。復讐などと宣っているが、相手はたかが子供だ。たった一人でできる事は限られている。アシッド団の壊滅などと言う野望、達成できる訳がない。
「今回のバトルはお預けだ、小僧。だが一つ覚えておけ。次に会った時は……容赦はしねぇ」
ユタカはタクムにそう言い放つ。
警告、と言えばそうかもしれない。しかし、このタクムと言う少年はこの程度の脅しでは屈しないだろう。彼は何度だって、アシッド団の前に現れる。当然、ユタカと戦う事にもなるだろう。
その時こそ、思い知らせてやる。自分の無力さを。たかが一人じゃ何もできないのだと言う事を。
「さっさと行くぞ、シュン」
「あっ! ちょ、ちょっとユタカさん! 置いていかないで下さいよぉ!」
去ってゆくアシッド団。タクム達もまた、彼らとは別方向へと走り去る。
このまま背後からアシッド団を一気に叩き潰す方法もあった。しかしそれをしてしまうと、タクムが警察に疑いの目を向けられてしまう。それでは都合が悪い。
それに、相手はアシッド団の幹部だ。そう簡単に終わるとは思えない。
メガシンカを解いたルカリオと走る中、タクムは先ほどユタカに言われた言葉を思い出す。
『ガキが何をしようとごっこ遊びにしかならねぇんだよ。お前がいかに無力なのか……それを今から分からせてやる』
(無力……だって……?)
ユタカはタクムの言葉を、ただの戯言としか思っていなかった。だからこそ、彼は苛立ちを募らせた。タクムに無力さを実感させようとしていた。
でも。
(自分がいかに無力かなんて、とっくの昔に思い知ってるんだ……。だからこそ、俺は……!)
自分でも気づかぬ内に、タクムの握る拳には強く力が入っていた。
―――――
「ひぃ……ふぅ……。疲れたぁ……」
呼吸がが乱れたシュンは肩を上下に揺らしながらも、思わずそう零していた。
逃亡を初めて数分。ユタカとシュンは路地裏まで逃げ込んでいた。後ろを見ても、警察が追いかけてくるような気配はない。どうやら上手く撒けたようである。しかし。
「ゆ、ユタカさん速すぎ……。ちょっとぐらい待ってくれてもいいじゃないですかぁ……」
アシッド団に入ったばかりのシュンでは、未だにユタカのペースについて行けてない。何とか追いつく事はできたものの、クタクタである。
対するユタカはと言うと、まるで息を切らしていない。疲れも殆んど感じさせない。
この人の体力は化物か――と、シュンは密かに思った。
「ったく……だらしねぇな」
頼りない新人に呆れながらも、ユタカは煙草を箱ごと取り出す。更にその中から一本取り出すと、静かに口に加えた。
火をつける為のライターを探しながらも、ユタカは先ほど出会った少年の事を思い浮かべる。
初めはただ強がっているだけの生意気な子供だと思っていた。しかし、あのルカリオを見てその考えは少し変化していた。
メガシンカ。本来ならリョウラン地方では起こるはずのない現象。しかし、あの少年はそれを成功させた。
(あのガキ……さっさと始末した方がいいかも知れねぇな……)
探し当てたライターを使って、ユタカは煙草に火をつける。
ただの子供、なら別にどうって事ない。しかし、メガシンカ使いであるあの少年は別だ。アシッド団の目の上の瘤となり得る。このまま放置しておくと、何かと面倒な事になるかも知れない。何か対処法を考えなければ。
「おいっ!」
「……あん?」
と、その時。ユタカ達は突然誰かに声をかけられる。目を向けると、そこにいたのは一人の少年。そして一匹のバシャーモだった。
目つきの悪い少年だ。ボサボサとした髪型をしており、どことなくガラも悪い。バシャーモを連れていると言う事はポケモントレーナーなのだろうが、何やら不穏な雰囲気を漂わせている。何かよからぬ事を企んでいるかのような、そんな印象を受ける。
「何だお前は」
少々怪訝に思いながらも、ユタカは鋭く睨みつけてそう問いかける。しかしその少年――リュウジは、ニヤリと笑みを浮かべていた。
「テメェ等……アシッド団の連中だろ?」
ユタカは更に警戒心を強めた。
何だ。なぜこの少年はアシッド団の事を知っている? 噂か何かで聞いたのだろうか。いや、そうだとしても、どうして態々自分から近づいてきたのだろう。
思う事は多々あるが、ユタカは動じない。
そうだ。この少年はあのメガシンカ使いとは違う。例え何を知ってようと、どうにでもなる。
「おいお前! おれ達に何か用か? 悪いけど忙しいんだ。お前に付き合っていられるほど暇じゃあ……」
「目障りなんだろ? ルカリオをメガシンカさせるアイツが……」
「……えっ?」
場違いな少年をシュンが退散させようとするが、予想外の言葉が飛び出して思わず息を呑む。
なぜその事を知っている? まさかあの少年の知り合いか何かなのだろうか。
「そこで一つ……提案があるんだが……」
「なんだと……?」
ユタカが食いつく。
自分達がアシッド団と知っていて提案? 一体何を考えているのか。
どうも考えが読めない。だが、後先考えずこうして声をかけてきたようにも見えない。どうもただの身の程知らずな子供とは思えないのだ。
ユタカの咥えた煙草から、パラパラと灰が崩れ落ちる。
アシッド団幹部のユタカと、バシャーモを連れた少年リュウジ。向かい合う二人の間には、緊迫した雰囲気が漂い続ける。奇妙な沈黙が続いていた。