12.挑戦、ポケモンジム
太陽が昇り始め、気温もジワジワと上昇し始めた時間帯。サユリはとある建物を見上げていた。
ビルなどの大きな建物が多いビジネス街から少し外れた、また違った活気を持つ街。ショッピングモール等が並ぶアベニューに建てられた、一つの施設。建物の高さは他よりやや低く精々二階建てくらいだか、その敷地面積はかなりのものだ。ポケモンの治療やトレーナーの宿泊部屋も完備するポケモンセンターと比べても、その大きさは勝るとも劣らない。建物はどことなくスポーツジムを彷彿させる形をしており、他にはない少し緊迫した雰囲気が漂っていた。
「ここが……」
ジム、である事に変わりはない。しかし、スポーツジムだとかそう言った類のものではない。ポケモンジムと呼ばれる、ポケモンバトルを行う為の施設である。
「うぅ……いざ前にすると緊張するね……」
「キュン……」
緊張の為か身体が震えるサユリ。旅立ち当初はジム巡りを考えていなかっただけあって、どうも心の準備が覚束無い。思えば、昨日ヒイラギシティに到着してから、ずっと心臓がドキドキしていた気がする。
正直、サユリはプレッシャーにはあまり強い方ではない。折角やるって決めたのに、ここに来て尻込みしてしまう程だ。しかし、いつまでも怖気づいてはいられない。
「大丈夫。わたしだって……」
そう。サユリだって、負けてられないのだ。
―――――
時は溯り、一日前の夕方。早朝にミズヒキタウンを出発したサユリ達だったが、この時間になってようやくヒイラギシティに到着していた。
行きのようにあのアシッド団などと言う連中にまた襲われるのでは、と警戒していたのだが今回はそのような変わった事はなかった。デンリュウの事を諦めてくれたのか、はたまた何かサユリ達と接触できない理由でもあったのか。前者の可能性は低い気がするが。
「ふぅ……も、もうこんな時間……?」
一日中歩いていた為、サユリの体力は限界寸前。特に両足がガタついて、上手く力が入らない。少しでも気を抜けば転んでしまいそうだ。
それにしても。ここまで体力がなくて、これから大丈夫なのだろうか。サユリ自身も内心不安ではある。
「キュウ……?」
「う、うん……多分、大丈夫……だと思う」
デンリュウが心配してくれる。サユリは強がってそう返事をするが、実際はかなりキツい。日が沈むまでにヒイラギシティに到着しようと、少し無理し過ぎたかも知れない。体力がないくせに、長時間歩き続けたらこれだ。もっと休憩とっておけば良かったかな、とサユリ少しだけ後悔していた。
「で、でもっ! ちゃんと着けたし、良かったよね……?」
「キュン!」
何はともあれ、無事に辿り付けて一安心である。またアシッド団に襲われるのではないかとビクビクしていたのだが。
あのマリアと言う少女は、アシッド団はデンリュウを狙って再び現れると言った。にも関わらず、それっきり姿を現していない。そう思うと何か意図があるのではないかと気味が悪いが、今はいくら考えても仕方ない。襲いかかってこないのならば、それに越したことはないだろう。
「エドくんも大丈夫かな……。何かアシッド団と関わってるみたいだったけど……」
サユリは、あの時自分達を助けてくれた少年とポケモン達を思い浮かべる。アシッド団について妙に詳しかったエドガー。彼ならば、サユリがミズヒキタウンにいた数日間の内に再びアシッド団と遭遇していてもおかしくない。彼らの実力は間近で見たサユリならよく知っているが、それでも心配である。サユリとそう歳は変わらないはずなのに、あんな得体の知れない組織と戦っているなんて――。
サユリが不安そうな表情を浮かべた、ちょうどその時。
「あっ! サユリ! おーいっ!」
聞き覚えのある声が聞こえて、サユリはハッとなって振り返る。想像通り、そこにいたのは幼馴染である一人の少女。ユキだった。
「あっユキちゃん! ちょっと久しぶりだね」
「キュン!」
駆け寄ってくるユキに向けて軽く手を振りながらもサユリは答える。数日前、ヒイラギシティで別れて以来の再会である。
サユリとしては、少し久々の友人との再会の余韻の浸りたい所である。しかし、ユキの方は何やら様子がおかしい。どこか緊迫した面持ちで、サユリに駆け寄ってくる。
「サユリ! 大丈夫だった!?」
そしてガッと両肩を掴み、ユキは詰め寄ってきた。
何が何だか分からずに、サユリは一瞬だけキョトンとする。しかし強く掴まれた肩に走る鈍い痛みにより、直ぐに我に返った。
「いたたたっ……! 痛いよユキちゃん……いったいどうしたの?」
「あっ……ご、ごめん……。いや、だって! 襲われたんでしょ、アイツらに!」
ユキが両肩に掴む手の力を抜き、サユリはふっと痛みから解放される。
襲われた? アイツら? 何の事だろう。まさか、アシッド団の事を言っているのだろうか。
「襲われたって……えっ? 何で知ってるの?」
「アイツ……エドガーって奴がそんな事言ってて……」
「エドくん……? エドくんに会ったの!?」
ユキの口から予想もしなかった少年の名が飛び出して、サユリは動揺を隠せない。
なぜユキがエドガーの事を知っているのか。彼女に聞いてみた所、どうやらエドガーとはヒイラギシティの路地裏でバッタリ出会ったらしい。エドガー自身から詳しくは聞き出せなかったが、サユリがアシッド団なる組織の連中と接触した、などと言った内容の話を聞いたのだとか。しかし、詳細を求めても「知らない方がいい」などと言ってはぐらかされてしまった、とユキは怒っていた。
「わたしは大丈夫。あの時はエドくん達が助けてくれたから……。それに、あれ以降アシッド団の人達とは会ってないし」
「キュウ!」
「そっ……それならいいんだけど……」
高揚していたユキだったが、サユリと話している内にだいぶ落ち着いてきたようだ。ホッと胸を撫で下ろし、ようやく緊張感をほぐしてくれた。
そんなに心配をかけていたのか。サユリは申し訳ない気持ちでいっぱいになった。少し連絡をしておいた方が良かったかも知れない。
「……あれ? でもどうして路地裏に? ユキちゃんの用事って……?」
「へっ……!? い、いや、何でもないって! ちょっとした野暮用で……」
そう言えば、どうしてユキは路地裏などにいたのだろう。そんな疑問を口にするサユリだが、ユキは慌ててはぐらかしてしまう。まさか文句を言う為にあの少年――タクムを探してた、などとは言えないのだろう。サユリは不思議そうに首を傾げているが、それでもユキは強引に誤魔化そうとする。
「そ、それより! サユリの方はどうだったの? 星空の洞窟、行ってきたんでしょ?」
「え? あ、うん! 凄く良かったよ!」
どうやらユキの作戦は成功したらしい。それ以降、ユキの言う“野暮用”についてサユリが追求する事はなかった。
ユキは内心ホッとする。別れる時にも「ちょっと用事がある」とだけ言っていた以上、今更本当の理由を明かすのも何だか恥ずかしい。しかもその理由があれだ。今は誤魔化したままにしておこう。
「……それで? サユリはこれからどうするつもり? ミズヒキタウンには行ったから、ここからだと一番近いのはカルミアシティ……?」
「えっと……そのことなんだけど……。実はわたし、ポケモンジムに挑戦してみようかなぁと思って」
「おっ! ホントに!? いやーっ遂にサユリもその気になってくれたのね!」
ユキの表情がパァっと明るくなる。待ってましたと言わんばかりの面持ちだ。
ユキの目標はポケモンマスターだ。当然、初めからポケモンリーグには出場するつもりでいた。旅立つ前からサユリにもリーグ出場を勧めていたのだが、これまでのサユリの返事はいつも乗り気ではない様子。自分じゃそんなに強くなれないと思うから、リーグ出場なんて無理だ。サユリはずっとそう口にしていた。
自分を過小評価し過ぎだとユキは思う。始める前からそんなネガティブな考えでは、いつまで経っても前に進めないではないか。旅立つ前のサユリは、そんな引っ込み思案な少女だったのだ。
しかし今のサユリは、昔とはどこか違う。
「うん……。わたしもこのままじゃダメだなって。もっと目標を高く持とうって、そう思ったんだ」
「サユリ……。あんたちょっと変わった?」
「へっ……!? そ、そんな事ないよー!」
「いやいや、良い事だって! あたしも嬉しいよ。サユリがやっと大きく前に進んでくれて」
それじゃ、今までモタモタしてたようではないか。サユリは少しムッとした表情を浮かべるが、よく考えるとその通りであった事に気づく。
今までサユリは何をするのも迷ってばかりだった。けれども今は、一つも目標を持って行動している。その点を見て、ユキは「変わった」と感じたのだろう。
「そう言えば、ユキちゃんはジム挑戦したの? リーグ目指すんだよね?」
「フフフ……。よくぞ聞いてくれた!」
不敵な笑みを浮かべながらも、ユキは自分の荷物を探り始める。突然大きな声を上げたユキを前にして、サユリは押され気味になった。
一体、何が始まるのだろう。サユリが言葉を見失っている、その時。
「じゃーん! これなーんだ?」
「あっ……ああ! それって……!」
ユキが取り出したのは、一つのバッジだった。
形状はコインのようだが、その真ん中には楕円状のカプセルの形を模したエンブレムが掘られている。バッジは全体的に銀色であるが、エンブレムだけはちょうど真ん中で赤と白に色分けされていた。
見覚えがあるバッジ。ポケモントレーナーなら誰でも欲しがる物。これこそ、ポケモンリーグ出場に必要不可欠なアイテム。
「ジムのバッジ……! ユキちゃん、ジムリーダーに勝ったの!?」
そう。ポケモンジムのジムリーダーに勝利した証、ジムバッジである。
ヒイラギシティのジムバッジはカプセルバッジと呼ばれている。ジムリーダーがポケモンドクターの仕事も担っているだけあって、エンブレムはカプセル剤をモチーフにしているらしい。
ヒイラギシティのジムリーダーがどんな人なのかはサユリはよく知らないが、ジムバッジくらいなら少しだけ見た事がある。ユキが掲げるそれは、紛れもなくカプセルバッジである。
「まぁね! でも結構ギリギリだったんだけどね……。途中、何度かダメかなぁって思ったんだけど、ヒトカゲが頑張ってくれたからさ。あたしが先に諦めてどうする! って無我夢中でバトルして……。うん、やっぱりジムリーダーは強かったなぁ……」
「で、でも! そんな人に勝っちゃうユキちゃんも凄いよ!」
「そ、そう? えへへ……まぁ、それほどでもあるんだけど……」
照れくさそうにしながらも、ちょっぴり調子に乗るユキ。
まさかサユリとデンリュウが技の練習をしている間にジム戦を終えてしまうとは。何だかユキがどんどん先に進んでしまっているような気がする。
こんな時、少し前までのサユリなら心の隅に劣等感を抱いてしまう所だ。しかし、今は――。
(あれ? 何だろう、この感じ……)
自分でもよく分からない。でもこれはネガティブな感情なんかじゃない。劣等感とは全く違う。
例えるなら、そう。躍動感に近い。
「いい? サユリ。ヒイラギシティのジムリーダーはノーマルタイプの使い手! ゴーストタイプの攻撃は効かないけど、かくとうタイプなら大きなダメージが期待できるんだよ?」
「ノーマルタイプ、か……」
今まで感じた事のない感覚に、サユリは少し困惑していた。でも、その中でもサユリはなぜだかワクワクしている。緊張とは違う胸の高鳴りを感じて、気持ちがどんどん高揚してきて。
(そうか。わたし……)
超えるべき壁の出現に、サユリは喜びを感じている。ユキの前進を目の当たりにして、「自分も負けない!」と言う強い気持ちが溢れてくる。俄然士気が上昇する。ユキと言うポケモントレーナーと、切磋琢磨しているのだ。
「でもジムリーダーがどんなポケモンを使うのかは秘密! 一応そこは競い合う仲って事で! ジムリーダーのポケモンは、実際に見て確かめてね?」
「うん……ありがとう。でも……わたしもユキちゃんには負けないよ?」
サユリはユキと目を合わせる。
ユキはサユリの幼馴染。サユリと一緒に旅立ったトレーナー。そして――。
「ライバル、だからね!」
―――――
ポケモンジムの自動ドアを抜けると、そこはサユリの想像とは少し違う様子のエントランスが広がっていた。
エントランス、と言うよりも病院の待合室のような風貌だ。白い空間にいくつかの小さなソファー。受付と思しき場所の横には大きな自動ドアが。おそらくバトルフィールドに繋がっているものだろう。
「キュゥ……」
「へぇ……本当に病院みたいだね」
バッジもそうだったが、やはり内装も病院仕様だ。外観は普通のジムにしか見えなかったが、中はまるで病院。流石、ジムリーダーがポケモンドクターなだけはある。
「と、取り敢えず、受付にいる人に……」
短く深呼吸して自分を落ち着かせながらも、サユリは受付へと向かう。
何だか緊張し過ぎて胸が苦しい。深呼吸してもあまり効果はない。ガチガチに固まりながらも、サユリは受付の人へ声をかけた。
「あ、あのっ! わ、わたし……」
「……はい?」
緊張の所為か舌が上手く回らない。滑舌は悪い方ではないのだが、サユリは極度に緊張するといつもこれだ。焦れば焦るほど、余計に言葉が出てこなくなる。そんなサユリを見て、受付の人は首を傾げている。
「……ジムの挑戦ですか?」
「はっ……はい! そうです……!」
もごもごとしていたサユリを見かねて、その人が機転をきかせてくれた。ワンテンポ程遅れたが、サユリは慌てて頷く。
ポケモンジムに慣れてない所為か、いつまで経っても緊張が解れる気配がない。これがバトルに悪影響を与えなければ良いが。
「……良いタイミングでした。つい先ほどジムリーダーが来られた所です。ジム戦は直ぐに行えると思いますよ」
「そ、そうですか……」
ジム戦が直ぐに行える。そう言われると、色々と準備が不十分なのではないかと不安になる。
大丈夫、大丈夫だ。特別持ってくる物はないし、やれる事は全部やった。強いて言うなら、心の準備が不十分な気がするが――いつまでもそんな事は言ってられない。ここまで来て、引き下がる訳にはいかないのだ。
「ようっ。また会ったな、サユリ」
と、サユリが必死で緊張を解そうとしているその時。どこかで聞いた事のある声が流れてきた。誰だろうと自分の記憶を探りながらも、サユリはおもむろに声のする方へ目を向ける。
「あっ……!」
そこにいたのは、白衣を着た一人の男性だった。
猫背気味の立ち姿。割と高い身長。そして顎鬚。その顎鬚のせいで、ほんの少し老けているように見える顔立ち。これだけの特徴、間違いない。
「カズマさん……! どうしてここに……?」
そう。ミズヒキタウンでタツベイを助けてくれたポケモンドクター。カズマに間違いなかった。
タツベイを助けて貰って以降、サユリはカズマには会えてなかった。やはり彼は多忙な身。二日程ポケモンセンターの手伝いをした後、すぐにヒイラギシティに帰ってしまったのだ。その為どうもタイミングが悪く、最後の挨拶が出来ず終いだった。それがまさか、こんな所で再会するとは。
「どうしてって……そりゃお前……」
そんな中。予想外の再会により少し混乱しているサユリの質問に対し、カズマは当然のように答える。
「俺がここのジムリーダーだからな」
「……えっ?」
一瞬だけ、カズマが何を言っているのか分からなくなる。思考が止まるとはまさにこの事だ。
まずは状況の整理をしよう。ヒイラギシティのジムリーダーは、ジムリーダーと同時にポケモンドクターの職を担っているのだと聞いている。そして、カズマは基本的にヒイラギシティでポケモンドクターをしていて――。
そこまで考えて、サユリもようやく状況を理解したらしい。
「えぇぇぇ!?」
我に返ったサユリの喚声が、ポケモンジム中に響き渡った。
―――――
「これより、ジムリーダーとチャレンジャーによるポケモンバトルを行います。ジムリーダーの使用ポケモンは二匹ですが、チャレンジャーには特に使用制限等はありません。また、ポケモンの途中交代は互いに認められます」
審判員がそうルールを説明してくれる。未だ緊張をしたままのサユリは息を呑んで小さく頷き、カズマは「おうっ」と軽い調子でルール説明に答えていた。
ヒイラギシティのジムのバトルフィールドは非常にシンプルな作りだ。特にこれといった障害物も、またギミックも存在しない。ギミックがない為にバトルだけに集中する事が出来るが、それ故にトレーナーの実力やポケモンの力量が如実に現れる。ポケモンの技だけでいかにバトルを自分のペースに持っていけるか。それが勝利の鍵となりそうだ。
「いやー、この時を待ってたぜサユリ。お前さんならきっと挑戦しに来るって思ってたからな」
「あの……わ、わたし……まさかカズマさんがジムリーダーだったなんて思いも寄りませんでした……。あの時言ってくれればよかったのに……」
「いやいや、それじゃつまんないだろ? 初めは気づいてないだけかと思ってたが、まさか本当に俺の事を知らなかったとはなぁ……。さっきの驚いた顔、結構可愛かったぜ」
「かっ、可愛いって……!」
からかわれていたと言う事か。途端にサユリの頬が熱くなる。
確かに、カズマがジムリーダーだと気づかなかったのは、サユリの知識不足だと言う事もあるだろう。旅立つ前からヒイラギシティには何度か訪れた事があるのだから、ジムリーダーの事くらいもっと調べておけば良かったのかも知れない。
しかし。今となってはそんな事を後悔しても意味はない。
「まぁ冗談はさておいて……。バトル、早速始めるか!」
「……はいっ! あのっ……わ、わたし……! 絶対に、負けませんから!」
「おぉ! 威勢がいいな嬢ちゃん!」
そうだ。相手が誰だろうと、思い切りぶつからなければ勝利する事はできない。本気でジムを制覇したいのなら、自分の実力を出し切らなければならないのだ。
まず先にポケモンを繰り出したのはカズマ。彼が投げたモンスターボールが放物線を描き、その中から一匹のポケモンが飛び出す。
出てきたのは、四足歩行のポケモンだった。頭から背中にかけてピンク色をしているが、顔からお腹の部分は薄橙色。特徴的なのは大きな耳と糸目で、とても可愛らしい容姿をしたポケモンである。その容貌から、どちらかと言うと大人しい性格のポケモンなのだろうか。
分類はこねこポケモン。一般的にエネコと呼ばれているポケモンである。
「俺はまずこのエネコで行く。さて、お前さんはどんなポケモンでバトルするんだ?」
ユキから聞いた通りだ。カズマはノーマルタイプの使い手。エネコもまた、ノーマルの単タイプのポケモン。
「わたしは……」
サユリはバックから二つのモンスターボールを取り出す。
デンリュウとウデッポウとタツベイ。まずどのポケモンを出すべきか。タツベイ、は少しキツいかも知れない。バトルにはまだあまり慣れていないし、何より頭殻がまだ未成熟だ。ここでバトルさせるのは荷が重い。
となると、選択肢は限られてくる。
「キュン……!」
「デンリュウ……」
相手はノーマルタイプ。サユリの手持ちには相性が悪いポケモンはいない。と言っても、特段相性が良いポケモンがいる訳でもないのだが。
どうやらデンリュウはやる気満々なようだ。いつでも行ける、と言わんばかりに鳴き声を上げている。
凄く頼もしく見える。デンリュウがいてくれるだけで、彼女から勇気を貰える気がする。
「デンリュウ……あなたは、ちょっとだけ待っていて……」
「……キュウ?」
「トレーナーのわたしがこんな事を言うのも頼りないかも知れないけど……わたしの事、少しの間だけ支えてほしいの……。もしかしたらわたし、また諦めかけちゃうかも知れないから……その時は……」
「キュウ!」
ドンっとデンリュウが胸を張る。そんな事なら任せておけと、そう言っているのだろうか。
本当に頼りないと、自分でも思う。どうしても完全に自信を持つ事ができない。バトルの前になると、どうしても不安になってしまう。
でも。デンリュウがいてくれれば。転んでも、すぐに立ち上がる事ができる。そんな気がした。
「ありがとう。デンリュウ……」
もう、迷いは消えていた。
「……出てきて! ウデッポウ!」
勢いよくモンスターボールを投げると、開放音と共にモンスターボールが開かれる。繰り出されたウデッポウは、すぐさま右腕の鋏をエネコへと向ける。
「ウデッポウか。へぇ……もうやる気だな」
カズマが関心したように声を上げる。
すでにウデッポウは臨戦態勢。いつでもバトルを開始できる状態だ。鋭い瞳でエネコを睨みつけたまま、油断なく警戒心を張り巡らしている。
「ウデッポウ……先陣をお願い……!」
ウデッポウは何も言わない。ただ何も言わずに、小さく頷いてくれる。まるで最初から、自分が先陣を切るのだと予感していたようだ。彼には既にサユリの気持ちを読まれていたと言う事か。
こうなったらますます負けられない。これ以上、弱気になってはいられない。
「それでは……バトルを開始して下さい!」
ジムリーダーとチャレンジャー。お互いがポケモンを繰り出したのを確認すると、審判員がバトル開始の合図をする。
サユリの初のジムバトル。その火蓋がついに切られたのだ。
「行くよ! ウデッポウ……“みずでっぽう”!」
まず動いたのはサユリとウデッポウ。立ち位置が離れているからこそ、遠距離攻撃が得意なウデッポウが有利。一秒と経たずに標準を合わせると、すぐさま“みずでっぽう”を発射した。
「おっと……いきなりか。エネコ!」
相変わらずの発射精度だか、カズマとエネコも黙って直撃を受ける程甘くはない。カズマの掛け声に反応したエネコは直撃スレスレの所でサイドステップを取り、“みずでっぽう”を回避した。
「うっ……意外と早い?」
温和そうなポケモンだが、動きはそれほど鈍くない。やはりそう簡単に攻撃を受けてはくれないだろう。それならば。
「間髪入れずに連射しよう……! もう一回“みずでっぽう”!」
鈍足ではないと言っても、俊敏な動きと言う訳でもない。少なくとも、サユリはもっと素早いポケモンを知っている。早いテンポで“みずでっぽう”を打ち続ければ、流石に回避しきれないはず。
「なるほど……ペースを上げてきたか。けど……そう上手く行くかな?」
カズマが不穏な口調でそう投げかける。サユリは思わず息を呑んだ。
カズマは自信満々なようだ。しかも、それは虚勢などではない。
「よしっエネコ! 回避しながら接近だ!」
ウデッポウの放つ“みずでっぽう”。命中精度は悪くない。そのはずなのに、そのどれもがエネコには当たらなかった。
エネコは全ての攻撃を的確に回避しているのだ。しかもただ躱すだけでなく、カズマの言う通り少しずつ接近してきている。小回りのきく小柄な体格を利用して、連続で放たれる“みずでっぽう”の隙間を上手くくぐり抜けているのか。
「そ、そんな……! これって……」
サユリは一つの状況を思い出す。それは、数日前に行った黒髪の少年とのバトル。
ウデッポウの攻撃を次々に回避し、急接近してくるピカチュウ。結局その進行を止められず、ピカチュウの攻撃を受けてしまったウデッポウ。今の状況は、あの時とまるで同じ――。
「うしっ! よくやったエネコ。そのまま“おうふくビンタ”だ」
結局進行は止められない。あの時と同じように、接近してきた相手ポケモンが反撃してくる。
どうする? このままじゃ、この前と何も変わらない。全く同じ状況で、また全く同じミスをする。それでいいのか。
(このままじゃ……ダメっ!)
何とかしなければならない。このまま“みずでっぽう”を打とうとしても、発射までの間にエネコの攻撃を受けてしまう。そもそもこんな至近距離じゃ、わざわざ“みずでっぽう”を打つ必要はない。
(“みずでっぽう”がダメなら……!)
そう、至近距離。この状況を最大限に利用できる技を使えばいい。
「“クラブハンマー”!」
エネコが“おうふくビンタ”を使おうとする。しかしその技が決まる直前に、エネコの身体にはウデッポウの大きな右鋏が叩きつけられていた。サユリの指示に瞬時に反応したウデッポウが素早く腕を引き、勢いを付けて鋏を振るったのだ。
サユリとウデッポウが始めて出会ったあの日。ペリッパーへのカウンターに使った技こそ、この“クラブハンマー”だった。その名の通り、自らの鋏をハンマーのように叩きつける技。かなりリーチが短い攻撃だが、これほどまでの至近距離ならば猛威を振るう。
「にゃんっ……!?」
「マジか……! エネコ!」
“クラブハンマー”をまともに食らい、吹っ飛ばされたエネコが宙を舞う。やがて鈍い音と共に、エネコは地面に叩きつけられた。
「やっ……やった! やったよウデッポウ!」
サユリが思わず歓声を上げる。しかしそれとは対照的に、ウデッポウは特に動じず冷静な様子。
ようやく攻撃が当たった。エネコの攻撃に対するカウンターの一撃。これは大きな進展である。それと同時に、サユリの成長の表れでもあった。あの時のようにただ同じ技を連発するのとは違う。状況に応じて、技を使い分けられるようになってきている。
「にゃ……」
「……大丈夫かエネコ?」
しかし、その程度では終わらない。フラフラとした足取りながらも、エネコは立ち上がった。
審判を見ても、まだエネコが戦闘不能だと判決をする気配はない。つまり、このバトルはまだ終わっていない。しかし、戦況は大きくウデッポウに傾いている。このまま押し切れば――。
「中々やるなぁ……。まさかあれに反応するとは……。でも、俺のエネコはまだ戦えるみたいだぜ?」
「そう、ですね……。でも……もう限界も近いはずです。このバトル、勝たせていただきます!」
今のダメージで、エネコはさっきのような動きはできなくなっている。この距離から“みずでっぽう”を放っても、素早く回避するのは難しいはずだ。ウデッポウの精密射撃なら、あと一撃でバトルを終わらせる事も可能である。
「ウデッポウ! とどめの“みずでっぽう”!」
エネコに指を向けながらも、サユリはそんな指示を飛ばす。
この攻撃を当てる事ができれば、間違いなくエネコは戦闘不能。まずは一匹、ジムリーダーのポケモンを倒す事ができる。少しずつだが、カズマを追い詰める事ができるのだ。そう思っていた。
しかし。
「……あ、あれ? ウデッポウ……?」
何も。何も、起こらない。サユリが技を指示したのにも関わらず、ウデッポウは“みずでっぽう”を発射しなかったのだ。
確かに、鋏はエネコに向けている。けれども、技を使うような気配もない。ひょっとして、サユリの指示が聞こえなかったのだろうか。
「う、ウデッポウ! 攻撃しよう! “みずでっぽう”!」
サユリがもう一度技の指示をする。流石に今回は技を打とうとする“素振り”はした。だが、それだけだ。ウデッポウは、結局“みずでっぽう”を発射しない。
いや。違う。これは、発射しない訳じゃない。発射できないのだ。なぜならウデッポウは――。
「何だ攻撃しないのか。ならこっちから行くぞ。“おんがえし”だエネコ!」
攻撃をしないウデッポウを見たカズマが、エネコに次なる技の指示を出す。“おんがえし”は、ポケモンの懐き具合によって威力が変動する技。ポケモンが懐いていれば懐いている程、その威力は高くなる。
カズマはジムリーダー。ジムリーダーだからこそ、ポケモンに対する愛情も人一倍である。つまり、ポケモンもカズマにはとても懐いていると言う訳で。あの“おんがえし”は、限りなく最高威力に近いはず。
「これを受けるのは……! ウデッポウ! 攻撃しないとやられちゃうよ!」
サユリに焦りの色が現れ始める。どうしてウデッポウが攻撃をしないのか分からないが、何にせよこのままではやられてしまう。迎撃か回避。そのいずれかをしなければ、大きなダメージを受けてしまう。
サユリの指示を無視している訳ではない。その証拠に、ウデッポウは鋏をエネコに向けたままだ。いつでも“みずでっぽう”を発射できるはずなのに、しかしなぜだがそれができない。
そして。
「ウデッポウ!」
“おんがえし”をまともに受けてしまった。ドンッと言う音と共に、今度はウデッポウが宙を舞う。その威力は凄まじく、サユリの足元付近までウデッポウは吹っ飛ばされてしまった。
「ウデッポウ! 大丈夫……?」
思わずかがみ込んでウデッポウの安否を確認するサユリ。大ダメージを受けた事は確かだが、ウデッポウはまだ戦闘不能には追い込まれてない様子。おもむろに立ち上がりつつも、軽く頭を降って意識を保とうとする。
「いったいどうしたの? 急に技を打たなくなって……」
そうだ。なぜ技を打たなかったのか。
確かに、ポケモンの技にも制限がある。同じ技を打ち続けるとやがてパワーが切れ、回復するまでその技を打てなくなってしまう。つまり、弾切れのようなものだ。
しかし、あの程度でウデッポウの技パワーが切れるとは考えにくい。それならば、何か別の理由があるはず。
「う、ウデッポウ……?」
と、その時。ウデッポウの様子が何やらおかしい事に気づく。
いつものように仏頂面を浮かべている――ように見えるのだが、どうも雰囲気が違う。例えるならば、照れ隠しをしているかのような、そんな感じ。ソワソワと落ち着きもなく、動揺しているようにも見える。
「な、なんか顔赤くない? 大丈夫? 熱でもあるんじゃ……」
「…………ッ!?」
サユリが心配をしていると、ウデッポウが唐突にブンブンと顔を横に降り始める。まるで必死に何かを誤魔化そうとしているかのような様子だ。
何をそこまで必死になっているのだろう。“クラブハンマー”を打ってから明らかに何かがおかしい。サユリに知られるとまずいことでもあるのか、それとも単に恥ずかしいから知られたくないのか。だとしても、何を今更恥ずかしがる事があるのか。
「ははーん? なるほどな」
そんなウデッポウの様子を見て、カズマは原因を理解したらしい。
未だに何も分からないサユリが疑問符を浮かべていると、カズマが何やら質問をしてきた。
「お前さんのウデッポウ……オスだろ?」
「へっ……? は、はい……。そう、ですけど……」
カズマの言う通り、サユリのウデッポウはオスだ。しかし、それが何だって言うのだろう。
「俺のエネコはメスだ。そして特性は“メロメロボディ”。つまり……分かるな?」
「えっ……どう言う事ですか?」
イマイチ理解してないサユリ。カズマも思わず肩の力が抜けてしまう。
特性の事までサユリはまだ理解していない。“メロメロボディ”と言うのがどんな特性なのか分からないが、それがウデッポウがおかしくなっている原因なのだろうか。
「“メロメロボディ”はいわゆる接触技で攻撃してきた異性ポケモンをメロメロに惚れさせちまう特性だ。さっきの“クラブハンマー”で、そのウデッポウは特性の効果を受けちまった訳だな」
「それって……つまりウデッポウは……」
「そう! 今やそいつは俺のエネコにメロメロって事だ! 攻撃を打たなかったのも技パワーが切れた訳じゃなくて、惚れた相手に銃を放つなんて事ができなかったんだな。いやぁ、まさに愛の力は偉大だな! ハッハッハ!」
天狗になるカズマ。傍から見れば、十四歳の女の子相手に得意気になる大人気ない男である。審判員も若干引き気味だ。
それにしてもメロメロとは。まさかここまでウデッポウの行動を制限するとは、まさに恐るべき状態である。元々ウデッポウは照れ屋な一面があったのだが。
「ど、どうしよう……」
どうしよう、と言ってもどうする事もできない。エネコがいる以上、ウデッポウはまともなバトルを行えない。
しかし、ウデッポウはまだバトルを続けるつもりだ。問題ないと言わんばかりに、ゆっくりと前に出る。もう一度鋏をエネコに向け、バトル続行の意思を表明した。
「お? まだやるのか。いいぜ。エネコ、“おうふくビンタ”だ!」
助走をつけてエネコが勢いよく駆け寄ってくる。今度は“おうふくビンタ”。さっき決まらなかった技だ。
「迎撃しないと……ウデッポウ!」
“みずでっぽう”を当てられれば勝てる。しかし、打てなければ話にならない。雑念を晴らし、メロメロ状態に打ち勝たなければこちらがやられてしまう。
しかし。ウデッポウは打てなかった。エネコを前にして時間が経てば経つほど、それに比例してときめきが強くなってしまう。照れ屋な性格であるゆえに、上がってしまって全く動けなくなる。
「“みずでっぽう”がダメなら、もう一度“クラブハンマー”で……!」
引き金を引けないならそれ以外の技でどうだろう。そう思って試してみたものの、結果は同じだった。
エネコの“おうふくビンタ”が決まる。その名の通り、左右の前脚を上手く使って何度もビンタを行う技。バシバシと乾いた音を立てながらも、ウデッポウはエネコの平手打ちを何度も受けてしまう。
「こっ……こんな事って……」
バシッと一際大きな音を立てて、エネコが強く平手打つ。メロメロ状態のまま何もできず、ウデッポウは意識を失いかける。
「終わりだ! エネコ、“おんがえし”!」
そして“おうふくビンタ”に続いてのダメ押しの“おんがえし”。あの至近距離では仮にメロメロ状態でなくても回避する事はできなかっただろう。
大きな音と共に、再び吹っ飛ばされたウデッポウがドサリと倒れ込む。流石に限界が訪れたらしく、そのまま意識を失ってしまった。
「ウデッポウ戦闘不能!」
「よっしゃ!」
「そんな……。やられ……ちゃった……」
遂に審判員のジャッジが下る。奮闘したウデッポウだったが、あと一歩が届かなかった。実力そのものは拮抗。しかし“メロメロボディ”と言う特性が、勝敗に大きな影響を与えた。
「ウデッポウ……」
「キュゥ……」
意識を失ったウデッポウを、サユリは静かにボールに戻す。バトルを観戦していたデンリュウも、寂しそうに声を上げていた。
「ごめん、ウデッポウ……。今はゆっくり休んで」
ウデッポウが“メロメロボディ”の効果を受けていなければ、また違った結果になったかも知れない。しかし、こればっかりはどうしようもない。エネコの特性まで把握していなかったサユリの力不足である。
「さぁて、次だ。どーんと来い!」
カズマがそう促す。しかしサユリは、視線を下に向けたまま何も言わなかった。
「キュン……」
デンリュウが心配そうに声を上げる。力及ばずウデッポウが戦闘不能。状況はあの時と似ている。また酷く落ち込んでいるじゃないか。そう思ったのか、デンリュウがサユリの顔を覗き込む。
「キュウ……?」
しかし。
「やっぱり強いね、カズマさんは。きっとポケモンの事を凄く考えてて、とっても大事に育ててるんだ。だからポケモン達もカズマさんに答えようとする。だからバトルでもあんな力を発揮できるんだ……」
サユリは笑っていた。何も追い込まれてヤケになっている訳ではない。今の彼女は、心の底からバトルを楽しんでいるのだ。
まだまだ未熟なのは分かっている。でも、このまま簡単に負ける訳にはいかない。
「デンリュウ……!」
今までのサユリならば、ここで諦めていたかも知れない。でも、今はもう簡単には折れたりしない。まだバトルは終わっていないのだから。
これもデンリュウのお陰だ。彼女がいてくれたから、サユリも前に進む事ができた。彼女がいると分かっていたから、希望を持つ事ができた。彼女の存在が、確かにサユリを支えていた。
ウデッポウが頑張ってくれたのだ。それを無駄にする訳にはいかない。デンリュウと一緒に、今度こそ勝利を掴む。
そう思い、デンリュウをバトルに参加させようとしていたのだが――。
――ポンッ!
「……えっ?」
モンスターボールの開放音。サユリの鞄の中からだ。
サユリは特にモンスターボールをイジった訳ではない。それならば、中にいたポケモンが勝手に飛び出した事になる。しかし、戦闘不能のウデッポウが勝手に飛び出すとは考えられない。となると、考えられるポケモンは。
「タツベイ……?」
サユリももう一匹の手持ちポケモン。タツベイが、自信満々な表情でバトルフィールドに降り立っていた。