10.憧憬、大空を舞う
おもむろに顔を上げると、そこには目を疑うような光景が広がっていた。
薄暗い空間。そこに浮かび上がるのは、煌びやかな小さな光。それが無数に散りばめられていて、宛ら満天の“星空”である。この洞窟の名前の由来でもあるそれは、想像以上に神秘的で魅力的だ。時間さえも忘れ去っていつまでも眺めていられるような、そんな魅力がそれにはあった。
「うわぁ……凄いなぁ……」
「キュウゥ……」
念願の絶景を遂に拝む事ができたサユリは、思わず感嘆の声を上げていた。
星空の洞窟。ミズヒキタウンに存在するその洞窟は、元々自然の力によって形作られたものだ。ミズヒキタウンに隣接する岩山に開いた小さな穴。人一人がギリギリ通れるくらいのこの穴こそ、星空の洞窟の入口なのである。
内部は然程広い訳でもなく、少し歩いただけで噂の絶景スポットに到着してしまう。その為、特別な準備も必要なく、誰でも簡単に月下光石が作り出す“星空”を見る事ができるのだ。流石に危険防止の為か、夜は侵入を禁止しているようだが。
ミズヒキタウンに到着した翌日。サユリは早速朝一で星空の洞窟を訪れる事にしていた。
折角旅を始めたのだから、一度は見ておきたい絶景。シンヤとの待ち合わせの時間まで、今はじっくりと堪能させて頂こう。
「いつまでも見ていられるね……」
目をキラキラさせながらも、サユリはその“星空”を眺める。デンリュウもまた口を半開きにしながらも、その光景に見入っていた。
月下光石が存在する場所はリョウラン地方には幾つかあるものの、ここまで綺麗な星空に見えるような場所はどこを探してもここしかない。様々な条件が偶然に一致して、たまたま生まれた奇跡の産物。リョウラン地方に残された、自然遺産の一つだった。
「……キュン?」
と、その時。ずっと“星空”を眺めていたデンリュウが、突然そんな鳴き声を上げた。困ったような表情で首を傾かせ、やがて辺りをキョロキョロと見渡し始める。
そんなデンリュウの様子に気づいたサユリが、心配そうに声をかけた。
「デンリュウ? どうしたの?」
「キュゥキュン!」
鳴き声を上げながらも、デンリュウはどこかを指差している。その方向へ目を向けると、そこにあるのは大きな岩。しかし、特段変わった所はないように見える。こんな洞窟の中ならば、どこにでも転がってそうな岩。そんな物珍しそうな反応を見せるような物ではない。
「……岩? あの岩がどうしたの?」
「キュ……キュン!」
「えっ……違うの?」
ブンブンと首を横に振るデンリュウを見て、サユリは困惑してきた。
あの岩の近くで、何かを見つけたのだろうか。しかしまじまじと見てみても、その岩以外は何も見当たらない。近づいて周囲を調べてみたりもしたが、結果は同じだった。
「う〜ん……何もないよ? 見間違いだったんじゃない?」
「キュゥ……」
しょんぼりとするデンリュウ。確かに見えたのに、とでも言いたげな表情だ。
一体、デンリュウは何を見つけたのだろうか。しかし、今となってはもう遅い。いくら周囲を見渡したって、デンリュウが見つけたのであろう何かの姿はまるで目に入らなかった。
「ご、ごめんね、デンリュウ……」
「キュン……」
デンリュウは未だにしょんぼりしている。そんなに見失ってしまったのが悲しかったのか、それともサユリに信じて貰えなかったとでも思ってしまったのか。サユリはデンリュウの頭を撫でつつも、何とか励まそうとしていた。
そう。この時のサユリはまだ、デンリュウが見つけたとある存在に気づく事はできなかった。
―――――
「おーい! サユリ!」
星空の洞窟をじっくりと堪能した後。サユリ達はシンヤとの約束の場所を訪れていた。
星空の洞窟から外に出て、岩山に沿って歩くこと数分。周囲を岩や木に囲まれた広場のような場所に辿りつく。バトルフィールドがあるような公園はミズヒキタウンにはないが、代わりにこういった広場がいくつか存在するらしい。バトルの練習をするのには、打って付けの場所だった。
そんな広場に到着すると、真っ先にサユリの姿を見つけたシンヤが声をかけてくれた。彼のルリリも横でぴょんぴょん飛び跳ねて、サユリ達を迎えてくれる。それに答えようと、サユリとデンリュウは揃って手を振った。
「シンヤくん! お待たせ!」
会釈をしながらも、サユリはそう声をかける。デンリュウもルリリと何やら挨拶を交わしているようだった。
「星空の洞窟、どうだった?」
「思ってたよりずっと凄かったよ! 来てよかったぁ……」
「ふふふ……それは良かった」
まるで自分の事のようにシンヤは胸を張る。自分の出身地を代表とする観光スポットにご満悦してくれたのだから、ついつい鼻が高くなってしまったのだろう。大人しそうに見えて、シンヤは意外とお調子者である。
「さて。早速始めようか、技の練習」
「うんっ! よろしくお願いします」
挨拶もそこそこに、二人はデンリュウの技の練習を開始する事にした。
練習、と言っても何も本格的なバトルをする訳ではない。そもそもデンリュウがまともな技を使えない以上、ルリリとバトルしてもグダる結果になるのは目に見えている。まずは、技を打てるようになる事。それを最優先すべきだった。
「えーっと。サユリが言うには、制御できなかったとは言えデンリュウは一度電撃を纏ってたんだよね? それなら、デンリュウは平均的な電気量は持っているはずだと思うんだけどなぁ……」
「電気は持っているけど上手く扱えない、って事……?」
サユリはデンリュウの方へと目を向ける。何やら困ったような表情を浮かべたデンリュウだったが、すぐさま取り繕ったような笑顔を見せる。サユリを心配させまいと、そう思って作った笑顔。デンリュウだって、自分で分かっているのだろう。できるはずの事ができていないのだ、と。
「多分、無理に強い技を出そうとしちゃったから、制御できずに暴走しちゃったんじゃないかな? だとすれば、もっと簡単な技なら使えるかもしれない」
「もっと……簡単な技?」
サユリは首を傾げる。もっと簡単な技だなんて、そんな発想は今まで全く無かったのだ。
「そう。簡単な技、つまり初歩的な技だね。やっぱりそう言った技の方が、ちょっとの練習ですぐに出せるようになると思うし……」
「な、なるほど……」
「そう言う事。それじゃ……えっと。でんきタイプの初歩的な技と言えば……“でんきショック”とかかな……」
そう言うとシンヤは、左腕につけていたライブキャスターを操作し始める。手早く何らかの機能を開くと、そのディスプレイをサユリ達に見せてきた。
ディスプレイに映っていたのは、一匹のピカチュウだった。バチバチと頬を帯電させ、今にも電気が溢れてきそうである。と、そう思っていると、一瞬だけピカチュウが強く発光した。その直後、細く弱めの電撃がピカチュウから放たれ、バチッという音と共に地面に小さな焦げを作る。
これは、つい最近ライブキャスターに備わった動画再生機能である。文字通り動画が再生できるのだが、それはネット上に転がっている動画であってもほとんど例外なく見る事ができる。シンヤはその機能を利用したのだ。
「キュウ?」
「これが“でんきショック”……?」
「そう。この動画に映っているのはピカチュウだけど、多分デンリュウにも使えるはずだよ。試してみようよ」
ライブキャスターを覗き込んでいたデンリュウが首を傾げていたが、シンヤとサユリのやり取りを見て何となく状況を理解したようだ。コクンと小さく頷くと、数歩下がってサユリ達から距離を取る。十分に距離を取り、やがて小さな岩の前で立ち止まった。
「よーし……デンリュウ! “でんきショック”!」
「キュゥ……!」
小さな岩を的として選んだデンリュウが、サユリの掛け声と共にグッと身体全体に力を込め始めた。唸り声にも似た鳴き声を上げながらも、息を止めて思い切り踏ん張る。そのせいか顔も赤くなり、やがて苦しそうに表情を歪ませた。
「で、デンリュウ……大丈夫? そんなに無理しなくても……!」
「キュウっ!」
心配になってきたサユリが声をかけるが、当の本人は大丈夫だと鳴き声を上げる。無理矢理にも余裕そうに破顔しようとしているようだが、強がっているのはバレバレだった。
サユリの脳裏に、数日前のあの光景がフラッシュバックする。あの少年のピカチュウとのバトル。無理をしたデンリュウは自らの電気を制御できずに暴走。ピカチュウに止められるまで、電撃を放ち続けた。
もしかしたら、また今回も制御できずに暴走してしまうのではないか。もし暴走してしまったら、今度こそ――。そう思えば思うほど、サユリは怖くなってきた。本当にこれ以上、デンリュウにこんな事を続けさせていいのか。そう不安になってきた。
「デンリュウ……! やっぱり、無理は……!」
「キュ……キュウ!」
「デンリュウ……?」
サユリがいくら呼びかけようと、デンリュウは止めようとしなかった。
デンリュウは変わろうとしている。弱い自分から、もっと強い自分へ。前に進もうとしている。パートナーであるサユリの力になりたい。そんな強い思いを胸に、デンリュウは足掻いていた。
「サユリ。デンリュウだって頑張ってるんだ。だからトレーナーであるサユリが簡単に諦めちゃダメだよ」
「……うん。そう、だったね……。わたしの悪い癖で……ごめん……」
ぶんぶんと頭を振って、余計な心配を払拭する。
失敗するかもなんて、今はそんな事は考えない。ちょっと失敗したとしても、何度でもやり直せばいい。何度でもやり直して、何度でも足掻いて、変わってみせるんだ。
デンリュウは見よう見まねで技を発動させようとする。歯を食いしばり、両足で地を踏みしめて、自分の奥底に眠る電気エネルギーを解放しようとしている。
と、その時だった。
「キュウ!」
バチッ――。
一際大きな鳴き声と共に響いたのは、聞き覚えのある音。そう、電気が弾けるような音だ。さっきの動画のピカチュウと比べるとかなり小さな音であったが、間違いない。
今のは紛れもなく、でんきタイプポケモンの象徴だった。
「サユリ! 今のって……!」
「キュ……キュウ……?」
「やっ……やったね、デンリュウ! 今のはでんきタイプの技だよ!」
サユリは嬉々としてデンリュウに駆け寄る。自分でも何が起きたか分からないような表情を浮かべていたデンリュウだったが、サユリの顔を見てジワジワと実感してくきたらしい。表情も綻び始め、湧き上がる感情を抑えきれずにプルプルと震え始める。やがて満面の笑みを浮かべると、嬉しそうに鳴き声を一つ上げた。
技、と呼べるかはかなり微妙な所だ。しかし、今までまともに電気を制御できなかったデンリュウにとって、これは大きな一歩。しかも初の“でんきショック”の挑戦でこれだ。このままの調子で行けば、普通のでんきポケモンのように技を扱えるようになれる時も近いかも知れない。
「凄い! 一発で電気を出せるなんて! この調子で頑張ろう、二人とも!」
「るりっ! るぅり!」
電気を出せたデンリュウの様子を見て、シンヤのテンションも上がる。彼のルリリもピョンピョンと飛び跳ねて、デンリュウの成功を祝福してくれているようだった。
そんなシンヤ達に対し、サユリは手を振ってそれに答える。それに習って、デンリュウも鳴き声を上げつつも手を振っていた。
「よしっ! どんどん練習しよ、デンリュウ!」
「キュン!」
行ける。この調子なら、絶対にできるようになる。デンリュウにだって、力はあるんだ。
サユリはもう一度デンリュウと距離を取る。そして再び、“でんきショック”の発動を指示する。その指示どうりにデンリュウは“でんきショック”を打とうとするのだが、さっきと同じ方法じゃ要領が悪いだろう。もっとスムーズに電気エネルギーを集中させ、技を打てるようにしなければ。
電撃を放つ感覚は多少掴めている。あとは、少し調整するだけ。
デンリュウはまた力を込める。身体の中に眠る電気エネルギーを解放し、それを体外に向けて放つ。きっとさっきよりもスムーズにできるはず。
心無しかさっきよりも力強い雰囲気で、デンリュウは電気エネルギーを引っ張りだそうとする。引っ張り出そうとしていたのだが。
「キュゥゥ……キュウッ!?」
「……へっ?」
ガンッと、そんな鈍い音を立ててデンリュウの頭部に何かが直撃した。技の発動に集中していた為、デンリュウにとって全くの不意打ち。当然集中力は途切れ、あの音のように鈍い痛みに襲われてかがみ込んでしまう。弱々しく鳴き声を上げながらも、痛みの所為かデンリュウは涙を浮かべていた。
「キュゥ……」
「で、デンリュウ!? 大丈夫!?」
「な、なんだぁ? 上から何か落ちてきたような……」
涙目でかがみ込むデンリュウ。サユリが駆け寄るそのポケモンの足元には、かなり小さなが一つ無造作に転がっている。成程、あの岩が上から落ちてきたと言う事か。
しかし、なぜ突然こんな岩が落ちてきたのだろうか。前日に雨でも降って地盤が緩くなっていた訳でも、急に突風が吹いた訳でもない。となると、考えられる理由は絞られる。
「あっ……!」
サユリがおもむろに顔を上げる。岩山の上、頂上付近に一匹のポケモンの姿が確認できた。
青い身体は目測でも一メートルに満たない程小さいが、口元には鋭い牙が見受けられる。目つきもそこそこ鋭い方で、纏う雰囲気もあまり穏便なものではない。
サユリにとって、初めて見るポケモン。あのポケモンが岩を落としたのであると考えてほぼ間違いないだろう。しかし、あの様子。悪気があって落とした訳ではなさそうだ。あの場所に立つ際に、足か何かが当たって偶然崩れてしまった、という事なのだろう。
だが、あのポケモンはあんな所で一体何をしようとしているのだろうか。一歩間違えば、あの高さから転落して地面に叩きつけられてしまうだろうに。いくらポケモンと言えども、あの高さから落ちてしまったら危険なのではないのか。
「な、何してるんだろあの子……?」
「キュウ……?」
そのポケモンを見上げながらも、サユリは素朴な疑問を口にする。この距離ではポケモン図鑑も認識してくれない為、あそこにいるのはどういったポケモンなのかはよく分からない。なぜあんな場所にいるのか、これから何をしようとしているのか。サユリには想像できなかった。
「あのポケモンって……まさか……!」
しかし、トレーナーの兄を持つシンヤにはサユリよりも多くの知識がある。だからあのポケモンの事も、何となく心当たりがある。
もしあのポケモンが自分の想像通りだったとして、今あそこにいるのだとすれば。これからどんな事が起きるのか、想像は容易だった。
「サユリ、デンリュウ! そこから離れた方がいいかも……!」
「へ? 離れるって……」
そうシンヤが忠告したその時。そのポケモンは――飛んだ。
サユリは自分の目を疑った。あの高さから、まるで臆することなく大きくジャンプ。ひょっとして飛翔する為の翼か何かでもあるのかと思ったが、いくら探してもそんなものは見当たらない。ただ小さな腕をばたつかせているだけであり、当然その程度では飛べる訳がない。重力に引っ張られ、あっと言う間に落下して。
「うっ……うわっ!」
ズゥンと凄い音を立てて、地面に激突した。その衝撃はかなりのもので、大量の砂埃も舞い上がる。目に砂が入りそうになって、サユリは思わず顔を背けた。
「う、嘘っ……!? 今のって……!」
突然の出来事に、サユリは動揺を隠しきれない。
落ちた、と言うより飛び降りた。あの高さから、何の躊躇もなくだ。ポケモンがいきなりあんな事をするなんて、考えられない。一体、何があったのか。何がしたかったのだろうか。しかしいずれにせよ、これじゃあのポケモンは――。
「二人とも! 大丈夫だった?」
「し、シンヤくん! い、いい今見た!? ポケモンが……ポケモンが落ちて……!」
「キュウキュウ!」
「お、落ち着いて……。確かに落ちてきたけど……」
砂埃が晴れてくると、そのポケモンの姿が浮かび上がってきた。
俯せに倒れており、そのままピクリとも動かない。その周囲の地面もめり込んでおり、その衝撃の強さを物語っていた。
サユリは背筋がゾッとした。そのポケモンの姿を見ると、言葉を失って何も言えなくなる。胸が痛くなるほど心臓の鼓動が高鳴り、冷や汗も溢れ出てきた。
だが、対するシンヤはと言うと。
「多分、大丈夫だよ。あの子はいしあたまポケモン、タツベイ」
「だ、大丈夫って……! えっ? いしあたま……?」
「そう。確か、空を飛ぶことに憧れてるポケモンで、普段からあんな風に空を飛ぼうと挑戦しているみたいなんだ。そのお陰で岩をも砕くくらいに強靭な石頭に鍛えられているから、この程度の衝撃じゃ全然問題ないんだよ。寧ろ、多分慣れちゃってるんじゃないかな?」
「タツベイ? 慣れている?」
タツベイ。そう言えば、そんな名前のポケモンを前に聞いた事がある。空を飛ぶことに憧れた、ドラゴンタイプのポケモン。リョウラン地方にも生息しているものの、その個体数が少ない為にかなり珍しいポケモンだと言われていたはずだ。そんなポケモンが、まさかここで見られるとは。
大空を飛ぶことに憧れて、何度も崖から飛び降りている内に頑丈な石頭を手に入れた。図鑑の説明ではそうなっており、実際にタツベイはこうして高い所から飛び降りたり、岩に頭突きをしたりしている内に自らの頭が鍛えられてゆくのだと言う。しかしどの個体も空を飛ぶ事に挑戦しているだけであり、別に意識して頭の硬さを鍛えようとしている訳ではない。気がついたら硬くなっている、と言った方が正しいか。
つまりタツベイは、他のポケモンと比べても非常に強固な石頭を持っているというわけだ。これならば、あの高さから飛び降りても衝撃は強いだろうが身体に大した影響はないのだろう。サユリがここまで慌てふためく必要はなかった訳だ。
「そ、そうなんだ……」
「うん。でもタツベイなんてかなり珍しいポケモンだよ。一応、星空の洞窟周囲に生息は確認されてたみたいだけど、かなり個体数は少ないみたいだからさ。僕も滅多に見た事なかったよ」
ミズヒキタウンに住むシンヤでも、殆んど見る機会が無かったポケモン。旅の途中で訪れただけのサユリが見られるなんて、かなり運が良いのではないだろうか。
サユリはもう一度タツベイの方へと目をやる。タツベイはさっきから俯せに倒れたまま、まるで動こうとしない。鳴き声すらも上げない。
あれ? 何だか、少し嫌な予感が。
「え……と、シンヤくん? ホントに大丈夫なんだよね?」
「う、うん……。そのはず……なんだけど……あれ……?」
流石のシンヤも冷や汗が流れる。本当に大丈夫なら、すぐに立ち上がてまた挑戦しようとするのではないだろうか。それなのに、タツベイは立ち上がらない。それ以前に、全く動かない。心配になってきた。
「ちょっと様子を見てくる!」
動かないタツベイを見て、サユリは居ても立ってもいられなくなる。慌てて駆け寄って、倒れているタツベイを揺さぶってみた。
「た、タツベイ? 大丈夫?」
ゴロンと、俯せに倒れていたタツベイを仰向けにする。何の抵抗もなく仰向けになったタツベイは、完全に目を回していた。あの衝撃に耐えられず、意識を失ってしまったのだろうか。しかし息はちゃんとしており、出血等の怪我をしている訳ではなさそう。取り敢えず、少しだけ安心した。
「で、でも……全然目を覚まさないけど……」
「キュ……キュウ! キュン!」
「……デンリュウ? どうしたの?」
そんなタツベイの姿を見た途端、何かに気づいたのかデンリュウがジェスチャーを交えてサユリに呼びかけてくる。全身を使って何かを表しているようだが、パッと見ただけでは何を伝えたいのかよく分からない。
しかし、流石にこう何度もデンリュウのジェスチャーを見ていると、何となく言いたい事は想像できる。
「あっ! ひょっとして、さっき星空の洞窟で……!」
「キュウ!」
ポンっと手を叩きつつもサユリがそう言うと、デンリュウの表情がパァっと明るくなった。どうやら正解らしい。さっき星空の洞窟でデンリュウが騒いでいたのは、このポケモンを見つけたからなのであろう。
「サユリ! デンリュウ、何だって?」
「えっ……と。多分、さっきわたし達が星空の洞窟に行った時、この子を見たみたいなの。わたしは気づかなかったんだけど……」
「なるほど……。洞窟の中に、この岩山の上の方まで行ける抜け道か何かでもあるのか……。だからタツベイはあんな高い所まで登れた訳だ」
うんうんと頷いて、シンヤは一人納得していた。
この辺の地形はサユリにはよく分からないが、どうやら外からあの高さまでよじ登るのはかなり難しい事らしい。しかし中に抜け道があるとなれば話は別だ。その抜け道を上手く利用して、タツベイはあの場所まで辿り着いたのだろう。
しかし、今はそんな事をじっくり考えている場合ではない。
「それよりもシンヤくん! 大変なんだよ! この子、全然目を覚まさなくて……」
「う、うん……。タツベイだから心配ないかと思ったんだけど、まさか打ちどころか悪かった、とか……」
縁起でもない。サユリは露骨にゾッとした表情を浮かべた。
「い、いや! でも、ほらっ! きっとポケモンセンターに連れて行けば直ぐに良くなるよ! サユリも知ってるでしょ? あそこの設備は万全なんだから!」
サユリの表情を見たシンヤが、慌てた様子でそう言う。もっと気をつけて言葉を選ぶべきだったか。
兎にも角にも、今はタツベイをポケモンセンターに連れてゆくべきだろう。万が一があっては大変だ。ここからポケモンセンターとなると少し遠いが、そんな事を気にしている場合ではない。
サユリがタツベイを抱きかかえようとする。だが、その時。
「おーい、何かあったのかー?」
そんな声が聞こえてきて反射的に振り向くと、そこに居たのは一人の男性。
白衣を着た男性で、身長は割と高い。歳は二十代後半くらいだろうか。顎鬚の所為で少し老けて見える為、正確な年齢はよく分からない。やや猫背気味の男性であり、彼が纏うその雰囲気はどこか抜けているような印象を受けた。
白衣を着ている、と言う事は何かの研究者か、それとも医者だろうか。よく分からないが、悪い人ではなさそうだ。あくまで雰囲気で判断しただけだが。
「あ、カズマさん! ちょうど良い所に!」
その男性を見た途端にシンヤがそう声を上げる。知り合い、なのだろうか。疑問に思ったサユリが、シンヤに尋ねてみる。
「あの……シンヤくん? この人、知り合い?」
「まぁ、ちょっとね。この人はカズマさん。ポケモンドクターなんだ」
「ポケモンドクターって……お医者さん!?」
サユリは思わず声を上げてしまった。目の前にいるカズマと言う男性が、ポケモンドクターとは思えなかったからだ。服装こそ白衣姿だが、どうも雰囲気が問題だ。悪く言えば少しだらしないと言うか、頼りない。
「おいおい嬢ちゃん。その反応は少し酷くないかい?」
「へっ……あ、ごめんなさい……」
「あっ。ひょっとして頼りなさそうって思ったか? ダメだぞー、人を見かけとか雰囲気で判断しちゃ。俺はこう見えてれっきとしたポケモンドクターなんだからな」
見かけはともかく雰囲気は判断材料になるのではないか、とサユリは密かに思った。
「それで? デカイ音が聞こえたと思って来てみれば……」
そう言いながらも、カズマは倒れているタツベイの方へと目をやる。それだけで状況を理解したらしく、「成程な……」と小さく頷いていた。
タツベイのもとへと歩み寄ると、カズマはおもむろに片膝でしゃがみ込む。そしてタツベイの頭部を手探りしながらも、何やら確認し始めた。
「このタツベイ……嬢ちゃんのポケモンか?」
「い、いえっ。多分、野生のポケモンで……その……」
「となるとやっぱりそう言う事か……。この時期だとたまにいるんだよなー」
サユリはおどおどしていたが、カズマにはその程度の説明で十分だったらしい。何やら少し考え込んだ後、何かを確信したかのように小さく一つ頷いた。
「頭殻が未成熟の個体か。まったく無茶しやがって……。よしっ、ここは俺に任せておけ」
「へっ? 任せておけって……」
思わずサユリは聞き返してしまう。ポケモンドクターなのだと言う事は分かるのだか、如何せんどうも頼りない気がする。緊張感が足りないと言うか何と言うか。
流石のカズマも、そんな様子のサユリを見て言葉を失い気味である。
「心配いらないよサユリ。カズマさんは腕利きのポケモンドクターだからさ。僕が保証する」
「おー! ナイスフォローだぜシンヤ!」
グッとシンヤに向けて親指を立てるカズマ。これにはシンヤも苦笑いである。
しかし、やはり初めて会ったばかりの人を第一印象だけで判断してしまうのも野暮だろう。それこそカズマ自身の言う通り、人は見かけによらない事だって多々あるのだ。
そうだ。今は少しでも早く、タツベイの手当てをするべきだ。それをポケモンドクターが何とかしてくれると言うのであれば、これ以上の事はないのではないか。
今はこのカズマと言うポケモンドクターに、タツベイを任せてみる事にした。