ポケットモンスター デスティニー 〜憎しみを砕く絆〜 - 第7章:彼が得たかったもの
7‐1:思案


 その街は、ホウエン地方本島の最東部に存在した。
 陸地の最果て海の始まりなどと言われているだけあって、街の東部から南部にかけて広く海に面している。客船を受け入れる停泊所も存在しており、ここから海を渡って他地方へと旅立つ事も可能だ。ホウエン地方の、海の玄関とも言えるだろう。そんな街の奥へと足を踏み入れると、次第に潮の香りが鼻をつつき始めた。懐かしい香りだ。
 街全体はかなりの大きさ。それどころか、ホウエン地方の中でも一、二位を争う程に広い面積を持っているらしい。ポケモンセンターは勿論、大きなデパートや博物館、更にはポケモンコンテストの会場まで。ポケモンジムこそないが、数多くの施設が建ち並ぶその街はキンセツシティやカナズミシティとはまた違った都会とも呼べるだろう。

 その街の名前は、ミナモシティ。
 つい先日、この街はくろがねポケモン『レジスチル』の襲撃を受けた。代わり映えのない日常を過ごしていた住民達の前に突如として現れた、非日常。そのポケモンは見境なく暴れまわり、無差別に攻撃を繰り返したという。幸い、そこに居合わせた何人かのトレーナーの手によってレジスチルは撃退され、怪我人が出る前に事態は沈静化された。とは言っても、被害は小さくない。元々ポケモンバトルを想定していない街中で、あんなに激しい攻防戦が行われたのだから、無理もない。巻き込まれ、倒壊した建物もあった。

 しかし。今はどうだろう。壊れた建物の再建も進み、次第に元の姿を取り戻していく。街は既に落ち着きを取り戻しつつあった。レジスチルの襲撃がいくら非日常とは言え、所詮は束の間の出来事。時間が経緯すれば、街はまた元の日常に姿を戻す。
 静かだ。まるで、レジスチルの襲撃を受けたのが嘘であるかのように。平穏だった。

「…………」

 慣れ親しんだ平穏を取り戻しつつある街中。タクヤは一人、とあるアパートの一室の前で立ち竦んでいた。
 どこにでもある、ごくありふれたアパートだ。建築されてからそこそこの年月が経っているらしいが、外観はまだまだ綺麗なまま。そんな外観に負けず劣らず中も殆んど古びておらず、普通に生活するには十分すぎるくらいだ。きっとこのアパートのオーナーは、日々こまめな管理を心がけているのだろう。ありがたい限りだった。

 そんなアパートの一階部分に、タクヤは一人。厳密に言えばエルバ達もいるが、彼らはボールの中に入って貰っている。ボール越しからでも会話はできるものの、今は何も言わずにただタクヤを見守ってくれていた。理解しているから、気を遣ってくれている。
 そんな彼らの気遣いに感謝しつつも、タクヤは深呼吸を一つする。気持ちを落ち着かせてから、ドアノブへと手を伸ばした。ガチャリと、扉を開ける。

「……ただいま」

 自宅に帰ってきただけなのに、胸中にずっしりと伸し掛るものがある。それに伴い身体も重くなってきたような気がして、一歩前に出るだけでもひと苦労だった。
 いや、別に自宅に帰るのが憂鬱であったと言う訳ではない。ただ、どんな顔をして帰るべきなのか、分からなかったのだ。ここ数日間留守にしてしまっただけあって、申し訳ない気持ちでいっぱいだったから。家に着くなり、罪悪感は自然と募ってくる。だから、家の前で立ち竦む事になってしまった。

 玄関へと足を踏み入れ、静かに扉を閉める。すると、部屋の奥の方から何やら物音が聞こえてきた。大方、タクヤの声を聞いて慌てて飛び出したのだろう。この物音を聞いただけでも分かる。バタバタと耳に残る騒がしさだけれども、どこか心が安らぐような、ホッとするような。引きつっていた表情も、自然と綻んできた。

「おかえりなさい! タクヤ兄ちゃん!」

 物音と共に現れたのは、一人の少女だった。
 タクヤと同じ黒髪。小柄な体格。その体格に見合った、幼さを多く残す容貌。タクヤを見上げるその表情には、太陽のように眩しい笑顔を浮かべていた。
 そう。その少女はタクヤを見上げている。それは何も彼女の身長が低いから、という理由だけではない。
 その少女は、自らの足で身体を支えられていなかった。二つの脚は力なくぶら下がっただけであり、それを使って地を踏みしめ、歩く事はできそうにない。だからそれを補う為に、二つの車輪の着いた椅子――車椅子に腰掛けていた。

 ただでさえタクヤと体格差があるのに、車椅子に腰掛けて視線が更に低くなっているから。こうして話をする時は、その少女はタクヤを見上げるしかない。タクヤもまた、その少女を見下ろすしかない。

「もー、タクヤ兄ちゃん。ちょっとくらい連絡してくれれば良かったのに。家を出てから電話の一つもくれないで……。そんなにお仕事が忙しかったの?」

 車椅子の少女は少しばかりムッとした表情を浮かべていたが、けれどもすぐに笑顔になった。連絡を寄越さなかった事に対する不満感よりも、タクヤと再会できた喜びの方が優ったのだろう。
 幼気な少女の、無垢な笑顔。車椅子なしでは移動できないという、そんな特殊な状態であるとは思えないほど、少女の表情は明るかった。自分の身体の事は、自分が一番良く理解しているはずなのに。それでも彼女は絶望に打ち拉がれる事もなく、こうして笑顔を浮かべる事ができる。
 強い子だった。

「……ごめんな。今度からちゃんと連絡するから」
「そうそう。タクヤ兄ちゃんも知ってるでしょ? 私の車椅子さばき! 電話の受話器を取るなんて訳ないんだから!」

 えっへんと胸を張る少女。その仕草を見て、タクヤは思わず莞爾として笑う。
 確かに。彼女は車椅子でありながら、一人でなんでも熟そうとしていた。自分の身の回りの事は勿論、果ては家事までも。危ないから無理するなとタクヤが言っても聞かないのだから、最近は半ば諦めかけている。お陰で車椅子の運転にもだいぶ慣れたらしく、随分と激しい動きもできるようになったようだ。ある意味、タクヤよりも逞しいかも知れない。

「じゃあさ、約束しようよ!」

 そう言うと少女は、タクヤに向け手を伸ばし、小指を立ててくる。所謂、指切りというやつだ。それをせがんできている。
 きっと彼女は寂しい思いをしていたのだろう。だからこそ、こうして指切りをしようと提案してきた。タクヤが家を留守にして、声すらもずっと聞けてなくて。色々と立て込んでいたとは言え、電話もかけなかったのはやはり失敗だったか。
 そんな寂しい思いをさせたとなれば、約束しない訳にはいかない。

「あぁ。約束だ、ユリカ」

 ユリカ。妹の名を口にしつつも、タクヤは差し出された小指に自分の小指を絡み合わせる。
 そうだ。もう、これ以上ユリカに留守番を任せ続ける訳にはいかない。しかしユリカは自分の足では歩けなくて、だから車椅子を使うしかなくて。本人は自分の車椅子さばきに自信があるようだが、それでも限界はある。精々ミナモシティの中くらいまでしか、移動する事ができない。

 だからタクヤは、心に決めていた。いつか必ず、彼女を自分の足で立てるようにしてやりたい。車椅子を使わなくたって、動き回れるようにしてやりたい。
 そうなれば。ユリカだって、きっと――。



―――――



 オダマキ博士はフィールドワークを好んで行う。元々考えるよりも身体が先に動いてしまう性分故、ただジッと研究を行うよりもこんな風に自ら足を運ぶ方が性に合っていると、自分でも思う。先に断っておくが、何も研究所で静かに研究をするのが嫌いと言う訳ではない。必要ならばそうしているし、研究が煮詰まってくればそのまま引き籠って没頭していまう事もある。しかし、ふと思い立ったら直ぐに飛び出して行ってしまうのは、良くも悪くも彼の癖か。今回もまた、例に溺れず突発的にフィールドワークに乗り出したのだった。

「うーん……。でもちょっと……」

 けれども今回だけは、少なからず自分の行動を悔い改めている。
 確かに、自分はいつもやや研究にのめり込み過ぎであるという事は自覚していた。一度研究を始めてしまうと、周りが見えなくなってしまいがちになるし、一心不乱に無我夢中で推し進めてしまう。その為、例えば自宅に帰らない事もザラである。それでも、オダマキ博士の家族達は、そんな彼を受け入れてくれている。彼をよく理解しているからこそ、真摯に受け止めてくれる。だからこそ、オダマキ博士は妻と娘に感謝しながらも、『ポケモン博士』として研究を続けられるのだ。

 しかし、今回はどうだろう。いくら受け入れてくれているとは言え、流石にやり過ぎではないか。

「フィールドワークで数日留守にしちゃうのは流石に……」

 研究所ならまだしも、フィールドワークで数日だ。自宅だけでなく、自らの研究所まですっぽかして没入してしまうとは。これでは家族だけではなく、他の研究者達にも多大な迷惑が――。

「……早く戻ろう。うん」

 自分でもどうかしていたと思う。まるで何かに取り憑かれていたような――などと言ってしまうのは大袈裟すぎるか。だが、実際それくらいのレベルだった。
 早く戻ろうともう一度頭の中で復唱した後、オダマキ博士は帰路を急ぐ。兎に角、一度研究所にも顔を出すべきだ。いつものようにフィールドワークに出たつもりが、気がついたら数日経過していた。さて、どう言い訳すべきだろうか。ついうっかりしていた――いや、ダメだろう。ついうっかり数日間も研究所を留守にするなど、一体どういう状況だ。それなら、何かに取り憑かれて――もっとダメだ。研究者でありながら、そんな非科学的な妄言をするなど言語道断。と言うか、ここまで来ると何を言っても納得してくれないような気もするが。
 あれ? ひょっとして積んでる?

「むぅ……」

 そんな事を考えていると、気がついたら既にミシロタウンまで帰ってきていた。あと数分歩けば、もう研究所は目の前だろう。
 仕方ない。無駄な抵抗は諦めて素直に謝ろう。そもそも完全に自分が悪いのだし。

 オダマキ博士の心が決まり、研究所へ向かう足を更に速めようとした、その時。

「オダマキ博士」

 ふと、唐突に声をかけられた。
 はて。聞き覚えのある声だ。以前にも、どこかで聞いた事のある。それも一度や二度などではなく、かなり頻繁にだ。刻み込まれたかのように記憶に残っている感じから、この声の主は自分も良く知る人物なのだと推測できる。耳に馴染んだ、懐かしい声。
 そこまで考えて、オダマキ博士は一人の少年を思い出す。そうだ、この声の主。それは、間違いなく――。

「……ユウキ君?」

 七年前。ここミシロタウンからポケモントレーナーとして旅立ち、後にチャンピオンにまで登りつめた少年。あの頃と比べると一瞬だけ見違える程に成長した彼が、そこにいた。



―――――



『キミ……ハルカって人、知ってる……?』

 青いローブを身に纏った少女、ミサキ。ムロタウンで彼女に言われたその言葉を、ユウキは思い出していた。

 あの戦いの後、ユウキは直ぐにミツル達の所へと向かっていた。少しの間だけ眠って貰ったなどとミサキは言っていたが、そんな言葉をそっくりそのまま鵜呑みにできる程ユウキは単純じゃない。眠って貰った? そんな穏便な表現で事足りるような手段を奴らが用いる訳がない。強行、横暴、略奪――。きっとそのような表現の方が正しい。
 実際、ミツル達はポケモンセンターから少し離れた場所に倒れていた。当然そこにラティオスの姿はなく、ミサキの言っていた通り既に回収された後だったようだ。

 まるで奴らの掌の上で踊らされていたかのような状況にユウキは強い悔しさを感じたが、ここで感情的になる訳にはいかない。まずは倒れているミツルとトウキの状態を確認するのが先決だろう。
 幸いにも、二人はそれほど大きな怪我はしていなかった。多少の傷跡は見受けられたものの、命に関わるような傷は見当たらない。トウキに関しては、ユウキが少し声をかけただけで意識を取り戻す程だ。

 どうやら、あのミサキという少女は本当に手を抜いていたようだ。確か、命令にはないから始末はしてないなどと言っていたが。狂気じみているように見えて、意外と上司の命令には忠実なのだろうか。
 何にせよ、ミツル達の無事が確認出来て一安心だ。だが、もしミサキに「始末しろ」などと言った命令が下っていたら、今頃どうなっていたか。今回ばかりは、運に助けられた。

 けれどもホッとしたのも束の間、ユウキはミサキに言われた言葉が気になり始める。
 ハルカ。確かに彼女はその名を口にした。ユウキの友人の一人で、ミシロタウン出身のポケモントレーナー。彼女に間違いない。しかし、なぜミサキがハルカの名を口にしたのか。
 あの時のミサキの口振りから、推測できる可能性。それはハルカが奴らに捕らわれている、または何らかの弱みを握られていると言う事だ。そうでなくとも、ハルカは何らかの形でローブ達の誰かと関わりを持っていると考えて間違いないだろう。

 そうなると、ラティオスの奪還の他にハルカの安否の確認も必要となってくる。仮に誘拐でもされているのだとすれば、ラティオスと一緒にすぐにでも助け出さなければならない。

 そこでユウキは、ハルカの今の状況を確認する度に、こうしてミシロタウンに足を運んだのである。

「オダマキ博士」

 見知った後ろ姿を見つけたユウキは、表面上は冷静さを保ちつつも声をかける。
 丈の長い白衣を羽織り、オリーブ色の短パンとサンダルを身に付けた男性。ミシロタウンの町中でこんな格好をしているのは、ユウキの知る限り彼しかいない。あの頃と殆んど変わっていない、懐かしい姿。ホウエン地方を代表する、『ポケモン博士』。

「……ユウキ君?」

 オダマキ博士は、懐かしさと疑念を含む口調で確認しつつも振り向いた。
 まさかユウキがここにいるなど、思ってもみなかったのだろう。無理もない。ユウキは長期に渡り他地方に旅立っていた身。最後にホウエン地方に帰って来たのは、もうどれほど前になるだろうか。

「お久しぶりです」

 ユウキがそう声をかける間も、オダマキ博士は目を丸くしたままだ。未だ状況を呑み込めていないのか。
 まぁ、確かに。こっちに帰って来たからこうしてオダマキ博士と対面するのは初めてだ。連絡も取っていなかったのだから、いきなりこうして現れても驚かれるのは予想できていた。

 でも。だって、仕方ないじゃないか。

「オダマキ博士……。一体どれだけフィールドワークにのめり込んでいたんですか? 研究所にもいないし、連絡もつかないし……」

 そう。これだ。
 一刻も早くオダマキ博士から話を聞きたいユウキだったが、肝心の彼とまるで連絡が取れなかった。この時点で「あぁ、きっとフィールドワークだな……」とユウキは察する事ができたのだが、何とも悪いタイミングである。こうしてミシロタウンに足を運んでからも、実に三日も待ち惚けを食らってしまった。まさかここまで時間を費やしてしまうとは、流石のユウキも予想外だ。実は、内心少し焦り始めていた。

「……オダマキ博士? 大丈夫ですか? ボーッとして……」
「い、いや、ごめん……。まさか本当にユウキ君が帰って来ていたとは思わなかったから、少し驚いてしまって……」
「いえ、俺の方こそ……。こっちに帰ってくる前に、しっかり連絡しておくべきでしたね」
「いやー、はっはっは……。申し訳ない事をしたね。一つの事に夢中になると、どうも周りが見えなくなってしまう悪い癖があってね……。それで、今日は一人なのかい?」
「えぇ。まぁ……」

 オダマキ博士の疑問に対し、ユウキは頷いてそれに答える。
 ユウキの傍らには誰もいない。現在、彼は一人だった。ムロタウンでの戦いの後、大きな怪我もなく無事に目を覚ましたミツルとは、別行動を取っていた。ユウキがハルカの安否を確認している間、ミツルはラティオスの奪還に全力を尽くすとの事。残念ながらジムリーダーとしての勤めが忙しいトウキはこれ以上直接的には力になれないとの事で、ミツルも一人で行動している。
 一度だけでなく二度もミサキに敗れているのだから、ミツルの事が心配でないと言えば嘘になる。けれども、それ以上にユウキの中にはミツルへの強い信頼が存在していた。あいつならきっと有力な情報を手に入れ、それをユウキに届けてくれる。そう信じているからこそ、ミツルに対する心配感も抑える事ができる。

 だからこれ以上ミツルの事を気に病む必要はない。ユウキはユウキがすべき事を全うしなければ。

「それにしても随分と久しぶりだねぇ……。最近の調子はどうだい? 他地方のリーグにも挑戦しているんだろう?」
「……まぁ、そこそこですかね。ホウエンリーグで優勝してからも、自分なりに鍛錬は積み重ねてたんですけど……。実は前回のカントーリーグに出場した時に準決勝戦で負けてしまいましてね。上には上がいるもんだなぁ、と」

 ――さて。積もる話も良いが、今はすぐにでも本題に入りたい。もう、あまり時間は残されていないのだから。

「……ところで、オダマキ博士に聞きたい事があるんですけど」
「……うん? 何かな?」
「ハルカの事です」

 ユウキはオダマキ博士の表情を伺う。もし本当にハルカに何かあったのなら、彼は必ず何らかの反応を見せるはず。オダマキ博士にとってハルカとは、掛け替えのない愛娘なのだから。もし何事もなかったのなら、オダマキ博士は特に妙な反応は見せないだろう。
 しかし、オダマキ博士は。まるで痛い所を突かれたかのように、唸りつつも眉をひそめた。

「……あー、……ハルカ。ハルカ、ねぇ……」

 どうにも歯切れが悪い。ユウキの頬にもいよいよ冷や汗が流れ落ちてきた。そろそろ冷静さを装うのも限界が来そうだ。
 この反応。やはりハルカに何かがあったと考えて間違いない。それをオダマキ博士は認識している。
 何があった? ユウキの推測通り、ローブ達に誘拐されてしまったのだろうか。それとも、何か弱みを握られている?
 とは言っても、「誘拐されたのか?」と馬鹿正直に確認した所でオダマキ博士は答えてくれないだろう。ユウキに心配をかけまいと、誤魔化そうとするに決まっている。
 オダマキ博士がボロを出すのを待つか、或いは彼の反応からある程度の事を推測するしかない。

「……? どうしたんですか?」

 うそぶいてみる。
 今のユウキは何も知らなくて、ただ興味本位で尋ねているだけ。オダマキ博士にはそう認識させよう。そこでユウキが真実に近い推測をしたと見せかけて、オダマキ博士を揺さぶる。
 まぁ。真正面から「誘拐されたのか?」と尋ねてオダマキ博士が動揺するなら、それでビンゴなのだけれども。混乱を避ける為にも、それは止めた方がいいだろう。

「は、はは……。どうして私にそんな事を聞くのかな……?」
「ハルカと連絡がつかないんですよ。オダマキ博士なら、何か知ってるんじゃないかと思って」
「そ、そうか……。成程ね……」

 さて。もう少し踏み込んでみるか。

「……ひょっとして、ハルカに何かあったんですか?」
「えっ……!? い、いや、その……」

 オダマキ博士はますます狼狽した。これ以上は止めてくれと、そう言った思いがその表情から滲み出ている。
 これは、本当にユウキの推測は当たってそうだ。いや、しかし。ここで結論を下すのは早計だ。もっと強い確証が欲しい。難航しそうではあるが、もう少しオダマキ博士を揺さぶってみよう。

「あの……オダマキ博士。まさか、何か言難い事でも……?」
「ま、まぁ……何と言うか……。はぁ……。全く、君には敵わないな」

 ――折れた?

「(……えっ? あっさりとし過ぎじゃ……。いや、でも……)」

 まさかこんな簡単に行くとは思わなかったが、何にせよこれで完璧だ。オダマキ博士の口から直接語られるのなら、それは紛うことなき真実。ユウキの推測が、確信に変わる瞬間だ。

「……実はね」

 ユウキはごくりと生唾を飲み込む。周囲の空気が更に張り詰め、緊迫した雰囲気がより一層強くなる。
 一体、彼の口からどんな事が語られるのか。怖くないと言えば嘘になるが、しっかりと受け止めなければならない。ハルカは大切な友人だ。放っておくなんて、出来る訳がない。

 息の詰まりそうな緊張感の中、オダマキ博士はおもむろに語り始めた。

「……ハルカと、喧嘩してしまってね……」
「…………はぃ?」

 変な声が出た。こんな声も出るんだと、自分でもびっくりした。
 いや、ちょっと待って。今、彼は何と言った? 何だか、自分の想像とはだいぶ異なる答えが返って来たような気がするのだが。

「えっと……それって、どういう……」
「いや、思い返してみれば原因は些細な事だし、非は私にあるんだけど……。どうも意地になってしまったらしくてね。私が連絡しても、まるで答えてくれないんだよ……」
「…………」

 いやいやいや。思ってたのと違う。全然違う。
 確かに、絶賛喧嘩中とならばなるべく話題を避けたいと思うだろうし、オダマキ博士のあの反応は決してどこにも間違ってはなかったけれども。
 おかしい。いや、おかしくはないけど――。やっぱりおかしい。

「だ、だから私に今のハルカの事は……。家に行ってみたらどうだい? 私よりも、妻に聞いた方が……」
「……もう行って来ましたよ。でもハルカは不在でしたし、ハルカの母さんに聞いても良く知らないみたいでしたし……」
「そ、そうなのか……」

 何だか緊張していた自分が馬鹿らしくなってきた。よく考えれば今までのオダマキ博士の動揺は、娘を誘拐された父親のそれとは違っていた気がする。あまりにも深読みし過ぎて、寧ろ自分が冷静な判断ができなくなっていたか。
 ユウキは思わず溜息をつく。無駄に強ばっていた身体を解し、一旦落ち着く事にした。

 因みに。ハルカと連絡がつかなくなってしまうのは、然して珍しい事ではない。
 この親にしてこの子ありと言うか何と言うか。研究に夢中になって周りが見えなくなってしまうオダマキ博士と同じように、ハルカもまた一度何かに集中すると周りが見えなくなってしまうクチだ。当然、そうなると連絡を取るのも困難になる。一応携帯も持っていたはずだが、殆んど機能していない。
 つまり、連絡が取れなくなったとしても、ハルカが危険に晒されているのだと判断する事ができないのだ。過去にも、案外大した事なかったなんて事があったのは最早一度や二度ではない。

「(まったく……)」

 そもそも今のハルカは、一流のポケモンコーディネーターとして活躍している身。既に独り立ちしているのだ。親にあれこれ世話になる歳は、もう過ぎている。
 しかし。だからと言っても、

「(この親子の悪い癖はどうにかならないのだろうか……)」

 せめて、連絡くらい取れるようにしてくれても良いじゃないか。眉間に痛みを感じつつも、ユウキはもう一度大きな溜息をついていた。

「ゆ、ユウキ君……? 今、溜息……」
「……あー、いえ。気にしないで下さい」

 隠す素振りもせずに二度も溜息をついたユウキを見て、オダマキ博士が何とも言えない表情を浮かべる。ユウキは適当にあしらう事にした。

「(それにしても……)」

 これ以上この件について深く考えるとますます頭痛が酷くなりそうなので、ユウキは思考を変える事にする。
 オダマキ博士はハルカの事を知らなかった。つまり仮にハルカが誘拐されていたとしても、それはオダマキ博士にも認識されていない事になる。それでは、ハルカを誘拐する事によって奴らに何のメリットがあるのだろうか。まさかユウキに対する抑止力の為だけに拐ったのではないだろうし。そもそも、たまたまホウエンに帰って来たユウキにいち早く反応して、直様ハルカを誘拐する事なんて難しいだろう。

「(いや……待てよ……)」

 そこでユウキは考えを改める。
 なぜ自分は“ハルカが誘拐された”事を前提に考えているのだろう。まだ本当にそうなっていると決まった訳ではないだろうに。
 しかしそうなると、あの時のミサキは本当にでまかせを言った事になるのだが。確かにあのタイミングでは、ユウキを動揺させて隙を作れればそれで良かったのだろうけれども。

「(ハルカの奴……)」

 誘拐されていないのだとすれば。あの少女は、今頃どこで何をしているのだろうか。
 電話にも気づかない程にハルカが夢中になる、或いは余裕がなくなる事。ポケモンコーディネーターとしての活動か、それとも別の何かか。
 しかし、ハルカの事だ。例えやっている事がなんであろうとも、それは誰かの為になる事だろう。

 だって、彼女は。筋金入りのお人好しなのだから。
 それはユウキも良く知っている。



―――――



 指切りをして約束すると、ユリカは満足そうに笑顔を浮かべた。兄とこうして約束する事が、本当に嬉しかったのだろう。そんな彼女の姿を見ていると、寂しい思いをさせてしまった自分をますます責めたくなってくる。思い悩んで、迷い続けて、ユリカに心配をかけて。本当に、馬鹿じゃないか。

「…………」
「……? タクヤ兄ちゃん? どうしたの?」
「……いや。なんでもないよ、ユリカ」

 そう言ってわしゃわしゃと頭を撫でてやると、また嬉しそうにユリカの表情が綻ぶ。
 せめて。自分がここにいる間だけでも、ユリカには笑顔でいて欲しい。余計な心配はかけさせたくない。それで罪滅ぼしになるなんて、とても思えないけれど。でも、それでも。これが今の自分にできる、精一杯の事だから。

「こんにちはー! ……あっ」

 と、その時。ガチャリと音を立てて、玄関の扉が開かれた。透き通るような声と共に、誰かが入って来たのが分かる。
 タクヤがおもむろに振り返ると、そこには一人の少女がいた。年は、二十――いや、まだ十代後半くらいだろうか。赤を基調とした上着に、白いスカート。そして頭には赤いバンダナ。左右のみが長い髪型が特徴的で、その顔つきは中々の美形ではないだろうか。手足もスラリと長く、例えばモデルとして雑誌に出演していてもおかしくない程。

 そんな少女がいきなり押しかけてきたとなれば、恐らく殆んどの場合は動揺などの反応を見せるのだろうか。しかしタクヤが表情に浮かべたのは、困惑だった。
 なぜなら彼女は見知った人物であり、既に随分と迷惑をかけてしまった少女だから。

「やっと帰って来たんだねタクヤ君! もうっ! ユリカちゃんに心配かけちゃダメじゃない!」

 目が合うなり、いきなり説教が始まった。確かに、彼女の性格から考えれば、こうしてタクヤを責めようとするのも自然と言えばそうなのだが。

「あの……いつも好意は嬉しいんですけど、良いんですか? 貴重な時間をオレ達の為に割いて……」
「……もう、事情を知っちゃったからね。それなのに放っておくなんてできないから……。って! 話題を変えて逃げようとしても無駄だからね!」

 本当に。この人もまた、どうしようもないくらいに、

「……お人好しですよね」

 赤の他人であるはずのタクヤ達の為に、こんなにも必死になってくれる少女。

「……ハルカさんも」

absolute ( 2015/08/03(月) 18:01 )