6‐6:最後の任務
何かがぶつかるような大きな音、そしてメキメキと木々が倒れるような音が響いた。
ポケモンジムでナギと対話していたハイク達の耳にも届く音。確かに、森の中に存在する街なのだから何かしらが原因で倒木が起きる事もあるかも知れない。しかし、そんな事は滅多に起きる事ではない。しかも今のは明らかに人かポケモンの力によるものである。
ポケモンバトルでも行われているのだろうか。いや、ヒワマキシティと言う特殊な構造の街中で、普通のトレーナーがこんなにも激しいバトルを行うとは思えない。木々がなぎ倒される程の衝撃など、起きるはずがない。
「っ! 今のって……!?」
「なっ、なんでしょう……? 何かが木に衝突したような……」
動揺を隠せないハイクとナギ。レインもまた、頬から冷や汗を垂らしている。
まさか、ローブ達による攻撃? おくりび山の時のように――。いや、こうも都合よくハイクの前に現れるものなのだろうか。百歩譲っておくりび山の時は偶然で片付けても良いが、今回ばかりは見逃せない。流石に別の事件だろう。そうに違いない。いや――そうであって欲しい。
そんな儚い願いを抱きつつも、ハイク脳裏に一つの心配事が浮かび上がる。
「ラティアス……!」
ラティアスと別れたままだったのだ。何やら気になる事があると言って別行動をしていた訳だが、まさかラティアスが巻き込まれてしまったのではないだろうか。
そう思うと、ジッとしてはいられない。
「は、ハイクくん!? どこに行くんですか!?」
走り出すハイク。それを見たナギが、慌てて呼び止めようとする。
「今の音が聞こえた所です! あいつが……ラティアスが巻き込まれているかも知れない……!」
「ま、待ってハイク! 私も行くよ!」
それだけを言い残し、ハイクとレインは走り去ってしまう。あまりにも唐突過ぎる事だった為ナギはそれ以上ハイク達を止める事はできなかった。だが、少し遅れて彼女も走り出す。
何が起きているか分からない。だからこそ、ハイク達に無茶をさせる訳にはいかない。子供だけに戦わせて、自分は何もしないなんて。そんな事、あってはならない。
「二人とも! 待って下さい!」
そんな風に声を張り上げながらも、ナギはハイク達を追いかけていた。
―――――
大きく息を切らしながらも、ラティアスはふらふらと立ち上がる。
身体中が悲鳴を上げているのが分かる。特に強く叩きつけられた背中が酷く、まるで貫かれているかのような痛みを感じる。そんな痛みで顔を顰めるが、それでもラティアスは目の前にいる少年とポケモンを睨みつけた。
兄を連れ去ったのがこの少年だと知って。ラティアスは止めどない怒りを覚えた。ただその怒りに身を任せて、自分の方から攻撃を仕掛けたはずなのに。いつの間にか、一方的な反撃を受けている。渾身の一撃が、まるで奴らに届かない。
情けない。どうして、こんな。
『……弱いな。その程度の実力で私達に突っかかってきたのか』
ラティアスを一方的に叩きのめしたハッサム。彼女に冷たく言い放たれ、ラティアスの表情が更に歪む。けれども、図星だったから。何も言い返す事ができない。
あの少年――タクヤに向けられた“ミストボール”は、咄嗟にボールから飛び出したこのハッサムに易々と弾かれてしまった。渾身の一撃を弾かれて頭に血が上ったラティアスは、無我夢中でハッサムに飛びかかったのだが――結果はこのザマだ。
悔しい。こんなにも、自分は弱ったのか。誰かの力を借りなければ、何もできないのだろうか。
今までは、ラティオスが自分の事を守ってくれていた。しかし、そのラティオスは今はいない。それだからこそ、自分の実力が強く実感できる。
自分はどうしようもないくらいに貧弱だったんだって、そう突きつけられていた。
「こんな事はもう終わりだ。オレはいつまでもお前に付き合ってやれる程暇じゃないんだ」
『うる……さい……! あんたが兄さんの事を話すまで、私は何度だって……!』
「いい加減オレの話を聞け。オレはお前の兄さんの行方なんて知らない。他を当たるんだな」
これまでラティアスに何度同じような事を言ったか。何度も何度もそう説明しているのにも関わらず、ラティアスはタクヤの言葉などまるで信じようとしない。
ラティオスと離れ離れになってしまった悲しみ、そしてその原因となったローブ達への強い憎しみが、ラティアスを押しつぶしている。最早冷静な判断もできないくらいに、ラティアスは追い込まれてしまっているのだ。そんなラティアスが相手では、どんな言葉を投げかけても無意味だ。ましてや憎しみの対象であるタクヤの言葉など、届く筈がない。
『私は……私はぁぁああ!』
再びラティアスの身体から強いエスパーエネルギーが溢れ出す。また“ミストボール”で攻撃するつもりだろう。ハッサムのスライスが一歩前に出て、ラティアスの攻撃に備える。
エスパーエネルギーが収束すると、ラティアスの身体は青白い光に包まれていた。その光は徐々に膨張してゆき、やがて大きな球体となる。
その次の瞬間。叫び声にも似た雄叫びを上げると同時に、ラティアスが勢い良く突っ込んで来た。ギュンっと風を切る音が響き渡り、ただ目の前の標的だけを睨みつけてラティアスは突き進む。
もう何度も見た攻撃だ。今更そんな攻撃など、タクヤ達には通用しない。
「スライス!」
タクヤが名を呼ぶとほぼ同時に、スライスは素早く腰を落とした。あまりにも単調過ぎるラティアスの攻撃は、スライスには完全に見きれていた。最低限にしゃがみこむだけで、“ミストボール”はスライスの頭上スレスレを通過するだけで終わる。
「“シザークロス”だ!」
ただ、スライスの方は回避だけでは終わらなかった。素早く身を翻して頭上を向き、タクヤの指示通り“シザークロス”を放つ。ちょうどラティアスが真上にいるタイミングだ。その腹部から胸部にかけて、両腕のハサミで斬りつける。
『うっ……!?』
その名の通りXを描くように斬りつけられ、ラティアスの身体が揺れる。突進の勢いが制御できなくなって、そのまま木へと突っ込んでしまった。ドスンッという音が辺りに響き渡る。
思い切り激突した頭部への衝撃と、斬りつけられた腹部と胸部への痛みが同時に襲いかかり、ラティアスは悶える。一歩遅れて、頭部にも痛みが響き始めた。
身体中の痛みを必死になって振り払おうとしながらも、ラティアスは顔を上げて振り返る。再びタクヤ達の方へと視線を向けようとするが、その時に自分の視界がボヤけているのに気がついた。
『あ……れ……?』
立ち上がろうとするが、すぐに身体から力が抜けて崩れ落ちてしまう。目眩も酷くなってきて、だんだん頭の中もボーッとしてきた。
強く頭を打った所為だろうか。それとも蓄積されたダメージの影響か。いずれにせよ、身体が言うことを聞かなくなってきてるのは確かだ。もう、限界は近かった。
「……終わった、のか? まったく……何なんだ、コイツ……」
『ま、……ま、だ……終わり、じゃ……な、い……』
「ッ! まだ意識が……!」
タクヤは思わず身を引いてしまう。
これほどまでのダメージを負いながら、まだ戦おうと言うのか。このラティアスは、自分の身体がどうなっても構わないのか。
このままでは――本当に死んでしまうのかも知れないと言うのに。
「(マズイな、これじゃ……)」
ギリっと、タクヤは歯ぎしりをする。
このままバトルを続ければ、ラティアスの命に関わるかも知れない。しかし、それはつまりタクヤが殺したも同然と言う訳になる。
リームを死なせたくないなどと言っていた自分が、他のポケモンを殺す事になるなんて。
「(駄目だ……!)」
いくらなんでも、それは駄目だ。あくまで標的はハイク一人。それ以外の人間もポケモンも、手にかける必要はない。
そうだ。必要ないんだ。これ以上、このラティアスを痛めつけるなんて、そんな事。
「スライス……」
『……タクヤ。指示を』
「……“みねうち”だ。あいつの意識を飛ばせ」
『……了解』
短く頷いたスライスが、ゆっくりとラティアスに近づいてゆく。しかしラティアスの方は、スライスを睨みつけるだけで何もできなかった。もう、身体も殆んど動かないのだろう。そんなラティアスに止めを刺そうとせず、タクヤは“みねうち”で意識を飛ばせと指示してきた。
タクヤはまだ甘い。白ローブのあの言葉は、強ち間違っていない。ここで躊躇ってしまっては、先が思いやられる。
けれども、スライスは何も言わずにタクヤの指示に従う。どんな事があっても、彼女がタクヤのポケモンである事に変わりはない。だから、主であるトレーナーの気持ちは尊重したい。例えそれが茨の道であろうとも。
スライスは右腕のハサミを振り上げる。蹲るラティアスを睨みつけ、良く狙いを定める。そして最低限の力を込めて、そのハサミを振り落とそうする。
その時だった。
『そこまでだ』
『……ッ!』
がさりと音を立てて、何かが頭上から飛び降りてきた。スライスの前に現れたそれは、素早く刃を振りかざす。スライスは“みねうち”の為に振り上げていたハサミを、咄嗟に引き戻した。刃とハサミがぶつかり合い、金属音にも似た音が鳴り響く。
やがてスライスの攻撃は弾かれてしまった。強い衝撃がスライスに響くが、大きくバックステップを取る事で上手い具合にそれを逃がす。それでも完全には受けきれず、滑り込むような着地になってしまった。ガクンと、膝の力が抜けかれる。
「なっ……お前は……!」
タクヤの視線は、スライスを弾き飛ばしたそのポケモンに向けられる。
そこにいたのは、一匹のジュカインだった。しかし、ただのジュカインではない。右目に大きな傷がある個体。タクヤもよく知っている、とあるトレーナーのポケモン。
「右目に傷……? ハイクさんのジュカインか……!」
右目の傷と言い、纏う雰囲気と言い。間違いようがない。このポケモンは、ハイクのジュカイン――カインだった。
『大丈夫か、ラティアス』
油断なく警戒心を強めながらも、カインは背後で倒れているラティアスに声をかける。朦朧とする意識の中、ぼんやりとだがカインの声がラティアスに届く。
『あん、た……は……。どう、して……ここ、に……』
『随分と大きな音を立ててたからな。嫌でも聞こえる』
痛む身体を無理矢理動かしながらも、ラティアスは顔を上げた。ボヤける視界。しかし目の前には、カイン顔が見える。
ラティアスに歩み寄ったカインが、かがんで覗き込んできたのだろう。思考が働きにくくなってきていたのだが、カインと視線が合った途端にラティアスは羞恥心を感じた。ジロジロと見られるのは、あまり慣れていない。
『な、何……ジロジロと……』
『……怪我。見せてみろ』
『えっ……?』
カインはラティアスの負傷部分を確認し始めた。
身体全体に細かな傷はいくつか確認できるが、まず目に入ったのは額と背中。何かに強く激突したのであろう。大きく腫れ上がっているのが確認できる。そして、最も大きな傷は腹部にあるもの。
『……“シザークロス”か。よく意識を失わなかったな、あんた』
“シザークロス”と言えば虫タイプの技。ラティアスにとって弱点となるタイプであるはず。それをまともに食らっておきながら、未だに意識を保てているとは。
もっとも、本当にギリギリ保てているような状態だ。これ以上、まともに動く事すらできないだろう。当然バトルも行えない。
『……この具合なら大丈夫だろう。人間に任せれば、すぐに良くなる』
『な、なら……もう、いいでしょ……。顔、近……』
一応異性同士だ。ここまでジロジロ見られると流石に恥ずかしい。カインは全く気にしていないようだが、ラティアスの方は堪らない。
『(鈍感なの、コイツ……)」
意外と女心を読めていないカインに呆れるラティアス。赤面しながらも、カインから目を逸らそうとする。
その時。カインの背後に向けられた彼女の視線が、とあるものを捉える。それは、ラティアスをここまで追い込んだポケモンの姿。ハッサムのスライスが右腕のハサミを握り締め、それを大きく振りかぶっている。
ラティアスは直感した。ラティアスの身などを案じているカインの背に向けて、あのハッサムは奇襲を仕掛けようとしているのだ、と。
『あっ……!』
危ない。ラティアスがそう口にする前に、スライスは動いた。
瞬発力のある脚の動きで地面を蹴り上げ、爆発的なスピードでスライスは飛び出す。文字通りあっと言う間に接近して、その鋼の拳を叩きつけようとした。
“バレットパンチ”。弾丸にも匹敵する程のスピードでパンチを放つ鋼タイプの技。スライスに背を向けていたカインには、この攻撃を回避する術はないように見えた。
しかし。
その直後に響いたのは、先ほども発生したガキンッ! という金属音。“バレットパンチ”がカインに直撃した音ではない。
カインは素早く振り返って、その攻撃を受け止めたのだ。両腕を身体の前で交差させ、“バレットパンチ”をガードする。しばらくの間鍔迫り合いのような状態が続いていたが、カインによってスライスは弾かれる。
『クッ……。敵に背を向けるなどと愚かな真似をすると思ったが……。お前に死角はないのか……?』
『死角に回り込んでくる奴と戦った事があるんでな。対処するのは慣れている』
冷静に、そして余裕そうにカインはそう言い返す。キンセツシティでライトと戦った経験が活かされた。例え背を向けていたとしても、警戒心を緩めなければ迫る脅威をある程度察知する事くらいならできる。それができれば、あとはタイミングを合わせて防御姿勢を取るだけ。
口で言うのは簡単。しかし実行するには高い技術力を要求される。それでもカインはいとも簡単にこなしてしまうのだから、大したものである。
カインに弾かれたスライス。
完全に思われた不意打ちを、易々と防がれてしまった。普通なら、ここで尻込みしてしまっても不思議ではないくらいである。
しかし、スライスは屈しない。例え相手がどんな強者だったとしても、勝手に逃げるような事は絶対にしない。彼女にだって、背負うものはあるのだ。この程度で諦めれる訳にはいかない。諦められる訳がなかった。
「カイン! ラティアス!」
そんな時。カインを追いかけて来たハイク達が、ようやく合流したのだった。
―――――
あの倒木したような大きな音が聞こえて。ハイクは先にカインを現場に向かわせていた。
素早い動きが得意なカインならば、ハイク達よりもずっと早く到着する事ができる。最悪な場合を想定して、あの音の発生源には誰かがすぐに向かうべきだと判断した。
結果として、その判断は攻をそうした。ハイクの予感通り巻き込まれていたラティアスを、助ける事が出来たのだから。厳密に言えば巻き込まれたのではなく、このような状況を作ったのはラティアス本人なのだが。
「ラティアス! 大丈夫か……!? お前、酷い怪我を……!」
『う、うぅ……。な、何……? あんたも、来たの……?』
『ラティアスなら大丈夫だ。だが、すぐにポケモンセンターに連れて行った方がいい』
「……あぁ。そうだな……」
悲惨な姿のラティアスを見てハイクは狼狽しかけるが、カインの言葉を聞いてすぐに落ち着きを取り戻す。短く深呼吸をした後、ハイクはラティアスをここまで痛めつけたポケモンと、そのトレーナーに目を向けた。
「タクヤ……。お前だったのか」
「…………」
ハイクの確認。しかし、返ってきたのは沈黙。どことなく不気味な雰囲気を纏うタクヤに、ハイクは睨まれていた。
116番道路でハイク達に近づき、キンセツシティで彼らを陥れた少年。まさかこんな所で再会するとは思わなかったが、ハイクもレインもこの状況はすぐに受け入れられた。
タクヤにはまた会いたいと思っていた。もう一度会って、ちゃんと話をしたかったのだ。
「タクヤ……。タクヤ、なんだよね……? 本当に、こんな事……」
再会、と言ってもレインは演技をしていたタクヤの姿しか見ていない。ハイクから話を聞いていただけで、彼の本性を目の当たりにしたのはこれが初めてなのだ。
信じられない、と言った表情でレインはタクヤに声をかける。
「教えて、タクヤ……。どうして……私達を騙そうとしたの……? タクヤは言ってたよね? 苦しんでいる人やポケモン達を助けたいって……。私とハイクが喧嘩しちゃった時だって、タクヤは気を遣ってくれてて……。あれが全部嘘の演技だったなんて、私には思えないよ……」
レインの問いかけ。しかし、相変わらずタクヤは無言。何も答えようとしない。それでもレインは続ける。
「何か……何か理由があるんでしょ……? ローブ達に従わなくちゃいけない理由が……。でもタクヤだって、本当はこんな事したくないはずだよ……!」
「……レインさん、あんたは……」
「タクヤ……。私達なら、きっとタクヤの力になれるから……。だから……!」
「……バカなのか、あんたは……!」
「えっ……?」
タクヤから返って来たのは、怒号にも似た返事だった。
「オレはあんた達を嵌めたんだぞ! 初めから裏切るために近づいた……。最初からあんた達の敵だったんだ! それに、レインさん……。オレはあんたを人質として誘拐した張本人だぞ? そんな奴の力になろうって言うのか?」
「それでも……私はタクヤを助けたい……。タクヤが根っからの悪人だって、そうは思えないから……」
「…………ッ!」
分からない。まるで訳が分からない。どうしてそこまでする? 何が彼らをここまで動かす? どうして、タクヤを助けたいなどと言える?
タクヤはイライラしていた。胸の奥底から湧き上がる感情を、我慢せずにはいられない。
タクヤは思い出していた。キンセツシティで、別れる直前にハイクが口にした言葉。
『アイツに……ついて行っちゃダメだ……! アイツはどんなに残酷な事でも平気でやってのけるような奴なんだぞ……! それでも、お前は……!』
腹が立つ。頭に血が上る。ハイクとレインを、否定せずにはいられない。
「お人好し過ぎるんだよ! ハイクさんも! レインさんも! どうしてそこまで踏み込んでくる!? どうして手を差し伸ばそうとする!? どうして助けたいなんて言えるんだよ! あんた達に……オレの何が分かるって言うんだよ!!」
もうこの方法しか残されていないのに。覚悟は固めたはずなのに。ハイクとレインは、それを崩そうとする。彼らといると、本当に気が狂う。
本当にイライラする。自分でも信じられないくらいに、腸が煮えくり返っていた。
ハイクとレイン、そしてタクヤのやり取り。ナギはそれをただ何も言わずに見守る事しかできずにいた。ここで自分が口を挟むべきではないと、そう強く感じていたのだ。
ハイク達は、あのタクヤと言う少年との間に因縁がある。それも、あまり穏やかではない因縁が。
けれども、それは彼らの中にある問題だから。部外者であるナギが口を挟むのは筋違いだ。
とは言っても、先ほど聞こえた轟音を響かせたのは、この少年――タクヤに間違いない。彼がまた不審な動きを取ったら、ナギもそれなりの対処をしなければならない。
「……教えてやるよ、ハイクさん……。オレが……何をしにここまで来たのか……」
「タクヤ……?」
「……オレは最後の任務を果たしに来たんだ。あいつに言い渡された、最後の任務……。これを果たせば、オレは……ようやく……」
ハイクは唾を飲み下す。
あいつとは、白ローブの事だろうか。あんな奴に言い渡された、最後の任務。嫌な予感しかしない。
「オレに言い渡された任務。それは……。ハイクさん、あんたを排除する事だ」
「……ッ! 俺を……排除、だって……!?」
ハイクは驚きのあまり息が止まりそうになった。排除、と言う事はつまり――。
しかしよく考えれば、奴らがそんな行動に出ても何ら不思議ではなかったのではないか。あれ程突っかかっているのだから、ハイクを“排除すべき障害”だとローブ達が判断してもおかしくない。
だが、まさかタクヤに任命するとは。
「そ、そんな……。ダメだよタクヤ! 排除なんて……!」
レインが説得を試みるが、タクヤがそれに応じる様子はない。最早彼は考えを変えるつもりはないのか。いくら呼びかけようとも、答えてくれないのだろうか。
「タクヤ! こんな事はもう止めろ! そこまでして、お前は一体何を……!」
「……この期に及んで、まだ説得か……。は、ははは……。本当に甘いな、あんた達も……。うんざりするくらいに……」
乾いた笑い声。まるで自分自身にも言いつけているかのような、そんな気もする口調。
ハイクは一歩後ずさる。もう、タクヤは口で言っても止まらない。いくら説得しても、あのローブ達と縁を切るつもりはない。
もう、駄目なのか? ハイク達では、タクヤを助ける事ができないのか? それならば、もう諦めるしかないのだろうか。
――いや。違う。
「(……止めるんだ。何が、なんでも……!)」
ハイクはおもむろに振り返る。彼らを見守っていたいたナギと、目が合った。
「ナギさん……お願いがあります」
「……え? お願い、ですか?」
「……ラティアスをポケモンセンターまで連れて行ってくれませんか? 怪我をしてるんです。早く手当してやらないと……」
「……ハイクくんは、どうするつもりですか?」
「あいつを止めます」
ナギにとって、それは予想通りの答えだった。ハイクならば、きっと何の躊躇いもなくそう言うと思っていた。
けれども。
「そんな……危険です! あの子はハイクくんを狙っていて、本気で……!」
「だからこそ、逃げる訳にはいきません。タクヤは俺を狙っている。だから俺が無闇に逃げたら、無関係の人を巻き込んでしまうかも知れない。ここで……俺が止めるしかないんです」
決意の篭った瞳をナギに向けながらも、ハイクは続ける。
「それに、俺は……。あいつを、助けたいんです」
ナギは反論できなかった。そんな瞳で見つめられては、反論などできるはずがなかった。
本当は、彼らを危険な目に合わせたくはない。でも、ついさっきだって思い知ったじゃないか。彼らの覚悟を、折る事なんてできないのだと。そんな事、してはいけないのだと。
「……分かりました。この子はわたしが責任を持ってポケモンセンターに連れて行きます。でも……一つ、約束してください」
「約束、ですか?」
「……絶対に、無事でいてくださいね……?」
「……はい。ありがとうございます、ナギさん……」
それだけ言い残すと、ナギは一つのモンスターボールを取り出した。
その中から出てきたのは、二メートルはあろう巨体のポケモン。ずっしりとした四足歩行のポケモンで、背中にはヤシの木の葉にも似た翼が確認できる。特徴的なのは長い首で、その顔の顎元には黄色い果物のような物が垂れ下がっている。
ナギの手持ちポケモンの一匹。そのタイプは、草と飛行。
「トロピウス。ラティアスをポケモンセンターまで運びます。手伝ってください」
ナギはそのポケモン、トロピウスにラティアスを背負わせる。ラティアス程の大きさのポケモンならば、楽に背負う事ができた。これでポケモンセンターまで連れて行く事ができる。
最後にナギは、チラリとハイク達へと視線を向けてみた。
強い緊迫感の中、彼らはタクヤと対峙する。最早、ナギが踏み込めるような猶予はなかった。何か言葉をかける事すらできなかった。
ナギは何も言わずに、ラティアスを背負ったトロピウスと共に立ち去る。
ハイク達が心配ではないと、そんな事を言えば嘘になる。しかし、それ以上に。今はハイク達を信じたいと、そんな思いがナギを支配していた。今はハイク達を、信じる事しかできなかった。
ナギはハイク達を置いて、ポケモンセンターに向かった。
「ハイク……。私も、戦うよ。タクヤを助けたいって気持ちは、私も同じだから……」
「……あぁ。分かってる。一緒にあいつを止めよう、レイン」
レインは頷くと、モンスターボールから一匹のポケモンを繰り出す。
ゴウカザルのフレイ。ルクスと並んで、レインのエース。彼女も本気だった。
さて。タクヤはどう来る? 本気でハイクを潰そうとしているのなら、彼にだって考えがあるはず。
この間のムシャーナで来るつもりだろうか。原理は未だに分からないが、あのムシャーナは一度に大量の人間やポケモンを眠らせる事ができるはず。その技を使われたら、正直厄介だ。眠らされた隙にあのハッサムで攻撃、なんて事をされたら――。
しかし。タクヤは予想外の行動を取った。
「……戻れ。スライス」
スライスを、モンスターボールに戻したのだ。特にこれといった外傷も負ってなく、まだまだ戦えそうなスライスを、だ。
一体、何を考えている?
「やってやる……。これしか、道は残されてないんだから……」
そう呟くと、タクヤはまた別のモンスターボールを取り出した。
奇妙なデザインをしたボールだ。少なくとも、そこらのフレンドリィショップで売られているような代物じゃない。ハイクもレインも、見た事のないボール。
あの中には、どんなポケモンが入っているのだろうか。
『っ! ま、待ってタクヤ! その子は……!』
そんな中。タクヤが取り出したモンスターボールを見て、突然一匹のポケモンが彼の前に立ち塞がる。あのポケモンは――。
「……ドダイトス?」
ハイクがそのポケモンの名をぼそりと呟く。
たいりくポケモン、ドダイトス。ゴウカザルやエンペルトと同じ、シンオウ地方の初心者用ポケモン。その最終進化系。
なぜ、タクヤがそんなポケモンを?
「(いや……)」
しかし、今はもっと気になる事が別にある。それはあのドダイトスの慌てようだ。
あの中に入っているポケモンが、一体何だと言うのか。
「……エルバ。さっきも言っただろ? オレは何としてでもこの任務を成功させなきゃならないんだ」
『でもっ……! だからって、そんな……!』
「……ごめん。オレは弱いから……。多分、今のままじゃハイクさん達には勝てない……。だから……だから、オレは……!」
エルバの必死の説得も、タクヤには届かない。もう、彼を止める事はできない。
ただ、闇雲に。もがいて、もがいて、もがき苦しんで。もう疲れてしまった。もう立ち上がれなかった。もう、前には進めなかった。
もう、あいつを助ける事以外はどうでもいい。もう、どうにでもなれ。
「オレは……もう……! こうするしかないんだよ……!」
叩きつけるように、タクヤはモンスターボールを投げる。独特の開放音と共に光が溢れ、中にいたポケモンが姿を現す。
「なっ……!?」
「こ、この子って……!」
そのポケモンの姿を見て、ハイクとレインは愕然とする。
全身を覆う白い綿毛のような翼が特徴的なポケモンだった。鮮やかな青い身体に、白い頬。どこか美しくも、愛くるしい姿をしたポケモン。
しかし、纏う雰囲気はただならぬものだった。まるで大切なものが欠落してしまったかのような、どす黒い雰囲気。光の見当たらないその瞳は、まるで虚空を眺めているかのよう。無機質で、不気味な表情。
そのポケモンが、ハミングポケモンのチルタリスだと言う事は分かる。しかし、問題はそこじゃない。
ハイクもレインも、一目見ただけでこのチルタリスがどんなポケモンなのか分かった。気づかない訳がない。もう何度も、同じような状況に直面しているのだから。
ハイクの奥底から、強い感情が込み上げてくる。握った拳が、ぷるぷると震えてくる。
無意識の内に、口にしていた。
「チルル……」
白ローブから受け取ったポケモン。紅波石に飲み込まれたポケモン。今や傀儡と化したポケモン。
モンスターボールから飛び出したそのポケモンに向けて、タクヤは声を張り上げる。
「さぁ行けよチルタリス! チャンピオンの……ハイクさんのポケモンなんだろ……? だったらその力、オレに見せてみろぉ!!」
研究所から消えた、ハイクの手持ちポケモン。チルタリス――チルルの甲高い鳴き声が、辺りに響き渡っていた。