ポケットモンスター デスティニー 〜憎しみを砕く絆〜
第5章:交錯する意思
5-7:黒いローブ


 前と後ろ、両方の脚にグッと体重を乗せた後、ヴォルは勢いよく駆け出した。その勢いで瞬時に身体を丸め、縦回転で転がりつつもメタグロスに迫る。
 “かえんぐるま”。さっきは殆んど不意打ちだった為に簡単に当てる事ができたが、今回は真正面から突っ込んでいる。簡単にはダメージを与えられない、と思っていたのだが。

「なっ……!?」

 驚きのあまりハイクは思わず声を上げた。
 簡単にはダメージを与えられない、と言う予感は間違っていない。ハイクが驚いているのは、“かえんぐるま”に対するメタグロスの対処法。回避するのではなく、正面から受け止めたのだ。

『うっ……うわっ!』

 弱点の炎タイプの攻撃であるのにも関わらず、メタグロスは顔色一つ変えない。それどころか、右前のアームでヴォルを掴むと、軽々しく投げ飛ばしてしまった。ドサッと音を立てて、地面に叩きつけられたヴォルの小さな身体がバウンドする。

『うぐぅ……ケホッ……ケホッ……』

 むせ込みながらも、ヴォルは立ち上がる。
 ヴォルの渾身の“かえんぐるま”。弱点である炎タイプの攻撃であるはずなのに、それが殆んど通用していない。あの程度の威力では、メタグロスはビクともしなかった。
 薄々感づいてはいたのだが、いざこうして実際に目の当たりにすると苦しいものがある。ミシェル達がダメージを与えてくれていたとは言え、このメタグロスとのバトルは簡単には終わらない。

「…………」

 黒ローブが何も言わずに指を指すと、メタグロスは動いた。
 四本のアームを身体のくぼみに収納し、そのまま浮遊する。あの巨体のポケモンがふわふわと完全に浮遊しているのは一瞬目を疑うような光景だが、メタグロスは鋼の他にエスパータイプも持っているポケモン。その強いエスパーエネルギーを使えば、この程度なら造作もない。

 その次の瞬間、浮遊したメタグロスは瞬発的に飛び出した。
 ギュンっと風を切り勢い良く突っ込んでくるメタグロス。その頭部は薄紫色の淡い光に包まれている。おそらくあれは、“しねんのずつき”。エスパータイプの物理技だ。
 重量のあるメタグロスが突っ込んでくる。それだけでも十分な破壊力を有する。

「“えんまく”だヴォル! あいつの視界を遮るんだ!」
『は、はいっ!』

 ぼふっと、ヴォルの背中から“えんまく”が放たれる。その煙はあっと言う間に広がり、濃い霧も合わさって視界は殆んど見えなくなった。
 あの攻撃を受けてしまえば、流石にヴォルは危ない。この視界なら、メタグロスも正確に標準を合わせる事も難しいはず。その思惑通り、“えんまく”に視界を奪われるとメタグロスは反射的に減速した。その隙にヴォルは飛び退き、メタグロスから距離を取る。

「よしっ……今のうちに……!」

 今の内にもっと強力な攻撃を叩き込む。ハイクが次なる指示をヴォルに出そうとする。
 キンセツシティに閉じ込められていた数日間、ハイク達はただ指をくわえて何もしていなかった訳ではない。ヴォルもまた、戦える力を身につけてきた。
 しかし。

『えっ……?』

 身体に走る衝撃。ワンテンポ遅れて襲いかかる痛み。霧と煙幕の間からボンヤリと空が見えて、ヴォルは自分が宙を舞っている事に気づいた。何も抵抗できず、ヴォルは地に叩きつけられる。

「ヴォル!」

 ハイクが慌てて声を上げる。
 何が起きたのか。視界を動かすと、そこにはいつの間にか拳を構えているメタグロスの姿が。

「“バレットパンチ”……!? でもあの霧と煙幕の中、どうやって……」

 あの視界の中、どうやってヴォルの姿を捉えたのか。ヴォルの姿を確認して、ハイクは瞬間的にとある事に気がつく。
 ヒノアラシであるヴォルの背中からは、炎が噴き出ている。

「そうか……!」

 メタグロスの身体は、炎に弱い鋼鉄でできている。それ故に炎には敏感なのだ。つまりあの視界の中、メタグロスは視覚を頼ったのではなく、背中から噴き出る炎を敏感に感じ取ってヴォルの位置を正確に捉えたのだ。だから、あんなにも的確に“バレットパンチ”を当てる事もできた。

「となるとこのまま視界を奪うのは無意味、か……」

 ヒノアラシはバトルを行う際、背中から炎を噴き出さなければ本来の力を発揮する事はできない。その特性上、ヴォルの位置はあのメタグロスには常に丸分かりと言う事だ。視界を奪うだけでは、その攻撃の命中率を下げた事にはならない。

 ハイクの頬に、一筋の汗が流れ落ちる。
 俺達だけで十分です。ミシェル達にはそう言ったが、正直少し格好つけすぎたかも知れない。やはりヴォルだけでは少しキツかったか。

『うっ……うぅ……!』
「ヴォル! 大丈夫か……?」
『だ、大丈夫、です……! まだまだ……!』

 ヨロヨロと立ち上がるヴォル。無理をしているのは明白だ。
 どうする? ハイクにはまだアクアがいる。彼女に頼むべきだろうか。いや――それもどうだろう。
 ラプラスであるアクアは水と氷タイプ。メタグロスの鋼タイプの攻撃とは相性が悪い。いくらタフなアクアと言えど、俊敏な動きが苦手な彼女ではあっと言う間にやられてしまう可能性もある。特に“バレットパンチ”を連発されると危ない。

「(このままじゃ……。何か良い方法は……!)」

 このままヴォルを戦わせても、果たして勝てるかどうか。それならば、もっと良い策を考えなければならない。
 何か。何か良い方法があるはずだ。そう言い聞かせるのだけれど、中々思い浮かばない。今現在の戦力で、あのメタグロスに対抗できる方法。一体、どうすればいい?

 このまま何もできずに終わるのか――? そんな言葉が頭を過ぎった、その時だった。

「ヨノワール! “かげうち”!」

 おもむろに近づいてくるメタグロス。しかしその背後から、黒い“影”のようなものが飛び出してきた。その“影”が突然メタグロスに襲いかかる。殆んど不意打ちだった為、メタグロスはその攻撃を回避する事はできなかった。

「……ありがと、ハイク君。アタシ達の事を気遣って、一人で戦ってくれるって言ってくれたんだよね? でもちょっとカッコつけすぎだよ」
「フヨウ、さん……?」

 愕然とするハイクに傍らに、フヨウが歩み寄って来る。きょとんとしていたハイクに対し、フヨウはニッと笑顔を見せてくれた。

「サザンドラ! “あくのはどう”!」

 今度はハイク達の後ろから、禍々しい色をした波導が放たれた。それは吸い込まれるようにメタグロスへと飛んでゆき、大きな爆発を発生させる。
 悪タイプの特殊技。メタグロスにも大きなダメージが期待できる。

「……申し訳ありませんわ。わたくし……一人で取り乱して、それで……。冷静な判断が、できませんでしたの……」

 俯きながらも、ミシェルは歩み寄る。
 彼女は真面目過ぎた。そしてあまりにも優しかった。これ以上、誰かを傷つけなくない。誰にも苦しんで欲しくない。そんな思いが強すぎた為に、大きな責任感を感じてしまったいたのだろう。ここで自分が何とかしなければならないと、焦って必死になっていた。
 しかし、ハイク達の姿を見て。彼らの声を聞いて。彼らがやろうとしている事を見て。不思議とミシェルは落ち着いてきていた。

「確かに……わたくしとフヨウさんではあの方には敵いませんでしたわ。そしておそらく、今のハイクさん一人でも、あの人達を止めるのは……」
「すいません……。一人で十分だなんて、そんな事言っちゃったのに……」
「いいえ……いいんです。ですから……ハイクさんと、フヨウさんと、わたくし。三人で戦いましょう!」

 沈みかけるハイク。しかしそれとはまるで対照的に、気持ちを盛り上げるような口調でミシェルが声をかける。ハイクは思わず顔を上げ、ミシェルの瞳を見つめ返す。

「一人がダメなら二人……それでもダメなら三人で……! みんなで力を合わせれば、きっと勝てるはずですわ!」
「そうだよ! 四天王と国際警察とチャンピオン。この布陣ならきっと楽勝だよ」
「ミシェルさん……フヨウさん……!」

 ハイクは立ち上がる。
 そうだ。何を一人で突っ走っているだ。こんなにも頼もしい仲間がいると言うのに。勝手に強がって、結局はこのザマだ。子供だった。
 ミシェルの言う通りだ。一人で敵わないのならば、皆で戦えばいい。簡単な事じゃないか。

『ボクは……』

 ヴォルがおもむろに顔を上げる。フヨウのヨノワールと、ミシェルのサザンドラ。その二匹のポケモンが目に入った。
 どちらも激しいバトルの末、身体中ボロボロだ。しかし、それでもまだ立ち上がる。彼らの思いもヴォル達と同じだ。これ以上、あのローブ達に好き勝手させる訳にはいかない。おくりび山を、守りたい。

『そうだ……ボクは……』

 ずっと勝手に思い込んでいた。でも違う。今のヴォルは――。

『ボクは……一人じゃない!』

 その時。ヴォルの小さな身体から、眩い光が放たれ始めた。
 どこか温かい、優しい光。それはあっと言う間に膨張して、ヴォルの身体を包み込む。身体を包み込んでも尚、光は強くなり続ける。

「えっ……!」
「こ、これって……!」

 フヨウとミシェルが揃って声を上げる。ハイクは言葉を上げずに、その光景に見とれていた。
 ハイクはこの現象を知っている。以前の旅の途中、何度も目の当たりにしてきた。それは、ポケモンの成長の過程で起きる現象。ポケモンにのみ見られる神秘。ポケモンの中に眠る光。

「進化……!」

 やがて光が収まると、中にいたのはヒノアラシによく似たポケモンだった。
 一回り大きくなった身体。その色合いはヒノアラシとほぼ同じ。そして、頭と尻尾から噴き出る炎。ヒノアラシと大きく異なるのは瞳だ。ヒノアラシが一般的に細目であるのに対し、このポケモンはキリッと瞳が開いている。燃える炎のような赤い瞳を覗かせていた。
 かざんポケモン、マグマラシ。ヒノアラシが進化した姿だった。

 ハイクは言葉を失いかけていた。臆病だったあのヴォルが。バトルがあまり得意ではなかった彼が。今こうして目の前で進化を遂げている。大きくなったその背中は、以前よりずっとたくましく見えた。

「ヴォル……お前……!」
『あ、あれ……? 僕は……』

 進化した自分の姿を見て、ヴォルは少しだけきょとんとする。しかしすぐに自分の変化を理解したらしい。グッと拳を握りしめて、希望に満ちた表情で振り返る。

『ハイクさん……!』
「あぁ……行こう! 俺達であいつを倒すんだ!」

 マグマラシとなったヴォルが走り出した。
 霧の中に佇むメタグロス。その威圧は変わらない。けれども、ヴォルは恐れない。頭と尻尾の炎を更に強く噴き出し、メタグロスに飛びかかる。“かえんぐるま”の威力は、進化前とは比べ物にならない程に引き上げられていた。
 しかし、その攻撃は届かない。メタグロスは素早くその身を引き、“かえんぐるま”を回避する。

「くっ……!」
「ハイクさん! わたくし達が動きを止めます! ですからその隙に……!」
「オッケー! アタシも協力するよ!」
「分かりました……お願いします!」

 次に動いたのはヨノワールとサザンドラ。二匹とも別方向に旋回し、メタグロスを挟み込む。

「ヨノワール! “シャドーパンチ”!」
「サザンドラ! “りゅうせいぐん”!」

 ヨノワールが影に紛れて急接近し、メタグロスに鋭いパンチを食らわす。その後、ヨノワールが再び影に紛れると、天空から大量の隕石がメタグロスに襲いかかった。
 “シャドーパンチ”はゴーストタイプの物理技。影に紛れて隙を見て攻撃する為、命中精度は非常に良い。
 そして、“りゅうせいぐん”。ドラゴンタイプの奥義とも呼べる特殊技で、その威力は凄まじい。鋼タイプのメタグロスには相性が悪いが、動きを止めるだけなら十分である。

「ハイク君!」
「今ですわ! 攻撃を!」
「はいっ!」

 ミシェル達が声をかける前に、ハイクとヴォルは攻撃の準備を整えていた。ヴォルの炎は今まで以上に強い勢いで噴き出ており、周囲に陽炎までも発生している。これほどまでの炎エネルギーを溜め込めば、技の威力は抜群である。

「ヴォル! 最高出力だ! “だいもんじ”!」
『はい……! 行きます!』

 ヴォルが雄叫びを上げる。大きく開いたその口から、大量の炎が勢い良く発射された。その炎は空中で形状を変え、「大」の形へと変化する。
 レインのフレイも得意とする、強力な炎タイプの特殊技。ヴォルも実戦で使うのは始めてだが、どうやら上手くいったようだ。「大」の形を意地したまま、その炎はメタグロスに向けて突き進む。

 “シャドーパンチ”と“りゅうせいぐん”で、メタグロスには大きな隙ができている。やや命中精度が不安定な“だいもんじ”だが、一直線にメタグロスに迫り――爆発した。

「うっ……」
「や、やった……?」
「どうでしょうか……?」

 腕で顔を覆って爆発から身を守るハイク。しかしチラリと覗き込んで確認した。“だいもんじ”が直撃し、ぐらりと倒れ込むメタグロスの姿を。

「多分、メタグロスは倒した……と思います。倒れるのが見えたので」
「ほ、本当!? やったねハイク君! 流石チャンピオン!」

 キャッキャと歓喜するフヨウ。その横でホッと安堵するミシェル。ヴォルもまた、振り返って笑顔を見せていた。
 しかし。ハイクはどうも引っかかっていた。本当に、これで終わりなのだろうか。漠然とした感覚だけれども、どうも不安になってしまう。まだ何かあるのではないかと、そう思ってしまうのだ。あの黒ローブが、この程度で終わるとは思えない。
 と、その時。

「っ! 来る……!」
『えっ? 来るって…………ッ!?』

 殺気を感じ、ヴォルは素早くその場から飛び退く。その次の瞬間、岩が粉砕するような音と共に何かが突っ込んで来た。元々ヴォルがいたその場所に、その何かの攻撃が直撃する。
 あと一瞬でも飛び退くのが遅かったら危なかった。危機一髪である。

「なっ、何……?」
「今のって……」

 フヨウとミシェルの視線がその場に集中する。舞い上がる砂埃の中、一匹のポケモンの姿が確認できた。
 身体はそれほど大きくはない。精々一mくらいか。愛くるしい見た目をしているが、特徴的なのは頭。非常に巨大な角のようなものが確認できるが、その形状を見ると思わず息を呑む。巨大な大顎だったのだ。あんなもので噛み付かれたら、ひとたまりもない。今の攻撃も、あの大顎を使ったもの。

「お前は……!」

 あざむきポケモン、クチート。鋼タイプのポケモンだ。しかし、問題はそこじゃない。
 ハイクはこのクチートに見覚えがある。

「あっ……待て!」
「ハイク君……?」
「どこへ行くのですか……!? 一人では危険ですわ!」

 ピョンっと飛び退いて、黒ローブのもとへと帰還するクチート。しかしハイクは慌ててそのクチートを追いかけた。止めようとするミシェルの言葉も、耳に入らずに。

 居ても立ってもいられなかった。ここであのクチートを黒ローブのもとへと向かわせる訳にはいかなかった。だって、あのクチートは。

「クート……!」

 研究所から消えたハイクのポケモン。その一匹。あのクチートは、ハイクがクートと名づけた個体に間違いない。長い間一緒にいたハイクだからこそ分かる。あれは絶対にクートなんだ。
 やがてそのクチートを傍らに連れた黒ローブの所へと辿り着く。

「やっぱり……クートもお前達が……!」

 その時。ビュウっと強い風が吹く。ハイクへと振り向くその瞬間、黒ローブのフードが脱げてしまった。
 黒いローブを羽織った人物。その素顔が、ハイクの前で露わになる。

「えっ……?」

 その素顔を見た途端、ハイクの頭の中が混乱する。何が何だか分からなくなって、完全に言葉を失ってしまった。
 どうして? そんな訳がない。今ここに、この顔がある訳がないじゃないか。有り得ない、絶対に。幻だ。こんな事、現実な訳がない。きっと何かの見間違いで――。

『ハイクさん……? 一体、何が……』

 駆け寄ったヴォルが不安そうに首を傾げる。無理もない。黒ローブの素顔を見た途端、ハイクが豹変してしまったのだから。

 ヴォルの声を聞いて、少し落ち着いたハイクが顔を上げる。もう一度、黒ローブの顔を見る。
 あぁ、やっぱりそうだった。見間違いなんかじゃない。幻なんかじゃない。これは紛れもなく――現実だ。

「ダイゴ……さん……?」

 ハイクもバトルをした事がある人物。ホウエン地方の、元チャンピオン。ホウエン地方を代表する大企業、デボンコーポレーション社長の御曹司。
 ツワブキ ダイゴに、間違いなかった。

「…………」

 何も言わずに、ダイゴはハイク達の足元を指差す。すると再びクチートが飛び込んできて、その大顎を叩きつけた。大きな地響きが、ハイク達を襲う。

『うわっ!』
「な、何を……!」

 ズゥン、と嫌な音が響く。ぐらりと一つ大きく揺れると、ガラガラと音を立てて足元が崩れ始めた。
 これまでの激しい攻防戦。それで祭壇は既にボロボロだった。そこに今の一撃だ。遂に強度がなくなって、崩壊が始まったのだ。
 立っていられるのもままならなくなって、ハイクは片膝をつく。その間、クチートとメタグロスをボールに戻したダイゴは、また別のポケモンを繰り出していた。

 光沢のある鋼の鎧で覆われた鳥型のポケモン。体長はジュカインと同じくらいだろうか。重量のありそうな容姿をしているが、体重は意外にも五十キロ程しかないらしい。
 よろいどりポケモン、エアームド。鋼と飛行、二つのタイプを持つポケモン。ダイゴはそのポケモンの背中に飛び乗っていた。その片手に紅色の珠を握りしめて。

「紅色の珠……!? いつの間に……!」

 ハイクは慌てて立ち上がろうとするが、この地響きだ。すぐにバランスを崩して転んでしまう。

「待って……! 待って下さいダイゴさん! どうして……どうしてダイゴさんがローブ達と……!? 一体、何があったんですか!?」
「…………」
「何か答えて下さい!」

 何も喋らないダイゴ。苛立ちを覚えたハイクが無理矢理立ち上がろうとするが、やはり結果は同じ。崩壊する地面の中、立ち上がる事なんてできない。
 その隙に、ダイゴを乗せたエアームドがゆっくりと飛び立った。

「ま、待て……うわっ!」

 その時。ふわりとした浮遊感が、ハイクに襲いかかる。足元を見て理解した。祭壇が完全に崩壊したのだ。祭壇と共に、山肌に沿ってハイク達も落ちてゆく。
 ハイクは手を伸ばす。自分は落ちてゆくのに、ダイゴは飛び立ってゆく。みるみる内に、その距離は開く。手を限界まで伸ばしても、最早届くはずもない。

「(嘘……だろ……? 俺……)」

 ハイクの脳裏に、様々なものが浮かび上がっては消える。これが走馬灯と言うものか。
 落下してゆくハイク達。感覚が麻痺してしまったのか、流れる時間が妙にゆっくりになっているような気がした。



―――――



 ガクッと脚の力が抜け、ノココは片膝をついた。
 激しく体力を消耗し、呼吸もかなり荒い。体も言うことを聞かなくなってきており、両脚にも殆んど力が入らなくなっていた。

 正直、もう限界だ。確かに、格闘タイプの技を主とするノココならば氷タイプのユキノオーには有効なダメージを与える事ができる。しかし、ユキノオーの氷タイプの技もまた、草タイプのノココには痛手となる攻撃なのだ。一撃でもまともに食らえば、致命傷になりかねない。
 脅威となる攻撃を回避をしつつも、確実に攻撃を叩き込む。そんなやり取りを続けていては、精神的にも肉体的にもかなり疲弊してしまうだろう。それは無理もなかった。

「流石……と言うべきかしら?」

 ロサが関心したように声を上げる。
 結論を先に言ってしまうと、ノココはユキノオーに勝利していた。素早いフットワークで攻撃を回避しつつも、“マッハパンチ”や“ばくれつパンチ”と言った技で反撃。最後に渾身の“きあいパンチ”を食らわせ、ユキノオーを下していた。
 しかし、流石に楽な勝負とはいかない。いくらノココ言えども、相手の攻撃すべてを確実に回避するなんて事はできない。まともに直撃はしていないものの、何度か擦って体力を持っていかれている。
 それに加え、局地的に霰を降らせる特性である“ゆきふらし”も厄介だ。これの所為で、だいぶ体力が削られている。

 結果として何とか倒す事はできたものの、ノココは満身創痍だった。

「それにしても……大口を叩いていた割には意外とあっけなかったわね」

 冷たい口調で、ロサは茶ローブに声をかける。しかし、返事は返ってこない。
 茶ローブは墓石にもたれ込み、意識を失っているのだ。ノココの“きあいパンチ”で殴り飛ばされたユキノオーを飛び退いて回避しようとした所、足が滑って転倒。墓石に後頭部を強打してしまっていた。何ともあっけない幕引きである。霰や氷タイプの技により、地面が凍結して滑りやすくなっていたのが原因なのだろう。

 レインは少しホッとしていた。あのまま茶ローブがユキノオーの下敷きになっていたら目も当てられない。後頭部強打による昏睡程度で済んだのなら、まだ不幸中の幸いだろう。もしあれで殺してしまっていたら――。考えたくもない。

「……ノココ、ありがとう。お疲れ様」

 レインはノココをモンスターボールに戻す。これ以上の戦闘は流石に厳しい。代わりに彼女が視線を向けたのは、傍らにいたもう一匹のパートナー。ルクスである。
 ただレインの目配せを見ただけで、ルクスは言いたい事を理解してくれたらしい。「任せろ」と頷きつつも鳴き声を一つ上げると、すぐに前に出てくれた。唸り声を上げて、ロサを威嚇する。

「さぁ……次はあなたの番です!」

 レインは声を張り上げる。しかし感情的になるレインとは対照的に、ロサは冷静沈着だ。茶ローブの横に転がっていたモンスターボールを拾い上げ、意識を失っているユキノオーをその中に戻す。そして茶ローブの事など気にせずに、ゆっくりと立ち上がった。
 その冷たい視線を、レインに向ける。

「……まだ続けるつもり?」
「あたり前です! あなた達は……ここで止めなきゃいけないんです!」
「そう……」

 渋々と言った具合いに、ロサは一つのモンスターボールを取り出す。それを投げると中から出てきたのは、レインにも見覚えのあるポケモンだった。
 黄金色の体毛。赤い瞳。そして、九本の尻尾。きつねポケモン、キュウコン。

「キュウコン……? まさかその子……!」

 そのポケモンを見た途端、レインはとある事に気がつく。それは、そのキュウコンの正体。その本来の持ち主。

「察しがいいわね。そう……このキュウコンは、元々あのチャンピオン君のポケモン……」
「っ!? そんな……ことって……!」

 レインは思わず身を引いてしまった。自然と身体が震えだす。
 ハイクのキュウコン――コロナが、自分の目の前にいる。けれども、感動の再会とは言えない。コロナはロサの手持ちポケモンとして、レイン達の前に立ち塞がっている。敵として、そこに立っている。

「ダメ……そんなの……」

 レインはハイクから聞いている。キンセツジムでの、ライトとの再会。彼女は、まるでハイクの事など覚えていないかのように牙を剥いてきたのだと言う。それならば、コロナも――。
 いや。違う。そんな事、認められる訳がない。

「コロナ! 私だよ……レイン! コロナはそんな所にいちゃいけないんだよ……! ハイクが待ってる……。だから、帰ろ……?」

 レインが必死に声をかける。でも、コロナにその声は届いていなかった。レイン達に威嚇したまま、その殺気を抑えようともしない。

「コロナ……お願い……! 私の、言葉を……!」
「無駄よ。貴方の声はこのキュウコンには届かない」
「……!? 嫌……そんなの嫌ぁ!」

 レインは崩れ落ちた。瞳から涙が零れ落ち始め、やがて止まらなくなった。
 ずっと信じてた。自分でも、呼びかければきっと助けられるって。でも、実際にはダメだった。いくら声をかけても、コロナの心には響かない。元の姿には戻らない。レインの言葉では、レインの力では。何も、できない。
 心配になったルクスが駆け寄ってくる。けれども、レインの涙は止まらなかった。

「……分からない。どうして貴方が泣くの? このポケモンは、貴方のでは……」
「そんなの、関係ない……! コロナだって……私の、大切なポケモンなんですよ……! ううん……コロナだけじゃない……! 私だって……ハイクのポケモン……皆、助けたいんです……!」
「チャンピオン君のポケモンを……全員……?」

 ロサは理解できなかった。
 この少女は、どうしてそこまで必死になれるのか。自ら危険を冒してまで、他人のポケモンを助け出そうというのだろうか。いや、彼女に言わせれば、ハイクは他人とは言えないのかも知れない。あの少年は、きっと彼女にとっても大切な存在なのだろう。勿論、そのポケモン達も。だからこそ、ここまでやろうと思える。

「貴方は……」

 その時。ズンっと音を立てておくりび山全体が大きく揺れた。その直後、再び轟音が響く。どこかで何かが崩れ落ちる音か。
 強い地響きが二人とそのポケモン達に襲いかかり、バランスを崩そうになる。

「きゃっ……! な、なに……?」
「……どうやらあっちも終わったようね。となると私の出番はもう終わり……」

 ボソリと呟くと、ロサは何やらかがみ込む。未だに意識を失ったままの茶ローブを抱えると、彼女は立ち上がった。コロナを傍らに連れたまま、ロサは立ち去るべく歩き出す。

「なっ……! ま、待って! どこに行くつもりですか……!?」
「私達がここを守る必要はなくなった。だからもう引き上げさせてもらうわ。通りたければ勝手に通れば?」
「引き上げるって……! そう言う訳にはいきません! コロナを返してもらうまでは私は……!」

 ゴウっと、コロナの口から炎が放たれる。
 “かえんほうしゃ”。しかし、レイン達を焼き払おうとした攻撃ではない。あくまで、威嚇。これ以上邪魔をするなら容赦はしない、とでも言うのだろうか。

「怪我したくないなら私達の邪魔をしない事ね。それに……早く山頂に行った方がいいんじゃないかしら? チャンピオン君の事、心配なんでしょ?」

 レインは言葉が詰まる。
 ロサの言う通りだった。一人で行ってしまったハイクの事がずっと気がかりだったのだ。ひょっとしたら、さっきの地響きで何かに巻き込まれてしまったかも知れない。もしそうなってしまったら――。

「ハイク……!」

 レインは山頂へと向かう事を選んだ。
 勿論、コロナの事だって心配だ。でも、なぜだか妙な胸騒ぎがする。ハイクに何かあったのではないか。さっきの地響きは一体何だったのか。思い浮かぶのは最悪な状況ばかり。払拭しようとしても、次々と脳裏に写ってくる。
 もう、レインはこんな所で立ち止まってはいられなかった。

「ふぅ……」

 山頂へと走り出すレインとそのサンダースの背中を見たロサが、茶ローブを連れて下山し始める。
 レイン達が背を向けたその隙に、不意打ちをする事だってできた。けれども、ロサはそれをしなかった。
 なぜだろう。自分でも、よく分からない。自分でも気づかぬ内に、あの少女に何か特別な感情を抱いているのだと言うのか。いや、そんな事は有り得ない。あくまでロサは、自分の目的を果たそうとするまでだ。
 でも。

「あの子……チャンピオン君の事……」

 そんな風にボソリと呟いて、ロサは慌てて首を横に振る。
 まさか、同情してるのか。自分とあの少女を、重ねてしまっているのだろうか。そんな感情、とっくに捨てたと思っていたのに。このキュウコンを必死になって説得したレインの姿を見て、ロサは。

「違う……そんなのじゃない……」

 苛立ちを覚え、ロサは自らの唇を噛み締める。握る拳にも力が入る。
 無駄な感情は捨てたはずなのに。そう思い込んでいたはずなのに。なぜだかロサは、胸を締め付けられるような思いに駆られていた。

absolute ( 2015/02/27(金) 18:09 )