5‐4:おくりび山 ―思い出に眠るもの―
おくりび山。過去、現在、未来に渡ってポケモンの魂が眠る山。死んでしまったポケモンを埋葬し、慰める為のお墓。122番水道に位置するそこには、毎日沢山の人が思い出を振り返りながら訪れるという。楽しかった思い出。嬉しかった思い出。そして、辛く悲しかった思い出も。皆各々の思いをその胸に、大切なポケモンの元へと訪れる。
「何だか……少し久しぶりな気がするね」
勿論、その少女も例外ではない。
傍らに五匹の手持ちポケモンを連れて、一つの墓石の前に立つ少女。レインは、どこか哀愁を帯びた表情を浮かべていた。
その表情は、笑顔。悲しげな表情は浮かべていない――つもりだ。約束したから。この子の前では、笑顔を絶やさないって。この子の前では、もう涙は流さないって。でも。
「……ごめん。まだ、ちょっと無理かも……」
抑えきれずに、笑顔が崩れる。笑顔のままでいるって、そう決めていたのに。自分の表面的な意思とは無関係に、涙が零れ始める。
今でも、自分は完全に受け入れてられてないのだ。本当は嘘なのではないのか。夢を見ているのではないのか。そう、何度も確認してしまう。
だけど。これは紛れもなく現実だ。いくら勝手に否定したって、事実が変わる訳がない。過去が改変される訳ではない。いつかは、キチンと受け入れなければならない時が来る。けれども、今はまだ――。
「また一緒にバトルしようよ……アル……」
墓石の前でレインが嗚咽を漏らしている頃。少し離れた所の陰にて、ハイクは何も言わずに佇んでいた。
今は自分達だけにして欲しい。レインはハイクにそう望んだ。
こんな時、本当はどんな言葉をかけるべきなのか。どんな行動をとるべきなのか。答えはハイクにはまだ分からない。でも今は、レインの好きにしてやりたい。レインの望む形に、少しでも近づけてやりたい。彼なりにそう考えて、こうして陰から見守る形に落ち着いた。
『レインさん……』
ハイクの傍らにいるヒノアラシ、ヴォルもまたレインの事を気にかけてくれていた。
ヴォルはまだ、ハイク達と出会って日も浅い。どうして、レインが普段見せないようなあんな表情を浮かべているのか、まだはっきりと理解する事ができないのだ。ただ一つ分かる事は、ここに眠るポケモンが、レインの心に強い影響を与えていると言う事だけ。
本当は、もどかしかった。何か力になれないのか、自分にできる事はないのか。何度も考えてみるけれども、何も思いつかない。結局、自分はまだ皆の事を何も分かっていなかったのかと。そう落胆しそうになってしまう。そんな時。
「……レインには、もう一匹手持ちポケモンがいたんだ」
ポツリポツリと、ハイクがそう語り始めた。
『もう一匹……』
「そう。……名前はアル。アブソルのアルだ。結構人見知りで無愛想なヤツでさ。普段からあんまり感情を表に出さないんだけど……。でもレインの笑顔とか喜ぶ姿を見ると、凄く嬉しそうな表情を浮かべるんだ」
自分の記憶の中に残る、一匹のアブソルの姿を思い浮かべる。
わざわいポケモンに分類されており、災害を察知すると人前に現れると言われているポケモンである。かなり長命のポケモンであり、その寿命は百年以上。人間よりも長生きする事が多いポケモンである――はずだった。
「でも……半年くらい前……。ちょうど、ポケモンリーグが終わって少し経った頃……」
そう。あの時、アルは。
「今思えば、ちょっと前から前兆はあったのかも知れない。でも……俺も、レインも、それに気づいてやれなかった。あの時……俺達の目の前で突然……アルは倒れた」
あの時の事は、今でも鮮明に覚えている。あまりにも衝撃的で、言葉を失ってしまう程の出来事。
いつも通りだって、そう思っていた。何も変わった所はないって、そう信じていた。でも。ハイク達が気づかなかっただけで、事態は着々と進んでいた。
「俺は医者じゃないから、詳しくはよく分からないけど……。もっと早く発見できれば、助かる可能性があったはずなんだ。だけど……アルの場合、あまりにも遅すぎた……。それで、そのまま……」
心臓の病気だったと、ハイクは聞いている。その病気の進行速度はポケモンによってまちまちなのだが、アルの場合かなり急性だったのだ。しかも発見もかなり遅れてしまった。それが災いして、ポケモンドクターの人達も結局殆んど手を打てず――。
「痛感させられたよ。俺は結局、周りのポケモン達の事を殆んど気にかけていなかったんだなって。折角チャンピオンになれたのに、こんなんじゃダメだって。そう思ったんだ。だから、俺は……」
そこでハイクは、言葉を見失う。
だから俺は、何なんだ? あんな事があって、自分の不甲斐なさを痛感して、もう同じ事は繰り返さないと誓った。そう言いたいのか?
同じ事は繰り返さない? 自分は本当に、そう硬く誓ったのだろうか。いや。勝手にそう思っていただけだ。現に今、ライト達はローブ達によって捕らわれている。このまま良いように利用されて、最後はどのような形で見捨てられるのか。想像もできない。
そうだ。何も変われてないじゃないか。結局、誰かを助ける事すらできていない。ライト達が苦しんでいるって、分かっているはずなのに。未だに手が届かない。
このままでは、また救えない。あの時と同じように。
「俺、は……」
『ハイクさんは……! 十分、頑張っていると思います……』
ハイクは表情を歪めたその時。割って入ってきたのはヴォルの声。また思いつめそうになっていると、そう察知したのかヴォルは少し合意に割り込んできた。普段あまり出さないような大きな声を上げて、ハイクの言葉を遮ろうとする。
『つい最近ハイクさん達に会ったばかりのボクじゃ、口を挟む筋合いはないかも知れません……。でも……ハイクさんは、何でもかんでも抱え込み過ぎだと思うんです……。だから……あんまり自分を責めないで下さい……』
緊張からか最後の方の口調はもごもごしていたが、それでもヴォルの言葉はハイクへと届いていた。彼は静かに腰を降ろし、そして優しくヴォルの頭に触れる。
「……ありがとう。ヴォル。……そうだよな。毎回毎回お前達に心配かけるのも、良くないよな」
ほんのりと笑みを浮かべつつも、ハイクはヴォルにそう声をかける。
抱え込み過ぎ。確かに、周りの目から見るとそう感じるのかも知れない。ハイク本人に実感はないが、どうも責任を強く感じてしまう癖があるのだ。どうもその様子が、ヴォルには見ていられないのだろう。
『(ボクも……頑張らなきゃ……。ハイクさんが……責任を感じてしまわないように……!)』
だからこそ。ただ一匹、ヴォルは心の中でそう決意していた。
―――――
どうして。どうしてこんな事になってしまったのか。
一体、何が起きて、自分達はどうなってしまったのか。今となっては、少しずつ分からなくなってきていた。ただ、心の中には強い恨みの念だけが残ってしまって。兄と自分を引き離した人間達を、恨まずにはいられなくなって。そうとでもしないと、簡単に壊れてしまいそうで。
『うっ……』
どうしてこんな目に遭わなきゃいけないのか。自分達が一体何をしたって言うのか。
兄とはずっと一緒だった。ずっと一緒だったからこそ、こうして離れ離れになると寂しくて寂しくて仕方がなかった。
そう。自分は人間に復讐したい訳じゃない。そんな事をしても何の意味はないって、分かってるはずなのに。だけど。
『うぅ……ん……』
意識が覚醒してきて、ラティアスは現実に引き戻された。
長い夢を見ていた気がする。ついこの間までは当たり前だと思っていた。いつもの日々。今はもう壊されてしまった、あの優しい温もり。大好きだった、ラティオスの姿。
重い瞼を開けると、自然と一粒の涙が零れる。目を覚ました途端、またあの光景が頭に浮かんで。怖かった。思い出すだけで、震えが止まらなくなる。
『兄……さん……』
涙は止めどなく溢れてきて、止まらなくなる。
会いたい。もう一度、会いたい。いったい、どこにいるの? 何をしているの? 私は――ここにいるよ。
『……目を覚ましたか』
『…………ッ!』
突然声をかけられて、ラティアスは反射的に飛び起きる。慌てて目を向けると、そこにいたのは腕を組んで壁に寄りかかっている一匹のジュカイン。
そう言えば。改めて周りを眺めてみると、自分の知らない空間が広がっていた事に気がつく。何だかツーンとするような臭いが鼻をつつく、白を貴重とした部屋。そんな部屋にいるのは、自分とこのジュカインだけで。
『誰……なの……?』
『……俺の名はカイン。あんたを助けたトレーナーのポケモンだ』
『トレーナーのポケモン……? それって……!』
途端にラティアスは警戒心を強める。
トレーナー。その名前は知っている。確か、ポケモンを連れた人間達の事だ。
そう。自分とラティオスを離れ離れにさせた張本人。目の前にいるジュカインは、そんな奴らのポケモンであると自ら名乗り出た。
『別に警戒する必要はない。俺はあんたに危害を加えるつもりはない』
『そんな言葉……信用すると思う?』
そうだ。人間なんかと一緒にいるポケモンの言葉など、信用できる訳がない。こいつらも結局、人間と何も変わらない。人間の言う事を素直に聞いて、その命令を何の躊躇いもなく実行して。どんな凶悪な命令でも、淡々とやって退けるような奴らなんだ。現に、あのローブ達と一緒にいたポケモンがそうだった。
『……そうか。まぁ信用できないのも無理はない……か』
『あんたもどうせ……アイツら同じなんでしょ……! あんなニンゲンと一緒にいて……』
あんな人間。そう自分で口にして、自分が最後に見たあの少年の事を思い出す。
今まで出会った人間は、襲いかかると決まってみんな反撃しようとしてきた。中にはモンスターボールを取り出して、捕獲しようとしてくる奴もいた。
でも。あの少年だけは、他の人間とどこか違っていた。
『あんな……ニンゲンと……』
確かに、防衛の為に最低限の反撃はした。けれども、アイツは敵意を向けはしなかった。それどころか、話を聞こうとしてくれていた。こっちは本気で襲いかかっていたのに、あの人間はあれ以上反撃しとうとも逃げ出そうともしなかった。その理由は、ただ一言。信じていたから。
『あっ……』
胸の奥が苦しくなって、再び涙が溢れ出す。どうしてこんな気持ちになるのか、自分でもよく分からなかった。胸の奥が苦しくて、けれども不思議と不快ではなくて。
似ている。ラティオスと一緒にいたあの時と、何となく似ている感覚。懐かしくて、温かい。自分を優しく包み込んでくれるような、そんな感覚。
『うっ……うぅ……!』
『な……なぜそこで泣くんだ……?』
『うる……さい……! うぐぅ……!』
こらえきれなくなって、嗚咽混じりに泣きじゃくるラティアス。突然目の前で泣きだされ、カインは少し困惑気味だ。そんな鈍感なカインにラティアスが言い返そうとするが、咽び泣きばかりが表に出てきて結局上手く言葉にできなかった。
どうして、こんなにも涙が溢れてくるのか。
――分かってる。自分の事くらい、ちゃんと理解しているつもりだ。ラティアスが本当に求めていたもの。復讐じゃない、本当の目的。それは、温もりだった。
一人になるのが怖かった。一人でいるのが寂しかった。だからラティアスは温もりを欲していたのだ。誰かの支えが欲しかった。誰かが一緒にいて欲しかった。一人ぼっちは、嫌だった。
それなのに。
『私は……どう、して……!』
信じられない。人間を、そして人間達と一緒にいるポケモン達の事を。
頭の片隅には、未だに渦巻く黒い感情が残っている。人間の事を考えると、それが少しずつ大きくなって。また酷い目に遭わされるんじゃないかって、不安で不安で仕方なくなる。その思いが、結局また憎しみに変わる。
『嫌だ……もう、嫌だよぉ……こんなの……』
目元や頬を赤くして、ラティアスの涙は今も尚止まらない。
そんな中、カインはただ何も言わずにラティアスのそばに歩み寄る。
さっきの反応から考えて、初めはどうして泣いているのか、理解できていなかったらしい。けれども、ラティアスの雰囲気や度々漏らす言葉を聞き取って、何となくその理由を察してくれたようだ。ラティアスの不安を和らげる為にも、優しく言葉を投げかける。
『……心配しなくても大丈夫だ。ハイクもレインも悪い人間じゃない。あんたが思い込んでいる程……人間は悪人ばかりじゃないんだ。だから今は……安心しても良い』
こう言う事に関しては、カインはあまり器用な方ではない。でも。彼は不器用なりに、できる限りの事はしてくれていた。そんなカインの気遣いを受けて、ラティアスの心が少し揺れ動く。
それから少しして、席を外していた女性医師が部屋に戻ってきた。
人間嫌いなラティアス。ハイクと出会う前までならば、ここで暴れだしてもおかしくない状況だった。だけど今は。拒絶するような反応は見せるものの、暴れだしそうな雰囲気はない。
ハイクと言うトレーナーと彼のポケモン達が、確かにラティアスに影響を与えた。本当にほんの少しだけ、彼女は人間を受け入れてくれるようになっていた。
―――――
ざわざわと忙しなく動き回る人々。そこに響き渡るのは、タイピングする音や電話のコール音、そして人の声。目まぐるしい勢いで状況は流れてゆき、ただ眺めているだけでも目が回りそうだ。皆が皆真剣で、気の緩みなど一切ない。糸を張ったような緊張感が漂う中、場の雰囲気はピリピリしていた。
ここは、キンセツシティのとある建物。それのとある一室だ。今は国際警察の拠点の一つとなっており、主にキンセツシティでの調査を任された者達が集まっている。
キンセツシティ内にローブがいる可能性が高いと言う事で、ここ導入された人数はかなり多い。その為、相対的に騒がしくなってしまうのだ。
しかし。それにしても、今日はどこかがおかしい。誰を見ても深刻そうな表情をしていたり、焦りの色を浮かべていたりと、いつも以上に余裕がないように見える。
それもそうだ。既に事態は、最悪な方向に進みつつあるのだから。
「失礼します」
そんな部屋へと訪れたのは、長いブロンドヘアーを持つ小柄な一人の少女。ミシェルである。
彼女もまた、キンセツシティを任されていた身だ。検問監視などの役割を担っていたのだが、緊急事態宣言が発令され、急遽この場へと招集されていた。
一体、何が起きているのか。彼女はまだ知らされていない。しかし、このタイミングでの緊急事態宣言だ。場合によっては、一刻を争う事態になりかねない。
「おぉ! 来てくれたかミシェルクン!」
ミシェルを迎えてくれたのは、やや老け顔の一人の男性。短く切り揃えられた髪。丈の長い焦げ茶色のジャケット。服装の色彩は地味であり、いかにも警察官だとか探偵だとかそう言った雰囲気の格好である。
そんな彼もまた、国際警察。その中でも、かなり高い階級に位置する男性。つまるところ、ミシェルの上司にあたる人物。
「遅くなって申し訳ありません。それで……ハンサムさん。何があったんですか?」
コードネーム、ハンサム。国際警察の中でも本名を知る者は殆んどいないらしい。
ハンサムと呼ばれた男性は、ミシェルの質問に対してやや表情を曇らせながらも小さく頷く。その様子を見ただけで、ミシェルの胸の奥は不安でいっぱいになる。
少し間を置いた後、ハンサムは口を開いた。
「……厄介な事が起きた。しかし説明する前に一つ確かめておきたい事がある。ミシェルクン、君はホウエン地方の歴史についてどれほどの知識がある?」
「ホウエン地方の歴史……ですの? 大体は頭に入っているつもりですが……具体的にはどの部分が?」
「具体的には……超古代ポケモンに関する歴史だ」
超古代ポケモン。それを聞いてミシェルが真っ先に連想したのは、二匹の伝説のポケモンだ。
今から約七年前、ホウエン地方では他に類を見ない程の史上最悪の事件が起きた。マグマ団とアクア団、その二つの組織によって引き起こされた自然災害である。それに超古代ポケモンも関わっていたと聞いた事がある。
「超古代ポケモンの知識……問題ありませんわ」
ミシェルはポケモントレーナーだ。ポケモンの事ならば、ある程度は知り尽くしている。勿論、伝説級のポケモンの事も。ホウエン地方に伝わる超古代ポケモンが、どういったポケモンであるのかと言う事も。
「それなら話が早い。手短に言おう。超古代ポケモンの片割れ……たいりくポケモン、グラードン。えんとつ山で眠りについていたそのポケモンが、忽然と姿を消したとの報告が入った」
「姿を消した……って……!」
ミシェルは耳を疑った。聞き間違いではないかと、一瞬だけそう思った。でも、間違いない。他の国際警察達の慌てようが、何よりの証拠だ。
たいりくポケモン、『グラードン』。陸地を生み出したポケモンだと伝わっており、天候さえも制して周囲を熱と光で包み込める程の力を有していると言われている。その力を最大限まで解放すれば、世界中のありとあらゆる水分を干上がらせる事すら可能。
そんな強大なポケモンであるが、現在はえんとつ山の最深部で深い眠りについている。今や最早そのような力を拝めるような機会が訪れるような事はない――と思われていた。
「それはつまり……七年前と同じ……? グラードンが復活したと言う事ですの……!?」
そう。七年前。一度グラードンは復活してしまった。マグマ団の手によって、深い眠りから目覚めてしまったのだ。ミシェルは実際に体験した訳ではないが、一歩間違えばあまりにも甚大過ぎる被害が出るところだったと聞いている。
あの時の異常気象の一部は、グラードンによるもの。あのまま行けばホウエン地方――いや、世界そのものが危ないとまで言われたくらいの大災害。しかし、あの時は。それが現実のものとなるギリギリの所で、何とか沈静化する事に成功したのだ。グラードンは再び深い眠りにつき、それ以降目覚める事はなかったと言う。
そのはずだった。
「いや。まだ復活はしていないだろう。グラードンの復活には藍色の珠が必要不可欠だ。しかし、それが持ち出されたと言う報告は今の所入っていない」
「復活は……していない……? それでは、どうしていなくなったのでしょう……?」
ますます分からない。復活はしていないはずなのに、忽然と姿を消した? それではまるで、眠ったままのグラードンを誰かが持ち出したようではないか。
しかし、そんな事本当に可能なのだろうか。そもそもグラードンが眠りについている地点まで辿りつくのさえも困難なのだ。そんな所からグラードンを運び出すなど。
「いや……まさか……」
「そう。マスターボール……あれを使えば理論的には可能だ」
マスターボール。野生であれば全てのポケモンを捕獲する事ができる、究極のモンスターボール。元々カントー地方のシルフカンパニーで開発が進められていたが、とある理由により凍結。それ以降プロジェクトが再開される事はなく、実物が完成する事は叶わなかった。表向きでは。
しかし、裏では既にいくつかのマスターボールが秘密裏に製造されている。どんな野生のポケモンでも確実に捕獲する事ができると言う肩書きは当然ポケモントレーナーにとって非常に魅力的な響きであり、高値で売りつける事ができるのだ。
当然、そのような行為は違反である。そもそもマスターボールの製造そのものが禁止されている。どんなポケモンでも捕獲できるボール――そんな物が出回ってしまったら、ポケモンの生態系が乱れる危険性があるからだ。また、製造及び売買だけではなく、それを使用してポケモンを捕獲しようとする行為も現在は禁止されている。
「ではやはりローブ達が……? しかし……取締りも厳しくなりましたし、マスターボールを手に入れるのは非常に困難であるはずですわ。そもそも……仮にマスターボールを使っても、誰も気づかれずにグラードンを回収する事なんて……」
「いや……相手はレジロックなどと言った伝説級のポケモンすらも従える存在だ。我々の目を欺き、マスターボールを手に入れていてもおかしくはないだろう。残念だが、いくら規制をしたとしても犯罪が完全になくなる事はないのだから……。それに、誰にも気づかれずにグラードンを回収するタイミングはいくらでもあったはずだ」
「それは……まさかっ! フエンタウンの騒ぎに紛れて……!?」
そう言う事だったのか。なぜローブ達は、フエンタウンであんなにも派手に暴れていたのか。少し気になっていたのだ。
そう。あれは、裏でグラードンを回収する為のカモフラージュだったのだ。フエンタウンで大きな騒ぎを起こす事によって、人々の注意をそちらに引きつけた。その間にグラードンを回収、と。
「そんな……そんな事の為に、フエンタウンをあんな……!」
「そう。奴らはあんな事も平気でやってのける。最早これ以上野放しにはできない……! だが、我々にも目星が全くないわけではない。次に奴らが現れる場所……既にその検討はついている」
ハンサムはやけに自信満々にそう語る。
ミシェルは少し想像力を働かせてみる。ハンサムがここまで自信たっぷりに言うのだから、何か大きな手がかりがあるはずだ。
ローブ。グラードン。藍色の珠――。そこまで考えて、ミシェルは一つの結論に至る。
「おくりび山……!」
「その通りだミシェルクン! 奴らが眠ったままのグラードンだけ回収するなど考えにくい。それならば、復活に必要なアイテム……藍色の珠を求めておくりび山に現れる可能性が高い……!」
確かに。その可能性は高いだろう。しかし、おくりび山とは。
少し嫌な予感がする。ミシェルの脳裏に過るのは、彼女が脱出の手伝いをした少年達。あの方面に向かったのなら、おくりび山を訪れていても不思議ではない。
グラードンが消えたと言う緊急事態にいっぱいいっぱいで、どうやらハイク達がキンセツシティから脱出した事や、自分が彼らに関与した事はまだ知られてなさそうだ。そこまではまだいい。しかし、もし彼らがおくりび山でローブ達と接触してしまったら?
ハイク達を逃がしたのはミシェルだ。そしてミシェルは、ハイク達がローブ達と敵対している事も知っている。そんな彼らがキンセツシティから脱出した時、何をしようとするのか。想像は容易だった。
ミシェルの心には、強い不安感がずっしりとのしかかる。本当に、大丈夫なのだろうか。かえって逃がさない方がよかったのではないか。そう何度も思ってしまう。
「それならば、すぐにおくりび山に向かって……!」
「それについては既に手を打ってある。先ほど何名かをおくりび山に向かわせた。迅速な行動を心がければ、奴らより先におくりび山に辿りつくのも可能なはずだ。そこでミシェルクンはここに残り、可能ならばサポートに回って欲しい。奴らが動き出す前に、少しでも多く手を打って……」
ハンサムがそこまで話した、その時。通信機に着信が入った。
けたたましい音を発し、着信を知らせる通信機。しかし、ただの着信ではない。緊急通信。想定外の事が発生した時、本部に知らせる為に行う通信である。
そんな通信が、ハンサムのもとへと飛んできたのだ。しかも相手は、たった今ハンサムが話していたおくりび山に向った部隊の一人。
ハンサムの表情に、焦りが浮かぶ。冷や汗を一つ流しながらも、彼は通信に応じた。
『本部! 本部! 応答願います本部!』
「こちら本部。ハンサムだ。いったい何があったのだ?」
『は、ハンサムさん……? 想定外の事態です! キンセツシティ東の出入り口付近でローブ達の一員と思しき人物と接触……! 奴は……を使って……。なっ、何を……何をする……! 止めろ……!』
「っ! おい、どうした!?」
『止めろ……! うわああああああ!』
ブツン!
勢いよく通信が切断された。通信相手の叫び声を最後に、完全に沈黙。その後、何度も通信を接続しようと試みるが、それ以後再び繋がる事はなかった。
「い、いったい何が……?」
「……分からない。だが……!」
横でその通信を聞いていたミシェルが、恐る恐るハンサムに尋ねる。他の国際警察達も、先ほどとは違う意味でざわざわとし始めていた。
想定外の事態、とは? キンセツシティにローブがいる可能性は想定内のはずだ。それならば、彼らが言っていたのはまた別の事態。途中から途切れ途切れの通信になってしまった為、通信相手が何を言おうとしていたのかは完全には聞き取れなかった。何かを使っていたとは聞こえたのだが――。
何にせよ、ただ事ではない事は確かである。
「手の空いている者は部隊の救出に向かうのだ! 俺も出る! ミシェルクン!」
「は、はいっ!」
「キミはおくりび山に向かってくれ! 紅色の珠と藍色の珠……それを奴らに奪われる訳にはいかない!」
「了解……しましたわ……!」
頷きながらも短くそう返事をし、ミシェルは踵を返して部屋をあとにする。
運動が苦手な彼女だが、精一杯のスピードで建物の外へと向かう。頬には冷や汗がいっぱいで、心臓の鼓動もいつにも増して早い。
このタイミングでのローブ達の妨害。どうやらハンサムの推測は正しかったようだ。次にローブ達はおくりび山に現れる可能性が高い。なぜ奴らがグラードンを必要としているかは分からない。
だがはっきりしている事はある。もし藍色の球が奴らに奪われてしまったらホウエン地方――いや、ヘタをすれば世界が危ないと言う事だ。
「サザンドラ……!」
建物の外に出ると同時に、ミシェルはモンスターボールからポケモンを繰り出す。
黒い姿をしたポケモンだった。禍々しい雰囲気を放ち、その容姿はかなり不気味である。その分類はきょうぼうポケモン。小柄なミシェルと並ぶとかなりの体格に見える、三叉の頭を持つポケモン。
「おくりび山に向かいますわ! サザンドラ、お願いします!」
サザンドラの背中によじ登ると、ミシェルはそう指示を出す。呼応するかのように鳴き声を上げると、サザンドラは飛び立った。
ミシェルの運動能力では、走って向かっては時間がかかりすぎてしまう。しかし、サザンドラに乗っていけば多少は時間を短縮できるはず。今は一刻も早くおくりび山に向かわなければならない。
「急がないと……! 間に合えば良いのですが……」
そう呟きながらも、ミシェルはサザンドラにしがみついていた。
―――――
ドサリと音を立てて、国際警察の一人が倒れ込む。ポケモンの技に巻き込まれて、強く頭を打ってしまったのだ。
これで、七人目。おくりび山に向かったはずの全ての国際警察が全滅したことになる。彼らのポケモンも瀕死の状態で、直ぐにポケモンセンターに連れて行かなければ危険だ。彼らをここまで追い詰めたのは、一人の人間と三体のポケモン。
「邪魔をしないでもらえるかね? 私のゲームに君達は不要なのだよ」
その男――白ローブは吐き出すようにそう言い放つ。しかし返事は返ってこない。当然だ。全員意識を失っているのだから。
手加減はしたつもり。殺してはいない。しかし、あくまでした“つもり”である。力の加減を間違えて、危険な状態にまで追い込んでしまった可能性はある。しかし白ローブは特に気にした表情は見せず、ケロッとしていた。
彼の傍らに佇むのは、三体の無機質なポケモン。一体はいわやま、一体はひょうざん。そしてもう一体は、くろがね。
「ククク……さぁて、ゲームは次のラウンドに突入だ。これからどう動く? チャンピオン……」
おもむろに振り返り、白ローブはおくりび山の方面を見据える。不気味な笑みを浮かべながらも、その男はフードの裾からギラリとした瞳を覗かせていた。