ポケットモンスター デスティニー 〜憎しみを砕く絆〜
第5章:交錯する意思
5‐3:むげんポケモン


 朝。濃い霧に包まれた123番道路を、ハイク達は歩いていた。
 キンセツシティの東側に隣接しているのは、118番道路。そこから更に東に進む事で、ここ123番道路に辿り着ける。ホウエン地方の中でも気候が安定しない事が多い道路であり、今日のように早朝から霧が出てくるのも然程珍しい事ではない。視界がやや悪い為に前に進み難いが、強い雨が降っていないだけまだマシだろう。

「ここ……どの辺だろ……?」
「多分、もう直ぐおくりび山……かな?」

 こうも霧が濃いと方向感覚が麻痺してしまう。123番道路である事に間違いはないと思うのだが、果たしてちゃんと真っ直ぐ進めているのか。正直、あまり自信が持てなかった。

 昨晩。ミシェルの協力もあって何とかキンセツシティから脱出したハイク達。国際警察の誤解が更に重なってしまう前に、キンセツシティから離れるべきだと判断していた。何だか逃亡しているようで気分が悪いが、だからと言って他に方法がある訳でもない。
 国際警察の誤解を解くためにも、いち早くローブ達を止めなければならないのだ。

 現在、ハイク達が向かおうとしているのは、『おくりび山』と呼ばれる所。初めは118番道路から119番道路に進み、ポケモンジムがあるヒマワキシティに向かおうと考えたのだが、とある事情により先におくりび山に寄る事にした。そうなると少し遠回りなってしまうが、今は仕方ない。

「……ごめんね、ハイク。私のわがままに付き合わせちゃって……」
「……いいんだよ。気にするな」

 もの寂しそうな雰囲気で謝るレインだったが、ハイクはほんのりと笑みを浮かべながらもそれに答える。
 そうだ。レインが気にする必要はない。今ばっかりは、彼女の好きにさせてもいい。いや、そうさせるべきだった。

 そんなやり取りもそこそこに、ハイク達は123番道路を進む。視界が悪い故に歩くのもかなり慎重になり、それでもぬかるんだ地面に足を取られそうになる。
 よく見ると周囲は水たまりだらけで、足元はぐちょぐちょだ。先日に雨でも降ったのだろうか。そう言えば昨日のキンセツシティの天気は曇りだったが、123番道路では降雨だったのか。何にせよ、今ここで文句を言っても仕方がない事だが。

「……あれ?」

 ハイクが足元に気を取られているその時。不意に声を上げたのは、ちょうどハイクの前を歩いていたレイン。何かに気づいたのかおもむろに立ち止まり、難しそうな表情で首を傾げている。
 当然ハイクも立ち止まって、レインに声をかけていた。

「レイン? どうした?」
「……なんか聞こえない? 風を切るような音って言うか……」
「風……?」

 レインにそう指摘され、ハイクも耳を傾けてみる。
 確かに。言われるまで全く気づかなかったが、ヒューンと言う妙な音が聞こえる。レインの言う通り、高速で動く何かが風を切る音に似ているようだ。例えるならば、上空を飛ぶジェット機が風を切る音。

『確かに音は聞こえるけど……霧が濃くて見えない!』

 キョロキョロと辺りを見渡しながらも、やきもきしたのかルクスが声を上げた。ここまで霧が濃いと、流石のルクスでもお手上げらしい。当然、レイン達でも何も見えない。

『ハイクじゃ何とかならないの? 前に波導がどうとか言ってたじゃん』
「いや、あれは……」

 そう言えば。どうして自分はあの時、自然と波導などと口にしたのだろう。得体の知れないものであったはずなのに、何故だか心の奥に刻み込まれていたかのような――。
 いずれにせよ、あの時に波導を感じ取ったのはハイクが意図してやった訳ではない。突発的に、勝手に感じてしまっただけ。任意でホイホイできる訳じゃない。

「ハイク……? 何だか音が大きく……って言うか、近づいてきてる……?」
「うん……。一体、何が……」

 音がどんどん近くなってくる。周囲を旋回しながらも、次第に近づいてきているようだ。
 少し嫌な予感がして、ハイクは鞄の中のモンスターボールに触れる。三つあるボールを手探りで一つ選び、掴んだその時。霧の中から、何かのシルエットが浮かび上がって――。

「なっ……!」

 ギュンッという音と共に、霧の中から何かが突っ込んできた。ハイクもレインも慌てて飛び退いたため特に怪我をした訳ではなかったが、もう少し遅かったら跳ね飛ばされていた所だ。あんな速度で跳ねられていたら、どうなっていたか。想像するだけでも恐ろしい。

 一体、何が通過したのか。ハイクが顔を上げると、そこにいたのは一匹のポケモンだった。
 戦闘機にようなシルエットの容姿。赤と白を基調とした身体。黄色い瞳。身体の大きさは小さく、せいぜいノココやフレイよりも一回りほど大きいくらいだろうか。

「あいつは……」

 あのポケモンの事は知っている。実際に見た事はなかったが、どこかで聞いた事くらいはある。ホウエン地方でも生息が確認されているポケモンで、タイプはドラゴンとエスパー。むげんポケモンに分類され、確か名前は――。

「ラティアス……!」

 そのポケモンが高速で突っ切った影響か、周囲の霧は少しだけ晴れ始めた。お陰で少し視界が良くなる。ハイク達の上空をグルグルと飛び回るラティアスの姿も、何となく確認できる程にまでなっていた。

「えっ……えっ……! い、今のってラティアスなの……!?」
「間違いないよ。あの姿、レインも見えるだろ?」
「ほ、ホントだ……。でも、どうしてラティアスが私達の事を? また凶暴化してるのかな……?」

 いや。あのラティアスは、少なくともいつものような凶暴化したポケモンとは違う。何となくだが、ハイクにはそう感じられる。凶暴化したポケモン達からは感情や思いがまるで感じ取れなかったが、あのラティアスは違う。むしろハイク達に向けて、強い感情を抱いている。しかも友好的なものではない。強く重い、憎悪にも似た感情。

『今のじゃダメだ……』

 ボソリとそんな呟きがハイクの耳に届く。おそらくラティアスの声だろう。やはり、あのラティアスにはちゃんと意思や感情がある。きちんと口を聞けているのが、その証拠だ。

 しかし、あのラティアスはなぜ急に襲いかかってきたのだろうか。記憶を探ってみても、ラティアスに恨みを買うような事をした覚えはない。
 何にせよ、このままではこっちが危ない。

「行け! アクア!」

 掴んでいたモンスターボールを投げ、その中にいるポケモンを展開する。
 ラプラスのアクア。氷タイプの技を使える彼女ならば、ドラゴンタイプであるラティアスが相手でも優位な立ち回りができるはず。今はとにかく、あのラティアスを止めなければ。

 上空を旋回していたラティアスが不意に青白い光を身体に纏い、一気に急降下。そのままハイク達に向けて、きりもみ状態で落下してきた。
 “ミストボール”。エスパータイプの特殊技。

「アクア! あいつの軌道をずらすんだ! “れいとうビーム”!」
『軌道をずらす、ですね……! 了解です!』

 “ミストボール”で突っ込んでくるラティアスを前にして、アクアは冷静に技を使う。一直線に伸びる“れいとうビーム”を瞬時に発射した。
 しかし、直撃を狙った訳ではない。あくまで軌道をずらすだけ。ギリギリでラティアスの身体をかすめる程の、それくらいの位置。

『うぅっ……!?』

 思った通り、ラティアスは反射的に身体を遠退けてくれた。勢いを付けてのきりもみ落下だった為、一度重心が崩れればもう修正は効かない。フラフラと進路が狂い始めて、やがてハイク達の正面の少し離れた所に墜落した。

「やっ……やったの……?」
「いや。直撃した訳じゃないから……」

 ズンッという音と共に、強い風圧が吹き荒れる。思わず腕で顔を覆いながも、ハイクはレインの問いに答えていた。
 砂埃が舞い上がる中、地面に衝突したラティアスがむくりと起き上がるのが見えた。流石にポケモンだ。あの程度ではどうって事ない。

『うっ……まだ、まだ……!』

 唸り声にも似た鳴き声を上げながらも、ラティアスは立ち上がる。
 まだ続けるつもりだ。いや、おそらくこちらが倒れるまで、あのポケモンは攻撃を止めようとしないだろう。なぜなら、ハイク達を見据えるあの瞳には、強い意思が宿っているのだから。決して良い感情ではない。抱いてはいけない感情が、ラティアスを動かしている。是が非でもやり遂げようとする。

「ちょっと待ってくれ!」

 だからこそ。止めなければならない。あんな気持ちで戦っちゃダメだ。
 ハイクはアクアの前に出て、ラティアスに声をかけてみた。

「ちょ……ちょっとハイク!」

 流石のレインも動揺気味だ。あそこまで敵意を剥き出しにしたポケモンを前にして、それでも呼びかけようとするハイクを見て、心配になってしまったのか。無理もないだろう。

「お前……ラティアスだよな? どうして急に襲いかかってくるんだ? 何か理由があるのか?」

 ハイクはラティアスに声をかけ続ける。
 ラティアスは非常に知能が高く、かつ友好的ポケモンだ。余程の事がない限り、人を襲うとは考えられない。でも、このラティアスは違う。

『あんた……達の、所為で……!』
「俺達の……所為……?」

 ハイクに返ってきた第一声がそれだった。まるで強い恨みでも抱いているかのようだ。
 あの瞳に宿るのは、最早敵意などではない。明確な、殺意――。

『あんた……私の言葉が分かるの……?』
「あぁ。だから教えてくれ。俺達の所為って……どういう意味だ? 一体、何の事を言ってるんだ?」
『何の事って……とぼけないで! あんた達ニンゲンの所為で兄さんは……!』
「兄さん……?」

 ハイクは首を傾げる。
 ラティアスの兄さん、と言う事は同じむげんポケモンのラティオスの事だろうか。しかし、ハイクはラティオスなど見た事もない。ラティアスだって、実際に見たのはこれが初めてだ。
 彼女の口ぶりから想像するに、ラティオスに何かあったのだろうか。

「待ってくれ。お前は誤解してるよ。俺達は何も……」
『そんなの嘘! あんた達も、どうせアイツらと同じなんでしょ……! 私達を強引に捕まえて、無理矢理にでも引き離す……!』
「アイツら……? い、いや! 違う! 俺は……俺達は、そんなつもりじゃ……」

 ハイクは慌てて首を横に振るが、ラティアスはまるで聞く耳持たない。怒りや憎しみに身を任せ、エスパーエネルギーを解き放った。
 アイツら、とは一体誰の事を示しているのか。おそらく、ラティアスの兄であるラティオスに何かをした人間の事だろうが――。

 つまり、ラティアスはいわゆる人間不信に陥っていると言う事だ。大切な自分の兄が、人間の手によってひどい目に遭わされたから。人間に対して、強い憎しみを抱いている。だから突然ハイク達に襲いかかってきた。こんな状態になってしまっては、もう呼びかけても無駄かも知れない。

 解放したエスパーエネルギーは一ヶ所に集中し、再びラティアスが青白い光に包まれる。さっきと同じ技、“ミストボール”だ。
 またあの技が飛んでくる。反撃しなければ、今度こそ危ない。
 だけど。本当に、このまま攻撃しても良いのだろうか。弱点をつける技を使って、無理矢理にでも撃退して。それはつまり、あのラティアスを放っておいて逃げ出すと言う事じゃないか。
 そんな事、絶対に駄目だ。

「ハイク? どうしたの……? あのラティアスが何か……」

 何も喋らなくなったハイクを見て、レインがそう声をかけてくる。
 普通ならば、ハイクの行動を見て不審に思ってしまうのも仕方ない。自ら襲いかかってくるポケモンの前に出て、しかし反撃すらもしようとしないのだから。

 でも。これがハイクと言うポケモントレーナーだ。ポケモンの為ならどんな危険も顧みず、無謀な試みだって平気でやって退ける。その先に光があるのなら、少ない可能性にだって賭けてしまう。だけどハイクは、最後に必ず希望を掴む。
 レインには、それが分かる。だからそれ以上、何も言及しなかった。

『ハイク……来ますっ!』

 アクアの掛け声と、ラティアスの技の発動。それはほぼ同時だった。ラティアスを包む青白い光がより一層強くなり、猛スピードて突っ込んでくる。風を切り、空気を揺らし、一直線に突き進む。けれども、ハイクは動こうとしなかった。ラティアスの“ミストボール”が迫ってこようとも、逃げる気など更々無かった。

『ハイク……このままでは……!』

 アクアの表情に焦りの色が浮かび始める。しかし、ハイクは冷静だった。「大丈夫だ」と、笑顔を浮かべてアクアに答える。
 “ミストボール”が急接近し、あとものの数秒でハイク達に直撃する――その瞬間。

『なんで……』

 ビュウッ! と風が吹き荒れる。しかし、ラティアスは。“ミストボール”は、ハイクに直撃する既(すんで)の所で止まっていた。
 身に纏っていた光が薄れ、エスパーエネルギーも落ち着いてくる。ラティアスの敵意は相変わらずだが、しかしさっきとはどこか違った表情を覗かせている。

「話……聞いてくれる気になったか?」

 困惑しているラティアスに向けて、優しい口調でハイクはそう声をかける。しかしその言葉を聞いて、ラティアスはますます混乱したかのような表情を浮かべた。

『話って……。まさか……そんな事の為に、自分の身が危険に晒されるのも厭わないって言うの……?』
「んー……まぁ、確かにできれば穏便に済ませたいけど……」

 ポリポリと人差し指で頬を掻きながらも、ハイクは答える。その後はしっかりとラティアスと目を合わせて、自分の気持ちを伝えた。

「……絶対分かってくれるって、そう信じていたから」

 ハイクにそんな言葉を投げかけられ、ラティアスは息が詰まりそうになった。
 どうして。どうして、信じようと思えるのか。どうして信じられるのか。襲いかかったのはこっちの方で、しかも本気で潰しにかかっていたと言うのに。それでも彼は、あそこまで敵意を剥き出しにしていた自分を信じようとしてくれていた。

『信じて……いた……?』

 普通じゃそんな事考えられない。出会ったばかりのポケモンの為に、自らの身を危険に晒すなんて。そんな事をしようとする奴なんて、よっぽどの――。

『……バカ、じゃないの……あんた……』
「ラティアス……?」

 ドサリと、何かが落ちる音が響く。ただ小さな呟きだけを言い残して、ラティアスは崩れ落ちる様に力なく倒れてしまった。

「ラティアス!?」

 ラティアスの急変を目の当たりにして、ハイクが慌てて走り寄る。ぐったりと倒れ込んだまま、起き上がる気配はまるでない。意識はあるようだが呼吸は荒く、ぜえぜえと苦しそうに不安定な呼吸を繰り返す。
 一体、なぜ? どうして急に、こんな――。

「ハイク! どうしたの……?」
「わ、分かんない……。でも、ラティアスが……!」

 レインも慌てて尋ねてくるが、ハイクはそうとしか答えられない。
 どうしたのかなんて、こっちが聞きたいくらいだ。さっきまで、あんな勢いでぶつかってきていたのに。方向性は良くないが、あんなに活発的だったのに。

 ハイク達が動揺しているその横で、アクアが冷静にラティアスの様子を伺っていた。やがて何かに気づいたかの様にピクリと反応を見せ、その表情を曇らせる。重い口を動かして、自分の分析を説明し始めた。

『この子……だいぶ衰弱しています。まるで、もう何日もの間ほとんど飲まず食わずで動き続けていたような……』
「衰弱してる……って……!」
『おそらく……。ハイク達以外にも、既に何人もの人間に襲いかかっていたのでしょう。人間に対する強い恨みや憎悪の念に身を任せて……』

 ラティアスにとって、兄であるラティオスはとても大切な存在だったのだろう。そんなラティオスと人間の手によって離れ離れにさせられて、きっと辛かったはずだ。寂しかったはずだ。やがてその思いは、人間に対する強い恨みに変わってしまった。
 復讐。自分の気を紛らわす為にも、ラティアスにはそうするしか道はなかった。

「えーと……。と、とにかく! 早くこの子をポケモンセンターに連れて行った方がいいよね……?」
「そうだな。ここからだとどこが近かったかな……」

 雰囲気だけで何となく状況を理解したレインが、ハイクにそう提案する。彼女の言う通り、今は一刻も早くラティアスをポケモンセンターに連れて行くべきだ。これ以上衰弱してしまったら命に関わる。

「ほらっ! 確か、おくりび山の近くにあったよね? 結構最近になって建てられたやつ」
「あそこか。……うん。多分、ここからだとあのポケモンセンターが一番近いかな」

 123番道路まで来てしまっては、キンセツシティもヒマワキシティも遠い。しかしおくりび山のポケモンセンターなら、ここから歩いてもすぐに辿り着けるだろう。元々おくりび山には向かうつもりだった為、ハイク達にとっても都合が良い。

 衰弱したラティアスを抱えながらも、ハイク達はおくりび山に向けて再び歩き出した。

absolute ( 2014/12/14(日) 18:01 )