ポケットモンスター デスティニー 〜憎しみを砕く絆〜
第5章:交錯する意思
5-2:和解


「おーいっ! レイン!」

 ハイクはキンセツシティを走り回りながらも、探し人の名前を何度も呼んでいた。
 ちょっと買い物に行ってくると、ハイクに数匹ポケモンを預けてから既に一、二時間。未だに戻ってこない上に、連絡もつかない。流石に何もないとは思うが、ここまで長い時間連絡すらつかないとなると心配になってくる。一体、何をしているのか。レインはそこまで買い物に時間をかけないタイプのはずなのだが。一部を除いて。

「う〜ん……やっぱりあれかな? でも、キンセツシティのどこに売ってるんだ……?」

 正直、キンセツシティを隅々まで探索した事はない。レインが行きそうなお店の位置など、ハイクにはまるで分からないのだ。そもそも、ハイクはそんな様な店にはあまり行く機会がない。
 取り敢えず、街中の様子に詳しそうな人に道を聞いてみるしかない。聞いてみるしかないのだが。

「ぬいぐるみはどこに売ってますか、って……男一人で聞くのもなぁ……」

 正直、恥ずかしい。今は四の五の言ってる場合ではないのだが。
 ここは変なプライド、と言うか羞恥心は捨てるべきだ。ちょっと聞くだけじゃないか。何も深く詮索される訳でもないだろうに。大丈夫、大丈夫だ。

『……ハイク。何をオロオロとしているんだ?』
「へっ……!? い、いや、別に……」

 心を決めようと深呼吸をしていたハイクを見て怪訝そうに声をかけてきたのは、後ろについてきてたカイン。三日前のあの時のようにレインの捜索を手伝ってくれたのだが、やはり手がかりは掴めていない。そんな中、何やらソワソワし始めたハイクを目の当たりにして、少し不審に思ったのだろう。

『まぁ確かに……しばらくレインと連絡がつかなくなって、不安になるのも無理はない。だが、今はまだ昼間だぞ。こんな時間から、この前のように連れ拐われるとは思えないがな』
「えっ……あ、あぁ! うん、そうだな」
『今はルクスとペンタもついている。あいつらの実力は、俺よりもあんたの方がよく知っているだろう? だから心配しなくてもいい』

 どうやら、カインはハイクがソワソワしている原因を勘違いしているようだが――今はこのまま誤魔化しておこう。

 さて。今ので少し気が紛れたお陰で、心の準備が整いそうだ。取り敢えず周囲を見渡して、街に詳しそうな人を適当に捜す。この時間では人通りも少なくない為、候補となる人も沢山いるだろう。
 とある人物を選択し、ハイクはその人に道を尋ねるべく歩み寄ろうとする。だが、その時だった。

『……ん? ハイク、あれを見てみろ』
「……え? あれ?」

 カインに肩を叩かれて、ハイクはおもむろに振り返る。カインの示す先にあったのは、大きな窓ガラス越しにいくつかの展示用商品が鎮座されている、一つのお店だった。
 お店の大きさはフレンドリィショップよりも一回り大きいくらい。小さくはないが、それほど大きい程でもない。薄橙色の外壁を持つそのお店にはどことなくファンシーな雰囲気が漂っており、まさにレインが行きそうなお店である。

 こんな所にこんなお店があったのか。そう思ったのも束の間、ハイクの注意はそのお店の窓ガラスの前にいた一人の少女へと向けられる。
 ミッドナイトブルーの髪。青っぽい長袖の上着。傍らに連れるのは、二匹のポケモン。
 後ろ姿だけでも分かる。

「れ、レイン……?」

 レインは瞳をキラキラさせて、ガラス越しに展示されているぬいぐるみを凝視していた。窓ガラスギリギリまで顔を近づけて、まるで念願の宝物を前にしているかの様な形相である。だらしなく涎も垂らしているようだが、気づいていないのだろうか。

「ふわぁ……! いいなぁ……エルフーン……。凄い……もふもふしたぁい……」

 至福の表情を浮かべて、ガラスに頬を擦りつけるレイン。傍から見たらただの変態である。

『おいおいおいっ! レイン! こんなヤツのどこがいいんだよ! オレっちの方がもふもふだぞぉ!?』

 そんなレインが凝視するぬいぐるみの姿を見て、対抗心を燃やしたペンタが声を張り上げる。当然レインには届かぬ声なのだが、一応分類的に同じぬいぐるみとしてここは黙っておけなかったのだろう。と言うか、ただの嫉妬であるのだが。

『え〜ペンタってもふもふかぁ? 結構ずっしりしてるぞ〜?』
『なっ……!? へっ、へへへ……。分かってねぇなルクス。ぬいぐるみってのはオレっちくらいが丁度良くてだな……』

 からかうルクスにペンタは何やら論じ始めるが、そんな事をしても小物臭が漂ってしまうだけだ。ルクス相手にぬいぐるみがどうとか熱弁した所で、正直無駄である。

「えっ……えっと……」

 ぬいぐるみを凝視するレイン。対抗心を燃やすペンタ。それをからかうルクス。そんな彼女らを前にして、ハイクは声をかけるタイミングを完全に見失ってしまっていた。
 しかし、このまま放っておいても埒があかない。ぬいぐるみを前にしたレインは、色々と恐ろしい。

「れ、レイン?」
「ひゃっ!?」

 ポンっとハイクが肩を叩くと、驚いたレインが飛び上がりそうになる。ハイクの方もビックリして、思わず身を引いてしまった。
 そこまで驚く程ではないだろうに。やはり周りがまったく見えていなかったのか。

「な、なんだハイクかぁ……。驚かさないでよ〜」
「別に驚かそうとした訳じゃ……。て言うか、お前もお前で周りを見てなさすぎだろ。ほら、まだ涎垂れてるぞ」
「ふえっ……ホントだ」

 ハイクに指摘されて、レインは慌てて涎を拭う。本当に涎すらも全く気づかなかったのか。ハイクは思わずため息をつきそうになる。
 まったく。普段から少し抜けている所があるが、ぬいぐるみの事になるとそれが更に顕著になる。彼女の趣味にとやかく口を出す筋合いはないが、女の子なのだからせめて身だしなみくらい気をつけた方が良いのではないか。

「……ところで、どうしてハイクがここに?」
「いや、レインが中々戻って来なかったからさ。探してたんだよ」
「ん? そんな長い時間経ってたっけ?」

 時間も気にしていなかったらしい。これに関してはいつも通りだ。流石に慣れてきてしまった。

「探してたって事は……何か急用?」
「急用……って程じゃないんだけど、早く伝えておいた方が良いと思ってさ」

 「早く伝える?」と、レインは首を傾げる。小さく頷いたハイクは、ついさっき起きた出来事を頭に思い浮かべていた。
 
「ついさっき、ミシェルさんに会ったんだ」
「……へ? ミシェルさんって、あの……?」

 ハイクは何も言わずに首を縦に降る。レインの表情が、ほんのちょっぴり曇った様な気がした。
 おそらく、レインは少しミシェルの事を警戒しているのだろう。何せシダケタウンで一度衝突してしまっているのだから。しかも、彼女は国際警察。ハイクが疑われている以上、今は国際警察も味方とは言い切れないのだ。だからこそ、その一員であるミシェルの事もあまり信用はできなかった。

 しかし、つい数分前。ハイクは再びミシェルと会っていたのだ。一体、なぜ?

「今夜……キンセツシティ東の検問所まで来て欲しい……だって」
「えっ……それって……!」

 レインの血相が変わる。ついさっきまでの浮かれた表情が嘘のようだ。

 東の検問所まで来て欲しい。国際警察によるお呼び出しだ。
 何を考えているのだろう。まさか、ハイクを捕まえようとする罠なのだろうか。いや、ハイクを捕まえるのならついさっき再会した時でも良かったはずだ。それでは、何か他に意図があるのだろうか。

 いずれにせよ、無警戒で要求を呑むのは避けた方がいい。

「……どうするの? 行くの?」
「……うん。行こうと思ってる」

 きっぱり。まさにその言葉が似合う程に、ハイクは躊躇する事もなく答えた。

「ま、待ってよ! 罠かも知れないんだよ!? それなのに、そんな……」
「罠じゃない。多分、あの人は嘘なんかついてない。何となくだけど……俺はそう思う」

 ハイクは本気だ。
 あの時。ぜえぜえと息を切らしてハイクの前に現れたミシェルの表情は、必死だった。あれは、ハイクを疑っている様な顔じゃない。ミシェルと言う少女は、人を騙して罠にはめるなんて事はしない人なんだ。そう思える程に、彼女の瞳は真っ直ぐだった。

「……本当に、ハイクはそう思うの?」
「あぁ。俺はミシェルさんを信じる。レインだって、もう一度会って話してみれば、きっとそう思うよ」

 レインが再確認するが、ハイクの気持ちは揺るがなかった。そんなハイクの姿を見て、レインも心を決める。

 ハイクの事は、誰よりも信用している。そんな彼がそこまで言うのなら、きっとミシェルの事だって信じてもいいのではないだろうか。あの時こそ衝突してしまったが、次はまた違った結果になるかも知れない。もしかしたら、レインはまだミシェルの真意にすら気づいていないのかも知れない。
 だとすれば、もう一度――。

「……うん。分かった。会いに行こ、ミシェルさんに……」

 様々な思いを胸に秘めつつも、レインは小さく頷いていた。



―――――



 また、キンセツシティの一日が終わる。
 数日前にローブ達の襲撃があったと言うのに、殆んど代わり映えのない人々の日常。あの日、ローブ達と直接対面したのは僅か数名。他の人々は深い眠りに落ちた状態で、そもそも襲撃事件があった事すら気づいてない。
 気づいていないからこそ、実感がない。実感がない事に、そう長い時間縛られている訳もない。だからこそ、キンセツシティにはカナズミシティほど大きな変化は訪れなかった。一つ変化があったとすれば、国際警察が増えた事くらいである。

 そんなキンセツシティの東出入り口。例に洩れず検問所が設けられているそこに、ハイク達は訪れていた。

「……お待ちしてましたわ。ハイクさん、レインさん」

 検問所にいた国際警察は、たった一人。長いブロンドヘアを持つ、小柄な少女。ミシェルと言う名の少女だった。

 ほんのりと笑顔を浮かべるミシェル。彼女の姿を見て、レインが纏う雰囲気が張り詰めたものへと変わる。やはり警戒しているのだ。横に立っているハイクでもそれは確かに伝わってくるのだから、矛先を向けられているミシェルが気づかない訳がない。
 ミシェルは一瞬だけ表情を曇らせる――ように見えたが、すぐにキリッと引き締めた。

「……あの、私達をここに呼んで、一体何が目的なんです? ハイクが疑われているのと、何か関係があるんですか?」
「……そうですわね。その件についても多少関わりがありますわ」

 その言葉を聞いて、レインは思わず一歩前に踏み出してミシェルを問い詰めそうになる。しかしそれは、ハイクによって遮られてしまった。片腕を真っ直ぐ伸ばして、レインの進行を妨げる。

「ハイク……!」
「落ち着け、レイン。今はミシェルさんの話を聞こう」

 ハイクが言葉を投げかけると、レインも少し落ち着いてくれたらしい。ハイクは小さく頷くと、ミシェルに説明の続きを促す。

「ミシェルさん。お願いします」
「……以前にもお話した通り、国際警察の中にはハイクさんを疑っている方もいますわ。つまり今の状態であなたがキンセツシティから出ようとしても、検問を抜けるのは難しいでしょう。多分、あなたはそれを分かっていたから、これまで検問所に現れなかった。違いますか?」

 ミシェルの言う通りである。ハイクは静かに頷いてそれに答える。

「……あなたの判断は正しいですわ。でも、このままじゃいつまで経っても事態は好転しません。あなたが無罪だと国際警察が断定するのはいつになるのか……。それはわたしくにも分かりませんの」
「……いえ、いいんですよ。でも……俺はいつまでもこんな所で立ち止まっているつもりはありませんから。疑われていようが何だろうが、いざとなったら……」
「……今。この検問所には、国際警察はわたくし一人しかいません」
「……え?」

 一段と張り詰めた雰囲気を醸し出し、ミシェルがそう切り出す。一体、彼女は何が言いたいのか。ハイクはその瞬間ではよく理解できていなかった。

「あの……一体、どういう……」
「つまり……今、あなた達がここを通過しようとしても……止める者は誰もいないと言う事ですわ」
「っ! それって……!」

 ハイクは思わず息を呑んだ。
 ミシェルは国際警察だ。つまり、まだ疑いの晴れていないハイクの勝手を許す訳にはいかない立場のはず。それなのに、彼女の方から解放してくれると言ってきた。

「ま、待って下さい! つまり……私達を解放してくれる、って事ですか……?」
「……そう言う事になりますわね」

 レインの質問に対し、ミシェルは小さく頷いてそう答える。
 一体、誰の権限でそんな事を言っているのだろう。まさか、ミシェルは国際警察の中でもかなり高い位に属しているのだろうか。いや、流石にそれは少し考えられない。国際警察と言えども、ミシェルはまだ未成年。そんな彼女が、それほどまでに高い位にいる訳がない。
 それでは。やはりこれは、ミシェルの勝手な独断と言う事になる。

「でも……いいんですか? あなたの立場上、ここは俺達を止めるべきじゃないんですか……?」
「ふぅ……そうですわね。今晩、ここの検問所を担当しているのはわたくしです。そのわたくしの不注意で、あなた達の逃亡を許してしまった……。そう言う事でどうです?」
「どうですって……」

 あまりにも無茶苦茶すぎる。そんな事をして、もし彼女がハイク達に加担していたのが漏れてしまったら。国際警察としてのミシェルの立場が危うくなってしまう。そんな高いリスクを負ってまで、どうしてそこまでしてくれるのか。一体、何が彼女をここまで動かしているのだろうか。

「わたくし……あなた達を信じていますから」

 言葉を失っているハイク達を前に、ミシェルはポツリポツリと語り出す。

「あなた達がローブ達に加担しているなんて……わたくしはどうも信じられません。だからわたくしは……他の方々のように、あなた達を疑う事ができないのです。きっとあなた達も……誰かを助ける為に戦っている……。そう思えてくるのです」
「ミシェルさん……」
「フフッ……変、ですわよね。会ったばかりのはずのわたくしが、ここまで知ったような口を聞くのも……。分かっています。でも……どうしても放っておけないのです。困っている人、苦しんでいる人が目の前にいるのに、手を差し伸べようとすらしないなんて……。そんな事をしてしまったら、わたくしは何の為に国際警察になったのか……分からなくなってしまいそうなのです」

 ミシェルだって、根本的な気持ちはハイク達と同じだ。これ以上、誰も犠牲にしたくない。救えるのなら、少しでも多くの人やポケモンを救いたい。そう強く思っているからこそ、同じ意思で動くハイク達が置かれた状況を見て、他人事とは思えなくなってしまったのだろう。

「さぁ、早く行って下さい! あんまりもたもたしていると、他の方にこの場を見られてしまう可能性もありますわ。一度外に出てしまえば、あとはこっちのものです!」
「でも……!」
「……わたくしの事ならお気になさらず。自分の身くらい……自分で守りますわ」

 ハイクは拳を握り締める。
 本当に、これで良いのだろうか。これじゃあまるで、ミシェルを犠牲にして前に進んでいるようではないか。そんな事をしてまで、自分は前に進むべきなのか。

 ハイクはおもむろに顔を上げる。真っ直ぐな眼差しでこちらを見据えるミシェルの姿が目に入る。その姿を見た瞬間、ハイクは思い知らされた。
 そうだ。ミシェルだって、覚悟を決めてここに立っているのだ。ハイク達を信じているから、ミシェルは道を切り開いてくれた。それなのに、ここで渋ってしまったら、ミシェルの覚悟や強い思いを踏みにじる事になってしまう。そんな事、絶対にダメだ。

 それならば。

「……分かりました。ミシェルさんの気持ち……確かに受け取りました。俺達はこのままキンセツシティを出発します」
「はいっ! くれぐれも無理をなさらず……お気を付けて」
「……ありがとうございます」

 ミシェルにそう謝儀すると、ハイクはレインに目配りする。目が合ってお互いが頷き合うと、ハイク達は歩き出した。
 最後にミシェルに軽く会釈して、検問所を抜けるハイク。レインもそれに続いて、ミシェルの横を通り過ぎる――はずだった。

「レインさん……?」

 ミシェルの横を通り抜ける、その瞬間。レインは立ち止まった。何やら気になったミシェルが、首を傾げてレインの名を呟く。その次の瞬間、レインは勢いよく振り向いて、

「ごめんなさい!」

 突然頭を下げて、ミシェルに謝った。
 唐突にレインに頭を下げられて、ミシェルは困ったような表情を浮かべる。急に、一体どうしたのか。状況が呑めずにミシェルは困惑する。

「ど、どうしてレインさんが謝るのですか……?」
「あの……私……ずっとミシェルさんの事、誤解してました……。国際警察で……ハイクを疑ってるって聞いて……その……」
「……レインさんは、お優しいのですね」
「……へっ?」

 慌てている所為かボキャブラリーがめちゃくちゃになっているレインだったが、落ち着いた口調でミシェルに言葉をかけられて間の抜けた声を上げてしまう。そんな様子のレインを見て、ミシェルは思わずクスリと笑ってしまった。

「でも……お二人が仲直りできたようで、安心しましたわ。わたくしの所為で、お二人の間に険悪な雰囲気ができてしまったみたいですので……」
「あれは……その……」

 もごもごと口ごもるレイン。さっきまで妙な剣幕でミシェルを睨みつけていただけあって、こうして面と向き合うとどうも緊張してしまう。
 でも、いつまでもこんなんじゃダメだ。ぶんぶんと顔を振ると、気持ちを改めてミシェルに向き直る。

「ミシェルさんは悪くないです。私達の……問題でしたから」
「レインさん……」
「はいっ! この話はもう終わりです! ……それじゃ、私もそろそろ行きますね。ハイクが待ってるので」
「……そうですね。急いだ方が良いかもしれませんわね……」

 ミシェルの言う通り、急いでキンセツシティを出る事に越したことはない。あまり長い間やり取りをしていると、他の国際警察に見つかってしまう可能性も高まる。

「……また、会えますよね?」
「そう……ですわね。多分……いえ、絶対にまたお会いしましょう!」

 そんなやり取りを最後に、レインはミシェルと別れる。彼女のその足取りは、不思議といつもより軽快だった。



―――――



「ふぅ……」

 レイン達と別れた直後。急に緊張が解れたのか、ミシェルは足元がふらついてしまっていた。
 これで。これで良かったんだ。でも可能ならば、ハイク達にもっと力を貸したい。しかし、ミシェルは国際警察だ。これ以上、私情で大っぴらに行動する訳にはいかない。だから、今はこれくらいしかできない。

「わたくしは……」

 ポケモンや人々を救いたくて、国際警察になった。それが今になって足枷になる日がくるとは。これでは本末転倒だ。もっと何か、できる事があったんじゃないか。そう何度も考えてしまう。

 身体が重い。疲れがずっしりとのしかかっているのだ。まったく、いつまで経ってもこれは変わらない。運動が苦手のくせに、必要以上に体力を使おうとしてしまう。だから、すぐバテてしまう。ハイク達の前で、こんな姿になってしまわなくて良かった。
 少し、休みたい。そう思い、重い身体を持ち上げた、その時。

「わっはははは! 見かけによらず中々肝が座っておるなぁ、嬢ちゃん!」
「…………っ!?」

 ゾッと、ミシェルの表情から血の気が引く。恐る恐る振り向いたその先にいたのは、初老の男性。どっしりとした体つきに、真っ白な顎鬚。怪我をしているのか頬に大きな絆創膏を貼り付けているが、豪快な笑い声を上げている所を見ると、どうやら十分に元気そうである。

 ホウエン地方のポケモンジムの情報は、大体頭の中に入っている。当然、ジムリーダーの容姿や名前も把握している。
 だからこそ、その人物がキンセツジムのジムリーダーことテッセンだと気づくのに、そう時間はかからなかった。

「あなた……いつから……」
「……すまん。最初からじゃ。どうも声をかけるタイミングではなさそうだったんでな」

 見られていた。そして、話の内容も聞かれていた。
 これは非常にまずい。まさか第三者がこんな所にいたなんて。完全に誤算だった。このままテッセンが他の国際警察にこのことを話してしまったら。ミシェルの処分は免れない。そして近い内にすぐ、国際警察がハイクの確保に向かうだろう。

 結局。結局自分はこんなものなのか。最後の最後に失敗して、誰も救えずに終わって――。もう、いい加減にして欲しい。

 だが。

「おっと、そんな身構える必要はないぞい。なにっ、このことは誰にも話しはせん」
「……誰にも……話さない?」

 テッセンの気持ちに裏はない。それか彼の表情を見ていれば一目瞭然だ。しかし、そう簡単にミシェルは警戒を解かない。見られてしまった事に、変わりはないのだ。

「何が目的ですの……? わたくし達を監視して、何か見返りを求めていたのでは……?」
「いやいや監視など……。むぅ、困ったのぅ……」

 テッセンは腕を組んで難しそうな表情を浮かべる。
 はっきり言って、ミシェルは誤解している。テッセンは監視などしていなし、見返りなども求めていない。このタイミングで出てきてしまった事が、ミシェルに警戒心を植え付ける結果になってしまったのか。

「ここ最近、街中で何度かハイク君達を見かけての。毎回困ったような表情を浮かべておったから、何かあるのかと思っていたが……」

 「成程のう……」と何やら一人で納得するテッセン。しかしそんな様子を見せられて、ミシェルの警戒心は強まるばかりである。

「ハイクさんはローブ達に加担などしてませんわ! わたくしはそう確信しています……! まさかあなたは……!」
「わっはははは! 君はちと早とちり過ぎるぞ。わしもハイク君の事はよく知っておる」

 少しムキになるミシェルだったが、それはテッセンの豪快な笑い声によって遮られてしまった。これにはミシェルも言葉を失ってしまう。ポカンとした表情のまま、ただただテッセンの様子を伺う。

「あの子はローブ達に加担などせん。寧ろ立ち向かって行こうとするだろう。まぁ……わしとしては、あんまり危ない事はして欲しくないんだがの」
「テッセン……さん……。あなたは……」
「わしだってハイク君を信じておる。よく考えて見たらどうじゃ? 国際警察にハイク君の脱出を伝えようにも、その前にまず止めに入ろうとするはずであろう」

 段々と冷静になってきて、ようやくミシェルは理解した。
 誤解していた。よく考えれば分かるはずの事なのに。こんなにも豪快な人が、そんなコソコソとした事をする訳がないじゃないか。テッセンの言う通り、自分は早とちり過ぎる。頭の中を整理していると、何だか目眩でも起きそうだ。

「申し訳……ありませんわ……。わたくし少し……どうかしていたみたいで……」
「わっははは! 気にする事はない! きっと国際警察の仕事で疲れておるのだろう。少し休養するのも大切だと思うがな?」

 ふぅ、と短く深呼吸してミシェルは自分を落ち着かせようとする。胸に手を当てると、未だに鼓動が早くなっているのが感じられた。
 まさかこんなにも動揺してしまうなんて。国際警察としても、まだまだ未熟だと言う事か。

「ところで、一つ気なった事があるのだが……」
「気なった事……ですの?」
「フエンタウンの事……国際警察である君なら知っておろう? なぜハイク君達に黙っておったのじゃ?」
「それは……」

 フエンタウン。キンセツシティから北に進んだ所に存在する火山、えんとつ山。その頂上付近に存在する町である。
 ポケモンジムもあるその町が今朝、ローブ達の襲撃を受けた。ミシェルは丁度キンセツシティでの調査を任されていたので実際の現場に足を運んではいないが、話くらいなら聞いている。勿論、その場にハイクのポケモンと思われるキュウコンの姿が確認されていた事も。だけど。

「……既に一人のトレーナーの手によって事態は沈静化されたようですわ。結局ローブにも逃げられてしまったようですし、今からフエンタウンに行っても無駄足になるだけです。それに……」
「……それに?」
「……今のフエンタウンの状態は……見ない方がいいですわ……」

 沈静化されたとは言え、今のフエンタウンは酷い有様だ。あの様子をハイク達が目の当たりにしたら、きっと大きなショックを受ける。
 ミシェルは怖かった。あの二人から、また笑顔を奪ってしまう事になるのが。だから、言えなかった。

「そうか……」

 テッセンも、ミシェルの気持ちを察してくれたらしい。ただ一言。それだけを言い残して、静かに口を閉じた。

absolute ( 2014/11/21(金) 17:50 )