ポケットモンスター デスティニー 〜憎しみを砕く絆〜
第4章:新たなイレギュラー
4‐4:囮と罠


 タクヤの前に現れたのは、ドッシリとした巨体を持つポケモンだった。四足歩行のポケモンであるが、脚は短め。その見た目通り体重も重く、俊敏な動きは苦手そうな印象を受ける。その代わり、背中全体は巨大な甲羅で覆われており、その防御力は随一である。特徴的なのは、その甲羅に生える一本の樹。そんな物があるせいか、その甲羅はまるで小さな山のようだ。身体全体が緑や茶色が基調となっている事もあり、その印象はより強くなっていた。
 分類、たいりくポケモン。ホウエン地方には生息しない、草と地面タイプのポケモン。一般的に、ドダイトスと呼ばれているポケモンである。

 そのポケモンの姿を見て、タクヤは驚きのあまり言葉を失っていた。自分の目を何度も疑った。
 このポケモンが、ずっとモンスターボールの中から出てこなかったドダイトスが、今はユウキ達の前に立ちふさがっている。タクヤを守るかのように、ドダイトスが仁王立ちしている。
 どうして? タクヤを見損なったのではなかったのか。タクヤを見限ったのではなかったのか。タクヤのやり方を認めていないのではなかったのか。

 それなのに。

「エルバ……なんで……!」

 そのドダイトス――エルバは、名前を呼ばれるとチラリと振り返った。自分のトレーナーであるタクヤと目が合うが、すぐに気まずそうに目を逸らす。

『……認めた訳じゃないよ。タクヤの、やり方を……』

 顔を背けたままで、エルバはぽつりぽつりと語り出した。

『タクヤの気持ちは……分かる。僕だって、あの子を助けたいんだ……! でも、こんな事をしてまで助けたとして、あの子が本当に喜ぶのか……。本当にそんな事、あの子が望んでいるのか……。分からないんだ』

 タクヤは何も言い返せない。自分がやろうとしている事、そしてその先に待っているもの。それをいっぺんに突きつけられた気がして、苦しかった。
 でも。だとしても、もうあまりにも遅すぎた。

『こんな方法間違ってるって、僕は自分にも何度も言い聞かせた。もっと良い方法があるはずだって、必死になって考えた……!』

 『だけど……!』と、エルバは震える声で続けた。

『もう……耐えられないんだ……! タクヤが苦しんでいる姿を見ているのは……! タクヤの気持ちが分かるから……ずっと一緒にいたから……! 見てて……辛いんだ……』
「エルバ……」
『僕は……守りたい。タクヤを……助けたいんだ! だから今は……戦う……!』

 間違ってるって、心の中では分かっている。こんな事しても意味はないって、ずっとそう言い聞かせている。だけど、エルバは結局自分の気持ちには逆らえなかった。
 タクヤはエルバにとって大切な存在。タクヤにとっても、エルバは大切な存在だ。だからこそ、壊されたくない。助けたい。お互いそう思っている。この一人と一匹の間にも、確かな絆が存在していた。

 タクヤはおもむろに立ち上がる。エルバの元へと歩みより、そっとその甲羅に手を乗せる。ゴツゴツしてて分厚い甲羅の上からじゃ、普通は体温までは感じ取れない。けれども、かすかにエルバの温もりが伝わってきたような気がした。

「エルバ……ほんの少しの間だけでいい……。オレのわがままに付き合ってくれ……」



―――――



 ローブ達がすぐにラティオスを回収しなかった理由。ミツルの推測が正しければ、それはラティオスの怪我の回復を待っていた為だ。
 詳しくは流石に分からないが、おそらくローブ達は海辺のどこかでラティオスと交戦したのだろう。しかしその時はまだ、ラティオスの捕獲は考えていなかった。何らかの理由によりローブ達はラティオスを障害と判断し、排除しようした。だが、その後になって急にラティオスが必要になった。
 幸いな事にラティオスはまだ生存しており、ムロタウンのポケモンセンターに運ばれていた。しかしあの怪我のラティオスを無理やりにでも回収しようとすれば、最悪命に関わる事となる。ラティオスが死んでしまったら、ローブ達にとっても不都合だったのだ。だからこそ、ローブ達はポケモンセンターを利用した。
 無理矢理回収しても命に関わらず、かつ大きな抵抗ができないくらいまでラティオスが回復するタイミング。ローブ達はそれを狙っていたのだ。

 そのタイミングこそ、今だった。ミツルが気づくとほぼ同時に攻撃が開始され、危うくラティオスは連れて行かれてしまう所だったが、それはユウキと彼のラグラージによって何とか阻止できた。

 しかし、まさかローブ達がこんな少年を差し向けるとは流石に予想外だった。おそらくミツル達よりも歳下だろう。
 いや、歳下だからと言って油断はできない。前回のポケモンリーグでダイゴに勝利したトレーナーも、十五歳の少年。ミツル達より歳下だ。ポケモンバトルの実力に、年齢なんか関係ないのだ。それは一度ユウキが証明している。

「……ミツル。そこに倒れてるジョーイさん、それとラティオスを安全な場所まで避難させてくれないか? 一応、な」
「は、はい! でも、ユウキさんは……?」
「俺はあいつを何とかする」

 タクヤと彼のポケモン達を見据えながらも、ユウキはそう言う。一瞬、自分もバトルを手伝うと名乗り出ようとしたが、ミツルは大人しくユウキの頼みを聞く事にした。
 ユウキの実力はミツルもよく知っている。だからこそ、信じられる。ユウキと言うトレーナーならば、必ずやり遂げてくれるのだ。
 それならば、今はサポートに徹する時だとミツルは判断した。

「トウキさんも、他の人達を避難させてくれませんか? 何かあってからじゃ遅いんで」
「……分かった。でも一人で大丈夫か?」
「へへっ……俺、バトルは結構得意な方なんですよ?」
「ふっ……そうだったね」

 軽い口調でそう言うユウキ。その様子なら問題ないと判断したトウキも、同じ調子で返した。
 小さく頷いた後、トウキは踵を返して部屋から飛び出す。まだポケモンセンターには多くの人がいる。バトルに巻き込まれて怪我人が出る前に、避難させる必要があるのだ。その役割は、ジムリーダーである自分が引き受けるべき。トウキはそう考えたのだった。

「ユウキさん!」

 トウキが避難誘導に向かった後、ルーリと協力してラティオスと眠らされた女性医師を運び出そうとしたミツルが、ユウキに声をかける。タクヤに向ける警戒心を強めながらも、ユウキはチラリと振り向いた。

「……お気を付けて」
「おうっ。心配すんなって」

 それだけ言い残し、ミツルとルーリもラティオスと女性医師を連れて部屋を後にした。その様子を見たユウキが、ふぅっと息を吐き出す。
 ユウキとタクヤ、そして彼らのポケモンだけが治療室に残された。

「さぁて……これで心置きなくバトルできるな」
「あぁ……そうだな……」

 ラグがハッサムを倒した後、タクヤは新たなポケモンを繰り出していた。ハッサムとムシャーナをボールに戻した彼が次に繰り出したポケモンは、たいりくポケモン――ドダイトス。タイプは草と地面。
 ラグには相性が悪い相手だ。水と地面タイプのラグラージにとって、草タイプの技はかなり痛い。加えてこちらの水タイプや地面タイプの技では、ドダイトスに致命的なダメージを与えるのは難しい。

 しかし、あくまでタイプの相性が悪いだけだ。まだバトルの結果が決まった訳ではない。
 寧ろ、ユウキにとってこの状況の方が少しワクワクする。タイプの相性が悪いからこそ、どう立ち回るのか。どのタイミングでどんな技を放つべきなのか、考えられる。
 少し苦戦するくらいであるこの状況だからこそ、ユウキの士気も上がっていた。

「オレはまだ負けられない……。あんたを倒してラティオスを回収する!」
「悪いけどそうはいかないな。俺がここで食い止める」

 絶対に負けないと言う確固たる意思を全面的に現すタクヤと、余裕そうな表情を浮かべながらも胸の中では闘志をみなぎらせるユウキ。二人のそんなやり取りを最後に、それぞれのポケモン達は動いた。

 最初に動いたのはラグ。前脚と後ろ脚を地面につけたまま強く踏ん張り、技発動の準備をする。ユウキが何も言わなくても、次にどんな指示が飛んでくるのかラグには何となく分かるのだ。ユウキとラグ、その一人と一匹程に強い信頼関係を築かなければ、到底そんな芸当は真似できない。

「行くぞラグ。“ハイドロポンプ”」

 ラグが一瞬だけ首を引くと、その直後に彼の口から大量の水が発射された。
 “ハイドロポンプ”。水タイプの高威力技。地面タイプのポケモンには効果抜群だが、ドダイトスの場合もう一つのタイプである草がその弱点を帳消しにしている。だが、それでも威力は十分だ。かなり大きなダメージが期待できる。

 高出力で発射された水。高い水圧を持つそれは、ドダイトスに届くと同時に一気に四散する。まるで水そのものが破裂したかのようである。あんな威力の技をまともに受けてしまったのでは、流石にドダイトスでも平気ではいられないだろう。しかし。

「……いや。気をつけろ、ラグ。多分ノーダメージだ」

 “ハイドロポンプ”が四散した事により一瞬だけ視界が悪くなるが、技が直撃する瞬間のドダイトスの妙な動きから察するに、何らかの手段でダメージを回避したのだとユウキは判断した。
 おそらく、あれは“まもる”だ。その名の通り、一瞬だけだが自らをありとあらゆる攻撃から守る技。つまりドダイトスは攻撃を回避したのではなく、攻撃を防いだのだ。ダメージを受けていない。

 こうなってしまっては、次にユウキが警戒すべき事はドダイトスの反撃。ダメージを受けていないのなら、すぐさま反撃に転換する事ができるはずだ。
 案の定、それは的中する事になるのだが――。

「グゥ……!?」
「ラグ……?」

 突然、ユウキの目の前でラグが足元から何かに引っ張られた。うめき声を上げながらも、ラグは抵抗しようとする。しかしバランスを立て直す事はできず、横転してしまった。
 一体、何が起きたのか。ユウキは瞬時に状況を判断しようとする。ラグの左後ろ脚。そこに植物の蔦か草のような物が絡みついているのが見えた。

「“くさむずび”か。油断は禁物って事だな」

 草を絡ませて相手を転ばせダメージを与える技、“くさむすび”。ドダイトスの反撃を許してしまった。
 “くさむすび”は草タイプの技。ラグラージのラグにとってもできれば受けたくない技である。だが、この程度ではまだ終わらない。

「……ラグ。まだ行けるよな?」

 ユウキの問いかけ。当然だと言わんばかりに、ラグはのっそりと立ち上がる。その様子からは、今受けたダメージなどまるで感じさせられない。
 まだまだ戦える。そんなラグの意気込みが、ひしひしと感じられた。

「やっぱりこの程度のダメージじゃ駄目なのか……」

 そんなラグの姿を見て、タクヤは思わずそう口にする。
 ラグにとって、この程度のダメージではバトルに支障はきたさない。もっと確実に大きなダメージを与えられる技を当てなければ、いつまで経っても好転しないだろう。それなら。

「一気に畳み掛けるぞ、エルバ! “ウッドハンマー”だ!」
『了解……!』

 床を蹴り上げ、ドスドスと音を立てながらもエルバと呼ばれたドダイトスはラグに接近する。一際強く床を蹴り付けると、身体全体を使ってラグにボディタックルをしようとした。
 “ウッドハンマー”は捨て身の草タイプ技だ。だが威力は高く、巨体を使っている為に攻撃範囲も意外と広い。これが決まれば、あのユウキのラグラージと言えどひとたまりもない。

 渾身の一撃。ドンッと鈍い音が響いたかと思うと、ラグは吹っ飛ばされていた。大きな弧を描くような軌道で飛ばされるが、狭い治療室である為すぐに天井に叩きつけられる。そのまま重力に引っ張られて、ラグはドサりと落下してしまった。

『よしっ……!』

 確かな手応えがあった。決して体重は軽くないはずのラグラージでさえも、あそこまで軽々と吹っ飛ばせたのだ。
 大ダメージは必須。エルバとタクヤの目の前には、うずくまるラグの姿がある――、

『えっ……?』

 ――はずだった。しかしそこにあったのは、ラグなどではない。緑色の、小さなぬいぐるみ。それが無造作に横たわっているだけだったのだ。

「“みがわり”だと……!」

 “ウッドハンマー”が直撃したのはラグではない。“みがわり”と呼ばれる技で作り出されたこのぬいぐるみだったのだ。つまり、まだラグは健在している。十分なダメージは与えられていない。

「残念。そう簡単に終わる訳ないだろ?」
「くっ……!」
「さて……これで十分だろ。ラグ、一気に終わらせるぞ」

 何事もなかったかのように、ラグはユウキの傍らに着地する。そのラグの身体には、鮮やかな青いオーラのようなものが纏わりついていた。
 ラグの特性。それは“げきりゅう”。自らの体力が大幅に減ると発動し、以降は水タイプの技の威力が上昇する。エルバの“くさむすび”によるダメージと、“みがわり”によるコストによりラグの体力は“げきりゅう”の発動条件を満たしたのだ。

「よし、“たきのぼり”だラグ」

 青いオーラを纏ったまま、ラグは勢いよく走り出す。
 スライスに初撃を加えたのと同じ技だ。滝を遡るかの勢いで相手に突進する、水タイプの技。しかも特性である“げきりゅう”の影響を受けて、その勢いは更に強まっている。

 タクヤは直感した。あれを食らったらマズイ。

「迎撃だエルバ! “ハードプラント”!」
『うんっ……!』

 タクヤは咄嗟に技の指示を飛ばした。エルバも瞬時にそれに応え、“ハードプラント”を発動しようとする。一瞬だけ息を吸い込み、短く咆哮するとエルバを始点として複数の木の根のようなものが床を突き破って伸びてゆき、ラグに襲いかかった。
 極太の木の根だ。整備されているはずの硬い床でさえもいとも簡単に貫く強度。既に治療室内はその原型を留めていなくなっており、辺り一面デコボコだ。様々な器具も無残に四散しており、最早その役割を果たせそうにない。ラティオス達を早めに避難させておいて正解だったな、とユウキは密かに思った。

「頼んだぜ、ラグ」

 “たきのぼり”でエルバに急接近するラグ。その行く手を“ハードプラント”が阻もうとするが、ラグ勢いはまるで衰える事を知らなかった。
 根の一つがラグを貫かんとするが、それも軽々と躱される。大きくジャンプして、伸びる根の上に着地。その後も次々と根に飛び移り、エルバに接近しつつも“ハードプラント”を回避してゆく。一発でも当たれば戦闘不能にまで追い込めるはずなのに、その一発が全く当たらない。

『嘘……でしょ……?』

 エルバは愕然としていた。自分の使える技の中でも、屈指の威力と命中精度を持つ技。それがいとも簡単に回避されてしまったのだから、思わずそう零してしまうのも無理はない。
 狭い室内で無理矢理発動さえた“ハードプラント”。並のポケモンでは、回避するのもままならないはず。しかしラグはそれをやってのけた。

「くそっ……! 何なんだ、こいつは……!」

 タクヤが悔しそうに声を上げる中、遂にラグは全ての攻撃を回避した。“ハードプラント”を発動した直後だった為、エルバはすぐには動けない。ラグの“たきのぼり”が決まった。

『うぐっ……!?』

 “げきりゅう”により高められた“たきのぼり”の威力は、ドダイトスであるエルバさえも押し飛ばす程であった。ドスンと言う大きな音と共に、エルバは真横に倒れ込しまう。体重が重いポケモンであるが故に、倒れ込む際には床が大きく振動してしまっていた。

「エルバ……!」

 タクヤは慌ててエルバに駆け寄る。しかしタクヤが手を差し伸べる前に、エルバは自分の力だけでのっそりと立ち上がった。

『大丈夫……まだ……!』

 ラグの“たきのぼり”を真面に受けたとは言え、そこはやはりドダイトス。元々タフなポケモンであったのが幸いして、エルバはまだ意識を失っていなかった。
 おそらくまだ戦える。エルバのそのつもりだろう。しかし、こんなフラフラの状態でバトルを続行しても、返り討ちに遭うのがオチだ。瀕死などには追い込まれていないとは言え、受けたダメージはあまりにも大きかった。

「んー、まぁ一撃じゃ無理か。それじゃ、次でフィニッシュだな」
「まだだ……! まだ、終わりじゃ……!」
「往生際が悪い。ラグ、“ハイドロポンプ”だ」

 最後まで抵抗しようとするエルバ達に向け、ラグからハイドロポンプが発射される。
 一瞬だった。それは一直前にエルバに向かい、まるでブレるような事もない。直進する激流は、やはりラグの特性によって威力が増している。これを食らったら、今度こそ――。

 “ハイドロポンプ”が迫る中、タクヤの中に様々な思いが駆け巡る。濃厚になってゆく敗北の可能性。結局何も果たせなかったと言う弱さへの屈辱。そして果てしない無力感。渦巻く感情に飲み込まれて、タクヤの目の前も暗くなってゆく。
 すべてを諦めかけた、その時だった。

「ミロカロス、“ハイドロポンプ”ぅ!」

 タクヤ達の背後。その方向のどこからか飛んで来たもう一つの“ハイドロポンプ”。それがラグの“ハイドロポンプ”がぶつかり合い、お互いの技を相殺してしまった。
 音を立てて四散した水しぶきが周囲に飛び散り、パラパラと滴り落ちる。室内なのに小雨が降っているかのような状況の中、ユウキの警戒心が一段と強まった。

「何だ、今のは……?」

 ユウキがボソリと呟いたその時、スライスが壁に開けた穴からミロカロスを連れた一人の少女が現れた。
 その身に纏うのは、鮮やかな青色のローブ。しかし、今はフードを脱いでいる。セミロングの黒髪と、光のない虚ろな瞳が露わになっていた。
 そして彼女が傍らに連れるのは、いつくしみポケモン、ミロカロス。そのポケモンの姿を見た時、ユウキは直感した。

「お前……ミツルが言ってた奴だな」

 ユウキがそう確認するが、青ローブはそれに答えようとする気配もない。ただジッと佇んだまま、ユウキを見据えるだけだった。

「何が起きて……」

 タクヤも状況を呑み込めていなかった。想定外の出来事。誰かの援護が入るなど、そんな事は白ローブから聞かされたプランの中にも入っていない。
 タクヤがおもむろに振り返る。丁度青ローブが視線を下に向けた瞬間だった為、目が合った。

「あ〜あ……やっぱりこうなるんだ……。もう……」
「ミサキ……さん……? どうしてあんたが……!」

 面倒くさそうにため息をつく青ローブ。タクヤは驚きながらも、彼女の事をミサキと呼んでいた。
 ミサキと呼ばれたその少女は、何やら不思議そうに首を傾けている。タクヤが驚いている理由を、よく理解していないのだろうか。

「どうしてって……。そう指示されたんだから仕方ないでしょ……。どうせキミじゃ勝てないからぁ……手助けしてやれってさぁ……」
「なんだと……! くそっ! あいつ最初からこうなる事を読んでて……!」

 タクヤが思い浮かべるのは、あの白ローブの男。あの男は確かにタクヤにラティオスの回収を命じた。が、あの時点で白ローブは作戦の失敗を想定していたのだ。いや、寧ろ失敗の可能性の方が高いと読んでいたのだろう。最初から期待などされていなかったと言う事か。

「でもそれじゃあ……何でオレをラティオス回収なんかに向かわせたんだ……?」
「何でって……囮に決まってるでしょー?」
「囮……だと……?」

 ミサキが一体何の事を言っているのか、タクヤにはまるで分からなかった。渋々といった様子でミサキが説明を始める。

「そう。キミがあの人を引き付けてる間にあたしがラティオスを回収……。まぁキミは囮としては役にたったよぉ……。一番厄介な人の妨害を受けずに回収できた訳だしぃ……」
「お、おい……。ちょっと待て」

 ミサキの言葉を聞いて、割り込んできたのはユウキ。いつもは冷静さを保っていたユウキであっても、この時ばかりは焦りの表情を浮かべる。サッと背筋が冷えるような、そんな感覚を覚えた。

「回収できた……? できた、だって……? それは、どう言う……」
「フッ……フフフ……アッハハハハハ!」

 恐る恐る確認するユウキだったが、それはミサキの狂ったような笑い声によって遮られた。
 お腹を抑え、ミサキは大きな笑い声を上げる。そんな様子を見て、ユウキも言葉を失ってしまう。この人は、常識とはかけ離れた価値観を持っているんじゃないだろうか。そう思ってしまう。

「罠にはまったんだよ、キミぃ……。キミがタクヤ君に気を取られている間に、あたしはじっくりと任務を遂行させて貰ったよぉ……?」
「そ……それじゃあ、ラティオスは……」
「もうとっくに……回収済みだよ?」

 ユウキは息が止まりそうな感覚に襲われた。一瞬だけ頭の中が真っ白になるが、しかしすぐに思考を働かせようとする。
 じっくりと任務を遂行? ユウキがタクヤとバトルをしていたあの隙に、ラティオスはローブ達に回収された、と。しかし、それはつまり――。

「待てよ……。ミツルや、トウキさんだっていたはずだろ。そう簡単にラティオスを奪取できるはずが……」
「だーかーら。言ったでしょお? じっくり任務を遂行させて貰ったって。まぁ……ミツル君が生きてたのはちょっとビックリかなぁ……。でも大した障害にはならなかったし、別に良いかぁ……」
「なっ……」

 ドクンと、ユウキの心臓が高鳴る。最悪のシチュエーションが、自然と頭に浮かんでしまう。しかし。

「あ、心配しなくて大丈夫だよぉ……? ミツルくん達はちょっとの間だけ眠ってもらっているだけだから……。生きてるよ? 今は別に始末しろだなんて命令された訳じゃないしぃ……」

 「命令されてない事したら怒られそうだし……」とミサキは最後にボソリと呟くが、それはユウキの耳には届いていなかった。
 取り敢えず少しだけホッとしたが、今はまだ気は抜けない。この状況で、自分がすべき最善の行為を実行しなければならない。

「さぁて、帰ろ……。タクヤ君も早く準備してよぉ……。ちょっとでも遅れると、怒られるのはあたしなんだからぁ……」
「……待てよ。みすみす逃してたまるかよ。ラティオスは返して貰うぞ」

 ユウキの声のトーンが変わった。先ほどの様子とは比べ物にならない程の、低いトーン。キッと目つきも鋭くなり、纏う雰囲気も張り詰める。ユウキがここまで明確に敵意を表に出すのは、珍しい事だった。

「返して貰うって……? フ、フフ……そんな事してる場合かなぁ……?」
「なんだと……?」
「キミ……ハルカって人、知ってる……?」
「ッ!? ハルカ……だって……!?」

 その名前を聞いて、ユウキが愕然とする。今までどんな状況でも冷静さに欠けるような事がなかったユウキが、今は表情に焦りの色が濃く現れている。そんな彼の様子をみて、ミサキはニヤリと笑みを浮かべた。
 ハルカ。知らない訳がない。ユウキとほぼ同時期に、ポケモントレーナーになった少女。ミシロタウン出身の、ユウキの大切な友人だ。

「ハルカが……ハルカがどうしたって言うんだ……!?」

 ユウキがミサキを問い詰めようとする、しかしミサキはニヤニヤと笑うだけで、それに答えようとはしない。代わりに人差し指を突き立てて、ユウキの頭上部分を指差した。そこにあるのは、ひび割れたポケモンセンターの天上。

「ミロカロス、“ハイドロポンプ”!」

 そしてあろうことか、ミサキはその方向に向けて“ハイドロポンプ”を打つようミロカロス指示したのだ。ミロカロスもまた、何の躊躇もなく“ハイドロポンプ”を発射する。

「うっ……!?」

 水によるものとは思えない程の爆発音が響くと、強度を失った天上は遂に崩れてしまった。激しい轟音と共に瓦礫が崩れ落ち、その真下にできた水たまりからも水飛沫が散る。水タイプ技を多用した所為か部屋の中は湿っており、砂埃まではでなかった。だが。

「おい、ミサキさん! やりすぎだ……!」
「アッハハハハ! 大丈夫だよぉ、タクヤ君……。別にユウキ君達は下敷きになってないからさぁ……。ちょっと壁を作っただけぇ……」
「だとしてもだ! 加減を間違えたら、みんな生き埋めになっていたのかも知れないんだぞ……!」

 あまりにも強引過ぎる手段でユウキを蹴散らしたミサキを見て、タクヤは黙っていられなかったのだ。あんな事を平気でやって退けるミサキと彼女のミロカロスを見て、怒号を上げたくなるのも仕方ない。だが、等のミサキはそんな事を言われても実につまらなさそうな表情を浮かべるだけだった。まるで反省していない。

「……いいじゃん。上手くいったんだから、別にぃ……。そんな事より、ほら! 早く準備して! 流石にそろそろ帰らないと怒られちゃうよ……」

 そう言ってミロカロスをボールに戻すと、ミサキは踵を返して立ち去ってしまった。そんな彼女の後ろ姿を眺めながらも、途端にドッと疲れを感じたタクヤはフラリとふらついてしまう。バランスを保つ為に慌てて手を伸ばすと、そこにいたエルバの甲羅に体重を乗せてしまった。

「おっ……と……」
『だ、大丈夫タクヤ? 顔色が悪いけど……』
「……大丈夫だ。大した事ない」

 真剣に心配してくれるエルバを見て、タクヤの心は何だか暖かくなる。こうしてエルバと一緒にいると、なぜだかとても安心する。
 何なのだろう、この気持ち――。タクヤは困惑していた。

『タクヤ……。やっぱりあのローブの人と一緒に、行くの……?』
「……あぁ。そうなるな」
『そう……なんだ……』
「別に……オレはお前を巻き込むつもりはない。あいつらが気に食わないなら、無理についてこなくたって……」

 そこまで言った所で、視線を感じたタクヤは口を閉じる。下を向くと、何かを言いたげな瞳を向けるエルバの姿が目に入った。

『行くよ。僕も』
「えっ……でも……」
『言ったでしょ? タクヤを助けたいって。僕はタクヤを守る為に戦う。アイツらに手を貸す訳じゃない』

 エルバの様子を見て、確信した。タクヤがずっと感じていた、この安心感の正体。エルバの言葉を聞いて、心の中が暖かくなって。そうか。そうだった。今までずっと忘れていた。これが繋がり――絆なんだ。

「ありがとう。エルバ」

 素直に投げかける言葉。こんな事をしたのも久しぶりな気がする。
 言葉を投げかけられたエルバは、少し照れくさそうにそっぽを向いていた。



―――――



「おい! 聞こえてるんだろ! 答えろ!」

 ポケモンセンターの中。瓦礫の向こう側にいるであろうミサキに向けて、ユウキは何度もそう叫んでいた。しかし、一向に反応はない。本当に無視しているだけなのか、それとも既に立ち去ってしまったのか。いずれにしても、こんな事をしていたって時間の無駄だ。

「くっ……落ち着け……冷静になれ……」

 ふうっと一度深呼吸にして、熱くなった自分をクールダウンさせようとする。肩の力を抜くと、だいぶ落ち着いてきた。
 ここまで熱くなったのも久しぶりだ。普段から冷静さを保てるように心に余裕を持っているはずなのに。ラティオス防衛の失敗による焦燥感と、ミツル達の安否の心配。そしてミサキが口にした一人の少女の事が気がかりで、危うく狼狽する所だった。傍らにいたラグも、心配そうな表情を浮かべている。

「どうしてあいつがハルカの事を……? 一体、ハルカに何があったんだ……?」

 ユウキがホウエン地方に帰省した時、彼はハルカにも会いに行こうとした。だが、それは叶わなかった。
 ハルカは現在、一流のポケモンコーディネーターとして多忙な生活を送っていると聞く。初めから会う事はできないかなと思っていたのだが、案の定その予想が的中する事となったのだ。ユウキが訪れた際にはハルカは実家にはおらず、結局今まで一度も会えずにいた。

 そうだ。ハルカはコーディネーターとしての活動が忙しいからこそ、実家にいなかっただけなのだ。それなのに、なぜミサキはあんな事を? あれじゃまるで、ハルカが危険な状況に立たされているかのような口ぶりじゃないか。

「オダマキ博士なら何か知っているかも……」

 今は考えても何も分からない。ユウキを惑わせる為の、ミサキの嘘である可能性もある。しかし、嘘ではない可能性もある訳で。
 考えれば考えるほど気になってくる。もやもやしてくる。

「……取り敢えず、ミツル達と合流しないとな」

 腕を組んでうんうんと頷いたユウキが、踵を返してポケモンセンターをあとにしようとする。今はミツル達と合流すべきだ。ミサキはただ眠って貰っただけ、と言っていたがやはり心配である。怪我をしている可能性もあるとなると尚更だ。ミツル達と合流できたら、可能ならばラティオスを助けにいかなければ。

 心の中の大きなもやもや。それが気になりつつも、ラグと共にユウキは走り出した。

absolute ( 2014/10/18(土) 17:56 )