ポケットモンスター デスティニー 〜憎しみを砕く絆〜 - 第4章:新たなイレギュラー
4‐3:衝突


 聞こえてくるのはモーターの音。肌をつつくのは冷たい潮風。天気は晴れで雲は少ないが、この季節の海上は思っていたより寒かった。

 ここは船の上。104番道路とムロタウンを繋ぐ連絡船。その船内の端っこに位置する目立たない席。そこにタクヤは腰掛けていた。
 船内であるが、窓を開けている為に潮風は容赦なく侵入してくる。浴びると身体が冷えるくらいに冷たい潮風だったが、タクヤは窓を閉める気はない。今は頭を冷やして、冷静になりたかった。窓を閉めて冷たい風を遮断してしまったら、また焦燥感に襲われるような気がしていた。

 計画は上々だった。白ローブの指示通り、今日この時間にこの連絡船に乗ってムロタウンへと向かう。そしてポケモンセンターにいるはずのラティオスを回収。その後、予め指定されたポイントに移動してローブ達と合流する。
 その間、多少問題も起きるだろう。何せまだ人の多い時間帯だ。ラティオスを守ろうと、攻撃してくる者もいるかも知れない。だが、タクヤには自信があった。そんじょそこらのトレーナーなどに負けるとは思えない。何度かバトルになったとしても、造作無く逃げ切れられる。そう思っていた。

 しかし、想定外の事態が起きた。

『……タクヤ、大丈夫かい? だいぶ顔色が悪いみたいだけど……』

 ボールの中からリームが声をかけてくれる。タクヤは無言で頷くが、その表情は強ばったままだった。

 分かってる。自分は今、自信を失いかけているんだという事くらい。失敗という状況を、心の隅で思い浮かべている事くらい。
 怖気づいている。できれば敵に回したくない存在と、もうすぐ敵対する事になってしまうから。失敗の可能性が、大きく跳ね上がってしまったから。

「(どうしてアイツが……。くそっ……)」

 タクヤが恐れている人物。それは、ユウキという名の少年だった。
 歴代ホウエンチャンピオンの中でも屈指の実力を持つトレーナー、ダイゴ。今まで彼を敗ったトレーナーは、数える程度しかいない。一人は、前回のリーグ優勝者であるハイク。ダイゴとの実力はほぼ同じ。あの大会でも、ギリギリで勝利を収めたと聞いている。
 そしてもう一人。今から約七年前、ダイゴに勝利し、最年少でホウエンリーグチャンピオンに輝いた少年。それがユウキだった。

 当時の時点でその実力はダイゴとほぼ同じ。七年の時が過ぎた現在では、既にダイゴを上回っていると言われている。
 間違いなく、ホウエンリーグ最強のチャンピオン。全国で見ても、五本の指に入るくらいの実力者。

 そんな彼はホウエンリーグで優勝した後、他地方に旅立ったと聞いていた。さらに自らを磨き上げる為、そして自分の実力がどこまで通用するのか試す為に。その為、今はここホウエン地方には彼はいないはずだった。そう思っていた。

 しかし、どうだろう。タクヤも乗っているこの連絡船。そこでユウキらしき人物を見かけてしまったのだ。いや、写真や映像でしか見た事なかったが、あれはユウキに間違いない。

「厄介だな……」

 タクヤがボソリと呟く。
 ユウキは丁度ホウエン地方に帰省していたのだ。そしておそらく、ラティオスの事を聞きつけてムロタウンへと向かっているのだろう。もしかしたら、彼は既にタクヤ達の作戦にも気づいているかも知れない。仮にそうでなかったとしても、このままタクヤがラティオスを襲えばユウキは必ず駆けつけるだろう。何せ、彼にはとあるとんでもない逸話があるのだから。
 衝突は、避けられなかった。

『厄介って……さっきの男の子の事かい? 心配いらないって。あの子に気づかれる前に、ちゃっちゃと済ましてズラかればいい。簡単だろ?』
「口で言うのは、な。でもそう上手くいくかどうか……」
『大丈夫! いざとなったら、またアレを使って……』
「それは駄目だ……!」

 思わずタクヤは声を張り上げそうになる。彼は慌てて口を塞いだ。
 幸いにも乗客はそれほど多い訳ではなく、誰もタクヤの方へは目を向けていなかった。それを確認して、彼はホッと胸を撫で下ろす。計画を円滑に進める為にも、今は極力目立ちたくない。
 キンセツシティの時のように、“さいみんじゅつ”を使ってユウキ達を無力化する事もできるかも知れない。しかし、ただ“さいみんじゅつ”を使うだけでは一人眠らせるのが精々だ。あの時のように一気に暗示をかけるには、ある特別な事をしなければならない。だけれども、これ以上アレを使ったら今度こそリームは――。

「……とにかく、ユウキさんが動き出す前にラティオスを回収するのが望ましい。でも、もしバトルする事になったら……」
『なったら……?』

 リームがオウム返しする。しかし、タクヤはそれ以上何も言わなかった。何も言わずに、彼は一つのモンスターボールを取り出す。
 その中にいるポケモンは、リームでもスライスでもない。三匹目の、タクヤの手持ちポケモン。
 タクヤが白ローブに雇用されたあの日から、このポケモンはボールの中から殆んど出てきてくれない。口も聞いてくれない。このポケモンは、タクヤのやり方に疑問を抱いているのだ。受け入れてくれない。

 分かってる。自分がやっている事は、必ずしも正しい事とは言えない。間違っている事なのかも知れない。それでも、もうこうするしかない。こうする事でしか、あいつを助ける術がないんだ。

 そう思っているからこそ、例えこのポケモンに失望されても、タクヤは考えを改める事はできなかった。

「エルバ……」

 タクヤはボソリとそう呟く。
 このボールの中にいる、ポケモンの名前。しかし反応はまるでない。分かっていた事だけれども、それでも胸に突き刺さるものがある。

 自分は卑怯者だ。こうして声をかけたのも、結局は利益の為だ。このポケモンが協力してくれれば、成功の確立も上がるから。だから答えて欲しかった。
 こんな奴について来いなんて、無理な話と言われるのも当然である。見放されてしまうのも、それは仕方がない事。

 気がつくと、モンスターボールを握る手にも自然と力が入っていた。
 ポケモンに向けたものではない。自分に対する、底知れぬ憤り。道を大きく外れていると改めて実感して、エルバの気持ちに再び触れて――胸の奥が苦しくなる。
 だけど。

「それでもオレは……後戻りはしない……」

 その時、船の汽笛の音が鳴り響く。もうすぐ目的地に着くと言う合図だ。
 モンスターボールを仕舞い、タクヤは立ち上がる。ムロタウンは、すぐそこだった。



―――――



 シーズン外とは思えない程の人の量。いつもより騒がしいポケモンセンター。夕暮れ時のムロタウンは、タクヤの想像以上に活気づいていた。これもおそらく、ラティオスの影響だろう。みんな挙って、珍しいポケモンを一目みようと集まってくる。

 想像以上、と言ってもこれくらいなら計画に支障をきたさない。今からラティオスを奪い去ろうとしても、勧んでそれを止めにかかろうとするトレーナーなんて所詮微々たるものだ。触らぬ神に祟りなし。みんな頭の中ではそう思っている。だからどうって事はない。
 しかし、やはりユウキと言う存在が大きかった。その名がどうもタクヤの心に纏わりつく。

「……ここだな」

 ムロタウンのポケモンセンター。その丁度裏側に、リームとスライスを傍らに連れてタクヤは足を運んでいた。
 目の前にはポケモンセンターの外壁。窓はあるがカーテンが閉め切りになっている為、中の様子は伺えない。どの部屋にどんなポケモンがいるかなんて、ここからでは見える訳がない。普通ならば。
 しかし、タクヤにはそれができる。できてしまう。欲しくて手に入れた訳ではない能力。人間離れした化物のような力。レントラーの転生者などと呼ばれる自分が持つ、この透視能力。それを使えば、壁越しでもラティオスの位置をある程度は捉える事ができる。

「ふぅ……」

 タクヤは小さく深呼吸する。まだ大したことはしていないはずなのに、ドッと疲れを感じる気がする。
 転生者としての能力の影響もあるだろう。あれは身体への負担が大きい。その割には完全に透視ができる訳ではなく、精々どこに何がいるのか分かるくらいだ。体力的にも、一日にそう何度も使える能力ではない。

 しかしそれ以上に、タクヤに伸し掛るストレスがこの倦怠感に大きく影響を与えていた。

『……タクヤ。余計な事は考えるな。今は任務に集中しろ』
「……あぁ。分かってる……」

 横に立つスライスが声をかけてくる。タクヤはそれに答えつつも、呼吸を整えて雑念を追い払おうとした。
 そうだ。今更怖気づいてはいられない。今更後ろ向きに考えるな。
 成功させる。絶対に。失敗なんか、あり得ない。

「スライス……」

 スっと人差し指をポケモンセンターの外壁に向けて、タクヤは小さくその名を呼ぶ。
 ポケモンセンターの裏。タクヤ以外に人は誰もいない。好き好んでこんな所に来る者なんて、それこそよからぬ事を企んでいる者くらいだ。今は、静寂が保たれている。
 その静寂は、却ってタクヤを追い詰めていた。長く続けば続くほど、心に迷いが生まれてくる。だからこそ、これ以上の静寂は許されない。自らの手で、それを壊す。

「……“バレットパンチ”だ!」

 タクヤの指示を飛ばした瞬間、スライスは動いた。目にも留まらぬスピードで右腕の鋏を振り上げて、勢いよくポケモンセンターの外壁に叩きつける。
 一瞬だった。激しい轟音と共に外壁は破壊され、その破片は周囲に飛散する。その一撃は、ポケモンセンターに大きな穴を開けるには十分過ぎる程の威力を持っていた。人が二、三人程並んで通れるくらいの穴が開き、中の様子が剥き出しになる。確かにそこには、ベッドに横たわる一匹の青いポケモンの姿があった。ラティオスに間違いない。

「よし……。取り掛かるぞ」

 タクヤはスライス達を連れて、躊躇なくポケモンセンターに侵入する。面倒な事が起きる前に、速やかに任務を遂行したい。

「なっ……何ですかあなた達は……!」
「リーム、“さいみんじゅつ”」

 おそらくラティオスの世話を担当していたのであろう女性医師が、愕然としながらもタクヤ達に詰め寄ってくる。しかしタクヤは臆することなく、リームに“さいみんじゅつ”を使わせた。
 リームの“さいみんじゅつ”の精度は抜群だ。人間が標的となると、その効果はすぐさま現れる。あっと言う間に暗示にかかって、女性医師は力なく倒れ込んでしまった。そのまま何もできずに、彼女は眠りに落ちる。

「ここまでは順調だな。さて……」

 倒れた女性医師を一瞥した後、タクヤは標的に歩み寄った。
 一体何が起きたのか。突然の事に順応できないラティオスは、愕然としたまま動けない。半身だけを持ち上げて、ただ目を見開いたまま硬直してしまう。

『なっ……何が、起きて……!』

 やっとの思いで絞り出したラティオスの言葉。それも途切れ途切れで最後まで言えていない。それほどまでに、タクヤ達の強行はラティオスの度肝を抜いたのだろう。

「何が起きているかって? 見れば分かるだろ。強引に突入したんだ」
『……ッ! お前、俺の言葉が分かって……!』

 何となく言ったつもりの言葉が本当にタクヤに伝わって、ラティオスは更に驚いた。
 それもそうだ。普通、ポケモン達の言葉は人間には伝わる訳がない。中にはテレパシーを用いて人間との意志の疎通を行うポケモンもいると聞くが、少なくともこのラティオスにはそんな事できない。

 今はタクヤの能力があるからこそ、一時的に意志の疎通ができているに過ぎないのだ。

『そんな馬鹿な……! ニンゲンであるお前に、俺の言葉が分かるなんて事……!』
「今はそんな事どうでもいい。オレはさっさとお前を回収してローブ達に引き渡したい。無駄な抵抗はしないで貰おうか」
『ローブって……まさかあの時の……!』

 今の今まで驚きを隠せずにいたラティオスだが、ローブと言う単語を聞いた途端に彼の雰囲気は一変する。ラティオスの表情を支配する感情は、驚きよりも焦りの方が強くなった。まだ完治していない身体を無理矢理持ち上げてでも、ラティオスは声を張り上げようとする。傷口が痛むが、そんな事はお構いなしだった。

『あいつ……あいつはどうなったんだ!?』
「あいつ……だと……?」
『惚けるな! 俺と一緒にラティアスがいたはずだろ! まさか……あいつはもう捕まって……!』
「知るか、そんな事。オレが聞かされたのはお前の情報だけだ」
『なっ……!?』

 ギャーギャーとうるさいラティオスを、タクヤは適当にあしらった。

 ラティオスの言いたいことは何となく分かる。おそらくこのラティオスは、ラティアスと呼ばれるポケモンの安否を心配しているのだろう。

 ラティアス。ラティオスと同じく、むげんポケモンに分類られるポケモン。タイプも同じドラゴンとエスパー。ラティオスがエスパーエネルギーを攻撃に使う事に長けているのだとしたら、ラティアスは防御に使う事に長けていると言えるだろう。この二匹のポケモンは生物学的には同一種であると認知されており、オスの個体がラティオス、メスの個体がラティアスとそれぞれ呼ばれている。

 このラティオスがここまで必死になって事を聞き出そうとしている所から察するに、おそらく彼にとってそのラティアスはとても特別な存在なのだろう。だからと言って、タクヤはこれ以上このラティオスの言葉に耳を貸す気はないが。

「さて、お喋りは終わりだ。スライス、頼む」
『……了解』
『ぐっ……止めろ……!』

 ジリジリと躙り寄るスライス。表情を歪ませて必死に抵抗しようとするも、身体が言う事を聞いてくれない。だいぶ回復したとは言え、本来ならまだ安静にすべき状態なのだ。これ以上、激しい身動きは取れない。
 タクヤは成功を確信していた。スライスの一撃でラティオスを昏睡状態まで追い込み、そのままモンスターボールで捕獲。簡単な作業だ。ここまで来れば、あとはトントン拍子。

 スライスが腕を振り上げる。その鋏でラティオスを殴りつけようとする。
 しかし。スライスの腕が動き始めた、その時だった。タクヤが恐れていた事が起きた。

「ラグ、“たきのぼり”!」

 一匹のポケモン。その乱入により、スライスの攻撃は防がれてしまったのだ。
 滝を遡るような勢いで突進してくる巨体。速度もかなり速い。それに加えて殆んど不意の一撃だ。これでは、流石のスライスも回避しきれない。

『うぐぅ……!?』

 案の定、スライスはその攻撃の直撃を許してしまった。鈍い音と共に吹っ飛ばされて、スライスは壁に激突する。全身が勢いよく叩きつけられ、彼女は力なく倒れ込んでしまった。

「スライス……!? 一体、何が……!」

 そう言いながらも、タクヤは視線を少しばかり下に向ける。とあるポケモンの姿が目に入った。
 青い身体のポケモンだった。顔にはオレンジ色の髭と紺色のヒレ。そのヒレは腰辺りにも存在し、その部分のヒレは二つに分かれていた。

 水タイプのポケモンだ。その分類は、ぬまうおポケモン。ホウエン地方の初心者用のポケモンである、ミズゴロウが最終進化した姿。

「ラグラージ……だと……!」
「ふぅ。危ない危ない」

 タクヤが愕然とする中、軽い調子で現れたのは一人の少年。
 動きやすそうな長袖の上着。そして下は長ズボン。特徴的なのは、モンスターボールを模したロゴの入った、白いニット帽。

 タクヤが、最も恐れていた人物。

「あんたは……ユウキ、さん……!」

 ホウエン屈指の強豪トレーナー。ユウキに間違いなかった。

 動揺するタクヤ。それに対しユウキは、まるで動じていない。まるでこうなる事を予期していたかのように、平静を保っている。
 やはり彼は感づいていたのだ。タクヤ達が、ラティオスを狙っているのだという事に。

「……あれ? お前本当にローブ達の一員?」
「だったら……何だって言うんだ……?」
「その反応……どうやらビンゴみたいだな。いやー、もう少し遅かったらヤバかったかなぁ……。まぁ間に合ったからいいか」
「すいません……。僕がもう少し早く気づいていれば……!」

 気がつくと、ユウキの他に二名ほど姿を現していた。
 一人はトウキ。ここムロタウンに存在するポケモンジムのジムリーダーだ。そしてもう一人、悔しそうな表情を浮かべる少年。彼だけはタクヤも知らない少年だった。

「いやいや、ミツルが謝る事ないって。要はラティオスを守りつつも情報を聞き出せればいい。まだ失敗した訳じゃないだろ?」

 笑顔でそう励ますユウキ。ミツルと呼ばれた少年もそれを聞いて気持ちの整理がついたらしく、表情が引き締まった。言わずもがな、ジムリーダーのトウキは既に覚悟の決めた瞳でタクヤを睨みつけている。

 タクヤは尻込みしそうになっていた。気がついたら三対一。圧倒的不利な状況に追い込まれて、自然と失敗の状況を思い浮かべてしまう。ブンブンと頭を振ってそのイメージを払拭させようとするも、纏わりついたそれは中々で離れてくれない。

「(くそっ……何でだ……! どうして、こんな……イレギュラーが……!)」

 敵であるはずの自分を助けようとするハイクと言い、強豪トレーナーであるユウキと言い、どうしてどいつもこいつも邪魔をしてくるんだ――!
 冷静さが欠落してゆき、頭の中も混乱してくる。タクヤは精神的にも、かなり追い込まれてしまっていた。

 そんな時。

『させない……まだ……!』

 ガンっと金属音を立てつつも、スライスが立ち上がったのだ。小さな羽をばたつかせ、強引に身体を持ち上げる。足元がふらついて覚束無いが、それでも鋭い目つきでユウキのラグラージを睨みつける。

『私はまだ……戦える……!』

 タクヤの指示なしに、スライスが飛び出した。
 大きなダメージを受けているとは思えない程に速い動き。“バレットパンチ”を打とうとしている。先制技で攻撃し、一気に畳み掛けようと考えたのだろう。しかし。

「おっと……ラグ!」

 ユウキはその名を呼ぶと、ラグと呼ばれたラグラージがその場から素早く飛び退く。スライスが丁度拳を突き出した、そのタイミング。ギリギリの所で、“バレットパンチ”は届かない。

「“ハイドロポンプ”だ!」

 飛び退いたラグの口から、大量の水が発射された。スライスとの距離はほぼゼロ。回避できる訳がない。
 “ハイドロポンプ”を真面に受け、スライスは吹っ飛ばされてしまった。
 あまりにも強すぎる威力。100キロを越える体重を持つハッサムさえも、いとも簡単に押し飛ばすほどの水流。それをあんな距離から受け、無事でいられるはずがない。

『うっ……』

 最初の“たきのぼり”を含めれば、攻撃を受けた回数は二回。そう、たった二回だ。ただそれだけで、スライスは瀕死状態にまで追い込まれてしまった。ぐったりと倒れ込んで、そのまま動かなくなる。これ以上のバトル続行は不可能だった。

「スライス……!」
「へへっ……さぁ、そのハッサムは無力化したぞ。次はそのムシャーナで来るか?」

 何も言い返せないまま、思わずタクヤは数歩後ずさりしてしまった。表情が引きつって、恐怖心が隠しきれなくなる。
 強い。強すぎる。こんなトレーナーに、一体どうやって立ち向かえと言うんだ。自分程度の実力じゃ、足元にも及ばないじゃないか。もう、どうしようもない。

 そんなタクヤを見かねて、声をかけてきたのはリームだった。

『タクヤ! 諦めるのは早いよ! まだアタシがいるじゃないか!』
「でも……あのラグラージは……!」
『……言いたい事は分かる。確かにアタシが普通に戦っても、あのラグラージには勝てない。でも、アタシ達にはまだあれがあるじゃないか!』

 おそらく、今のリームでは“さいみんじゅつ”を使ってもラグを含めたユウキのポケモンを無力化する事はできない。あまりにも力量が離れすぎているのだ。それならばと、仮にユウキ本人を眠らせる事ができたとしても、すぐに他の奴らの攻撃を受けてリームは致命的なダメージを受けてしまうだろう。いや、そもそも“さいみんじゅつ”を使おうにも、暗示をかけている間はリームは無防備な状態になる。技が成功する前に攻撃を受ければそれで終わりだ。

 だが、突破口が無い訳ではない。キンセツジムのように複数人に、かつ瞬時に暗示をかける事も一応できる。できるのだが――あれをするにはとてつもないリスクを伴う。
 しかし、タクヤには何となく分かる。リームが提示しようとしてくれている案は、おそらくそれだ。本来なら持っていないはずの巨大なエスパーエネルギー。それを無理矢理植え付けて、強引に“さいみんじゅつ”等の技の性能を引き上げる――。 
 タクヤはギリっと歯ぎしりをした。

『さぁタクヤ! 遠慮はいらないよ! またアレを使うんだ!』
「何度も言わせるな……。それだけは駄目だ……」
『どうしてだい!? 今は手段を選んでいる場合じゃないだろう! どんな手を使ってでも、アイツに与えられた任務を遂行するって、アンタはそう決めたはずじゃ……!』
「これ以上アレを……! 『紅波石』を使ったらお前の命が危ないんだ!」

 耐え切れなくなって、タクヤはリームを怒鳴りつけてしまった。予想外の怒号を受けて、驚いたリームが縮こまる。
 普段あまり出さないような大声を上げた所為か、タクヤは息切れしてしまっていた。喉の奥の方からジンジンとした痛みが広がり、むせ込みそうになってしまう。

「……コウハセキ? 突然何を言ってるんだ?」

 そんなタクヤの姿を見て、流石のユウキも困惑したような声を上げる。
 当然と言えば当然だ。彼らにはポケモンの声は聞こえていない。タクヤが突然一人で怒鳴り始めたようにしか、彼らの目には写っていなかっただろう。
 しかし、気になる単語が一つ。

「紅波石……? 石か何かの名前……? でもそんな名前の石、聞いた事なんて……」

 ブツブツとミツルが呟き始める。聞きなれない単語を耳にして、どうもそれが気になってしまっているのだ。
 紅波石。なぜ彼が突然そんな事を言いだしたのは検討もつかないが、今はそれを熟考するべきではない。

「でも……抵抗しないなら好都合ですよね。早く彼を拘束しましょう」
「おう。そうだな。ラグ、頼む」

 未だ息を切らし続けるタクヤ。そんな彼に、ラグは接近してくる。しかしそんな状況でも、タクヤはこれ以上抵抗しようとはしなかった。

 頭の中がいっぱいだった。任務の遂行とリームの命。どちらが大切なのか分からなくなってしまって。あろう事かその二つを天秤にかけてしまっていて。
 タクヤにとって、それはどちらも大事な事だ。リームが死ぬなんて絶対に嫌だ。けれども、このままでは任務は失敗だ。そんな事になっては、最悪あの白ローブとの契約も破棄される可能性がある。もしそうなってしまったら――。

「(そうだ……)」

 そうだ。失敗は許されない。成功させなきゃいけないんだ。リームを死なせずに、かつ任務も成功させる。そうさせなきゃ駄目なんだ。

 何か、何か方法があるはずだ。何か、何か、絶対に――。

「オレは……こんな所で……!」

 ――その時だった。

『タクヤ!』

 懐に仕舞ったままでいたモンスターボール。それが勝手に展開し、中にいたポケモンが飛び出した。

absolute ( 2014/10/12(日) 18:01 )