ポケットモンスター デスティニー 〜憎しみを砕く絆〜
第3章:壊されたつながり
3‐11:つながりの強さ


 ポケモンのタマゴという物は、孵化の条件が少しばかり特殊だ。親となるポケモンに育てられて孵化する、と言うのがごく一般的ではあるが、条件はそれだけではない。トレーナー――人間と行動を共にする事によっても、ポケモンはタマゴから孵化するのだ。

 ポケモンをタマゴの頃から育てているトレーナー。それはさして珍しいような事例ではない。むしろ強豪トレーナーの中には、手持ちポケモンを全てタマゴから育てている者も少なくはない。
 けれどもその少年、ハイクにとって、ポケモンの孵化は始めての経験だった。
 身寄りのないポケモンのタマゴ。それを育て屋さんから預かって、はや数週間。初めは時々動いているかのように感じていた。日が経つごとにその頻度は増し、やがて中から音が聞こえるまでとなった。
 そして、今日。この瞬間。ハイクは遂に、孵化の瞬間に立ち会う事が出来たのだ。

「遂に、か……!」
「何だかドキドキするね……!」

 彼と共に旅をしているレインも一緒だ。彼らは二人横に並んで、今か今かと孵化の瞬間を待ちわびていた。
 ハイクはゴクリと唾を呑む。いざその瞬間になってみると、段々と緊張してくるのだ。心臓の鼓動も早くなり、気づかぬ内に握る拳にも力が入る。

 そんなハイク達の目の前で、ピシッと音を立ててタマゴにヒビが入った。それを見た彼らは、思わず身を乗り出してタマゴを凝視する。息をするのさえも忘れて、ハイク達は孵化の一部始終を見守っていた。
 タマゴはカタカタと左右に大きく揺れ始め、音と共に入るヒビの量も次第に多くなる。そこからは、思っていたより早かった。

 パキッ――

 あっと言う間にヒビはタマゴ全体に広がって、最後に一瞬だけ動きが止まる。その直後、弾けるようにタマゴは孵った。

「あっ……!」
「このポケモンは……!」

 生まれたのは、小さな黄色いポケモンだった。やや大きめな耳と黒く短い尻尾が特徴的で、頬には赤い電気袋。そう、電気タイプのポケモンだ。その分類は、こねずみポケモン。ポケモンの中でも、かなりポピュラーな種。
 ピチューと呼ばれるポケモンだった。

「ぴちゅ……?」

 ピチューはハイクをその視界に捉えた瞬間、物珍しそうに首を傾けた。無理もない。たった今、生まれたばかりのポケモンなのだ。目に映るもの全てが、とても新鮮に見えているのだろう。

 ハイクは感動のあまり言葉を失っていた。タマゴの孵化と言うものは、こうも神秘的なものなのか。ポケモンの進化なら、何度か目撃している。しかし、タマゴの孵化は初体験。進化の瞬間とはまた別の、大きな感動を感じていたのだ。

「かわいい……! やったね、ハイク!」
「う、うん……! まだ心臓がドキドキしているよ……」

 感情の高まりで顔が熱くなるのを感じながらも、ハイクはそのピチューを見つめていた。
 思えば、この目で実際のピチューを見るのは、始めてではないだろうか。こんなにも感極まっている理由の一つは、そこにあるのかも知れない。
 ただ一つはっきりとしている事は、自分が感じているのは喜びにも似た感情だと言う事。感動と歓喜が一緒になって、ハイクの心の中は温かかった。

「そうだ! この子の名前、どうするの?」
「名前、か……」

 ハイクは腕を組んだ。
 タマゴを貰った段階では、どんなポケモンが生まれてくるのか全く分からなかった。その為、この瞬間まで名前は決めていなかったのだ。どんなタイプのポケモンなのか、どんな姿のポケモンなのか。それをしっかり確認してから、ちゃんと決めたかった。

 ハイクはピチューを見る。つぶらな瞳をハイクに向け、ピチューはジッとハイクを見上げている。

「ぴちゅー♪」

 笑った。ハイクと目が合った瞬間、ピチューは笑った。それは何の濁りもない、純粋無垢な笑み。裏も表もない、柔らかい表情。ハイクを包み込んでくれるかのような、温かい光。
 名前は、決まった。

「……ライト。ライトにしよう」



―――――



 腰を低く落として飛び込んだカインは、素早く“リーフブレード”を振りかぶった。
 電撃によって起動したジムの仕掛けにより、目の前は障害物だらけだ。しかしそれでも、カインのスピードは緩まらない。左右に動いて障害物を回避しながらも、カインは標的に急接近する。

 カインが標的を斬りつける速度もまた、目にも留まらぬほどの速さだった。大きく振りかぶっていたように見えたが、その斬り下しのスピードはかなり速い。やや大振りなパワー技だったが、下手な小振りよりも速いスピードだったのだ。あれでは、そう簡単には回避できない。

 だが、その攻撃の標的。あのライチュウは、それをいとも簡単に回避したのだ。まるで、どのタイミングでカインが斬りつけてくるのか分かっていたかのように。“みきり”でも使ったのではないかと怪訝に思うほどに、その反射神経は尋常ではなかった。

『(流石にそう上手くはいかない、か……)』

 カインは少し苦戦していた。
 確かに、あのライチュウは強い。普通のポケモンとは違う。しかし、カインならば。カナズミジムでシェイミを倒したカインならば、もっと優位にバトルを運ぶ事だって可能なはずだ。
 しかし、今はどうだろう。完全にライチュウに翻弄されてしまっている。カインの身体には電撃による傷が数箇所。ところが、対するライチュウはまるで無傷なのだ。カインの攻撃は、擦ることさえしていない。

 ジュカインは草タイプ。電気タイプの攻撃はあまり効かない。それが幸いしてまだ体力には余裕があるものの、このまま翻弄され続けられれば危険だ。いずれやられてしまう。

 なぜカインがあのライチュウにここまで苦戦しているのか。その原因は、ハイクにあった。

「ククク……どうした? その程度なのか?」

 白ローブが煽るような口調でそう言う。カインは思わず舌打ちした。
 癇に障る人間だが、あの白ローブのバトルの腕は確かだ。的確なタイミングで的確な指示をライチュウに飛ばし、そのお陰でライチュウも的確な行動を取れている。それゆえに、タイプの相性があまり良くないジュカイン相手でもここまで翻弄する事ができる。

 しかし、それならハイクだって同じ事。
 彼はチャンピオンだ。白ローブのようなバトルの展開、いや、それ以上の効率で事を運べるはずなのだ。ハイクとカインならば、それが可能だ。しかしそれは、ハイクが実力を十分に発揮していればの話。

『ハイク……』

 カインの後ろ。アクアのちょうど横で、ハイクはうずくまっていた。
 あのライチュウを見た途端、ハイクの様子は変わった。突然ふらついたと思ったら、苦しそうに吐いてしまった。
 なぜそんな事が起きてしまったのか。積み重なるストレスにより、体調を崩してしまったのだろうか。その本当の原因は、カインには分からない。

 しかし、カインは一つ直感している事があった。
 あんな状態だ。ハイクはカインに指示を出すことはできないだろう。だが、それは体調が優れないのだけが原因ではない。
 問題は、あのライチュウ。その正体が、ハイクを混乱させている大きな要因だった。

『ハイクさん……!』
『おいおいおい! ハイクまでどうしたんだよ!』

 ルクスを任せたヴォルとペンタの声が、ハイクの耳に届いた。心配してくれている。それは、はっきりと伝わってきた。
 けれども、ハイクは立ち上がる事ができない。それすらもできないくらいに、彼は打ち拉がれていた。
 気づかないままの方が、良かったのかも知れない。知りたくもなかった。いや、もしかしたら、自分はすでにこうなる事を予測していたのかも知れない。だけれど、心の中でそれを必死に否定してた。受け入れたくなかった。

 シダケタウンでミシェルの話を聞いた時点で、いくらでも予測できたはずなのに。紅ローブに告げられた言葉の真意に、気づいていたはずなのに。

『……ハイク、話してくれますか? あのライチュウの事、何か知っているんですよね?』
「…………」

 ハイクは拳を強く握りしめた。

 こうなってしまったのなら、仕方がない。裏付けられてしまったのなら、否定するなんて無駄な抵抗ではないか。
 ハイクは自分にそう言い聞かせ、顔を上げる。黙(だんま)りを決め込むなんて、そんな事は駄目だ。心配してくれているポケモン達の為に、自分の口でしっかり説明しなければならない。

「あいつは……ライトなんだ……」
『ライト……?』
「ソルトと同じ……研究所から消えたポケモンの一匹……。俺の大切な、友達だ」

 ソルト。ミシェルが差し出した写真に映っていた、あのエンペルトの事だ。
 あの時、ミシェルは言っていた。写真に写っているエンペルトが、ローブ達に力を貸していると。そしてそのエンペルトが、ハイクの手持ちであったポケモン――ソルトである可能性が高い、と。

『そんな……! でも、ちょっと待って下さい……。あの子がライトだと言う証拠はあるのですか? なぜそう言い切れるのです……?』
「……分かるんだよ。あのライチュウ、身体がかなり小さいだろ? ライトもそうなんだ」

 確かに、ハイクの言う通りあのライチュウはかなり小柄だ。ライチュウの平均体長は、約0.8m。しかしあのライチュウは、それをかなり下回っている。おそらく、進化前のポケモンであるピカチュウと比べても、そう変わらないくらいだろう。

『ですが……! 体格が同じくらいだとしても、確信するにはまだ早いのでは……!』
「……早くなんかない。なんとなく、分かるんだよ。あいつの……波導を感じて……」

 波導――?
 ハイクは一体、何を言っているのだろうか。波導が見えたと、彼はさっきもそう言っていた。波導とは、一体何なのか。

「ずっと感じてたドス黒いもの……あれは波導だった……。でも、自分自身の波導じゃない。無理矢理 植えつけられてるんだ……。あの禍々しい波導のせいで、ポケモン達は凶暴化してる……」

 ボンヤリとした瞳で、ハイクはそう話す。横で聞いていたアクアは、まるで言葉が出なかった。
 彼は、本当にハイクなのか。そう疑ってしまう程に、彼の様子はおかしかった。顔色が悪い、とは少し違う。無気力。そんな言葉が似合うほどに、彼の表情は生気を失っていた。

「もう嫌だ……。どうして、こうなるんだ……! でも、もうダメだ……おしまいなんだ……。あそこまで黒い波導に飲み込まれてたら、もう元には戻らないかも知れない……! 見たくなかった……。こんなの、感じたくなかった……! どうして俺にはこんな力があるんだ……!? こんな力、求めてなんかなかったのに!」
『ハイク! 落ち着いて下さい!』

 頭を抱えて錯乱するハイク。アクアが声をかけて落ち着かせようとする。
 ハイクには波導が見える。いや、正確には感じ取れると言うべきか。
 どうしてそんな事ができるようになってしまったのだろうか。これが転生者の能力なのだろうか。
 だが、その理由がなんであろうと、ハイクが錯乱している理由は波導を感じ取ってしまったからだ。できるはずのない事が、できてしまったのだ。彼は怖がっているのだ。自分が、どんどんおかしくなってきているような気がして。
 そして、ハイクはもうどうにもできないと悟っているのだ。もうライチュウを助ける事ができないと、そう思い込んでしまっている。

『あの、ペンタさん……。少しの間だけ、ルクスさんの事を頼めますか……?』
『……ん? 別にいいけどよ。何をするつもりだってんだ?』
『ハイクさんと話してきます……!』

 そう言うとヴォルは、ペンタにルクスを任せて歩き出す。
 ヴォルはずっと感じている事があった。自分を助けてくれた時のハイクは、もっと真っ直ぐだった。どんな困難にも立ち向かってくれるような、そんな印象を抱いていた。
 でも、今は違う。ヴォルにとって今のハイクは、自分が始めて見たハイクとはまるで違う。

『ハイクさん……!』

 できる限りの声で、ヴォルはハイクの名を呼ぶ。
 おもむろにハイクが振り向くと、その虚ろな瞳がヴォルに向けられた。

『ボクは……ハイクさんに感謝しています……。一人ぼっちだったボクを助けようとしてくれて、本当に嬉しかったです……』

 ヴォルは不安だった。自分なんかが、本当に言っていいのか。知ったような口を聞いていいのか。
 でも、このままでは駄目だって、そう強く思っていた。こんな状態のハイクなんか、これ以上見たくなかった。

『ハイクさんは強い人だって、そう思いました。苦しんでいるポケモン達を必死になって助けようとしているハイクさんを見て、ボクも心を打たれました。……でも、今のハイクさんはあの時みたいな覚悟が感じられません。ハイクさん、カナズミシティで頼まれたじゃないですか! 連れて行かれたポケモン達を助けてほしいって……! ハイクさんはそれに答えようとしていた……!』

 ヴォルは必死になって訴えた。
 ハイクに思い出して欲しい。ただそれだけを願って。

『ハイクさんはいつだって、繋がりを大切にしてきた……。だからこそ、タクヤさんの事だって信じられたんですよね? そんなハイクさんが、こんなにも簡単に諦めちゃうんですか……!? もう助けられないって、そう割り切っちゃうんですか……!? そんな事、する必要ないんです! 何でもかんでも受け入れる必要ありません! 最後まで、あがいてみるべきなんじゃないですか!?』

 こんなにも必死になっているヴォルを、ハイクは始めて見た。ヴォルはこんなにも、ハイクの事を思ってくれていた。
 それなのに、ハイクはそれに答える事ができないでいた。一人で勝手に諦めて、逃げ出そうとしていた。
 ――情けない。そんな事をしたって、得られるものなんて何もないだろうに。待っているのは、虚しさだけだ。どうしてそれが分からなかったのだ。
 そう。そうだった。自分には、まだまだやることがある。こんな所で、立ち止まってはいられない。

『ハイクさんはハイクさんです。たとえどんな力を手に入れたとしても、それは変わりません……! だから、レインさんもライトさんも助け出しましょう! ハイクさんなら、絶対にそれが可能なんです! 繋がりは……絆は……! そう簡単に、壊されるはずがありません!』
「……ヴォル……」

 ポンっと、ハイクはヴォルの頭に静かに手をのせた。ピクリとして口をつぐむと、ヴォルは顔を上げる。そこにあるのは、ハイクの姿。しかしその表情は、さっきまでとは違う。光を取り戻した、真っ直ぐな瞳。生気が戻ったその表情から読み取れるのは、確かな決意。ヴォルが知っている、いつものハイクだった。

「ごめん、俺……ずっと自分を見失ってた。怖くて、逃げてたんだ……。でもこのままじゃ駄目なんだ。俺にはやらなきゃならない事があるから」
『ハイク……さん……』

 小さく頷くと、ハイクはゆっくりと立ち上がる。吐いたせいか身体が重かったが、そんな事は気にしている場合ではない。ヴォルも、アクアも、カインも。皆には随分待たせてしまった。

 ハイクは前を見る。白ローブに使役されて、カインに襲いかかるライト。カインは未だにライトの動きを読む事ができず、殆んど一方的に攻撃を受け続けてしまっている。
 しかし、ハイクには分かる。次にライトが、どの位置から攻撃を仕掛けてくるか。ずっと一緒にいたからこそ、その動きは何となく先読みする事ができる。

「カイン後ろだ! “リーフブレード”!」
『……ッ!』

 ハイクからの突然の指示を受けるが、カインは瞬時にそれに反応する。腰を使って素早く振り返り、そのままの勢いで“リーフブレード”を斬り上げた。
 手応えがあった。カインの“リーフブレード”はライトに直撃し、遂にその猛攻を阻止する事に成功したのだ。ライトは大きく吹っ飛ばされ、地面に叩きつけられる。

 あの程度では、まだ戦闘不能にまでは追い込めていないだろう。しかし、これは大きな進展だ。このまま勢いに乗れれば、優位に立てる事だって可能だ。

「……ごめん、カイン。待たせちゃって……」
『……気にするな。俺はあんたを信じていた。だから勝手に待ってたんだ。それだけだ』
「カイン……。ここから反撃しよう……!」

 ハイクとカインは揃って白ローブを睨みつける。
 フードのせいで顔は見えない。しかし、どうせあのフードの中では嘲笑っている。いくらハイクが立ち上がろうとも、あの男はまるで動じないだろう。そう言う男だ、あの白ローブは。

「ほう? 表情が変わったな。覚悟を決めた、と言う事かな?」
「あぁ……。俺はもう逃げないって、そう決めたんだ。お前を倒して、レインもライトも助けてみせる……!」
「ククク……大きく出たな」

 こんな状況でも、いやこんな状況だからこそ、白ローブは楽しんでいた。
 人の命が左右するこのバトルも、彼にとってゲームの一つに過ぎない。今の白ローブは、ただスリリングな体験を楽しみたいだけだ。誰がどんな目に遭おうとも、そんな事は知ったこっちゃない。

「ライトは相手の死角に回り込もうとする癖があるんだ。だから逆に言えば、自分の死角となる部分を狙えばその動きを捉える事ができる。“リーフブレード”と“エナジーボール”を使い分けて、ライトが攻撃する前にこっちから攻撃を仕掛けてしまうんだ!」
『……了解だ』
「さぁて、どこまで耐えられるかな? ライチュウよ、“10まんボルト”だ」

 ハイクが復帰した事により、バトルはさらに激しくなった。
 ライトが素早い動きでカインをかく乱しつつも、“10まんボルト”で襲いかかる。しかし、ハイクの指示を的確に遂行するカインは、それ以上“10まんボルト”の直撃を許さなかった。

 一見、ライトの動きは規則性がないように見える。しかし、彼女が目指す所はいつも同じ。カインの死角だ。つまり動きは不規則でも、攻撃を放つ位置は毎回変わらないのだ。ギリギリまで引き付ければ、次にライトの動きが止まる場所は読む事ができる。
 振り向きざまの“エナジーボール”、振り向く勢いを利用した“リーフブレード”。その二種類のカウンターにより、戦況の優越はカインに傾きつつあった。

『凄い……。ハイクの指示で、ここまで……』

 アクアは驚きを隠せなかった。
 思えば、ハイクの指示を受けたカインのバトルを見たのは、これが初めてだ。カインとは以前にも会った事があるのだが、その時はこれほどまでの強さではなかったはず。
 それが、ハイクと言う人間の力が加わる事で、ここまで強くなれるのか。

『ケヘヘヘ! 流石ハイクだな! 息ピッタリだぜ!』
『ハイ……ク……』

 笑い声を上げるペンタの横で、ルクスもハイク達のバトルを見守る。
 ハイクとカイン。彼らの息のあった連携を見ている内に、ルクスの頭も冷えてきた。
 そうだ。ハイクは強く信じてる。繋がりを。絆を。ハイクならば、一度開いてしまったレインとの間の溝を、いくらでも埋める事ができるのだ。

『オレ……らしくなかった、よな……。あんなにムキになる必要なんて、なかった……のに……』

 アクアとヴォル、ルクスとペンタ。皆が見守るそのバトルは、次の攻撃で決する事となった。
 体力を消耗し、カインの表情にもだいぶ疲労の色が出てきた。しかし、それはライトも同じ事。あそこまで一方的に攻撃できていたはずのライトも、ハイクの復帰によって一気に追い詰められた。もう殆んど、体力は残っていないだろう。

「フッ……よくぞここまで追い詰めたな。流石、チャンピオン」
「……一つ聞かせろ。ライトに何をした? どうしてお前なんかに従ってるんだ……。どうして! 俺に攻撃してくるんだ……!?」
「気になるか? ククク……大した事ではない。少しばかり記憶をいじらせてもらったのだ。今のライチュウは、君の事など覚えていない。我々の忠実なる下僕と化したのだよ」
「なっ……!」

 ハイクは怒りで震えていた。
 記憶をいじった? ふざけるな。そんな事をしてまで、ポケモンを利用しようと言うのか。許される訳がない。いや、絶対に許さない。

「もう一度言う。今のライチュウは君の事など覚えていない。それでも助け出すと言うのかね?」
「黙れ……」
「君達の繋がりは壊された。記憶と共に、何もかも失ったのだ」
「黙れ黙れ黙れ! お前達なんかに……壊されてたまるかぁ!」

 カインの目の前から、ライトの姿が消えた。また死角に周りこもうとしているのだろう。
 素早い動き。あのカインでさえも、目で追うのは難しい。だが、そんな事は関係ない。幾度もその攻撃を受けている内に、その動きの癖は既に把握している。

「カイン、上だ! “エナジーボール”!」

 それは、ハイクなら尚更だった。追い込まれたライトを見て、白ローブが次にライトに出す技の指示。それは何となく分かる。そして、その技を使うとしたら、ライトがどんな動きをするのか。それもハイクには分かっていた。

 大きくジャンプしてカインの頭上まで移動し、身体中に激しい雷を纏う。そのまま纏った雷の一部を使って爆発を起こし、その爆風を利用して一気に落下。カインに激突しようとする。
 “ボルテッカー”。その技の応用。ライトの専売特許。

 やられてしまうくらいなら、反動覚悟で自爆させようとする。白ローブならそう考えると読んでいたが、どうやらそれは的中したらしい。現にライトはカインの頭上まで移動し、身体に雷を纏っている。
 それならば、好きにはさせない。カインは素早くエネルギーを片腕に集中させ、球体を作るとそれを頭上へと突き出す。

 ライトが落下し始めるのと、カインが“エナジーボール”を飛ばすのは、ほぼ同時だった。二つの技はカインの頭上で衝突し、激しい爆発音が轟く。

『クッ……!』

 頭上で爆発が起き、当然カインは吹っ飛ばされる。しかし、ダメージは殆んどない。カインにはライトの“ボルテッカー”が直撃した訳ではないのだ。あの程度の爆発なら、問題ない。

 しかし、ライトは違う。“エナジーボール”に正面から突っ込んでいるのだ。
 “ボルテッカー”は威力は高いが反動も大きい捨て身の技。それがカインに届かなかったどころか、自分だけ“エナジーボール”の直撃を許してしまったのだ。ダメージが少ない訳がない。

「大丈夫か、カイン……!」
『あぁ……。俺は、大丈夫だ……』

 片膝をついているカインに駆け寄ってハイクが声をかけるが、意識はしっかりしていた。
 取り敢えずホッと一安心したハイクは、チラリと白ローブの方へと振り向く。

「ふむ……。この程度、か……」

 ライトはぐったりと倒れ込んでいた。今の一撃で、完全に意識を失ってしまったのだ。
 無理もない。そもそもあの時点で、ライトには殆んど体力は残っていなかったのだ。そんな状態での“ボルテッカー”。仮に“エナジーボール”が当たらなかったとしても、反動でやられていただろう。

「ライト!」

 倒れこむライトの姿を見て、ハイクは居ても立ってもいられなかった。
 研究所からいなくなってから、ずっと捜していたポケモンの一匹。ライトに、ようやく会えたのだ。この機会を逃す訳にはいかない。絶対に、連れ戻す。

 ハイクは駆け出す。ライトに向かって一直線に走る。手を伸ばして、ライトに触れようとする。
 しかし――。

『おっと……。させないよ!』
「えっ……? うぐっ!?」

 背中から何かに押される感覚に襲われ、ハイクは前に倒れてしまった。
 慌てて立ち上がろうとするものの、なぜだか身体が動かない。まるで強い力で押さえつけられているように、全く立ち上がれないのだ。しかし、何とか動く顔で背後をチラリと見てみても、そこには何もない。誰もいない。
 これは、一体――。

『……悪いね。そう言うプランだからさ』
「お、お前……!」

 そんな声につられて前を向くと、そこには一匹のポケモン姿が。
 ピンク色の身体を持つポケモン。そう、レインを縛りつけていたあのムシャーナである。ライトに近づかせないようにする為に、今度はハイクに技を使ってきたのだ。“サイコキネシス”で押さえられ、身動きが殆んどとれない。

「クッ……。離せ……!」
『そう言われて離す訳ないだろ? あ、言っておくけど、あのジュカインに助けを求めたって無駄だよ? 先に眠ってもらったからさ』
「な、何を言って……」

 その次の瞬間、ハイクは言葉を失った。
 唯一動く顔を無理矢理にでも動かして、ハイクは強引に振り向く。しかし、そこにいたのは俯せに倒れているカインの姿だった。
 いや、カインだけではない。ヴォルも、アクアも、ペンタも、ルクスも。皆が全員、倒れてしまっているのだ。

 だが、攻撃を受けて瀕死状態になってしまった訳ではない。寝息を立てて、文字通り眠ってしまっている。

「嘘……だろ……!?」

 “さいみんじゅつ”と呼ばれる技がある。エスパーエネルギーを利用して生物に暗示をかけ、眠りに落とす技。おそらくこのムシャーナは、その技を使っている。
 しかしだとしても、こんな事あり得るのだろうか。たった一匹のポケモンがハイクを押し倒し、それと同時に五匹ものポケモンを無力化するなど。

 このムシャーナ、やはり普通ではない。

「素晴らしい……。助かったよ、タクヤ君?」
「……いいから、早くしろ。リームだって、いつまでも技を使い続けられるわけじゃないんだ」
「ふむ……。では、そうするとしよう」

 リーム。それが、あのムシャーナの名前なのだろうか。
 歩みよってくる白ローブ。ハイクはキッと鋭い目つきでその男を睨みつけた。

「少し慌て過ぎではないかね、ハイク君? ルール違反はいけないな」
「なんだと……!?」
「君がバトルに勝ったら、レイン君は解放すると言った。しかし、このライチュウは別だろう? みすみす君に渡す訳にはいかない」

 そんな事、関係ない。
 そう言おうとしたハイクだったが、“サイコキネシス”によって強く抑えられているせいで上手く声がでなかった。動こうとすればする程に、押さえつける力は強くなる。段々息苦しくなってきて、ハイクはむせた。

「だが、約束は守ろう。このバトルは君の勝ちだ。レイン君は解放しよう」

 そう言うと白ローブは、アイコンタクトでタクヤに指示を送った。

「あぁ、分かってる。リーム」
『りょーかいっ』

 レインにまとわりついていた薄紫色の光が、ボンヤリと消えてゆく。浮遊していた体もゆっくりと落下し、音もなく床に着地する。しかしレインは未だに眠りについたままであり、倒れたままそれ以上は動かなかった。

「レイン……!」
「眠っているだけだ。そのうち目を覚ますだろう。……さて、私達はそろそろ行かせてもらうよ?」

 そう言うと白ローブは、ライトをボールに戻して歩き出す。その後ろに、タクヤ達も続いた。

「行かせてもらう……って……!」

 ハイクは嫌な予感を感じた。
 自分は身動きが取れない。カイン達は深い眠りについてしまっている。つまり、抵抗する力を持つ者はもう誰もいないのだ。と、言う事は――。

「ッ!? まずい……! アクア!」

 ハイクは思い出した。あのローブの集団が、アクアを必要としている事を。そして直感した。このままでは、アクアが危ない。
 迂闊だった。この状況なら、誰もローブ達の邪魔をしない。いや、邪魔ができないのだ。何の不自由もなく、アクアを連れ去る事も可能。

 駄目だ。このままでは――。
 ところが、白ローブは予想外の行動に出た。

「フッ……」

 チラリとアクアを一瞥する白ローブ。しかし、それ以上は何もしなかったのだ。まるで、最初から何の興味もなかったかのように。それ以降は目を向ける事もなく、白ローブは眠りにつくアクアの横をスタスタと通り過ぎる。

 ハイクは自分の目を疑った。
 なぜだ。どうして何もしない? あいつらの計画遂行には、アクアが必要なのではなかったのか。

「……おい。このラプラスはいいのか? 必要なんだろ?」

 疑問に思ったのは、タクヤも同じだったらしい。アクアに視線を向けながらも、白ローブに確認する。
 白ローブはニヤリと笑うと、振り返らずに答えた。

「そうだな。確かに我々にはそのラプラスが必要……だった」
「だった……? 今は違うのか?」
「……そのラプラス以上の適合値がとあるポケモンから検知された。つまり、我々にとってそのラプラスの重要性は低下したのだ」

 「それに……」と言いつつも、白ローブはハイクの方へと目をやる。鋭い目つきで睨みつけている彼の姿が目に入った。

「……私はゲームを楽しみたいのだ。今ここでハイク君の戦力を削いでしまったら、ゲームが冷めるだろう? まぁ……ハイク君の能力も分かった事だ。収穫は上々だろう」
「……ふんっ。まぁいい。オレはあんたの命令に従うだけだ。依頼主さん」
「分かってくれればそれでいい」

 ハイクの、能力? 波導を感じられる事なのか。しかしあの口ぶり――まさか白ローブは、最初からハイクが何らかの能力を持っている事を知っていたのだろうか。もしこれが転生者の能力なのだとしたら、タクヤもまた別の能力をもっているのだろうか。
 しかし、いくら疑問に思ってももう遅い。白ローブは立ち去ってしまった。こじ開けられた自動ドアが堂々と外へと出て、やがてその姿は見えなるなる。

「……オレ達も行くぞ、リーム」
『あぁ……』

 白ローブの後を追って、タクヤもジムをあとにしようとする。しかし。

「待て……タクヤ……!」

 ハイクに声をかけられて、思わず足を止めてしまった。

「アイツに……ついて行っちゃダメだ……! アイツはどんなに残酷な事でも平気でやってのけるような奴なんだぞ……! それでも、お前は……!」
「……あんたは何か勘違いしてるんじゃないか?」

 タクヤはイライラしていた。この、ハイクと言う少年に。
 あの白ローブについて行くな? そんな事をハイクに言われる謂れはない。タクヤはハイクの味方ではない。最初から敵であり、最初から裏切るつもりで友好的なフリをしていた。
 そんなタクヤさえも、ハイクは助けよう言うのだろうか。――実に腹立たしい。

「オレは最初からアイツらの一員であんたの敵だ。もう後戻りはできない所まで踏み混んでるんだよ。それに……覚悟はとっくにできてる」
「覚悟……って……!」
「話は終わりだ。……じゃあな、ハイクさん」
「タクヤ……!」

 それ以降、タクヤは振り向く事はなかった。結局彼は白ローブと共にハイクの前から姿を消し、ポケモンジムは静寂に包まれた。

 結局。結局ハイクは、殆んど何も取り戻す事ができなかった。ライトも、タクヤも。
 何もできなかった。結局あの白ローブの思うがままだったのだ。もっと自分に決断力があったのなら。もっと自分に力があったのなら。こんな事には、ならなかったのかも知れないのに。いくら悔やんでも、もうあまりにも遅すぎた。

 だけれども――。取り戻せたものも、あった。

「う……ぅん……。ハイ……ク……?」
「レイン……? レイン! 目を覚ましたのか……!?」

 リームがいなくなってから、ハイクの身体が動くようになっていた。距離が大きく離れた事により、技の効果範囲を抜けたのだろう。

 ハイクは真っ先にレインのもとへと駆け寄った。
 白ローブ達の言っていた通り、レインは本当に眠っているだけだった。怪我をしているような様子もなく、何か酷い事をされた形跡もない。ただ、その顔色はあまりよくない。まるで、悪夢でも見てうなされているような、そんな表情だった。

 しかし、ハイクがレインの手を握った途端、彼女は目を覚ました。ボンヤリとしたまどろみの中で、しっかりとハイクを認識してくれたのだ。

「レイン……大丈夫か……?」
「うん……。私……ずっと、夢を見てた……。狭くて暗くて息苦しい所に、ずっと閉じ込められてた……。でも……ハイクが助けてくれたんだね……。ありがとう、ハイク……」
「レイン、俺……俺は……!」

 ハイクは思わず、レインに手をギュッと握る。心の底から溢れ出る言葉を、声にして出した。

「怖かったんだ……。大切な何かがなくなってしまいそうで……。大切な誰かがいなくなってしまいそうで……! その恐怖に耐え切れなくなって、お前に強くあたってしまった……。お前を傷つける事になるって、分かっていたはずなのに……!ごめん、レイン……」
「ハイク……」

 ハイクの頬から涙が零れる。それは一度出てくると止まらなくなって、彼は涙を流し続けた。
 レインも、ハイクの手を握り返す。

「謝るのは……私の方だよ……。私だって、ハイクの気持ちを考えないで、感情的になっちゃったんだよ。ハイクの本当の気持ち、勝手に理解した気になって……。ごめんね、ハイク……」

 レインはゆっくりと起き上がると、そっとハイクを抱き寄せた。
 それは、涙を流すハイクを安心させようと思ってした行為。しかし、心の底ではそれ以外の意思も働いていたのだろう。本当は、レインだって不安と後悔でいっぱいだったのだ。甘えたかった。温もりが欲しかった。一人になるのが、怖かった。

「ハイク……ハイクぅ……」

 気がつくと、レインも涙を流していた。本当は、自分がハイクを安心させようとしていたのに。どうしても、我慢ができなくなってしまう。結局、レインはハイクにすがってしまった。
 でも、今はこれでいい。今くらいは、思い切り泣いたって構わない。それで心が癒えるなら。それで洗い流せるのなら。この涙は無駄ではない。

 繋がりは簡単には壊せない。絆は簡単にはなくならない。それに気づいたからこそ、ハイクはこうしてレインと本当の意味で再会できた。
 それならば、ソルトもライトも他のポケモン達も。助けられる。再会できる。

 そう。信じ続ければ、いつかきっと――。



absolute ( 2014/09/05(金) 17:58 )