3‐8:眠る街
時刻は既に夜中の0時半を過ぎていた。
ポケモンセンターの宿泊部屋は珍しくどの部屋も消灯されており、利用客は皆眠りについてしまっているようだ。耳が痛くなるほどの静けさが辺りを支配しており、空気も冷たく肌に刺さる。
勿論、その部屋に泊まるトレーナーも、今は眠りについていた。
『おーい……ハイク……!』
ボンヤリと、誰かが自分の名前を呼んでいるような気がする。けれども彼の意識はまだほとんど夢の中で、目を覚ます前に再び眠りに落ちてゆく。声をかけたくらいでは、目を覚ましそうになかった。
『あれ……? 起きないな……』
もぞもぞと、眠っている彼は動く。まだ完全に眠りに落ちたわけではなく、浅い所を彷徨っているような状態だ。周囲の音は耳に入るが、記憶に残らずすぐに抜けゆく。今はそんな状態だった。
『しょうがないな。ここは身体を揺さぶって……』
『ケヘヘヘ! 待てよルクス! そんなんじゃ面白くないだろ?』
何だか妙に耳に残る笑い声が聞こえて、彼の意識は少しずつ現実に引き戻された。
しかし、未だに起きるような気配はない。今日の彼の睡眠欲はかなり強く、周囲の状況への興味もそれに飲み込まれてしまうのだ。
『面白くないって……何をするつもりだよ?』
『まぁまぁ、ここはオレっちに任せろって! ケヘヘヘへ!』
またあの笑い声が聞こえた。彼の意識は少しずつ目を覚まし、段々と思考が働いてくる。
耳に残るあの笑い声。ポケモンセンターの一室で眠りについているのは、自分ともう一人。いや、彼の声ではないだろう。別の誰かの声――。
別の誰か――? ちゃんと部屋の鍵は閉めたはずだ。それなのに、自分達意外に誰かがいる?
そこで彼は、一つの結論に至った。
そうだ。これは夢だ。
ポケモンセンターのセキュリティは絶対だ。鍵のかかった部屋に侵入できる訳がない。頭の中に反響しているこの笑い声も、きっと夢の中の出来事で――。
『起・き・ろ〜……ハイクっ!』
「ぐはっ!?」
突然腹部に強烈な衝撃が走り、ハイクは飛び起きるように目を覚ました。一瞬遅れて息苦しくなり、ハイクはゴホゴホとむせる。
全然夢じゃなかった。鈍い痛みと共に、ずっしりとしたものがお腹の上に乗っているのが感じられる。何事かと思い見てみると、そこには黒いぬいぐるみのような姿をした一匹のポケモンが居座っていた。
チャックのような口元に、薄赤色の鋭い瞳。一見するとけっこう不気味な姿をしたポケモンで、意外と体も大きい。一mくらいはあるのではないだろうか。その体重も軽いとは言えず、こうしてお腹の上にいつまでもいられると正直キツイ。
その見た目通り、分類はぬいぐるみポケモン。ジュペッタという、ゴーストタイプのポケモンだった。
『へへへへ! 起きた? 起きたか、ハイク!』
「ぐふっ……起きた、から……そこをどいてくれ、ペンタ……」
レインの手持ちポケモンの一匹。ジュペッタのペンタは、イタズラ成功と言わんばかりにニタニタと笑っていた。
一体、どうやってこの部屋に入ったんだろう。ペンタはレインと一緒、つまり別の部屋にいたはずだ。しかもよく見ると、ベッドの上にはペンタ以外にもルクスの姿も確認できた。
「お、お前ら……どうして……」
そもそも鍵のかかっていたはずなのに、どうやって入ってきたのだろうか。ペンタをお腹の上から無理矢理どかしながらも、ハイクは困惑したように声を上げる。
ペンタはかなりのイタズラ好きだ。ハイクも以前に何度か被害にあっている。そんなペンタだけならまたイタズラをしにきたのだろうと納得できるのだが、ルクスも一緒となると話は変わってくる。
こんな夜中に、まさかペンタにそそのかされて来たわけではないだろう。ニタニタと笑っているペンタと違ってルクスの表情は固く、まるでふざけているような様子は見られないのだ。こんな時間にハイクのもとへ訪れざるを得ない事が、起きたのだろうか。
『大変! 大変なんだハイク!』
困惑したハイクに向けて、焦ったようにルクスは声をかける。ルクスがここまで慌てふためくなんて、只事ではない。
ルクスとペンタがどうやってこの部屋に入ってきたのか。それは気になっていたのだが、そんな思いも様子がおかしいルクスに対する心配で、あっさりかき消されてゆく。ハイクはゴクリと唾を飲み込んだ。
「大変って……何があったんだ?」
『レインが……レインが……!』
「レイン……!?」
慌てたルクスの口からレインの名前が出てきて、ハイクは血の気が引くような思いに駆られる。
シダケタウンで国際警察のミシェルと別れてから、ハイクはレインとほとんど口を聞いていなかった。それこそ、キンセツシティについてレインだけが先にポケモンセンターに向かった時くらいだ。レインの方からも話そうとしなかったし、ハイクもずっと踏み出せずにいた。
レインだって、色々と抱え込んでいたはずだ。そこでハイクに怒鳴られて、深く傷ついてしまった。距離を置くようになってしまった。
ハイクは謝りたかった。ずっと後悔していた。だけれど――。
『レインが……いなくなった……』
「えっ……?」
頭の中が真っ白になって、ルクスのその言葉を頭の中で理解するまでになぜだか妙に時間がかかった。寝起きだから、という事もあっただろう。あまりにも突然過ぎる出来事を前に、思考が追いついていない。
やがてジワジワと理解してきて、ハイクの表情にも焦りの色が出始めた。
「いなくなったって……? それって、どう言う意味だよ……!?」
『オレにも分かんないよ! 夜中に目が覚めて、気がついたらレインがいなくなってたんだ!』
ルクスは取り乱していた。自分の主人であるトレーナーがいなくなったのだから、無理もないだろう。
慌てているのはハイクも同じだった。だけれど、ハイクまでもここで取り乱す訳にはいかない。こんな時だからこそ、冷静にならなければ。今は、どんな状況でレインがいなくなったのかを、ルクス達に確認すべきだ。
深呼吸して狼狽を抑えようとしながらも、ハイクはルクス達に尋ねた。
「今は……状況を整理しよう。他のみんなは? フレイ達はどうしたんだ?」
『……分かんない。レインと一緒に、フレイ達のモンスターボールもなくなってたみたいなんだ。ボールの外に出てたオレとペンタだけが残されてて……』
「いなくなったのはレインだけじゃなかったのか……!」
ハイクは考える。
レインだけではなく、フレイ達もいなくなっていた? レインがフレイ達のモンスターボールを持って、どこかへ行ってしまったのだろうか。
いや、それはない気がする。あのレインが、ルクスとペンタだけを置いてどこかへ行ってしまうなんて考えられないのだ。では、誰かがレインを連れて行った――?
レインだって、部屋に鍵くらいかけていたはず。もし誰かがレインを連れ去ったのだとすれば、その誰かは鍵のかかった扉を突破したことになる。そんな事、できるのだろうか。
「何か、不審な様子はなかったのか? 誰かが部屋に入って来たとか……」
『それも……分かんない……。ぐっすり眠っちゃってて……」
『いや〜……面目ねぇ』
俯くルクス。軽い様子で頭をかくペンタ。
レインは時々ペンタと眠る事がある。寂しい時とか、心細い時とか、ペンタと眠れば多少は和らげる、とレインが言っていたのを覚えている。
今回の場合は、ひどく傷ついて苦しんでいたレインが心配になって、ペンタの方からボールから出たらしい。ペンタは自分でそう説明した。
『いや、ほらアレだよ。レインって、意外と胸デカイじゃん? ぷよぷよでやわこくて寝心地いいんだよな〜。だからオレっちもぐっすりでさ! ケヘヘヘ!』
「へっ……!? あ、いや……。って何言ってんだよ!?」
すると突然とんでもない発言が飛んできて、ハイクは露骨に慌てふためく。その間も、ペンタはニヤニヤと笑い続けていた。
本気で言っているのか、冗談で言っているのか。どっちにせよ、どちらかと言えば健全であるハイクにとってリアクションに困る内容なのだが。
『おい二人とも! 今はふざけている場合じゃないだろ!』
そんな中、声を上げたのはルクスだった。
いつになく真剣で余裕もなさそうな剣幕で、だいぶムキになっているのがその表情から読み取れる。レインがいなくなって焦るのは無理もないと思うが、あのルクスがここまで怒りを露わにするとは。何となくいつもと印象が違うような気がして、ハイクは少し心配になった。
『なんだよルクス。せっかくオレっちが場を和ませようとしてたのにさ』
『和ませるって……! いいか、今はそんな事をしている暇はないんだ! 早くレインを捜さないと!』
ルクスは焦っていた。らしくないくらいに。冷静さも失っており、いつも以上に落ち着きもない。
そんなルクスを見て、流石にペンタも心配になったらしい。困惑したように表情を曇らせて、首を傾けていた。
『どうしちゃったんだよ。そんなにムキになっちまって、お前らしくないんじゃねぇのか?』
『なっ……お前こそ、どうしてふざける余裕があるんだよ! レインがどうなってもいいって言うのかよ!?』
「ちょ、ちょっと! 一旦落ち着けって!」
ヒートアップしそうになったルクスを抑える為にも、ハイクは無理矢理割って入った。今にも飛びかかりそうなルクスだったが、割り込んできたハイクの姿を見ると少しだけ落ち着きを取り戻す。
ハイクだって、ちょっとでも気を抜けば取り乱してしまいそうだった。もしレインがいなくなった原因が、ハイクのせいだったとしたら。考えるだけで、胸の奥が苦しくなる。
しかし、もしそうだっとしても、こんな所でボンヤリとはしていられない。ましてや、喧嘩なんかしている場合でもない。
「ともかく、レインを捜しに行こう。部屋にいないのなら、ポケモンセンターの外にいるかも知れない。そんなに遠くまでは行ってないはずだし……」
何が原因でレインが姿を消したのか。あれこれ考察するのは後だ。
こんな真夜中に、女の子が一人で外にいるとしたら危険だ。レインの身に何かあった後では、あまりにも遅すぎる。慌てていたとは言えルクスが頻りに促していた通り、レインを捜索する事が何より先決だろう。
寝間着がわりの薄着のシャツから簡単に着替える為にも、ハイクはベッドから降りる。それにならって、ルクスとペンタもピョンっと飛び降りた。
しかし――ハイクはそこで、異変に気づく。
「あれ……?」
人一人分くらいは余裕で通れるくらい通路。その向かい側に設けられたもう一つのベッド。シーツや掛け布団などが妙に乱れており、ついさっき誰かがそこにいたであろう痕跡がはっきりと確認できる。
いや、今でも誰かがそこにいるはずだ。いなければおかしいのだ。なぜなら、この部屋に泊まったのは、ハイクともう一人。
しかし彼が寝ているはずであるベッドの上には、人影のようなものは見当たらなくて――。
「タクヤが……いない……?」
ゾクリと、ハイクの背筋に寒気が走る。嫌な予感がした。
―――――
夜のキンセツシティは、奇妙なほどの静けさに包まれていた。
ポケモンセンターを出ると、そこにはキンセツシティのちょうど中心を貫くメインストリートが伸びている。当然人通りや車通りも多く、様々なお店も軒並み並ぶその大通りは、街の中でもより一層賑やかな雰囲気を醸し出していた。そう、昼間までは。
深夜1時近くになった現在。街灯こそ明かりを照らしているものの、メインストリートには車はおろか人っ子一人見当たらなかった。
繰り返しになるが、キンセツシティはカナズミシティにも劣らないほどの大きな街である。当然生活する人の数も多く、街の雰囲気は華やかなのだ。基本的にそれは夜になっても衰える事はなく、むしろ昼間とは違った姿を見せてくれる。街全体がライトアップされ、星空を彷彿させるようなその夜景は見る者を魅了するほどの絶景である。1時を回りそうなこの時間でも、多少は落ち着いているものの煌びやかな夜景は健在のはずだった。
しかし、今はどうだろう。通りに人影は見当たらず、建物も全くライトアップされていない。まるで街全体が眠りについてしまったような、そんな印象さえ受ける。
まさかこの時間帯に、住民全てが眠りについてしまった訳ではないだろう。これほどの規模の街ならば、まだ活動している人だって少なからずいるはずだ。
けれども、街全体を支配するのは奇妙なほどの静けさ。人の気配もポケモンの気配も、まるで感じなかった。
「やっぱり……ここ……なのか……?」
ハイクが街の異変に気づいたのは、レインを探し始めて十分ほど経過した頃だ。
初めの内はレインの事で頭がいっぱいで周りの事を気にしている余裕もなかったのだが、夜の空気で体が冷えていく内に冷静に周囲を見渡せるようになっていた。
街全体が、こんなに静かだなんてありえない。確かにこの時間に眠りにつく人だって沢山いるとは思うが、いくらなんでも極端過ぎるのだ。
そんな中、ハイクは一つの可能性を考えた。キンセツシティ全体に何か人為的な、あるいは何かしらのポケモンの力が働いているのではないか、と。
そこでハイク達が訪れたのは、とある施設だった。
『迂闊だった……ようだな。奴らの使う攻撃手段は、物理的で派手なものばかりではない、と言う事か……』
レインの捜索に協力してくれていたカインも、ハイク達が訪れたその建物を見てそう言葉を漏らしていた。
キンセツシティ、ポケモンジム。ついさっきハイクとタクヤが訪れたはずの場所。明かりがついていないのはその建物も例外ではないのだが、決定的な違いが一つ。入口である自動ドアが、開きっぱなしになっているのだ。まるで、外から力を加えられて無理矢理開けられたかのような、そんな跡を残して。
『おいおい! どうなってんだよこれ。中に誰かいるってのか?』
ピョンピョンと飛び跳ねながらも、ペンタはそう言っていた。
確かに彼の言う通り、キンセツジムだけ他の建物と雰囲気が違う。何となく身を引きたくなってしまいそうな、嫌な感じ。ちょうど、あの時のカナズミジムの雰囲気に似ていて――。
『まさか……これって……!』
「……とにかく、入って中を確認してみよう」
ハイクを先頭に、カイン、ペンタ、そしてルクスも、ポケモンジムの中へと足を踏み入れる。
キンセツジムの構造は、カナズミジムのそれと似通っている。入るとまずそこにあるのはエントランスのような空間で、そこからもう一つの扉を越えるとバトルフィールドに出る事ができる。やはりカナズミジムの時と同じく、エントランスには人もポケモンも誰もいなかった。目の前に見えるのは、バトルフィールドへとつながる自動ドアだけで――。
「開いてるな……あのドアも……」
『……あぁ。入口と似たような感じだ』
バトルフィールドへと続く自動ドアにも、こじ開けられたかのような形跡があった。ハイクは糸を張ったような緊張感に見舞われる。
誰かが――中にいる。
『なぁ、早く行こうぜ。こんな所でボンヤリしててもしょうがないだろ』
「それもそう……かもな」
ペンタは全く緊張感がないが、彼の言う事はもっともだ。いつまでも、こんな所で立ち止まっている訳にはいかない。
意を決したハイクは、バトルフィールドへと続く自動ドアを潜り抜けた。
キンセツジムのバトルフィールド。天上はかなり高く、飛行タイプのポケモンでも動き回るのに支障はなさそうだ。広いバトルフィールドの周囲、普通の建物なら2階にあたるであろう場所には観客席も設けられており、ジム戦を行わない人でもバトルを見学できるようになっていた。
「あっ……!」
ふと少し辺りを見渡すと、入口付近の壁際に、もたれかかるようにしてうずくまる一人の人影が見えた。ハイクはすぐさま目を凝らして、その人物の正体を確認しようとする。
彼が誰なのか。それはすぐに判別できた。薄暗いこの場所でも分かる。どっしりとした体つきの、うずくまっているその人は――。
「テッセンさん……!?」
キンセツジムのジムリーダー、テッセン。ハイクがついさっき話したばかりの人物が、あんな所でぐったりと壁にもたれかかっていたのだ。
ハイクは慌てて駆け寄って、テッセンの肩を揺さぶった。
「テッセンさん! 大丈夫ですか、テッセンさん!」
意識は完全に失っている。つまり昏睡状態だ。しかもそれだけではない。テッセンは、体中が黒く薄汚れているのだ。まるで、何かに巻き込まれたかのように。
ここで、何者かに襲われたのだろうか。テッセンの傍らには、彼と同じく意識を失っているポケモンの姿が。
「ライボルト……テッセンさんのポケモン……。ここで誰かと戦ったのか……?」
『……ッ!? お、おい! ルクス、ハイク!』
色々と気になりだした所で、何やら慌てた様子でペンタが声をかけてきた。それに反応したハイクとルクスが、ほぼ同時に振り返る。
広い。バトルフィールドは広い。それに加えて、カナズミジムのように大きな岩のような障害物は設置されていない。シンプルな作りのフィールド。だからだろうか。
「なっ……!?」
それは、すぐに目に入った。
バトルフィールドの端。おそらくジムリーダーがバトルをする際に指示を出す為のスペース。それのもう少しだけ奥。そこに、ボンヤリとした薄紫色の光に包まれた、人影のようなものが――浮かんでいた。
浮かんでいた――? そう、人が浮いているのだ。どう見ても足は地面についておらず、重力を完全に無視して浮かび上がっているように見える。
目を疑うような光景だが、その原因は何となく理解できた。体に纏わりついているあの薄紫色の光は、おそらくエスパータイプのポケモンの力だ。大方、何かしらの技で持ち上げているだけの事だろう。エスパータイプのポケモンにとって、手を使わずに何かを持ち上げる事などあまり難しくもない事なのだ。無論、対象に重量があればあるほど、持ち上げるのにもそれなりのエネルギーは必要になるが。
しかし、重要なのは浮かんでいる原因ではない。浮かんでいる人間が誰なのかだ。
少しだけ青みがかったような黒髪。髪は肩にかかるくらいのストレートヘアで、顔つきにまだ少し幼さを残した少女。その格好は寝巻き姿であり、宙に浮かび上がった状態でも未だに眠りについているように見える。そして彼女の周囲には、同じく浮遊する三つのモンスターボール。
見覚えのある顔。見覚えのある服装。意識を失ったままそこに浮かんでいる少女は――。
「レイン……!?」
『レイン!』
ほぼ同時に声を張り上げたのは、ハイクとルクスだった。
ポケモンセンターから姿を消したはずのレイン。そんな彼女が、どうしてこんな所にいるのだろう。しかも寝巻き姿のまま――いや、それ以前に眠りについたままではないか。
まさか自分で、しかもあの状態でここまで来た訳ではないだろう。エスパータイプのポケモンによって持ち上げられていると言う事は、誰かが部屋からレインを連れ去った可能性が高い。では、一体誰が?
しかし、今はそんな事を考える余裕なんてなかった。
『レイン……! 今……助ける!』
レインの姿を見た途端、仕切りに彼女の名を飛びながらもルクスは走りだした。
いきなり目の前からいなくなって、やっと見つけた大切な人。ルクスは居ても立ってもいられなくなったのだろう。
それは、ハイクも同じ事だった。
ルクスに続いて、ハイクも走り出す。レインを助けたい。もう一度レインに会いたい。会って――ちゃんと謝りたい。その思いだけを胸に、ハイクはただただ真っ直ぐ走る。
だからこそ――何の警戒もしていなかったのだ。
『ッ! 二人とも止まれ!』
「え……?」
ドォン!
カインが何かを叫んでいた。それだけは分かっていた。けれども、それは少し遅すぎた。次の瞬間、走っていたハイクとルクスに向けて、何かが勢いよく突っ込んできたのだ。
しかし、カインの声を聞いた瞬間、ハイクは反射的に少し身を引いていた。そのお陰で、彼だけは大事には至らなかった。
ハイクだけは無事だった。そう、ハイクだけは――。
『がっ……は……!?』
「……! ルクス!」
うめき声が聞こえて、ハイクは慌てて足元を見る。その時ハイクの目に飛び込んできたのは、苦しそうにうずくまるルクスの姿だった。
ハイクは慌ててルクスに駆け寄る。しかしその瞬間、彼は言葉を失った。
何かが叩きつけられたのであろう彼の横腹。薄暗い為あまり正確には確認できないが、そこが不自然にへっこんでいるように見えたのだ。まさかこれは、今の衝撃で骨が――。
『……なんだ。お前には当たらなかったのか』
「……っ!?」
突然そんな声が聞こえてきて、ぎょっとしたハイクは慌てて顔を上げる。そこにいたのは、一匹のポケモン。金属のように光沢を放つ、真っ赤な身体。両腕にあるのは、大きな鋏。ハイクも、よく知っているポケモン。
「嘘……だろ……! どうして、お前が……!」
信じられなかった。自分の目を何度も疑った。何かの勘違いじゃないのかと、その可能性を何度も考えた。
けれども、いくらそんな事をしたって無駄だった。その事実は、完全に裏付けられてしまった。そう、彼が姿を現した事によって。
「まさか……こんなに早く来るなんてな」
ハイクの耳に流れ込んで来たのは、聞き覚えのある馴染み深い声。
コツコツと足音を立てながらも、その少年は暗闇の中から姿を表した。
少年にしては少し長めの黒髪。上に羽織るのは赤と黒が特徴的な上着。両手につけるのは、暗闇に溶けてしまいそうな真っ黒なグローブ。
ハイクは無意識の内に、その少年の名を口にする。
「タク……ヤ……?」
それは、さらなる崩壊の始まりだった。