3‐5:シダケタウン―崩壊の標―
カナシダトンネルを無事に通過し、ハイク達はシダケタウンに到着した。
岩山の麓に存在する小さな町であり、カナシダトンネルを抜ければ道路などを挟まずに直ぐに辿り着く事ができる。シダケタウンには、ポケモンセンターやフレンドリィショップと言ったお馴染みの施設の他、ポケモンコンテストと呼ばれるイベントを催す為の施設も建てられていた。
ポケモントレーナーは、何もポケモンリーグで優勝する事を目的とする人ばかりではない。ポピュラーなもう一つの目標として、コンテストの制覇と言うものがあった。コンテストとは、バトル用ではなく魅せる技を上手く使い、いかに輝くかを競うエンターテインメント性の強いイベントだ。ポケモンもトレーナーも華やかな衣装で着飾り、様々なパフォーマンスでイベントを盛り上がらせる。
また、コンテスト会場はジムのようにホウエン地方の各地に点々としている。それら全てで優秀な成績を収め、その証として全てのコンテストリボンを収集すると言うのが、数多くのトレーナーが目標とすることの一つなのだ。
ハイクもレインもリーグ出場を目標としていたためコンテストに出場した事はないが、何度か観客として訪れた事はある。いつもとは一風変わったポケモン達の姿を見る事ができるため、興味があるなら一度訪れてみるのもいい、とハイクは思う。とてもじゃないが、ハイクは出場などできないが。
そんなポケモンコンテストで有名なシダケタウンだったが、ハイク達が訪れた時には町中はいつもと変わらぬ様子だった。
コンテスト会場と言えば、ポケモンジムに匹敵するほどの大きな施設だ。そのため、あのローブ達に狙われてもおかしくないと思っていたのだが――、特に変わった所はなさそうだった。
どうやらローブ達は、コンテスト会場にはあまり興味はないらしい。あくまでポケモンジム、正確にはバトルに特化したポケモンが奴らの狙いと言う事か。
「なんか……平和って感じがするね」
多くの人々が行き交うコンテスト会場前の通りを歩いていると、レインがそう声をかけてきた。そう言われて改めて周囲を見てみると、なぜだか懐かしい気がしてきた。
人々が普通に生活し、ただ何事もなく時間が過ぎてゆく。当たり前の事のはずなのに、なぜだか妙に羨ましくなってきて――。胸の奥が熱くなってきた。旅を初めてから、まだ一日しか経っていないと言うのに。気づかぬ内に、心に疲労を溜め込んでしまっていたのだろうか。
「レインさん達は、一度ローブ達と戦ったんですよね? でもまだ決着はついていません。そのせいで、引き返せない所まで来てしまった、って感じてるんじゃないですか? 多分、そんな気持ちを持ってるが為に、こんな当たり前の光景を見て懐かしいと思うようになってるんだと思いますよ」
シミジミとしているレインを見て、タクヤがそんな意見を言った。成程、確かにそんな気がする。
当たり前の光景が、なぜだか自分とはかけ離れた別の世界のような気がして、何だか少し寂しかった。
「やっぱり……何事もないのが一番だよな。本当は戦わずに解決できれば、良かったんだけど……」
そんな事できるはずがないと、ハイクは十分に理解していた。そう、テロ組織であるローブ達と話し合いで決着をつけるなど、できるはずがない。奴らはポケモン達を悪用し、また自分達の前に現れる。そうなれば、応戦するしかないのだ。
どうしてあんな事をするのか。どうして人とポケモンを引き離そうとするのか。そんな事をしてまで奴らが目指す所は、一体どこなのか。
「でもっ! ここは何事もなかったみたいで、良かったじゃないですか!」
何となく沈みかけた雰囲気を立て直すべく、タクヤが声を上げた。飛び込むようにハイクの前に回り込み、身体の前でグッと拳を握ってそう訴える。
タクヤは場を和ませようとしてくれている。そう感じ取ったハイクは、笑みを浮かべて答えた。
「……うん。そうだな」
どうやらタクヤは重苦しい雰囲気が苦手のようだ。ハイクもレインも、そんなに重く考えないで欲しい。だからこうやって、元気づけてくれたのだろう。
ハイクの表情が明るくなったのを見て、タクヤもニッと笑顔を浮かべる。その表情を見て、ハイクは確信した。
タクヤは、間違いなく自分達の味方だ。やはりルクスの言っていた変な感じとは、彼の勘違いだった。そうに違いない。こんな真っ直ぐな少年が、人を黙せる訳がないんだ。
少しでもタクヤを疑った自分がバカみたいだ。ハイクは軽く頭を振り、少しだけ残っていた疑惑の念を完全に払拭した。
「え……と。それで、これからどうします? この町でも、情報収集とかします?」
「う〜ん……どうしようかな? ジムも気になるし、早くキンセツシティに向かいたいところだけど……」
タクヤの提案に対し、ハイクは腕を組んで考え込んだ。
時刻はまだお昼時。カナズミシティからシダケタウンまでは然程距離は離れていない為、数時間で到着してしまった。仮にここで昼食を取ったとしても、かなり時間は残る。そのまま出発しても、日が沈むまでにはキンセツシティに到着するだろう。
ハイクの言う通り、キンセツシティには早く到着したいところ。だが、シダケタウンで情報収集をしたいと言う気持ちもあった。ハイク達が追っているのは、ローブだけではない。何か情報を持っているはずの、Nも捜しているのだ。上手くいけば、彼の目撃情報も得られるかも知れない。
先を急ぐべきか、一度ここで立ち止まるべきか。そんな葛藤の中で、ハイクは唸っていた。
そんなハイクの横で、レインは口元に指をあてて何やら考えているようにみえる。どうやら彼女も、ハイクの同じ考えのようだ。
このままではちょっと時間が勿体無いなとハイクは思った。迷っている暇があったら、何かしら行動した方がいいだろう。時間は有限なのだ。またローブ達が大きく動き出す前に、何かしらの事はしておかないと。
やはりキンセツシティに向かおう。そう決めて小さく頷き、ハイクは意見を述べようとする。
しかし、それは意外な形で遮られてしまった。
「あの……ちょっといいですか?」
ちょうど背後から、そう声をかけられた。高音の、女性的な声。聞きなれない声だが特に刺々しいものは感じられず、どちらかと言うと友好的なように思える。ピクリと顔を上げて振り向くと、そこにいたのは声の主。一人の少女だった。
体つきはかなり小柄であり、ハイクよりも頭一つ分ほど低い。腰ほどまでのびたブロンドヘアであり、少しカールしているもののそれほど大胆に手は加えられてないように見える。女性用のスーツを着用しており、清潔感も感じられるしっかりとした身だしなみだった。
歳は、いくつくらいだろうか。小柄だが、雰囲気はハイク達よりも年上のように感じる。しかし、おそらくまだ未成年だ。雰囲気だけで考えると、十七から十九歳くらいだろう。だがやはりパッと見ただけでは、それ以上に幼いようにも思える。それほどまでに背丈は低く、体つきや顔つきもまだ子供っぽい、そんな少女だった。
ハイクに声をかけたその少女は、少しの間ジッとハイクの顔を見つめる。やがて何かに気がついたかのように小さく頷くと、再び口を開いた。
「……やはりあなた、ハイクさんで間違いありませんわね?」
「へっ? あ……はい……」
何やら少し変わった喋り方をする少女だったが、ハイクは取り敢えず首を縦に振る。それを見た少女の表情が、まるで何かにホッとしたかのようにパァと明るくなった。
「よかった! シダケタウンにいたのですね? あなたを探していたのですよ」
「探してたって……俺を、ですか? あなたは一体……」
突然現れた少女を前に、ハイクは困惑していた。
ハイクはこの少女とは、何の面識もない。多分、今日で初対面だ。そんな見ず知らずの少女が、ハイクを探していたらしい。
だが、何の為にこの少女はハイクを探していたのだろうか。これまでにハイクは特に変わった事はしていない――訳でもないが見ず知らずの少女が追ってくるような事はした覚えはなかった。
「あ、すみません。申し遅れましたわ」
そんなハイクを見た少女が、スーツの内ポケットの中を探り始めた。しかしどうやら少女が着ているそのスーツは少しサイズが大きすぎるらしく、少女が内ポケットに手をつっこむと少しよれてしまった。そのせいで少女は目的の物をすぐに取り出す事ができず、四苦八苦しながらもポケットの中を探り続ける。
少しして、少女はようやく目的の物を取り出せた。
彼女が取り出したのは、一枚のカードだった。少女の顔写真が印刷されており、その横には小さな文字で何かが書かれている。少女の名前だろうか。
おそらくこれは、彼女の身分を証明するもの。しかもよく見ると、そのカードにはうっすらとロゴが見えた。
どこかで見覚えがあるような気がする。そう、確かこのロゴは――。
「わたくし、国際警察に所属しております、ミシェルと申します。いくつかお伺いしたい事がありまして、あなたを探してましたの」
「国……際、警察……!?」
国際警察。その名前を聞き、驚いたハイクは思わず繰り返した。
国際警察と言えば、世界中で活動している警察組織の事だ。世界中の様々な重犯罪を対処している組織だったはずだが、まさかホウエン地方を訪れているとは。
「えぇ!? ハイクさん、何かしたんですかっ!?」
「い、いやっ……分かんないけど……」
ハイクは狼狽していた。なぜ国際警察であるこの少女が、ハイクを探していたのか。どうやら何かの情報を集めているようだが、彼女らがハイクに聞きたい事とは一体――。
「ご心配なく。何もあなた方を拘束しようなどとしている訳ではありませんわ。ただ、少しお話を伺いたいだけですの」
慌てたハイクに見かねたミシェルが、首を横に振った。
それを聞いたタクヤは大人しくなるが、それでもジロリとミシェルを睨んでいる。普段は人の良さそうなタクヤだったが、どうやらまだ警戒しているようだ。国際警察が、あまり好きではないのだろうか。
「あのぅ……ハイクに聞きたい事、って……?」
「そうですわね……。立ち話もなんですし、どこかで落ち着いてお話しましょう」
レインが質問すると、ポンっと手を叩いたミシェルがそう提案した。それに流されるがままに、ハイクとレインはコクりと頷く。タクヤのみが、少しだけ気に食わなそうな表情をしていた。
何を聞きたいのかは未だに分からないが、国際警察が動くほどとなるとかなりの大事なのだろう。となるとやはり、ローブ達についてだろうか。それなら、カナズミシティで無茶して飛び込んだハイク達の話を聞きたいと考えれば、納得できる。
なんにせよ、ハイク達は取り替えずミシェルについて行く事にした。
―――――
ミシェルと共にハイク達が訪れたのは、シダケタウンのとあるカフェだった。そこそこお洒落なカフェであり、外装、内装は共に洋風な作りをしている。ハイクはそれほど頻繁にシダケタウンに訪れる訳ではなかったので、この店に入ったのは初めてだった。
割と人は多かったのだが、運良く四人が座れるような席につく事はできた。しかも店の奥に位置している席であり、人目にはつきにくい。このようなカフェでする以上、話と言うのは極秘事項のようなものではないようだが、あまり関係のないに話を聞かれるのは避けた方が無難だ。その点については、この席は好都合だった。
「さて、早速本題に入りましょうか」
席についてすぐ、ミシェルは話題を持ちかけた。ゴクリと唾を飲み下し、ハイクはジッとミシェルを見つめる。
ミシェルはハイクに視線を向けたあと、口を開いた。
「まずは一つ聞かせて下さいますか、ハイクさん?」
「……なんですか?」
「今、あなたが連れているポケモン。それを教えて下さい」
「俺が連れているポケモン……ですか?」
なぜそんな事を聞くのだろう。話の真意はまるで掴めなかったが、取り敢えずハイクは正直に答えた。
「ジュカインにヒノアラシ……それと、ラプラスです」
「……その三匹だけ、ですの?」
「そうですけど……」
ミシェルの表情が少し曇った。何かまずい事でも言ってしまったのだろうか。
何かを考え込んでいるかのように視線を下に向けていたミシェルだったが、やがてまた話し始めた。
「聞いていたのと随分違いますわね……。実はあなたの事、少し調べさせていただいたのですが……。数ヶ月前に行われたポケモンリーグ。それに出場したあなたは見事優勝し、チャンピオンになった。それで間違いありませんわね?」
「まぁ……はい……」
「その際にあなたが連れていた六匹のポケモンと、今現在の手持ち。まるで違いますわね……。以前連れていた六匹は、一体どうしましたの?」
「それは……」
ハイクは苦虫を噛み潰したような表情をした。何となく、聞かれたくなかった事。
いなくなった、六匹のポケモン。思い出しただけでも、胸が苦しくなるような気がした。しかし、言わなければならない。
そうだ。この少女は国際警察。何か知っているかも知れないではないか。
「……消えました」
「消え……た……?」
「……数日前、俺は定期的に行われるポケモンの健康診断の為に、オダマキ博士の研究所にポケモン達を預けました。でも……一晩開けると、預けていたはずのポケモン達が、忽然と姿を消していたんです」
ミシェルはまた考え込む。そして確認するかのように、ハイクに質問した。
「……何か、手がかりのようなものは……?」
「決め手となるようなものはなにも……。誰かが研究所に侵入したとか、荒らされたような形跡は見られなかったみたいで……」
それ以降、ミシェルもハイクも黙り込んでしまった。場の雰囲気が、妙に張り詰めてしまう。
ハイクはこれ以上の事は何も知らない。けれども考えてしまうのは、ホウエン地方の異変とローブの集団が、いなくなったポケモン達と何か関連しているのではないかと言う憶測。でも、本当は考えたくない。想定できる最悪なシチュエーションを連想してしまうのが、怖かった。
「そういう事、ですの……」
ボソリとミシェルが呟いたのが聞こえた。
彼女は何かを知っている。ハイクは直感的にそう感じた。ハイクから視線を逸らすかのように、ミシェルは小さく俯いている。まるで何かを隠しているかのような、そんな感じがする。
嫌な予感がする。少しだけ目を細めたハイクは、思い切って聞いてみる事にした。
「……何か、知ってるんですか?」
ハイクが尋ねると、ミシェルはようやく顔を上げた。そして何も答えずに、彼女はまたポケットの中を探る。流石に二度目で慣れたのか、今回はすぐにそれを取り出す事ができた。
先ほど魅せられた証明カードなどではなく、取り出されたのは一枚の写真だった。夕方か夜頃に撮影された物なのだろうか。全体的に薄暗いような印象を受ける。写真を見る限り、撮影されたのは町中ではなくどこかの道路。その真ん中に写っているのは、一匹のポケモン――。
「えっ……?」
なんだ。なんだ、これは。この写真は、いつどこで撮られた物で、一体どんな状況なんだ。でも、分かる。一目見ただけで、感づいてしまう。これは、紛れもなく――。
「ご存知ですよね? このポケモン……」
ハイクの頭はますます混乱した。今こうして目の前に差し出された写真を見て、自分でもよく分からないような感情が、心の中で渦巻いているような気がする。喜びだとか、悲しみだとか、そんな単純な感情ではない。色々な思いがぐちゃぐちゃになって、自分が今何を思っているのかも分からなくなってくる。
写っていたポケモンは、二本の脚で立つポケモンだ。背丈はそこそこ大きめで、写真では分かりにくいがハイクの知る限りカインとほぼ同程度だった記憶がある。紺色の身体に白い腹部。翼と一体化した腕の先には、鋭いエッジがついている。頭部にあるクチバシは三つ叉となって上へと伸びており、まるで王冠のようだった。
ハイクもよく知っているポケモン。忘れる訳がない。決して忘れられない、強い思い入れがあるポケモン。
「エンペルト……!?」
こうていポケモン、エンペルト。水と鋼の二つのタイプを併せ持つポケモンである。しかし、重要なのはポケモンのタイプではない。その写真に写っているのが、エンペルトと言うポケモンだという事だ。
「そう。エンペルトです。……あなたの手持ちポケモンにもいましたよね? エンペルトが……」
研究所から消えた六匹のポケモン。その中に、エンペルトはいた。
ハイクと共にホウエン地方を旅し、彼がチャンピオンとなるきっかけを作ってくれたポケモン。エンペルトは、ハイクの最高のパートナーだった。
ハイクがその写真を見て、真っ先に思いついたのはそのエンペルトだった。しかし、まだ感極まるのは早い。確かに写っているのはエンペルトであるが、果たしてこのエンペルトはハイクの手持ちポケモンだった個体なのだろうか。それとも、全く別のエンペルト?
写真を見せられただけでは、よく分からなかった。しかし、
「凄いよハイク! エンペルトだよ! この子、ひょっとして……!」
「……あぁ! 可能性はあるな。ミシェルさん。この写真、いつどこで撮られたものなんですか?」
希望はある。この写真を持っていたミシェルならば、エンペルトがどこに現れたのか知っているはずだ。自分で直接会って、確かめる。この目で直接みれば、しっかりと確認できるはずだ。
ハイクはミシェルに尋ねる。だが、等のミシェルは何やら浮かない表情をしていた。視線はハイクから背け、目を合わしてくれそうにない。何か隠し事をしているような、そんな気がする。
嫌な予感が再び溢れてきて、それはあっという間にハイクを包み込んだ。
「あの……ミシェルさん?」
「昨晩……」
「……えっ?」
「昨晩、カナズミシティでテロがありましたの。あなたも知ってますわよね?」
そんな風に、ミシェルは話を切り出した。
昨晩カナズミシティであったテロ。ローブ達がジムを制圧し、人質を取って立て篭っていたあの事件の事だろう。今思えば、あんな風に突っ込んで、自分達はよく無事でいられたものだ。国際警察から見れば、あまりにも危険で無謀すぎる行為。ひょっとして、それについてミシェルは怒っているのだろうか。
しかし、だとしても会話の流れがおかしい気がする。それと写真のエンペルトについて、何の関係が――。
「その件については、わたくしはあなた方に色々と注意しなければならない立場なのですが……。今はそれは置いておきます。国際警察は、あのテロを止めるどころか殆んど関与もできませんでしたし……」
そう言えばあの時、テロに対処していたのはカナズミシティの警備隊だけだった。国際警察がどのような程度を基準として動いているのかは知らないが、少なくともテロなどと言う非日常的な事が起きていると聞き黙っているとは考えられない。しかしあの時、国際警察は現れなかった。
「関与できなかった、ってどう言う事ですか? オレはその場にいなかったのでよく分かりませんが、テロが起きてると聞いているなら、あなた達は真っ先に駆けつけるべきじゃないですか? それとも、それができないほどの理由があるとでも?」
やけに高圧的に、タクヤは問いかける。ミシェルはチラリと視線を向けると、申し訳なさそうに喋り始めた。
「出動はしました。ですが、カナズミシティに辿り着く事ができませんでしたの……」
「それって、どう言う……」
「出動した国際警察は、たった一人のポケモントレーナーの手によって……全滅しました」
「全……滅……!?」
ハイク達は、揃って言葉を失った。
国際警察と言えば、人々の治安を守るための組織。当然、一般トレーナーとは違い、数々の訓練を乗り越えた戦闘のプロとも呼べる部隊も揃っている。そんな人達が、たった一人のポケモントレーナー相手に全滅? にわかには信じられない事実ではあるが――。
「……いいですの? ここからは、特に落ち着いて聞いてください」
何も言えなくなったハイク達に、ミシェルは忠告するようにそう言った。
改まり、さらに真剣な目つきになったミシェルを見て、ハイクは息が詰まりそうになる。一体、何を話そうというのか。
「わたくしには待機命令が出ていましたので、直接この目で見た訳ではないのですが……。報告によると、国際警察を退いたのは、青いローブを着た人物……。そして……」
テーブルの上に置かれた写真。それに写っているエンペルトを指差して、ミシェルはこう言った。
「……そのローブの人物が連れていたポケモンの中に、このエンペルトはいましたの」
「は……い……?」
え? え? 何を言ってるんだ、この人は。何の為に、そんな事を教えてくれるんだ。
青いローブが連れていたポケモン? だったら関係ないじゃないか。写っているこのエンペルトは、その人の手持ちポケモンで――。
「青いローブの人物は、女性だったと聞いていますわ。今の所、あなたとの接点は確認されていません。しかしエンペルトは……。体格、使用する技、動きの微妙な癖……。それら全てが、あなたのエンペルトと一致したと報告を受けて……」
「ちょっと……! 待って下さい!」
ガタリと音を立て、ハイクは立ち上がった。何が何だか分からないくらいに頭の中はぐちゃぐちゃだけれど、しかし強い感情だけが胸の奥から止めどなく溢れてくる。その感情の赴くまま、ハイクは無理矢理言葉を絞り出した。
「意味が……分かりません……! 何を……言ってるんですか……!」
「……言葉通りの意味です。この写真のポケモンは、あなたの手持ちだったエンペルトである可能性が極めて濃厚なのですわ。そして、そのエンペルトを連れた青いローブのトレーナーの手によって、国際警察の部隊は壊滅状態にまで追い込まれてしまったのです」
ハイクは力なく座りこんでしまった。自分の前に突きつけられたこの現実が、まるで夢幻のように感じてしまう。
ローブが連れていたエンペルトが、ハイクの手持ちだった可能性がある? 研究所から姿を消したポケモンが、どうしてローブの手に渡ったのか。ローブの仲間の誰かが研究所に侵入して、ポケモン達を持ち出したと言うのか。それも、ピンポイントにハイクのポケモンだけを。
「おかしいよ……そんなこと……」
そんな中、話を聞いていたレインがボソリと呟いた。膝の上に置いた拳を強く握り締め、そのせいで身体が小刻みにプルプルと震える。横で丸まっていたルクスがいち早くレインの感情の変化に気づき、ピクリと耳を立てた。
「ちょっと似てるからって、ハイクのエンペルトだって決めつけるんですか……?」
「……ちょっとではありませんわ。体格や覚えている技ならともかく、微妙な癖まで一致しているのです。癖というのものは、それぞれの個体によって異なりますのよ? それまでもが一致しているとなると……」
ミシェルの言葉は妙に重みがあって、説得力もあって――。レインは何も言い返せなかった。しかし、だからと言って納得できる訳がない。ハイクのエンペルトの事は、レインもよく知っている。あのエンペルトが、テロ組織なんかに手を貸すなんて思えない。
受け入れられる訳がなかった。
「それとハイクさん……。もう一つ、お伝えしなければならない事が……」
「……今度は、なんですか?」
「実は国際警察の中には……あなたを疑っている者もいます……」
そんな事をミシェルが口にし、だけれどハイクは彼女を一瞥するだけで何も言わない。何も考えたくない。何も思いたくない。もう、何かを喋る気力も失いかけていた。
その代わり、感情的になったのはレインだった。
「そんな……! どうして、ハイクが……」
「このエンペルトが、ハイクさんの手持ちポケモンである可能性が高いからです。しかも、それだけではありませんわ。今、あのテロ組織の手によって、ホウエン地方は攻撃されています。彼らは凶暴化したポケモン達を使い、人々を襲っていますのよ」
「そして……」とミシェルは写真を掲げながらも続ける。
「凶暴化したポケモンの殆んどが、本来ホウエン地方に生息していないはずのポケモンなのです。そしてエンペルトもまた、ホウエン地方のポケモンではありません」
「あなたは……何が言いたいんですか……?」
「……ホウエン生まれのホウエン育ちであるハイクさんが、ホウエン地方では生息していないはずのポケモンを持っている。それ故に、テロ組織と何らかの繋がりがあるのではないのかと……」
「…………ッ!」
抑えきれなくなって、レインはドンッと机に手をついて立ち上がった。その音を聞いて丸まっていたルクスも驚いて、ピョンっと跳ね上がってしまう。
「どうして……! どうしてエンペルトを連れていただけでハイクが疑われなきゃならないんですか!」
「あくまで一つの可能性として考えているだけですわ。そもそも、どうやってエンペルトを手に入れましたの? エンペルトはシンオウ地方の初心者用ポケモンの一匹であるポッチャマが、最終進化した姿。ホウエン地方の場合、キモリ、アチャモ、ミズゴロウが最初のパートナーとなるはずですのよね?」
「私の手持ちにもいますよ……ゴウカザル。エンペルトと同じで、シンオウ地方の初心者用ポケモンが最終進化した姿です。だからハイクがエンペルトを連れてたって、何もおかしくもないんです! だって、あの子と私のゴウカザルは……!」
「……レイン」
俯いて黙り込んでいたハイクが、不意に少女の名前を呼ぶ。レインは思わず口を止め、ハイクの方へと視線を向けた。
「止めてくれ……いいんだ、もう……」
まるで生気の感じられない、無気力な声。レインも聞いたことのないような、ハイクの声のトーン。磨り減ってしまった心から振り絞ったかのような、乾いた言葉。
違う。こんなの、ハイクじゃない。ハイクは絶対、こんな事――。
「なんで……どうして……ハイクまで……そんな事を言うの……?」
自分の知っているハイクが、壊れて無くなってしまう。ふとそんな風に感じてしまい、レインは怖くて震えていた。
ハイクがハイクで無くなってしまう。そんなのは絶対に嫌だ。だから絶対に壊されたくない。
レインはハイクの肩を掴む。ハイクがいなくなってしまわないように、しっかりと掴む。
「疑われてるんだよ!? ハイクは何もしてないのに! みんなを助けたかっただけなのに! ううん、それだけじゃない! エンペルトが……!」
心から絶えず溢れる感情に呑み込まれて、レインは怒鳴りつけるように声を張り上げてしまった。
「ソルトがアイツらに利用されてるかも知れないんだよ! それなのにハイクは諦めちゃうの!? 受け入れちゃうの!? 都合の良いように利用されてて苦しんでるのかも知れないのに、ハイクは何も感じないって言うの!?」
レインは必死だった。そうでもしなければ、ハイクが消えてしまいそうで、怖かった。苦しかった。その言葉が、ハイクをどんな気持ちにするのかも気にせずに。ハイクがどう思うかも分からずに。ただ感情に流されるがままに。
「何も……感じない……?」
皮肉にも、レインのその言葉が引き金だった。
本当に小さな声で、ハイクはオウム返しする。俯いたハイクが、歯ぎしりをするのが聞こえる。
その時、ハイクの中の何かが、切れた。
「そんな事……あるわけないだろっ!」
今までからでは考えられない剣幕で、ハイクは怒鳴った。
突然のハイクの豹変に、レインはビクリと身体を震わせる。その瞬間、レインは何となく感づいた。踏み込んではいけない所まで、来てしまったと。しかし、もう遅かった。
「ソルトがローブに利用されてるかも知れない? そんな事は分かってる! でも! 受け入れられる訳がない! 認められる訳がないだろ!」
もう、ハイクは自分で自分を抑制する事ができなかった。心のどこかで溜め込んでいたものを、全て吐き出してしまいたかった。
代わりにタクヤが止めようと、ハイクに言葉を投げかけたが、まるで耳に入っていなかった。止めようと思っても、最早止まる事などできなかった。
「俺には聞こえるんだぞ……ポケモンの声が……! ポケモンの気持ちがはっきりと伝わってくるんだ! カイン達も、ルクス達も! みんなそれぞれの心がある! 感情がある! 嬉しい時は笑いたいし、辛く悲しいときは泣き出したい……。みんな心のどこかではそう思ってる! でもローブといたポケモン達は、どう感じていると思う……?」
こんな事を言ってはいけないって、分かっていた。レインに当たっても仕方ないって、分かっているつもりだった。だけど、ハイクは――。
「何も感じない……感じられないんだ! 心が真っ黒に塗りつぶされて、ドス黒い何かに身体を支配されて……。辛いとか、苦しいとか悲しいとか……そんな感情もなくなってる! みんなちゃんと生きているのに……本当はみんな、あんな事したくないはずなのに……。あれじゃまるで操り人形だ……! アイツらはポケモン達を、心のない兵器と同じように扱ってるんだぞ!」
どうするつもりだ? レインに当たって。それで、一体何が変わるって言うんだ?
自分は一体、何をしているんだろう。何をしようとしているんだろう。
分からない。分からない、分からない、分からない分からない――。
「そんなの、分かってる……よ……」
「……本当にお前に分かるのか? ローブに利用されてるポケモン達が、どんなに苦しんでいるのか……。何も感じられないっていうのが、どう言う事なのか……」
「分かってる! 私にだって、分かるよ!」
「嘘だ……! それはお前の勝手な思い上がりだ。結局……みんなそうなんだ……! 自分の勝手な価値観で、ポケモンを理解した気になってる! 本当は何も知らないくせに……!」
やめろ――。もう、やめてくれ――。
「違うよ、違う……。勝手なんかじゃない……。ハイクみたいな力なんかなくたって、ポケモンの気持ちは分かるんだよ……」
「……ッ!? 分かってないんだよ! 余計な同情やお節介で、知ったような口を聞くな!」
ハイクの言葉が突き刺さり、レインは射抜かれたかのように動かなくなる。やがて感情が高まってきて、身体がどんどん震えてきて――。
怒りとか、悲しみとか、後悔とかがぐちゃぐちゃに混ざり、心が押しつぶされそうになる。それと同時に何かがこみ上げてきて、息もできないくらい苦しくなって――。
「わた……しは……そんな、つもりじゃ……」
怖かった。耐えられなかった。認めたくなかった。ハイクがこんなにも追い込まれていたと言う事を。ずっと溜め込んでいた思いを崩すきっかけを作ってしまったのが、自分だと言う事を。
レインは逃げ出した。椅子を投げ出して、それに足が取られそうになって、他の人にぶつかりそうになって、それでもレインは逃げ続けた。
どうしてこんな事になっちゃったんだろう。どうしてこうなっちゃうんだろう。自分がハイクについて行かなければ、こんな事にはならなかったのか。
でも、もうどうしようもない。いくら後悔したって、いくら悔やんだって、もうどうにもならない。壊してしまったのは、自分なんだ――。
「え……と、その……。と、取り敢えず落ち着きましょう! ね?」
レインがいなくなり、重苦しい雰囲気のまま沈黙が訪れる。それに耐えられなくなったタクヤが、なだめるようにハイクに声をかけた。
しかしハイクは俯いたまま、一向に目を向けてくれそうにない。タクヤの声が、耳に届いているのかも分からない。何となく気まずくなって、タクヤはまた何も言えなくなってしまった。
『……あのさ』
その次にハイクに声をかけたのは、ルクスだった。
いつものような明るい声調ではない。本当に珍しい、ルクスの重い声。カナシダトンネルの時よりも、さらに暗いトーン。
『二人が言ってた事。本当はどれが間違っていて、本当はどれが正しいのか。オレにはよく分からない』
『でも……』とルクスはハイクに目を向ける。チラリと向けたハイクの視線と、ちょうどぶつかった。
『今のは酷いよ……ハイク……』
それだけ言い残し、ルクスはレインを追いかけるべく店の外へ向けて駆け出しす。彼女を一人にさせまいと、その思いだけでルクスは走る。
ハイクはそんなルクスの姿を、何も言わずに見つめる事しかできなかった。