3‐4:課せられた任務
116番道路には、カナシダトンネルと呼ばれるトンネルがある。その名の通り、カナズミシティとシダケタウンを結ぶトンネルであり、116番道路からシダケタウンに向かうためにはそこを通らなければならない。
今となってはカナシダトンネルを抜けるだけでシダケタウンに辿り着く事ができるが、数年前まではそうはいかなかったらしい。元々116番道路は行き止まりであり、抜ける事はできなかった。カナシダトンネルを開通するまではそれこそトレーニングをするトレーナーくらいしか来る事がなく、人通りはそれほど多くなかったようだ。
それならばなぜ今までトンネルを開けなかったのか。その理由は、周囲のポケモンへの影響である。実はかなり前からトンネル工事は始まっており、最新のテクノロジーを駆使して開通を試みていたらしい。しかしこのまま工事を続ければ、周囲のポケモンへ悪影響を与えると懸念された為、工事は断念された。そしてそのまま、最新技術での工事は再開される事はなかったと言う。
だが、トンネルは開通された。とある人物が最新技術を一切使わず、人の手のみで掘り進められたのだ。なぜそこまでしてトンネルを開通させたかったのか。ハイク達は詳細を知らないが、唯一分かる事はこのトンネルは弛まぬ努力の結晶だと言う事だ。そう思うだけで、賛美の思いが浮かんできた。
「ふぅ……ここを抜ければシダケタウンだな」
何となく疲れが溜まっているような様子で、ため息混じりにハイクはそう言った。
あの後、レインを落ち着かせてから事情を説明するのに予想以上に体力を使ってしまった。普段の様子からは考えられないほどレインは熱くなると暴走しやすく、止められなくなるのだ。ハイクも人の事を言えないが。
「そうですね。さっさと抜けちゃいましょう。ローブ達が動き出す前にオレたちが先にキンセツシティに着けば、色々と対策も練れると思いますし」
「うん。タクヤの言う通りだね。行こっ、ハイク」
レインとタクヤに先導され、ハイクはカナシダトンネルへと足を踏み入れた。
トンネル内は人の手によってかなり整備されており、基本的には一本道だ。一箇所だけ分かれ道があるものの、迷うほどではないだろう。ここを抜ければ、すぐシダケタウンだ。
トンネルの中へと入った瞬間、そと以上にヒンヤリとした空気がハイクの肌を突いた。日の光が殆んど入らないと言う事に加え、風の通り道となってしまっているので体感気温は余計に低い。
寒さに極端に弱いと言う訳ではないが、できれば素早く抜けてしまいたかった。
レイン達に追いつこうと早足で向かおうとしたハイクだったが、とある事にふと気づき思わず足を止めた。
レインの横に、ルクスがいない。普段はレインの横を歩いている彼の姿が見当たらない所を見ると、珍しくボールに戻ったのだろうか。いや、モンスターボールの中があまり好きではないルクスは、よほど具合が悪いのか怪我をしている時くらいしかボールには戻らないはず。そんな様子は見られなかった。
では、どこに行ったのか。それはふと後ろを振り向くだけで解決した。
ハイクよりも、一歩程後ろへ下がった場所。そこをルクスは歩いていた。いつもからでは考えられない程の重い足取りで、表情も何やら思い悩んでいるようである。
いずれにしても、普段と様子が違う事は明らかだった。
「どうしたんだルクス? 珍しく元気ないみたいだけど」
これまでのルクスのような乗りで、ハイクはそう尋ねてみた。悩み事なんて似合わないルクスには、こんな風に声をかけるのが一番だ。ハイクはそう思った。
声をかけられ、ハッとなったルクスが顔を上げた。
『いや……その、何て言うか……』
「……ひょっとして、さっき言ってた誰かの気配の事でも考えてたのか?」
『違う……とは言い切れないかも……。よくわかんないけど……あいつ、何だか変な感じがするんだ』
「あいつ……って、タクヤのこと?」
ルクスはコクンと頷く。そう言われて気になり、ハイクは振り向いてみた。レインの少し後ろを歩くタクヤがすぐに目に入ったが、別に変わったところはない。何か不審な動きをしそうな気配も、感じられない。
ルクスにだけ、何か感じるものがあるのだろうか。腕を組んだハイクは、「う〜ん……」と唸り始めた。
「さっきルクスが感じてた気配が、タクヤの事だった……とか?」
『それは……よくわかんない……』
どうやら、ルクス自身も何が原因でそんな事を思ってしまったのかよく分かっていないらしい。こうなると、ますます心配になってくる。
ルクスがここまで露骨に考え込む事など、あまりにも珍しすぎる事だ。それほどまでに、あのタクヤと言う少年には何か秘密が隠されているのだろうか。
『……いや、ごめん! ちょっと考え過ぎたかも。ホント、らしくない……よなっ!』
妙な空気になりかけた所だったが、すかさずルクスはフォローした。いつの通りの明るいテンションへと変わり、強引に話を終わらせようとする。ハイクの様子など気にせずに、そのままレインの方へと走って行ってしまった。
引き止めようとも思ったが、既に遅かった。ルクスはどんどん、ハイクから離れてゆく。心のモヤモヤを無理矢理払い除け、自分を納得させたと言うのだろうか。
「ルクス……」
けれども、ハイクはそう単純にはいかなかった。ルクスを見て、寧ろモヤモヤは募るばかりだ。何となく納得できないような違和感。不審にも似ていたような気がする。
しかし、遠くで手を振ってハイクを呼んでいるレインに気づくと、そんな風に考えていた自分がバカらしくなっていた。誰かを疑うなんて、それこそハイクらしくない。
そうだ。タクヤが自分達を騙してるなんて、そんな事あるはずがないんだ。
いつまでもレイン達を待たせるのも悪いと思い、ハイクはすかさず駆け出す。頭のモヤモヤを払拭し、レイン達のもとへと向かった。
だけどこの時はまだ――、あんな事が起きるなんて、想像もしていなかった。
―――――
ハイク達がシダゲタウンへと向かっている、ちょうどその頃の事だ。
砂埃が舞い上がっているせいか、少しむせそうになった。
辺り一面、クリーム色の砂や岩で覆われており、そのおかげか洞窟内でも明るい印象を受ける。視界はかなり開けており、懐中電灯や“フラッシュ”と呼ばれるポケモンの技なしでも、不自由なく前に勧めそうだ。
それもそのはず。ここ、洞窟内の一際大きな空間には、天上に大きな穴が開いていた。そこから日の光が絶え間なく降り注いでおり、洞窟の外と大差ないほど明るい空間となっている。日の光クリーム色の岩や砂に反射され、季節と時間帯によっては眩しいくらいだった。
115番道路を更に奥まで進むと、『流星の滝』と呼ばれる場所に辿り着く。天上の高い洞窟内に、壮大な滝が広がっている場所であり、不思議な雰囲気に包まれた空間だった。
ゴォォという轟音と共に、滝からは絶えず大量の水が流れ落ち続ける。巨大な石灰石の塊から水が流れ落ちるその姿は、とても神秘的だ。ホウエン地方でも有名な絶景スポットであり、毎年数多くの人がこの場所を訪れる。
また、タツベイという珍しいドラゴンポケモンが生息する事でも有名な場所であり、そのポケモン目当てで訪れる者もいるようだ。しかし希少なポケモンのため滅多に見れるわけではなく、見つけるのにも一苦労らしい。さらにはその他のポケモンも普通に生息している為に、ある程度の実力を持つポケモントレーナーでなければ、奥まで足を踏み入れるのも容易ではなかった。
そんな絶景スポットであるが、今日は何やら様子がおかしい。いつもの神秘的な雰囲気とは違う、物々しい感じ。それが辺りに漂っており、近づきがたい印象を与えられる。
その原因は、巨大な滝の前の崖。壮大な滝が一望できる、絶好のスポット。そこにいるとあるトレーナー達によるものだった。
「……“アクアテール”」
スラリと長い、蛇か魚を彷彿させる身体。薄橙色の綺麗な胴体に、鮮やかな青色の尾ビレ。穏やかそうな瞳の上にはクルリとしたまつ毛のような触角が伸びており、気品溢れる顔立ちと美しいその体型は見る者すべてを魅了しそうだった。
いつくしみポケモン、ミロカロス。世界で最も美しいポケモンとまで言われていおり、思わず見とれてしまいそうなほど綺麗で魅力的なポケモンだ。その上、かなり珍しいポケモンである。野生の個体は少なく、存在しているのはトレーナーがとあるポケモンから進化させたものがほとんどだ。ただ、育成するのがかなり難しいポケモンであり、所持しているトレーナーも熟練者ばかりである。
ミロカロスに“アクアテール”を指示したこのトレーナーも、相当な実力者なのだろう。ここまで育て上げられたミロカロスは、滅多にお目にかかれない。どれほどまでの時間と労力を、費やしたのだろうか。
しかし――何かがおかしい。ミロカロスも、そしてそのトレーナーも、どこか妙な雰囲気を醸し出している。ミロカロスの瞳はまるで焦点が合ってなく、光も何も見当たらない虚ろな目つきだ。動き一つ一つに感情が感じられず、まるで考える事を止めてしまったかのようだった。
ミロカロスが“アクアテール”で襲いかかったのは、二足歩行のポケモンだ。白いロングスカートをはいているような見た目をしたポケモンで、背丈はそれこそ少し長身な人間の女性ほど。腕はほっそりとしており、チラリと覗かせるその脚もスラリとしていた。
サーナイト。ほうようポケモンとも呼ばれる、そのポケモンの名前だった。
「サーナ、“サイコキネシス”で受け止めるんだ!」
サーナと呼ばれたサーナイトは、主人であるトレーナーの指示に瞬時に反応する。そのほっそりとした両腕を、前に突き出した。直後、その両腕と赤い瞳が薄紫色のボンヤリとした光に包まれる。一瞬だけ目を閉じる事で即座に集中力を限界まで高め、その技を発動した。
大きく跳躍して“アクアテール”で飛び掛ってきたミロカロスが、ピタリと空中で静止する。自分の意思とは無関係に、身体が殆んど動かなくなってしまう。
目を見開いたサーナは、“サイコキネシス”でミロカロスをしっかりと受け止めていた。
ミロカロスを受け止めたあと、サーナは自身の腕を頭の上まで持ってくる。その直後、溜め込んでいた力を解き放つようにサーナは腕を振り下ろした。
サーナのその動きと、受け止めたミロカロスの動きは完全にリンクしている。ミロカロスは少しだけ上昇したあと、勢いよく地面に叩きつけられた。
それは、“サイコキネシス”と呼ばれる技の一つの使い方だった。上手く力をコントロールできれば、相手をこんな風に持ち上げたり叩き落としたりする事も可能である。もっとも、ここまでコントロールするのにはかなりの集中力が必要であり、どんなポケモンでも易々と使える芸当ではないが。
ミロカロスが地面に叩きつけられると、大量の砂埃がブワッと舞い上がる。思わず腕で顔を守ってしまうほどだった。
「さすがにまだ……だよね?」
サーナのトレーナーであるその少年が、ボソリと呟いた。
歳は、十七か十八くらいだろうか。身長はさほど高いと言う訳でもなく、かと言って低い訳でもない。平均的な体型。れっきとした男なのだが、顔つきはどちらかと言うと可愛らしく、もし髪が長ければ女の子だと勘違いされそうだ。白いワイシャツに緑色のズボンと言った服装で、目立ち過ぎない落ち着いた雰囲気の格好だった。
そんな少年と彼のサーナが見据えるその先の砂埃の中で、長い影がムクリと起き上がったのが見えた。さっきのミロカロスが、もう起き上がったのだろうか。
やはり少年の予感通り、あのミロカロスは一筋縄ではいかなそうだ。
「ちょっとぉ……。止めてよもう……」
そんな声が聞こえた直後、砂埃の中からミロカロスと一人のトレーナーが現れた。
フードを深くかぶってしまっている為、そのトレーナーの表情は読み取れない。その身を包むのは、丈のかなり長いローブ。鮮やかな、青いローブだった。
その声の高さから考えて、おそらく女性。顔は見えないため実際にはどうか分からないが、歳はかなり若いだろう。もしかすると、この少年とそう変わらないのかも知れない。どことなく奇妙な感じのする、変わった少女。その言葉がしっくりくる人物だった。
「キミがあんまり抵抗するとぉ……上手くことを運べないじゃないの……。怒られるのはあたしなのにィ……」
ソワソワとしながらも、青ローブは一方的に喋り続ける。その何とも言い表せない雰囲気を前に、少年は思わず身構えた。
「キミに分かる? あたしの気持ち……。怒られると……すごく怖くて苦しいんだよ……? 嫌だよ……怖いのは……。苦しいのは嫌いだよぉ……」
「……悪いけど、僕はあなたを倒します……! まだ苦しんでいる人やポケモン達が、たくさんいるんです……。こんな所で、やられるわけにはいきません!」
ボソボソと喋り続ける青ローブに痺れを切らした少年が、一歩踏み出しつつもそう宣言した。
青いローブを纏う少女。自分が今まで何度か戦ってきた、あの茶色いローブ達とは違う。おそらく、幹部クラスの実力者――。
そんなトレーナーを相手にして、恐怖心を感じないと言えば嘘になる。しかし、ここで引き下がる訳にはいかなかった。このまま彼女を放っておけば、この少女はまた何か悪行を働く。このままでは、きっと誰かが不幸になる。阻止しなければならない。
少年はそんな使命感で恐怖心を振り払い、果敢に立ち向かおうとしていた。
「それだよ……。何なの、それ……」
項垂れるように力なく頭を下げた青ローブが、フラフラと肩を揺らしながらも口を開く。
「キミ……ミツル君だっけ? 名前……」
「だったら……何なんです……?」
「……キミみたいなのが……そうやって色々と詮索してるから、あたしがこんな目にあうんじゃないか……。いい加減にしてよ……」
背筋が凍るような異様な気配を感じ、ミツルと呼ばれたその少年は青ローブに嫌悪感を抱き初めていた。
なんだろう、この感じ。意識しなくとも呼吸のペースが早くなり、緊張して身体が強張ってしまう。嫌な汗が背筋を伝い、心臓の鼓動も早くなっている気がした。
狂気を感じる、とはこの事なのだろうか。何にせよ、はっきりしている事が一つ。
この人は、危険だ。
「サーナ……」
ミツルは青ローブの様子をうかがっていた。
頭を抱え、青ローブは何やらボソボソとつぶやいている。だが、いつまた襲いかかってくるかも分からない。ミツルでは、この少女の考えを読む事はできなかった。何を考えているのか分からない。だからこそ、余計に警戒心は強くなる。
いや、ここはこっちから仕掛けてみるべきか。いつまでも守りに徹していても、状況は好転しない。これ以上、相手の思い通りにはさせない。攻めなければ。
今が、チャンスだ。青ローブがよそ見している、今しかない。
「“マジカルリーフ”だ!」
サーナが両腕を広げると、何も無かったその空間から突如として複数の“葉”が出現した。先ほどの“サイコキネシス”とどこか似ているような紫色のオーラを纏い、その“葉”は重力を無視してサーナの周囲をふわふわと漂っている。
エネルギーを集め、広げていた両手を胸元付近まで持ってきた後、サーナはそれを前方に突き出した。
ふわふわと浮遊していた葉が突然動きを止めたかと思うと、それらはミロカロスに向けて勢いよく飛び出した。サーナの意思に呼応するかのように、その大量の“葉”はミロカロスを目指し一直線に飛んでゆく。葉っぱと言ってもそのどれもが鋭利になっており、殺傷力は十分だ。
「……ミロカロス」
“マジカルリーフ”が迫る中、青ローブのミロカロスは蛇のように身体をくねらせ、その攻撃を次々とかわしていった。一直戦に飛んでゆく攻撃のため、このミロカロスにとって回避は難しい事ではない。だが。
「無駄です! “マジカルリーフ”から逃れることはできません!」
ミロカロスを通り過ぎたかのように見えた“マジカルリーフ”だったが、的はずれな方向に飛んでゆく前に突然軌道が変わった。半円を描くように大きくカーブし、その刃を再びミロカロスに向けたのだ。
前方からの“マジカルリーフ”の回避に専念していたミロカロスは、背後から迫る別の攻撃に気づく事ができず――。
「…………ッ!」
直撃を許してしまった。ダメージのせいでミロカロスの動きが一瞬だけ鈍り、その僅かな隙に立て続けに“マジカルリーフ”が襲いかかる。サーナのその攻撃は、余すことなくミロカロスに命中した。
“マジカルリーフ”に身体を斬られ、ミロカロスは悲鳴にも似た鳴き声を弱々しく上げる。ドスンと大きな音を立て、力なく倒れ込んだ。
「やった……?」
倒れ込んだミロカロスを見て、ミツルの表情は一瞬だけ歓喜のものに変わる。自分達の攻撃が上手く通り、ついに戦闘不能まで追い込めたんだ。何とか、勝てた――。
そう思った。
「ウフッ……ウフフフフフ……」
その時。青ローブの笑い声が、木霊した。
「そう……。そうだったぁ……。簡単な事だったよ……」
突然の青ローブの豹変。ミツルの表情が、再び恐怖に支配される。
ミロカロスは倒されたはずなのに、どうして笑っていられるんだろう。どうして動揺しないのだろう。むしろ、何かが吹っ切れてしまったような、そんな様子で――。
「さっさとキミ達を……壊しちゃえば良かったんだぁ……」
「えっ……?」
青ローブが言い終わるのが、先だっただろうか。倒れたはずのミロカロスが突然起き上がり、間髪入れずにその技を放った。
“ハイドロポンプ”。強力な水タイプの技。口元から凄まじい勢いで大量の水が発射され、立ち竦むサーナその激流に呑み込もうとした。
倒したかに見えたミロカロスからの、予期せぬ反撃。不測の事態に、ミツルの頭が混乱し始める。
彼は咄嗟に、声を張り上げて叫んだ。
「サーナ!」
ミツルのその声が、届いたのだろうか。立ち竦んでいたサーナだったが、ギリギリで真横に飛び込み、“ハイドロポンプ”を回避する事に成功した。
誰もいない場所を轟音を立てながらも“ハイドロポンプ”は飛んでゆき、やがて炸裂音と共に洞窟の壁に激突する。水と砂と岩がいっぺんに弾け飛び、地響きのような振動と大量の泥水が襲いかかってきた。
「な……に……今のは……!?」
あまりの衝撃に、ミツルは言葉を失いかけていた。
今のは“ハイドロポンプ”。それは間違いない。しかし、それにしても威力が強すぎるではないか。ある程度 強度のある洞窟の壁が、こんなにも簡単に弾け飛ぶなんて――。
「避けちゃダメだよぉ……。苦しむ前に壊してあげられるんだからさぁ!」
攻撃を回避し、ホッとしたのも束の間だった。ミロカロスがサーナに向けて、再び“ハイドロポンプ”を放った。今度はただ一直戦に飛ばすのではなく、地面ごと抉るように機動をずらす。かなり危なかったが間一髪の所でそれも避け、サーナは事なきを得た。
しかし、それだけは終わらない。間髪いれずに、ミロカロスは“ハイドロポンプ”を連発し始めた。
わざと発射のタイミングをずらしてペースを乱れさせようとしたり、強引に軌道を変えて無理矢理にでも巻き込もうとしたりもした。回避に専念しているサーナはそのどれも避ける事はできたのだが、運が良かっただけだ。これ以上は、サーナのスタミナがもたない。
「このままじゃ……」
壁を破壊し、天井を砕き、滝壺の形までも変形させてしまうほどの威力。あんな物を受けたら、サーナはひとたまりもない。このままではやられてしまう。
一体、どうすれば――。
その時だった。
「グゥオオオオ!」
洞窟中に響くような、ポケモンの咆哮。好き勝手に暴れまわっている人間達への、怒りを表しているかのような声。
空気が振動するほどの大きな鳴き声が耳に届き、ミツルと青ローブは思わず顔を上げた。
「今度は何なの……?」
「今のって……」
鬱陶しそうに声を上げる青ローブと、何かを察したかのようにボソリと呟くミツル。二人の視線は、ある一点へと集中された。
大量の水が流れ落ちる滝。そのてっぺんの大きな岩の上。そこに、一匹のポケモンの姿があった。
どっしりとした青い体に、背中には大きな赤い翼がついている。前脚、後ろ足は共にガッチリとしており、顔には鋭い牙を持つ口と、頬から伸びる特徴的な突起物。鋭い眼光で睨みつけているその様子は、威圧感がたっぷりだった。
ドラゴンタイプのポケモンである事は、一目見ただけで分かる。だが、タツベイではない。巨大な翼を広げる、そのポケモンは――。
「ボーマンダ……!」
その姿の通り、分類はドラゴンポケモン。流星の滝にも生息しているポケモン、タツベイ。彼らが最終段階まで進化した姿だった。
翼が欲しいと強く願い続けたタツベイが、その思いの先に辿り着く姿である。しかしこの段階まで進化できるタツベイはほんのひと握り程度だけであり、当然の如くとても希少なポケモンだった。
そんなポケモンが、ミツル達の前に姿を表したのだ。ミツルは驚きのあまり、言葉を失ってしまった。
そう言えば、聞いたことがある。近年、ここ流星の滝では、野生と思われるボーマンダが幾度か目撃されていた。生息するタツベイの中から、ボーマンダまで進化した個体が現れたのだろうか。
おそらくあのボーマンダは、流星の滝の主――。タツベイ達を統括する、長のようなポケモンなのだろう。
「グルルルル……!」
ボーマンダは唸り声にも似た鳴き声を発し、その大きな翼を羽ばたかせてふわりと浮遊した。その眼光はとても友好的なものとは思えず、むしろ止めどない怒りを感じる。
自分達のテリトリーを荒らされて、怒っている。それは明確だった。
「ガァアアアアアッ!」
再び咆哮した後、翼を少しだけ閉じたボーマンダは勢いよく滑空した。強靭な前脚の鋭いツメがギラリと光り、それを振りかざして突っ込んでくる。その標的は、テリトリーを荒らした張本人。ミロカロスだった。
「グワァアッ!」
標的とされたミロカロスだったが、いち早く身体を捻らせその攻撃を回避する。ボーマンダの攻撃はすれ違いざまに引っ掻くような攻撃だったため、そのツメは何もとらえる事なくボーマンダはただ通過するだけになってしまう。
悔しそうな鳴き声を上げたボーマンダは、再び急上昇した。旋回し、ミロカロスの正面までもう一度移動する。追撃を加えようと、ボーマンダは飛びかかってきた。
重心を前に寄せ、滑空するボーマンダはかなりのスピードと勢いだ。このまま体重を乗せた一撃を受ければ、あのミロカロスと言えどひとたまりもないだろう。このまま攻撃を当てられれば、勝機はある。だが――。
「……邪魔」
ボーマンダが滑空し始めた直後、ミロカロスが“れいとうビーム”を放った。冷気に包まれたミロカロスの口元から、青白い光線が発射される。周囲の空気を凍てつかせるほどの冷気を放つ“れいとうビーム”が、一直線にボーマンダに向かう。
滑空し始めた直後のボーマンダでは、その攻撃にすぐさま反応する事ができず――。
「ギャオウッ!?」
“れいとうビーム”が、ボーマンダに直撃した。
その攻撃が腹部に当たると同時に、ガキンッ! と音を立ててボーマンダの身体が凍りつく。直撃した腹部を中心として、前脚、さらには翼の方までも氷は到達してしまった。
「ボーマンダ!」
ドラゴンと飛行の複合タイプであるボーマンダにとって、氷タイプの技は非常に相性が悪い。空中でバランスを崩したボーマンダは、やがて浮遊力も失い――。
ドボンッ! と大きな音を立てて、滝壺に落下してしまった。
落下したボーマンダを見て、ミツルは慌てて滝壺を覗き込む。水しぶきが上がり、大きな波紋が広がっているのが見えるが、ボーマンダが上がってくる気配はない。身体が凍ってしまい、上手く身動き取れなくなってしまったのだろうか。
「ウフ……ウフフフ……アッハハハハ! 落っこちたぁ……!」
ミツルが滝壺を覗き込んだちょうどその頃、青ローブが狂ったような笑い声を上げる。ミツルはギロりと青ローブを一瞥したが、今は彼女に怒りをぶつけている場合じゃない。
このままではボーマンダが溺れてしまう。助けなければ。
「ルーリ! 出てきて!」
ミツルはモンスターボールを取り出すと、すぐさま中のポケモンを呼び出した。
青い身体は卵のような形をしており、ついている手足は短い。尻尾は丸く、頭のてっぺんには二つの長い耳が伸びていた。
マリルリと言うポケモンだ。水タイプのポケモンであり、それゆえに水中を泳ぐ事が得意である。また、マリルリの中には非常に力持ちな個体も存在しており、ルーリもそんなマリルリの一匹だった。
「お願いだ……ボーマンダを助けて……!」
任せろと言わんばかりに鳴き声を上げたルーリが、ぴょんっと滝壺に飛び込んだ。
泳ぎが得意で、その上力持ち。そんなルーリならば、体重の思いボーマンダでも持ち上げて岸まで運んでくれる。そう自分に言い聞かせ、ミツルは固唾を飲んで滝壺を見つめていた。
やがて、大きな波紋が水面に現れ、大きな影が揺らめくのが見えた。ルーリがボーマンダを持ち上げ、水面まで運ぼうとしてくれているのだ。
もう少し。もう少しで、ボーマンダを助け――。
「ダメじゃないの……よそ見しちゃ……!」
迂闊だった。ボーマンダの事が気がかりで、意識がすっかり傾いていた。青ローブと彼女のミロカロスは、まだそこにいたと言うのに。
ミツルとサーナがボーマンダに気を取られているその隙に、ミロカロスは次なる攻撃に移っていた。飛び込むように急接近し、身体を大きく捻らせる。身体の筋肉を上手く使い、尻尾の一点に力を集中させて――。
「“アクアテール”ゥ!」
しならせた尻尾を、サーナに向けて叩きつけた。
「サーナ!?」
バシンッ!と物凄い音を立て、“アクアテール”はサーナに命中した。
荒れ狂う波の如く振り落とされたミロカロスの尻尾が腹部に直撃し、サーナは言葉にならないような叫び声を上げる。バランスを崩し、仰向けに倒れそうになるが、ミロカロスがそれを許さなかった。
怯んだサーナに向かって、ミロカロスはもう一度“アクアテール”を叩きつけた。今度は背中に向けて尻尾を振るい、倒れそうになったサーナを前に押し返す。
全く逆方向に力を加えられ、今度はつんのめりそうになるが、それを狙っていたかのようにミロカロスはまた腹部に向かって“アクアテール”を振るい――。二回、三回と、それは何度も繰り返された。
そして、最後に。
「……キミも落ちれば?」
一際大きく尻尾を引くと、ミロカロスは最大パワーで“アクアテール”を放つ。その攻撃はサーナの横腹にぶつかり、ミロカロスはそのまま投げ飛ばした。
サーナは信じられないほどに大きく投げ飛ばされ、朦朧とする意識の中、宙を舞う。そしてそのまま、サーナは滝壺へ――。
「サーナっ!」
吹っ飛ばされたサーナを見て、ミツルは反射的に動いていた。
落ちる。サーナが、落ちる。落ちてしまう。
頭の中が真っ白になり、ミツルは何も考えられなくなる。サーナを助けなければ。ただその一つの思いを残して。
後先なんて、どうでもいい。ミツルは滝壺に飛び込んでいた。
思い切り手を伸ばし、サーナを掴もうとする。落下し、恐怖すらも感じなくなって、ただ思うがままにミツルはもがく。
サーナの腕を掴み、そのままグッと引き寄せ、その両腕でサーナを抱きかかえて――。
バシャァンッ!
「任務……完了……? これで……怒られずに済む……?」
見下すような瞳で、青ローブは滝壺を覗き込んでいた。
サーナイトを助ける為にあの少年は飛び込み、そして落下した。水面には未だに大きく波紋が広がり、その衝撃の強さを物語っている。
今まで目の前にいた少年。いち早く自分達の計画に気づき、しつこく詮索してきた少年。その少年を始末する事が、この少女に課せられた任務。
「フッ……フフフフフ……」
青ローブの口から、そんな笑い声が漏れる。フラフラと数歩後ずさり、両手で自分の両肩を掴んでブルブルと震え始めた。
「ヒヒ……ヒヒヒヒ……アッハハハハハハ!」
ガクンっと頭を持ち上げた事で、青ローブのフードが脱げた。その表情が、初めて露わになる。
髪は黒色でセミロング。顔つきは大人と子供のちょうど中間と言った感じで、歳はおそらく十代。瞳にハイライトはなく、まるで空虚を眺めているかのような、虚ろな眼光。
青いローブを纏った少女は、狂気に満ちた表情で笑い続けた。