ポケットモンスター デスティニー 〜憎しみを砕く絆〜 - 第2章:塗りつぶされる心
2‐2:コトキタウン ―その胸に抱く思い―

 コトキタウンに到着した後、ハイクとレインは二手に分かれて行動する事になった。ハイクはヒノアラシをポケモンセンターに連れて行き、レインは町でNを探す。優先すべき事はヒノアラシを診てもらう事だが、レインの提案もあって別行動をする事に決めたのだ。固まって行動するよりも、遥かに効率は良くなるだろう。

 レインはすれ違う人々からNについての情報収集をしつつも、町中を走り回る。
 それなりに建物は建ち並んでいるが、都会と呼べる程ではない。しかし、そうは言っても小さな町だと言う訳でもない。コトキタウンの大きさはミシロタウンとほぼ同じくらいだが、それでも十分に広かった。この町中で、たった一人の探し人を特定するのは、かなり難しい。彼女自身、コトキタウンに入ってからNらしき人物を見てない上に、聞き込みをしてみても自分とハイク以外の目撃者にすら出会う事ができなかった。

「N、いないな……」

 手がかりを失い、完全にNを見失ったレインはトボトボと大通りを歩いていた。彼女と共にNを探してくれていたルクスも、「クゥン……」と寂しげな鳴き声を上げる。
 完全にお手上げ状態であった。そもそもレインがNを最後に見たのは、101番道路。彼がコトキタウンに立ち寄ったと言う保証はないのだ。もし彼が空中を高速で移動できるポケモンを持っていたら、追いかけるのは更に難しくなってしまう。レインも、勿論今のハイクも、空を飛べるポケモンを持っていなかった。
 だが、何が何でもNにもう一度会わなければならない。いなくなったハイクのポケモン達の捜索の為にも、ホウエン地方で起きている異変の原因を突き止める為にも、Nが持っているであろう情報は必要不可欠であった。

「ごめんね、ルクス。こんな事に巻き込んじゃって……」

 ピッタリとくっついてくるルクスに向かって、レインはそう言葉を漏らす。思えばハイクを手伝いたいと言う彼女の勝手なわがままに、ルクス達はついてきてくれているのだ。いつ、どんな脅威に襲われるのかも分からない、この危険な旅。自分のわがままのせいでルクス達をそんなものに巻き込んでしまったのかと思うと、申し訳ない気持ちでいっぱいになる。

 しかし、レインの悲しげな声を聞いたルクスは、短く元気に鳴き声を上げる。振り向いてみると、「気にするな」と言わんばかりにニッコリを笑顔を見せてくれた。
 そんなルクスの笑顔を見たレインは、思わず立ち止まってしまう。そしてしゃがみこみ、視線をなるべく彼のものへと合わせた。

「ねぇ、ルクス。ルクスは本当はどう思ってるの? 私のわがままを聞いて、こんな危険な事に巻き込まれちゃって……」

 101番道路で大量のポケモンに襲われた事を思い出し、レインはルクスに静かにそう語りかけた。それを聞いたルクスが、再び鳴き声を上げる。レインに何かを伝えようとしているのか、何度も何度も鳴き声を上げるのだけれども、レインにはそんなルクスの声は直接 伝わらない。
 レインはハイクとは違う。ポケモン達と、意識を完全に通わせる事はできないのだ。

「……ごめんね。やっぱり私じゃ、ルクス達と完全なお話しはできないみたい」

 優しくルクスの頭を撫でながらも、レインは小さな声でそう言った。
 ルクス達を巻き込んでしまったと思い、沈んでいたレインを励ましてくれていたのだろうか。レインがうっすらと笑みを浮かべると、ルクスの表情は安心感に包まれた。
 そうだ。トレーナーである自分が、ポケモン達に余計な心配をかけてどうする。トレーナーならば、ポケモン達の気持ちもちゃんと考えないといけないのに。それでも、ルクスが自分の事をちゃんと見てくれていたのだと思うと、レインは何だか嬉しくなった。

 ポケモン達の声は聞こえない。それでも、ポケモン達と心を通わす事なら、誰にだってできるのだ。

「あっ……」

 N捜索の為にコトキタウンを歩き回っていたレインであったが、気がつくと自分の家の前にまで来ていた。何の変哲もない、極々普通な作りの二階建ての家。その家を見た瞬間、彼女はとある事を思い出した。

「そう言えば、旅する準備をほとんどしてなかったなぁ……。うっかりしてた」

 事態の成り行きに流されるように旅立ちを決心していた為、レインはまともな準備をしていない。あまりにもバタバタとしていた為、そこまで気が回らなかったのだ。傍から見れば、うっかりしていたなどと言うレベルの問題ではないのだが。
 N探しも重要だが、今の時点では旅立つ準備はもっと重要だろう。レインは準備の為に、一度 家に帰る事にした。ハイクを待たせる訳にもいかないので手短に済ませるぞと誓いつつも、レインは玄関の扉に手をかける。

「ただいま〜」

 ガチャりと扉が開けられ、レインは自宅へと入って行った。



―――――



 ポケモンセンターは、立てれている場所に限らずどこも似たような色彩の外観をしていた。コトキタウンのポケモンセンターは二階建ての建物で、赤い屋根には白いモンスターボールのデザインが施されている。
 ポケモンを連れる人々にとって最も重要な施設である為、誰でも一目見れば分かるように外観のデザインには基準が設けられているらしい。その基準はホウエン地方だけに留まらず、全国的に決められているようだ。外観や内装に違いはあるものの、どこのポケモンセンターも共通してその印象的な赤で塗られた屋根を携えていた。

 ヒノアラシの怪我の治療をお願いする為に、ハイクはポケモンセンターに来ていた。
 つい数年前にホウエン地方全域で大々的にポケモンセンターの建て替え作業が行われたばかりの為、内装、外観共にかなり綺麗だ。また、発達した機械技術でも有名なイッシュ地方でも実装している最先端の設備が導入されており、機能面でもかなり充実していた。

 ヒノアラシの診断の結果は、幸いな事に大した事なかった。怪我の具合もとりわけ慌てる程でもなく、倒れていた大きな原因は極度の疲労によるものだったらしい。思っていたよりもヒノアラシの具合が悪くなかったので、ハイクは胸を撫で下ろした。

「はい。お預かりしていたヒノアラシは、元気になりましたよ」

 ヒノアラシを診てくれた女性医師が、笑みを浮かべてそう言ってくれる。怪我もすっかり良くなったヒノアラシを、ハイクに手渡してくれた。

「ありがとうございます。助かりました」

 女性医師からヒノアラシを受け取り、お礼を言いつつもハイクは彼を抱え直す。ハイクに抱かれて嫌がる様子もなく、ヒノアラシはただジッと身を任せていた。大人しい性格なのだろうかと思ったが、急にソワソワと動き出したり、不安そうにキョロキョロと周囲を伺い始めた所を見ると、大人しいと言うよりも臆病な性格なのだろうか。
 キョロキョロと見渡す度に、ヒノアラシからは落ち着きがなくなってきているように見える。どうやら、彼はこんな風に人が多い所が苦手のようだ。人に慣れていないように見える。
 人に慣れていない所を見ると、やはりヒノアラシはトレーナーのポケモンではないのだろうとハイクは思った。だとすれば野生なのだろうと言う考えになるのだが、勿論ヒノアラシはホウエン地方にでは見かけないポケモンだ。ホウエン地方で見かけないポケモンならば、さっきのムクホークやハーデリア達のように異様な程に凶暴なのではないのだろうかと若干の警戒心を抱いていたが、このヒノアラシは少なくともハイクに襲いかかってくる様子はなかった。

 このヒノアラシは、あのハーデリア達とは何かが違う。一つ決定的なのは、ヒノアラシからは何かが真っ黒に塗りつぶされているような感覚が感じないと言う事だ。彼からは、しっかりとした感情を確認する事ができる。端的に言ってしまえば、『心』を感じ取る事ができるのだ。

 このヒノアラシとさっきのハーデリア達とは、なぜこんなにも違うのだろうか。直接ヒノアラシに聞けば何か分かるかも知れないが、余計な事を聞いて彼に新たな不安要素を植え付けてしまうのも忍びない。ここは、ちゃんと101番道路に返してやるのが妥当な判断だろう。

 ポケモンセンターから出たハイクは、道を引き返して101番道路に向かう。だが、そこで彼はふとある事に気がついた。

 101番道路は危険なのではないのだろうか。
 このヒノアラシは、101番道路で倒れていた。それはつまり、あの道路にはヒノアラシをあそこまで痛めつけた犯人がまだ徘徊している可能性があると言う事だ。もしそれがあのハーデリア達のようなポケモンの仕業だったとしたら、101番道路に逃がすのは避けた方がいいのではないだろうか。

 どうしよう、とハイクは頭を悩ませていた。

『あ、あの……。ボク、もうちゃんと歩けます。降ろしてくれても大丈夫です……』

 ハイクが考えていると、不意にゴニョゴニョとした口調でヒノアラシが語りかけてきた。
 ヒノアラシの方から意識が離れかけていたハイクだったが、何とかその声は聞き取れた。別にその声からはハイクに対する嫌悪感などは感じられなかったが、いつまでもこうして抱えられているのも落ち着かないらしい。そう感じたハイクは、ヒノアラシを静かに降ろした。

『え、と……。た、助けてくれて、ありがとうございました!』

 ギクシャクとした動作ながらも、ヒノアラシはペコリと頭を下げた。先ほどから全くと言っていいほど喋る様子を見せなかったヒノアラシが、思っていたよりも大きな声を出したのでハイクは少し驚く。どうやら慣れない人と話すのが苦手らしいヒノアラシが、勇気を出して絞り出した言葉なのだろう。意識せずとも力が入ってしまっているのが、明らかだった。

「いや、苦しんでいる奴を助けるのは当然の事だよ。況してやあんな人目につかない所に倒れてたんじゃ、尚更 放っておけない」

 そんなヒノアラシを安心させる為にも、ハイクは笑みを浮かべた。
 ハイクの言葉が自分の想像とは逸脱していたのか、ヒノアラシは戸惑ったような素振りを見せる。しばらくすると、彼は再び口を開いた。

『……やっぱり、ボク達の声が聞こえるんですね』
「ま、まぁ……。色々あってね」

 やはりポケモン達から見ても、ハイクのこの能力は異端なものなのだろう。当たり前と言えば当たり前か。ポケモン達とて、何か特別な理由でもない限り人間達と自由にコミュニケーションを取る事は叶わないのだから。
 当然、ヒノアラシも人間とはっきりとした会話をしたのは、これが初めてだ。不思議な能力を持つ人間に対し、ヒノアラシは疑心感などは感じない。寧ろ、興味意識が湧いてきてしまう程だ。

「でも、元気になってくれて安心したよ。一時はどうなるかと……」

 こんな風にちゃんと喋れるのだから、ヒノアラシはもう大丈夫だろう。緊張の為か固くなってはいるものの、さっきと違い背中からは炎が吹き出し始めている。それが元気である証拠となっていた。

『あの……。一つ、いいですか?』

 ヒノアラシが小さな声でそう聞いてくる。
 ハイクに何か伝える事でもあるのだろうか。彼は耳を傾けた。

「ん? どうした?」
『と、唐突にこんな事を言い出すのもどうかと思いますが……。ぼ、ボクも一緒に連れて行って下さいっ!』
「えっ……? 一緒って……」

思いもよらぬヒノアラシの意思を前にして、ハイクは困惑する。一緒に連れって行ってほしい、つまりハイクの旅に同行したいと言い出したのだ。彼は人に慣れていない様子だったので、まさかハイクと一緒に行きたいなどと言い出す訳がない。そう心のどこかで勝手に確信していたのだ。
 ハイクが言葉の続きを紡ぎ出す前に、ヒノアラシが口を開いた。

『あなたは、ポケモントレーナーさんですよね? ボク、助けて貰ったお礼がしたいんです! 必ず役に立ってみせますから……!』

 ヒノアラシは必死だった。なぜ彼はそこまでして、ハイクに協力したがるのだろうか。彼をここまで動かす、原動力が何かあるのだろうか。
 ハイクはこのヒノアラシの事を何も知らない。出会ってからまともな会話をしたのは、これが始めてなのだ。ただ、そんなハイクでも彼の意思の強さは伝わってくる。その小さな身体に秘められた磐石の意思は、簡単には折れそうになかった。

「でも、今の俺はリーグを目指してる訳じゃないし……。これはただの旅じゃない。危険だって伴うんだ。それに、お前の仲間達も心配してるんだろ? 帰った方がいいよ」

 だが、だからと言って、彼を巻き込む訳にはいかなかった。
 ハイクの頭に過ぎるのは、今朝の出来事。レジロックがミシロタウンに現れ、事態を収束しようとしてくれたカインでさえも、あそこまで追い込まれてしまった。カインは数年前にハイクの前から姿を暗ましてから、我流とは言え ずっと鍛錬を積み重ねてきたのだ。そんな彼さえも圧倒してしまう程の、強大で凶悪な力。そんなものを持っているポケモンと、もしヒノアラシが戦う羽目になってしまったとしたら。結末は容易に想像できた。
 そうだ。いくら協力してくれるとは言え、まだ小さなヒノアラシまでも戦いに投じる事などしたくない。
 何か理由をつけて、ヒノアラシには考えを改めて貰うつもりだった。ところが、ハイクがそう言った途端に、ヒノアラシの口調が重くなる。

『……ボクには、仲間とか、家族とかはいません。唯一、一緒にいたボクのお母さんも、ある日突然いなくなっちゃったんです。……何が起きたのか、ボクにもよく分かりません。気がついたら一人になっていたんです……。だから、誰かが心配してるとか、そんな事を気にする必要はありませんよ』

 ハイクは自分の言った事を後悔した。余計な事は聞かないと、あれほど注意したつもりだったのに。ヒノアラシを不安にさせまいと、言葉を選んでいたはずなのに。
 触れてはならない事に触れてしまった。ヒノアラシが辛い過去を思い出させるようなきっかけを、ハイクは作ってしまったのだ。いや、過去形などではない。その状況は、今も尚 継続している。
 最早、ヒノアラシには頼れる人など誰もいない。彼はずっと一人で生きてきたのだ。

「お前は……ずっと、一人ぼっちで……。そんな……」

 ハイクは心が痛んだ。
 一体どれくらいの間、ヒノアラシは孤独感と戦ってきたのだろう。一体どれくらいの間、彼は辛い思いをし続けてきたのだろうか。仮にこのまま逃がしたとしても、ヒノアラシを待っているのは孤独だけ。また一人ぼっちで過ごす日常に逆戻りだ。
 このヒノアラシの母親は、一体どこで何をやってるんだ。ハイクはやきもきしていたが、いくら誰かを否定しても何の解決にもならない。
 未だに残る暗い余韻の中、息が詰まりそうになりながらも、ハイクは決断する。今の自分にできる事は、ただ一つだ。

「……分かった」

 ハイクは肩に掛けるショルダーバッグに手を突っ込み、手探りで何かを探しながらも小さく頷く。数秒も経たない内に目的の物を探し当て、それを鞄の中から取り出した。
 それは、ピンポン玉くらいの大きさの球体の物。そのボールの中央部分に付けられているボタンを押すと、ピンポン玉くらいの物が手のひらサイズに拡大された。それは、誰もが一度は見た事のある道具。トレーナーの必需品、モンスターボールだった。
 まだ一度も使っていない、新品同然のモンスターボール。当然、中身は空っぽだ。それをギュッと握り締めながらも、ハイクはヒノアラシの瞳に視線を向ける。

「一緒に行こう」

 その答えは、ヒノアラシの意思を無駄にはできないと言うよりも、彼をこれ以上一人にしたくないと言う思いから生まれた物だった。
 このまま彼を一人ぼっちにさせるなんて、ハイクには耐えられない。ヒノアラシを放ってはおけなかった。

『あ……ありがとうございます! これからよろしくお願いします!』

 元気にそう返したヒノアラシの額を、コンっとモンスターボールで叩く。するとボールがパカっと開き、中から現れた赤い光にヒノアラシは包まれた。その光と共にヒノアラシは瞬く間にボールに吸い込まれ、彼を取込むとボールは静かに閉じられる。少しの間カタカタと動いていたが、やがてピタリと静止した。

「……これから、よろしく!」

 ハイクはボールの中のヒノアラシにそう語りかける。ボールの中でも会話は可能な様で、ヒノアラシは反応を見せてくれた。
 今、自分の手にあるモンスターボールの中に、ヒノアラシは入っている。これでもう、彼は一人じゃない。これからは自分が、ヒノアラシを守るんだ。
 ハイクは心の中で、固くそう誓っていた。

 モンスターボールを握り直し、ハイクは立ち上がる。101番道路を目指していたハイクだったが、踵を返してコトキタウンに向き直った。
 ここにはハイクの探し求めている何かが、見つけ出したい掛け替えのないものが、あるのだろうか。
 ハイクの大切な仲間。あの六匹のポケモン達ならば、このヒノアラシも直ぐに受け入れてくれるだろう。彼らならば、ヒノアラシの心の傷を癒してやる事ができるはずだ。彼らが居れば、居てくれれば――。

 しかし――。

「……どこに行っちゃったんだよ、みんな……」



―――――



 景色が次々と移り変わる。流れるように町並みは通り過ぎてゆく。道行く人をかわしながらも、目的地に向けて突き進んでいた。
 空は曇っているものの、時間的にはもう直ぐ夕暮れが訪れる頃合いだ。町中を徘徊していたスバメ達も、住処に帰るべく飛び立ち始めている。こんな町中を全力で走り抜けているのは、恐らく自分だけだろう。ハイクは狼狽していた。


 事の発端は、彼の携帯にかかってきた一本の電話だった。
 ハイクがヒノアラシと共に行く事を決めた後、自分も何か手がかりを探そうとコトキタウンに戻ろうとした時、彼の携帯が何かを受信した。ポケットの中に入れっぱなしの携帯が、ブルブルとバイブし続ける。誰かから電話がかかってきたようだ。
 携帯を取り出してディスプレイを見ていると、そこに映るのはレインの名前。電話はレインがかけてきたのだった。
 何か手がかりを掴んだのだろうか。ひょっとして、Nを見つけたのか? ハイクは急いで携帯を操作し、通話を開始する。

「……もしもし?」
「あ、ハイク!? 大変! 大変なの!」
「ちょ……声デカイって。何が大変なんだ? Nを見つけたとか……?」
「え……と、Nじゃないんだけど……。とにかく今すぐ私の家まで来て! 訳は後で話すから!」
「レインの家……? 分かった。すぐ行く」
「それじゃ、ホントにすぐ来てね! 寄り道しちゃダメだからね!」
「わ、分かってるって……。でもそんなに慌てて、何が大変なのか少しくらい教えてくれても……」

 プツンと一方的に切断される音。ハイクが言い終わる前に、電話は切られてしまった。スピーカーからは、ビジートーンが虚しく鳴り響く。
 何もそんなに勢いよく切らなくても……。ハイクはそう思ったが、今更そんな事を考えても仕様がない。レインがあそこまで慌てるのも珍しい事だ。ぬいぐるみを失くした時のように喚いている訳ではなく、心の底から慌てふためいているのが感じられた。一体、何が起きたのだろうか。

「急いだ方が良さそうだな……」

 彼女の言う大変な事とは、相当なものなのだろう。
 意を決したハイクは、勢いをつけて駆け出した。


――そして、今に至る。

 ポケモンセンターからレインの家まではそこまで遠くないはずなのだが、こうも慌てていると妙に長距離を走っているように感じてしまう。全力で走っていても、既に何十分も経ってしまったのではないだろうかと錯覚してしまっていた。

『ハイクさんのお友達、何かあったんでしょうか……?』
「……分からない。でも……嫌な予感がする」

 ハイクの横を走っていたヒノアラシが、心配そうに声を上げる。不安を拭いきれないハイクは、呟くようにそう答えた。
 モンスターボールの入ってたままでも良かったのだが、ハイクの携帯でのやり取りを聞いて心配になって出てきてくれたらしい。意外と走るスピードは速く、その小さな足を懸命に動かしてハイクについて来ていた。
 少々引っ込み思案な所があるが、意外と積極的な面もある。ずっと一人で過ごしてきて、他者と交わる事をあまりしてこなかったヒノアラシをハイクは心配していたが、これなら大丈夫そうだ。レインの事が不安な反面、打ち解けてきたヒノアラシに安心している面もあった。

「ハイクー!」

 走り始めてから数分。ようやくレインの家が見えてきた。自宅の前で待っていたレインがハイクの姿を確認し、声を上げて彼の名を呼んでいる。
 やっと着いた。息が上がっているのを忘れそうになりながらも、ハイクはレインに受け答えする。

「悪い、待たせた。それで、何があったんだ?」
「うん。実はね……あれ? その子は?」

 レインが言いかけたが、ハイクの傍らにいるヒノアラシに気づき興味深そうな振る舞いを見せた。まだレインになれていなヒノアラシは、急に興味を向けられてビックリしたのかハイクの影に隠れてしまった。

「あぁ、さっきのヒノアラシだよ。一緒に行く事になったんだ。ヴォル、隠れなくても大丈夫だよ」

 ハイクの影からジッとレインを見つめているヒノアラシ――ヴォルを、彼は優しく促した。それでも直ぐには慣れないようで、彼は相変わらずジッとレインを見据えるのみだ。

「へぇ、そうなんだ。私、レイン。よろしくね!」

 しゃがみ込んでヴォルを見つめたレインが、微笑みを浮かべて声をかけた。ただ彼女を見上げていただけのヴォルだったが、そこで小さく鳴き声を上げる。彼なりに精一杯 勇気を振り絞った結果なのだろう。再び引っ込んでしまった。

「あれ? まだ私には慣れてないのかな……? って、そんな事より! 大変なの!」
『そ……そんな事って……』

 レインが小さな声で呟くように言ったかと思ったら、今度は急に何かを思い出したかのように声を張り上げた。
 話を急展開させるレインを前に、ヴォルは狼狽え気味だ。話を振られたハイクの方も、レインのペースに流されていた。

「そ、そうだよ。何が大変なんだよ?」
「……さっき、私は荷物を整理しようとして一度家に戻ったんだけど……。丁度その時つけられてたテレビで、凄いニュースが放映してたの」
「……凄いニュース?」

 ハイクは眉をひそめた。レインが彼に電話をかけてきた理由が、彼女の言う凄いニュースに関連する事だろう。だが、彼女をここまで動揺させる要素があったのだろうか。Nに関する事ではないとなると、それ以外の事柄だ。このホウエン地方の異変の手がかりと成りうる何かを、見つけたのか。
 何にせよ、平穏な理由で彼女は動揺している訳ではなさそうだ。凄いニュースとは、一体――。

「……それで? そのニュースの内容は?」
「うん……。カナズミシティが……」

 その次の瞬間。彼女が放った言葉を前に、ハイクは絶句する。
 Nに直接関する事だと、今の所は断言できない。ただ、非日常的な出来事が続いた今の状況では、それは看過できるような内容ではなかった。
 ホウエン地方に起こる異変。これがもし自然災害などでは無く、人為的に発動されたものだとしたら。今日起きたこの出来事が、何者かの陰謀によるものだとしたら。

 薄々は感づいていた。少なくとも自然的なものではなかったと。しかし、たった一人の人間の力でこれほどまで強大な異変を起こせる訳がない。そう、複数犯。その上、生半可な数では無く、もっと多くの人々が動いているはず。だとすると、考えられるのは――。

「カナズミシティのポケモンジムが……、何者かによって襲撃されたって……」

 策動。謎の組織による、宣戦布告であった。

absolute ( 2014/04/29(火) 11:25 )