ポケットモンスター デスティニー 〜憎しみを砕く絆〜
第2章:塗りつぶされる心
2‐9:雨の日

 そこは、自分達の想像とはかけ離れた光景が広がっていた。
 人質に取られていた人々を助け出し、ハイク達はジムの外へと向かう。てっきり、そこにはローブの仕向けたポケモン達とのバトルが繰り広げられていると思っていた。つい先ほどまで、多くのポケモン達が入り乱れていたのであり、外に出た紅ローブ達が加勢したと考えると戦況は更に激しくなるのでは? と誰もが想像していただろう。

 しかし――。実際にそこに広がっていたのは、奇妙な静けさだった。

「なにが……起きたんだ……?」

 思わずハイクは視線を泳がす。いつの間にか雨が降り始めていたジムの外にいたのは、バトルで消耗した警備隊とそのポケモン達。しかし、誰もが状況を呑み込めていないようにポカンとしている。
 何が起きたのか想像もつかない。一つ明らかに不可解だったのが、暴れまわっていたポケモン達がどこにも見当たらない事だ。

 警備隊によって鎮圧されてしまった――と考えるのには、少し違う気がする。そもそも、等の警備隊員達が皆こうして唖然としているこの状況では、少なくともその可能性は低い。
 なら、一体何が?

「……ツツジさん! 一体、何があったんですか?」

 ジムのすぐ近くにツツジの姿を見つけたハイクは、駆け寄って状況を確認しようとする。降り続く雨に身体を打たれるが、そんな事は気にならなかった。

「ハイク君……! 無事だったんですか」

 ツツジもまた、雨の中 傘もさしてない。その容貌から察するに、ついさっきバトルが終わったようだった。
 しかし、ドッと疲れが浮かぶその表情は、決して晴れているとは言い難い。ハイク達がジムから脱出する直前に、何が起きたのか。暴れまわっていたポケモン達は、どこへ行ってしまったのか。
 意を決し、ハイクは再び質問する。

「ポケモン達は……どうなったんですか?」
「あの、それが……」

 どうもツツジの口調は重い。
 事態は静まってはいるようだが、どうやら結果はあまり良好ではないらしい。いや、こんな様子のツツジを見ると、最悪の事態も想定しなければなかった。
 そして、ツツジの重い口が開かれる。

「……バトルは完全に持久戦となっていました。レインさんのキノガッサのお陰で、こちらも多少は優位に持っていけたのですが……。あのポケモン達の持つ力は、私達の常識から大きく逸脱していました。倒しても倒しても、何度でも起き上がってくるのです」

 ツツジの言う状況は、何となくだが想像できた。
 既に倒れてもおかしくない状況なのに、それでも起き上がるポケモン。自分の意思とは無関係に、身体を無理矢理動かされているかのようなポケモン。ハイクは今日、そんなポケモン達を何度も見てきた。

「ですが、突然……。‘あの人’が乱入してきてから、戦況は大きく変化してしまいました……」
「あの人……?」

 ツツジの説明を聞いて、ハイクはハッとする。ツツジの言う‘あの人’とは、もしや自分達の探し人である――。

「……黒いローブを羽織り、フードを深く被っていたので誰なのかは分かりません。ですが……強すぎるんですよ……! あの人とそのポケモンは……!」

 ツツジの語調が、強くなる。その表情からは悔しさが垣間見えていた。

「メタグロスを使い、次々と私達のポケモンをなぎ倒していきました。私のダイノーズでさえも、殆んど歯が立たず……」

 ツツジは言葉に詰まる。それ程までに圧倒的で、強大な力を見せつけられたのだろう。
 黒いローブを羽織り、メタグロスを使うトレーナー。ツツジは顔まで確認できなかったようだが、果たしてそれはハイク達の探し人、Nだったのだろうか。
 Nがどんなポケモンを連れているのかは分からない。その黒ローブの正体がNだと言える要素は正直殆んどないが、それでも可能性はゼロではないはず。いや、仮にNを見つけられなくとも、あのローブ達の所業を止める事ができれば、事態は解決するのではないか。

 いずれも困難な道だが、やるしかない。

「暴れまわっていたポケモン達は、黒ローブの方に連れてゆかれてしまいました……。モンスターボールのような物で次々と捕獲し、それで……」
「連れて行かれた……!? ちょっと待ってください! それじゃ……!」

 ハイクの語調も、思わず強くなっていた。
 ポケモン達が連れて行かれた。もしも彼らがローブ達の手持ちポケモンであったのなら、まだいい。だが、そんなものじゃない。あんな使われ方をして、パートナーだと言えるはずがない。
 ハイクは知っていた。あのポケモン達の事を。あのポケモン達が、どんな目にあったのかも。あのポケモン達の、本当のトレーナーの事も。

「ポケモンを回収した黒ローブは、それ以上は私達には危害を加えませんでした。……ジムから出てきた他のローブ達と合流し、そのまま立ち去ってしまい……」
「ちょっと待ってくれ……! それはどういう事だよ!」

 ツツジが言い終わる前に、口を挟んできたのは一人の少年だった。
 ジムで真っ先にハイクに声をかけてきた少年。そんな彼が、血相を変えて声を張り上げる。
 突然の割り込みにツツジは少し驚くが、すぐにこの少年がジムに通っていたトレーナーだと分かると落ち着きを取り戻す。

「アイツらに連れて行かれったって……それじゃオレの……!」

 しかし、その少年はと言うと一向に熱が下がる兆しはない。むしろ、時間が経つに連れてドンドンと取り乱していくようにも見えた。
 しかし、目の前に立ち塞がるこの現状を前にすると、少年は後ずさりしてしまう。彼の表情からは時間と比例するかのように光が失われてゆき、やがてガクリと項垂れてしまう。

「オレの……ボスゴドラは……!」

 今にも消えてしまいそうな声で、少年は言った。握り占めた拳がプルプルと震え、彼の感情がいかに激しているのか、容易に見て取れた。

 カナズミシティで暴れまわっていたポケモン達は、ジムのトレーナー達の手持ちだった。ハイクが感じていた直感。それが的中してしまった事になる。
 ジムから脱出する際、何が起きたのかハイクはこの少年から少し聞いていた。彼によると、ジムがローブ達に制圧された時、自分達と手持ちポケモン達はそれぞれ離されてしまったらしい。彼はてっきり自分達を無力化する為にローブ達はそんな事をしたと考えたのだが、実際はそうではなかった。
 突然紅ローブが奇妙な機械をポケモン達に向け、不気味な光を照射したのだと言う。見るからに禍々しいその光がポケモン達に纏わりつくと、バトルで傷つき倒れていたポケモン達が、次々と起き上がった。
 その瞬間、一瞬だけ少年は混乱しかけるが、すぐに直感できたと言う。ローブ達の目的は、人質を取って何か無茶な要求をするのではない。あくまで、自分達のポケモンを奪うのが目的であったと。
 気がつくと、ポケモン達は奴らの手に落ちていた。いつの間にかポケモン達の心はすり替えられ、ローブ達の操り人形となっていた。

 ハイクはこの少年から、そう話を聞いている。一般常識に固執した人が聞いたのならば、まず信じられないだろう話。ポケモンの意思がすり替えられるなど、そんな事できるはずがない。
 しかし、ハイク達はこの少年の言葉を信じるしかなかった。そうでも考えなければ、説明がつかないのだ。
 やはりホウエン地方の異変は、自然現象などではなかった。人為的によるもの、しかも正体不明の組織による陰謀だったのだ。

「……ごめんなさい。私達の力じゃ、あの人を止める事はできませんでした……」

 ツツジは思わず顔を背ける。それ程までに圧倒的な力の差を見せつけられ、殆んど抵抗もできないまま成す術なくやられてしまったのだろう。指をくわえてポケモン達が連れて行かれる様子を見る事しかできなかったジムリーダーは、悔しさと不甲斐なさのあまり下唇を噛み締めていた。

「なぁ……ハイクさん……」

 俯いたままの少年が、震える声でハイクの名を呼ぶ。何も言わずに、ハイクは少年の方へと視線を向けた。

「アンタ……チャンピオンなんだろ……! ホウエン地方で、一番強いトレーナーなんだろ……!?」

 確認と言うよりも、すがりつくような思いで少年は言葉を紡ぐ。雨音にかき消されてしまいそうな声だった少年の声量が、徐々に大きくなってゆく。しかし喉に何かが詰まっているような感覚を覚え、息が詰まりそうになってしまう。
 それでも、少年は顔を上げる。ハイクの目を、見据える。なぜだかボヤけて、前がよく見えない。

「頼む……。オレの、ボスゴドラを……いや、ボスゴドラだけじゃない……! アイツらに連れて行かれた、皆のポケモン達を……助けてくれ…………! お願いします……」

 雨なのか、それとも涙なのか。少年の顔は、ぐちゃぐちゃになっていた。



―――――



 時に運命は残酷だ。
 どんなに固く結ばれていても、どんなに強い繋がりでも、簡単に奪い、壊してしまう。その強すぎる流れの中では、人もポケモンも、抗う事は容易ではない。所詮、惹かれたレールの上を進むしかない。運命は最初から決められていて、それに逆らう事はできないのだ。
 前に誰かが、そんな事を言っていた気がする。もしそうなのだとしたら、目の前のこれも、逆らえぬ運命だと言うのだろうか。まったく、運命と言うものは誰が決めたのだか知らないが、余程世界が嫌いだったのかな。と、そう感じてしまう。

 その青年は、傍観する事しかできなかった。目の前では、沢山の人やポケモン達が戦い、苦しんでいると言うのに。青年は、ただその行く末を見守る事しかできない。
 ビュウッと大きく風が吹くと、青年の長めの髪が棚引く。大分風も冷たくなってきた。もう数日経てば、本格的に冬に突入するだろう。
 冷たい風で髪が棚引くのを特に気にする様子もなく、青年はただ一点を見つめ続けていた。彼の視線の先にあるのは、ポケモンジムだ。ここ、カナズミシティのポケモンジム。近くのビルの屋上から青年が眺めるそのジムの前には多くの人やポケモン達が入り乱れ、バトルが繰り広げられている。
 いや――最早これはポケモンバトルとは言えない。互いの力を競い合うバトルではなく、生きるか死ぬかの命のやり取り。以前にも何度か見た事がある、残酷な光景。

 青年の脳裏にとある記憶が蘇り、彼は目を細める。知らず知らずの内に自分が犯してしまった誤ち。償う事のできない、大きな罪。彼の心に強い後悔が生まれるが、いくら悔やんでも過去は変えられない。
 彼は、未だに逃げ続けているだけだ。

『……いいの? 行かなくて』

 声をかけられ、青年はチラリと視線を向ける。しかしその声の先にいたのは、人間ではない。
 身長の高い青年と並ぶと、やや小柄にも見える。だが、実際には人間の女性ほどの背丈があるだろう。身体の殆んどを覆っているのは、真っ黒な体毛。しかし頭部のものだけは血のように赤く、それが髪の毛のように腰辺りまで伸びている。
 後ろ脚で器用に立つ二足歩行。そして狐を彷彿させるような顔立ち。ばけぎつねポケモン、『ゾロアーク』。そのポケモンの種族名だった。

「いいんだ。ボクは……」

 ゾロアークの耳にも届くか届かないくらいの声量で、青年はボソリとそう答える。しかし、その言葉の続きを紡ぎ出す事は、青年にはできなかった。

 さも当然のようにポケモンの声を聞き取る青年。勿論、これは傍から見れば平常な光景ではない。そしてこのゾロアークは、テレパシーで彼に話かけている訳ではない。
 そう。青年はポケモンの声を聞き取る事ができるのだ。誰もが持っている訳ではない、特別な能力。ポケモンとの強い繋がりを得る事ができる、大きな力。

 しかし今のこの青年はそんな力で傲り高ぶるような事はせず、寧ろ人目を避けている。誰かとの関わりを、拒んでいる。

『……まだ悔やんでいるの?』

 先ほどチラリと視線を向けてからと言うものの、青年はゾロアークの方へは振り向いていない。しかし、ゾロアークのその質問に対しては、彼は確かに反応を見せた。
 図星を突かれたと言ったところか。それまで口を開く事さえも拒んでいた青年だったが、ポツリポツリと喋りだす。

「誰かの力になるなんて、そんな資格ボクにはない。ボクが犯した誤ちは、償えないほどに大きなものなんだ。ボクはこれ以上、どんな色にも交わる事はできない」

 そこでクルリと、彼はゾロアークの方へと振り向いた。
 拳を強く握った青年が、「だから……」と続ける。

「誰かの力になるとか、大切な何かを守るとか、苦しんでいる人やポケモン達を助けるとか……。そんな大それたこと、ボクにはできっこないよ」

 悟ったような笑みを、青年は浮かべる。沈みきった青年の顔のハイライトのないその瞳が、痛々しかった。
 確かにその笑みの表面には、諦めにも似たものが感じられる。自分は正義にはなれない。英雄などにはなれない。彼はそう思い込んでいるからこそ、自分に嘘をつき続けている。
 だけど、ゾロアークには分かる。何となくだが、伝わってくる。はっきりとは言葉にできない。しかし――温かい願い。青年が塗りつぶそうとしてしまっている、心の奥底に秘めた思いを。

『なら……どうしてあのニンゲン達に近づいたの?』
「……ハイクくんとレインちゃんの事?」

 ゾロアークはコクりと頷いた。確認した青年は顎を引き、目を瞑って考える。
 既にすべて諦めたつもりでいた。例え脅威になりうる力の脈動を感じたとしても、知らんぷりするつもりでいた。
 ――自分が関われば、またよくない事が起きる。そう自分に言い聞かせ、心を閉ざしてしまおうとしていた。

 しかし、なぜあんな事を――。

「……分からない。ただボクは、これでも……」

 ポツリと、青年の肩に何かが落ちる。それは一瞬で終わるものではなく、一つ、また一つと、ポツリポツリと青年の身体を叩いてゆく。
 見上げると、雨が降り始めていた。重い雲から耐えられなくなった雨粒が、次々と零れ始める。時間経過と共に零れ落ちる雨の量はどんどん多くなり、やがてバケツをひっくり返したような豪雨となった。

「モンスターボールに戻った方がいい。風邪をひくといけないよ」

 予想以上に強くなった雨の中、青年はモンスターボールを取り出す。ボールをゾロアークの方へと向け、そのポケモンを収納した。

 ゾロアークをモンスターボールに戻した事により、本格的に一人になってしまった青年。ボールを持つ手も力が抜けたようにダラリと下げ、ただ一人無言で項垂れる。
 ザーッと音を立てて降る雨の中、青年はそこに佇んでいる。豪雨に身体を打たれ続け、尚も俯いて動こうとしなかった。
 冷たい雨。全てを洗い流さんとする黒雨。全てを包み込もうとする凍雨。世界を哀れむ、慈悲の涙。

「ボクは……」

 このまま雨に流れてしまえばいいのに。いっそ溶けてしまえばいいのに。

 運命から逃げ出した青年は、今も尚 彷徨い続けていた。

■筆者メッセージ
今回で2章は終了ですが、事情により少しの間更新をストップさせて頂きます。一応、自分受験生なので執筆する時間が無くなってきてしまいました(>_<) 受験が終わり次第、恐らく3月か4月頃には再開する予定なので、どうか暫しお待ち下さい。では。
absolute ( 2013/11/24(日) 08:03 )