ポケットモンスター デスティニー 〜憎しみを砕く絆〜 - 第2章:塗りつぶされる心
2‐7:思いと願いと決心と


 ナットレイが触手を振りかざすと、それは直後、目にも止まらぬスピードで勢いよく叩きつけられた。その一撃で岩盤のような床は砕け散り、破片は炸裂するように弾け飛ぶ。その“パワーウィップ”の威力は、想像以上のものだった。
 しかし、いくら強力な攻撃と言えど、当たらなければ意味はない。標的とされたルクスであったが、素早く後退する事で難なくその攻撃を避けていた。だが、今回のバトルはいわゆるダブルバトルと呼ばれるものだ。例え片方の攻撃を上手く回避 出来たとしても、もう片方のポケモンに一瞬の隙を突かれる可能性もある。実際、横目でルクスとナットレイの攻防を見ていたモジャンボは、タイミングを見計らって追撃を加えようとしていた。

 ルクスが後退してナットレイから離れた瞬間、待ってましたと言わんばかりにモジャンボは急接近する。今度はモジャンボの“パワーウィップ”が、ルクスに襲いかかる。

「ノココ、“マッハパンチ”!」

 “パワーウィップ”がルクスを捉えるすんで所で、その攻撃はノココによって遮られてしまった。ノココが一気にモジャンボに急接近し、物凄いスピードでパンチを繰り出す。痛手を与える事はできなかったものの、攻撃を遮るのには十分だった。

 仰け反ったモジャンボは、今度は標的をノココに変える。その瞳をギロりと向けると、迷うことなく突っ込んできた。再び“パワーウィップ”で攻撃するが、そんな単調な攻撃など受ける訳がない。身を翻したノココは、やはり難なく回避できていた。

「(どうして……何も指示を出さないの……?)」

 モジャンボ達の主人であろう二人の茶ローブに目を向けつつも、レインは漠然とした疑問を抱いていた。ポケモンを繰り出してから、あの茶ローブ達はバトルをポケモンに任せっきりだ。技の指示すらも出す気配がない。だが、それがかえってレインの不安を煽る結果になっていた。
 何か意図があるのだろうか。ここまで単調な攻撃を繰り返されていると、寧ろ警戒心が強くなってしまう。隠し球でも持っているのではないのだろうか、と思わず身構えてしまっていた。

 もしそうだとしたら、それなら――。

「ルクス、ノココ。一気に決めるよ!」

 レインのもとへと集合していたルクスとノココの士気を高める為、彼女は声をかける。それに呼応するかのように、二匹のポケモンは同時に鳴き声を上げた。
 何かをしようとしているのなら、それをされる前に倒してしまえばいい。簡単な事だ。
 今は迷っている場合じゃない。人質達を助ける為にも、早急にバトルを終わらせる必要があった。

「ノココはモジャンボに“ばくれつパンチ”、ルクスはノココを“てだすけ”して!」

 レインの指示を受けたルクスとノココは、即座に行動を起こした。ドスドスと足音が出る程に強く地面を蹴って走りながらも、ノココは右腕一点に力を集中させる。やがて右腕は光を纏い始め、一瞬だけ膨張したかと思うと、その光は握られた拳に収束された。
 そして更に、ノココのスピードに合わせて隣を走っていたルクスが、“てだすけ”と呼ばれる技を発動した。自分の攻撃を放棄して味方に力を分け与え、攻撃の威力を増大させる事のできる技。この技により、ノココの拳が纏う光は更に勢いを増す。

 雄叫びを上げたノココの“ばくれつパンチ”が、モジャンボに向けて放たれる。刹那、激しい炸裂音と共に殴り飛ばされたモジャンボが、宙を舞った。
 会心の手応えをその拳で感じ、ノココは満足そうな表情を浮かべる。“てだすけ”により威力を増した“ばくれつパンチ”の直撃を許してしまったモジャンボは、既に戦闘不能状態にまで陥っていた。ドスンと音を立てて地面に叩きつけられ、そのまま意識を失う。

「よし、これで……」

 あと一匹。味方が倒され、怒りを感じているのか否か。そのような感情はよく分からないが、残されたナットレイは再び動き始めた。
 急接近してくるナットレイ。おそらくまた“パワーウィップ”だろう。あの茶ローブが指示を出さない限り、このポケモンは同じ行動を繰り返すだけだ。

 相変わらず敵の意図は不明なままだが、ここで勝負を決めさせてもらう。

「ノココは“きあいパンチ”の準備! ルクスはナットレイの動きを止めて!」

 強く拳を握ったノココが、そのまま大きく力を溜め始める。“きあいパンチ”を発動させる為、ノココは集中力を研ぎ澄ます。
 “きあいパンチ”は発動までに時間のかかる技だ。ノココが渾身の一撃を放つまで、もう少し時間が必要だろう。その間、ルクスはナットレイの動きを止める事に専念していた。

 使用できる技の相性から考えて、ルクスはナットレイに素早く大きなダメージを与える事はできない。フレイならば相性ば抜群なのだが、先のバトルで負傷してしまった以上 無理をさせる訳にはいかない。今動けるポケモン達だけで、何とか切り抜けなければ。

 ルクスが放つ“でんじは”が、ナットレイを捉えた。対象を麻痺と呼ばれる状態異常に侵し、動きを鈍らせる技。攻撃力はほぼゼロに等しい技ではあるが、当たれば必ず麻痺を発生させる事ができる為、ナットレイの動きを封じたい今の状況では打って付けの技だった。
 麻痺となってしまったナットレイは、身体が痺れて思うように動いていない。ただでさえ俊敏な動きが苦手なポケモンである為、最早ほとんど身動きが取れなくなっていた。

「ノココ! 行って!」

 ルクスが“でんじは”で時間を稼いだ間、ようやくノココの準備が完了した。溢れる力をオーラのように身体に纏い、風圧さえも発生して砂埃が舞ってゆく。“きあいパンチ”必要な力は十分に溜まった。

 ノココは地面を蹴る。勢いをつけてナットレイに向けて駆け出す。気合いの篭った彼の右拳が、ロケットのような勢いで突き出される。轟音が響き、“ばくれつパンチ”を凌駕する一撃がナットレイ向けて放たれた。

 “きあいパンチ”を受けたナットレイは、さっきのモジャンボ以上に大きく殴り飛ばされる。近くの岩に激突し、ようやく止まる事ができたのだがこれ以上はバトルに復帰できないだろう。草と鋼のタイプを持つそのポケモンでは、高威力の格闘タイプ技をモロに受けて立ち上がれるはずがない。

 勝負はついた。

「ルクス、ノココ。お疲れ様」

 バトルが終わり、レインはふぅと息を漏らした。
 結局、あの茶ローブ達は最後までポケモンに指示を出す事はなかったが、今更そんな事を考えても仕様がないだろう。上手く切り抜けられたのなら、それで良いに越した事はない。

「これで私達の勝ちです! そこをどいて下さい!」

 ポケモン達が倒されたのにも関わらず未だに進路を塞いでいる茶ローブ達に、レインは声をかけた。バトルに負けたのだから、彼らは大人しく引き下がるべきだ。レインはそう考えたのだろう。

 しかし――彼女の考えは甘かった。
 それはあまりにも単純で、一般常識に固執し過ぎた思考。だが今は、テログループを相手にしてしまっている今の状況では、彼女の知る常識など通用しない。
 この世の全てが合理的にできている事など、あり得ないのだから。

「……“パワーウィップ”」
「えっ……?」

 突然、何かが叩きつけられるような音が響く。その直後にレインの聴覚が捉えたのは、悲鳴にも似たポケモンの鳴き声。一拍ほど遅れて彼女が状況を理解した頃には、もう遅かった。
 誰もが予想し得なかったような一撃。そのポケモンの強烈な“パワーウィップ”が、ノココを弾き飛ばしていた。攻撃を受けたノココ自身もその瞬間には何が起きたのか理解できず、されるがままに飛ばされてゆく。背中から地面に激突し、気がつくと身体中が悲鳴を上げていた。

「嘘……!? どうして、立ち上がれるのっ!?」

 モジャンボは何事もなかったかのように起き上がっていた。
 ノココとルクスの連携で、あの時 確かに倒したはず。起き上がれるはずなど、あり得ないのだ。
 けれども、モジャンボは今こうして起き上がっている。あの強烈な“ばくれつパンチ”を受けたのにも関わらず、起き上がってノココに不意打ちを仕掛けてきた。

 明らかに様子がおかしい。それはレインでもひしひしと感じられる。
 振り向いたモジャンボと視線がぶつかると、レインの背筋に寒気が走った。



―――――



 切れ切れの息遣い。何かが空を斬る音。
 カインは四苦八苦していた。彼の放つ“ドラゴンクロー”がシェイミに襲いかかるが、すばしっこいそのポケモンに直撃させる事は敵わない。一瞬だけ後退してリズムを乱し、フェイントを仕掛けてみる。しかし、それでも結果は同じだった。

 隙を見つけて瞬時に攻撃を仕掛けたつもりでも、当たる寸前に避けられてしまう。信じられない反射神経と身体能力。思ったとおり、このシェイミは他のポケモン達とは比べ物にならないほどに大きな力を持っていた。

 しかし、それだけではない。カインの攻撃がこれほどまでに空振りしてしまうのは、別の理由もあった。

『ハァ……ハァ……』

 肩を上下に揺らし、大きく呼吸が乱れる。少し動いただけでも、すぐに息が上がってしまった。
 身体が重い。まるで鉛がのしかかっているかのような重み。自然と汗が溢れ出し、動きを止めても乱れた呼吸は収まりそうにない。

『クッ……』

 カインは拳を握る。瞬間的に焼けるような痛みが走った。

 カインの攻撃が止んだ事を確認したシェイミが、即座に反撃をしてきた。
 近距離攻撃がギリギリ不向きなこの距離を、詰める事なく“エナジーボール”を放つ。無駄のない動きで身体を動かし、カインはその攻撃を回避した。
 腕の痛みと身体の重みに気を取られかけていたカインだったが、もう一度 集中し直す。腕の痛みなどを気にしている場合ではない。集中しなければ。そう自分に言い聞かせ、カインは攻撃を再会した。

「カイン……?」

 ハイクは異変を感じていた。直前までカインに指示を出し続けていたのだが、思わずそれも止まってしまう。
 カインの動きが重い。レジロックやウルガモスとバトルした時を思い出すと、それは明らかだ。まるで何かに阻まれているかのような、そんな気がする。体調が悪いのだろうか。

『あの、ハイクさん。カインさん、何か様子が変じゃないですか……? 動きが鈍いって言うか……』
「……ヴォルも気づいていたのか」

 ヴォルにそう言われ、ハイクはますます心配になった。
 やはり自分の見間違えなどではない。カインはどこか具合が悪いのだ。

 無理をして戦っている。いや、自分が戦わせてしまったのか。そう考えると、ハイクの心臓の鼓動は自然と早くなる。焦りさえも感じてくる。
 それにしても、カインはいつから調子が悪かったのだろうか。

『ッ! ハイクさん! カインさんの腕、見て下さい!』
「カインの……腕……?」

 ヴォルにそう指摘され、ハイクは遠目ではあるがカインの腕を吟味してみる。“ドラゴンクロー”を放ち、シェイミと戦っている彼の腕。その手の甲にあたる部分が、赤く腫れ上がっていて――。

「……ッ!」

 ハイクは目を見開いた。思わず数歩後ずさりしてしまい、言葉も出てこなくなる。
 彼の思考は巡りに巡り、やがてぐちゃぐちゃに混乱してくる。ただ一つだけ直感できたのは、自分が犯してしまった‘誤ち’。

「やけ……ど……」

 カインの腕。赤く腫れ上がったその手の甲は、火傷を負っていた。一見地味にも見えるが、かなり厄介な怪我だ。ヒリヒリと痛む鈍痛により、肉体的にも精神的にもジワジワと体力を持って行かれてしまう。それだけでなく、その腕の痛みの影響で直接的な攻撃では思うように威力を発揮できなくなる。

 カインの動きが重くなっていたのは、火傷が原因だった。彼の場合、腕の痛みと言うよりもこれまで失ってしまった体力の影響の方が、ここまでバトルに支障をきたしているのだろう。これまで無理をしてきたのだろうか。

 カインがいつ、あんな火傷を負ってしまったのか。ハイクには一つ心辺りがあった。
 片手で頭を抱え、あの瞬間の事を思い浮かべる。自分でも驚くほどに、その情景は鮮明に脳裏に映し出された。

 カナズミシティに訪れるや否や、突然襲いかかってきたポケモン。何の躊躇もなく、バスに攻撃を仕掛けてきた、あのポケモン。

 たいようポケモン、ウルガモス。

「ウルガモスの、特性は……“ほのおのからだ”……? そんな……」

 心辺りが鮮明に思い出されるからこそ、ハイクの心は罪悪感で溢れてくる。ちょっと考えれば分かる事だったのに、なぜ自分はそうしなかったのか。
 ウルガモスの纏う鱗粉は、火の粉のように高温を保っている。当然、接近して攻撃すれば、その鱗粉を受けて火傷をしてしまう事だってあるだろう。

 あの時、フレイを助ける為にカインはウルガモスに“ドラゴンクロー”で攻撃した為、火傷を負ってしまったのだ。にも関わらず、自分はカインの火傷には気づかず、今もこうしてバトルに投じてしまっている。
 ジムがテロ組織の襲撃を受けたと聞き、ハイクは焦っていた。ポケモンが利用され、傷ついていると知り、周りが見えなくなっていた。そんな自分が今、このような結果を招いてしまっている。自分の判断のせいで、大切な仲間が苦しんでいる。

 ハイクのせいで、カインは――。

「くそっ……! バカか俺は……どうして気づかなかったんだ……!」

 抑えた片手でぐしゃぐしゃに頭を掻きむしり、自分の行いを悔やむ。しかし、今更どう悔やんでも遅い。そんな事をしている暇があるならば、この状況を打開する策を考えるべきだ。
 過ぎた事をいつまでも悔やんでも仕方ない。前を向かなければ、先には進めない。分かっている。そんな事は、分かっている。分かっているつもりなのだけれど、とめどなく溢れる後悔の念が強すぎて、それが枷のようにハイクを縛り付ける。
 ハイクは息が詰まっていた。

『な、なんとかしてあげられないのでしょうか……?』

 ハイクを見上げたヴォルが、心配そうな口調でそう尋ねる。
 火傷を負い、それでも戦うカインも心配だが、こうして苦悩しているハイクも心配だ。自分の犯した誤ちを悔やみ、それに打ちひしがれそうになっている。
 ハイクは悪くない。そう思っているからこそ、ヴォルの思いも強くなる。
 これ以上、ハイクに思い悩んで欲しくない。

『あたしの“いやしのすず”なら治してあげられると思うんだけど……』

 そんなハイク達にチリィがそう提案するが、どうも胸を張って自分の考えを提示できていない。彼女の心に、一つ引っかかる事があった。
 “いやしのすず”と言えば、ポケモンの攻撃で発生した毒や麻痺、火傷などの身体の異常を治療する事ができる、非常に強力な技だ。この技ならば、カインのあの火傷だろうとも直す事ができるだろう。

 しかし、この状況でその技を使用するのには、一つ問題があった。仮に技を発動できたとして、治療が終わるまでのその間に誰がシェイミの相手をするかと言う事だ。カインの火傷が直るまで、シェイミが何もせずに待っていてくれるなんて事は考えにくい。誰かが注意を引きつけなければならない。
 チリィがそれが気になっていた為、はっきりと提案できなかったのだ。

 彼らが悩んでいる間にも、カインのシェイミの攻防は続く。しかし、体力も限界に達しかけたカインが、シェイミの“エナジーボール”をモロに受けてしまっていた。致命傷は負っていないものの、大きく吹っ飛ばされてしまう。このままでは危ない。

『……それなら、ボクが注意を引きます! その隙に、チリィさんとハイクさんはカインさんの所へ向かって下さい!』
「ヴォル……! それは……!」

 誰かが注意を引きつけなければならない。そう察したヴォルが、躊躇なくその役割を買って出た。
 当然、ハイクはそれに反対しようとする。バトルに慣れていないヴォルでは、その役割はあまりにも危険すぎるのだ。

『ダメだよヴォルくん! 危ないよ!』
『でも……! このままじゃカインさんが危ないんです! 誰かがやらなきゃ……。ボクだって……戦えるんですっ!」

 そう言い残し、ヴォルは意に介さず飛び出して行ってしまった。カインが吹っ飛ばされた事で、シェイミと彼の間には大きく距離が空いている。そこにヴォルは割り込んだ。

 遠目からでも分かる。ヴォルは震えていた。本当は怖いはずだった。本当は逃げ出したいと、心のどこかで思っているはずだった。でもそれ以上に、誰かの力になりたいと言う思いが、強く前に出ていた。
 自分だって戦える。足でまといになんかなりたくない。守られる存在ではなく、守る存在になりたい。
 それこそが、ハイク達と共に行くと決めたあの時に、ヴォルが心に強く願った決心だった。

「チリィ行こう! カインを助けるんだ!」
『で、でもハイク! あれじゃヴォルくんが……!』
「……本当はヴォルだって怖いんだ。でもそれでも、あいつは必死になって戦おうとしてくれている。俺たちはそれを無駄にしない為にも、前に進まなきゃいけないんだ!」

 ハイクのその言葉を聞き、チリィの心も動かされる。チリィ連れ、ハイクはカインのもとへと向かった。
 急がなければ。ヴォルがシェイミにやられてしまう前に、カインを助け出す。

「カイン!」

 彼の名を叫んだハイクが、カインへと駆け寄った。
 片膝を付き、荒い呼吸を繰り返しているカイン。どうやらハイクの想像以上に、体力を失っているらしい。早く手当をしなければ。

『ハイク……?』
「……腕、見せてくれ』

 相変わらず呼吸の荒いカインの腕を持ち上げ、火傷の具合を確認する。
 処置をとらず、しばらく時間が経ってしまった為かその火傷はだいぶ酷い状態に見える。赤く腫れ上がったその腕は、見ているだけで痛々しい。この状態で今までバトルを行っていたのだと言うのだがら、かなり辛かっただろう。カインの口からはそんな弱音など出てこないが、今の彼の姿を見ていると何も言わずともそれは感じられた。

『待ってて。すぐに治してあげるから』

 そう声をかけたチリィが、ふわふわとカインの前まで移動する。目を瞑り、ゆらゆらと身体を揺らすと、心地よい音色が響き渡ってきた。揺れる彼女からはキラキラと金粉のように光が零れ出し、優しくカインを包み込む。
腕の火傷が、少しずつ消えていった。

『うわっ!』

 ドスンッと何かが激突したような音が聞こえたかと思うと、ヴォルは吹っ飛ばされていた。
 シェイミの攻撃の対象は完全にヴォルへと移っており、追撃を加えようと次の技の準備をしている。脇腹部分にシェイミの“ずつき”を受け、背中から地面に叩きつけられたヴォルは一瞬だけ気を失いかけた。それでもなんとか意識を保ち、起き上がる。

『うぅ……』

 震える身体をなんとか起き上がれせ、ヴォルはシェイミに視線を戻す。しかし目眩が起きているのか、彼の視線はかすれ始めていた。頭の中がクラクラと揺れ、一瞬遅れて嘔吐感までもがヴォルを襲う。
 シェイミの“ずつき”はヴォルの急所をギリギリ外れていたようだが、彼にとってその一撃は瀕死寸前にまで追い込まれる程の威力だった。

『(まずいぞ……これじゃ……)』

 チリィの“いやしのすず”を受けながらも、カインは内心焦っていた。
 ヴォルが戦っている。あの臆病だったヴォルが、カインの為に戦ってくれている。そんなヴォルを見ていると、居ても立ってもいられなくなる。ぐったりと重い身体を持ち上げ、カインは立ち上がろうとしていた。

 火傷の具合は、自分でもよく分かっているつもりだった。
 大した事ないと、そう思っていた。先に待ち受けているバトルを前に、ハイクに余計な不安をかけたくない。そう考え、彼はこのままバトルを乗り切ろうと思っていた。
 だが――、駄目だった。酷いありさまだった。自分の力を、過信し過ぎていたと言う事か。
 カインは遣る瀬無い気持ちが溢れてくるのを感じていた。結局、このまま成すべき事も果たすことができずに終わるのか。
 そんな事、認められる訳がない。そうだ、まだ終わっていない。ヴォルだってあんなに戦っているのに、自分は――。

『俺も……フレイの事をとやかく言える立場じゃない、か……』

 消え入るようなカインの呟きが合図となったかのように、チリィの音色が小さくなってゆく。カインを覆っていた光も次第に少なくなってゆき、やがて終を告げるように消えた。

『はい! どう、具合は? 火傷は治った?』

 チリィにそう尋ねられ、カインは自らの腕を顔の前まで持ってくる。何度か拳を開閉し、火傷の具合を確かめた。
 つい先ほどまで焼けるような痛みを放っていた手の甲だったが、しかし今は何の障害もなく拳を握る事ができる。痛みは完全に消えていた。

「大丈夫か、カイン!」

 血の引いたような表情をしたハイクが、慌てるようにカインの具合を確認する。カインは何も言わず、小さく頷いた。
 流石に体力は回復しなかったが、火傷は完全に治っていた。身体はまだ少し重いが、バトルは続行できる。いや、たとえ身体がバトルを拒んだとしても、彼は行かねばならなかった。

 カインが顔を上げると、苦しそうに震えるヴォルの姿が視野に入る。チリィが手当を終えるまでのこの時間を、ヴォルは守り抜いてくれた。
 そう、だからこそカインは戦わなければならない。ヴォルの努力を無駄にしない為にも、カインの力を信じてくれている人達の為にも、彼は意地でも前に突き進む。

『……ハイク』

 未だに心配そうに見つめるハイクに、カインは声をかける。

『チリィも、心配をかけてすまなかった。だがもう大丈夫だ。俺は戦う』
「でもカイン、本当に……」
「本当の本当に大丈夫だ。……安心しろ、ヴォルは俺が助ける。そしてあんたの願いも、俺が必ず成し遂げて見せる』

 俺の、願い……? と言いたげな視線をカインはその肌で感じた。あまりにも色々な事が起きすぎて、忘れてしまったのか。カインは苦笑し、さも当然のように口を開く。

『あのシェイミも、助けるんだろ?』

 気がつくと、狭まっていた視界が広がったような気がした。早まっていた心臓の鼓動も落ち着きを取り戻し、混乱気味だった思考も自然と整理されてゆく。
 カインのその言葉を聞いた瞬間、ハイクは目を覚ますように気づかされた。忘れてしまう所だった、大切な事。こんな、前しか見ないで突っ走っていた自分を、支えてくれている。掛け替えのない、仲間の思いを。

「あぁ……。決着をつけよう!」

 ハイクのその一筋の視線は、ただ一点だけを見つめていた。

absolute ( 2013/11/10(日) 08:28 )