ポケットモンスター デスティニー 〜憎しみを砕く絆〜 - 第2章:塗りつぶされる心
2‐6:接触


 気がつくと目の前は大量の砂埃が舞い上がっていた。
 クリーム色にも近いその砂埃が、靄のように自分達を包み込んでいる。一瞬前に響いた爆音の影響か、地鳴りにも似た音が未だに響き続いていた。

 何だ。何が起きた。あの爆音が轟く直前、カインが何かを言った気がする。あまりにも短すぎる時間だったので、良く聞き取れなかった。
 ハイクはゆっくりと目を開ける。自分の身体には、どこも痛みはない。少なくともあの爆発で致命的な怪我をしてしまった訳ではなさそうだ。砂埃が目に入り、思わず瞑ろうとしてしまうが、その衝動を無理矢理 抑制して彼は状況を確認しようとした。

 爆発の余韻が残る中、舞い上がった砂埃が微かに薄れてゆく。徐々に状況の全貌が見えてきた。
 ハイクの周りには、彼と同じく状況を掴めないレインやヴォル達。誰も怪我はしてないようだが、埃を多く吸い込んでしまったらしいノココが何度も咳き込んでしまっていた。

『ゲホッ……。うぇ……口の中が砂だらけだぞ……』

 ボソリとぼやくノココであったが、どうやら彼も無事なようだ。
 しかし、本当に何が起きたのだろうか。あの爆発音が響いた瞬間、爆風にも似た風圧にハイク達は襲われた。その直後に砂埃が舞い上がり、彼らの視界は閉ざされた。そこまでは何となく分かる。だが、何が原因でそんな事が起きたのか。肝心な事は はっきりとしないままだ。
 考えられる理由は、一つだけだが。

 レイン達の無事を確認した後、ハイクは後ろに振り返った。だいぶ埃が晴れてきた為、状況がはっきりと確認できる。右腕を前に突き出し、目を細めて何かを睨みつけているカインがそこにいた。

『……皆、怪我はないか?』

 薄暗闇に潜む何か から目を逸らさず、カインは確認する。ハイクが呼応したものの、彼は振り返る事もせずに油断なく警戒心を研ぎ澄ませていた。
 敵の奇襲攻撃が飛んできた瞬間、カインは直前で“エナジーボール”を放ち、その攻撃を相殺したのだ。もう少しでもカインの技の発動が遅れたのならば、爆発に巻き込まれていたかも知れない。危機一髪だった。

「な、何が起きたの……!? 気づかれた……?」

 埃を払うレインが、キョロキョロと見渡す。そんな彼女とは対照的に、ハイクは目の前の空間に釘付けになってしまっていた。それから放たれる強い圧迫感は、先ほどとは比べ物にならないほどだ。確かに、そこには何かがいる。強大な力を持つ、何かが――。

「……やはり来てしまったのね」

 不意に流れてくる声。薄暗闇の中から人影が現れた。
 まるで、ハイク達が突入してくる事を最初から予期していたかのような動き。その人物が一歩一歩前に踏み出す度に、徐々にその姿が鮮明になってゆく。
 その人物は紅いローブに身を包んでいた。薔薇の色にも似た、今にも暗闇に溶けてしまいそうな紅。深くフードを被った顔からでは表情を全く読み取る事ができず、自然と不気味さが増してゆく。

 ハイクは動けなくなってしまった。目の前で起きている出来事を、信じる事ができないのだ。
 自分達は、いつから敵の策略にはまっていたのだろうか。この部屋に入った直後――いや、ジムに入る直前から既に気づかれていたのかも知れない。
 迂闊だった。所詮 素人のハイク達では、テログループを出し抜く事など出来やしない。こうなる事は、初めから予想 出来たはずだ。

 敵と対峙し、ハイクは始めて実感した。
 自分達が立たされている、圧倒的に不利な状況を。

「あんたが……ジムを襲った奴か……!?」

 緊張の為か上手く呼吸する事ができず、息が詰まりそうになる。そんな中、ハイクは無理矢理 言葉を吐き出した。
 そんなハイクの声を聞いても紅ローブは微動だしない。何を考えているのかも、良く分からない。
 その人物からは感情すらも感じる事ができず、時間が経つ度にただ不気味さだけが増してゆく。ハイクは視線を逸らす事もできなくなってしまった。一瞬でも隙を見せたらそこで終わりだと、そう直感していた。

「は、ハイク大変! 囲まれちゃった……」

 レインが慌て口調でそう言った。それまで固まっていた視線を殆んど反射的を動かし、ハイクは周囲を確認する。
 二人の人物が、ハイク達の逃げ道を塞ぐように立っていた。彼らは茶色いローブを身にまとい、紅ローブのようにフードを深く被ってしまっている。誰も全くと言っていい程に表情が読み取れないが、突き刺さるような殺気だけは体全体で感じられる。
 ハイクの頬を、一筋の汗が流れた。絶体絶命の状況に直面し、自分達が窮地に立たされている事は十分に理解している。けれども、ハイクはまだ諦めていない。諦める訳にはいかないのだ。
 その思いはハイクだけでなく、レインも、カイン達も同じ事だった。

「……貴方達はここに来るべきではなかった」

 唐突に紅ローブが口を開く。急に何を言い出すのかとハイクは警戒していたが、その言葉の真意はイマイチ理解できなかった。
 何かを狙っているのだろうか。ハイク達を油断させておいて、一気に叩くつもりなのか。何にせよ、これ以上敵の策略に易々とはまる訳にはいかない。これ以上 状況が悪くなってしまったら、終わりだ。

「大人しくしていれば、これ以上苦しまずに済んだかも知れないのに。これ以上 辛い思いもしなかったかも知れないのに。貴方達は行動を起こしてしまった。貴方達は自分の意思で、苦境に足を踏み入れてしまったのよ」
「一体、何の事を言ってるんだ……!」

 ハイクが声を上げるが、それでも紅ローブは喋り続ける。その口調から女性だと言う事が分かるのだが、だからと言って警戒心を解く理由にはならない。だが、淡々と喋り続ける様とは裏腹にその言葉には妙に引っかかる所があった。
 ハイク達を惑わせようとしている。そう言い切るには少し不十分なのではないのだろうか。なぜだかそう思えてしまうのだ。それとも、これは敵の巧妙な話術なのだろうか。

「もし、今すぐにここから立ち去り、これ以上 私達の邪魔をしないと言うのならば……。命だけは見逃してあげる」

 紅ローブが言い放った言葉を前にして、ハイクはますます困惑した。
 これ以上邪魔をしなければ命は見逃す。これほどまでに優位な状況にいながらも、後々自分達の脅威となり得るかも知れない種を、取り除く事すらしないと言うのだろうか。
 何を考えているのか、まるで見当がつかない。

「……嫌だと言ったら?」
「ここで消えてもらう……」

ハイクは息を呑んだ。このまま逃げれば命は助かる。しかしその条件を否定すれば、この圧倒的に不利な状況での戦いを強いられてしまう。今ここで条件を呑めば、少なくともレイン達を危険な目に合わす事はないだろう。
 ハイクはおもむろに後ろを振り向く。そこにあるのはレインやヴォル達の姿。しかしもっと遠い場所に、人質の姿が見て取れた。絶望的な雰囲気の中、突然起きた大きな事態に皆が注目している。そんな中でも、ハイク達の姿を見て微かな希望を見出しているようにも感じられた。

 そんな彼らの姿を見て、ハイクは確信する。自分達はここで逃げる訳にはいかない。助けを待っている人達がいるなら、その期待に何としてでも答えたい。誰かを犠牲にして自分達が助かっても、何も残らないのだ。

「……ハイク」

 レインが彼の名を呼ぶ。ハイクが顔を向けると、丁度 視線がぶつかった。
 小さく頷くレイン。彼女の思いも、ハイクのそれと合致しているようだ。その頷きと瞳を見ただけで、それが感じられた。

『……ハイク。あんたが気に病む必要はない。例えどんな意思だろうと、俺はあんたに従う』

 紅ローブを睨みつけ、腕を突き出した状態のままでカインが口を開いた。迷うハイクの背中を押してくれているような、そんな思い。注意を払っている為 振り向く事はしないが、カインは続ける。

『信じているからな』

 気がつくとハイクの中から迷いは消えていた。最初から迷う必要などなかった。
 ハイクは一人じゃない。信じてくれる仲間がいる。誰もハイクを、否定しようとはしなかった。

 ハイクは紅ローブに視線を戻す。相変わらず伸し掛る圧迫感を押し退け、自分の意思を表明した。

「俺達は逃げない! ここで退く訳にはいかないんだ!」

 自分だって、全く恐怖を感じないと言えば嘘になる。普段するトレーナーとのポケモンバトルとは訳が違う。下手をすれば命に関わる、危険なバトル。だが、それはポケモン達もトレーナも同じ事だ。
 恐怖心を感じているからと言って、退く訳にはいかない。前に進まなければ、いつまで経っても何も解決しないままなのだ。

「……そう。それは残念ね」

 紅ローブは落胆したように肩を落とす。ここは薄暗いはずなのに、フードを被っていても少しだけ見える彼女の口元に、深く影がおりたように感じられた。
 紅ローブは腕を上げる。ゆっくりと、しかし躊躇は一切感じられない。誰かに指示を出そうとしているのだろうか。いや、仮定など必要ない。紅ローブの行動は、確実に危害を加える為のものだ。カインの警戒心が、より一層高まる。

 紅ローブの腕が完全に静止した、その瞬間。再び‘そのポケモン’は姿を現した。

 紅ローブの背後に置かれている岩の影から、そのポケモンは信じられない跳躍力で飛び出してくる。身体は小さく、薄暗闇と言う事もあって何のポケモンなのかは遠目からではよく分からない。だがそのポケモンを見た瞬間、一つ確信できる事があった。
 先程から感じていた、あの圧迫感。それを放っていたのは、間違いなく――

『来るぞ!』

 カインがそう叫んだ刹那、跳躍したポケモンは空中で身を翻し猛スピードで突っ込んできた。
 まるで何もない空間を蹴り飛ばしたかのような行動。ハイクは一瞬目を疑うが、勿論そんな事ができる訳がない。おそらくあれは“おいかぜ”と呼ばれる技を利用した攻撃だ。激しく吹き荒れる風の渦を作り、自らの移動速度を補助する技ではあるが、それを応用してこんな芸当をしてのけるとは。
 落下する力も利用してこのまま勢いよく“ずつき”を仕掛けるつもりらしいが、攻撃のトリックが分かった以上 いつまでも躊躇している訳にはいかない。迎撃しなければ。

「カイン、“エナジーボール”だ!」

 ハイクは咄嗟にカインに指示を出した。
 緑色のエネルギーを突き出した右腕に集中させ、球状に変化させたそれを発射する。まっすぐ突っ込んでくるそのポケモンに“エナジーボール”を当てるのは、取り分け難しい事ではなかった。
 先ほどとは異なり、少し余裕を持って攻撃を阻止する事に成功した。再び爆発が起こり、砂埃が舞う。

『や、やっつけたんでしょうか……?』
『いや、まだだな。この程度で倒せる訳が……』

 ヴォルの問いにカインが答えようとした瞬間、背後からモンスターボールが展開するような音が響いた。ハイクが振り向くと、逃げ道を塞いでいた二人の茶ローブが、それぞれポケモンを繰り出していた。
 どちらもホウエン地方では見かけない、草タイプのポケモン。身体中が植物のツルで覆われ、顔と思しき部分からは丸い目だけを覗かせるポケモン、モジャンボ。刺で覆われた鋼の身体から、先端にも刺のある三本の触手を伸ばすポケモン、ナットレイ。どちらのポケモンも殺気立った瞳をハイク達に向けており、威嚇するようにうめき声を上げていた。

 ポケモンを所持する人物の数だけでも、二対三。これは非常に危険な状況だ。相手はテログループ。一般のトレーナーとは、考え方そのものが違う。ポケモン達を利用して悪事を働くことなど、微塵も厭わないのだろう。このまま生身のトレーナー自身を、ポケモン達に襲わせる可能性も十分にある。
 一瞬の迷いが、命取りになる事だってあり得るのだ。

「ハイク達は紅い人をお願い! 私達は茶色い二人と戦う!」
「……分かった。レイン、頼む!」

 やり取りを手短に済ませ、ハイクは紅ローブに向き直る。先ほどと比べて爆発が弱かった為、舞い上がる砂埃は少ない。完全に視界を奪われた訳ではなく、その不気味な紅はしっかりと視覚できた。

『あ、あの……。レインさん、一人で大丈夫なんでしょうか……? 二対一じゃ……」
「レインはダブルバトルが得意だから、大丈夫だとは思うけど……。いや、絶対に大丈夫だ。今はあいつを信じよう。それに、いざとなったら……」

 自分が囮になる。そう言いかけて、ハイクはそこで口を塞いだ。彼の脳裏に、先ほどのカインの姿が映思い浮かぶ。再会してから、ハイクに始めて見せた焦りの表情。それがはっきりと映し出される。
 そうだ。これ以上、彼らに心配をかけるのも悪い。無謀な考えは控えた方がいいのかも知れない。それに、レインのトレーナーとしてのスキルは決して低い訳ではない。
 彼女の実力を疑っている訳ではない。疑う要素などどこにもない。今は、彼女達を信じるしかないのだ。

 ハイクはチラリとレインに視線を向ける。いつにも増して真剣な眼差しで、レインは茶ローブ達を見据えていた。

「よーし。ルクス、ノココ! 行くよっ!」

 レインの掛け声に続いて、ルクス達も鳴き声を上げた。
 彼らのコンディションも悪くはない。ノココに関しては、さっきのバトルの疲れなど、少しも表情に表していなかった。寧ろあの時よりも士気が高まっているようにも見える。

「(大丈夫。大丈夫だ。今はバトルに集中しないと……)」

 意を決したハイクは、紅ローブに視線を戻す。溜め込んだ息を大きく吐き出し、集中力を高めようと試みた。

 気がつくと、砂埃はすっかり晴れていた。まるで何事もなかったかのように、そこは静寂を保っている。
 そんな中、そのポケモンは佇んでいた。その小さな身体からは信じられない程の威圧感を放ち、カインの放った“エナジーボール”を受けたのにも関わらず、ケロッとしている。
 四足歩行のポケモンだった。前脚、後ろ足は共に短く、地面で勢いよく走るのは苦手そうな体つきに見える。しかし、先ほどの驚異的な跳躍力を考えると、そうとも言い切れない。見た目だけで能力を判断するのは、避けた方が良さそうだ。
 草原を彷彿させるような背中。頭部付近には、ピンク色の花が左右に一つずつ。とてもじゃないが好戦的なポケモンには見えない。可憐な見た目とは裏腹に、そのポケモンから醸し出される異様なまでの威圧感は、かなり奇妙なものに感じられた。

 かんしゃポケモン、『シェイミ』。ホウエン地方で見かける事はまずない、非常に珍しいポケモン。ハイクでさえも、こうして見たのは初めてだ。最も、今はじっくりと観察をしている時間はないが。

『……やはりあのポケモンが奴らの切り札のようだな。外にいた奴らとは訳が違う』
「あぁ……。でも何としても止めないと……。あのシェイミだって、本当はこんな事なんか……」

 ハイクがそう言い終わる直前、彼はとある事に気がついた。
 シェイミに目を奪われていたが、そのポケモンの背後に立っていた人物。紅ローブの女性が、懐から奇妙な物体を取り出していた。
 モンスターボールよりも一回りほど大きい球状の何かである事は分かったが、それが何の為に使う物なのかは見当もつかない。しかし、テログループである人物の考える事だ。いくら警戒しても足りないくらいだろう。

 カチッと音を立てて紅ローブはその球体のスイッチを押す。その後、それは無造作に投げ捨てられた。
 コンっと一度バウンドした後、それはコロコロと転がり始める。ただ一直線に、シェイミのもとへと転がっていく。

「なんだ……?」

 ハイクが思わずそう零した、次の瞬間。その球体から、ガス状の何かが噴出された。

「なっ……!?」
『な、何ですかこれ!?』

 それは一瞬のうちに広範囲に広がり、ハイクもシェイミも紅ローブも、たやすく包み込んでゆく。気づかぬ内にそのガスを吸い込むと、ハイクはむせてしまった。顔を背けたるなろうような匂いが、ハイクの鼻をつく。

「(なんだこれ……! 焦げ臭い……?)」

 一体何をされたのか。むせてしまった事以外は、取り分け身体に変化はないように思える。まさかポケモンだけに効く毒素なのかと思い、ヴォルの様子を伺ってみたものの、やはり彼にも変化はない。それなら、一体なんの為に?

「(あれ……?)」

 ふと気がつくと、ハイクを取り巻いていたそのガスはいつの間にか晴れていた。ハイクが状況を確認していたその瞬間に、ガスは彼らの元から離れていく。

「(いや、違う……)」

 違う。何かが、違う。殆んど無風のこの室内で、ガスがあのような動きをするとは考えられない。まるで、何かに吸い込まれるような――。

「っ!?」

 突然、ガスの動きが加速した。強風が発生した訳ではない。ただガスだけが渦巻くように回転を始め、何かに吸い込まれていく。汚れた大気が、急速に澄んでゆく。ハイク達の視線は、ガスが流れゆくもとへと集中する。

 渦巻くガスの中心にいたのは、あのシェイミだった。ガスを吸い込んでいるのは、紛れもなくあのシェイミ。まるで吸引力の強い掃除機のように、次々とガスは吸い込まれる。

 やがて、全てのガスがシェイミのもとへ収束し、吸収された。

「なにを……するつもりだ……?」

 ハイクはシェイミの生態についてはよく知らない。そもそもシェイミを見たのも始めてなのだ。当然、バトルをした事もない。このような現象を見たのも始めてだ。

 シェイミの頭部の花が、ピンク色から紫色へと変色してゆく。その間、警戒したカインも迂闊に動く事はできなかった。彼だって、これまでシェイミとまみえた事はない。その為、そのポケモンの行う未知の行動を前にして、いつも以上に警戒してしまう。

 ガスを吸収したシェイミが、閉じられていた自らの瞳を開いた。紅く光るその瞳から鋭い眼光が放たれ、ハイク達を睨みつける。

 ――それが起きたのは、その次の瞬間だった。

「……“シードフレア”」

 一瞬、シェイミから衝撃波のようなものが放たれたかと思うと、強大な爆発が発生した。
 紅ローブの言葉を聞き取り、それを理解する余裕さえもない。一瞬の出来事。さっきの奇襲攻撃のように、カインが防げるような攻撃とは違う。シェイミを中心に広範囲に広がる爆発を、防ぐ手立てはなかった。

『ヴォル、ハイクッ!』

 カインが叫ぶが、もう遅い。この距離からでは、ハイク達のもとへと辿り着く事すら不可能だろう。
 それでも、カインは手を伸ばす。例え届かぬと分かっていたとしても、諦める訳にはいかない。こんな所で、諦めてたまるか。
 けれでもその瞬間。ハイク達の前に、小さな何かが割り込んできて――。

 ――先ほどの爆発の更に上をゆく轟音が響き渡り、ジム全体が大きく揺れた。全く反応が出来なかったハイク達を、爆発は呑み込み、容易くかき消す――。

「……あ、れ……?」

 爆発がハイクに襲いかかり、彼を飲み込もうとした直前。何かに妨げられるように爆発は進路を変え、ハイク達を呑み込むに至らなかった。強風だけが彼らを襲い、身体の小さなヴォルは吹き飛ばされそうになってしまう。それでも踏ん張り、耐え凌いだ。

 やがて爆発は収まるが、ハイクもヴォルも何が起きたのか理解できず、キョトンとしてしまっていた。
 何かしらのポケモンの技であの爆発、“シードフレア”は防がれたように見えたのだが、目の前で起きた現象にイマイチ実感を持てない。
 一瞬で死の直面にまで立たされ、しかしこうして生き残っている。あまりにも状況の変化が著しすぎて、ハイクの思考は追いついていなかった。

『ほらハイク! ボンヤリしないっ!』

 そんなハイクの目の前に、一匹のポケモンが現れた。
 ふわふわと宙に浮かんでおり、風鈴のような姿をしたその身体の大きさはかなり小さい。その姿の通り ふうりんポケモンとも称されているポケモン、チリーンだった。

 あの爆発がハイク達に届く瞬間、素早く回り込んだこのチリーンが、“まもる”を使ってくれたのだろう。どんな攻撃でも、一度だけ防ぐ事のできる技。成程、爆発の進路が何かに妨げられたように見えたのはその為か。

「チリィ……! どうしてお前が……」

 チリィと呼ばれたそのチリーンを見て、ハイクは意外そうな表情をしていた。
 勿論、チリィはハイクの手持ちポケモンではない。レインのポケモン一匹、それもボールの中に入ったままであったはずのポケモンだ。そんなチリィが、なぜハイク達を爆発から守る事ができたのだろうか。

『レインに頼まれたの。いざという時はハイクを守ってって!』
「レインが……?」

 ハイクはレインの方へと視線を向ける。ルクスとノココに指示を出し、二人のトレーナーと戦っているレインの後ろ姿がそこにあった。

「(そうか……)」

 心配されていたのは、自分の方だったと言う事か。
 自分でも何となく自覚はしているこの癖。ポケモンの事になると、周りが見えなくなってしまう。自分でも気がつかない内に、危険に身を投じてしまう事もあった。
 そんな癖のせいもあって、レインに余計な心配をかけてしまったのか。そう考えていると、申し訳ない思いでいっぱいになる。
 ハイクは深呼吸して、気持ちを落ち着かせる事にした。そう、こんな時だからこそ、落ち着かなければならない。周りが見えなくなって、自分じゃない他の誰かを巻き込む事になってしまうなど、絶対に駄目だ。

 二度の爆発で舞い上がった砂埃で汚れた上着を何度か叩き、落ち着いたハイクは顔を上げる。

「ありがとう、チリィ。お陰で助かった」

 ふわふわと揺れるチリィにお礼を言うと、笑顔で返してくれた。
 バトルにおいて相手に攻撃をするのは苦手なチリィだが、こうしてサポートする事に長けている。チリィがいなかったら、今頃 自分達はあの爆発に巻き込まれていただろう。もしもそうなっていたら、ヘタをすれば命を落としていたかも知れない。その状況を想像すると、今になってヒヤッとした。

『みんな、無事だったか……!』

 一瞬の判断で大きく跳躍していたカインは、何とか難を逃れていた。ハイクの姿を確認すると、心底 安心したような表情を見せる。

『ハイク達は大丈夫! こっちに飛んできた攻撃はあたしが何とかするから、あなたはバトルに集中して!』

 一歩分ほど前に出たチリィが、小さな腕をパタパタと揺らしてそう答えた。それを聞いたカインは、再び表情を引き締める。安心して一瞬だけ気が抜けそうになってしまったが、そこで気持ちを改めた。

『すまない。頼む』

 シェイミに向き直りつつも、カインは短く答えた。
 心強い仲間がいてくれて、カインは安心して任せる事ができる。これなら、バトルに集中する事ができる。
 今動けるポケモンの中で、あのシェイミと対等に戦えるのはカインだけだ。チリィを信じ、爆発をかわしたカインの判断は正解だったようだ。

 “シードフレア”の後の妙に澄んだ空気の中、目的を仕留めそこなったシェイミが不満そうに目を細めていた。

absolute ( 2013/11/03(日) 21:12 )