1‐4:ジュカインの意思
ハイクとジュカインのピンチに駆けつけ、的確な援護攻撃をしてくれたゴウカザル。そして、彼に指示を出していたトレーナー、レイン。彼女とハイクは、小さい頃からの友人、幼馴染だった。
住む町は違うものの、幼い頃にはトレーナーごっこだとかブリーダーごっこなどと言った遊びを、よく二人でやったものだ。
それから歳を重ねた現在は二人ともポケモントレーナーとなっており、ハイクにとってレインは幼馴染であると同時に、共にホウエンリーグのチャンピオンを目指した良きライバルでもあった。
彼女の歳は十五。幼さは残しているものの、また一枚子供の殻を破り、大人に一歩近づく年頃の少女だった。また、彼女のトレーナーとしての力量はかなりのもので、その実力はハイクにも匹敵するほど。本人はあまり自覚していないようだが、並のトレーナーを凌ぐのは確かである。
そんな少女が、座り込むハイクを心配そうな瞳で見つめている。大丈夫だとは言ったものの、ハイクの表情からは疲労の色が抜けていないようで、それがかえって心配をかけてしまっているようだ。
いつまでも心配をかけ続けるのも悪いので、ハイクは重い身体を持ち上げて立ち上がった。
「ホントに大丈夫?」
「あぁ。もう心配いらないよ。フレイ達とジュカインが助けてくれたから」
急に名前を呼ばれたゴウカザル、フレイは、プイッと恥ずかしそうにそっぽを向いた。
こう見えて、彼は意外と恥ずかしがり屋なのだ。特に褒められたりするのが苦手なようで、すぐにそっぽを向いてしまう。それは別に誰の前でも同じらしく、ハイクに慣れていないと言う訳ではないらしい。素直じゃないだけなのかも知れない。
『お〜い、フレイ? そんな風にそっぽ向いちゃダメだぞー? ちゃんと相手の目を見なきゃ』
『う、うるさいな、ルクス。しょうがないだろ。こう言うの苦手なんだから』
そんなフレイを見たルクスと呼ばれたサンダースが、茶化すように言った。対するフレイは、ルクスを横目にボソボソと言い返す。
こうして見ると、何気ない会話のように感じてしまうが、勿論普通ではない。それは、ハイクにしか聞こえてない声。ハイクでしかしっかりと確認できないやり取り。レインには聞こえてないだろう。
自分もよく知っているポケモンの声を聞くと言うのは、何とも新鮮なものである。
「もうっ、フレイってば……。あ、そう言えばそのジュカインどうしたの? ハイクのジュカインじゃないよね? 怪我してるみたいだけど……」
そっぽを向いたフレイに苦笑を零していたレインの視線は、今度はジュカインの方へ向けられる。レジロックの強烈な攻撃を受け、ジュカインの身体には生々しい傷が残っていた。
先ほど遠目で見た自分が思っていたよりもジュカインの怪我がひどかったらしく、レインは表情を曇らせる。
「レジロックに襲われそうになった俺を助けてくれて、それで……」
ハイクもジュカインに目を向ける。
自分の脚で立ててはいるものの、土埃で汚れた彼の身体は傷だらけで、特にレジロックに殴られた部分が赤く腫れ上がっており、そのダメージ量を物語っていた。
まだ息が切れているのを見ると、体力も回復しきっていないようだ。ダメージを受けた身体で何度も“エナジーボール”を放ったのが、良くなかったらしい。
ジュカインは難なく熟していたが、“エナジーボール”はかなりの集中力を必要とする技だ。その為、肉体的とは別に精神的な疲労が蓄積してしまう。一度や二度使うくらいじゃ問題ないが、あんな風にボロボロの身体で無理に連発してしまうと、それ相応の体力が持って行かれてしまうのだ。ジュカインの体力が回復するには、もう少し時間がかかりそうだった。
『……俺の身体、なら大丈夫だ。あんたを助けた……のも、たまたまこの町の近くにまで、来たからだ……。これ以上、ポケモンである俺が……こんな町中に、いる訳にはいかない……』
息を切らてそう言いながらも、ジュカインはズルズルと歩き出す。怪我とのしかかる疲労感のせいで、歩くと言うよりも身体を引きずるような形なってしまう。一歩一歩踏みだす足にも力強さが感じられず、倒れてしまうのではないかと思うくらい危なっかしい。彼はまさに満身創痍だった。
ジュカインがまた口を開く。
『もう、行かせてもらうぞ……』
その言葉の意味を理解するのに、そう時間は必要としなかった。あまりに無茶すぎる彼の意思に、ハイクは驚愕する。一瞬思考が止まりかけたが、ハイクは判断する。そんな事を許す訳にはいかない。
ジュカインの進行方向に回り込み、彼の動きを制した。
「ちょっと待ってくれ。そんな身体でどこに行くつもりだよ」
『……言っただろ。今の俺はトレーナーのポケモン、じゃない……。ここにいる、べきじゃ、ない……』
「そんなの関係ないだろ! 怪我だってしてるじゃないか! もっと……自分の身体を大切にしろ。……カイン」
『……ッ!』
カイン。その名前にジュカインがあからさまに反応する。言葉を紡ぎ出す事ができないジュカインの沈黙が、彼の驚きを表していた。
思わずむきになってしまったハイクだが、そこで呼吸を整える。
今、目の前にいるジュカインは、ハイクにとってただのジュカインではない。
「え? え? な、なに? どういう事? は、ハイク、一体誰としゃべって……。それに、カインって……」
ハイクとジュカインのやり取りを見て、混乱したレインはその少年とジュカインの顔を交互に見比べる。オロオロと状況の理解に苦しんでいる様子が、はっきり見て取れた。
当たり前だ。彼女にポケモンの声は届いてないのだ。混乱するのも無理はない。
そんなレインの言葉は、ハイクの耳には届いていなかったらしい。そのままボソリと、小さく呟いた。
「やっぱり、お前は父さんの……」
ジュカインと出会ってから、ずっと心の中で感じていた事。言葉では表せないような、懐かしい感じ。それが心を覆い尽くし、モヤモヤと気になって仕方なかったがこれで解消された。ハイクの中に確かに存在する、あの記憶。それが鮮明に思い出された。
彼の憶測が、確信へと変わる。
ハイクの、家族の一員でもあったポケモン。ある日を境に、ハイクの前から姿を消してしまった、あのポケモン。右目に酷い傷を負っていたので、よく覚えている。それは、もりトカゲポケモンに分類されるキモリと言う名のポケモンだった。
キモリが成長し、進化したのがジュカインと言う種類のポケモンだ。つまり、今 目の前にいるこのジュカインは、あのキモリが進化した姿と言う事になる。
右目の傷とカインと言う名前が、それを証明していた。
「お〜い、君たち!」
ハイク達がそんなやり取りをしていると、彼らを呼ぶ声が聞こえてきた。
その方向へと目をやると、走ってきたのは一人の男性。歳は中年の域に達しているだろうか。短めの髪は真ん中で分けられており、顔には顎鬚を生やしている。紺色のシャツに丈の長い白衣を羽織っているが、オーリブ色の短パンにサンダルと、外出するには少しだらしない格好をしていた。
履いてるのがサンダルなだけあって、非常に走りづらそうだ。その姿だけを見ると、どこにでもいそうな中年の男性に見える。だが、彼はだたのオッサンではない。
「あ、オダマキ博士」
走ってくるその男性を見て、レインがそう言った。
そう、彼の名はオダマキ。ここミシロタウンに研究所を持っている、俗に言うポケモン博士だ。ポケモンの生態などと言ったものを専門的に研究しており、多くの実績を残している事から、有名なポケモン博士の一人であった。ホウエン地方のポケモン研究者なら、彼の名を知らない者はいないだろう。
また、ポケモントレーナーやブリーダーなどへのサポートも多く行っており、ハイクとレインもまた、彼にお世話になった事もあった。ハイクが昨日、健康診断の為にポケモンを預けたのも、このオダマキ博士だ。ミシロタウンに住むハイクは、オダマキ博士との交流関係もなかなか深い。その為、今回の健康診断は、このオダマキ博士にお願いする事にしたのだ。
そんなポケモン博士が、急ぎ足でこの公園までやって来た。十中八九、さっきの騒ぎを聞きつけた為だろう。ポケモンを専門に研究している博士だけであって、この緊急事態に居ても立っても居られなくなったのだろう、とハイクは想像する。
「ハイク君に、レインちゃんも一緒だったのか! レジロックが暴れまわっていると聞いてとんできたんだけど……。ひょっとして、君たちが追い返してくれたのかい?」
「ま、まぁ……。俺はほとんど何もしてませんけど……」
オダマキ博士の質問に対し、ハイクは申し訳なさそうに答えた。
チャンピオンであるはずの自分が、守られてばかりで何もできなかった。そればかりか、ジュカインに怪我をさせてしまった。その事実がハイクに刺さり、彼の表情を曇らせる。
自分がしっかりしなければならなかった。もっと早く、的確にあの状況を呑み込めていれば、自分がしっかりと指示を出せてさえすれば、もっと安全に切り抜けられたかもし知れないのに。ジュカインに、こんな怪我をさせずに済んだかも知れないのに。
「……でも、君たちのお陰で被害があんまり広がらなかったみたいで、助かったよ。怪我は無かったかい?……と、そうでもないみたいだね……」
曇ったハイクの表情をみて、何かを察してくれたのか、オダマキ博士が話を進めてくれた。
そしてハイクの横にいたジュカインを見て、語尾を詰まらせる。
オダマキ博士はジュカインの怪我の様子を伺った。ポケモンの健康診断も引き受けてくれるだけあって、彼はポケモンの医学ついても研究をしている。流石に医学だけを専門に研究している人には敵わないが、それでもバトルでの怪我を見る程度には十分過ぎる程の知識量を持ち合わせていた。
そこは流石と言った所か。オダマキ博士は、ジュカインを見てすぐに状態を理解したようだ。
「こいつは酷い……。レジロックにやられたのかい?」
「はい……」
ハイクは俯いたままでそう答えた。
「骨までは折れてないみたいだが……、肉体的にも精神的にも大きな疲労が見られる。かなり無茶な戦い方をしたみただね。でもこのジュカインもかなり鍛錬を積み重ねているみたいだし……そんな彼をここまで追い詰めたレジロックは、どれほどの力を持っていたんだ……? タイプの相性も、ジュカインの方が有利なはずなのに……。いずれにしても、早く怪我の手当をして上げた方がよさそうだね」
何かブツブツと言っていたオダマキ博士だったが、最後にそう結論づけた。
それにはハイクも賛成だった。何を気にしているのか、ジュカインはこのままミシロタウンから立ち去ろうなどとしていたが、こんな怪我ではそのような事をさせる訳にはいかない。このまま放っておけば、最悪の場合、死んでしまうかもしれない。そんな事、絶対に駄目だ。
「よし、ジュカインを研究所まで連れて行こう。あそこなら、役に立つものが揃っている。この怪我もきっと治せるはずだよ」
オダマキ博士のその提案は、ハイクにとって非常にありがたいものだった。
ポケモン達の怪我や病気を診てもらう場所として、ポケモンセンターと呼ばれる施設がある。なんとそこはポケモン治療を無料で引き受けてくれる、大変便利な施設である。
ポケモンを治療してくれるだけではなく、ポケモンセンターには宿泊部屋や食事場所などと言った旅するトレーナーをサポートする設備も充実している。トレーナーのサポートを想定した施設だが、別にトレーナーでなくても利用は可能だ。だが、やはり利用者はトレーナーが多くなっているらしい。ポケモンリーグを目指す為に、ポケモンと共に旅をする人々が増えてきている証拠だった。
勿論、ミシロタウンにもポケモンセンターはあるにはある。ここ最近に建てられたばかりで、最新の設備が揃っているらしい。だが、建てられている場所がこの町の隅っこと言う事もあって、この場所からでは少し遠かったのだ。昨日、ハイクがこの公園を近道に使った事からも分かる通り、ここからではオダマキ博士の研究所の方が圧倒的に近い。今のこのジュカインはモンスターボールに入れて運ぶ事ができず、ここから遠いポケモンセンターに運ぶには、ジュカインから見てもハイク達から見ても厳しい所だった。
それが、オダマキ博士が研究所で治療をしてくれると言うのだ。厚かましいが、ジュカインの為にもオダマキ博士の言葉に甘える事にした。
「すいません、お願いします」
「いやいや、気にしなくてもいいよ。苦しんでいるポケモンを助けるのは、ポケモン博士と呼ばれる身として当然の行為だよ」
「それに……」とオダマキ博士は付け加える。
「ハイク君。丁度君を探していたんだ。どうしても伝えなきゃならない事がある。悪いけど、今すぐ一緒に研究所まで来てくれないかい?」
オダマキ博士の語調が、そこで急に切り替わった。先ほどまで、ハイクを安心させる為にも柔らかい語調で話していたのだが、そこで真剣なものに変わる。
話したい事とは、何の事なのだろうか。ハイクは気になったが、そもそも健康診断の為に預けたポケモン達を迎えに研究所に行くつもりだったのだ。それに、ジュカインの怪我の様子も心配だ。
ハイクに異論はなかった。
「あのっ、私も行っていいですか? ちょっとハイクに聞きたい事があって……。それに、ジュカインも心配ですし……」
ハイクとオダマキ博士の会話を聞いていたレインが、そう申し出た。
その表情を見ただけでも、本気でジュカインを心配してくれている事が分かる。そんな彼女の意思を、ハイクもオダマキ博士も否定しなかった。
「勿論いいとも。それじゃ、早く研究所に向かおう」
ハイクとレインはオダマキ博士と共に、研究所に向かう事になった。
足取りが覚束無いジュカインに肩を貸し、ハイクは歩く。その間、ジュカインは何も喋らなかったが、ハイクに対してどこか遠慮しているような気持ちが感じられた。
何も喋ってはいないが、このジュカインは何か大きなものを抱え込んでいる。それが枷となって、彼を縛り付けてしまっている。なぜだか分からないが、ハイクはそう感じてしまってならなかった。