1‐3:覚醒
ジュカインが喋った。
にわかには信じ難い状況。夢でも見ているのではないかと錯覚してしまう出来事。だが、偽りではない。これは事実だ。
ポケモンが、人間の言葉を喋ったのだ。
いくらチャンピオンのハイクと言えど、頭の整理が追いつかない。度肝を抜かれたハイクは、最早動く事もできなくなっていた。
「し、喋った……。人間の言葉を!?」
『ッ! ……あんた、俺の言っている事が分かるのか!?』
「へ!!?」
しかし対するジュカインはと言うと、思いもよらぬ反応を見せていた。明らかに動揺しているような表情をしており、目を細めて警戒しているようにも見える。未知の力を持つ目の前の少年に、若干の不信感を抱いてしまったのだろう。
何が何だか分からなくなり、思わずハイクは右手でゴシゴシと自分の頭を掻きむしる。
ジュカインが喋った。勿論、ハイクは驚く。しかし、驚いているのはハイクだけではなく、言葉が通じたと知ったジュカインもだった。
どうなっているのかさっぱり分からない。一度頭を整理する必要がある。
「ちょっと待ってくれ……。お前は、人間の言葉を話せるポケモンとかじゃないのか?」
『いや、違う。少なくとも、具体的な話の内容がはっきり伝わったのは、これが初めてだ』
「と、言うことは……」
こう結論づけるしかないだろう。
「俺がポケモンと会話ができるようになった、てことか……!?」
そう考えるしかないのだ。信じられない事だが、彼はポケモンの声が聞こえるようになってしまったのだ。
一体、何がどうなってしまったのだろう。なぜ急に、そんな事ができるようになってしまったのか。昨日までは自分の身体には何も異変はなかったはずだ。それなのに、あまりにも急過ぎる。
しかし、ハイクの心には何か引っかかるものが一つ。
「(やっぱり、あのNって奴が何か関係しているのか……?)」
この事件の事も、そしてハイクがポケモンの声を聞くことができるようになってしまった事も、あのNならば何か知っているのではないだろうか。どうやら彼は今日のこの事件を予期していたみたいだったし、何も知らない訳がない。真実を知りたいのなら、何としてももう一度彼に会うしかないだろう。
そんな事を考えている内に、レジロックが再び動き始めた。ジュカインが攻撃を加えたものの、まだ戦闘不能までには追い込まれてないらしい。重そうな身体をのっそりと持ち上げ、立ち上がった。
『……しぶとい奴だな』
立ち上がったレジロックを見たジュカインがそう言うと、彼は素早い動きでその岩の巨人に急接近した。ハイクも目で捉える事ができない程の凄まじいスピードで、これにはレジロックも反応できないだろう。そして自身の手首にある鋭い葉を上手く使い、レジロックを斬りつけた。これは“リーフブレード”と呼ばれている攻撃だった。その見た目の通り物理的な攻撃を繰り出す‘技’だ。その威力は使用するポケモンの筋力によって変化する。
技。ポケモン達の主な攻撃手段を、一般的にはそう呼ばれている。バトルにおけるトレーナーの指示の中で、最も基本的で最も重要な攻撃手段であった。
ジュカインの“リーフブレード”をモロに受けたレジロックは、大きく仰け反った。そこで大きな隙ができる。
この大きなチャンスを、ジュカインは決して逃さない。両腕の“リーフブレード”を使い、隙だらけになったレジロックの腹部を何度も斬りつけた。その度に、岩が砕けるような音が鳴り響く。
あのかなりの強度を持つレジロックに、この短時間でこれ程までのダメージを与えるとは。レジロックが岩タイプとの事もあり、このジュカインが放つ“リーフブレード”は、かなりの高威力という事になるだろう。
勿論、レジロックもただ黙って攻撃を受け続けている訳がない。目の前にいる煩わしいジュカインを排除しようと、腕を振り上げ殴りかかってきた。だが、ジュカインはその技、“アームハンマー”をバックステップで難なく避けると、そのまま距離を取った。
“アームハンマー”は高威力の格闘タイプ物理技だが、自らの素早さが減少してしまうデメリットを持つ。これまでのレジロックの動きを見る限り、元々の素早さもあまり高くないようだ。つまり、“アームハンマー”を使った事により現在のレジロックはかなりの鈍足になってしまっているだろう。このまま攻撃を当てるのも、そう難しくはない。
レジロックから距離を取ったジュカインは、自らの左手を突き出した。かなり慣れた要領でその左手一点に力を集中させ、それを実体化させる。綺麗な緑色をした球体が、そこに出現した。
『……はぁ!』
ジュカインは力を解放させ、その“エナジーボール”をレジロック向けて発射した。
俊敏な動きなどできない今のレジロックでは、かなりのスピードで飛んでゆく“エナジーボール”を避ける事はできない。
その技はレジロックに直撃し、強く発光すると“エナジーボール”は拡散した。
『グ……グォォ……』
うめき声を上げ、レジロックはよろめく。“リーフブレード”と“エナジーボール”を一点に受けた彼の腹部には、大きなヒビが入っていた。
“エナジーボール”は“リーフブレード”と違い、その威力はポケモンの筋力には影響しない。その代わり、ポケモン達が持つ超常的な力の影響を受け、威力が上下するのだ。このような技は特殊技と呼ばれている。
ジュカインの攻撃は、物理技だけでなく特殊技もかなりの攻撃力を誇っている。彼が相当な実力者だと言う事は、想像に難くないだろう。
「すごい……」
思わずハイクもそう言葉を漏らした。
一般的に岩タイプに分類されるレジロックは、草タイプの攻撃に弱い。ジュカインの“リーフブレード”や“エナジーボール”はレジロックには抜群のダメージを与える事ができるのだ。
だが、ハイクが驚いているのはそこではない。ジュカインの動きだ。
攻撃が可能な状況がつくられるとそこで的確に攻撃を行い、かと言って攻め込み過ぎず、適度に距離を取る。
トレーナーの指示なしで、このバトルのセンス。それにはただただ賛美せざるを得ない。
『とどめだ』
ジュカインはそう呟くと、再びレジロックに接近する。そして多くのダメージが蓄積したレジロックの腹部を、再び“リーフブレード”で斬り裂いた。
ジュカインの渾身の攻撃を受け、一瞬時間が止まったかのようにレジロックは動きを止める。その直後、レジロックは頭部の模様をチカチカと発光させたのを最後に、力尽きた。
ドスンと音を立てて仰向けに倒れ込み、発光していたレジロックの頭部の模様も光を失った。
倒したのだろうか。
「やった、のか?」
ハイクはレジロックを遠目で確認する。そのポケモンは、初めからそのにあった岩のように、ピクリとも動く気配すらない。さっきまで動いていたのが嘘のように、そのポケモンはそこに転がっていた。
『…………』
ジュカインもレジロックの戦闘不能を確認したらしく、攻撃態勢を解いた。肩の力を抜き、ふうっと息を吐き出す。警戒を解いたジュカインから感じられる雰囲気は、先ほどと比べて少し柔らかくなった気がした。
「ジュカイン……」
そんなジュカインに、ハイクは声をかける。
彼は、ジュカインに一つ確認したい事があった。それは、ハイクの中にぼんやりと残っている過去の記憶。
ハイクは、このジュカインを知っている。右目に大きな傷があるこのジュカインに、会った事がある。そう思い、けれども晴れないモヤモヤを解消する為に、ジュカインに聞いてみたかったのだ。彼が、ハイクの事を知っているのかどうかを。
しかしその瞬間、ジュカインは何かを感じ取ったかのようにピクっと反応を見せた。神経を集中させ、警戒する様子で辺りをキョロキョロと見渡す。
「ジュカイン?」
『……待て』
近づこうとしたハイクを、ジュカインは制する。
彼がチラリと視線を向けたのは、倒れているレジロックだった。
「どうかしたのか?」
ハイクが聞くが、何も言わずにジュカインはレジロックの様子を伺おうと少しづつ接近する。
目の前にあるそのポケモンは、先ほどと変わらず動き出すような気配はない。少なくともハイクにはそう見える。
だが、ジュカインは何かを感じ取ったのだろうか。再び警戒心を強め、慎重な足取りでレジロックに近づいてゆく。が、レジロックに変化はない。ジュカインの思い違いだったのだろうか。
その時、
『…………ッ!』
動かなくなったはずのレジロックが、弾かれるように起き上がった。
「なっ……!?」
思わずハイクは目を見開く。
倒したはず。ジュカインのあの連続攻撃で、レジロックは戦闘不能にまで追い込まれたはずだ。にも関わらず、レジロックは起き上がる。こんなにも早くダメージが回復するなど、有り得ない。起き上がれるはずなどないのだ。
『チィ……』
嫌な予感が的中してしまった。そんな風な表情をしたジュカインが、再び“リーフブレード”を構える。
起き上がったレジロックの頭部の模様が、不気味に紅く輝いた。
その次の瞬間。
それは、一瞬の出来事だった。
ガンッという音。ジュカインの身体に、瞬間的に走る激痛。何が起きたか分からぬままに、ジュカインは吹っ飛ばされていた。そしてそのまま、背中から地面に激突する。
『な、に……!?』
「ジュカイン!」
肺の中の空気が無理矢理吐き出され、むせながらも何が起きたか確認しようとする。
『(攻撃された? 奴に? だが、これほどまでのスピードが出せるなど……)』
今のは紛れもなくレジロックの攻撃だ。恐らく、“アームハンマー”だろう。しかし、これほどまでのスピードが出せるなど、有り得ない。一体、このレジロックのどこにこんな力があったのだろうか。
そうこうしている内に、レジロックは次の技を発動した。
レジロックが両腕を上げると、青白い光の輪が彼の身体を包む。その輪が強く発光したかと思うと、レジロックの周囲に多数の石が浮遊した。
『この技は……』
再びレジロックの模様が光り、浮遊していた多数の石がジュカイン向けて発射された。
『この程度……!』
“ストーンエッジ”と呼ばれる技だが、さっきの“アームハンマー”と比べると遠距離から放つこの技は避けやすい。ダメージを受けて動きが鈍くなったジュカインでも、難なく回避する事ができた。
そこで再びジュカインにチャンスが訪れる。“ストーンエッジ”を放つのに集中している今のレジロックは、すぐには次の技を発動できないはず。再び接近して攻撃を加える事も可能なはずだ。
“ストーンエッジ”軽く横に飛ぶ事で回避したジュカインは、瞬間的に判断する。着地時に身体のバネを利用して、一気に加速した。そのままレジロックに急接近する。しかし、その瞬間。
「駄目だジュカイン!」
何かに気づいたハイクは、声を張り上げてジュカインを止めようとする。しかし、攻撃を開始した今のジュカインには、ハイクのその言葉は耳に入ってこなかった。
いける。攻撃が届く。この攻撃が決まれば、今度こそ――。
『なん……だと……!?』
――ジュカインの“リーフブレード”は、空を斬っていた。彼のその剣は、ブゥンっと虚しく空振りする。
確かにジュカインの攻撃は当たっていた。当たっていたはずなのだ。そう、このレジロックが、ただのポケモンであったのなら。
ところが、レジロックは攻撃を避けていた。まるでジュカインの攻撃を予想していたような動きで、素早く身体を捻らせる。それだけではない。呆気にとられて硬直してしまったジュカインに、強烈な“アームハンマー”をお見舞いしたのだ。
無防備になった彼の腹部に、レジロックの豪腕が叩き込まれる。
『が……はぁっ……!』
攻撃を受け、ジュカインが苦痛のうめき声を上げる。さしずめ、さっきの攻撃のお返しと言った所か。レジロックの攻撃は、ジュカインの急所を捉えていた。
あまりの威力に、ジュカインは一瞬だけ意識が飛びかける。その隙に、レジロックはもう片方の拳でジュカインを殴りつけた。文字通り殴り飛ばされたジュカインは、ゴムボールのように大きく飛ばされてしまう。ハイクの足元の、数歩先。そこまで飛ばされ、ようやく止まる事ができた。
「ジュカイン!?」
それを見たハイクは、我慢しきれなくなってジュカインに駆け寄った。倒れているジュカインの所まで行き、苦しそうに唸る彼に呼びかける。
「ジュカイン、大丈夫!? 動けるか!?」
『クッ……。離れて、いろ……。奴は、普通じゃ……ない。あんたも、ここにいたら危険だぞ……』
「目の前に苦しんでいるポケモンがいるのに、放っとける訳ないだろ!」
今にも消えてしまいそうなジュカインの声を聞き、ハイクは必死になって答えた。
『ッ! ……まったく、お節介な……奴、だな……』
ハイクの言葉に答えてか、悲鳴を上げているだろうその身体を無理矢理動かし、ジュカインは立ち上がった。フラフラとおぼつかない足取りだが、それでもしっかりとレジロックを見据える。
「大丈夫、なのか?」
『……心配する、な。俺はまだ……戦える』
ジュカインはそう言っているものの、実際にはかなり無理をしているだろう。呼吸が荒く、肩を上下に揺らしてしまう程だ。そう長くは戦えない。早急にケリをつけなければならない。
『……さて、どうするか……?』
ダメージを受けた腹部を左腕で抑えたジュカインが、レジロックを睨めつけつつもそう呟く。まだ戦う意思を切らさないジュカインを見て、ハイクは決心する。ただバトルを見ているだけでは駄目だ。少しでも、ジュカインの力になりたい。何とかして有効な策を考えなければ。
「ジュカイン。あのレジロックだって、もう限界なはずなんだと思う。もう身体だって、動かせないはずなんだけど……。なぜだかアイツは、自分の身体の事なんてお構いなしに、限界を超えて動こうとしているように見える」
立ち上がったはいいものの、ジュカインはフラフラだ。策もなく突っ込んでも、また返り討ちにされてしまうだろう。この状況を優位にもっていけるような、何かきっかけが必要だ。
『あぁ。らしい、な……。俺の“リーフブレード”で、とどめを刺せたはず、なんだが……』
「そうだよ……。アイツは本来ならば、もう既瀕死状態になっていてもおかしくないはずだ! だからあと一回。あと一回でも攻撃を当てれば……」
『倒せる、か……。簡単に言って、くれるな……』
あと一度でも攻撃を当てれば倒せる。だが、ジュカインも限界なのは同じだ。それに、限界寸前のはずのレジロックは、なぜかさっきまでからは考えられない程のパワーとスピードを出している。理由は分からないが、常識では考えられない状況だと言う事は明白だろう。
一番の問題は、ジュカインが攻撃を当てられるのかと言うもの。
「来るぞ」
標的を倒し損なったレジロックが、もう一度ジュカインを睨みつける。頭の模様が不気味に紅く輝いているのを見ていると、ハイクは背筋がゾッとした。
『やるしかない、か……』
ジュカインは腕を上げ、レジロックに向けて“エナジーボール”を発射する。が、それも牽制程度にしかならない。今のレジロックにとって、そんな攻撃をかわす事など造作ないのだ。それでも間髪入れずに“エナジーボール”を放つが、結果は同じだった。
「やっぱり駄目か……」
これにはハイクも頭を抱える。
どうすればいい? 今の怪我をしたジュカインでは、接近戦は控えたほうがいい。仮にしようとしても、意地でもハイクは止めようとする。接近は危険だ。そんな事させる訳にはいかない。
だからと言って、遠距離攻撃も有効ではない。このまま“エナジーボール”を打ち続けても、ジュカインの体力が消耗してしまうだけだ。
「(くそっ……。俺は、何もできないのか?)」
問題が起きた。体力を消耗したジュカインが、一瞬だけ“エナジーボール”を緩めてしまったその隙に、レジロックに突破されてしまったのだ。このままでは、再びあの強力な“アームハンマー”を受けてしまう。そうなれば、確実に終わりだ。
『チィ……。ここまで、か……』
ジュカインの体力も残り少ない。これ以上、攻撃を連発する事はできない。
しかし、ハイクは諦めない。まだ、諦める訳にはいかないのだ。何か、何かいい方法があるはずだ。この状況を打破できる、きっかけが。
と、次の瞬間、ドゥォン! と言う爆発音と共に、レジロックの進行が妨げられた。ジュカインの攻撃ではない。外部からの一撃。レジロックの巨体が、グラリと揺れる。
「なんだ……!?」
直撃はしてないものの、レジロックの動きを止めるには十分過ぎるほどの威力。強い熱気が感じられる事から、それが“だいもんじ”という技だと分かった。だが、一体どこから?
「ハイクっ!」
少年を呼ぶ声。“だいもんじ”が飛んできたその方向を見ると、そこには二匹のポケモンと一人の少女が立っていた。
片方は、猿のような姿をしたポケモン。ゴウゴウと炎が燃えている頭が特徴的で、器用に後ろ脚を使って人間のように二足歩行をしている。かえんポケモン、その名はゴウカザル。
もう一匹の方は、四足歩行の小柄なポケモン。首元の毛は真っ白だが、それ以外の体毛は黄色い。その全身の毛を針のように逆立たせ、レジロックを威嚇しているこのポケモンは、かみなりポケモンのサンダースだ。
そして、そのポケモン達を連れた一人の少女。ミッドナイトブルーの長い髪を風になびかせ、まだ幼さを残した顔つきをしているものの、身体全体的は女性らしい丸みを帯びている。歳はハイクと同じくらいだろう。
明るい青の長袖の上着を羽織るハイクよりも小柄な少女を見て、彼は驚く。
「えっ……レイン!? どうして……」
「ハイク今だよ! 攻撃して!」
ハイクは彼女を知っていた。知らない訳がなかった。しかし彼女が今ここにいるはずがない。彼女はコトキタウンに住んでいるはずなのだ。なぜミシロタウンに来ているのだろう。
だが、今はそんな事はどうでもいい。
「ジュカイン! いっけぇぇ!」
『分かっている!』
少女が作ってくれたチャンスを、無駄にはできない。ジュカインは最後の力を振り絞り、渾身の“エナジーボール”を放った。その技はまるで吸い込まれるように、レジロックに向けて飛んでゆく。バランスを崩したレジロックは、その攻撃を避ける事はできなかった。
“エナジーボール”が発光し、炸裂する。
『グォォォ!』
レジロックの巨体が大きく揺れる。効果抜群の一撃。これで終わりだ。いくら強靭な体力を持っていたとしても、これでは身体がもたないだろう。
だがレジロックは倒れる直前に、自らの拳を地面に叩きつけた。ブワッと音を立てて、砂埃が舞い上がる。
「なに……!」
まだ何かしてくるのか、とハイクは警戒する。“アームハンマー”か、“ストーンエッジ”か、それともまた別の技か。
しかし、レジロックが反撃をしてくる事はなかった。
やがて砂埃が引くが、そこにいたはずのレジロックは、攻撃をしないどころか忽然と姿を消してしまっていた。どこかに隠れているのかと周囲を見渡してみるものの、どこにも気配が感じられない。逃げたのだろうか。
「追い返した……のか?」
そう考えると途端に身体の力が抜け、ハイクは崩れるように座り込んでしまった。そこでドップリと、疲労感が身体にのしかかる。
危なかった。危機一髪だった。ジュカインが、そしてレインが来てくれなければ、どうなっていた事か。今回は助かったが、次はこうは行かないだろう。たまたま運が良かっただけだ。
あのレジロックは、なぜ人を襲っていたのだろう。誰かがレジロックを刺激するような事をしたのだろうか。それに、バトルの最中にレジロックから感じた、あの不気味な力の正体は? なぜ急にあそこまでの力を発揮できたのだろうか。
しかし、今はそんな事を考えたくない。このひと時の安堵感を、堪能したかった。
「ハイク、大丈夫? 怪我はない?」
レインが駆け寄ってくる。心配そうに彼を見下ろし、そう呼びかけてくれた。
「あぁ、俺は大丈夫……。助かったよ、レイン」
ハイクは疲労を顔に表しながらも、大丈夫だと少女に笑ってみせた。