1‐2:よぎる言葉
翌日。
ハイクは再び研究所に向かっていた。
あの後、結局研究所に着くのは時間ギリギリになってしまったが、健康診断にポケモン達を預ける事はできた。診断を受けるポケモンの数が多いせいか、返却は翌日になるらしい。その為、次の日再び研究所に向かう事となった。
昨日と違い、今日は時間に余裕を持って家を出ている。恐らく、また時間ギリギリになる事はないだろう。
研究所に向かう途中、ハイクの頭に昨日のNの言葉がよぎる。
『悠久に続くかに思われるこの平和な日常。もしそれが崩れてしまった時、キミならどうする?』
Nは聞いてみただけ、と言っていたが、ハイクはどうしても気になって仕方なかった。頭から離れない。昨日から、なにか深い意味があるのではないかと思ってならなかった。
考えれば考えるほど、不信感が募ってゆく。心の中に何かが詰まっているような感覚を、ハイクは感じていた。
「……でも、あんまり深く考えてもしょうがないよな」
こわばった肩の力を抜き、ハイクはそう呟いた。
そう、いつまでも考えていても仕様がない。昨日たった数分話しただけのNと言う青年の考えは、初対面のハイクには解るはずがないのだ。もしまた再会できる時が来たのならば、その時に聞くしかないだろう。
ハイクはそれ以上考える事を止める事にした。これ以上考えても真意など掴めるはずがないし、心の中のモヤモヤがより一層募るだけだ。正直また会えるかどうかは微妙な所だが、今はその時を待つしかない。
気を取り直し、ハイクは研究所に向かう事にした。
ハイクが昨日預けた六匹のポケモン。ハイクと共にこのホウエン地方を旅した、大切な仲間。彼らは大丈夫だろうか。別にどこも異常はないと思うが、健康診断に出した以上やはり心配になってしまう。
チャンピオンになったばかりの十五歳の少年の考えは、一気に自らのポケモンの心配に傾いていた。
その時だった。
――何かを叩きつけるような轟音。小刻みに、かつ激しく空気が振動するような衝撃。その二つがほぼ同時に、ハイクに襲いかかってきた。
「っ! なんだ、今の!?」
ドーン! という音と振動は、ハイクにはほぼ同時に感じられた。それはつまり、その音の発生源がここからあまり遠くない言う事だ。
確実にただ事ではない。こんな、ホウエン地方の隅っこの町で、一体何が? 今までだって、こんな事はなかったはずだ。それが何で、今日このタイミングでこんな事が? ハイクの想像でしかないが、これではまるで――。
『悠久に続くかに思われるこの平和な日常。もしそれが崩れてしまった時、キミならどうする?』
――嫌な予感がする。
―――――
ハイクは、自分でも気づかない内に音の発生源に向かっていた。ここの所こんなに全力で走る事がなかった為か、思った以上に息が切れる。自分の体力の無さにに苛立ちを感じているが、今はそんな事を気にしている場合ではない。
何が起きている? 音だけしか聞いていないハイクには、実際に何が起きているのかは分からない。嫌な予感と言うのは、あくまでハイクが勝手に感じている事だ。もしかしたら、別に大した事は起きてないのかも知れない。
そうかも知れないのだが、どうしても嫌な事を考えてしまうのだ。冷や汗が止まらない。
「昨日の奴……まさかこの事を……?」
ボソリとつぶやきながらも、ハイクは走る。先ほどの轟音が聞こえた方向から考えて、恐らくあの辺りだ。ハイクには、一箇所だけ心当たりがあった。最も怪しいと感じる場所。そう、昨日の――
「これは……!」
その光景を見た瞬間、ハイクは言葉を失った。ハイクが向かったのは、公園。昨日、Nと出会った場所だ。Nと出会った場所、と言うややいい加減な理由でここに来てみたのだが、ハイクの予感は的中してしまった。
今日は昨日とは違う。公園には何人かの人々がいた。勿論、遊びに来たのだろう小さな子供達もいる。そんな彼らが、何かから逃げるように一目散に駆け出している。
公園の中心にあたる広場。そこに、明らかに不自然なポケモンが一匹確認できた。
そのポケモンを一言で現すなら、岩。岩が幾つも集まって、何かの生物の形を作っているみたいだ、とハイクは思った。人間のような二足歩行の動物、に見えなくもない。だだし、顔と思しき部分には鼻や口などと言ったような物は見当たらず、代わりに六つの小さな点が規則的に並んでいるだけだった。
ハイクは、そのポケモンに見覚えがあった。本で一度見た事がある。確か、いわやまポケモンとも呼称されているポケモン――
「レジ……ロック……?」
そう、レジロックだ。このホウエン地方のどこかに存在していると言われていたポケモン。その目撃数の少なさと、古い書物などにも登場する事から、伝説級のポケモンに分類されていた。無論、ハイクも実際に見るのは初めてだ。
だが、ここで不可解な点がある。それは言わずとも分かる事だが、どうしてこんなポケモンがこんな町中にいるのかと言う事だ。
レジロックの周囲には、いくつもの岩の破片が散らばっており、すでにそのポケモンが人々に何らかの危害を加えた事が想像できる。つまり、ポケモンが人を襲っているという事だ。それもただのポケモンではない。非常に珍しい伝説のポケモンが、だ。
こんな事、誰が想定できるだろう。少なくとも、ついさっきまでいつもと変わらない日常を送っていたミシロタウンの住民の中には、そんな事を想定する者などいないはずだ。
こんな事、絶対におかしい。そもそも、ポケモンが何の理由もなく人を襲う事などあってはならない。いや、有り得ないはずだ。
「あっ……!」
不意にそんな声が聞こえたかと思うと、ズシャっと誰かが転ぶような音。見ると、逃げ遅れた小さな女の子が慌てて駆け出したせいか足がもつれて転んでしまったようだった。
と、次の瞬間。レジロックの頭が、たった今転んだ女の子の方を向く。蜘蛛の子を散らすように逃げ出す人々の中、たった一人だけ動きを止めてしまったその女の子に、レジロックの興味が傾いてしまったようだ。
レジロックは、視線をその女の子に向けたまま頭の模様をチカチカと発光させながらも、一歩一歩着実に近づいてゆく。
「いやぁァ! いやだいやだぁぁあ!!」
パニックに陥った女の子は腰を抜かしてしまったらしく、べそをかいて声を張り上げるだけで立ち上がる事ができない。
「ちょ……まずいっ!」
このままではまずい、とハイクの中で警報アラームが鳴り響く。
居ても立っても居られず、ハイクはその女の子に向けて駆け出した。レジロックに対して何の抵抗する力も持ってないあの女の子では、このままでは成す術もなく……考えるだけで恐ろしい。誰かが、助けるしかない。
「くそっ……間に合えっ!」
レジロックが女の子の前で腕を振り上げる。このままでは間に合わないと判断したハイクは、一か八か飛び込んだ。身体のバネを思い切り使い、どちらかと言うと滑り込むに近かったかも知れない。
飛び込んだ勢いに身を任せたハイクは、しっかりとその腕で女の子を抱き抱え、上手く身体を捻らせて自分が下になるような形で地面に滑り込んだ。その直後、ついさっきまで女の子がいた場所にレジロックの豪腕が振り落とされた。
危機一髪だった。ハイクもこの女の子も、少なくともレジロックの攻撃を受ける事はなかった。
「だ、大丈夫? 怪我はない?」
いまだ抱き抱えたままの女の子に、ハイクは問う。恐怖のあまり泣き出してしまったその女の子は、嗚咽混じりに何度も頷いた。
ホッとして息を漏らしたハイクは、自分も起き上がると同時にゆっくりと女の子を地面に降ろす。
「ここは危ない。早く逃げるんだ」
女の子は泣き止まなかったが、ハイクがそう言うともう一度小さく頷いた後、レジロックから逃げるように走り出した。どうやら、本当に大丈夫なようだ。
「良かった……って、おわっ!」
ホッとしたのも束の間、レジロックは今度はハイクに攻撃を仕掛けてきた。
背後でレジロックが腕を振り上げたのに反射的に気づいたハイクは、慌ててその場から遠のいた。最早誰でもいいのだろうか。恐らくこのレジロックは、近くにいる人ならば無差別に襲いかかってくるようだ。なぜこんな事をしているのか、まるで見当つかないが。
何か、人間を恨むような事があったのだろうか。それとも、別の理由が?
どちらにせよ、今の標的はハイクだ。しかも彼は今ポケモンを持っていない。勿論武器なども持ってない。とてもじゃないが人間の力では抵抗するのは不可能だろう。かと言って、このまま逃げると標的を別の人に移す可能性が高い。それでは駄目だ。
レジロックは近づいてくる。それほどのスピードではないが、あの攻撃は危険だ。生身の人間が受ければひとたまりもないだろう。
「(一体、どうすればいい? 考えろ。考えるんだ。何かいい策は……)」
ハイクは思考を巡らせる。
今、自分が逃げればもっと被害が広がる。かと言ってこのままではハイク自身が危ない。誰か助けを呼ぶ時間も、恐らくないだろう。
いくら考えてもいい策は中々思いつかない。だが、レジロックは待ってはくれない。
気がつくと、すでにレジロックはハイクの目の前にまで接近していた。
「(ヤバい……!)」
ハイクは本気でそう思った。
攻撃を避けなければならない。さっきだって上手く女の子を救い出せた。攻撃をかわす事くらい、不可能ではないはずだ。
だが、こうして真正面で顔を合わせてしまうと、思考とは裏腹に身体が強張ってしまっていた。
動きたくても、動けない。
「(やられる……!)」
無駄だと分かっていても、思わず目を閉じて身構えてしまう。
レジロックは右腕を振り上げ、今にもそれを叩きつけようとしていた。
レジロックは、このまま自らの腕でハイクを叩き潰そうとしていた。
しかしその瞬間、レジロックは再びその豪腕を振り下ろす前に何者かの攻撃を受け、それは中断されてしまった。
「えっ……?」
ガンっと音がしたかと思うと、レジロックはヨロヨロと数歩後ずさりした後、派手な轟音を立てて豪快に尻餅をついた。
呆気にとられたハイクは、つい間が抜けた声を漏らしてしまう。
「なんだ……!?」
ハイクの目の前に一匹のポケモンが着地した。
体長は、ハイクと同じか少し大きめくらいか。体色が緑色の二足歩行のトカゲのように見える。特徴的なのは尻尾で、緑色の葉に満ちた木の枝を模したようなそれは、身体の半分以上もの大きさだった。
このポケモンがしんりょくポケモンのジュカインだと言う事は誰が見ても分かるだろう。ホウエン地方の中では、最も有名なポケモンの一匹である。彼が助けてくれたのだろうか。
ジュカインはハイクの方を振り向いた。
鋭い眼差し。しかし、敵意は感じられない。少なくともこのまま襲いかかってくる事はなさそうだ。それよりも気になったのは、彼の右目。
顔の幅にも匹敵する程の大きな傷を負っており、開く事もできてないようだ。それは古傷として残ってしまっているようで、最早直す事もできないように見える。つい最近できた傷ではない事は確かなようだ。
「右目に、傷……? まさか……!」
ハイクは自らの記憶を辿る。彼は、このジュカインを知っている気がする。
このジュカインに、会った事がある。いや、正確にはジュカインではない。彼が、キモリだった頃に……。
だが、そんな思いも一瞬にして吹き飛ぶ程の、信じられない事が起きた。
『……大丈夫か?』
「ん……? へっ!?」
声が響いた。
ハイクは一瞬、自分の耳を疑った。驚きのあまり、息をするのも忘れそうになる。
勘違いだ、何かの聞き間違いだ、と何度も何度も自問するのだが、決して聞き間違いなどではない。そうだとは、到底思えない。
正面から受け止める事はできないが、こう考えるしかない。
「し……喋った……。人間の、言葉を!?」
無論、こんな体験は初めてだ。ただのジュカインが人の言葉を話すなど、絶対に有り得ない。
頭の中が混乱する。自分が何を考えているのかも分からなくなってくる。自然と、心臓の鼓動が早くなる。
何が何だか、訳が分からない。
一体、何が起きたのだろうか。