ポケットモンスター デスティニー 〜憎しみを砕く絆〜 - 第1章:目覚め
1‐1:運命のはじまり

 その少年は自室で荷物の整理を行っていた。

 ガサゴソといかにもと言った感じの音を立てながらも、それなりに整理されている鞄の中身を確認する。赤と白。その二つの色が印象的な、もう見慣れたモンスターボールが六つ。それ以外にも、財布や携帯と言った貴重品がいくつか。
 どうやら忘れ物はないようだ。少年は満足そうにうなずいて、その鞄を持って立ち上がった。

 朝日が窓から注ぎ込まれる彼の部屋。電気をつけなくとも十分に明るいその部屋は、意外とまめな彼によって綺麗に片付けられていた。
 そんな部屋を、少年は一度見渡してみる。部屋の隅にある、少年の机。その上に置かれている写真ほどの大きさのケースが目に入った。それこそ写真立てのような形をしているそれの中にあるのは、一つのリボン。勿論ただのリボンではない。
 赤や金色を主としたそのリボンは、誰でも簡単に手に入るような代物ではない。いくつもの困難な試練を乗り越え、真の勝利を掴んだ時、初めて手に入れる事ができるのだ。
 そう。それは全てのポケモントレーナーが憧れる、栄光の証だった。

 埃も傷もあまりついてない事から、それはまだ手に入れてからそう時間は経ってない新品同然のものである事が分かる。そのリボン眺めているといまだにあの日の事が鮮明に思い出された。あまりにも衝撃的な出来事で、強く印象に残っているのだろう。
 いや、それだけではない。そこに辿り着くまでの多くの出会いと別れ、数々の物語が、しっかりと彼に刻み込まれているのだ。彼を成長させたその旅の記憶は、これからも彼の中から消える事はないだろう。

「ハイク、そろそろ研究所に行かなくていいの? 今日はポケモン達の健康診断の日でしょ?」

 一階から母親の声が聞こえた。
 この家の二階。階段を上がってすぐの所にある彼の部屋には、一階にいる母親の声もよく届く。いつの間にかボーっとそのリボンを眺めていた少年は、そこでふと我に返る。

「分かってるよ」

 取り敢えず母親にそう返しつつ、ハイクと呼ばれた少年はその部屋を出る。そしてもう一度鞄の中を確認しながらも玄関に向かった。
 忘れる訳がない。今日はポケモン達の健康診断の日なのだ。大切なポケモン達の身体に、どこか異常があったら大変な事になる。ポケモン達の身体のケアも、トレーナーの大切な役割だろう。

「それじゃ、行ってきます」

 履き慣れた靴を履き、ハイクは玄関の扉を開ける。

「行ってらっしゃい。気をつけてね」

 母親に見送られたハイクは、その足で一歩外へと踏み出す。
 外に出た途端にハイクを出迎えたのは、部屋に注ぎ込まれる物とは段違いの強くも気持ちのいい朝日だった。小鳥ポケモン達のさえずり声も聞こえてくる。その天然のコーラスに耳を傾けながらも、ハイクは大きく深呼吸した。
 変わらない。いつもと変わらない、清々しいミシロタウンの朝だった。



 ポケットモンスター。縮めて、ポケモン。
 この世界のいたる所に生息している、不思議な生き物。
 彼らのいくつかの個体は、いつしか人間達の文化に馴染み、共に暮らし、共に成長し、スポーツのような感覚でポケモンバトルと称して共に戦ったりしていた。

 ここ、ホウエン地方も勿論例外ではない。
 ポケモントレーナーと呼ばれる者達が、ポケモン達と共に旅をし、誰もが一つの栄光を目指す。年に一度開かれる、リーグと呼ばれる大きなポケモンバトルの大会。その優勝者に送られる、チャンピオンと呼ばれる称号を。

 そんな地方の隅っこにある町、ミシロタウン。あまり大きな町ではないが、多くのトレーナー達の出発点とも呼ばれている有名な町である。周囲を自然に囲まれている豊かな町で、隣接する道路には比較的大人しいポケモンが多く生息している。
 生息しているポケモンに凶暴なものが少ない為、この町出身のトレーナーは他の大きな街のトレーナーと比べて見劣りするのでは? などと思われがちだが、実際はそうでもない。現に過去、ミシロタウンでトレーナーとしての道を歩み始めた少年が、長らくチャンピオンの座を守り続けてきた強豪トレーナーを打ち負かした、と言った事実も存在する。
 それ以降、ミシロタウンに向けられる周囲のイメージは、大きく変化する事となる。

 そして、今からほんの数ヶ月前。再びミシロタウン出身のトレーナーが、チャンピオンの座を手に入れたのだ。
 そう、彼の名は――

「……ん? ちょっとのんびりし過ぎたかな?」

 白いTシャツの上に長袖のパーカーを羽織り、下に履くのは長ズボン。
 ポケモン達の健康診断の為、この町の研究所に向かおうとしていたハイクが、ボソリとつぶやいた。
 何気なく近くの公園に設置してある時計を眺めたのだが、健康診断開始の時間まで既に十分を切ってしまっている。このままいつもと同じペースで研究所に向かっては、到着するのが本当にギリギリになってしまうだろう。

「……仕方ない」

 ダークブラウンの髪を右手でかきあげたハイクは、少し急ぎ足かつ近道を使って研究所に向かう事にした。この公園を横切れば、多少だが近道になる。さらに急ぎ足で公園を抜けたとなれば、結構な時間短縮になるだろう。
 よし、と頷いたハイクは、その公園に足を踏み入れた。

 その公園は中々の大きさだった。一応、ミシロタウンの中で一番大きな公園らしい。だがそうは言っても、ミシロタウン自体があまり大きな町ではないので、公園の数も多くはないのだが。

 ハイクは急ぎ足でその公園を横切る。時間帯は朝。と言っても、それほど早い時間ではない。かと言って、遅過ぎる時間でもない。にも関わらず、珍しい事にその公園には人は誰もいなかった。
 誰もいない事に少し不審を感じたが、急いでいたのでそんな事に対する興味はすぐに失った。珍しい事もあるもんだと、そう割り切ってしまっていた。

 確かに誰もいなかった。この時間なら、子供達が遊ぶ楽しげな声が聞こえてもいいはずなのだが、少なくともそんな声は聞こえなかった。人の気配など、感じなかったはずなのだが――

「……なるほど」
「え……?」

 不意に背後から声が聞こえてきた。思わず声を漏らしたハイクは、足を止めて振り返る。
 誰もいないはずの公園。いつからそこにいたのか、そこには一人の青年が立っていた。
 ハイクよりも高い身長。頭に被っているのは白と黒のシンプルなデザインの帽子。黒いインナーの上には、白いシャツを羽織っている。そして、ベージュのズボン。首やポケットなどと言った所には何かのアクセサリーが付けられており、そのシンプルな服装に妙にマッチしている。
 深くかぶった帽子から覗かせる無機質な瞳。すべてを見透かされているようなその瞳が、彼から醸し出される不気味な雰囲気をより一層深めていた。

「キミは、かなりポケモンに好かれているようだね」

 青年が口を開いた。突然現れた青年を前にして、ハイクは言葉を失ってしまっていた。青年のその言葉に対して口を開く事ができない。

「中でも彼はキミにとても懐いているみたいだ。やっぱり人一倍ポケモンに愛情を注いでるんだねぇ、キミは」
「え……と。誰、ですか? 俺に何か用ですか?」

 早口で喋る青年に対し、ハイクは何とか口を開いた。
 相変わらず青年から発せられる不気味な雰囲気を身体全体で感じ、不信感を募らせつつも恐る恐るそう聞いてみる。

「いや、一度君に会ってみたくてね。なにせキミは……」

 青年は帽子のつばを掴み、少しだけ持ち上げた。半分ほどしか見えてなかった瞳が、そこで全て露になる。

「前回のホウエンリーグの、チャンピオンだそうじゃないか」

 ふっと笑顔を作った青年が、やわらかい口調でそう言った。と、その瞬間には、無機質だったはずの青年の瞳にはハイライトが灯っており、先ほどまで感じていた嫌な雰囲気が不思議と消え去ってしまっていた。
 それがかえってハイクを困惑させる。自分が先ほどまで感じていたあの雰囲気は、何だったのだろうか。警戒するのだけれども、その友好的な瞳を見ているとそんな警戒心も自然とも薄れていってしまう。

「ボクはN。名前だけでも覚えてくれると嬉しいな」

 名前を名乗った青年が、そっと手を差し出した。
 先ほどと現在の雰囲気のギャップ。掴みどころがないNと名乗る青年を前にして、ハイクは戸惑いを垣間見せつつも差し出された手を握り返した。

「ハイク……です」

 ほんの数ヶ月前に開かれたホウエンリーグ。その大会でチャンピオンの称号を手にしたのは、他でもない。ハイクだった。もともとあまり目立つタイプではない為、一目見て彼がチャンピオンだと気づく人はあまり多くないのだが、それは紛れもない事実だ。
 今回のように声をかけられるのは少ないけれどあるのだが、Nから感じた妙な雰囲気のせいで、執拗に固くなってしまった。それでも何とか警戒心を解き、名乗る事はできた。

「まぁまぁ、そんなに固くならないで。別に敬語なんか使わなくていいよ」
「は、はぁ……」
「フフッ……。まあ、慣れたらでいいよ。ところで、キミに一つ聞きたい事があるんだけど……」

 ハイライトが灯ったのだが、Nは相変わらずの全てを見透かすような視線を送り続ている。
 そして、次の瞬間に彼が放った言葉が、ハイクをさらに困惑させた。

「悠久に続くかに思われるこの平和な日常。もしそれが崩れてしまった時、キミならどうする?」
「……え?」

 なんの事を言っている? 誰もがそう思うだろう。そもそも前後の会話の内容には、まるで共通点がない。会話の路線そのものが違う為、困惑するのも無理はない。

 平和な日常が崩れてしまった時、ハイクならどうするか。勿論、そんな事があるはずもない。だが、そう分かっていても、なぜだか正面から受け止めてしまう。何か深い意味があるのではないかと、考えてしまっていた。

「いや、別にそんな深く考える必要はないよ。変な事聞いちゃったかな?」

 何も答えられないハイクを見て、Nは苦笑していた。
 本当に深い意味はなかったのだろうか? ただチャンピオンの意見が聞きたくて、なんとなく質問しただけ? 考えれば考えるほど、頭が痛くなりそうだった。

「キミと話ができて楽しかったよ。引き止めて悪かったね。どこか向かう所があるんだろう? それじゃ、ボクはもう行くよ」

 満足そうな顔をしたNは、再び帽子を被り直した。そして最後に「また会える時を楽しみにしているよ」とだけ残し、彼は去っていった。
 公園には、ついにハイク一人だけになる。

 それは、長いようで短い出来事だった。
 Nと接している内に彼に向けられる不信感は弱まっていったのだが、最後に向けられた質問。それが心に突き刺さった。
 どうしても、何も思わないように意識しても、考えてしまう。あの質問の、真意を。

「なんだったんだ……? っと、早く研究所に向かわないと」

 とんだタイムロスをしてしまったハイクは、小走りのスピードを上げて本来の目的地である研究所に向かった。

absolute ( 2013/10/11(金) 23:37 )