出会い
この星はポケモンたちが住む星。この星には四つの大陸があり、それぞれで独自の文化を築いていた。
ライトの住むこの『さいはて村』もその一つだった。ここは四つの大陸のうちの一つである『火の大陸』、『さいはて村』はその辺境にあった。周囲の三方を高い山々に囲まれ、唯一ふもとにつながる道はとても険しく、一番近い街まで二日はかかるという地理的関係上、外部とのつながりは極めて薄い。外のポケモンが村に入ってくることは稀であり、その逆もまた然りであった。
そんな『さいはて村』に朝が来た。窓から陽光が差し込み、窓際で寝ているピカチュウ――ライトの体を暖かく照らす。
この家は木造であり、壁も床も板張りだった。その板張りの床の上に、藁で敷かれた寝床がある。そこにライトは寝ていた。
もぞもぞと体を動かすライト。差し込む日の光が心地よい。体はすでに起きる準備ができているのだが、頭がそれを拒否した。再び意識が深い深い底の方へと沈んでいく。
「こら、早く起きんかい」
ライトの部屋にしわがれた声が響いたのはそんな時だった。その声でライトの尖った耳はぴくっと動き、体がゆっくりと起き上がる。そして大きく欠伸をしながら、体から眠気を抜くように背伸びをする。
しかしそう簡単に眠気は抜けなかった。背伸びをした時に滲んだ涙のせいで視界がぼやける。
「さ、朝ごはんができているから早く来なさい」
ライトを起こしたのは一体のヤドキングだった。名前はゲンジ。全身がピンクで、後ろには長い尻尾がついている。間の抜けた顔の上には帽子のように渦巻き状の貝殻が乗っている。
「うん……」
ライトは未だ覚めきらない頭を無視して、寝床から立ち上がる。そしてゲンジの後について居間へと出る。
居間にはちゃぶ台の他に火のついた暖炉があった。ここはかなり標高の高い地域のため、たとえ夏であっても朝方は身が震えるほど寒い時もある。だから暖炉は年中通して必要とされる物だった。
ちゃぶ台の上にはみずみずしいきのみが入った竹籠が置いてあった。その種類はオレン、モモン、カゴ、その他様々で、近くの川で洗ってきたのか水滴が暖炉の火の光できらめいている。ゲンジはこの村の外れにきのみ畑を持っており、今朝早くに採ってきた物だろう。
ライトは眠い目をこすりながら、ちゃぶ台の前に座る。そしてゲンジもライトの向かい側に座る。二匹とも思い思いのきのみを取ると一旦そのきのみをちゃぶ台に置く。
「いただきます!」
二匹はそう言うと目の前に置いたきのみを手に取り、ひとかじりする。
ライトが食べたのはオレンのみだった。甘酸っぱい果汁が口の中に広がる。その酸味で覚めきっていなかった頭が目覚める。それでスイッチが入ったのかライトはオレンのみに勢いよくかぶりつき、半分ぐらい食べた後で口の中に放り込む。それを飲み込めていない間に今度はモモンのみを籠から取る。
「こらこら、あんまり急ぎ過ぎると喉につっかえ……」
ゲンジの言葉が終わる前に、ライトはきのみを喉に詰まらせて咳き込む。近くにあったコップを手に取り、口に水を一気に流し込む。
「ほれ言わんこっちゃない」
しかしそう言うゲンジの顔は微笑んでいた。ゲンジもカゴのみをかじる。本来カゴのみは硬く、とてもそのままでは食べれた物ではないのだが、ゲンジは年齢からは想像できないようなその顎の力で強引に噛み砕いてしまった。そして普通のポケモンでは吐き出してしまいそうなほどの渋みが口の中に広がっても、ゲンジは顔色一つ変えずにおいしそうに味わっている。
「ねえ、じっちゃん。それまずくないの?」
ライトが呆れを含めた声音で尋ねる。
「ああ、この渋みがな、たまらんのじゃよ」
ゲンジはさぞおいしそうにばりぼり音を鳴らしながらカゴのみを噛み砕く。
「そ、そう……」
ライトはこれ以上は聞かなかった。すでにともに過ごして五年ほどになるが、ライトにはゲンジの味の好みがよくわからなかった。
二匹はそれからは特に何も言わずに黙々とちゃぶ台の上のきのみを食べ続けた。あまりの会話のなさに、端から見れば仲が良くないのかと思うかもしれないが、この二匹の朝食はいつもこうであるというだけであり、特段仲が悪いということはない。
「今日はどうするんじゃ?」
そして台の上にあるきのみがほとんどなくなったころ、ゲンジがやっと声を発した。
「今日もちょっと探検しにいこっかなって」
「また探検か。本当懲りんな」
「だってまだまだここって誰も行ったことないとこいっぱいなんだよ。だったらどうなってるのか確かめたくなるじゃん」
ライトは目を輝かせて力説する。この場合の探検というのはライトの言う通り、この村の住人が行ったことのない場所を探すということだ。しかしこの村に住んでいるということはこの周辺の地形や気候を知り尽くしているということだ。そんな彼らが行かない場所ということは、命にかかわるぐらい危険な場所だということだ。それは単に近づけば足場が崩れて落下するというだけでなく、深い森で方向がわからなくなって遭難するなど、様々な危険を意味する。
ライトの日課はそんな場所を探検することだった。そしてゲンジはそんなライトがいつ危ない目に遭うか、日々肝を冷やしていたのだった。
「まったく、こっちがどう思っとるか考えもせんと……」
ゲンジはため息を吐く。何を言ってもライトは聞く耳持たないことをゲンジはこの五年間で知っていた。
「じゃあ弁当を作ってやろう。そんなところに行ってすぐに戻ってこれるとも思えんしな」
「やった、じっちゃんの弁当はうまいしな!」
「そういうことなら今すぐ作らんと。お前も出て行く前に少し掃除していってくれ」
「はーい」
それからゲンジはライトの弁当の用意、ライトは家の床掃除とそれぞれの仕事をすることになった。とは言ってもゲンジが綺麗好きで毎日掃除をしているためか、家はそれほど汚れておらず、床掃除もそれほどきついものではなかった。
そうやって軽い床掃除を終えると同時に、ゲンジは竹で結われた弁当箱をライトに手渡した。中から甘辛い食欲を誘うにおいが漏れ出しており、ライトの口の中でよだれが滲み出る。しかし今はまだ食べるときではない。ライトはぐっとこらえて弁当箱を肩から提げているカバンの中に入れる。
「じゃあいってきます!」
「気をつけるんじゃぞ」
ライトは扉を開けて外に出る。
さいはて村は山間部、それもかなり深い場所にあるため村の規模自体は決して大きくない。そして住宅が密集しているところも少ない。実際ライトの家の周りに他の民家はまったくなく、村のメインストリートにつながる道だけしかない。
そしてライトが今歩いているメインストリートもそんな大それたようなほどの物ではなく、とてもこじんまりとしていた。どの建物もライトの家と同じように木造で、すでに築五〇年は軽く超えているものばかりで、少し触れただけで一気に崩れてしまいそうな危うさが感じられる。そしてその軒先でポケモンたちが各々きのみやふもとから仕入れた珍しいものを売っていた。
「あらライトちゃん、おはよう!」
そのうちの一匹、きのみを売っているリングマがライトに声をかけた。茶色の毛並みで鋭い爪、そして何よりも見る者を威嚇するようないかつい顔が特徴だが、今はそんなことを感じさせないほどにこやか笑顔だ。ただ怒らせれば見た目通りの怖さを持つというのが、近所での評判だった。
「今日も村の外に行くのかい?」
「うん!」
「じゃあ気をつけるんだよ! 何が起こるかわかんないからね!」
「わかってるよ!」
それからライトは様々なポケモンたちに声をかけられた。ライトに声をかけるポケモンは全員がかなり歳を取っており、一番若くても中年ぐらいの年頃だった。
さいはて村も昔は若者たちも多く、今とは比べものにならないほど活気があったという。しかしこの外部から隔絶された土地ということで時を経るごとに若者たちは不便な山奥よりも、便利なふもとの方を選んだ。こうして未来の働き手がだんだん街へと流れていったのだが、逆にこの村に入ってくる者もいなかったため、急速に高齢化が進むことになってしまった。
今、この村の全員がライトを除いて中年を越えている。その中でライトは唯一の若者であり、村の全員から子や孫のように見られているのだ。
ライトはそんなメインストリート(完全に名前負けしているが)を抜けて、ふもとまで続く街道へと出る。街道は森の中を切り開くように作られており、木々が生い茂る中、一本の道がその森の中を貫くようにできている。しかしライトはその道を無視して横に逸れ、森の中へと入っていく。
この周辺は木々が生えているばかりの未開の地であり、一度街道から逸れてしまえば生きて出てこれる保証はない。もちろんライトもそのことは重々承知していた。口酸っぱくゲンジがいつも言われ続ければ、いくら子供だとはいえ迷わないように注意するようにはなる。
しかし。
「ここ、どこだろ……」
森に入って少しして、ライトは自分が森のどこにいるのかわからなくなってしまった。
これはいつものことだった。ライトは後先考えずに突っ走る傾向があるため、こういう森の中では数分で迷ってしまう。だが、もう迷い慣れてしまっているのか、それとも彼がただの能天気なのか、ライトは決して焦らない。とりあえずなんとかなると思って適当に歩く。するといつもちゃんと村に帰ってくることができた。これにはゲンジも呆れてしまい、そして毎度のことなのでもう何も言わなくなってしまった。
それからまた少しの間、ライトは森を彷徨うことになった。季節はすでに春から夏に変わろうとしていたのだが、高地のせいかはたまた木々の葉が日光を遮るせいかひんやりとしていた。油断をすれば風邪を引いてしまいそうだった。ただ住み慣れているライトにとってはもう慣れっこであり、特に何か防寒着を着るとかそういうことはしていなかった。
森は静かだった。ライトが歩を進めれば落ち葉を踏みしめる小気味いい音が鳴り、風が吹けば木々の葉のこすれ合う音が響く。時折木の上に巣を作っている鳥ポケモンが飛び立つと、その力強い羽ばたき音がライトの耳に鮮明に入ってくる。ここは静寂に満ちており、村のようにそれらの音を遮るものは何一つなかった。
そのせいか、遠くで何かが起こっている音もライトの耳にはすぐに聞こえた。爆発音のような音が聞こえ、それに混じって叫び声のようなものも聞こえてきた。
ライトは怪訝に思い、その音のする方へ走り出す。何かが爆ぜる音はどんどん大きくなり、音の正体に近づいていることが実感できた。
「はどうだん!」
音の正体はポケモンたちが戦っている音だった。ライトはとりあえず木の後ろに隠れて様子を見る。
構図は一対多の一方的な物だった。一匹の方のポケモンは二足歩行で青と黒の毛並み、そしてこめかみあたりから垂れた耳が特徴のポケモン、はもんポケモンのリオルだった。そしてそのリオルと対峙しているのはこの森の鳥ポケモン、全身の羽毛が逆立っており、両の翼はピンク色になっている。ことりポケモンのオニスズメだった。オニスズメは全部で七匹いた。
オニスズメは集団で一匹を襲うという傾向があった。あのリオルがオニスズメの縄張りに迷い込んだのだろうとライトは考えた。
(でもなんか卑怯だよなあ)
しかしライトはだからと言ってあのオニスズメがリオルを襲うのを仕方ないと片付けることはできなかった。そもそもあのオニスズメたちの、大勢で一匹をいたぶるという行動が気に入らない。
「ぐっ……」
リオルがオニスズメの攻撃を避け損ねてくちばしが腕に掠る。顔を歪めてうずくまるリオル。オニスズメはその隙を逃さない。七匹のうち三匹がリオルに迫る。
「でんきショック!」
ライトが木の後ろから飛び出す。ライトの両頬の電気袋から火花が散る。そして全身の毛が逆立ち、次の瞬間には目を焼くような閃光が空気を切り裂いて走った。
電撃が三匹のオニスズメを直撃する。オニスズメたちは力なく地面に墜ちる。オニスズメの体からは煙が上がり、羽毛のところどころが黒焦げていた。
「だ、誰だ!?」
オニスズメたちの視線が一斉にライトの方に集まる。ライトは素早くその場からリオルの前に庇うように立つ。
「大丈夫?」
ライトが声をかけると、うずくまっていたリオルはライトを見上げる。
「う、うん」
リオルは戸惑いながらもはっきりと返事をする。リオルの体には大きな怪我もなく、意識もはっきりしている。ライトはまだ眼前で飛んでいる四匹のオニスズメを睨みつける。
「そんな大勢で襲うなんて卑怯だろ!」
「うるさい! そっちがオレたちの縄張りに入ってきたからだ!」
「別に悪さするために入ってきたわけじゃないじゃん! もしかしたら迷い込んだだけかもしれないだろ!」
「黙れ! とにかくお前らには痛い目に遭ってもらうぞ!」
オニスズメたちは頭に血が上っていて話が通じない。ライトはいつでも電撃を放てるように電気袋に力を込める。
オニスズメたちがライトに向かって真っ直ぐに突っ込んできた。ライトは身を翻してうまくかわす。そして背後を取ったライトは電撃を放つ。なんとかオニスズメたちは避けるが、逃げ切れなかった一匹のオニスズメに電撃が直撃する。
残った三匹のオニスズメは今度は別方向に散り、三方向から突っ込んできた。オニスズメたちは素早く、そして同じぐらいの速度でライトに迫る。
「はどうだん!」
突然リオルの声が響き、一匹のオニスズメの背後から青白い光の弾が飛んできた。反応できなかったオニスズメにそのまま弾が直撃し、爆発する。煙が発生するとともにオニスズメが放物線を描いて飛んでいく。
陣形に隙が生じた。吹き飛ばされたオニスズメのいた方向にライトは避ける。そして地面に足で踏ん張って背後に方向転換する。
ライトの電気袋から火花が弾ける。オニスズメたちは高速で飛んでいた。すぐには飛ぶ向きを変えることはできない。必ず彼らは交差するはずだった。それをライトは狙っていた。
オニスズメたちが交差した瞬間にライトの全身から電撃が放たれた。一匹のオニスズメに当たった後、その体を伝ってもう一匹の体にも電流が流れた。
二匹のオニスズメが白い煙を上げながら墜ちる。二匹とも白目をむきながらピクピクと痙攣していた。
「うっ……」
リオルのうめき声が聞こえ、ライトはリオルのいる方向に目をやる。
「だ、大丈夫!?」
リオルは膝を地面につけて、オニスズメの攻撃が掠めた腕を押さえている。
「大丈夫だよ」
ライトが駆けつけるとリオルは笑みを浮かべて自分は大丈夫だと示す。
「さっきはありがと。一匹倒してくれたおかげであいつらの攻撃を避けられたよ」
ライトは三匹のオニスズメに囲まれたときにことを思い出して礼を言った。
「そんな、こっちがお礼を言わないと。山道で迷っちゃって知らない間にあいつらの縄張りに入っちゃったんだ。キミがいなかったらどうなってたことか」
「いいよいいよ。困ったときはお互いさまってじっちゃんも言ってたしね。それよりケガは大丈夫? 今腕押さえてるけど」
「大丈夫だよ。ケガしたのはここだけだし、ケガといってもちょっとかすっただけだから」
ライトはリオルの言葉にほっとする。リオルが大ケガをしていたのならば、今すぐ村に担ぎ込まなければならなかった。
「あっ……」
しかしライトが安堵した瞬間だった。リオルの全身から力が抜け、前に倒れこんだ。受け身も取らずに顔面から腐葉土の地面に顔をうずめ、うつ伏せのまま動かなくなった。
「ちょ、ちょっと!」
ライトはリオルの体と地面の間に手を入れてリオルをすくい上げる。リオルの体が一八〇度回転し、仰向けになる。
「どうしたの!? どこか痛いの!?」
いきなりの事態にライトの語気は強くなっていた。ライトの問いかけにリオルは呻く。
「お、おなか……」
「おなかがどうしたの?」
ライトはリオルの腹部を見てみる。しかし倒れこんだときについた土くれ以外に何もなかった。傷も一見ついていない。
とりあえずライトだけではどうしようもなかった。ライトはリオルを担ぎ上げようと身をかがめる。
「おなか、減った……」
しかしリオルのこの言葉を聞いた途端、ライトは「へっ?」と声を漏らして動きを止めた。
「おなか減って、もう、動けない……」
言葉を発する気力も残ってないのだろう、かすれた声をリオルが発する。しかしその内容が間の抜けたものだったので、ライトは緊張するどころか糸の切れた人形のように力が抜けてへたり込んでしまった。
「な、なんだよそれ……」
ライトはため息をついた。特に大事なこともなく安堵した気持ちと心配して損したという気持ちが半々だった。ただ特に何もなくてよかったことに変わりはない。
そしてライトはカバンの中に入っていたものを思い出す。そしてそれを取り出してリオルの前に差し出す。
「弁当持ってるけど、食べる?」
「あー、おいしかったぁー!」
起き上がったリオルの前には空っぽになった弁当箱が置いてあった。そしてリオルは食べかすのついた口元を拭う。
「は、速かったなあ」
ライトは弁当箱を渡した瞬間を思い返す。ライトが弁当箱を出し、その蓋を開けた瞬間にリオルの鼻がピクッと動き、次にはもう起き上がって中に入っていたきのみを口に運んでいた。それからは食べる手を休めることなく、何も飲まずにそのまま一心不乱に食べ物を口に入れ続けた。それはもう途中から口に運ぶというものではなく、突っ込むと言ったほうがいいのではないかというほど激しい勢いだった。
「ホンッッットにありがとう! もう一週間ぐらい何も食べてなかったんだ。って、あ……」
そこでリオルは重大なことに気付いた。
「ご、ゴメン! あれ、キミのだったんでしょ? ボク全部食べちゃった……」
「ああいいよ別に。食べてもらうために出したんだからさ」
「いやでも……」
「いいっていいって。さっきも言ったじゃん。困ったときはお互いさまだって」
ライトは特に気にしてないように言うが、リオルは申し訳なさそうな表情をしている。そこでライトはこのリオルの名前を聞いていないことを思い出した。
「そういえばキミ、名前聞いてなかったね。オレはライトっていうんだ」
「ボクはウルだよ」
「ウル、か……」
そしてライトは周囲を見回す。
「とりあえずいったんここから離れよう。オニスズメの仲間があれだけとは限らないし」
オニスズメは群れを作る習性がある。それも数十匹単位でだ。とても七匹だけで群れを作っていたとは考えられなかった。
「そうだね。でもどこに行く? この近くに何かあるの?」
「オレの住んでる村があるんだ。そこに案内するよ」
「村があるんだ。わかった、ついてくよ」
ライトとウルは立ち上がる。他にもオニスズメがいないか気配を探りながら、また逆に向こうに気配を察知されないようにゆっくりとあまり足音を立てずに山道を歩いた。ライトが先導するが、ライト自身今まで歩いた道を覚えているわけではなかった。しかしまた勘を頼りに進んでいくといつの間にかさいはて村に続く街道に出ていた。
街道に出た瞬間に二匹は脱力した。
「はぁ〜、緊張した〜!」
ライトがその場にへたり込む。
「ウルは大丈夫? ずっと何も食べてなかったみたいだから疲れてない?」
「ボクは大丈夫だよ。きついのは父さんとの修行で慣れてるから」
父さんというウルの言葉にライトは反応した。
「父さん? お父さんと修行してたの?」
「うん。波導が使えるようにって父さんからね。普通リオルは『はどうだん』を使えないんだけど、ボクは波導の修行をしたからこんな風に……」
ウルは手のひらを上に向けると意識を手に集中させる。するとウルの手の周辺から白い光が集まり出し、それが手のひらの上で渦を巻いた。その後もさらに白い光は渦に吸収されていき、いつの間にか球状となっていた。
「……すごいや」
ライトはウルの手にある青白い光の玉に目を奪われていた。その光球の放つ仄かな光はまるで生物の持つ温かみを内包しているようで心地よかった。
「まあでもまだ未完成なんだけどね。父さんのはもっとパワーがすごくてボクと比べ物にならなかったから……」
その時のウルの表情はどこか悲しげだった。手元にある光球をずっと見て、今にも泣きだしそうな顔をしている。いきなりのことでライトは戸惑い、どうしたらいいのかわからなくなった。
「と、とりあえずさ、村に行こうよ。そんなこと言ってもやっぱり疲れてると思うし」
ライトはなんとか笑顔を作り、ウルに話しかける。しかしその笑顔は無理矢理作ったせいか口元が引きつっており、どこかおかしかった。そのせいか、ウルはライトの顔を見て少しの間呆けてしまい、その後クスクス笑い出した。
「ど、どうしたの?」
「い、いやなんか顔がちょっとおかしくてさ、つい……」
気を利かせた笑顔を笑われてライトはムッとする。
「せっかく気を紛らわせようと思ってやったのに」
「ゴメンゴメン、でもありがとう。ライトの言う通りちょっと疲れてるかもしれないし村に連れてってよ」
「わかったよ、まかせて」
それからは街道を歩いてさいはて村を目指すことになった。街道とはいっても村とふもとの行き来がほとんどないため、誰ともすれ違うことがなかった。
「誰もいないね。街道なのにこんなにポケモンがいないなんて珍しいね」
ウルがきょろきょろと辺りを見渡す。
「ここって結構山奥だからあんまりふもとのポケモンが来ないんだ。村のポケモンもふもとに行かないから。ていうか一回街道を外れたら村のポケモン以外だったらどこにいるのかわかんなくなっちゃうし」
「ボクそんなところで遭難してたんだ……」
もしライトがいなかったらとウルは考える。嫌な想像をしてしまい、ウルは身震いする。
「ま、まあ、ちょっとやばかったかな? あはは……」
何かしらフォローしておいた方がいいと思い、ライトはウルに優しく言葉をかける。
そしてさいはて村にたどり着いた。家から出てまだ少ししか立っていない。まだ太陽も真上にすら昇っていないのに、もう夕方のような感覚にライトはなっていた。
それから村の名前負けしたメインストリートを歩いたのだが、とにかくライトとウルは村のポケモンたちの注目を引いた。きのみ屋のリングマが二匹に気が付くと、リングマと話していた客のミルホッグまで二匹の方を振り向いた。
「その子、どうしたんだい?」
リングマが話しかけてくる。
「ちょっと迷ってたみたいなんだ。家まで案内してるところだよ」
「へえそうかい。なんにもないところだけどゆっくりしていってねー」
「あ、はい!」
ウルが声を張って返事をする。
ウルは道行くポケモン一匹一匹に見られて居心地が悪かった。特に何かした覚えもないのだが、これだけ周囲の注目を集めているのはどうしてなのだろうか疑問だった。
「ねえ、なんでこんなに見られてるの? ボクなんか悪いことしたかな?」
ウルは恐る恐る前を歩くライトに尋ねる。
「みんな外から来たポケモンが珍しいんだよ。あんまりお客さんも来ないし。それにここにはオレ以外子供がいないんだ」
「そうなんだ」
「うん。だからオレ以外の子供を見るのなんて滅多にないんだ」
「それでこんなに見られてたんだ……」
ウルは納得して、周囲のポケモンたちを見る。みな若くても中年ぐらいで、それ以上の年齢のポケモンしか通りにはいなかった。甲高い声を上げて走り回る子供も、血気盛んな若者もここにはいなかった。
二匹は通りを抜けて、あまりポケモンのいない場所へと入っていく。村の外れともいえる場所に来た時に、目的の場所が見えてきた。
「ここがオレの家だよ」
ほんの少し前に出てきた家にライトはもう帰ってきた。今中に入れば、お昼は越えるかもしれないと思って弁当まで用意したゲンジはどんな顔をするだろうか。
「じっちゃーん、ただいまー!」
ライトは中にいるであろうゲンジに呼びかけながら扉を開ける。
「ライトか? さっき出て行ったばかりだろう。どうした?」
案の定、ゲンジは居間で座っていた。そしてライトの後ろにいるウルの存在に気付いた。
「ライト、後ろにいるのは誰だ? 子供みたいじゃが」
「さっき迷ってるとこを見つけたんだ」
「う、ウルと言います。さっき危ないところをライトに助けてもらって……」
今までライトの後ろにいたウルが横に並ぶ。
「ほう、そうか。まあそこでいるのもなんだ、こちらに上がってきなさい」
ゲンジは二匹を手招きする。ライトとウルはそれに応じて居間のちゃぶ台の前に座る。
「わしはゲンジだ。まあこんな年寄りぐらいしかおらん村じゃ。つまらんところだろうがゆっくりしていってくれ」
「いや、そんなことは……」
「さっきライトがおぬしを助けたと言ったな? こっちとしては逆にライトが迷惑かけてないか心配なのだが」
ゲンジの言い方にライトが反発する。
「じっちゃんひでえな。オレ本当にウルの危ないところを助けたんだから!」
「ライトの言ってる通りです。オニスズメに囲まれてるところを助けてもらったんです」
「そうか、それならよいのだが」
ゲンジを納得させ、ライトの興味はウルに移った。
「ところでさ、なんであそこにいたの? あそこらへんには村も何もないし、ああいう鳥ポケモンみたいに元から森に住んでるポケモンぐらいしかいないはずなんだけど」
「ボク、旅してるんだ」
ウルの答えにライトが驚く。
「旅してるの? ウルだけで?」
「うん、ボク一匹だけでだよ。もう半年ぐらいはいろんなところを旅して回ってる」
「そうなんだ!」
ライトの目が輝く。今まで話でしか伝え聞いたことのない、そしてウルが見てきたであろう光景をライトは思い浮かべる。
「だがどうして一匹で? しかもまだ子供なのに。親はどうしたんじゃ?」
ゲンジが尋ねる。それにウルは難しい表情を浮かべる。どこまで話してよいか考えているようだ。
「父さんを探してるんです」
思いがけない言葉にライトは一瞬どんな反応をしていいかわからなくなった。いろいろと聞いてみたかったこともどこかへ消えてしまった。今目の前にいるウルがライトには遠い場所にいる存在のように感じた。
そこでふと、街道に出た辺りのときにウルが話したことを思い出した。
「父さんって、ウルが一緒に修行してたっていう?」
「うん。リオルの進化形のルカリオで、名前はヴォルフっていうんだ。ここには来てないかな?」
「いや、見たことないと思うけど……」
ライトの記憶の中では、そんな名前のポケモンには会ったことがなかった。この村では来客自体が珍しいため、もし誰かがふもとから来れば名前も一緒に村じゅうに広がるはずだった。そして名前を知らないということはここには来ていないということなのだろう。
「残念ながら、わしもそんな名前のポケモンは知らないな」
「そうですか……」
ゲンジもライトと同じような返事をし、ウルは落胆する。しかしそこまで落ち込んでいない様子からしてあまり期待はしていなかったようにもライトには感じられた。
「いつ、いなくなったんだ?」
「……三年前です」
ゲンジの問いかけにウルは答えるのを一瞬ためらった。こういうことを関係のない者に話すべきではないと思ったのだろう。しかし問いかけに答えると、もうすべてを話してしまおうとウルは決心したのかきりっとした表情になってゲンジを真っ直ぐに見据える。
「それまでは父さんともふつうに暮らしてたんです。ボクのお母さんはボクが生まれて物心ついたときにはもういなくて、身の回りのことはいつも父さんとボクでやってました。父さんとも一緒に修行して、ボクも少しは波導が使えるようになって、毎日が楽しかった。
でも三年前のある日、朝起きたらいつもはボクよりも早起きな父さんの姿が見えなくて、それで書置きが置いてあったんです。『これからは一匹で生きろ。父さんを探すな』って……」
一度話し始めたら、ウルの言葉はまるで堰を切ったように止まらなくなった。
「最初は待ってたんです。絶対帰ってくるって。でもずっと待っても帰ってこなくて。ボクのことが嫌いになったのかなとも思ったけど、いなくなる前の日にも一緒に笑ってたし、なんでいなくなったのかも全然わかんなくて。だから……」
いつの間にかウルは目に涙を溜めて話していた。その涙が溢れたときに嗚咽で言葉が途切れた。それでもなんとか言葉をつなごうと口を開く。
「……だから、それで半年ぐらい前にやっと決心がついて、父さんを探そうって旅を始めたんです。でもどこに行っても手掛かり一つなくて……」
ウルは我慢できなくなってうつむく。嗚咽が止まらず、涙が頬から床に流れていた。
「ウル……」
ライトはウルの隣に座る。自然と体がそう動いた。しかし泣いているウルを見てどうすればいいのかまったくわからなかった。
それからしばらくの間、ゲンジとライトはウルが落ち着くのを待った。ライトは何か言ってやらないとずっと泣き続けるのではないかと心配だったが、意外に早くウルは泣き止んだ。落ち着いたウルを見て、寝床を用意しないといけないことに気付いたゲンジは、ライトに寝床を作るように言った。それを受けて、ライトは自分の部屋に藁や干し草を外の倉庫から運んだ。自分のことなのに何もしないのは気が済まないと、客であるにも関わらずウルもその作業を手伝った。それからライトが普段寝ているぐらいに寝床を整えると、二匹はその上に座り込んだ。
「さっきはゴメンね」
ウルが口を開いた。顔はうつむいたままで、声色も暗い。
「見苦しいとこ見せちゃった」
「別にそんなことないよ」
ライトがそう言うと、また二匹は黙り込む。完全な無音。静寂が彼らを包んだ。聞こえるのは風が吹き付けて時折揺れる窓の音だけだ。窓から映りこんだ外の木々の影が床の上で揺れる。ライトは自分の部屋であるにも関わらず居心地の悪さを感じた。
そんな時間が少ししてから、ライトがその静寂を破った。
「じっちゃんに言われたんだ。相手の立場になって考えてみろって。オレもウルの立場になったら同じこと考えるかもしれないし、同じように泣き出すかもしれない」
そこまで言って、ライトは気付いた。ウルは自分の秘密を全部教えてくれたのだ。だったらこちらのこともすべて言う必要があるのではないかと。ライトはゲンジから、常に相手には対等に接しなさいと言われたことがある。その時のライトには対等という言葉の意味がわからなかったが、ゲンジはそんなライトに対等とは相手と同じ目線で立って向かい合うことだと教えた。それでもよくわからなかったのだが、今こそウルには対等に接するべきではないのかとライトは感じた。
だから話すことに決めた。自分の秘密を。
「オレ、お父さんもお母さんもいないんだ」
突然の告白にウルが「えっ?」と驚き、顔を上げる。
「オレ、じっちゃんと血がつながってないんだ。五年前にここら辺で倒れてるところをじっちゃんに拾われたんだって。オレもその時のことはよく覚えてないからあんまりわかんないんだけど」
ライトの話をウルは黙って聞いていた。
「それに、オレ拾われる前のこと何も覚えてないんだ」
「それって記憶喪失ってこと?」
「うん。だからオレ、本当はどこの誰だか今でもわかんないんだ」
言いたいことを言い切ってライトはため息を吐く。
そこでウルは怪訝な表情で尋ねてきた。
「なんでそんなこと教えてくれたの? こんなことあんまり言いたくないと思うのに」
「いや別にそんなことはないんだけどね。ウルも本当は言いたくなさそうだったのに教えてくれたから、オレも言わなきゃって
思ったんだ」
「そっか……」
また一瞬だけ沈黙が彼らを包んだ。しかし先ほどの居心地の悪さは感じなかった。
「ありがとう」
ウルは真っ直ぐライトの目を見て言う。
「いいって。さ、こんなことばっか話してると気が滅入っちゃうよ」
「そうだね」
クスクスと二匹は笑いあう。
「ウル、村の外の話してくれないかな? オレ一回も外に出たことがないんだ」
「わかったよ。じゃあどこから話そうかな……」
ウルの話はライトにとってはとても刺激的なものだった。赤レンガを積み上げた、ここよりも何倍も大きな街。その街が面している、海という途方もなく大きな塩水の水たまり。そしてその上を往く船という乗り物。どれもライトにとっては想像もできないものだった。
そんな話を聞いているうちに、ライトにはある考えがよぎった。それはこの村を出ること。ウルについていって一緒に旅をすることだった。
元々外の世界への興味はあった。むしろそれがあったからこそ、この村の周辺の探検などということをやっていたのだ。父親を探すウルの手伝いもしたい。ここまで事情を知ってしまったのだ。ここで「はい、さよなら」というのは自分としては気が済まなかった。
そして目の前のウルと話しながら心に決めるのだった。旅に出ようと。
その夜、ウルは喉の渇きを感じて目が覚めた。
ろうそくの明かりすらない真っ暗な視界の中で、寝息を立てているライトの姿が映った。気持ちよく寝ているのか、ウルが起き上がっても起きることはなかった。
寝起きで頭がぼーっとしていたが、まだそれほど寝ていなかったためか立ち上がれないほど寝ぼけてはいなかった。ウルは目を閉じた。瞼の裏にはこの部屋の様子が、闇の中に青白い光として浮かび上がる。この世の万物に宿るという波導。父との修業のおかげでウルも周囲に何があるのかを視覚に頼らずとも知ることができた。現にウルの瞼の裏に広がっている闇の中では、足元にある本の輪郭がはっきりと浮かび上がっていた。
そうして足を引っかけることもなく扉にたどり着いたウル。最後に後ろを振り向き、ライトが起きていないことを確認する。それから静かにドアを開ける。
扉の先ではろうそくの明かりがついていた。そしてそのオレンジ色に照らされた空間の中に、ゲンジがいた。
「おや、どうしたんじゃ?」
ゲンジがウルに気付き、静かに話しかける。
「あ、いや、ちょっと喉が渇いて……」
「そうか、ならそこに座っていなさい。入れてきてやろう」
ウルがちゃぶ台の前に座ると、ゲンジはろうそくを持って暗闇の中へ消える。何かに水が注がれる音が聞こえると、ゲンジは片手にろうそく、もう片方の手に水の入ったコップを持って帰ってきた。
「ありがとうございます」
「なんじゃ固いのう。もうちょっと砕けて話せばいいのに」
「いや、でも今日会ったばかりなのに、いきなりそんなことは……」
ウルは戸惑いながらコップの水を喉に流し込む。ひんやりとした感触が喉を通り抜ける。
「あの、昼間はすいませんでした。見苦しいところを見せてしまって……」
ウルは半分ほど水を飲むとコップを起き、うつむきながらゲンジに謝る。
「気にせんでいい。誰だって独りは寂しいもんだ。それが子供なら尚更じゃ」
ゲンジの言葉がウルの心の中をかき乱す。父がいなくなって三年、大人にこのように優しく話しかけられたことがなかった。ゲンジの口調はまるで身内に話しかけるように柔らかく、まるでかつて父が自分に話しかけてきたときのものとそっくりだった。
今すぐにでもゲンジに甘えたいとウルは思ってしまった。この三年間、ずっと奥底に抑えていた感情が溢れそうになる。しかしゲンジは今日出会ったばかりのポケモンだった。そんなポケモンに甘えても迷惑がられるだけだと、ウルはなんとか自制心を保っていた。
「それにしてもライトはうるさかったじゃろ? ずっと話し込んでおったようだしの」
ゲンジの言う通りであった。ライトの声は居間のほうにも聞こえるぐらいの大音量であり、それが日が暮れるまで続いていたのだ。しかも夕食を食べ終えてからも再開し、さすがにゲンジがなんとか落ち着かせて寝かせたのだった。
「僕は別に、そういえば僕同い年ぐらいの子と話すの初めてだったんです。だからなんだか楽しくて」
「そうじゃったか……」
ゲンジはウルから視線を上に逸らし、目を閉じる。それはまるで何かを思い返しているようであり、再び目を開いたときの表情はどこか寂しげだった。
「お前さん、ライトから話は聞いたのか?」
ゲンジが尋ねる。ウルは何の話のことだろうと一瞬考えこむが、昼間ライトが話したことを思い出す。
「ライトがゲンジさんに拾われたって話ですか?」
「そうじゃ。あやつが拾われたとき、それはもう全身傷だらけでな、そのショックのせいか言葉もロクにしゃべれないぐらいに記憶を失くしておった。もちろん自分の名前など言えるわけもない。まあ名前をつけた後、何も言わなかったところを見ると名前すら忘れてしまったみたいだがな」
ゲンジがため息を吐く。
「ライトって名前は、ゲンジさんがつけたんですか?」
「ああ。偶然この本が足元に落ちていてな。これから取ったんじゃ」
ゲンジは手元の本を持ち上げる。ろうそくの明かりの色と同化していたため、ゲンジの前に本が置いてあることにウルは今まで気付かなかった。
「『四の勇士の伝説』ですか? これ、おとぎ話ですよね?」
「そう、この四の勇士『光の導師』から名前を取ったんじゃ」
ゲンジは本を拾い上げてその表紙を見つめる。
「あやつを拾ったのはもう五年も前のことだが、まだつい昨日のように感じられる。元々この村には子供はおらんかっての、一番若い奴でももう所帯を持っとる。村のみんなはライトのことがかわいくて仕方がなくてなあ。
じゃが、子供がおらんということは、同い年の遊び友達がおらんということだ。あやつはその遊び友達を欲しがってたのかもしれん。あやつ自身がそのことをわかっていなくてもな。それはわしら年寄りにはどうすることもできんことだったしのう」
ゲンジの視線がウルに戻る。
「あやつにとってお前さんは初めて友達と呼べる存在だったのかもしれんな。まあ初めて会っていきなりそう言われるのは困るかもしれんが」
「そ、そんなことないですよ。ボクもライトと話してるといろいろ楽しかったですし、友達になれたらなって思いましたから」
「そうか、ならよかったのじゃが……」
ゲンジが話すのをやめて、再び遠くを見つめる。ゲンジの表情は何かを覚悟しているかのようだった。ウルが怪訝な表情をしているとゲンジはそれを察してウルに話しかける。
「さ、もう寝なさい。疲れておるのじゃろ」
「あ、わかりました。では……」
ウルは立ち上がってライトの部屋へと入っていく。
「もうライトがここに来て五年か。かわいい子には旅をさせよと言うが……」
ゲンジの呟きは誰にも聞かれることなく、闇に消えていった。
ウルは目が覚めると、まず窓の外を見た。うっすらと霧がかっており、その霧の中から見上げる空にはまだオレンジ色が半分ぐらい残っていた。
隣で寝ていたライトの姿を確認する。ライトは未だに気持ちよく寝息を立てており、しばらく起きてくる気配はなかった。その様子にウルはほっと息を吐く。
ウルは部屋の机に置いてある紙を手に取る。夜にゲンジと話してから書いたものだった。波導を見ることができれば、明かりがなくともインクの軌跡を感じ取ることができる。
本当はちゃんと別れの挨拶をしてから出て行きたかった。世話になった者に対する礼儀は、いくら父親以外のポケモンとの交流が少なかったウルでも分かっていた。しかしこれ以上あの二匹と顔を合わせれば本当に別れるのがつらくなってしまう。そしてそうなってしまえば、父を探す旅も続けられなくなってしまう。だからウルは出るなら今しかないと考えていた。
ライトを起こさないようにゆっくりと扉を開ける。居間には朝日の光が淡い線となって差し込んでいた。そこにはゲンジの姿もなく、ウルは胸をなでおろす。
手紙をちゃぶ台の上に置いてウルはドアノブに手をかける。今ライトの部屋に戻ってひと眠りすればまたライトと話すことができる。ゲンジの作る朝ごはんを食べることができる。それはこの三年間一度もできなかったことだ。その誘惑がウルを手招きする。しかしそれに応じるわけにはいかなかった。この旅は父を探すためのものだ。ここにとどまれば今までの旅が無駄になる。
外に出るとウルは後ろを振り返らないようにした。振り返れば戻りたくなってしまう。自然と速足になっていた。一刻も早くここから離れようと体が急かしていた。
「どこ行くんだよ?」
そんなことだから、後ろから声をかけられたときウルは心臓が飛び出そうなほどに驚いた。しかもその声はとても聞き慣れたものだった。
「なんでここに?」
ウルが振り向くと、そこにはショルダーバッグを提げたライトがいた。
「だってウルが出て行くのわかったから」
「キミ、寝てなかったの?」
「ウルが起きたときには本当は起きてたんだ。でもこんな時間に起きるのもおかしいなって思ってちょっと寝てたフリしてたんだよ。わかんなかったでしょ?」
「全然わかんなかった…… ていうかそのカバンは? 今用意してきたの?」
「次の日の探検用ってことでいつも準備してるんだ。こんなときに役に立つとは思わなかったけど」
「そ、そうなんだ……」
ウルは脱力しそうになるが、なんとか踏みとどまる。
「でもなんで追いかけてきたの?」
「オレも連れてってほしい」
ウルは一瞬ライトの言ったことがわからなくて呆けていた。
「……えっ?」
「だからオレがウルについていくの。いいでしょ?」
「『いいでしょ?』じゃないよ! 旅するのって大変なんだよ? ご飯も毎日食べられるかわかんないし、いつも屋根のある場所で寝られるわけでもないんだよ?」
「そんなのわかってるよ。でもウルの話聞いてじゃあ頑張ってねでほっとけるわけないじゃん。オレもウルの手伝いをしたい。だって、ウルはオレの初めての友達だから」
友達という言葉がウルの頭の中で反響した。
「でも……」
だからこそだ。ウルもライトのことを友達だと思っていた。だからこそ自分の事情に巻き込みたくなかった。旅というものは危険がいつも付き纏う。そんな危険なことに友達を連れて行きたくなかった。
それに、ライトにはゲンジがいる。
「でも、ゲンジさんはどうするの? このまま黙って出て行ってもいいの? 家に戻って事情を話してもゲンジさんは納得してくれるの?」
「大丈夫だよ。じっちゃんならわかってくれる。絶対に」
「何の根拠があって言ってるんだよ。そんなのわかんないだろ?」
「オレにはわかるよ! 絶対にじっちゃんは認めてくれる!」
「だからそんなの絶対ダメって言うに決まってるよ!」
「それこそわかんないだろ!」
いつの間にか二匹は大声で叫びあっていた。森に二匹の声がこだまする。だが互いに意見を譲らなかった。終わりのない口喧嘩が続き、森の中を鋭い声が走る。
「朝から何怒鳴り合いしとるんじゃ?」
こんな調子だったからか、後ろから近づいてくる者にライトとウルは全く気付かなかった。
「じ、じっちゃん!?」
ゲンジがライトの後ろから欠伸をしながら現れた。
「まったく、ここにわしら以外に誰もいないからよかったものの、誰かいたら近所迷惑もいいところだぞ」
「ゴメン……」
「す、すいませんでした……」
ライトとウルがうつむく。
「まあその話は置いておくとしよう」
ゲンジはウルを真っ直ぐ見つめる。
「ウルよ、ライトを連れてってやってはくれんか?」
ウルはゲンジの提案に思わず「えっ?」と声を漏らした。
「もうこの子もいい年ごろだ。こんな小さな村に閉じ込めておくのもかわいそうじゃ。だから、この子に外の世界を見せてやりたい。それにこやつもそれなりには役に立つはずじゃ。いないよりはマシぐらいにはな。もちろんお前さんが嫌といえば無理にとは言わんが」
「じっちゃん、それなりに役に立つってどういうこと? いないよりはマシってどういうことだよ?」
ゲンジの言い方に扱いの悪さを感じたライトがかみつく。
「本当のことを言っただけじゃ。お前よりウルの方がよっぽどしっかりしとるわい」
「オレだってちゃんと役に立つさ!」
「だからそれなりには役に立つと言ったんじゃ」
「言い方が悪いだろ!」
ゲンジとライトが口論を始めてしまい、一気に蚊帳の外に置かれてしまったウル。ウルは二匹の様子を口を開けてポカンと見ていた。
「おっと話がそれてしまったわい。どうじゃウル、連れて行ってくれんか?」
ゲンジが話しかけてきて、ウルの意識が現実に引き戻される。
「で、でも、いいんですか? 危ない目に遭うかもしれないのに……」
「確かにそうかもしれん。じゃが、それをどうにかできる力がお前さんにもライトにもあると、わしは思っておる」
そこまで言われたことでウルは決心がついた。こんなに信用してくれているのだ。それに応えないわけにはいかない。
「わかりました」
「そうか、ではこの子を頼む」
ゲンジはライトの方を向く。
「ライト、ウルの迷惑になるようなことは絶対にしてはいかんぞ」
「そんなのわかってるよ」
「それならいい。じゃあこれを渡しておこう」
ゲンジはライトに手を出すように促す。そしてライトの手のひらに硬貨を乗せる。
「これって?」
「旅をするにはお金がいるからな。まあないよりはマシじゃろう。なくなったら街のほうで何か仕事でも探して稼ぎなさい。じゃが、危ない仕事はやってはダメだからな。そこはちゃんと見分けるようにしなさい」
「わかったよ」
するとゲンジとライトがウルの元に歩いてくる。
「ウルよ、『レッカタウン』には行ったか?」
「いえ……」
ウルには聞き慣れない地名だった。
「ふもとに下りると集落があって、その先に大きな街道がある。それを道なりに行けば『レッカタウン』に着く。この『火の大陸』で一番大きな街じゃ。いろんなポケモンが集まってくるからお前さんの父親の話ももしかしたら聞けるかもしれん」
「わかりました。ありがとうございます」
「では、頑張ってな。もしこのバカが下手をやらかしたら遠慮なくぶん殴ってくれても構わんからな」
ゲンジの言い方にウルはクスリと笑う。
「じっちゃんひっでえな! オレそんなことしないよ!」
「さあどうだかな?」
「わかりました。容赦なくぶん殴ります!」
「あっ、ウルも真に受けんなよ!」
ウルとゲンジが大笑いし、ライトは不満そうな顔をする。
「よし、じゃあもう行きなさい。日が暮れるまでにふもとへ下りるんじゃぞ。何かあればまたここに戻って来ればいい。いつでも歓迎するよ」
「わかったよじっちゃん。オレいろんなもの見てきてじっちゃんに話すから」
「ああ、楽しみにしておるよ」
ライトとウルはゲンジに背を向ける。
「じゃあいこっか、ウル」
「うん、これからよろしくね、ライト」
これがこの星のポケモンたちの存亡をかけた冒険の始まりになるなどと、誰も思わなかったに違いない。
しかし、それは当たり前のことなのだ。出会いは新たな出会いを生み、その出会いがまた新たな出会いを生む。そうして世界は動いていく。
この出会いが、彼らを運命に気付かせる最初のきっかけだった。すべては小さな出来事から始まるのだ。