チェラミカ
──Ceramica、陶芸とはその愛を一心に捏ねるものだ。
白土で成形された素地に、小さな筆で細かく絡み合う蔦を描きこんでいく。一酸化ニッケルの多分に含まれた緑の下絵が描き出すのは、高貴なるロイヤルポケモンのジャローダだ。次々と皿の縁に蔦が這っていく。
そして、その最後に見る者を動けなくさせるという、威厳の象徴たる紅い瞳を描き込む。あとは、これを室で乾燥させて、日干しして、釉薬を塗り、窯で焼成する。一段落して白い皿になるはずの粘土に描かれたジャローダを見ていると、背中に視線を感じた。
振り返ると、私の手持ちで仕事の仲間である、ヌオーのトレニアがじっと固まって、皿と私を見ていた。
「ずっと見ていたのかい?」
「ぬぅ」
トレニアは大きな口を開けて、手を上げて頷いた。私がその様子に思わず微笑み、すべすべとした水色の体を撫でてやると、くすぐったそうに目を細めた。のんびり屋なこの子が私の作業をこうして見ていることは少なくない。
この“トレニア”という名も、出会った当時、私の妻が大事に育てていたトレニアの花をじっと見つめていたことに由来する。
「下絵は終わったから、皆でティータイムにしようか。コットを呼んでおいで」
「ぬぅ!」
トレニアは元気よく返事をすると、窯の近くで寝ているウインディのコットの元に、ぱたぱた駆けて行った。私は先程描き上がった皿をいくつか冷えた室にしまい、頭に巻いたバンダナをするりと取ってひと息つく。
細かい作業に集中していたためか、どっと出た疲れと空腹感が私を襲った。個展まであと数ヶ月しかないが、このペースならなんとか仕上がるだろう。そう考えながら、土で汚れた作業着を脱ぎ、手を丹念に洗って、妻が紅茶を淹れて待つだろうテラスに向かった。
晴れた昼空のテラスには、エプロン姿の妻がバゲットにお茶菓子を入れて待っていた。コットは妻の横脇に緩やかに寝転んでおり、トレニアは大きな尻尾を存分に振って私を待っていた。そんな姿を見て微笑を零し、私も席についた。白樺のテーブルを囲うように、妻が丹精込めて育てている、薔薇を初めとする色彩豊かな花々が淑やかに咲き誇っている。
その花々を支え、優しく包み込む、花壇や植木鉢を作っているのは他でもない私だったりする。妻曰く、素焼きの鉢は水捌けがよく、陶器の鉢は水がよく浸透するのだと言う。私が鉢を作る度に妻は嬉々としてホームセンターのガーデンコーナーへ行き、花の苗を買ってくる。そんなことだから、このテラスには花の鉢植えが溢れていた。
野生のビビヨンが掬うように花粉を集めている姿が見える。その可憐な羽模様に目を奪われつつ、ロズレイティーを嗜んだ。
「今日ね、聞いてあなた。私びっくりしちゃった」
「何かあったのかい?」
私の向かいに座り、ミアレの名物菓子であるミアレガレットを上品に咀嚼している妻がいたずらっ子のように微笑んだ。
「水やりしていたらね、空いてる鉢に知らない植物が植わっててね。こんな植物植えたかしら? って思いながら水をあげたのよ」
「ほうほう」
「そしたら、水を浴びたその植物が元気よく飛び出たの! ナゾノクサちゃん、あなたの鉢が気持ちよくて寝ていたのね」
「それはなんだか可愛いらしいね。私も居合わせたかったよ」
大きな身振り手振りで、今朝あった出来事を心底楽しそうに話す妻を見て、私は微笑んだ。出会った時から相変わらず少女めいた可憐な人だな、なんて思いつつ、こんがりよく焼けた、小麦色の軽い食べ口のガレットを齧った。
「起こしちゃ悪かったかしら」
「水浴びできて良かったんじゃないかな?」
頬に手を当てて考える妻に私はそう言った。それを聞くと妻は少しばかり曇らせた顔を今度は晴れさせて、それもそうね、と笑顔で頷いた。
野生のヤヤコマが、妻の脚元に遊びに来ていた。ピィピィと甲高い声で鳴くと、彼女は優美な笑顔でガレットを砕いてヤヤコマに撒いていた。それにつられて、もう複数ヤヤコマが集まってきた。中には彼女の肩に乗る個体もいた。寝ているコットの頭にとまっている個体もいる。コットはほのおタイプだから、暖かくて居心地が良いんだろうか。本人は微動だにせずに陽射しを浴びてうたた寝している。
「ぬぅぬぅ」
「ん? 食べさせて欲しいのかい?」
トレニアが私の袖を引っ張っていた。これは、おやつが欲しいの合図だ。それも私の手から直接。私はバゲットからガレットを一つ取ると、尻尾を左右に振って待つトレニアにぽいと放り投げた。
ガレットは綺麗に弧を描いてお口でナイスキャッチされた。トレニアはもぐもぐと口を動かしてからごくん、と一呑み。
「いい食べっぷりだなあ」
私が頭を撫でてやると、つぶらな瞳が曲線に歪んだ。花とポケモンが入り乱れる穏やかな昼下がり。私はこの時間に静かに逸楽を感じていた。
*
「お、ポケモンバトルかぁ。懐かしい響きだねぇ」
私はトレニアを連れて近所の河川敷にやって来ていた。妻にお使いを頼まれた帰りだった。インスピレーションを得る機会にと、私は製作が一段落するとこうして休憩がてら散歩をした。トレニアやコットを連れて、時には野花をスケッチしたり。街で食べ歩きをしたり。そんなことをして過ごすのが常だった。
目の前では、川を背に、短パンの元気そうな少年と塾帰りの鞄を背負った少年がポケモンバトルをしている。ホルビーとヒノヤコマが互いの主の声を聞いて、懸命に動いていた。空中戦な分、ヒノヤコマがやや有利だろうか。そんなことをぼんやりと考えていた。
きっと、トレニアはそれよりも、周囲に咲く菜の花が気になっているだろう。そうしてふとトレニアを見遣る。
意外にも、トレニアはこの陸空対戦に見入っていた。というよりも、この子のこんなに真剣な顔を見るのは一体いつぶりだろう。静かだが、確かにつぶらに釘付けになる瞳を私はただ見ていた。
「行くよ、お使い果たさないとね」
「ぬー」
私が軽く揺すって声を掛けると、トレニアは短く鳴いた。そして、ゆっくりと歩き始めた。その声はなんだか名残惜しそうだった。この二匹の対戦の行く末を見届けたかったのかな。私はそう思うことにして、マイバッグに入った野菜達を持ち直した。そして、夕焼けに染まる帰路についた。
*
翌日、私とトレニアは工房にいた。トレニアがどろばくだんで吐き出した泥に、私が用意した乾いた赤土を混ぜ合わせて調合する。そうして出来た泥漿をビニール袋に詰めて、トレニアと二人で踏み尽くす。とにかく踏んだ。そば打ちの生地作りを想像してもらえれば、分かりやすいだろうか。こうして二人係で足踏みで粘土を錬成するのを私は常とした。
「お疲れさま」
トレニアは大きく欠伸をして、ぺたりと工房の石畳に座り込んだ。粘土を二人で足踏みするのは、いつものことなのに、今日のトレニアは普段よりも疲れているみたいだった。眠たそうにうつらうつらしている。どうしたのだろう。トレニアは体力がある子だと思っていたが。眠たいだけならいいのだけれど。
そうして練り上げた粘土を陶器の形にすべく、私はろくろのセットされた作業台に粘土を敷衍した。
くるくると高速回転する粘土。そっと撫ぜるように両手を添わせると、その淵はするすると延びていく。焼いた時に砕けたり、ヒビが入らぬように。あまり薄くなり過ぎないように。左右対称に延びる粘土を拡げていく。
そうしていくと、片手で持てるくらいの茶器の形を成した粘土が完成した。ろくろを止め、湿度と日光を調整した室にしまう。ここでしばし中の水分を飛ばし、それから釉薬というガラス質のツヤのあるコーティング素材を塗ってから、焼成し、金の上絵で絵付けをしてこの作品は完成する予定だ。
作業が一段落して、他の作品の絵付けを進めようと錆絵の顔料を並べていると、広い工房内で泥遊びをしているトレニアの姿が目に入った。トレイに水を汲むついでに、近寄ってみると、泥団子を作っていたようだ。
「おや、上手だね」
綺麗に丸まった泥団子を見て、私がそう言うと、嬉しそうに目を細めて短く鳴いた。それにしても、水分も多すぎない、良い泥団子だ。いつの間にこんなに上達したのだろう。ついこの間なんかは、ただ泥を自分にかけて遊んでいただけなのに。ポケモンと人間ではやはり成長の速度が違うということなのだろうか。トレニアも日々成長しているのだ、私も負けてはいられない。そう思って筆を持つ手に力を込めた。
*
一日の作業が終わり、私は食後に温かいカフェオレを飲んで寛いでいた。ほろ苦い温かさに疲れが溶けていくようだ。もちろん、そのマグカップは私の自作だ。ボクレーの形をした焦茶色の陶器のマグカップ。根のような尻尾の持ち手がお気に入りだ。
向かいにはトレニアが座り、お行儀よく妻の淹れたカフェモカを飲んでいた。トレニアの持つ白地に水色の模様のマグカップも、もちろん私の作品だ。目を細めてほくほくとするトレニアに、私は微笑が零れる。
「ごちそうさま」
「ぬぅ!」
私とトレニアは同時に言うと立ち上がり、シンクにマグカップを置こうと歩いた。と、その時。
トレニアは十分に下げきっていなかったであろう、自分の座っていた、椅子の脚に躓いて転んでしまった。持っていた、白いマグカップの砕けて割れる音が響いた。
「トレニア、大丈夫かい? 怪我はない?」
「ぬぅ……」
トレニアは首を振ると、哀しそうに鳴いた。私が見たところ怪我はないみたいだ。ほっと胸を撫で下ろす。そんな私を見て、申し訳なさそうにぺこりとお辞儀をした。
「いいんだよ。また作ればいいんだから」
私は優しく微笑んで頭を撫でてやった。それでも、トレニアは哀しそうにつぶらな瞳を下げていた。
それにしても、またか。ここ最近のトレニアの様子はなんだかおかしい。常にそわそわしているような印象を受ける。
もしかすると、トレニアはこの陶芸との日常に飽き飽きしているのかもしれない。この間のバトルを真剣に見ていた時にも少し感じた。もしやこの子は、ポケモンバトルをしたがっているんじゃなかろうか。だとしたら、あの時の真剣な眼差しも、粘土を捏ねる時の欠伸も退屈の象徴だと理解できる。今日、マグカップを割ってしまったのだって、本当はバトルがしたくても出来ない現状に、体が疼いたのかもしれない。
我ながら嫌な推測に、ぞわりと背筋が震える。私はバトルは専門外だ。ポケモンを傷つけるのは気が進まないし、知識だって不十分だ。きっとポケモンも、私の指示では満足いくように戦えないだろう。
しかし、本当にトレニアが陶芸よりもバトルをしたがっているならば……私はトレニアとお別れすることも考えてやらねばならない。
*
翌日、私は変わらず工房にいた。下絵付けをした皿や椀に、刷毛でムラがないように釉薬を塗っていく。釉薬はツヤ出しと下絵のコーティングを兼ねる大事なものだ。ここの所、個展に向けて作品を続けて作っていたからか、瓶に入っている残りは少ない。新しい瓶を棚から出す。後で新しく注文しておかねば。
窯に作品同士がくっつかないように慎重に並べて、扉を閉める。竈に十分な量の薪をくべると、私は寝ているウインディのコットを呼んだ。
「コット、お願いするよ」
コットは大欠伸をした後、口から紅い灼熱の火炎を吐き出した。それは薪に満遍なく引火し、窯全体を包み込むように燃焼している。私がその様子を見ながら、頷くようにふさふさの鬣を撫でてやると、右手に甘噛みされた。昔なら骨を折る勢いでじゃれついてきたのに。お前も歳をとったな、なんて思っていた。
後は窯の温度を調整しつつ、焼き上がるのを待つばかりだ。私は気がかりになっていたトレニアに目をやる。トレニアは、工房の外の庭で暖かい日差しを浴びながら、尻尾を左右にゆるりと振りつつ何かを見ていた。空を見ているのだろうか。いや、それとも見ているのではなく、考えているのかもしれない。
今日も、私はトレニアにお手伝いをさせてしまった。あの子は嫌な顔なんて全然しなかったけれど、でもやっぱり普段より眠そうだった。もし、私との陶芸の日常に退屈しているなら。新しい刺激を求めているのなら。私は胸が痛くなった。大きな空色の背中は、なんだか影を落としているように見えた。
*
数時間ほどして、竈の火を消し、扉を開ける。
中で焼成していた陶器達を確かめるが、どれも綺麗に焼き上がっているようだ。上絵付けの待つ作品を選別して、完成した作品は工房の棚に保管する。
一日の作業が終わって、工房の窓には緋色の光が差していた。夕暮れだ。疲れと汗をタオルで拭った。作業着とバンダナを脱ぐ。炭で汚れた手を洗い、先に妻たちが夕食をこさえて待つだろう食卓に向かった。
私を出迎えたのは、色鮮やかな花飾りで彩られた食卓に、豪勢な夕食と、それからパーティポッパーを鳴らす妻たちだった。
「お誕生日おめでとう、あなた」
妻は子供のように無邪気に笑い、驚く私にクラッカーサンドの盛られた皿を寄越した。トレニアもコットも嬉しそうに尻尾を振っていた。そうか、誕生日。すっかり個展に、トレニアのことに夢中になっていて忘れてしまっていた。驚きはしたが、自然と笑みが零れる。妻に促されて、大きなケーキの正面に構える席についた。ケーキはクリームで搾られた花が付いている可愛らしいものだった。また器用なことをする人だ。
「私と、コットちゃん。それからトレニアちゃんからのあなたへのプレゼントがあるの」
「それは、楽しみだね」
ビネガーの効いたワインに、チーズとオリーブの挟まれたクラッカーサンドを口にしながら、うきうきといった様子でプレゼントを取りにいった妻を見た。このサプライズだけでも嬉しいのに、私は本当に幸せな家族を持ったものだ。
「はい、これ。勝手に釉薬を使ってごめんなさい。でも、窯には近づいてないわよ。コットちゃんが焼いてくれたの」
妻が持ってきたのは、温かな乳白色のマグカップだった。持ち手が捻れたように曲がっており、飲み口は柔らかく三角形に歪んでいる。よく見ると、そのマグカップにはヒレの跡のような薄い線がいくつも付いていた。
「ひょっとして、トレニアが形成したのかい?」
「ピンポーン! さすがあなたね!」
「ぬぅ!」
妻は可憐に笑ってトレニアと抱き合っていた。彼女によしよしと撫でられると、照れたように頬を染めた。なるほど、私に隠れてマグカップを作っていたからあんなにも疲れていたのか。そわそわしていたのも、これを隠していたから。泥団子があんなにも上手になっていたのも。バトルを見ていたのは、トレニアのことだから、ひょっとしたら背にしていた川で遊びたかったのかもしれないな。
私は全てに納得がいって、そして彼女たちの愛情に頬が緩み、思わず視界が潤んだ。
「ありがとう。最高の贈り物だよ」
私は立ち上がって、妻とトレニアとコットを抱きしめた。トレニアをめいっぱい優しく撫でてやると、心底嬉しそうに目を細めて尻尾を振ったのだった。
*
穏やかに晴れた昼下がり。四季折々の花が花壇に咲き乱れ、鳥ポケモンと虫ポケモンがその董香に引き寄せられていた。
座る男性の前に、白樺のテーブルに置かれたマグカップはこれでもかと言うほど不格好に歪んでいた。それでも、男性はとても大事そうにそのマグカップを持ち、女性の淹れる花の香りの紅茶を嗜んでいた。
それは、まるでマグカップという形を成した愛を両手で包み込んでいるかのようだった。