短編一覧
メビウス
 群青の空は、今日も変わらずの清々さで、それは地上に生きる者を見守っているようにも、無責任にも放任するかのような深さだった。
 その天高き空から、一匹のポケモンが地表に流れ落ちた。其れは、隕石にしか見えない硬い殻を持つポケモン。人間は彼らをメテノと呼ぶ。
「あ、あれ......知らない、世界なの」
 目を覚ましたメテノは、眼前に拡がる地上世界を呆然と眺めるばかり。それもそのはず、彼らは元々オゾン層に棲むポケモン。大気の薄い、地上のことは全く知らない。
 メテノは、初体験ばかりが転がる世界を見て回り始める。青々と茂る木々。静かな水流。群れを為すポケモン達。小さな感動と興味が、その度に押し寄せる。この自然の空気が、自分に害をもたらすことはなさそうだと、メテノはホッとしていた。
「あれも、この世界の一部なの?」
 目を張る先は高台の頂上。苔と蔦の張る中に、明らかに他の情景からは浮いた異質な物体が聳えていた。白く硬質な円柱は、真っ直ぐとメテノの故郷を向いている。
 その物体を見ていると、メテノは隣にポケモンの種族を発見した。黒く人型の姿をした、人間の女性のような其れは、メテノが近づくよりも早く、ふわりと浮遊をして話しかけてきた。
「こんばんは。貴方も天体観測ですか?」
 彼女は、優しい笑みでメテノを迎えてくれた。柔和な雰囲気に、メテノも安心して話しかける。
「こんばんはなの。ボクは、メテノ。あの空からやって来たみたい」
 ツインテールのような頭の彼女は、空を指すメテノに大層驚き、そして目を輝かせていた。
「まあ! 私はゴチルゼルのメビウスです。空から来たなんて、ロマンチックですね」
 メビウスが丁寧に自己紹介をすると、メテノも彼女を好く思ったようで、ぐるりと一周して見せた。
「あのね。ボク、来たばかりでここのことまだ分からないの。だから、良ければメビウスに教えて欲しいの」
 優しい彼女は、勿論と頷く。
 ここら一体は、以前人間の研究所があった場所で、しかし今は人材不足で解体され、小さな廃墟と草むらが、野生ポケモン達の住処になっていること。
 きのみの生る木の群生や、他のポケモン達の縄張りとなっている場所まで。彼女は詳らかに話した。メテノはしばらく静かに聞き入り、そしてメビウスに礼を告げた。
「ねえねえ、メビウスはここで何をしてたの? この白くて大きな物と関係あるの?」
 メテノが気にする、大きな円柱の機械。彼女はそっと手を添えると、少し感傷的な瞳で空を見上げる。それから向き直ると、微笑を湛えたままに話し始める。
「私は天体観測をしていました。もうじき訪れる、ハレー彗星を観測するのを夢見ていますから」
「じゃあ、これは天体観測をする道具なの?」
 メビウスはにこりと頷く。メテノを手招きし、そっとレンズ越しの星空を見せた。視界に現れたのは、画角の広く明瞭な一等星達。メテノは驚いたのか、その場でくるくると速く回転し、喜びを表していた。
「すごいなの! これ、メビウスが作ったの?」
 楽しそうで仕方ないメテノに、メビウスは静かに首を振る。
「いいえ。これは人間の発明で、私のトレーナーだった方が使っていた物なんです」
 ひと息吐いたメビウスは、そのまま自分が望遠鏡を使って、天体観測をする迄の経緯を話した。


 彼女のトレーナーは、年老いた数学者の男性だった。娘のパートナーになる筈のゴチムを、彼は一目惚れしてしまい、パートナーにしてしまったという。
 当時ゴチムだった彼女が、彼からもらった名は『メビウス』。しかし、まだ幼く人間の言葉の判らない彼女が、メビウスの輪やそれが暗示する意味等、到底分かるはずがなかった。ゴチムは、メビウスという名前だけを覚えた。
 メビウスとなった彼女は、次第にゴチミル、ゴチルゼルと進化した。趣味で天体観測をする主人の手伝いをしながら、レンズから星々の動きを見て未来を見るのが楽しみだった。
 ゴチルゼルは、星の動きから未来を読み取る。しかし、星から得られる未来は、楽しいものや良いものばかりではなかった。ある日、メビウスが見たのはトレーナーである彼が、白い病室に臥せる姿。そして残り僅かな寿命であった。
 メビウスは必死にその事を伝えようとしたが、ゴチルゼルの賢さをよく知る彼は、動揺しなかった。既にその死期を受け入れ、メビウスと共に過ごしていたことを、彼女は初めて知ったのだった。
 数学者の男は、凡そ三年後に現れるだろう巨大彗星を見れないことを悔やみながら、家族に看取られていった。
 彼の死後、家族に引き取られることを、メビウスはやんわりと拒否した。彼が最後まで人生に費やしていた、あの天体望遠鏡と共に過ごしたかったからだ。そして、彼の見れなかった彗星を、自分が代わりに見届けたかった。
 その想いを胸に、彼女は今も尚望遠鏡の手入れをし、彼の願いを叶える為にここにいた。


 メビウスが話終わると、彼女は一度深呼吸してから再びメテノと望遠鏡を見つめた。
「ですから、これは約束なんです。それに、私も天体観測を通じて、彼が何故星を好きだったのか。知りたくて」
「そうだったの」
「......メビウスは、ずっと一人で寂しくないの?」
 一瞬、俯いて翳った瞳が、彼女の答えだった。淑やかな仕草からは分からないが、もう三年近く独りで天体望遠鏡の守人をしているのだ。
 それは、今まで大気圏で塵を食べて生きてきたメテノにすら、途方に感じた。メテノは空を飛ぶ種よりも遥か上空に棲むが、それでも同じ空旅をする仲間に時々逢えたからだ。
「ねぇ、ボクも一緒に見届けていい?」
 メビウスは小さく驚き、目の前でゆっくりと回転する生きた隕石を見ていた。何度目を瞬かせても、表情のない岩肌はそこで公転している。
 拒む理由は何らなかった。若干の照れを含み、お辞儀をするゴチルゼルの周りを、また衛星のようにメテノは回って見せた。
 彗星によって結ばれた彼らの絆は、この日から始まったのだった。





 ゴチルゼルのメビウスとメテノ。彼女たちは、遺された天体望遠鏡を守りながら、天体観測を続けた。
 雨の日も、雪の日も、雷雨であっても。詳しい点検はメビウスにしか出来なかったが、メテノが食料を用意したり、雨風を凌げるように岩壁を『ストーンエッジ』によって造る等、数々工夫をしていた。
 幸い、元から大きな天体望遠鏡の直ぐ横には、成人二人程が寝れるハッチがあり、寝床には困らなかった。
 これは、メビウスと彼女の主人の為に作られた空間なのだと、ここにはたくさんの想い出がまだ生きているのだと、メテノは度々思いを馳せていた。
 晴れた夜空の日には、二匹でレンズ越しの風景を覗き合う。メテノは、星にも種類があり、その一つ一つに名前や物語があるというのを、メビウスから聞いて初めて知った。
 とりわけ、星座が見えた日には、メビウスは自分が男から聞いた話を、懐かしそうに話してくれた。
 毎日の星の動きを予測するのも、ゴチルゼルである彼女は忘れていなかった。時折、メテノに美味しいきのみが取れる場所や、人が残した面白い物が見つかることを教えた。
 空気の冷える深々とした夜。そこで二匹で空を見上げて談笑し合う時間。それは、お互いに大事な時間になっていた。何ら取り留めのない会話が、彼らには愛しかったからだ。

「メビウス、明日は彗星見える?」
 メテノは、望遠鏡を覗き操る、彼女の後ろから尋ねてみた。天体観測する日には、必ずと言っていいほどメテノのこの問いから始まった。
「いいえ。でも、日に日に星の動きが速くなっていて......おそらくその日は、近いんです」
 この日のメビウスの言葉には、メテノは無邪気に喜びを見せた。普段からやや幼い話し方は、さらに歓喜に跳ねた。
 メテノも見てみると、幾つかの星の集まりがあった。あれは大きな角に見えるから、『メブキジカ座』なのだとメビウスは一昨日にも説明してくれたのを思い出す。
「もしや、貴女方も天体観測をしているのですか?」
 聞き慣れない第三者の声に、メビウスとメテノが周囲を見渡す。しかし姿はなく、代わりに金色に光る鱗粉が漂っている事に気づく。
「わっ、どちら様なの?」
 再びメテノが望遠鏡を覗いた時、映っていたのは星空のような背中をしたポケモンだった。
 メテノが驚く様子を見ると、満足そうに笑ってから二匹の目の前にやって来た。
「ふふふ、悪かったね。つい、其方の小さな方を驚かせたくて。私はレディアン。この草むら群に最近やって来たんだ」
 レディアン、と名乗った彼は礼儀正しく自己紹介をすると共に、メビウスとメテノに敵意のある存在ではないと説明してみせた。
 久しい訪問者に若干の困惑はしつつも、二者共に彼の人となりの良さを感じ取っていた。ゴチルゼルのメビウスとメテノは、軽く自己紹介をし、彼と友好を確かめ合った。
「メビウスさんにメテノさん、いきなり失礼したね。私は、他のレディアンやレディバ達から貴女方の噂を聞いていてね、どうしても会ってみたくなったんだ」
「噂、なの?」
 メテノとメビウスは顔を見合う。野生でない期間が長かったからか、メビウスの方は若干の不安を孕んでいた。レディアンはそのニュアンスを感じ取り、単純に“人間の機械で、天体観測をし続けるポケモンがいる”という噂のことを彼女らに伝えた。
 悪い噂ではないと、メビウスは胸を撫で下ろし、メテノは相変わらずゆっくりと回転し続けていた。
「で、率直に言いますよ。私もその観測会に混ぜて欲しくてね」
 レディアンは、自分達の種族は星明かりをエネルギーにするという生態を説明した。なので、近くにはレディアン達の住処も在るが、彼は天体望遠鏡や星座をよく知るゴチルゼルと、空から降ってきたメテノにも興味があるという。
 知的好奇心の強い彼は、群れからは若干孤立して、人間の街を旅することもよくあるそうだ。
 例えば、と花屋で物見をして一輪分けてもらった話や、オニドリルの群れに襲われたが、スカイトレーナーによって難を逃れた話を、自虐や比喩を混ぜて話した。
 かつては人間と暮らしていたメビウスから見ても、新鮮でまた違う世界の話。二匹は愉快な旅話に、何度か笑みを零す。
「ふふっ、面白い方なんですね。勿論構いませんよ、宜しくお願いしますね。レディアンさん」
「ボクも、よろしくなの!」
 メテノとメビウスは、博識でちょっと変わり者の彼が気に入って快諾するのだった。かくして、二匹だった天体観測の会は、また一匹お喋りな仲間が増え、続いていくのだった。





 ゴチルゼルのメビウスと空からやって来たメテノ、そして星明かりを食うレディアン。三匹は75年に一度の巨大彗星を待ちながら、晴天の夜空を見て談笑をする日を過ごしていく。
 特に星の瞬きの強い日には、レディアンの背中は煌煌と呼応し、残りの二匹は日によって違うその背中を、観察するのが習慣になっていた。
 星と星が、人の目に映らない速度で動くように。太陽と月が、重なり合う瞬間を待ち詫びながら、順々に空へ掲げられていくように。
 彼らは、決して日記や書物に書き留められなくとも、永く尊い時間を過ごしていく。メビウスにとって、しばらく独りで行うことであった天体観測。今となっては、その感覚すら懐かしい。
「ねえねえメビウス。彗星、明日は見える?」
 今日も最初に訊くのは、メテノだった。レディアンは星の流れはそれほど速くないと、茶化し混じりに言うが、星を見つめる、当のゴチルゼルのメビウスは、透き通った瞳を釘付けにして動かなかった。
「メビウス、どうかしたなの?」
「いつも通り、未来を観ているんじゃないかな」
 時折、僅かに震えて硬直するメビウス。凍ってしまったように微動だにしない。初めは楽観視していたレディアンも、心配になってきた。ゴチルゼルが観る未来は、良いものや小さなものに限らないからだ。
「メビウスさん、大丈夫かい?」
 強めに彼女の肩を揺すると、メビウスはハッと意識を二匹に戻した。そして、興奮と期待の入り交じる、切迫した声で告げる。
「あ、み、皆さん……つ、ついに見えます! 彗星!」
 メテノとレディアンは、一度顔を見合ってから、もう一度言葉を飲み込み、そして。飛び回るやら、金色の粉を振り撒くなどした。
 約束の日が近い。控えめで礼儀正しい彼女が浮き足立っているのを、彼らは初めて見た。
 彗星の日まで、あと三回の日の出のみであった。





 残り三回の日の出のうち、二回目を迎える前の夜。彗星が現れるという噂は俄に広がりつつあり、星夜の影響を受けない野生ポケモン達の間でも、話題になっていた。
 そんな中、星を観測し続けた、当のメビウスの顔色が晴れなかった。
「明日は……このままでは晴れませんね」
 天体望遠鏡から覗く空は、鈍重な暗灰色だった。時折、雲の切れ間から月が覗く程度で、彼女の予想では明日も多少晴れる程度だという。
「じゃあ、彗星見えないの?」
「いくら巨大な彗星とはいえ、箒星という星の一種である事には変わりありませんから。月すらも、雲が厚くては見えないでしょう?」
 メテノに丁寧に説明するメビウスだったが、声色は曇天だった。彼女こそが、最もこの彗星を待ち詫びたのだから、無理もない。
 未来を観測でき、高いサイコパワーを誇るゴチルゼルでも、天候や自然現象を操る力はない。最も、そのような力があれば、彼女は今こうして彼らと共には居なかったのかもしれない。
「そんな、だって……メビウスはこの日の為にずっと、ずっと……! そんなの、可哀想なの」
 二匹は、悄悄と顔を見つめる。笑おうとしてみたメビウスだったが、その気遣いが寧ろ痛ましかった。鉛のような重い空気に、助け舟を出したのはレディアンだった。
「あのさ、お二人さん。私に良い提案があるんだけど、どう?」
 メテノとメビウスは揃って首を傾げる。仲良く同じ顔をする二匹に、レディアンはつらつらと自分の考えを述べていく。喋る度に、背中の黒点模様が明滅していた。
 彼の話に二匹は、考え込むか喜び回るの反応を見せ、レディアンを満足させた。
「レディアン、とってもすごいの!」
「それは確かにそうですが……しかし、可能なのでしょうか?」
 メテノとは違い、メビウスは半信半疑だった。信じたいが、自分の知る範囲でそのようなことが出来るとは聞いたことがなかった。
「まあでもさ。それくらいしかないんじゃない? “真実は信じたいものしか見えない”って言うしね」
 彼の一言に、メビウスは無意識とだが、数学者だった亡き主人を重ねていた。彼もまた、他人には不可能と言われた“自分だけの真実”を追い求めていた人間だったからだ。
「……そうですね。分かりました、私は貴方たちを。いえ、自分の可能性を信じますよ」
「よし! そう来ないとね」
「ボクも頑張るなのー」
 メビウスの微笑に、レディアンとメテノも続いた。
 天体望遠鏡が見上げる、夜の寒空は未だ昏く。風がささやかに寒冷を運んでいた。やがて、暁が空の縁を焼き潰していくまで。彼らは小さなハッチで寒さを凌ぎ、その日を迎えるのだった。





「千年以上も昔から、人々もポケモンも思いを馳せてきた。神話や芸術の題材にしてきた。私たちは、そんな彼らと同じ空を見ているんだよ。趣深いと思わないか?」

「ハレー彗星は、確かに科学的に見れば大気の塵だ。けれども、私は75年に一度だけの神秘をこの身で感じたいんだよ。妻には馬鹿にされたが……きっと、ゴチルゼルの君なら分かってくれるんじゃないかと思ってね」

「人間はさ、死んだら星になるって言われてる。だから怖くないよ」

「メビウス、そんなに悲しい顔をしないでおくれ。私のことを思い出したい時には、星を見上げるんだ。星はいつだって瞬いているから、いつか君が独りになっても……私たちは……」

 狭いハッチに敷いた毛布の上で、メビウスは目を覚ます。夢で思い出した、彼の言の葉の一部はいつだってメビウスと共に生きてきた。
 段々と色褪せていく記憶の中で、特に強い色を持つ彼らは、彼女をゴチルゼルではなく『メビウス』で居させてくれた。
「……待っていて下さい。今日やっと、貴方の夢が叶います」
 メビウスの瞳は、はっきりと未来を観ていた。三匹で彗星を目にするという、未来。
 彼女は、彗星の殆どが雲によって消された未来を、先日の星の動きから観た。それでも、自分がこれまで信じてきた未来視の能力よりも、星が紡いだ絆を彼女は信じていたからだ。


 斜陽になるにつれて、身に染みるからっ風が吹く。小さな太陽は地平線に沈んでいき、姿を確認出来ないままに、群青の雲が袈裟掛かっていった。
 訪れるのは、小夜の静けさ。夜の帳。下弦の月と一等星らの光を妨げる、分厚い雲のカーテンはそのまま。色のみが石灰になっていた。
「夜ですね」
 しんと高台の望遠鏡に立つ、ゴチルゼル。後ろには心配そうなメテノと、真っ直ぐに空を見据えるレディアン。背中は、光を持っていない。
「……やっぱり、晴れなかったのー」
 ゴチルゼルのメビウスによると、あと一時間もすれば、彗星は現れる。そして、彼女の未来視では殆どが雲に隠されてしまい、目視出来ないそうだ。
「やりましょう。未来を、変えるのです」
 ジト目がちの瞳を切りたてるゴチルゼル。それにレディアンとメテノが続く。
「おおー!」
「頑張るの!」
 気合いの一声を皮切りに、ゴチルゼルが両手を空高く掲げる。星の力が全身に降り注ぎ、その『コスモパワー』による『てだすけ』は望遠鏡前に立つ、レディアンに継承された。
 瞬く、黒点模様の翅を震わせたレディアン。一瞬にして現れた、『にほんばれ』による光の柱が月に届く勢いで伸びていく。神託に見紛う神々しさで昇ってゆく。
 銀月の衣となっていた雲たちが、霞んでゆく。だが、足りない。『にほんばれ』による快晴は、望遠鏡が捉えうる、ほんの少しの範囲でしかなかった。
「メテノさん!」
 再びメビウスの加護と、擦り切れそうな声に応じる、殻を破ったメテノ。本体の蒼いコアは、普段よりも表情豊かに見える。
「これでも喰らえなの!!」
 分厚い雲群に直撃するのは、先ほどよりもずっと巨大で、熱を帯びた光の束。『からをやぶる』と『てだすけ』、そして『にほんばれ』により強化された、全力の『ソーラービーム』。
 その余りある太陽光線は、望遠鏡で捉えられる範囲の雲を、蹴散らして霧散させてしまうのに、訳なかった。
「や、やったなの……」
 力なく飛ぶコアを、思わず抱き止めて『いやしのはどう』で治療するメビウス。メテノは、あの硬い外殻なしでは非常に脆いと、事前に聞いていたからだ。たちまち、よく見慣れたリミットシールドに守られたメテノが、メビウスの腕の中にはいた。
「見てよメビウスさん、今はすんごい晴れてる! 」
 嬉々として空を指さすレディアン。彼の背中も、今日はいつになく激しく明滅している。
 メビウスとメテノがつられて見上げると、そこには多少の雲は動いてるものの、晴れ晴れとした紫紺が広がっていた。いつもと違うのは、東の方角から、青白い光が迫りつつあることだった。
「本当に晴れた……! 後は、彗星を観測するまで持てばいいのですが」
 心配をするメビウスだが、彼らを信じたことが間違っていなかったのだと、とても晴れやかな気持ちであった。
「多分、大丈夫なの。ボクがメテノだから? よく分からないけれど、明らかに今までと違う大きなエネルギーを感じるの……」
「あら、メテノも? 実は私もそうなんだよね。そろそろ、本体がやって来る」
 星にまつわる二匹は、揃って彗星の予兆を感じていた。溢れんばかりの光の力を、二匹は触覚やら核で感じ取っていたからだ。
 そして、その生物本能は正しかった。

 メビウス達のいる、天体望遠鏡のある高台が、青の強いエメラルドに染め上げられていく。空には、一際強い光を放って、夜空を塗っていく箒星。緩やかに、南西へ堕ちて行く。
 彗星によって、沈んでいた周りの星々すら浮き上がっていった。普段、白点のような星屑達が、色を取り戻していく。光のスコールへと昇華していく。
 満天。一時的に晴らせた冬の空は、いつもよりもずっと澄んだ美しさに満ちていた。
「……これが」
 彼の見たかった彗星。メビウスに託された彼の夢。言葉を失う。大いなる自然の神秘が、ロジックや思考をむざむざ奪ってしまうことを、彼女は初めて体感した。
「すごいねー!!」
「うむ、こりゃ下手に語ると箔落ちするね」
 メビウスを除いた二匹は、和気あいあいと感動を共有する。身体いっぱいに彗星の光を浴びて、心做しか活力に溢れている。
 ゴチルゼルのメビウスは、独り静かに考えていた。彼が見せたかった風景。彗星を追い求めたその心情。
 ただ美しいだけではない、数学者であった彼の論理的な感性を、凌駕するほどの感動。それは、本当にあったのだ。僅かな期間にのみ現れる、自然が起こした奇跡。この尊さは、生きることにも似ている気がした。

『星はいつだって瞬いているから、いつか君が独りになっても、私たちは共にある。だから君にそう名付けたんだ、“メビウス”』

「ずっと……私を、見守ってくれていたのですね」
 円環も、彗星が与える感動も、人とポケモンの絆も。そこに、心がある限り続いていく。終わることなく、紡ぎ続けられる。
 涙で濡れたレンズ越しに見た箒星は、“無限大記号”に近い曲線を描いてから、地平線の彼方に消失していった。
 それは、メビウスがゴチムの時に見せられた、彼の作った手の形に、よく似ていたのだった。

ジェード ( 2021/02/13(土) 06:33 )