Ct.4 Bet Gems Battle!!【前編】
その報せは、唐突に舞い降りた。
「ルベラ・グロッシュラー様でお間違いないですか? 私は、かのクロシド伯爵の遣いです」
燕尾服の紳士に尋ねられ、瞬きを繰り返していた。唐突に聞かされた、“クロシド伯爵”という言葉に強ばる。何か直接言われるような、云われはない筈だが。とりあえず肯定していると、紳士は微笑む。
「でしたら、伯爵が貴女にお話を希望されてますので、ご同行お願い致します」
背筋が冷えていくのを感じる。紳士は弛まぬ笑顔だが、同時に簡単には横やりを入れさせないという、眼光の鋭さがあった。頷きざるを得ない。
というのも私を呼びつけた、フェリシアーノ・ネビィル・クロシドという人物。彼は嘗て宝石商として確固たる地位を築いた一方で、ポケモンバトルの腕で他のバイヤーを蹴散らし上り詰めた、傑物であり問題児だったと聞いている。
今では立派な宝石コレクターに昇華し、カジノの経営もする権利者。商人時代のコネを活用し、爵位までも手に入れた。
まだ若くてシャキシャキな新人バイヤーを捕まえて、何をしようと言うのか。時代遅れな説教でもしてくれる訳?
外にきちっと停る黒光りするハイヤーが、今は火葬場で待つ棺桶に見えて仕方なかった。
♢
別世界にも見える、ネオンで彩られたタワー。季節外れの、電飾の実を付けたヤシの木に、眩い光の反射を取り込むナイトプール。アローラのやたら背丈の高いナッシーが入り口で踊っている。
伯爵の所持するカジノ『エスメラルダ』だ。露出度の高い、スパンコールドレスの客引きが目立つ。
ボディーガードにチェックされて、裏口に迎い入れられる。
応接間だろうか。案内されたのは、黒革のソファーに最低限の家具のみある一室。シルクと見紛う毛並みの、アローラペルシアンが寝転んでいた。
「よく来て下さりました。グロッシュラー君」
暫くして現れたのは、銀髪を撫でたような壮年の男。七十代後半と伺っていたが、髪もきちんと揃っていて背筋がしゃんと美しく、もう少し若く見える。
私の向かいに座ると、ゆったりと足を組む。
「初めまして伯爵。業界の大先輩にお会いできて光栄です」
「おや、意外と丁寧なお嬢さんなのですね。てっきり、ベテルミュラーに似た、じゃじゃ馬かと思ってましたよ。アレは、昔から手綱なんてありませんでしたからね」
口調こそ丁寧だが、初っ端から慇懃無礼ぶりが溢れている。あのベテラン鬼指導官、ベテルミュラー先生をじゃじゃ馬呼ばわり出来る辺り、やはり只者ではない。
それでなくとも、キャリアも社会的地位も圧倒的に上の相手。下手に出る他ない。
「単刀直入で申し訳ありませんが、私をお呼びになった理由をお聞かせ願いたいです」
頷いてペルシアンを退かす。肘置きに置かれた手は、しっかと熟練が刻まれていた。
「最近の宝石泥棒の一件、無理やり解決したのは君でしたね?」
片眉を動かした私に、冷たい目線が注がれる。何か不始末をしただろうか。今の所、そのような苦情は私には届いていない。
「ええ、いかにも。不手際がありましたら申し訳ございません」
「いえね? そう、古臭い説教をしてやろうってんじゃないんですよ。私は寧ろ、君をいたく気に入りました。そういう情熱がある若者って、昨今なかなか見ませんからね。そこで、折り入ってなのですが」
剣幕に思わず、唾を飲み込む。
「私と賭けバトルをして頂きたい」
目線をふいと動かせば、察した使いの燕尾服の男が馳せ参じる。ローズレッドのトレーには、三つのモンスターボール。特注のヘビーボールとは、また金持ちらしい。
「……賭け、と仰いましたが、何か特殊ルールでも?」
瞳は冷酷そのままに、声色だけは笑っている。率直に言えば不気味。いや、感じが悪い。立ち上がると、中央のテーブルに硬い物音を落した。
「我々は宝石商です。そのような人間が、ただ賞金をふんだくるだけでは、何ともまあ浅薄でしょう? 察しの良い君なら解るはずです」
「宝石を賭けるんですね。我々の命よりも重い、美しき商売道具達を」
その通り、と嗄れた肯定。
何てがめつい爺なのかしら。私は内心悪態づいていた。この男は、実力で他を蹴散らし、財を奪った若人時代から何も変わってないのだ。だが、ある意味、権利者らしくないハングリー精神でもある。
「と言ってもね、普通のシングル33の結果でどうこうではありませんよ。それだと、いくら老いぼれた爺とはいえ、うら若い君たちが不利でしょう? 安心なさい。宝石は“ベット”にしか使えません」
鼻にかかる物言いだが、それより“ベット”という単語。想起するのは、ここのようなカジノやギャンブル。バトルルーレットという、フロンティアのバトル施設を思い出す。あれは本当に運しか絡まなかったが。
「ルーレットやテキサスホールデム・ポーカーでも為さるつもり?」
「ええ、そうです。お互いに場のポケモンが瀕死になったタイミングでルーレットをします。そこで、通常ならばコインを賭けますがね、今回は宝石を賭けてもらいます。あとは、まあやれば分かりますよ」
ルーレットのコインの代わりに宝石を使う、ギャンブルバトル。カジノの持ち主らしい発想だ。とりあえず概要は判ったものの、幾つか疑問はある。
「何点か質問を?」
「勿論。どうぞ」
「使う宝石の価値を定めるのは、中立の鑑定士でもいるのかしら?」
クロシドは、待っていたかのように、目を瞑り、気持ちよく頷いている。そのタイミングで入ってきた、若いカジノディーラーに名刺を渡された。ディーラーはディーラーでも、宝石ディーラーの方か。
「鑑定は等しく横の彼に。実際のカジノと同じで、事前にお互いにチップとなる宝石を、精査して提示しておきます。ポイントは、“個数と価値は同一ではない”ということです」
「……希少な石、大きな石は一つでもそれだけ巨大なチップになるってことですよね?」
そうです、と伏せた眼には、既に刃物に見紛う鋭いシャトヤンシー。悪寒を感じる笑みだ。
「もう一つ。そのバトル中のルーレット、何か意味が?」
「そうですね。まあ、ルーレットに勝つといい事がある、と考えて頂きたい」
何ともまあ、ざっくりとした説明だ。“やれば分かる“といい。私は初めてだというのに。しかし、シンプルなのは好きだったりする。
そしてやはり、骨組みはバトルルーレットのようだ。それにしても、参加者側の私のリスクが高すぎる。もし、バトルルーレットに準じた方法ならば。ルーレットに全敗してしまえば、不利な状況で戦わされ、呆気なく商売道具を取られてしまう。
“ベット”ということは、試合に勝ってもルーレットで負けたチップは、返ってこないようにも思える。これじゃ、ギャンブルバトルなんて皮をかぶった、只のカジノのルーレット、いや、財産の強奪じゃない。
「……二の足を踏んでいますね? 肝心の部分がまだですよ、グロッシュラー君。私とのルーレットの賭け石は、全てバトルの勝者のものになります。しかし、君が私に勝利した場合のみ、更なる報酬を用意してます。というより、こちらが本命でね」
先程のトレーのボールではない。自らの懐から、金の装飾のムーンボールを取り出し、そっと開いた。ジョウトの職人に特注した、特別品らしい。
「こちらの、私の生涯掛けて愛した一石を、お譲りしましょう」
その場に浮遊するのは、しんとした蒼い瞳のルナトーン。身体も、通常の者より金色に近い、暖かみのあるイエロー。宇宙の神秘がそのまま生を受けたような、静謐な美しさ。傾きつつも、向けられた眼は透き通っている。
どう考えても、先程対面したばかりの若手の同業者に、おいそれと渡してしまうような、そんなポケモンではない。
「何か事情が?」
「……ええ。私も、耄碌してもう後がないですからね。もはや風前の灯なのですよ。しかしね、私の愛するコレクションを……イミテーションを喜ぶような、審美眼のない、指輪ごと指をへし折ってやりたくなる人間には渡さないのでね」
「美しい石は美しい人間が持つべきです。美を愛する、淑やかで豊かな心のね」
何とも面倒な思想を持つ、偏屈で凝り性の爺だと私はげんなりしていた。イミテーション、人工宝石も立派な商売道具だと言ってやったら、ここから追い出されるかしら。
しかしだ。ルナトーンを信頼出来るトレーナーに譲り渡したい……と言い換えれば、理解は出来る。
「それで、どうです? 降りてもいいですし、ベットに一切宝石を使わなくとも構いません。負けたその時は、弱腰らしく、チンケなコソクムシのように退場頂きますがね」
相変わらず、歳を感じさせない悪舌。この男が、営業職をしていた名残りを垣間見た。
「爵位のあるお方ですのに、随分と喧嘩腰なんですね? まだまだ長生きしそうですけれど」
皮肉交じりの殆ど売り文句。しかし、クロシドは動じず。寧ろ、嗄れた笑いを潤していく。
「その目付き、やはりベテルミュラーを思い出す。グロッシュラー君、“乗った”と見て良いかね?」
私の髪と同じ、真っ赤なモンスターボールを一つ握る。掌に握るのは闘志。その目に見据えるのはただ一つ。
「勝ちますよ、私は」
♢
バトルフィールドのある一室にやってきた。中央のフィールドの横脇には、巨大なルーレット。赤と白の黒の色彩差が目立つ。ディーラーの制服を着た、ユンゲラーがコインを拭いていた。
ルーレットのある卓に、お互い腰掛け、卓上に賭けに使用する宝石を並べていく。追加等は出来ず、中立の鑑定士に価値を決めてもらう工程だ。
当然、相手と私ではそもそも持っている資産が違う。宝石商は皆、本当に良い石は渡さない。しかし、現役の私と富裕層で且つ、たっぷりと時間を掛けてコレクションした男。どちらが有利かは語るまでもない。
平等、とは言いつつも初めからアンバランス・ゲームだ。ここから私が勝つには、一度でもルーレットに勝たなくては無理だろう。
「私からはこちらです。4Ctガーネットを二つ、ペルシャ石0.8Ctと天然メレシーの石1.2、1.5です」
ペルシャ石は、ペルシアンの額の紅い石を指す業界用語だ。現代では法律が改正され、殆どのポケモンから宝石類を採取するのは禁止されている。これは、そんな現代より前の、中世生まれの宝石。メレシーは天然宝石の中では安価だが、私の持つ天然石は、通常の空色に混じった翡翠が見える希少種。ガーネットは、持つ中では最大に近い大きさをチョイスした。
負ければ、とんでもない損失。しかし、その逆境が私の身を奮い立たせる。これ、一端のギャンブラーの思想よね。
「おや、中々良いものをお持ちで。私からは三つ。天然エメラルドなんてどうでしょう? ここの名前にもなってますしね」
黒のジュエリーケースには、三つのスクエアカット。一つは、青みの強いウラル・エメラルド。隣には、淡い翡翠色と薄萌葱を併せ持った、バイカラー・エメラルド。そして、一際目を惹く深紅のレッド・エメラルド。
規格はどれも0.5Ct程度か。しかし、バイカラーとレッドのエメラルドは、天然では相当な希少種。人工石も多く出回っていて、本物にお目にかかれるのは珍しい。
しばし、鑑定士が唸る姿を見ていた。燕尾服の鑑定士が、それぞれの鑑定書を渡す。相手の物は見えないが、相当の額になっているのは分かる。
「では、参りましょうかね。君が歯応えのあるトレーナーであることを期待してますよ」
「スジばかりで、歯こぼれしても知りませんから!」
ヒールを鳴らして、カジノの配色をしたフィールドに歩いていく。ひたすら脈打つ心臓を、握った拳で抑えた。気合いを入れようと、髪の結び目を触って引っ張ってみる。
ジャッジマンの冷静なルール説明が続く。3対3。道具なし、交代無制限の声。滲む眼前の老いた銀狼に、硬い音を立てて無機質に回るルーレット。
「バトル、スタート!」
開幕。緑のフラッグが、振り下ろされた。
「……頼んだわよ」
相手は優雅に投げ捨てるが、私は肩を振り上げた強気なスローイン。重量を感じる振動。場には、視界を狭める砂塵。
こちらは重量級の先発、ギガイアス。相対するのは、黒い手を広げる呪いの石版。デスバーンだ。
「おや、これは名刺交換ですかね?」
鋭いオリーブグリーンが微笑む。おそらく、両者とも、やりたいことを押し付け合うことになる。それでも、指示は変わらない。
『ステルスロック』の指示が重なる。場に設置された、見えない岩隆。まずは、砂塵舞うフィールドで、敵の様子を伺う。
ギガイアスは先発だが、起点作成だけが仕事ではない。加えて、デスバーンの優秀なタイプは、私のパーティ単位で重い。とはいえ、メタグロスに『おにび』や『おきみやげ』が通るのも非常にまずい。ここは、苦しいが攻めるしかないのだ。
「ボディパージ!」
身体を研磨し、身軽になるギガイアス。その隙に、デスバーンの両手から放たれた、紫の妖しい火を浴びてしまう。思った通り、『おにび』だ。
「これでは置物ですね? せっかくの立派なギガイアスだというのに……」
「一々、喋らないとやってられない訳?」
刹那、俊敏を得たギガイアスのアイアンベッドが、デスバーンの身体を壁に突き飛ばす。物音を立てて崩れたが、また直ぐに一枚の石版に戻った。火傷状態とはいえ、悪くないダメージだ。
「私はね、臨機応変に戦うトレーナーが好きですから。例えば」
白いタイを弄り、にこやかに私を見る。
「『ボディパージ』に『トリックルーム』で対応する……とかね」
「っ……!」
次々と犇めく石片。場の空間が捻れ、歪んでいく。そういうタイプね。つまり、後続は鈍足のエース。あまり警戒出来なかった自分が悔しい。
「活きのいい君らに『のろい』を差し上げましょう。いい働きでしたよ」
自らの体力を犠牲に、ギガイアスへと先制の継続ダメージを付与。白い石版は、固く閉じていき、棺桶のように倒れていった。
と、途端にルーレットの激しく回る硬質な音。次のボールを手に、微笑む男は実に愉快そう。
「さあさあ、ここからですよグロッシュラー君! まずは、使う石をお好きな場所に“ベット”なさい」
並んで、ルーレットに備え付けのグリーンのテーブルに歩いていく。予め選んでいた、自分の宝石を赤と黒、または予想する数字に置く。
「……赤」
「無難ですねぇ。私は黒の20と24にでもいきましょうか」
色と数字のあるボードに、ペルシャ石を配置。黒の20と24には、確かにエメラルド。ディーラーのユゲラーが頷き、ルーレットを止める構えをした。
跳ねていく白いピンボール。次第に回転音も弱まる。
試合を決めかねない、緊張の一瞬。強ばる精神。ポケットに入ったのは。
「嘘でしょ……」
黒の24。二度も三度も見てしまう、収まりの良すぎるドンピシャ。イカサマを疑いたくなるが、男はただ宝石を配置しただけにしか見えない。裏で結託を? 有り得なくはない。しかし、ギャンブルに慣れているだけにも見える。
「さて、戻りましょうかね? グロッシュラー君」
苦い顔で私はフィールドに戻る。先ほどまではなかった、ギガイアスの前に聳えるものに、数多の思考が白んでいく。自分の立たされてる場を、漸く理解してしまった。“いい事”ってそういう事ね。
リフレクター。おそらく、ルーレットの結果が反映された、透明な一枚壁は、あらゆる意味で挑戦的だった。履いていたヒールに力が篭もる。
ギガイアスの背に、砂塵が舞う。それは、今の私に相応しい、逆境下の追い風だった。
「……良いわね。ピンチって好きよ。ここから勝ったら、めちゃ格好良いもの」
口をついて出た、勝利への闘志。私は、自然と紅いルージュの口角を上げていた。
風は、まだ止んでいない。