Ct.3 ロイヤル・ブルーは泪を閉じ込めて
空から降り注ぐ、黄櫨染。遠くにはためく、アーマーガアの黒翼が背景としてよく馴染む。よく視線を浴びた首を回せば、凝り固まった筋肉の軋む音。自慢の赤髪に夕陽を帯びつつ、業務を終えた安堵の息を洩らす。
「今日も疲れた〜」
駅のホームで缶コーヒーを買い、冷たくなった指先を温めた。そろそろ、コートを引っ張り出して来ようか。その前にクリーニング?
やがて来る冬を考えつつも、今は自分自身の疲れを癒すことに精一杯だった。何週間か前に予約したサロンのページを見てにんまりする。
働く女性のご褒美と言ったら、やはりスイーツとエステ。OLよりも身体は動かす方だが、それでも仕事ばかりだと筋肉は凝る。
サイトのトップページには、専門家のポケモン達が癒しのリラクゼーション! と謳っていた。癒しだなんて自称するとは。ひょっとして、ルビィちゃんのような見目麗しい可愛いポケモンに、マッサージしてもらえたりして! と浮き足立っていた。
「……久々に見たわ。あんなにいい笑顔のローブシン」
受付に、若い女性とキュワワーがいたので、更に期待は高まっていたが、施術担当のローブシンやダゲキナゲキが控えていたので淡い夢? は打ち砕かれた。
しかし、流石はかくとうタイプ。元々硬い肩の筋肉や背筋も何のそのだった。温かい部屋で、ゆったりとアロマセラピーしてもらいつつのマッサージ。寝てしまう人が続出するのもよく分かる。
終わった後に、しばらくルビィちゃんらとゆっくりハーブティーを飲んでいた。ルビィちゃんの膝には、コアの姿のメテノちゃん。あのコアが割れると消滅するとか言われていて、慣れていても割れないか些か不安になる。
「明日、何しようかしら」
週に一日か二日ある休日。珍しく予定がなかった。そういう時は、大抵バトルタワーに行くか一人酒なんだけど。
何気なく、写真ロールを漁っていたら、少し気になる人を発見した。寄り道して会いに行こうかな? その途中ですれ違った、さっきのあまりにも眩しい笑顔のローブシンにはチップを支払った。すると、受付のお姉さんの手持ちだったようで、お礼を言われる。
見た目じゃ手持ちは分からないものだ。
♢
休日の朝は遅い。というよりも殆ど昼だった。
髪を簡単にセットし、朝食を兼ねた手抜き炒飯を作って食べる。着替えや掃除を簡単にしたところで、溜まっていた洗濯と食器洗いが目につく。見ないふり……をしたかったが、メテノちゃんがじっとこちらを見てくる。
「もう、やりますやります〜!」
渋々と、食器洗剤をスポンジに取って撫でた。見張りのルビィちゃんが、プクッとこちらを見つめている。今度、食器洗浄機買おうかしら?
私の杜撰な衣服管理に痺れを切らしたらしい。普段はボールで寛いでいる、メタグロスとギガイアスが衣服を洗濯機に突っ込んでいた。メテノちゃんが続き、洗剤を流し込んでいた。
メタグロスとギガイアスは、バトルガール時代からの手持ちで、もう10年以上の付き合いになる。良くも悪くも、私のことはよく知ってくれている。部屋の関係で、二匹ともにあまり自由に寛いだりは出来ないのが難点。
せっかくの休日なので、そんな二匹とも一緒に楽しめる場所に行きたいと、頭では考えていた。
流した食器に泡が残っていたみたいで、ルビィちゃんにはたかれた。
♢
「ストレス発散と言えば、やっぱりバトルタワーだわ!!」
鈍い音を立てた、砂塵巻く鉄脚と拳を軽く当てる。
BPと相手トレーナーからの賞賛を貰い、流れた汗を拭いた。しかし、それ以上に眩しい喜びを振りまく、強面の鉄脚と突起鉱物を見ていた。
ラウンジで炭酸ドリンクを買って飲んでいたが、勝利の証ののどごしは語るまでもない。メタグロスとギガイアスは、私が時々忘れそうになる原始的な闘争心や、青春を思い出させてくれる。
たまには帰ってこい、と言われているようだった。
「あ、そうよ! 博士元気かしら」
ふとした、自分の言葉で記憶に埋没していた男性を思い出す。今日は、彼にも久方ぶりに顔見せしたかったのだから。
構ってくれないと不機嫌になるルビィちゃんを脇に抱え、カツカツとヒールを鳴らして外に出た。秋晴れした外のからっ風が、心地良かった。
♢
高台に聳える白い塔。蔦の這う、白レンガの様相が特徴的だ。郵便受けの陶器のぺリッパーが呑気に挨拶している。
軽く扉をノックすると、迎えたのは手袋のような、ぬらりと光る見た目の黒い手。長身で細身のシルエット。礼儀正しい佇まいのエージェントポケモン。インテレオン。
「お久しぶりね、セレス。フユサゴ博士はいらっしゃるかしら?」
博士の助手は、手を口許に当て微笑むと、私を中に入れてくれた。手土産のお菓子を渡し、用意してもらった温かいお茶を飲んで待つ。
フユサゴ博士は、ここで望遠鏡の管理人をしつつ暮らしている天文学者だ。プラターヌ博士に頼まれて、旅に出たトレーナーのサポートもしている。その誼で、私はたまにお邪魔してレポートが書けないだの就職したくないだのボヤいていた。
彼は、メテノのような隕石に類似するポケモンの発生と関係を、主に研究している。私が仕事で手に入れた月の石を見せると、とても興奮した様子でピッピとの関連を語ってくれたこともある。
それなりに余白は刻んだが、顔馴染みの砕いたような笑顔は見えない。私の近くに腕組みしていたセレスが、疲れてきたのか、向かいに腰掛けてきた。ため息混じりなのが気にかかる。
「博士、最近お見かけしないけれど、元気かな」
近所の名物変人と化してるフユサゴ博士。優しくて人当たりが良いから、子供たちからも人気だ。天体観測所は最近閉まっていたようだが、もしや何かあって忙しいのだろうか。だとしたら、お菓子だけ渡してお暇するとしよう。
向かいのインテレオンが、大きなオリーブの瞳を曇らせて、溜まった鬱屈を吐く。何やら意味深で、聞いてほしいような素振りだ。
「どうしたのよ、セレス」
私の問いを皮切りに、セレスの目の淵に泪が溜まっていく。たじろいでいると、重い動きで小さな箱を私に手渡す。
中には、佳麗な蒼い宝石。シルバーのチェーンに繋がった雫。
神秘の雫と呼ばれる、ポケモンに持たせる道具の一つだ。みずタイプの威力が上がるが、それよりもアクセサリーとしての需要が高いように思える。彼が持つこれは、確か博士がまだメッソンの頃に渡した友情の証のはず。
セレス、インテレオンは大粒の涙を流して正にその幼少期を体現していた。彼がわざわざ自分の大切な物を見せてくるだなんて……それは。
「え、ちょっと……いや、まさか」
セレスが俯いて頷く。涙がまた点々と落ちる。
コーヒーカップを持つ手が震える。博士は時々、おっちょこちょいをして、大きな怪我をするようなある意味童心のある人だ。それがもしも災いして……私が仕事に明け暮れている間に、大好きな天体観測が出来なくなっていたら……。
軋み、開く扉。冷たい空気が流れ込む。
埃っぽい部屋から覗く、暗澹。
「久しぶりに見たな……生きている人間」
「いやああああ!! 天体観測所の生霊ーー!!」
「えええええ!!?? ど、どこ!? 助けてセレス!」
コーヒーカップは転倒し、眼鏡は滑り落ち、的を外したれいとうビームは窓を凍てつかせる。
三者三様、お互いあたふたしてから平謝りした。
「いやぁ、申し訳ない。僕は少しお腹壊して、それから論文詰めてただけだから」
まだ生きてるからね、と付け足しカラカラと笑う三十路の男性。黒縁の丸眼鏡を外し、拭いていた。カロス在住のお洒落な同級生、プラターヌ博士よりも歳上に見える。
セレスが、さっき私が動揺して食卓に飲ませてしまったブレンドコーヒーを、再び出してくれた。お詫びらしく、生クリームが付いている。
「さっきは、ほんっとびっくりした……お元気そうで安心しました」
「本当にね。今は、絶賛キャリアウーマンでしょ? 忙しいのに会いに来てくれたんだ。良い生徒を持ったもんだね」
頷く博士に、私が渡したメテノの金平糖詰めを分けてもらった。カラフルで可愛いらしく、色毎に味が違っていた。
「それであの……セレスが私に渡した、神秘の雫は何だったんです?」
気になっていたので、話を戻してみる。
すると、それまで博士の隣で優美に微笑んでいたインテレオンが、また涙ぐむ。
「嗚呼、あれか……ルベラちゃん、良ければもらってやってくれない?」
予想打にしない回答に、虚をつかれた。
「え、あれって……博士が昔メッソンにあげた、言わば大切なものでしょう?」
「あ、いや違うよ?」
即、切り返され思わず首を傾げる。博士が優しい手つきで長身の泣き虫を撫でると、話を続けてくれた。
「そっちは、セレスがね。自分で持って来た、“しんぴのしずく”なんだよね」
頷くインテレオン。顔を覆えるくらいの大きな手には、もう一つの神秘の雫。だが、肉眼でも分かるくらいに年季を感じる。
流石にトレーナーが自分にくれた、贈り物を馴染みとはいえ、私に簡単には渡さないわよね。
わざわざ箱に入っていた理由も判った。しかし、だったら何故あんなにも意味深に?
「そう。じゃあ何でセレスが泣いているんです? あんなにも、泣き虫を嫌っていたのに」
「それは……悲しい理由がね」
目尻を下げて、セレスを覗き込むフユサゴ博士。諦めたように力なく頷くインテレオン。
「セレス、この前フラれちゃったんだよ」
その紳士然とした佇まいを置き去りにし。とめどなく泣いているインテレオン。
そういう事情ね、と私は腑に落ちたように頷き、静観していた。
ジュエリー類は、高級なプレゼントの代名詞でもある。幸せの成就する象徴であるが、その反面では、幾千の涙を見届けたに違いない。
私の手元に届く貴石にも、そうした語られない失恋のストーリーがあるのだろう。
「ここに来るまでに、花が綺麗な一軒家があるだろう? 彼処に住む、綺麗な少年が居てね。彼が連れているアシレーヌがお相手だったんだよ」
「そのアシレーヌに渡したくて、わざわざ自分でしんぴのしずくを探しに、何度も街に行ったんだけど……アシレーヌのお眼鏡には叶わなかったようだ」
なるほど。告白に使った宝石を渡されるのは、乙女心としては複雑だが。失恋してしまっては、持っていたくない気持ちも分かる。
漸く、涙の水流が弱まってきたインテレオン。さっきの箱を丁寧に明け渡す。
彼が、花やその他のアクセサリーではなく、神秘の雫を選んだのは、自分がもらって一番嬉しかったからかな。だとしたらとても可愛いというか、甘酸っぱいというか。奇しくも、アシレーヌもみずタイプなので似合うだろうし。
あいにくプライベートなので、ルーペは持ってないが、宝石の種別くらいなら判る。一般には神秘の雫として出回っているこの宝石は、タンザナイトという別名がある。
タンザナイトには、多色性という特性がある。紫に近い深いブルーは、角度を変えると赤色も顔を見せる。ラナキラマウンテンの夕暮れに似ていることから、“ラナキラの夕暮れ”なんて小洒落た別名も。
「でも……本当に頂いてしまって良いんです? 今日はオフですけど、本来買い取りなんですよ?」
「僕は構わないけど、引け目に感じるなら……そうだな。じゃあさ、代わりにセレスを励ましてやってくれない?」
沈んだオリーブの瞳に、困った私が映っていた。営業トークは得意だが、そんな無茶ぶりな。とはいえ、綺麗なタンザナイトを欲しくないかと聞かれたら、首を全力で振ってしまう。
それに、助手のセレスがこんな調子では、博士も困ってるだろうから。仕方なしに、長く息を吐いてみた。
「そうね、アシレーヌには他に想い人が?」
小さく頷くインテレオン。所在なさげに指先でテーブルをなぞる。
「それはお気の毒に。ところで、人魚の涙と呼ばれている宝石を知っているかしら。アクアマリンという水色の透明度の宝石でね。あれは、円滑な人間関係という願いが込められたパワーストーンなの。でも、人魚の涙って呼ばれる理由は他にあるの」
真面目に聞き入るインテレオン。内容は理解出来ているだろうか。話半分だった、博士すらも蘊蓄につられて顔を向ける。
「アクアマリンは、船乗りに恋した人魚が流した涙が宝石になって打ち上げられ、船乗りに海難防止の御守りにされた……なんて伝承があるのよ」
楽しそうに聞き入る博士が見えた。興味深い印に、黒縁眼鏡を指先で弄る。
「その人魚は、ミロカロスともアシレーヌとも言われているわ。地方によって違うみたい。どう? ロマンチックじゃない? 今度、彼女に渡すならアクアマリンはいかが?」
後は、とにかくアタックするのよ! と笑顔で念押しした。
すっかり涙を引き、興味深そうに顎に手を置き、何度も頷くエージェント。私の語った雑談に近い話が気に入ったのだろうか。
「商才あるなあ」
上手くやられて感心した様子の博士に、来る時にはお安くしますから! とついでに付け足した。
有難く、小さなタンザナイトを受け取り、しばらく談笑してからお辞儀をした。
すっかり晴れたインテレオンの首元には、ややくすんだ、ラナキラの夕暮れが眩いていた。
帰り道。ずっとボールでお留守番だったルビィちゃんの不満が爆発。一緒に歩いて帰っていた。きっとまたお菓子を強請られるに違いない。
坂道に一軒家に、博士の言っていた少年とアシレーヌがいた。しかしその隣に、見覚えのある巨漢。
「あ、あれ……この前のローブシン?」
破顔一笑という言葉が似合いすぎる、そんな笑顔で私に手を振る。隣には紅い頬に手を合わせて寄り添う、潤う瞳の人魚。
どういう事かと思って見ていると、少年とローブシンの持ち主、サロンの受付のお姉さんが、仲良く話していた。彼らは髪色も肌色も似ている。
「……また菓子折り持って行かなきゃ」
来るべき、謝罪と今度こそ失恋の慰安をする未来を描いて、私の休日は終わっていった。