Ct2 紅き情熱のアステリズム
「宝石強盗ですか? 近頃はまた、何かと物騒ですよね」
燕尾服の男性店員が頷く。ただでさえ、この店は頭脳犯の窃盗被害を受けたばかりに、入店が三重チェックになってしまい、ディーラー側すら大変だというのに。
彼が話していたのは、宝石ディーラーや鑑定士を狙うという強盗の話だった。近頃、数件被害が出ているが、誰も犯人の姿を目撃していないのだと言う。
請け負っていた、フーディンとギャラドスのメガストーンを渡して確認してもらう。メガシンカに必要なメガストーンも、私達の取り扱い対象。厳密には、自身もメガシンカを扱える程度のトレーナーであればだが。
ショーウィンドウに飾られ、鎮座するメガストーンを見た。DNA二重螺旋にも似た、カラフルな螺旋模様が覗く。
「怖いね〜……あ、でもルベラさんだったら、足蹴に出来そう」
「え? ああ、まあ……若い男より後輩とか女の子にモテますしね!! おほほほ……」
口元を手で隠し、やたらとカラカラと笑う。半分事実だが、自分で言うのではなく相手に言われるのは何だか腹が立つ。そういうのってない?
「やっぱり? 背高いし強そうだよな〜」
鼻頭が脈打ったが余計なことを言う前に、深くお辞儀をして退散した。顔が見えないようにね。どうも、この業界は見た目で判断されやすい。仕方ない事だけど、無自覚にキツい人や二枚舌が多いからやたら疲れるったらない。
「それって、相手から見た私も入ってんのよね」
ジャケットを着直し、出てきたショップを一瞥した。嘗て、一人の男のゾロアークとフーディンに撹乱された店内には、モンスターボールの中身をスキャンするカメラが付いている。
其れは今日も、灼眼を左右に振っている。健気な勤労振りが何だか羨ましかった。
♢
「カロスの食事って高いのよねぇ」
目の前には、フレンチレストランのお洒落なコルクボード。そして、それをガラルのフリーザーのように、にらみつける私とルビィちゃん。
彩り豊かなスープやパスタが目につくが、下に付いている値段を見て項垂れてしまう。
休憩時間は限られているし、あまり悩んでいる時間はない。やや高いこのフレンチか、お隣の列の出来ているカフェか。
ルビィちゃんが、早く早くと腕をばしばし叩いてくる。お腹が空いて気が立っているようだ。私もそろそろ腹の虫の音が見過ごせなくなってきた。意を決して、ヒールを鳴らした。
「牛丼って安いし早いし最高の料理だと思わない? コスパ最強よね?」
ルビィちゃんはぷくっと膨れて、近くの出店にあったきのみスープを飲んでいた。これは、おそらく悩んでいた喫茶店のケーキがお目当てだったと思われる。
そう、私は歩いて3分の場所に牛丼屋がある事に気がついたのだ! お昼時だったけれど、何とか席に着けて私はネギ盛り丼をかき込んでいた。ネギが大量にあるので、後で口臭ケアをしないとね。
片手間にメールを確認した。例のビッパ上司(38)からのメールではなく、代わりに重要事項と隅付き括弧で強調されたものが入っていた。
本文を読むと、先程聞いた宝石強盗の注意喚起だった。特に新参ディーラーや手持ちなしの者が狙われるので、十分注意し場合によってはボディーガードを付けるようにと。
やはり、容姿等詳しい情報はなかった。判っているのは、男性である事くらい。
「やっぱり、バッジで見分けてんのかしら」
宝石鑑定士の証の金バッジ。それから、所属する事務所のバッジ。少なくとも、私はこの二つを付けて仕事をしている。そして、たまに弁護士や会計士に間違われるのだ。電卓ならいつも持っているけれども。少なくとも、鑑定士バッジを付けている人間は多いだろう。
食事を済ませたら、化粧崩れと口臭をケアしなければ。化粧品の入った、プリンちゃんポーチを、ビジネスバッグから取り出す。
「あれ? あ、ああー!!!」
絶叫に、向かいのルビィちゃんが長い耳を伏せる。周りの客人も、ちらほらとこちらを向いていた。
手元では、私の買ったばかりの新作ルージュが折れていた。ルビーピンクと上品な艶が気に入っていたのに! お高い投資だったのに!!
「悲しい……三連続でコメットパンチを外すくらいね。けれど、へこたれないわ。そんなの私らしくないもの」
軽々と、ブレスケアの錠剤を口に放り込み、お茶を飲む。
電車での移動時間の間は、ずっとルビィちゃんのお腹を触っていた。ふわふわで気持ちよく、沈んだ気持ちを切り替えられそう。
おかげで、ずっと無理やり触られた本人の機嫌はやや曲がってしまったのだけど。
♢
受付係に話をして、オフィスに居る依頼者のジュエリーデザイナーに会いに行く。
当該のフロアに着くと、資料を持つ華やかなOLが何人もヒールを鳴らして歩いていた。
「ルベちんお久し〜」
私に向かって緩やかに手を振る、ブロンドの髪にカチューシャの女性。耳には小さな二枚貝のピアス。今回の依頼者で仕事仲間のシエルだ。
過去に、何度か一緒に仕事をしている事もあり、プライベートでも親しくしている。ルビィちゃんが普段付けているスカーフも、彼女が誕生日プレゼントにくれたものだ。ピアスやネックレス、ポケモンの足の爪に付けるタイプのワンポイントアクセサリーをよく手掛けている。
彼女の後ろから、耳にお揃いのピアスをした、ニャスパーが私をチラ見していた。
「元気そうね。今日のメイク濃くない?」
「え〜良いでしょ、まつエクしたからかな」
彼女とは同年代なので、仕事中でも砕けた話し方が出来る。なんて事ない世間話を挟み、まずは送ってもらっていた、ティアラのデザイン案の大雑把な作りを確認する。
石膏で作った小さめのティアラの骨組み。中央には大きめにローズカットしたメインの宝石を配置する。サイドはファセットカットと呼ばれる、多面体カットで埋め込むようだ。ティアラ部分はシルバーで、一部にハートとディアンシーを模した曲線のデザインが施されている。
「メインがコスモストーンで、サイドがインカローズとピンクトルマリンよね?」
「そうそう。コスモストーンのカット型にはまだちょっと迷ってるんだけど」
コスモストーンというのは、スターミーのコアだった紅い宝石のことだ。見た目は真紅だが、光を当てるとアベンチュリン効果で虹色に見える。
インカローズも透明度のあるピンクの宝石なので、全体的にラブリーなピンクのティアラになることになるだろう。
人間とポケモン、それぞれに合わせたサイズを提案されたが、このパーティアクセに近いデザインでは、成人女性は頭に載せると、頭ばかり目立って気後れしてしまいそう。
「分かったわ。今、私の手元にある貴石を見てもらおうかしら。コスモストーンは1.5と1.3カラット、インカローズとピンクトルマリンはそれぞれ0.1カラットが3ピースね」
ビジネスバッグから、小さなケースに入った貴石を渡し、見てもらう。ルーペで外から確認した後に、専用の顕微鏡で細かな状態やインクルージョンという、宝石内部の微生物の様子を見て判断してもらった。
「あちゃー、やっぱり可愛すぎかな? 」
石膏のティアラを、膝上のニャスパーに載せて、何度かニャスパーと宝石を見た彼女が聞く。
「ブライダルにするには、ちょっと若すぎよ。ルビィちゃんしか付けられないわ」
デザイン案のターゲット層の欄には、若い女性と手持ちのポケモンが、お揃いで付けることが想定されていた。プリンセスドレスに憧れる人間なら良いが、そんな人ばかりじゃないだろう。
デザインそのものは、可愛らしいので上手くこのまま使いたいのだが。
「ねぇ、これティアラ部分をもっと軽くて丈夫な素材にすれば、コンテストやポカロン用のヘッドアクセに出来ない?」
シエルのショップがあるこのカロスでは、トライポカロンという女性トレーナーの活躍する競技が盛んだ。銘々に着飾り、観客相手に派手なステージをする。それに、ポケモン用のアクセサリーが揃う彼女のショップは、コンテストの装飾も需要が高い。これならば、彼女の上司にも話が通りそうだ。
「なるほどなるほど! ビビッときた! だったら、ワンサイズ小さくして、デザインはもっと簡略化して……」
本人にもインスピレーションが沸いたらしく、図面に細かな装飾部分を描きだす。
見るからにラブリーだった装飾が簡単な曲線になり、宝石のカットはメインをハートシェイプカットにしたみたい。ディアンシーは流石にコストが高かったようだ。
「良いわね。あまり目立ちすぎないけど、存在感はあるし」
彼女の素早い対応と、出来たデザインに頷く。
「だよねだよね! ティアラみたいな大型のデザイン久しぶりでさ〜、忘れてたんだよね」
ニャスパーを持ち上げてはしゃぐシエル。真顔で表情が読めないけれど、何だか困ってそうだった。
「忘れてたって、何が?」
手元で、画像を作り直していた彼女に聞き返す。隣では、ニャスパーが新デザインを見ながら、手を使わず器用に石膏を削っていた。
「んー、メインは着けるポケモンだってこと!」
思わず柔らかい笑みが零れた。彼女も私もとにかく仕事には真剣。そういう部分で意気投合出来たのだなと、しみじみ感じた。
同時に、この気持ちをいつまで忘れずに居られるかな、なんて考えていた。美しい宝石を見ると、私も目が眩んでしまいそうになるから。
宝石も人間もポケモンも。どれとして同じものはない。唯一無二だ。だからこそ、持つ人に寄り添える宝石商でありたい。それこそ、ベテルミュラー先生のような。
「ありがとう〜ルベちん! 今度パンケーキ奢ったげる!」
「良いって、仕事だもの」
微笑み、それから、実際にカットに使う宝石を選んでもらった。必要な書類を記入してもらい、カット職人に連絡を取る。
私の業務は以上。後は、晴れて商品としてショップに並ぶのを願うばかり。私としても、関わった商品がテレビや雑誌で特集されたら嬉しいので、シエルには頑張って欲しいな。
鞄から取り出したルージュを見て、この晴れやかな気分が塗り変わってしまったのは、シエルと別れて数分後だった。
♢
しっとりした夜の街。濡れたコンクリートは、寒色の灯りを受け入れ、街灯が寂しく人の居なくなった路面を照らしていた。街灯の影は、光を覆いそうな黒黒さで、コントラスト差を無視して伸びていた。
大学生だろうか。髪を半端に染めた男性二人が、酒気帯びで、手持ちのカイリキーに介助されていた。ノスタルジーを感じるなんて、歳をとったのね。
仕事終わりに何となく、普段のハイボール用のウイスキーではなく、小さめのワインを買って手に持っていた。カロスのワインは美味しいから……というのもあるけれど、“大人になりたい”そう思ってしまった。
アルコールをマストにしようが、スモーカーだろうが、中身は変わらないのに。
「……アンタも大人になれば?」
持っていた酒瓶は、粉々に砕けて路地に彼岸花を咲かせていた。服の肩部を真紅に染めた男と、アルコールに顔を歪めるゲンガーが私を見ている。
「ちょっと良いやつだったのに。ルージュといい、ツいてないわ」
咄嗟に投げてしまった私のせい? でもどちらが悪いかって聞かれたら、10:0で相手なのだから、どうでもいい。
さっきから、ずっと誰かの視線を感じていた。すれ違った大学生でもなく、悪戯に見ている野生ポケモンでもなかった。カロスは華やかな見た目の割に、意外と治安が悪いのかしら。
「くそっ、ただのディーラーの癖に生意気な女だ」
舌打ちし、元から整えてない髪をぐしゃぐしゃと掻きむしっていた。顔にはマスクをしていたが、目元が悪い意味で幼い。
ゲンガーは、影に潜り込める性質がある。それを利用しての宝石泥棒、成程ね。
大人の、しかも大人の女を舐め腐った小童め。私がそこらの愛玩ポケモンしか所持してない、若いパンピー女だとでも思った訳? ふふ、ふふふ……。
「おいゲンガー! 催眠術で眠らせ……」
「……コメットパンチ」
男が、ゲンガーに指示を口走った、その瞬間に残像を置き去りにした肉体が宙を舞う。路面に鈍い音を伴う質量が与えられた。メガメタグロスの強靭な硬い爪が、音速で男の顔面をクリームパンにフォルムチェンジさせたのだ。なんていい子なのかしら!
私がにこやかに振り返ると、あのかわ憎たらしい表情を変えずに、多量の汗でみずびたしになっているゲンガー。メタグロスが睨みを効かせると、降伏の印か。手を地に付けて、縮こまっていた。
「営業職の、それも宝石を扱うような人間が、タイマンで負ける訳ないじゃない」
その時の、ヒールの乾いた音が妙に気持ちよかった。流石に放置するのはまずいと思い、男を縛って交番まで届けることにした。メタグロスに乗って夜景を移動するのは久しぶりだ。
「……これ、君がやっちゃったんだ?」
「やっちゃったというかあ、正当防衛です♡」
男の様子を見た、当直の警察官が心做しか引いていた。しかし、私の背後には、更なる青銅色の強面が控えている。
「いやまあ、お手柄だけど……今後、過剰防衛にならないようにね」
「気をつけます♡」
決してむしゃくしゃしてたとか、ストレスを発散するいい機会とかではなかったが、スッキリ爽快! ずっと悩んでいた、クロスワードパズルが解けたみたい!!
それから、報告書や事情聴取を経て、男は三件の窃盗被害で逮捕された。ちなみに、過剰防衛による始末書は書かされなかった。ラッキー!
社内でも表彰され、メタグロスに感謝の金バッジが贈られたのだった。当の本人も私に似て、血の気が盛んで、汚いことが嫌いだったから、喜んでいた。メテノちゃんに自慢する姿が、可愛らしい。
「でもさ、なんかまた同年代から引かれてる気がするのよ。特に男!」
この熱きパッション、いい事ばかりではないものだ。