Ct.1 宝石商のMs.グロッシュラー
ガラス窓から、中の茶漆のアンティークが見える、駅に近い都市の喫茶店。珈琲の燻る香りが漂い、空いた食器を店員が回収する音が疎らに散る。
私は白い手袋を手に嵌めて、目の前にゆたりと腰掛ける貴婦人から受け取った。冷たく滑らかな質感の琥珀のペンダントを確かめる。べっ甲色の強かな色艶。決して人の手では出せないだろう、彩やかだが奥深い色合い。
これは、間違いなく“ひみつのコハク”の一部だと私は確信する。かつての空の王者、古代竜プテラの遺伝子が眠る秘石だ。
「秘密の琥珀ですね。保存状態が良く、劣化も少ないようです。台座のプラチナにややキズがあるくらいでしょうか」
ルーペを置き、ゆっくりと説明した私にお客様は安心されたようだった。これがプテラというポケモンの欠片であることを説明すると、知らなかったようで吟味するように首を縦に振っていた。
ポケモンの化石は、残念ながら私達宝石ディーラーの取り扱い対象ではない。僅かな欠片すらも、由緒正しい研究機関に委託することが決まっている。プテラなら、タマゴで増やせるのにと知り合いのディーラーがボヤいてたのを覚えている。恐らくそういうことではなく、起源や絶滅の原因の研究に活かされるのだろう。
「肌身離さず大事にされてらしたんですね。お客様は身なりもお綺麗でとてもお人が良さそうですから。この状態でしたら、お客様の希望に概ね寄り添えると思いますよ」
黒革の電卓を叩き、にこやかな笑みと共に差し出す。シルバーの髪を撫でた貴婦人が手首をくねらせて頬を触っていた。
爪をきっちり揃えてお辞儀した甲斐もあってか、それから軽い会話を挟み、トントン拍子に商談は成立した。鑑定メインのお客様だったが、適度なセールストークが効いたのだろうか。
研究機関行きなので手元には残らないが、お礼は下っ端の私にもそれなりに入ってくる。あの守銭奴ビッパにかっぱらわれなけりゃだけど。普通のビッパは可愛いのに。
お察しの通り、私は宝石鑑定士を兼ねる宝石商の人間。ルビーにサファイア、エメラルド……お馴染みのジュエリー用宝石から、秘密の琥珀や彗星の欠片、メレシーから採れる淡い天色の鉱石まで、幅広く扱っている。
さて、本日の営業は終了。私は喫茶店に居残り、上司への報告メールを打つべくマナーモードにしていたスマートフォンを取り出す。
テンプレートを殆ど埋めてあるメール本文に、軽い調査と反省を載せれば終了。思わず出た年増みたいなため息と、伝票をカウンターに持って行く。
店を出て、バンザイの姿勢で背を伸ばした時にスマートフォンが転げ落ちた。カラフルなメテノのケースが心配で慌てて見遣る。
『お疲れ様。グロッシュラー君は優秀だね(笑)若い女性が羨ましいよ』
渾身の右ストレートは敢え無くコンクリートに突き刺さった。
♢
「あんのぉクソ上司……これはハイボールでしょ! モンジャラ焼きにモーモーチーズで優勝よね!!? 」
何らかの災いで痛めた右手にタオルを巻き、コンビニでアイスとお菓子をカゴにドサドサかき込んでる、紺スーツの背の高い女。それがさっきまで凛とした姿で宝石を鑑定していた私である。名前はルベラ・グロッシュラー。普通に独り言を振り撒いて周りに見られてるけど気にしない!
お仕事仲間で私が溺愛してる、プクリンのルビィちゃんが私を呆れたように見ていた。ルビィちゃんはわがままだし冷たい……でもそれが可愛いから許す!! といつも通りにルビィちゃんのお気に入り、リボンアメざいくもカゴに入れた。
家に帰ると、速攻でメイクを落として温かい湯船に浸かった。それから、ナッツとクラボの和え物を作って、グラスにハイボールを入れた。モンジャラ焼きはプレートを洗ってなかったので断念。出しっぱなしの靴の箱やらまとめただけで出してないゴミ袋やらは見ない振りをする。次の休みこそ片付けるの。
「お疲れ私ー! 今日もお仕事して偉い! 最高! 高給取り!!」
仕事終わりの一杯は至福。グラスに、透き通る琥珀色。弾ける炭酸。脳に染み込むように疲れが溶けていく。ウイスキーの輝くアンバーに、先程取引した秘密の琥珀を想起した。あのサイズでは、復元なんて出来ないけど、プテラも気の毒ね。恋愛ドラマをBGMに、膝にルビィちゃんを乗せ寛ぐ。
「ぷりむー」
キャンディをころころ舐めているルビィちゃん。ドラマの俳優のルカリオが気になっているらしい。ルカリオとゾロアークは主役二人の相棒で、ルカリオは何だか意地悪そうな男の手持ち。反対に素直で可愛い女の子のパートナーがゾロアークなのはちょっと面白い。
「なぁに? ルビィちゃんはああいうイケメンがタイプなの?」
私が甘ったるい声でお腹を触ると、短くて丸いお手手でぽこぽこ叩かれた。あまり痛くないしむしろ可愛い。狙ってやってるなら、この子天才なんじゃない?
きゅる、と軽い歯車が回るような音が聞こえた。それよりも耳触りは良い、ぴかぴかした音みたい。手持ちのメテノちゃんがくるくると回って、構って欲しそうにしている。
「きゃああ可愛い〜〜!」
メテノはコアの姿では表情らしいものがない。それでも、体を使って喜びやふとした感情を現すメテノちゃんは、何だか健気でとても可愛らしい。一方で、ルビィちゃんはちょっとムッとしてる。この張ったほっぺをつつきたくなる。
ずっとこんな時間を過ごせたら良いのに。恐らく社会人トレーナーは皆思っていることだ。ルビィちゃんや他の手持ちの子達に囲まれて、毎日一緒に映画を観たり、お洒落して買い物に出かけたり、バトルタワーで最高に熱い戦いをしたり。バトルガールをしていた10代が懐かしく恋しくなる。
顔パックとアロマを用意し、明日の準備をしていた。宝石とポケモンと可愛いおばあちゃまのお客様以外は、皆ふわふわのパンケーキになれば良いのに。なんて考えて照明を落とした。
♢
駅前のパン屋でモーニングセットを頼み、本日の業務を始める。午後から中古の鑑定が2件あるので、それまではお得意様のジュエリーデザイナーと打ち合わせをすることにした。
宝石商と一口にいっても様々で、鑑定士の資格を持っているかで仕事内容の幅が変わる。私の場合は、大学時代に死ぬほど勉強して資格を取った。遊びに行きたくて気が狂いそうだったが、師である淑やかなベテルミュラー先生のことを思い出し、ぐっと堪えた。
「先生、先週のメール見てくれたかな」
先生こと、クリスタ・ベテルミュラーは業界では珍しい女性宝石デューラーだ。ポケモンに合わせた宝飾ジュエリーの第一人者でもある。今は自身のジュエリーブランドを経営し、バイヤーの後進を育てている。
彼女に出会わなければ、いくら宝石好きと言えど、宝石鑑定士やデューラーにはなっていなかった。それまでただのバトルガールだった私は、彼女のような賢く、慎ましく、美しい。そんな真の意味で強い女性になりたかったのだ。
近頃、仕事に不安を感じつつあった。上司や仕事関係がどうということではなく、漠然とした不安感だ。まだキャリア3年で自分に向いているのかが分からないし、やって行けてはいるが、明日もそうという保証はない。
返信はない。きっとセミナーや市場管理で忙しいのだろう。
ジュエリーデザイナーの提示した、デザイン案と配置案をチェックし、私の管理する商品の宝石が合う一品になるよう調整してもらう。
今回の彼女は、インカローズとピンクトルマリン、それからスターミーのコアだった赤い宝石を使ってティアラを作りたいそうだ。
デザイン案CにOKを出し、取引の日程を決めてもらった。丁度、鑑定依頼主と落ち合う少し前だった。
モーニングの2杯目の珈琲は冷めきって、水面に私のトルコ石のピアスが映っていた。
♢
依頼主は、若い女性だった。鑑定はアンティークが主なので、ご年配の方や財産相続しただろう中年層が多いのだ。
ポケジョブに出されたポケモン達の派遣と、管理・返還をしているOLさんと伺っている。隣には、タルップルがお行儀よく寝ているのでトレーナーだと思う。
「本日はよろしくお願いします。あの……本当にサイトの写真通りの綺麗なお姉さんですね!?」
私が同世代の女性だからだろうか。感激したように握手を求められる。素直に嬉しいので、適度ににまにましておいた。
丁寧に名刺を渡すと、相手も畏まる。紅茶を一杯だけ注文し、まずは現物を見せてもらうことに。彼女は黒くマットなジュエリーボックスを取り出す。
「先月、父の遺言と共に私宛に添えられていたんです。ジュエリーだと思うんですが、くすみも酷いし。元より、何処に使うものか分からないんです」
開けてみると、くすんだ四辺形のようなものが鎮座していた。手に取ってまずは肉眼で視るが、表と裏のある形状をしていた。だが、裏にブローチらしき留め具もない。裏に、小さなサインがあるが汚れが溜まっている。
「少し磨いて、私のポケモンにも視てもらいますね」
「お姉さ……グロッシュラーさんのポケモンですか?」
にこりと瞳で笑って頷き、クリーニングクロスで磨いてみる。少しずつくすみが取り除かれ、ゴールドと青い宝石部が顔を見せる。流石は、ルビィちゃんの抜けた体毛で作った布である。
「さてルビィちゃん、この子はどう?」
自慢のラブラブボールから出てきたルビィちゃん。私の持つ謎の宝飾アートワークを、潤む両目で見つめる。
「ぷゆ!」
耳をピンと立て、ご機嫌に短いメロディを歌う。これは本物の合図である。
「なるほどね、ありがとうルビィちゃん。フェイクジュエリーの類いはないようです」
「えっ、プクリンに判るんですか?」
彼女は短く驚いたように、私の膝のルビィちゃんを見ていた。疑われたみたいで、ルビィちゃんはぷっくりしている。
「ええ。この子は“おみとおし”という特性なので。人間の肉眼では判らない、本物の粉末を混ぜて合成したイミテーション、のような物も見抜けるんです」
えっへん、と胸を張るルビィちゃん。可愛いが今はボールに戻ってもらう。後でマシュマロ買ってあげるからね。
さてここからは、私の仕事である。品質鑑定と、ついでに何に使うアクセサリーなのかを調べる。くすみはあるが、傷は殆どない。マニキュアの除光液を塗るが、剥がれる塗装はない。石を貼り合わせた処理宝石でもなさそうだ。
台座のゴールドは、よく見ると彫りの縁の間隔が微妙に異なる。アマチュアの彫金だろうか。
「メインはラピスラズリ、縁は17金のゴールドですね。パイライトの金色もあまり目立たないようです。生前のお父様は、クラフト等なさったんですか?」
「手先は器用でしたが……あまり詳しくは知らないです。ごめんなさい」
それにしても、この手のひらに収まる大きさで、見た目はシンプルな幾何学の造形。
「これ、何だかジムバッジに見えませんか?」
こんな形の公認バッジは、私の知る限りはなかった。なのでちょっとした冗談というか、思いつきのつもりだったのだが。
依頼主の顔が曇り、困惑したような顔を見せた。
「ジムバッジ……? 今更なんで私に」
声は震え、動揺している様子が伺える。“今更”なんて言う辺り、ジムバッジで思い当たる出来事があるのだろうか。
「あの、何か思い当たる所でも? 良ければですが、お聞かせくださいませんか」
彼女は短く頷く。軽い咳払いをし、姿勢を正した。今まで脚元でじっとしていた、彼女のタルップルが頭を出して様子を見ていた。
「私、昔はトレーナーだったんです。それもリーグに挑戦する本格的な」
依頼主の女性は、先程よりも細い声で語り出す。あまり暗くなり過ぎないよう、相槌をきちんと打つ。
「10歳からジム巡りしてました。一進一退でしたけど、楽しかったので……でも、とあるジムが何度戦っても越せなかったんです。ジムリーダーさんにも気を遣わせてしまうくらい……手持ちの子達の士気も段々と下がってきちゃって」
「その時はもう15で。そろそろ進路を考えなきゃいけない歳でしょう? 私は不貞腐れて、旅をやめようかと真剣に考えていました。でもね、今は亡き父は違ったんです」
未成年が、旅をさせるかは、どうしても保護者の意見に依存してしまう。それでなくとも、将来を考えてトレーナーを諦める人は多いのだ。ジムリーダーや四天王として活躍出来るのなんて、本当に一握りどころかひとつまみなのだから。
応援したくなる気持ちも、やめたくなる気持ちも分かってしまう。
「父は、父だけは、その子達の気持ちは考えないのか? って叱ってきたんです。私は不機嫌だった上、未熟でしたから、バトルしない人間に言われたくない! って突っぱねて……それから10年以上、まともに話さずにいました」
私も感情的になる時は多いので、彼女の気持ちがよく分かる。特に挫折してぐしゃぐしゃに泣いた、そういう時は特に、頑張ったね、なんて言ってもらいたいものだから。
「先月、遂に何も謝ったり出来ないまま逝ってしまいました。元からあまり口数は多くない人でしたが、私が完全に意固地になっていたんです。本当に……」
女性は、既に後悔に涙ぐんでいた。何度も目を擦り、何とか堪えていた。
「心中お察しします。話しにくいことでしょうに、一介の鑑定士に話して下さりありがとうございます。お父様は、さぞかし貴女を気にかけていたのが分かります」
「そうでしょうか。もしや、当てつけという可能性だって……」
猫背になり不安になる彼女に、優しく微笑み首を振る。違うと分かっていても、不安になってしまうのだと思う。
「ラピスラズリは、パワーストーンとして古くから人間関係や頭脳明晰を願う御守りに使われています。ゴールドも全体的な運気を上げると言われていますね。どちらも良い素材ですし、そんな高級で加護のある組み合わせを、わざわざ嫌いな人に渡したいですかね?」
カタカタと、紅茶の入ったカップが揺れる。
「お客様の実力を、そして選択を。お父様は認めて下さっていたのでしょう」
一瞬、淡い光が灯った瞳孔は、次にはとめどない感情を流していた。ポケットからティッシュを渡し、鼻をすする彼女を見ていた。
あのジムバッジの溝には、一つ一つに父親の後悔や親愛がこもっていたのだ。不器用で、それでも娘が大好きだったのだろう。
ラピスラズリは、ひょっとしたら彼女の誕生石だったりするのだろうか、と考えてみたが改めて彼女を見て納得した。
「お値段の見積もりは出しませんから、御安心を」
深く冷たい青を宿すラピスラズリが目に入る。その海にも穹にも似た色は、奇しくも握る彼女の瞳と同じだった。