#3 誘引
ようやく激しかった吹雪もおさまり、視界は良好。まだ重たい雲が残っているものの、太陽が出ていないおかげで雪表はさほど眩しくない。それにしても、今回の降雪量は半端なかった。12月とはいえ、これほどまでに足跡が深いことは滅多にない。まだ冷え込むというのに。真冬にはどうなるのだろうか。まぁ、この雪の大部分はアタシが降らせたものだしね。厚くて少々歩きにくいが、それほど苦ではなかった。いや、自分で降らしておいて文句は言えない。最終的にそう指示したのだから。 それなのに、こんなに見晴らしのいい朝は久しぶりだ。見渡す限り、一面は純白の広野。そしてそのまわりに散りばめられた、輝く無数のダイヤ。何一つ作意されていないこの自然は、見る者を魅了するだろう。精白がゆえに、汚すことを拒ませる。いつかアタシも、この雪と同等に得られるだろうか。美しさに秘められた、絶大な「力」を。
ところで今、アタシはただ途方もなくこの雪を踏み歩いているわけではない。ちゃんと目的があってきた。単に寒くて運動したいだけではない。一応、熱き血潮を流す動物の一匹なのだが。
冬になると、多くの植物が枯れ果て、実をつけなくなる。すると自然に食物の確保が厳しくなる。そのため冬の食料の分を備蓄しなければならない。だからアタシは部下に、適所に格納庫を造らせた。保存状態は悪くないのだが、まめに点検をする。その点検のために、アタシ自ら出向いたというわけ。数多く部下がいるのに、なぜ頭領が直々に点検しに行かなければならないのか?
部下を裏切らせないためだから。さっきも言ったように、冬になれば食物の確保が厳しくなるこの北国では、確保率が高い集団生活が生き残りやすい。よって少数でもいいから、皆が群をつくりたがる。アタシ達の場合、権力も頭数も領域も地域一であるから、更に合併をしたがる。その分の領域も占領できるから、食物確保がしやすくなり、こちらにとっても嬉しい。だが時として、全員が群に忠誠しているとは限らない。限りある食物の独占をもくろんでいる者がいるかもしれない。そう、それが前述した裏切り者。いわば「食べ物泥棒」だ。そしてその泥棒に、格納庫の所在を知らせたり、任せたりしないようにするのも、アタシの仕事。ここまで理由づけたら、さすがにアタシも面倒くさいとは言えない。
もちろん裏切り者や部外者にもなるべく知られないよう、格納庫をカモフラージュしておいた。おまけにこの時期になれば、雪が積もっているから発見しにくいであろう。万全体制で安心……だが、絶対に暴かれないとは限らない。いつ泥棒に所在を明らかにされてもおかしくないからね。
以上の二つの理由で、アタシが管理・確認せざるをえないのだ。全く、どうしても面倒くさい仕事だ。さっさと片づけたい思いで、足取りをせわしくする。
そろそろ目的地が見えるところまで来た。いつもなら、いくらアタシでも目印なしではいとも早く見つけることは出来ない。出入り口には岩が塞ぎ、雪で被されているから。なのに、いきなり視界には、白い平野に大きな黒い穴が一つ落ちていた。駆けつけていけば、やはり穴だった。塞いでおいた岩も、跡形もなく撤去されている。まさか、もう事態が動いたのか!? よりにもよってこんな時期に。
噂の盗人、個人でくる可能性は低いと思う。毎度点検するアタシにとって、その岩は大きくて重い。まさに巨壁で、動かすことも容易でない。そのため出入口と岩の間を、アタシが通れるくらいの隙間をあけている。アタシと同等、またはそれ以下の小さい奴らでも通してしまう。しかし、そんな奴らがいたとしても、部外者だ。小型の氷タイプなど、どのグループにもいないことは把握したいる。つまり多くは、ここまで寒さをしのぎ、残った体力で岩を動かさなければいけない。それが大型一匹でも苦労するだろう。だから最低二匹以上の力を要する。周りに、バリケードとなったあの岩のかけらもないということは、投げ出されたか、打ち壊されたか……。しかし、何匹いようが、アタシ一匹で立ち向かえなければいけない。覚悟なんて、未練がましい思いなど一切ない。アタシはこの北国の女帝なのだ。力の差を思い知らせ、配下につかせてやろう。
薄暗く湿った洞穴の奥へ、忍び足で進む。出入口から吹きよせる冷風が、洞穴の奥へ隅々まで走る。そして木霊するかのように、行き渡った風が返ってくる。それと一緒に、果汁の匂いも運ばれてきた。やはり喰い荒らしに来たな。今のアタシは闘志に満ち溢れていた。否、それだけしかなかった。あらゆる五感を研ぎ澄まし、犬歯を鋭く立てる。気配を消すためにゆっくり行動し、しかし眼球はしきりに活動させる。周囲に神経を鋭く向かせ、いつでも戦えるように、身を屈めながら進む。ついに格納室とよばれる、広く溜まった空間に入った。だがアタシはその空間との境から離れようとしない。うかつに奥に入れば、襲撃された時に脱出しにくくなる。まさに袋の中のピチュー。それだけは避けたい。
まずは周辺を見渡し、異常がないか確認する。保存したきのみは山積みに陳列したはずが、手前だけきのみが散乱していた。前回も、もちろんアタシが見に来た。最後このように乱雑にした覚えはない。明らかに、何者かが荒らした。しかし、一見して怪しい物陰は見当たらない。
もうこの場を去ったのか。そう確信して、きのみを整えようとしに近づいた。辺りは果汁、もしくは唾液を含んだ液体によって湿らせていた。やがて甘ったるい匂いがしてきた。きのみの量とこの乱れようからして、かなり消費されたと想定できる。そして、そうされたのかと思うと口惜しい。もう少し早く来れば、事態は違かったろうに。あとに残されたことは、虚しくもきのみを積み直すのみ。いつまで嘆いても状況はかわらない。いいさ、次はこうはいかせない。必ずとっ捕まえてやる。そう決心して、さっさと片づけようとパイルの実をくわえた瞬間。
やはりヤツはそこにいた。
そいつは、アタシと、積み直すはずの山を挟んで、伏していた。遠目で死角になっていたから、気づかなかった。死体のように、全く動く気配がなかったから、なおさら驚いた。いや、もちろん生きている……よね? 落としそうになったきのみを静かに置き、息を殺してヤツの口元に耳を傾けた。正常に、一定の間隔の呼吸が確認できた瞬間、アタシを取り巻いていた不安が払拭された。死体の処理までやるのかと焦ってしまった。一見して、体調不良の様子はない。体温も適温に近いだろう。それもそうだ。腹一杯食って寝りゃあそうなる。全く、心地良さそうな寝顔だこと。見てるこっちも穏やかな気分になりそうだ。だが、ヤツの口元から漂う甘美な匂いを嗅いだ途端、我に返るように、「容赦」という言葉を忘れた。
生きていようが死んでいようが、こいつが盗み食いしたことは事実。さらに、アタシはこいつを知っている! 青と黒の基調の、長身で二足ポケモン。「ブラン」創始の碑を溶かした連中の一匹。部下の攻撃を難なくかわし続けた、厄介な一匹だ。雪崩で始末したはずが、運良く命拾いしたのか。ここまでよく生き残ったと、敵ながら賞賛したかったが、これほど罪作りなポケモンを見逃すはずがない。放火罪及び十数時間の逃走、おまけに今回の窃盗罪。不届き千万。いかに愚かであろうか。今すぐにでも制裁を下したい。だが、このまま潰すのも性に合わない。
どうせなら、こいつの当惑する顔でも拝みたいものだ。そうだ。それなら逆に、誘ってやろう。残酷な選択を強いられ、血迷い、惑う姿を見るのが楽しみだ。それに、殺すには惜しい、力の持ち主だ。
「さあさあ、遠慮は無用。好きなだけ食べて」
そう言って、グレイシアはまた数個のきのみを手前に差し出す。いつのまにか色とりどりの果物の山が出来上がった。この場面だけ見れば、彼女はなんと慈悲深いと感心するだろう。赤の他人に食物を提供しているのだから。だが俺は彼女を知っている! 昨日、セキマルがあの氷の塔を溶かしたことをきっかけに襲いかかった群の頭領。虫一匹も逃さないような、あの冷たく鋭い眼差しを向けた者だ。
俺はまだ夢でも見ているのか? 今は来客を迎えるかのように、満面の笑顔で接している。あの時の彼女と同一人物だということが信じられない。なぜこんなにも、にこやかに振る舞っているのか? 本当に俺のことを覚えていないのか? それとも確信している? とにかく、理解できない行動だ。怪しまれないためにも、俺は彼女の勧められるまま、きのみを頬張った。
「すまない、アタシは一応氷のポケモンであるから微妙の冷たさを感じないが、寒くないか? きのみ、凍ってて食べにくくはないか? あいにく温めるものがないから、解凍のしようができないんだ。口当たりが悪ければ言ってくれ。すぐ代えを用意するから」
過度に親切で、逆に気味が悪い。これほどニコニコしている顔を見せられると、返答や目のやり場にも困る。次第に居心地が悪くなる。
一体何を考えているんだ? 波導で読みとってやろうか。女心を見透かすなんて、非紳士的だと戒められても、やるつもりだ。しかし、相手がそれを察知したらどうしよう。俺は誤魔化しや嘘やふりとか、演技じみたことをするのに器用ではない。ましてや、波導は非常にもろく遮断されやすいがゆえに、多大な集中力を要するため、きのみを食べるのに気がいかない。すると自然に手が動かなくなるから、何か別の事を考えていると疑われ、怪しまれる。ルカリオだからといって、簡単に他人の心裏を読めるとは限らない。期待を裏切らせたかもしれないが、そう都合よくはないんだ。どうか失望しないでくれ。
「のどは乾いていないか? きのみの果汁だけじゃ、甘ったるいだろ。雪解け水……ぐらいしかないけど、それで口直ししてくれ。癖がないし、アタシは飲みやすいと思う」
「末期の水、ということか?」
ついに俺は、彼女の真意を掴むため、真っ向に勝負に出た。
「どういう意味かな」
この勿体ぶった返答もいぶかしい。あくまで白を切り通すつもりか。それでも俺は更に突き止る。
「俺は確かに昨日、お前が起こした雪崩を受けたが、残念ながら記憶喪失してはいない。互いに顔を認識できる距離だったから、なおさら覚えている。いや、見た瞬間に思い出せた。お前はあの雪崩で俺たちを抹消したかった。証やら結晶やらを壊され、お前達の憤りの対象としている、俺たちを消したかった。だが、俺が今生きている時点でまだそれは成し遂げていない。ましてやここはお前の領地。今が俺を倒せる絶好の機会なのに、どうしてこれほど厚意に世話する? それとも、俺を覚えていないのか? ポケ違いなのか? 俺の勘違い? もう何を疑えばいいか分からない。頼む。知っていることがあれば答えてくれ」
すると迷うことなく彼女は応じた。
「悩むことはない。お前の疑っていること全てが事実。いかにも。あの時、お前と仲間達の制裁を下した者こそ、このアタシ、グレイシア張本人である。そして、種族は知らずとも、自ずとお前だと分かった。それに、お前をここで改めて始末するという選択もあった」
「それならなぜ……」
余計だと知っていながら口を挟もうとしたが、やはり彼女は前足を上げて制した。焦燥に駆られた俺の心境とは対に、穏やかな口調でその由を説明する。
「迷いに迷ってこの地に転がり込んだのだから、心身ともに衰弱していると予想できる。そんなヤツがこのアタシと、対等に勝負できると思うか? 目に見えているよな。ましてやきっとつまらない結果だ。アタシは、退屈以上に煩わしいものはないと思うくらいに、嫌いだ。ただ痛めつけても何の面白味も意味もない。だからあえて、お前に危害を与えないことにした」
それこそ意味がないと言えようか。一体何を考えているんだ、このオンナ。すると、まるで高揚を抑えきれないような笑みを漏らした後、彼女の口が開いた。
「お前を、仲間に加えることにした。喜べ! あの群の頭領であるこのアタシから直々に、お前を賞賛し、認めたのだ。我々の攻撃を回避した、あの身のこなしを見れば一目瞭然。何とも冴えた反射神経だ。お前自身の能力か、それとも種族による性能か? そんなのどうだっていい。どうでもいい! 力不足で頼りのない部下が多くなった我が群には、大きな戦力を欲している。だが、そんな救世主などこの付近にいないことは承知している。半ば諦めかけていた。しかしそこにお前が現れた。そしてあのパフォーマンスを見て、感激した。まさにアタシが求めていたもの、理想像だ。あの時、罰するには残念だと思ったが、今こうしてまた出会えたんだ。因縁を感じるほかないよ。だから仲間にしようと決心した。純粋に、お前の実力に惚れたんだ」
懐疑はまだ消えないが、嘘をついているようには思わなかった。これほど褒められたのだから、悪い気にはならない。それどころか、恐縮さえ覚えてしまう。だが待て。いい気に乗るな。相手は俺を誘っているんだ。何を企てているか分からないが、決してこちらの都合に良い話ではないに違いない。あの時とは一変した彼女の態度に、ハナから何の期待も希望も抱いていない。
「そんなお言葉を頂けるとは、思いもよらなかった。むしろ恐縮しちゃうな。けど、俺には帰るべき場所がある。待っている友や仲間がいる。それらを全て投げ出すなど出来ない。皆を裏切らせたくないんだ。ご馳走を振る舞ってくれたことや、親切に養ってくれたことにはとても感謝している。だがそれとは無関係だ。お前の厚意に背くようで悪いが、どんなに条件や褒美を積んだって、俺の意志は動じない。皆が待っているから……」
不器用ながらも、俺の精一杯の気持ちを告げた。理解されなくてもいい。言葉にすることで、自分の価値を再確認できるのだから。自分の口から発することで、確信と自信がつくのだから。もはや相手に訴えているのではなく、俺への覚悟を表現する。何も望んではいない。飾らず、ただ素直に意志を表した。俺達の絆を証明するには全然言葉足らずだが、今思いつく限りのものをひたすらに並べてみた。まだまだハクトと共にしたいし、賑やかな仲間達と騒ぎたい。決断に甘い軟弱な自分はもういない。だからこうして言える。どんな誘いにも易く応じたりしない。仲間を信じているからこそ、俺の意志は堅固ゆえ動じない。
グレイシアはそんな俺の心意を見通すように、まっすぐ俺の両眼に視線を注ぐ。無論、俺も彼女と目線を外さない。目で語ることは、限られた言語によるコミュニケーションにも勝る、ということを理解しているようだ。明白に意志疎通をしたい。伝えたい。瞬きをなるべく控える、俺の心境だ。
暫く様子を伺うようにお互い黙り続けた。そして、この均衡を破ったのはグレイシアだった。緊張のおもむきは見られず、あっさりとした態度だった。
「ふっ。そう言うと思ったよ。始めから簡単に承諾してくれるとは期待していないさ。もちろん、アタシとしてはお前を得ることは諦めたくない。あくまでお前自身の意見を尊重するつもりでもある。お前の仲間の思い、しかと受け取った。その眼差しから、友情がにじみ出ているよ。しかし、アタシとて気安く妥協したりしない。そうでなければ、お前を見過ごしていたさ。わかった。それならこうしよう。一度、我が精鋭達と会ってみないか? もちろん、強制的に部下につかせるつもりもないし、顔合わせ自体も参加の強要はしない。実際に会ってみて、気に入らなければ帰してやる。まあ、帰らせるようなメンツではないとアタシは誇るがな。入る気になれば、その意志を皆に証明してほしい。もちろん、お前の主人にも。それ以前に、まず存命云々の話だが……」
「生きているさ、必ず!」
つい反射的に答えてしまったが、彼女もハクト達の安否を知らないようだ。
俺は基本的に、根拠のないものには肯定しきれない。誰かが自分の分の食べ物を食べられ、「自分は食べていないよ!」と言われても、大概発言したその本人にも、疑いの目を向けている。誰にだってあるよな。だけど、これだけは言いきれる。アイツはそうやすやすと死ぬはずがない! しかし至って普通の人間だ。何の特殊能力も並外れた回復力もないし、不死身の体を持っているわけでもない。
まぁ、強いて言うならひとつだけあるけど……。
それでも、彼らは絶対に生きていると思っている。これは願望でも予感でも可能性でもない。「真実」と同等の絶対性を含む。自分でも驚くほどの自信があった。
「分かった。それならもうひとつ約束しよう。仲間に入らない場合についてだ。気に入らなければ、ついでにアタシがお前を主人のもとに帰す、というのはどうだ。一緒に捜索してやるよ。どうだ、悪くない話だろう」
確かに、この地域一帯を把握している彼女といれば、ハクト達と遭遇しやすくなるだろう。しかし、この条件を鵜呑みにしてもいいのか。あの群の筆頭とあるだけに、よほどの責任感は既存しているだろう。だがこれから敵地に向かうことになるんだぞ。群の象徴・証として崇められたものを溶かされてから、まだ日が浅い。彼らの威嚇、反感、憎悪、憤怒、罵倒、それら全部が俺に集中するだろう。それを俺はたった一人で立ち向かなければいけない。最悪、こんな友好的な交渉で釣りだし、騙し、まさに袋叩きにされることになりかねない。だけどやはり、その先の条件が欲しい。襲撃される危機があると知ってでも欲しい。ここで断れば、あの途方もない銀世界を、また一人模索しなければいけない。それでは生存率は一向に変わらない。俺は、彼女を信用することを選んだ。
「そうしよう。お前達の勢力を、最前線をとくと自慢してくれ。それでも気が変わることはないなと、今は思う」
「いいや、絶対にその気にさせるさ。我々がどれほど優秀なのか思い知らしてやる」
「それならすぐに行こう。ちゃっちゃと済ませたい」
そう言ってただちに立ち上がり、出口に向かおうとした。とにかくその意向を行動で示したかった。その様子を見て、慌てて後に続くグレイシア。進むにしたがって、次第に空気が寒く張りつめてくるのを感じた。
だいぶ日光が反射する眩しい雪にも、目が慣れた。いつの間にか真っ平の雪原を歩いていた。その両脇には、あのテンガン山へ連なる山岳がそびえ立っていた。ベーキングパウダーでまぶしたような、柔らかそうな粉雪に見えるが、踏みしめると意外に足が深く沈む。くるぶしまですっぽりはまってしまうほど。だから歩くのに、普段以上に腿を上げるので、かなり疲れる。それなのに、彼女は俊敏なフットワークで軽やかに駆ける。さすがにしんせつポケモンだけあって、なんとも苦にしない歩き方なんだろう。あれだけ進める余裕があったら、雪道を切り分ける「親切」ぐらいはできないだろうか。
あの後、グレイシアを先頭に群の集落へ案内してもらっている。彼女はそこで朝礼をし、俺を紹介するらしい。わざわざそんなことしなくても、彼らは俺の顔を見れば、一発で理解できるはずだ。「余所者のくせに、尊い証を壊した愚か者。我々の永遠の敵」と思われてもおかしくない。問題は、そう思い込み敵視している者の数が気になる。つまりは、群の頭数。
包囲された時を振り返れば、あのおびただしい数に圧倒した覚えが蘇る。数だけならず、種族も豊富だ。ユキカブリ、ニューラ、イノムー、ユキワラシ、マッスグマ、ドータクン、マニューラ、マンムー。あの場に居合わせた奴だけを挙げてもこれほどだ。各種最低でも二、三匹は揃っていた記憶がある。群総勢、総動員を割り出すのも恐ろしい。それ以上に、その大群を一斉に引率しているグレイシアがもっと恐ろしい。彼女以上に大柄で凶暴なポケモンがいるのに、そんな奴でさえ彼女を敬い、慕っている。昨日発したあの強気な言葉と態度から、猛者に似合う威徳がにじみ出る。雄以上に貪欲で貫禄や闘志を人一倍に持っている。雌というだけでも驚きなのに、雌とは思えないほどの風格をかもし出している。そんな彼女に敬服する雄達の、彼女に対する畏怖の念が少し分かったように思う。次第に落ち着かなくなる気がした。寒さの上に、体がこわばってろくに足が上がらない。
「もうそろそろだな。あと少しで着くぞ」
そう言って彼女は進路を変え、丘陵を登りだした。平地でこんなに息切れしてしまうのに、これからこの急斜面を進めというのか。声も体も悲鳴をあげてしまいそうだ。しかし迷っていても、彼女は立ち止まったり振り返ったりする気配がない。置いてけぼりも困る。仕方ない、這ってでも登ることにした。
こちらの気持ちを知らないで、グレイシアは飛ぶように登る。だめだ。すでに俺との間隔差が大きすぎる。しかもその差は著しく広がってしまう。俺が「くろいてっきゅう」を持っているのか、彼女が「こだわりスカーフ」を身につけているのか。そう思わせるほどの感覚だった。
「あははっ。どうしたどうした! そんなに息荒げて、情けないぞ。アタシを魅了した、あの俊足はどこにいった! 今や生死をさまよう遭難者に見えておかしい。こんなペースじゃあ、だいぶ時間がかかるな」
はるか頭上から降ってくる笑い声。見上げれば、グレイシアは顔だけこちらを向かせていた。大丈夫。表情が認識できる距離に彼女は留まっている。無邪気に笑う、優しい笑顔が見える。その笑顔を見て、なぜか俺は懐かしい気分になった。どこか親しみのある、あの甘い笑みから感じる。その次に、怖いほどの不思議な感覚が襲ってきた。今まで読んだミステリー小説でも、味わったことがないような感情だ。
私情を露わにせず、刺々しい視線を向けた女王の顔。誰に対しても慈しみ、惜しむことなく愛する母の顔。柔らかな笑顔を振りまく、無垢であどけない少女の顔。この変貌ぶりを、俺はあえてフォルムチェンジとは呼ばない。まるで、ミノマダムの「みの」の衣替えに似ている。大勢の部下を束ねる頭領の身。部下一人もいない、プライベートな状況。思わず綻んでしまう親しい心情。様々な場面で変化する彼女の態度や表情は、まさにそれだ、と思った。別人だろ、とも思った。あまりの変わりように不思議で、おかしくてたまらない。今はどんな顔をしているのだろう。そんな期待するような心境で顔を上げる。ところが、さっきまでいた彼女の姿がない。辺りを眺めても見当たらない。ふとかすかに、冷ややかな口調の女性の声が聞こえる。なるほど、この丘の向こう側に彼女がいるのだな。いつのまにそこまで移動したのか。
やっと丘の頂にまで手が届いた。いきなり平地になったそこの縁を腕にかけ、体を投げ出すように起き上がらせた。ようやく到着だ、お疲れ。そう自分自身に労って、達成感に浸り、心地よい汗を流すはずだった。しかし今流れている汗は、決して心地よくなく、痛みさえ感じる、冷や汗。
辺り一面にひしめく、無数の、ポケモン。
様々な種族の、おびただしい数のポケモン達が、この場所に集まっていた。しかし、ただ数に圧倒されただけではない。何だ、この静けさは。何十匹、下手したら百を超えるような頭数が待機しているとは思えないほどの静寂だ。突然俺のような異邦人が現れたせいか、群衆の大多数が注目していた。俺は硬直してしまった。究極の威圧感の渦中で硬直してしまった。
「おう、やっと来たか。遅かったな。随分と待ったぞ」
群衆の手前に、グレイシアが「こっちだ」と俺に催促する。そのグレイシアは、さっきまで会ったグレイシアとは全くの別人に思えた。あの幼さを含んだ彼女が神隠しにあったよう。最初に会った「女王」と入れ替わったよう。とげのある目つきで捉えていた。指示通りにグレイシアの隣に並ぶと、彼女は一歩前進して張りのある声で叫んだ。
「見えるか、お前達。よし、傾聴! 連日続いた早い時期の吹雪もやっと落ち着き、今朝のような快晴を迎えることとなった。久しぶりに同志の顔が見れて、嬉しい限りだ。そして、これにより数多くのコロニーが活動することだろう。合併交渉に行く者は、引き続き積極的に出向いてくれ。それ以外の者も、自分の持ち場について仕事を全うするように。何か問題や不適合があればアタシに知らせてくれ。その都度、こちらでなるべく迅速に対処を伝達する。もしアタシが必要なら、場所を教えてくれ。そこに向かうようにする。さあ、今日も一日頑張ろう。我々の更なる栄光のために。……と、いつもならこれでお開きにするのだが、その前に一つだけ皆に話したいことがある。昨日、我々にとって大いなる事故が発生した。皆が団結し結成した、チーム『ブラン』の創設を記念して造られた証を溶解されたことだ。もちろん、このような事態が起きたのは史上初だ。この時期はどうしても多くの人間を見ることになり、トラブルが発生しやすい。今回の件についても、やはりそのような類だ。現場にいた者達なら知っているだろうが、一人の人間がこの地に迷い込んできた。どういう経緯でそうなったか分からないが、なぜか自分のポケモンと取っ組み合いをしていた。そしてあろうことか、その最中でポケモンが碑を溶かしてしまった。聞くところによると、『ついうっかり』のようだ」
うっかりだと? 信じられん。軽率にも程があるだろう。これだから人間は!
様々な反論が至るところで囁かれる。だがそんな声を無視して更に話し続ける女王。
「無論、わざとでなくてもこれは一大なる事故に変わりはない。最終的には、その者達に栄光損失に見合う処罰を与えた。皆も知っての通り、尊厳なるテンガンの驚異を味わせてやった。そして存分に償わせてもらった、かと思いきや……」
話の途中まで拍手が巻き起こっていたのに、最後の一言で水を打ったように静けさを取り戻した。その次に、更に多くのポケモンがこちらを凝視していた。グレイシアが話したい内容が明らかになりそうだと伺えた様子である。
「アタシが連れてきたこいつがその内の一匹なんだ。他の連中はどうなったか知らないが、こいつはこの通り無事に生きている。だがこの時点ではまだ償うに値しない。なにゆえそんな奴がここにいるのかと、疑問を抱く者もいるだろう。単刀直入に言う……。アタシはこいつを敵としてではなく、仲間として迎えたいと思っている」
ザワッ!!
巨大な一匹の生物が呼吸したように、数々の驚嘆の声が一斉に漏れた。ようやく頭数相応のざわつきを初めて聞いた。予想通りの反応が見れてむしろ安心できた。どこまであの張り詰めた重苦しい状況に耐えなければならないのか、そのことが何より心配だった。
「静粛にっ!」
鶴の一声で群を鎮めた女王は、俺の隣まで歩み寄る。そして強引に俺の腕を組ませる。雪と同化してしまうほどの白い肌はやはり冷たい。
「現場にいた者なら見えていただろう。こいつの冴えた読みと俊敏な動きを。一手二手先よりも、相手がどう攻めたいかを予想できている。だから常に最低限の回避が続けられる。これだけの実力を持つ者を一体どれくらい見ただろうか? こいつがいれば一気に勢力増大は間違いない。アタシが保証する! チームのためになるなら、絶対その方が良いだろ。そうさ、こいつの新加入が罪滅ぼしになるんだ。受け入れにくいだろうけど、この手しかないと思う。まずはこいつに我々の事を知ってもらいたい。皆はそのまま待機。それで……おい! お前達は前に来てくれ」
女王は手前にいる何匹かを手招きする。多くのポケモンの間を縫って顔を出した者達の中に、昨日女王が連れた、あのオニゴーリの姿があった。当時の様子から、彼女の側近らしきポケモンと見た。後から二つの黒い毛皮が現れた。俺の記憶に間違いがなければ、あれはグラエナだ。二匹とも同種とはいえ、体格や顔つきが似ている。兄弟なのか? その三匹が集まってから、グラエナの一匹がたまらず女王に話しかける。悪タイプらしからぬ、ひょうきんな態度であった。
「あ、姐御。本気なんですか?そいつ、あくまでも人間のポケモンですよ。ましてや昨日の悪事に関わった野郎でもあるんすよ。いくら才能があろうと、オレは受け入れにくいっす。だって、今までなんてこんな事なかったし、今後そうなるとも思ってなかったから。なんつーか、信じらんねーっていうか。不安ってゆーか。あっ……べ、別にオレは反対する意見はないっすよ。ただそいつがその気かどうか疑わしいだけで……。姐御がいいんだったら、オレは大歓迎って事っすよ。矛盾していると思ってるでしょうけど。姐御の最終判断は文句なしってことで……」
なんとまあ腰の低いこと。こんなに気弱そうなグラエナは初めて見た。性格のせいなのか、それともそれほど女王に地位や格が高いせいなのか。この様子は、彼女に対する群の第一印象と言えるだろう。間違いなく女王は、絶対的権力の持ち主。大群を
総ぬ最高司令官。やはりとんでもないグレイシアだ。すると続けてもう一匹のグラエナが喋りだした。打って変わって、今度は落ち着いた口調であった。非常に聞きやすかった。
「今まで姐さんは、俺達が考えもしなかった事をやり遂げなさいました。どれも斬新で、時に奇抜で、成功に繋がるか疑問に思った事もありました。けど、姐さんの並外れた実行力で俺達は救われました。俺達は全員姐さんに感謝しています。また俺個人として、姐さんに惚れました。一生ついていこうと誓いました。しかし、今回はあまりにも突拍子もなく、衝撃です。ジンライの意見に同調することになりますが、そいつに創始の碑を償う気があるかどうかです。俺も現地にいましたし、そいつの能力も承知しております。認めますが、認めません。失礼を承知で申し上げますが、そいつの加入は反対です。実力で名誉を賠償できたなら苦労はしません。別問題だと理解してほしいのです。安易に仲間にしないでもらいたいです。まぁ、そいつが本当にその気でいるのなら、今までの発言は自分のつまらない妄言としますが」
同じグラエナ種とは思えないほど二匹の性格が違いすぎる。特に後から喋った二匹目は、すでに成熟していた。女王への最高の敬意を払いつつも、しっかりと自分の意見を主張する。交渉人のお手本になるような、丁寧で、しかし強い口調だった。マゴマゴとしてはっきりしない一匹目とは正反対。物怖じしない態度や凛とした表情から、兄弟の年長者、つまり兄上らしき人物と推測する。歳もそれほど離れていないように見えるのもまた驚き。
「お前はどうなんだ? 異議があるなら言ってみろ」
そう言って女王は未だ発言していないオニゴーリに振った。今のところ、兄弟達の反対票が二つ。女王に気を遣っていると思うが、これが一般的な回答であろう。予想通りの反応だ。目の敵にしている者を受け入れろと言う方が無理がある。なおさら、女王に従事しているオニゴーリの意見もたかがしれている。すると、初めて聞いたオニゴーリの低くて重い声が、神妙に響いた。
「その提案は妥当だと思います。我々に持っていないものを、彼は備えています。あの一戦だけ拝見しても、適応能力がかなり高いと見受けました。長年この地で暮らしてきました私共も、雪の上では困難を強いります。ですがこの者は、まるでそんな事など関係ないかのように俊敏に駆け回り、我々を翻弄しました。もし我々に属するとなれば、これほど心強いものはないでしょう。チームにとっても、今までにないくらいに活気づけられるでしょう。唯一、人間側であることだけが残念でありますが」
なんと、あのオニゴーリがまさかの賛成!? 意外な人物から賞賛されたものだなぁ。しかも、これほど褒められると嫌でも照れる。自分の予想を覆す、この好印象。加入に関して否定意見はないと見受けてよいのだろうか。いや、たとえそれが真実だとしても、俺自身は妥協しない。実力を認めてくれたことを感謝するだけだ。嬉しいけど、まだ加入する気はない。
「なるほど。お前達の意見は、相変わらずの調子だな」
女王がおもむろに切り出した。三匹の顔を、一匹一匹じっくりと眺めてから、その後こうも言った。
「要するにお前達は、こいつが考えを改めてくれたなら、文句はないってことだな。もちろん、そのためにこいつをこの場に呼んだのさ。だけどそれだけじゃない。お前達もこいつを知る必要があるからだ。あの事件の事は、全部水に流せとは言わない。ここからお互いを理解しあえる環境を作ろう。アタシの提唱も保証できるとは言い難い。けど、長期間の寒気凜烈を繰り返すこの地で、アタシ達はこうして耐えて、生きてきたんだ。ちょっとやそっとじゃ、滅亡の危機なんて訪れるもんか。たとえ過去の栄光を失おうとも、アタシ達には自然の猛威をしのぐ強い忍耐力を身につけている。雪崩の如く大群が押し寄せて来ても、真っ向から立ち向かえる。お前達はそれを誇ればいい。その誇りが最大の武器なんだ。だから、こいつが加われば更に繁栄するとアタシは信じている。『ブラン』はかつてないほど強くなれる。そう予感せざるをえないんじゃないか?」
「姐御……!」
「姐さん……」
グラエナ二匹はそれぞれ感慨深げに敬礼する。オニゴーリに至っては、もはや涙目。後ろで聞いていた他の部下達から、嗚咽などが聞こえた。
厳しくても、一番群に思いや信頼を抱いている女王の言葉。その一つ一つが皆の心に染み渡り、共感している。大の雄達が人目をはばからずに泣いている。彼女は群のリーダーでもあり、精神の支柱でもある。まさに、彼女なしでは動かない、心臓のよう。次々に女王の偉大さを目の当たりにし、寒さとは違う身震いを感じる。
その後女王は俺の方に体を振り向かせた。何をされるのかと怯え、跳ね上がりそうだ。
「そんなわけだ。これからお前に、自慢の新鋭達を紹介する。今目の前にいるこの三匹は、『ブラン』が結成した当初からいた、アタシが最も信頼を寄せている実力者達だ。まずこいつからいこうか」
そう言って、左端のグラエナをまた指名した。あの落ち着きのある兄だ。
「こいつの名はシゴウ。結構な筋肉質に見えるが、腕っ節には定評がある。群の中で、一二を争う中にいるほどの剛腕だ。しかも戦術眼も特に冴えている。作戦の組み立てがうまい。群の中枢部と言ってもいいぐらい、頼もしいやつだ。アタシが第一に戦場へ連れて行く仲間でもある。だけど、それ以上に気に入ったのは、みかけによらず純情なところかな。普段はこのようにどことなく冷たい感じがするが、いざ相手にされないと、急に甘えてきたり泣き出したり。生来恥ずかしがり屋の泣き虫なくせに、今では変に格好をつける。確かこれを世間では、くー……だ、あ! クーデレだ。公ではクールを装い、個人になるとデレデレする。キャラクターがウケると言われているが、デレデレしっぱなしのシゴウもより可愛いぞ」
「姐さん。そ……その、そんなに言わないで下さいよ。はっ、恥ずかしいじゃないですか。特に後半が」
「何だ、いいじゃないか。アタシにとって、シゴウは大事な弟だと思っているぞ。自慢の弟を褒めて何が悪い。自然じゃないか。どうして男というものは、こうも強がるのだろうか。もっと素直になればいいのに。とんだ戯芝居よ」
そう言いながらグレイシアはグラエナの頭を撫でまわす。照れ隠しにそっぽを向くグラエナの顔は、どことなく嬉しそうに見えた。クーデレであろうがツンデレであろうが、本当に素直じゃないこと。俺も人の事は言えないが。
「姐御! 次はオレを褒めて下さいよ。オレだって群にたくさん貢献したじゃないですか」
待ちきれない様子で弟分のグラエナが主張する。その落ち着きのなさは、もはや子供。なぜか見ているこっちが恥ずかしい。一転してグレイシアは鬱陶しそうな表情を浮かべる。
「まずお前は言動や態度をわきまえろ。いつまでたっても幼稚な思考。物事の分別も出来ず、いつも人任せ。シゴウの方がまだ大人だ。双子とはいえ、お前が先にこの世の空気を吸って産声をあげたのだからな。それなりの意識と自負を自覚してほしいものだ」
俺はとんでもない勘違いをしたらしい。まもなく女王が再び紹介してくれるだろうが、こいつは次男坊ではないらしい。
「こいつの名はジンライ。見ての通り、外見も中身も実に軽い雄だ。信じられないかもしれないが、先程紹介したシゴウの兄なんだ。力負けする事はまずないが、判断が疎いし、読みも遅い。実力は、はっきり言って、それほどでもない。幹部業をこなせないくせに、こうしてシゴウ達と肩を並べる事自体が奇跡だ」
「えぇっ!? なんすか、その説明は。なんでオレだけ、欠陥だらけの役立たずみたいに呼ばれるんですか! 確かにみんなに迷惑かけたことも少なからずありましたけど、
陰ながら努力しているんですよ! 姐御なら気づいて下さると思っていたんすけど……」
「すまんすまん、陰ながらだから気にもとめなかったよ。もっと目立っていればよかったのに」
女王に軽くあしらわれたグラエナは、「そんな、そんな」と呟きながら落胆した。本当の弟分グラエナは苦笑。群から陽気な笑い声が聞こえた。さっきまでのカルト的な雰囲気はどこにいったのか。なんだこのふぬけた空気は? さっきから俺を惑わせるような事しやがって。
ついに振った張本人のグレイシアも一緒になって笑っていた。そして思い出したように振り向き、隣のポケモンの体を叩いてから俺に向き直した。オニゴーリの番のようだ。
「最後にこいつがトウガ。アタシが最も信頼している、この群の第二の頭だ。この図体では接近戦やスピード戦には不向きだが、相手を徹底的に極寒の地獄に墜とす、大砲の如く冷酷な攻撃を得意とする。だが普段は配慮がきめ細かく、交渉上手で知的な一面もある。これほど思慮深く、忠実に指示を全うする者がいると非常に頼もしい。持つべきものは友とは、まさにこのことだ。実は、アタシとトウガは進化前からの馴染みなんだ。子供が少なかったこの地域で、アタシ達の故郷で人生のほとんどを過ごしてきたゆえに、お互いがお互いに良き遊び相手であり、良き相談者であった。アタシ達は自他共に認める、良好のパートナー同士だ。それゆえに、お互いの性格や好みまで完璧に把握しているわけだ。だけどこいつの場合、こんな近寄り難い顔に元来の小心者のためか、進化した後アタシに嫌われると思って、暫く顔を出さなかったことがあったな。寒さに身を寄せ合った仲で、今更そう簡単に嫌いになるはずがないのになあ。まあ、おもいっきり声変わりしたから余計誰か分からなかったけどな、一瞬だけ。最近水臭いんだよな。進化前ほどよく……」
「……」
…………。
女王と側近が互いに面と向かった時、不自然な空白が生じた。また不可思議な空気が流れるように続いた。要約して言えば、なぜかものすごく気まずい。グレイシアがオニゴーリに、何か一言いおうと向き合った瞬間の出来事だった。
言葉尻を推測するに、グレイシアは思い出話を語ろうとしたのだろう。ではオニゴーリは、過去の話を話されるのを恥じらって訴えたのだろうか。だが今の彼の表情に、そのような情感ある色が表れていない。羞恥ではなく、全うな拒絶。相変わらずなのに、更に厳格な雰囲気がかもし出されている。部下達と俺も含む、二匹以外の誰も口を挟むことがなかった。最も、なぜこのような事態を招いてしまったのかすら理解できない。
「そして……」グレイシアは話を切り上げ、また俺に顔を向けた。今度こそ女王の風貌を見事にまとっていた。
「そして、アタシとこの三匹の幹部をかわきれに組織を作り上げ、後に北シンオウ最大の野生グループとして席巻するまでに至る。荒ぶる吹雪をも凌ぐ猛者達が集う同志の結社、それが我ら『ブラン』だ! 群を総轄するアタシ、グレイシアが頭領を務める。『猛吹雪』のような大群を率先する者として、その意味にちなんで、『ブリザードヘッド』という称号を頂いた」
明らかになった、群と女王の確かな正体。やはり、ただならぬ存在であることが明白になった。ただ一つだけ妙だと思った点がある。幹部達はそれぞれニックネーム、つまり種族名とは違う名前がある。もはやキャラクターで覚えてしまったジンライもそれだ。では、なぜ女王は最初に種族名であるグレイシアと名乗ったのか。まさか名前がない? 彼らよりも地位が高いはずの彼女に? それとも「ブリザードヘッド」が通称そのもの? なら後に明かす理由にならない。
「それで本題に戻りますが、そいつの加入はいかが致しますか? 能力は申し分ないわけですが、そのまま入れる気ではないですよね。ウチに特例なんてありませんから」
グラエナ弟のシゴウがこう指摘した。答えるグレイシアの横顔に、うっすらと笑みが浮ぶ。
「無論、ここにいる皆が納得できるように証明する。群の一員となりうる者がどれほどの実力か、見せ知らす必要がある。それと同時に、各個人との位置づけや目に見える対象が出来上がる。対象があれば自然に目標水準が高くなり、熱心に活動するようになる。すると群の中で活気が止めどなく循環し活性する。間違いなく勢力は増大し、より多くの者が『ブラン』に恐れおののく。きっと我々の中心になる存在であろう。誰でもいいから、早く手合わせしろ。ああ待ち遠しい、楽しみだ」
本人抜きに手続きの準備が進められようとする。すっかり俺を入れさせる気になっているらしい。まだ俺の意志も示していないのに。最後にそう示せる場があれば良いのだが。
さっきまで軽快な足取りだったのに、突如グレイシアは一時停止した。次に遠くを見るように顔を上げ、誰に言うまでもなくぼそりと呟いた。
「その前に、育て親に礼を言わないとな。ご報告を兼ねて」と、意味深に笑う女王。すると今度は、群の奥から部下数匹の悲鳴のような声があがった。何事かとその方を向くと、向いた者全員が顔を青ざめた。
それもそのはず、群の証を溶かしたと噂された人間張本人、ハクトが出現したからだ。先程の俺みたいに下から這い上がり、片足を軸にして体を起き上がらせる。その途端また大きなざわめきが沸く。彼がこちらに歩きだすと、群は二つに裂けるように避け、道を通した。
生きていただと! なぜ居場所が分かった? 群全体がそんな疑問に翻弄し、混乱する。このことを予測したかのように笑うグレイシアただ一匹を除いて。
「あわわわわ!! 人間っ! に、人間が乱入してきたぁ! もうこの世の終わりだあああ!!」
ジンライが一際絶叫していた。それでも構わずハクトはせわしく歩む。俺はハクトと再会できた安心よりも、この後の進展に不安を抱いていた。問題人物が群の基地に侵入すれば、これほどのパニックが起きることぐらい承知しているはずだ。これでは冷静に対処できない。聞いてもらえるものも聞いてもらえないぞ。しかし、まあ、短気なハクトならやりかねなかっただろう。
「悪いな、今日からこいつはアタシ達の仲間になる」
「……何勝手に決めてんだよ」
登場してからずっと立腹か、怪訝な表情のまま返事した。
「ソウルとはずっと旅してきたんだよ。タマゴから生まれた時からずーっと! 珍しいルカリオだからなんかじゃない。本当にソウルが頼もしいからだ。僕には持っていないものを持っていて、いつでも冷静に見解できる。用意が良いし、サポートしてくれたり、不器用だけど皆を元気づけたりしてくれる。せっかく仲間も増えて楽しくなったのに、手放せるかよ。僕達が一番にソウルが必要なんだ!」
「では、どちらがよりこいつを必要としているのか証明しようじゃないか。お前にもまだ丹精込めて育てた仲間がいるのだろう? アタシにも強力な部下がいる。お互い全力を尽くして、どちらがこいつへの情熱が優っているのか。ポケモンの本来の姿、バトルで決着をつけよう!」
こうして俺を賭けた争奪戦の幕が切って落とされた。正直、囚われたヒロインも悪くないと思ってしまった。今はそれどころではないのに。