其の参 掻凍り編
#2 分離
 12月15日、15時40分。テンガン山西部に大規模の雪崩が発生。気象庁がその報告を受けたその頃、報告されたその地域に獣の姿も確認された。獣は、透き通る程の青白い肌を持ち、冷えた大地を四つの足で立っていた。長い耳を立たせ、周囲の音や気配を探っている。その獣の種を人は、グレイシアと呼ぶ。
 グレイシアは荒々しく積もった豪雪の表面を見下ろしながら白い息を漏らす。それから二、三度足下の柔らかな雪を踏む。またもやグレイシアは冷ややかな唇から、白く長くたなびく白煙を吐く。
「どうされましたのですか。そんな重いため息をなされて」
 背後から野太い声が不意に聞こえる。発声方向を確認すると、今度は鬼面が現れた。がんめんポケモンのオニゴーリとも言う。歩くように接近するオニゴーリに、今度は体も向かせるグレイシア。そしてまたあの野太くかつ丁寧な声は続けて発する。
「そんなにあの者達が気がかりですか? それもそうですね。なにせあのような大罪を犯したのですから。私も非常に腹立たしいです。栄光ある『ブラン』の創始記念を、無惨にも一片残さず溶かすとは。人間からすれば、殺すには惜しい若い者でしたが、生かしておくわけがないでしょう。だから、先程の指示を下したのですね、お嬢様」
 オニゴーリから訊かれたことに多少驚いたのか、慌てて「あ、うん」とだけグレイシアは返事した。変わってオニゴーリは返事を得ると、豪雪を眺めながらまた続けて言う。
「誠に見事な策略でございました。各攻撃で相手を翻弄すると同時に、その影響で地面は揺らぎ、テンガンに降り積もった朔雪が流れ落ち、奴らを一網打尽に始末。撤退のタイミングが少しでも遅ければ、我々も餌食になりかねなかったでしょう。しかしお嬢様の指示で、難なく部下共を一匹残らず退かせることができました。更に淘汰されたその統率力は、より群の士気を鼓舞することでしょう。やはり、格別違う修行を積むだけで、これほどまでにお嬢様がお変わりになるとは。私もとても嬉しゅうございます」
「別にアタシの力はほとんど干渉しなかったじゃない。ここに生まれ育った者なら、雪崩の振動なんて誰しも感じることができる。それに修行だって、特別に変わったことはしなかったわ。こことは違って少し暑苦しい環境だけだった。けど、アタシにとっては、あそこで着実に何かを得られたような気がするの。経験、技術、力量、知識、忍耐、結果。それ以外の、能力でも何でもないものが、アタシの中に、この雪のように少しずつ積もっていったの。それが何かは分からないけれど。結局のところ、行って良かったと思うわ。そして改めてお前に礼を言う。アタシの留守中、よくぞここまで群を保ってくれた。感謝の意を尽くしても、尽くしきれないよ」
 グレイシアから称賛を得たオニゴーリは、「有り難きお言葉でございます。お嬢様」と深い一礼を返した。続けて言おうとするグレイシア。しかしその前に、深く重いため息をつくと、ふと俯く。再びオニゴーリに見つめ直すと、なぜか口をへの字に結び、眉をひそめた。どこか悲しげにも見えるその表情を変えずに、次のように吐くグレイシア。
「ねぇ、二人だけの時くらい、そんな口調じゃなくてもいいじゃない。お前は気にならないと思うが、他人からしたら、とても幼なじみに話す言葉とは思えない。群は強兵育成の課程上、自身の地位意識を第一に、敬語を徹底しているが、部下一匹もいないこの一時、なぜそこまで示しをつける必要がある? お前は本当に柔順でつまらん雄よ。たまの休み、私情を晒け出してみたらどうだ。昔みたいに、なんの隔てもなかった頃に……」
「昔? お嬢様たるお方が過去に何を求めているのですか?」
 聞きたくなさそうにオニゴーリは口を挟む。するとグレイシア、両目とも丸くして彼に向ける。話を中断されたことに憤っているのではなく、オニゴーリの言動に面食らっている様子。とにかく突拍子のない返事であった。
「お嬢様はどのようにして実力を磨き高めたのでしょうか。ご自身が一番理解しているはずです。過去を切り捨て、今ある時点をゼロに戻し、なおかつ逆境の中で常に『進化』し続けろ。地が割れようが、天から巨岩や槍が降ろうが。逆手に取らえ、それらを司れ。これは私が苦悩していた頃に、お嬢様から頂いたお言葉です。私はこのお言葉に励まされ、自信がつき、そのおかげでお嬢様の補佐という大役をおおせつかることができました。私こそ表現し難き感謝の意、この上ありません。ますます感服とぞ申し上げますが、今日のお嬢様はどうなされましたか? 突然過去を振り返ってらして。やはり、先程の者達が気がかりですか? 人間なんて所詮は、自分達に都合の良い事しか考えない動物に過ぎません。そんな奴らの言い分は聞くに値しません。もっともらしいことを言ったあの若造もその社会に長く浸れば、愚に返るのみでございます。もし、ステキファッションの一味とあればなおさらでございます。今後、人間に対して聞く耳を持つことを避けて頂きたいです。群の統治に支障を与える恐れを招きます。では、そろそろ夕食の調達に参りますので、ここで失礼いたします」
 まさに体ごと傾かせた深い礼をして、オニゴーリは雪混じりの咆哮の中へと帰った。声をかけようと呼び止めたかったその背中は、たちまちに消え去った。また一匹の獣となったグレイシアはもう一度見飽きたあの荒雪を見下ろした。大小無数の凹凸が見られる雪肌を物色するかのように、丁寧に観察する。
 一つの窪みを見るたびに、蘇るあの言葉。
『仲間を侮辱されて黙っていると思うなよ』
 この雪達が流れ出す前に、グレイシアに対して吐かれたある者の声。それは実にくだらなく、つまらない。虫酸が走る。思い出してしまったその言葉を振り払うように、見下ろす荒雪に背を向け、オニゴーリの後を追うように白い咆哮に戻る。降雪一粒一粒がより一層冷たく感じる中、思い出したあの言葉に返事するかのように唸った。
「なにが……仲間よ」
 その途端に咆哮は強まり、グレイシアも瞬間に白い大気に溶け込むように消え去った。唸り終えた時に、新鮮に湧き上がる憎悪に駆られながら。


 今、僕の身に不思議なことが起きているのかもしれない。放出した体温が体中を包んでいるように感じる。外界へ逃げずに、冷めることなく表皮上を漂う。指の一本一本を優しく温める。ただ心地いいだけで支配された。もう何も考えたくないし、動きたくない。この暖気に身を委ねることが宿命と思わせてしまうほど、自身の衝動と抵抗は全く無かった。このまま時が流れて、浄化されるのじゃないかというような気持ちだった。なのに、次第に体の重みを感じる。意識が戻ってくるのが分かった。そして体を動かす動力が目覚めた。手足の自由が利くようになり、眩しい視界が開いた。気づいたらまぶたも開いていた。
 毛布がかけられていたことをまず知った。これで体温が保温できたのも理解できる。次に、毛布の奥にいるうごめく影を発見した。巨大な一つの影が僕の顔を覗きこむ。
「あ、起きた起きた。もしもーし! だーいじょうぶですかー? 聞こえたら答えて下さーい。ワタシはだーれだ?」
 覗きこむや否や、いきなり質問を問いただしてくる影。活発そうな女性の声も聞こえる。声高に話しかけられたせいか、ぎょっと目の玉を晒し驚いた。すると、最初は黒くぼやけた影でしかなかったのに、形状や色彩が鮮明に現れる。
 乾いた大地の如く茶色い、大きく見開いた瞳。対して豆のように小さい口と鼻。短くてクリーム色の毛で覆われている顔。額に生えている、象徴的なクエスチョンマーク型の若葉。明らかに人間でないことが認識できる。そして、ついに正体を見捉えた。
「じゃ〜ん。リーフィアでした〜! ワタシ、可愛い寝顔を見ると、ついついイタズラしちゃう性分なの。だからゆっくり休めなかったことについては許してね。お詫びにあったかい飲み物を、プレゼント・フォーユーするね。イーちゃん! ハクトさんが御成になったから、ひゅーひゅーでふーふーのを持ってきて」
 訳の分からない文法を叫んでいるこの子は、僕の手持ちの一匹である。自己紹介してくれたリーフィアだ。この子を見た瞬間に、まだ何体かの仲間を連れて行っていることを思い出した。だから、奥から飛んできた、「はーい」と返事した少女のような声の主が把握できた。イーブイが、僕が横たわっているベッドらしき寝床の向かいにある、開放された扉と廊下を通して返事していたのだ。
 暫し時間が経つと、奥から予想通りにイーブイがモダンルームに入ってきた。それから、イーブイの後についてきた、初老と見られる年齢の女性がお盆を持って、同じく部屋に入ってきた。よく見ると、お盆にのっているマグカップらしき入れ物から、湯気が立っていることが分かる。女性に挨拶しようと、僕は毛布を剥ぎ取り、上半身を起き上がらせる。しかし先に、「はい、どうぞ」と女性がお盆ごと僕のももに置く。入れ物の中身は、ホットミルクだった。
「あ、これはどうも」
 入れ物の取っ手を掴み、ホットミルクを口に注ぐ。ほどよい熱さの白い液体は、喉をつたって体を温める。そんなに喉が乾いてはいなかったが、グビグビと勢いよく飲み干そうとする。飲み干す間、女性は独り言のように話し始めた。
「しかし最初はただただ驚いたわ。広い雪原のど真ん中に人やポケモンが倒れていたもの。雪に埋もれていたから、死体だと思っちゃって。恐る恐る近づけば、呼吸していることが分かって更にびっくりよ。あなた、さっきの雪崩に飲み込まれたでしょ? 結構長く流されたのよ〜。ここから現場まで相当距離あったんですって。けど、命だけは助かってよかったわ〜。ポケモンちゃん達も、リュックサックの中にあったタマゴも無事で本当によかった〜! おかわりはもういい?」
 そうだ、さっきの雪崩に襲われて気を失ったんだ。それに、この人が僕達を助けてくれた、いわば命の恩人。ホットミルクを飲み干し、すぐさまに謝礼を言う。
「助けられた上に、これほどのご厚意をしてもらい、本当にありがとうございます。なんだか、この子達のお世話までしてもらってしまったみたいで、申し訳ないです」
「あら、いいのいいの。遠慮することないわ、まだ若いんだから。それに元気いっぱいのポケモンちゃんと遊べて、楽しかったぐらいだわ。なのに、一緒にあなたが起きるまで待ってたら、また寝ちゃった子がいて。まあ、寒さに耐え疲れてたから、しょうがないけど」
 そう言って女性は、寝ている僕の下半身に目線を落とす。僕もその線上を追った。そしたら、二つの線の交錯点に、真っ赤な小動物が丸く寝転がっていた。こちらにゆっくり動く背中を見せて寝ていた。この火照った背中を見て、おやの僕が分からないはずがなかった。三匹目の仲間、ヒコザルことセキマル。まだ幼稚で傍若無人な態度をするこいつが、僕を看病したと認識していいのか。成長したものだと感動すら思うようになった。
 あれ、ちょっと待てよ。突然、ふと、妙な疑問に気づき、女性に質問してみた。ただし、非常に単純な質問でもある。
「あれ、もしかして。あなたが、たった一人で僕達を運んでくださったのですか? 僕はこいつらをボールに戻してなかったから、一緒に倒れていたはず。お一人だと大変だったのでは……」
 いや、大変だという以前に、運べないかもしれなかった。女性が着ているババシャツの袖から見える細い腕と年齢層からして、とてもそんな体力を保持しているとは思えない。人間一人とポケモン何匹をいっぺんに全員運ぼうにも、常人に至っても不可能。一人ずつ往復して運んだとしても、途中で体力が尽きるのが自然。更にこの歳では消耗がより激しいと予想する。一体、どのようにして運んでいたのか。途端に微笑を綻ばせる女性の口から、素早く答えが明かされた。
「私のポケモンちゃんに手伝ってもらったのよ。それに運良く、ちょうどこの付近で倒れていたから、負荷にならなかったわ。とは言っても、おばさんはただただ我が目を疑うだけで、何もできなかったのにね。だから、実質あなたを助けたのは、あの子達よ」
 女性が、内外の激しい温度差によって結露された白い窓ガラスを指差す。ベッドの真横にそれがあった。自らの手で水滴をはらい、身を乗り出して覗いてみた。二匹の動物が自分の体、腕や足で雪かきをしている模様が見られた。ポケモンの知識をかじっていれば、肌の色と姿形から見て何のポケモンか判断できる。あれはリザードとイノムーのようだ。二匹は、まだ激しく吹雪いている寒空の中、厚い雪の山を睨んで作業していた。見られていることに全く気づかない様子。こちらが窓を叩いたり、開けて大声を発することがない限り、振り向いてくれそうにない。イノムーは部屋の周り、この建物の周りの雪を、リザードは前方にある特に盛り上がった雪を取り除いている。赤い腕によって払われた雪は落ち、形作ったその素顔が現れる。一目見て、文字だと分かった。木彫りで書かれ、このように表記された。『ロッジ雪まみれ』。この216番道路にある、唯一の宿泊施設の名前。そして、僕らが今夜泊まる予定の宿でもあった。恐らくこの建物のことだろう。女性が話した通りなら、なんて運が良かったのだろう。尽きることない奇跡の連続に、僕は感動を覚えるほかなかった。命が危うい場面から救い、この安息の地へと導いてくれた神様にも感謝をしなければならないと本気で思った。
「だけど今回の雪崩はかなり雪が多くてひどかったわね。天気予報のチャンネルを見たらね、ここ通行止めにされたようだよ。そんなに大きな被害が出たなんて珍しいわ。異常気象かしら。怖いわねぇ」
 女性が、自分と瓜二つの透けた人物が映る窓を睨みながら言った。その時の窓に二匹の姿はなく、廊下から戸の閉まる音と高らかに鳴る鈴の音が聞こえた。仕事を終えて休憩をしに、宿に戻ってきたのだろう。
 違う。
「違うんです」
 たまらず僕はそう呟いた。女性が僕の頭に振り返る。思いがけないことを聞いた、「え?」という間の抜けた返事をした。そのまま窓を、二匹が除雪した箇所を見つめたまま、僕はさらに述べる。さっきよりも声量が大きいと覚えた。
「あれは、あの雪崩は、自然のものじゃなかった。それ以前に、僕達はポケモンに襲われた。様々な攻撃を避けて、必死に耐え続けた。だけど、なかなかとどめをさそうとしなかった。挙げ句に突然逃げだした。そしてその後、雪崩に巻き込まれた。同じ場にいたはずが、まるで予見したかのように。あいつらは雪崩から回避した。いや、『まるで』じゃないんだ。雪崩が来るって分かっていたから巻き込まれずに済んだ。きっと、あいつらが意図した罠に違いない」
「……ポケモン?」
 僕が話す真実と意見を聞いて、女性は意外そうに反応した。自分でも、突然何を口走ってしまったのか、不思議に思った。だが、今思い出せる分だけ事実を知らせたかった。これから詳しく説明しようとした瞬間、不意に足下がうごめいたのを感じた。それに目を向ければ、真っ赤な背中を起き上がらせたセキマルの姿があった。眠い目をこすりながら、這うようにこちらに歩みよる。女性もセキマルの行動に気づく頃には、彼は動作を止めて僕達二人を交互に見てから口を開いた。何か言いたげな眼差しを送り、覚めたばかりの喉を震わす。
「何か、青白いやつが、たくさんのポケモンを連れて、オイラ達にからんできたんだ。それで、記念だの、罪だの、訳分からないことをぶつぶつ言ってきて、ついには攻撃されたんだ。それで、オイラも対抗しようかと思ったら、突然逃げだしやがった。そしたら、でっかい音が聞こえて、雪崩がやってきたんだ」
「青白いやつ……もしかして、オニゴーリかグレイシアのことを言っているの?」
 セキマルが簡潔に状況を説明し終え、あの時目撃したポケモンの名を口にした女性。やはり現地人であるからか、群について知っているようだ。早速彼らの正体を聞き出してみることにした。
 まず、女性がどこまで群について情報を把握しているのか。
「確かに、グレイシアとオニゴーリが見えたのですが、知っているのですか?」
 非常に素朴な疑問を問いかけてみた。
「知っているもなにも、よくここの前を通ることがあるから、ほぼ毎日見かけるの。あの子達は、この近辺で最も頭数が多い群として有名なの。昔は少数グループがたくさんいて、もともとその群もその中の一つだったのね。それが近頃、見る間に他のグループとどんどん結集したらしいわ。あくまで噂だけど、最大で十数のグループと結束したって聞いたわ」
 なるほど。とりあえず群の規模の大きさは把握できた。次に彼女達の行動を分析してみよう。
「その群は、集まってなにか特別な活動でもしているのですか?」
「他のグループと比べて、これといった特別な活動も特徴もないわ。ただ、まだ近隣の少数グループと結ぼうとしているわ。やっぱり、領域や勢力の拡大が狙いかしら。あっ、そうだ。特徴というわけでもないけどね、あの子達は、私たち人間と全くかかわろうとしないの。こんな感じに雪が降って、各地からスキーヤーがこぞって滑りに来ても、それ以外の時期で地元の人間しかいなくても、興味を示さない。それとも、単に近づきたくないのかしらね」
 予想よりも具体的に話してくれたことがなによりの驚きだった。さすが地元人、だからか。話している内容と口調を聞く限り、普段は攻撃的に動いているわけではなさそうに思われる。そして、あたかも人間を無視するような振る舞いで生活しているらしい。
「すると、その子達に危害をくわえられたってわけ? 珍しいというか、驚愕ね。今までそんなことが起きたことがなかったのに。何かあったのかしら?」
 必死に心当たりを思い浮かぼうと、深く首をかしげる女性。しかし、早くも心当たりを見つけた僕はぎくりと射抜かれるように体が固まった。彼女達を憤らせ、攻撃を企てさせた理由を知っているからだ。素直に白状することを選んだ。
「す、すみません。実は、僕達が悪かったのかもしれません。テンガン山側に、氷で出来た楯かなにかがあるのをご存じですか? あれはそのグループが結成した記念に作られたもので。いわば、記念碑みたいな物として自身達が作ったらしいんです。それで、襲われる前に、誤って壊したというか、溶かしたというか、損失してしまって……」
「それで怒って、『もう許さ〜ん!!』って攻撃されたってことね、なるほど。気の毒だったわねぇ。だけど、やるほうもやるほうよ。雪崩が他のポケモンや人に襲ってしまったらどうしよう、っていう最悪のケースを思い立たなかったのかしら。また出くわして何しでかすか心配だわ」
 状況を知るや否や、女性は重たいため息をつく。多分、予想だにしなかった事態に、対処しづらいと思ったからだろう。何も知らない僕らのほうが、よりため息をこぼしたくなる。
 それから女性は、飲み物のおかわりをつぎに、部屋を出た。暫くして、肌寒く感じたので持参したマフラーを巻こうと思った。そうだ。たしかリーフィアに貸しっぱなしだったことを思い出した。部屋中をうろうろと歩き回っている彼女に、叫ぶように話しかけた。
「なあ、リーフィア。僕のマフラー、いい加減返してくれよ。家の中だとはいえ、真冬だから寒いよ〜」
 耳が声に反応するように、ぴくりと動いた。それから顔を振り向き、わざとらしく首をかしげた。その行動によって、彼女の頭の葉の形がまさにクエスチョンマークに見えて、おもしろおかしかった。
「えー? ワタシが持ってましたっけ。てっきりハクトさんがなんらかの形で、奪い返したと思って……」
 確かに、彼女の身に付けているものは、桃色ペンダント以外何もない。所持していないことは明白だ。じゃあ、それでは、一体誰の手に?セキマルは相変わらずうずくまっているが、そんな小さな懐に隠せるほど「あれ」は短くない。イーブイも同様、腰を下ろしているだけで、何かをかばい隠しているには見えない。そもそも、首周りが厚い毛で覆われている彼女には不要だろう。すると残るは、メンバーの中で長身を誇るソウルしかいない。そういえば、彼の安否もまだ確認していなかった。ついでに居場所も聞くことにした。
「なんか足りないなぁと思ったら、あのソウル君が見当たらないじゃないか。協調性のない奴だな〜。皆はこうして心配してくれているのに。どうせ精神統一か何かを理由に、ぼ〜っと白いだけの雪景色を見ているんじゃないか?」
 こう気さくに話しかけただけなのに、三人とも背筋に冷たいものを感じたように、一斉に頭を上げる。セキマルは、目覚めたばかりだというのに、やけに顔色が悪い。イーブイは心配そうに辺りをきょろきょろと見渡す。どうやら様子からして、皆も彼の所在を知らなかったようだ。そういう僕達の方がよほどひどかったりして。
「おばさ〜ん! ワタシ達と一緒にいたルカリオを知りませんか〜?」
 おかわりを持って部屋に入ってきた女性にリーフィアが問いかける。それを棚に置いた後、女性は頬杖をするように手を当てた。
「ルカリオ? そんなポケモン、会えるなら会ってみたいわぁ。写真ぐらいしか見たことがないけど、かっこいいわよねぇ」
 全く話の内容を掴めてないが、どうやら知ってなさそうだ。えっ、 知ってなさそう? それがどういうことを意味しているかは、直感的に理解した。つまりソウルは、今この場には、いない。すると……。
「さ、探しに行かないと! 大変だ、アイツだけ雪崩で流されたんだ。あの勢いだと、かなり向こうまでいったかもしれない。もしかしたら、今頃身動きもできなく……」
 飛ぶように起き上がり、ドアめがけて走りだそうとする。しかし、女性は急いで僕の行く手を阻む。
「ダメよ。それは危険すぎるわ! さっきの雪崩で大量の雪が流れ込んできているから、道は塞がれたも当然よ。さらにはこの吹雪。命を落としに行くような真似になるわ。それに、身動きできないのは私達も同じよ!」
 納得せざるを得ない正論を前に、僕は刃向かおうとはしなかった。落ち着かせるために、ゆっくりベッドに腰を下ろす。
「もう夜がふけてきたし、明日の朝の吹雪がやむ頃に、捜索を開始しましょう。きっと大丈夫よ。波導使い様がそんなんでくたばりはしないでしょ」
 女性がそう言うと、「冷めちゃまずいわ」っとおかわりを勧め、早々と部屋を後にした。もう一度、あの忌まわしき吹雪を眺めることにした。蛇口をめいっぱい開かれたかのような、衰えを知らない勢いだ。雲の上から神様みたいな誰かが、「あら、もったいない」と思ってしめてくれないだろうか。ついでにこのホットミルクを、彼のもとに届けてほしい。そう願いたい心境だ。このミルクの波紋のように、僕の心は揺らぎだす。


 当たり前のことだが、寝ても覚めても寒いままだ。周りは白銀というより、空白の世界。極限に冷えているうえ、この雪の多さは卑怯だ。俺はハクトほど寒がりではないが、さすがにこれは耐えがたい。せめてこの吹雪だけでも逃れたい。だから、岩場や壁に隠れようと思うのだが、この地域は広大で、吹雪で視界は限られているから、探すのもまた苦労する。ならお得意の波導で導き出せばいいんじゃないかって? そんなのに気がいってしまったら、どれだけの体力を消費してしまうか。体温を補うための反射動作、体を「ふるわせる」余裕がなかったらどうする。
 今の俺は能力をなくしたような存在。ただの動物だ。自分のいる位置の見当がつかないし、東西南北の方向すら分からない。だから何を頼りに行動すべきか迷っている。正直言って、内心では困惑している。普段は波導をよく使っているため、五感は多少劣化している。ルカリオのほとんどが、この症状をもっていると言われているらしい。便利に追求すると、大切なものを失う。これはポケモンにも当てはまるのか。
 そんな悪状況でも、確かな真実を一つだけ見つけた。ここには、俺以外は誰もいない。皆とはぐれたことが分かった。
 さて、これからどうするかが今の課題だ。あいにく、周りは何もないだけに、助けを求めるための手段の道具が見当たらない。木の枝一本なければ、石ころ一つもない。しかし最悪、自身の腕や足で「SOS」サインを描けることはできる。が、何度も言うがこの悪天候では誰も助けに行こうとは思わない。この吹雪がやまない限り、孤立状態から抜け出せない。やはり、隠れ場を暗中模索するしか選択はないみたいだ。そう決断した俺は、厚い雪から足を引き抜き、高々と上げ、大きな一歩を踏みだした。

 後ろを振り向けば、彼方に向かって点々と、窪みが交互に羅列していた。それ以外は相変わらずだ。あれからかなりの距離を移動したのだが、まるでルームランナーの上を歩いているよう。景色が変わってないように錯覚してしまうほど広大。結局、果てが分からず、ただ体力を消耗したに過ぎなかった。だからといって、その場にうずくまっているよりマシだろう。周囲が変化していることは間違いない。いつかたどり着けるはず。そう願いたい思いだ。しかし、いくら行けども変化の気配すら感じない。
 現実をまざまざとつきつけられた。
 波導が使えるから、という浅はかな考えで、対処法を覚えるのを怠った自分が馬鹿だった。言い訳になってしまうが、いつも隣でハクトが対応してくれたのだから、そんなあまえた態度になってしまっただろう。だからといって、ハクトのせいにするなどさらさらない。自らの過ちでこのような結果になった。無知だった自分を憐れむべきなのだ。
「お前達のためにそこまで庇ってくれるとは。主人はトレーナーの鑑だな。どれほどの危機を潜り抜けてきたことか、目に浮かぶよ。お前達がどれだけ主人の足手まといとなったか、どれだけ実力が貧しているか分かった。醜いなぁ。『力』がないことは実に醜い」
 荒れた雪原に颯爽と現れた、鋭い冷箭(れいせん)の戯れ言が、また鮮明に蘇る。グレイシア。だがあれは、「新雪」と呼ぶにふさわしくなかった。言葉ほどの優柔さなど、微塵もなかった。表面以上の、さらに深い冷たさだけをまとっていた。まさに「深雪」。あの冷酷なるまなざしは忘れられない。
 彼女の言うとおり、俺は今に至って相変わらず貧弱だ。ルカリオという強者の種に生まれてもなお、手持ちから外されることが多々あるくらいに「力」がなかった。勝利者をいつも妬み憎んだ、昔抱いたそんな感情の記憶も覚えている。けど、希望だけは失わなかった。「力」がなければ、頭を使う戦略的「知識」を積んで補えばいい。そう今まで努力し続け、積極的にいろんな事を体験し、様々な世界を知ってきた。その積み重ねがあってこそ、メンバーの首位にのぼりつめた俺がいる。なのに、今となって心の内で実は、いろんなことを経験したから、自分は博学だと勝手に思いこみ、驕り高ぶって、今ある知識だけを温存していたのかもしれない。自分の知っている事全てが世界だと勘違いして、隠れた知識を学ぼう、増やそうとは思わなかった。
 以前の自分とは全く違う。しかし傲慢な性格は変わってない。今が、本当に古い抜け殻を剥ぐ時。愚かな自分を脱ぎ捨ててみせる。また彼女に会って、二度とあの台詞を吐かれないように、頑張ろう。弱い自分などいないと、証明するんだ! 覚悟することを決めた。一刻も早く生き抜くために。とうとう「波導」を使う道を選んだ。迷いは消えた。かわりに度胸が芽生えた。さあ、探しだそう。そう決意した瞬間だった。

 突如目の前に現れた、白い雪に包まれた岩壁。

 光の屈折や錯覚でもない。やはり壁だった。まさにいきなり。地面から音もなく、一瞬に盛り上がってきたのかと疑うくらいに突然だった。大いなる安堵と少々の裏切りが同時に沸き上がった。せっかく雄を見せようと意気込んでいたのに。まあ、ようやく見つけたことだし、万々歳だな。だがよく調べてみると、大きな凹凸がなく、ただの真っ平らな壁づたいであった。求めたものとは確実に違う。隠れ場がなくては意味がない。手辺り次第、右方向に進んでみることにした。とりあえず、なんとなく、といった気持ちだった。別に、右から行動するというこだわりも意識もない。直感で右だった。
 これが、まさに生死を決定づける大きな選択だと、今の俺には知るよしもなかった。
 転機は、あれから十数分後に訪れた。視界は四方八方吹雪で遮断され、まるで暗中模索の心境だ。左手を壁際にまわし、そのまま雪を踏みしめ歩いた。もはや冷たすぎて、足の裏の感覚が麻痺した。口から出る多量の白煙が、しばしば視界をふさぐ。あの時よりも、さらに身体の冷えは深くなっているだろう。いつ低体温症になって倒れても、おかしくないように思えた。寒さや痺れのせいか、脳の思考回路はまさに凍結寸前で、考えなくていい余計なことが制御なしに飛び出す。もしかしたら、このまま行っても何もないんじゃないかという、無駄な不安さえよぎる。心理状態も危うく、理性が今にも吹っ飛びそうだ。
 そんな最中、また忽然と現れた。今度は、漆黒に染まった穴が、ぽっかりと口を開いたように空いていた。試しに腕を突っ込んでみても、やはり空洞になっている。勢いのまま、足を踏み入れた。湿った土と砂利の感触がやっと伝わった。一歩ごとに踏みしめる足の裏は、なぜかほんのりと温かった。霜焼けのせいか、安堵の温かさのせいかは定かではなかった。だが、この安堵はしばらく浸れなかった。この洞窟、まだ奥が続いている。歩くごとに空間が狭まるどころか、肥大している。未知なる行方に、俺は次第に怯えだした。ここに住み着く、何者かがひそんでいるのか。それとも、全く違う場所につながるのか。不安はふつふつと湧き出てくる。
 いや、俺はルカリオだ。はどうポケモンだ。特性「ふくつのこころ」を持った、ポケモン界の勇者なんだ。不屈の精神、なめんなよ。そう自分自身に唱え続けた途端、あるところを境に、空間が急に増大した。外から送られる微量の日光が、まだ行き届いている。だから、今いる場所が何なのか判断できた。要約して言うなら、倉庫のようなところ。至る所に、山積みされたきのみが固まっている。寒い時期に重宝されるであろう、タンガの実、マトマの実や、カイスの実、パイルの実、シュカの実などの、珍しい種類までとり揃えていた。全部がこの周辺で取れるのかと思うと、感動のほかになかった。
 こんなにもたくさんのきのみを、一体誰が採取し、ここに収めているのか。手にとってみたが、無論、きのみには名前も書かれてなければ、爪痕も残ってない。だから、どういった者がここを管理しているのか、全く予想できない。だが、今掴んだこのモモンの実から発する、かぐわしい香りをかいだら、なぜか、そんな事を考えてはいられなくなった。
 気づけば俺は、すでにモモンを頬張っていた。しかもそれだけでは飽きたらず、一番近くにあったきのみの山にも手を伸ばし、一心不乱にそれらを口に放り込んだ。噛み砕かれた実達は、舌の上で激しく踊り狂う。口腔はもうお祭り騒ぎだ。甘いよ辛いよ、いや苦いよと叫べば、こっちは渋い、あっちは酸っぱいと誇示する。どの味も皆、俺の舌を刺激し主張している。そしてその刺激に煽られた俺は、次第に食べる勢いを増した。苦手な味のきのみも、もちろん食べた。律儀にも、細かく噛んで食べた。自覚はしていなかったが、相当空腹であったらしい。いつの間にか、ひとつの山が消え、もうひとつの山にかぶりついていた。二つ目の山の背が縮んだ時、きのみを掴んだ腕がぴたりと止んだ。その後自然にげっぷが出てきた。今度こそは分かる。もう満腹なんだと。そうだと知ると、不意に眠気が襲う。参ったな、これじゃあまた太っちまう。この体型を保つのも楽じゃないのに。まぁ、たまにはいいんじゃないか。遭難しているし。そう自己完結して、大の字に寝そべった。ここを管理する者が起こしてくれるだろう。そんな根拠のない安心が更に眠気の拍車をかけた。

■筆者メッセージ
この話の印象としては第三者視点のグレイシア、ハクト視点、ソウル視点の三つに分かれていることです。文才のない自分にとって、自称や言い回しなどを書き分ける作業は何より苦労しました。「え、全く同じに見えるけど?」はい、自分はその程度の技量もないということです。
ジョヴァン2 ( 2013/09/06(金) 10:57 )