#1 衝動
はぁ、はぁ、はぁ。急げ急げ。あいつ等に追いつかれる前に。走れ走れ。どんなに体が傷つこうが。泣くな泣くな。いつまでも過去を嘆くな。今は前を見ろ。
痛っ。
休むな。早く足を動かせ。月を眺めている暇があるなら早く。あぁ、うるさいうるさい。私も、早く終わらせたい。終わらせて、早くあのひとに会いたい。なのに、なのに。足が、目が、勝手に休むの。勝手に見るの。あなたも分かっているでしょう。
私は今まで、誰かを裏切ったことは一度もなかった。だから、皆、私を信じて期待している。期待しているから待っている。必ずやり遂げて帰ってくると信じて。だけど、頑張っているこっちの身にもなってよ! いろいろ我慢して、涙を見せずにがんばった。そして、やっと幸せになれたと思ったのに、ナンデ!? ドウシテ?! なんで、あんなことになるの? こんな仕打ちがあってたまるか! やっと一緒になれると思ったのに! 思ってたのにぃぃぃ!!
ごめんね……言い過ぎた。今日はこれくらいにして、いっぱい泣こう。泣いて、泣いて、泣いて、辛かったことも、悔しかったことも。全部、この岩にぶつけるんだ。思いっきり。
今日は雲一つもなく、月がきれいだ。明日も晴れそうだ。
だから、明日もがんばろう。
涙を零して……オヤスミ。
ザッ、ザッ、ザッ。
額に汗が流れていくのを感じた。こんなにも熱い日差しが体に容赦なく降り注いでいるんだ。無理もない。一歩一歩、歩く度に体が火照っているみたいに暑い。半そででも暑い。リュックを背負っている背中はもう、汗で楕円を描いているに違いない。っていうか、18度ってこんなにも暑いんだ。水、持ってくりゃあよかった。
「お〜い。ハ〜ク〜ト。もうすぐだぜ! へばってんじゃねぇぞ」
顔を上げると緑に染まる草っ原と真っ白の門が目に映る。門の前には、小さな影が手を振っている。その影が人間ではないと、すぐに分かった。ポケモンだった。小さい人型の。せいぜい半mくらいあるだろう。そのポケモンのいる、あの門に向かって歩いているのか。ようやく思い出した。
けれど、一歩歩いた途端、急に感覚が薄くなっているように感じ、横に倒れそうだった。その時、背後から誰かにポンと肩を小突かれた感覚がした。そいつもポケモンだった。しかも、人間と同じくらいデカく、同じく人型だった。
「大丈夫か、ハクト。町はもうすぐだぞ。リュック、持ってやろうか?」
話しかけているポケモンは心配そうに顔を覗き込む。そして、そのポケモンは肩を貸そうと思い、横に寄って来た。その気遣いを無視して、前を睨んで歩く。
気づけば、あの白い門をくぐっていた。すると、さっきは吹きもしなかった、少し寒く、けれどちょうどいいぐらい涼しい風がふいている。その風に当たった瞬間、体のだるさ、熱さが吹き飛び、軽くなったような感じがした。不意に足が止まり、二、三度深呼吸する。最後に胸いっぱいに息を吸って。
「暑かったー!!」
と叫んだ。
「あのさぁ、普通そこは、『着いたぞぉ! くそったれ〜!!』じゃねぇのか?」
「『くそ』は余計じゃないか?」
「『ったれ〜!!』」
「……」
今、息を整えるために、もう一度深呼吸している間、さっきの二匹が漫才のような会話を交わしている。聞いているこっちは全然、オモロくもない。その二匹を無視して180度体を回転し、あの白い門の裏を目にする。
『ようこそ! 鮮やかに花香る町 ソノオタウンへ』
自然に笑みがこぼれる。そして、反回転に180度体を戻す。
「じゃあ改めまして、着いたぞぉ! くそったれ〜!」
二匹はププッと笑い、皆で一回深呼吸をする。その次に、吐息にしか聞こえないような「せ〜の」で二匹に合図を送る。
「「「着いたぞぉ! くそったれ〜!!」」」
三人(一人と二匹)の見事に重なった『くそたれ』は、遥か遠くに広がる花畑にまで響きわたっていた。
「噂どおりに咲き乱れている花畑だよなぁ。あの中に寝そべって“こうごうせい”する夢がとうとう叶うんだなぁ」
足元でロマンティックでのんびりとしたことを呟いているこのポケモンはヒコザル。ちなみに
愛称は『セキマル』。さっきのように、たまに先走る時もあるが、バトルになれば心強いやつなんだ。
「セキマル、お前は一応炎タイプだから“こうごうせい”は覚えられないだろ。なんなら、いっそ生き埋めにし、お前自身の肉体の栄養で植物に生まれ変えらせてやろうか? 光合成したければ」
そして、こっちのデカイポケモンはルカリオ。
愛称は『ソウル』。この世で知らないものは何もないといえるほど知識があり、付き合いが長いパートナー。
「ぅおっ、凄く怖い発言。それにしても、ホント綺麗な町だよな。後でさ、ここで有名なフラワーショップにでも寄っていこう。そこで少し休もうよ」
「お前、女か。まぁ、いいだろう。さっきまでここに着くのに千鳥足で歩き、汗水垂らして頑張った体力のない御主人様のために一日ぐらい休ませてあげましょう。後、今のうちにいうが次のジムのハクタイは三匹制だぞ。どうぞ、指を折って数えても構いません。明日から何をやればいいのか、よーく考えて下さい」
とソウルから指摘された僕の名前はハクト。もちろん人間であり、この二匹のトレーナーだよ。フタバタウンっていうところから来たんだ。今ジム巡りの旅の最中、といってもバッジはたった一個しかないけれど。しかし、実家には沢山バッジがある。ということは最近、旅に出たばかりの初心者ではないということ!バッジの種類はカントー、ホウエン。後、ここシンオウのバッジもすべて獲得済み。なら、なぜまた集め直しているかだって?
実は、四年前にシンオウのポケモンリーグで四天王全員撃破し、殿堂入りを賭けチャンピオンと戦えることになった。けれど、ただでさえ強い相手に僕は焦り、誤った判断をしてしまい完敗。自分の未熟さを思い知しった。この悔しさバネに他の地方の全てのジムへ行き、全てのバッジを獲得し、見事二年間でカントーとホウエンの両リーグを殿堂入りした。そして、シンオウに戻り四年前のリベンジを果たすべく、新たなチームで旅に出た。それが今いる、セキマルとソウルの二匹。これからどんどん仲間を増やし、そのチームで今度こそ、殿堂入りする。
これが僕の理想。
「なぁハクト、あれナンダ?」
セキマルはソノオタウンの東ゲートの向こうを指差した。爪まで立っているその指の行方を追う。それは、小高い丘にある白い風車だった。しかも一つだけではない。数台の風車がブンブン回っていた。その姿が脳裏に焼き付く。そして過去の記憶が蘇ってくる。今まで旅をして来て、町には個性があることを知った。だからすぐに思い出した。
「あぁ、あれって確か谷間の発電所にある風力発電のための風車だよ。風を使って電気を作るんだ。あそこは強い風が吹いてくるからね。それに、ある一定の曜日にフワンテというポケモンの群れが風に乗って発電所に訪れるっていう噂があるんだって」
「フワンテといえばゴースト・飛行タイプを持ち、“かぜおこし”を覚えられる。次のハクタイジムは草タイプを使い手とするから、一度そこに行ってみないか?」
とソウルはフワンテのデータを読み上げ、発電所に行くことを勧める。そっか、次はハクタイシティに行くんだっけ。ソウルに言われるまで忘れてたわ。
草タイプは多くの弱点が存在する。毒、虫、氷等々、初心者には扱いづらい。逆に弱点だらけのタイプでも上手く使えば、勝てることも。ジムリーダもあえてそういうタイプを育てて挑むこともある。旅に出て間も無い頃、有利なタイプばかりのポケモンを連れて行って、勝てなかったことも少なくない。気を引き締めないとな。
「ぃよおぅし。次のジム戦に向け、そのフワンソとやらをとっ捕まえに、早速レッツ・ゴオオォォ……!」
途端にセキマルは砂煙を巻き上げ、あっという間に東ゲートの向こうに走って行く。
「あぁっ! ちょ、ちょ待てぇ。まだ着いたばかりで休んでもないのにぃ。それに『フワンソ』じゃなくて『フワンテ』だー!」
「やれやれだぁ……」
そして僕とソウルはセキマルを追い、発電所に向かった。
ソノウタウンの花畑は噂以上に凄かった。どこを見ても花、花、花。けど見飽きたくないほど綺麗だ。205番道路に入った。
あの後セキマルは道のド真ん中でバテたようで、大の字で横になっていた。しょうがないと、ついでにソウルもボールに戻したとゆう訳。
目の前には白くて大きな風車が数台、ブンブンと高速で羽が回っている。風車から送られる涼しい風が吹き、木々や花達が揺れる。おもわず僕は深い深呼吸をする。鼻の奥が居心地の良い草木の香りで、充満する。胸いっぱいの空気を吐いて、また大きく深呼吸する。そして鼻がまた違う、花の花粉の匂いと、
血生臭いにおいで充満した。
異臭が気になり、咄嗟に後ろを振り向いたが花畑以外、なにも目に映らなかった。気のせいかと思い、前を向き歩こうかと思ったその時。
ガサ……ザザザ。
草が風で揺れているには、やけに重みがある音。明らかに草の中に『何か』が潜んでいる。振り向こうと思うが体がいうことをきかず、硬直する。ついに腹をきめて、体を捻りだそうとしたその矢先。
ドンッ。
「おわっ」
「キャッ!」
急に左足に違和感を感じたと思う前に、僕は尻もちをしてしまった。
「ぃつつ……」
僕は尻を擦りながら今の状況を確認する。すると、目の前には、ポケモンがいた。
四つん這いのポケモンだった。小さかった。毛が茶色だった。だが首周りの毛だけ白かった。
『イーブイ』だった。
ポケットにある図鑑を取り出さなくても分かっていた。しんかポケモンとよばれている。その名の通りに、不安定な遺伝子を持ち、現在は七つの進化系の存在を確認している。生息地もなぜこんな遺伝子になったのかも、未だに不明である。数もそんなになく、特に雌は非常に少ない。最近ではブイズというイーブイを含む、その進化系を集めるトレーナー数多くいるらしい。今目の前にいるイーブイは雌か雄すら分からないが、珍しいことには変わりない。
「き、君、大丈夫?」
少しずつイーブイに近づき優しく声をかける。声に反応したのか、イーブイはビクンッと体を大きく震わせて後退りする。
「い……いやあぁ」
雌だった。
さらに後退するイーブイ。彼女の目を見ると、それはどんよりとして光さえも感じない暗い眼球だった。僕はもう一度近寄る。
すると彼女の体毛に、不規則に浮かび上がる複数の赤黒いシミがあったことに気がついた。
え……血?
最初は見間違いだと思ったが、いや、あれ本物?彼女はガチガチと歯をならし、ガタガタと体が震えて、目は、これから起こる不幸に絶望するかのように僕を見ていた。そんな彼女に大丈夫だよともう一度声をかけようとするが。
「いやあああぁぁ!!」
突然、叫び出すイーブイ。あまりにも唐突であったから、僕は思わず耳を塞いだ。相手は雌だ。こんな近距離で甲高い声を出されちゃ、鼓膜が破れそうだ。彼女の両前足は頭を掻き毟るかのように、髪の毛を乱していく。
「もう嫌ぁ。いや。私をどれだけ生かせるつもりなの? お前達は何が目的なの?ここまでズタズタにして死なせないつもりなの? そうなの? 私の命が欲しいなら、くれてやるわ。早く私を殺してよ!」
え?
耳を塞いだ両手はしだいに耳から離れる。『殺す』。そんな物騒な言葉がイーブイの口からはっきり言っていた。それは僕に対して言っているのか?正解ならば、大丈夫。こんなにも幼い君を僕は殺せない。この子は途轍もなく、辛い思いをしてきたのだろう。だが、言っていることが全く分からない。彼女を困らしている『お前達』しか知らない事情。
イーブイは嫌、嫌、と叫ぶ度に頭を掻き乱す。が、さっきまで髪の毛を乱していたイーブイの両前足の動きがピタリと止んだ。そして、イーブイはゆっくり顔を上げ、両前足の肉球の面を見つめる。
「イヤ、もう、誰も……誰も……殺さないで!! うわああぁぁ」
今度は泣きわめいてしまった。こんなにも、今でも狂いだしそうな声を上げさしているのは何処のどいつなんだ?僕はいつの間にか右手の拳が、指の根元を食い込むかの様にグッと力をいれているのに気づいた。はっ、今はそれどころじゃない。
「い、イーブイ。落ち着いて。僕は君を殺したりはしない。君には何もしないからどうか落ち着いて。僕を信じて!」
何言っているのかな……僕は。出会って間もないのに、『信じる』わけないだろ。けれど、どうしよう。どうしたら泣き止むのか。僕はとうとう戸惑いを隠せられなかった。
ジャラ……ジャリ。
イーブイはまだ泣いている。にも拘らず、後ろからはっきりと足音が聞こえた。最初は気のせいかと思ったが、二つ目の足音で確信がついた。
「あ、あの、すみません。助けて……」
バチンッ。
振り返って助けを求めようと後ろに振りかえるが、突然、大きな音が鳴り響き激しい光がした。その瞬間、目の前が真っ黒に塗りつぶされたのだ。
あれ……?もしかして、僕死ぬのかな。
死ぬって感覚、こんな、も……ん、なん……だ。