第四十八話 燕の確定@
俺が組長になって数日が経った。てっきりサンライズらが正義のヒーローを気取って此方に押し掛けてくるかと思ったが、それも杞憂に終わりそうである。しかし、このことは今の俺にとっては些細なことに過ぎない。今重要なのは、組長になったことで、この組の現状がクリアになって視えてきたことである。視えたものは決してクリアなものでは無かったが。
「おい、さっさと貸せよ!」
「待てよ、今、俺が打ってんだから…チクっとなぁ…」
この組が失ったものは誇負(プライド)に他ならなかった。売春、薬物、そして、賭博。さらにはここの雄(おとこ)どもは女遊びも激しい。風紀は乱れるだけで、元義賊としての面影は微塵もなかった。もう、俺の知ってる我燕組はなかった。
「……」
組長の部屋、いわば俺の部屋に入る。此処は嘗てあの老獪が鎮座していた場所。
そして、俺はもうここにいる。そう、前組長が御逝去なさったのだ。
昔、世話になったこともあったので悲しくはあった。しかし、何も組長としての教授を俺に与えることなくいなくなってしまうのはまた無責任にも思えたのである。
俺は深い溜息をつきながら、椅子に座る。羽毛で作られた椅子なので身体がズブズブと沈んでいく。 大きな机の上には、羽ペンや前組長が愛読してただろう書物が置いてあり、組長自身も色々と教養を深めていただろうことが推測出来た。
「ふぅ…」
さて、色々アジト内を見回りに行って身体が疲れたという訳ではないが、心と身体の質量が反比例しているようで、心は重かった。色々考えることが多過ぎるからな。
しばし休む為に俺は目を瞑る。そして、部屋に漂う組の匂いに感化されて、久しぶりにナッグに会った日を思い出した−−−−
『ハング、久しぶりだな。』
彼が突如目前に現れた。
『おい、何の用だ…』
俺は驚きを隠せず、冷淡に返してしまう。ナッグは少し笑みこう言った。
『単刀直入に言う。…お前を連れ戻しに来た』
『…!?』
『少し話そうぜ。悪友(ダチ)だろ?』
本当にいきなりだった。人目溢れる場所で話すのも嫌だったので、別の場所という条件付きでナッグ誘いを受けた。
『やっぱお前はマトマが好きなのは相変わらずだな』
ナッグが揶揄うように言う。このときのマトマのカクテルはいつもより辛かった。
『俺は甘ーいモモンの酒でも頂くかね』
『何の用だ…?』
『俺が甘いもん好きなのは知ってるだろ?』
『何の用だ……?』
『こうやって酌み交わすのも…』
『何の用だっ!?』
俺は苛立ち机を強く叩いた。ナッグはそれに対して特に何も思っていないようだった。すると、ウェイターが不安そうにカクテルを持ってきた。モモンの甘美な匂いが漂ってきた。ナッグは無言でそれを受け取り、一口付けてから俺に答える。
『…わかってる癖によ。仕方ないな、もう一度言う。組に戻ってくれ、いや、戻れ』
以前ナッグに手紙でこのことを前触れも無く報された。俺はその時は戻る気など更々なかったのだから、答えは当然…
『断る!俺はもう足を洗ったんだ…。もうそっちの世界には関わる気は毛頭無い!』
『折角、手紙で考える時間を作ってやったがそれが答えか?』
『手紙?そんなの見たことねぇよ!
俺は今普通に暮らせてる…やっと普通に暮らせる様になったんだ。仲間も出来たし、充分な毎日を過ごしている!
俺はもうお前の所に帰るつもりはない…』
『…』
すると、ナッグは溜め息をついて立ち上がる。その時の彼の目は何故か寂しそうに見えた。
『今日のところは引き下がるわ。でも−−−−次は覚悟しろよ?』
『……』
そして、ナッグは無言で外に出て行った。
『(クソッ…俺はとんだ世話のかかる友人どもを持ったもんだぜ…。タイミング悪すぎだ…)』
その後、むしゃくしゃしたからそのまま飲みつぶれてしまった。ファインに介抱してもらったっけな。
目を開けた。よく分からない空虚感がふと襲ってくる。どうやら、俺はまだこの状況に満足をしていないらしい。
せめてそれを満たす為にか、俺は無意識に机にしまっていたある物を取り出した。
「……」
俺の前身を示す『タベラレル』のバッチだ。
天井の灯りにかざしてみて白い表面に光を反射させ遊んでみる。すると、バッチに付いた傷が瞳に入り込んだ。アイツとの思い出が蘇り、懐旧の念が押し寄せてきた。
「(…でも、楽しかったな)」
ドンドン。
その時、部屋の扉が強く叩かれた。俺はバッチを机の上に置いて、
「誰だ」
と言った。奥で、ナッグです、という声が微かに聞こえる。俺は躊躇いなく入室を許可した。ガチャリと扉を開くと、彼は剛健な体格に数枚の紙を携えて来た。
「何の用だ?」
「未処理の書類を数枚見つけたので報告に参りました。組長といえども、デスクワークも仕事の一環ですよ」
誰もがおかしく思ったはずだが、ナッグが敬語を使っているのはただ序列上仕方の無いことである。正直、俺自身も数日経った今でもこの口調には違和感しか感じない。
「何の書類だ?」
「明細書といったところです」
ナッグはそう言って、俺に書類を手渡した。俺がざっとそれを眺める。
「……」
先程も言ったが、この組の汚点とも言えるのは売春、賭博等のW暴力W行為な訳なのだが、今渡された書類は、それで得た不当な収支を詳らかに記載してあった。簡潔にいえば、これらはW組の肥溜めWとも換言出来る汚点の集約である。そういう意味では素晴らしい出来だ。俺がこれを見て、顔を顰めたのにナッグは気付いたみたいだったが、彼の興味はすぐに移った−−−−そう、『タベラレル』のバッチである。
「…そのバッチ!」
「あ、これは…」
俺が回収しようとするが、僅差でナッグに取られてしまう!その瞬間、ナッグの見る目がW組長Wではなく、W俺Wを見る目になった。
「まだ、引きずってんのか?」
「返せ!いいだろう、思い出の品くらい…」
バンッ!
言い終わる前にナッグが机を強く叩いた!気圧されて、思わず身体が後ろに仰け反る。ナッグは顔を近づけ迫り寄った。
「なぁ、ハング。確かに俺らがお前を無理矢理此処に連れて来たことには違いねェ…。だがな、お前が帰るの嫌だったんなら、その正義感なら俺を突き飛ばしたりして拒否るよな?違うか?」
「…っ」
図星だ。俺はもうアイツといる必要がない、そう思ってここに来たのだ。しかし、そう思ってもナッグと目が合わせられなかった。
「親友として忠告する。あの芋虫野郎のことは忘れろ。お前がこれから組長としてやっていく為にもだ…。わかったな?」
「………あぁ」
不服そうな俺の返事の後、ナッグ態勢を戻す。俺はやっとナッグと目が合った。彼の瞳は、前と同じで少し悲しそうな目をしていた。
ナッグは無言で振り返り帰っていく。そして、扉の側にあったゴミ箱へとバッチを投げ捨てた。カランカランと乾いた音を立てる。
「…おい、ナッグ!」
「では、失礼します……W組長W…」
ナッグは重たくそう言い放って静かに部屋を出て行った。俺は独りになった。俺は部屋の空気がいつの間にか質量を持っていることに気付いた。
「俺はナッグを裏切れない…裏切りたくない…」
親友の名を呟いた。そして、同時に、アイツのことも脳裏に過っていたのである。暗転。
*
俺はこの後、独りでここエノウのいるバーにきた。ゆったりとした雰囲気に埋もれながら酔いを愉しんでいる。そこにエノウが介入してきた。
「今日は、一匹なんですね。一昨日はナッグさんと一緒だったのに…」
「ちょっとな…。俺、一匹じゃ不服ですかい?」
「いえいえ、いつでも何匹でもいらっしゃって下さいな!」
「ふっ…ありがとうな…」
別にここが気に入ったという訳ではないが、独りになるには丁度良い場所だった。
「ここ気に入ってくれましたか?」
「……あぁ、勿論」
しかし、強ち嘘で無いのでそう言っておく。俺は顔にそれが出るのを恐れ、誤魔化すようにマトマのカクテルを啜った。それでもエノウは嬉しそうである。
「あ、そうだ!」
「?」
エノウが振り返り、
「組長就任おめでとうございます!」
彼女は笑顔でそう言う。俺にはこの無意識なアイロニーが少し可笑しくなり微笑した。
「ハハッ、そんな大層なものでもないですよ。組長なんて所詮、象徴(シンボル)ですから」
「象徴(シンボル)ですか…」
「はい…象徴(シンボル)です」
実際、俺が組長になったからといって、何かが劇変する訳でもない。ただ若頭というステータスがあったおかげで序列上こうなっただけだ。ナッグをわざわざ組長にしなかったのはこういう訳だと思う。
「(でも、俺をそんな習慣の為に呼び戻したりまでして組長にするメリットが分からない…)」
「ハングさん…」
俺が独り考え倦んでいると、その様子にエノウは違和感を感じたようだった。彼女は続ける。
「何かナッグさんとあったんですか?」
図星。
「やっぱり分かりますか?」
「ここに来るのは世間の柵(しがらみ)に疲れた苦労者ばかりですよ。悩みがあることなんか顔を見ればすぐ分かります」
「はは…敵わないな…」
「もし良かったら愚痴でも何でもどうぞ。此処はそういう店でもありますよ」
エノウが優しげにそう言ってくれた。こんなこと無関係なポケモンに話していいのだろうか、そう思ったが、親身な彼女の態度を無下にしてしまうことのほうが嫌だった。俺は間を余りつくらずに具(つぶさ)に話した。俺が此処までに至った経緯(いきさつ)を…
「そう、そんなことが…」
「俺、分からないんです。やっぱり、二匹とも俺の大事な親友だから…裏切りたくない」
俺は顔を沈めて、そう呟く。カコン。エノウはグラス拭きを止めて俺の前に来た。
「少し私の話をしましょうか。あまり参考にならないかもしれませんが」
「いえ…構わないですけど。一体どんな?」
「私の女王時代の話です」
エノウはそう言って口を開いた。
*
「…私はとある巣の女王でした」
「あぁ、それは前に言っていましたね」
「そこで私はいつもと変わらず、女王としての仕事をしていました。しかし、ある日…」
「ある日…?」
「…別の巣の女王が傷だらけでこの巣を訪ねて来たのです。」
「傷だらけ…」
「はい、私はその女王をどうしようかすごく迷いました」
「どうしてですか?傷だらけなのだから…」
「…という訳で簡単に助けることは出来ないのです。私たちビークインやミツハニー達には『一党には一匹の女王』という暗黙のルールがありましたから」
「どうしてそんなルールが?」
「裏切りを防ぐためですよ。党に雌は一匹で充分なのです。さもなくば、裏切られてしまうかもしれない。所詮、兵たちも雄ですから、女が介入すると色々問題が起こるわけです」
「じゃあ、あなたも断ったのですか?」
「…最初は追い返すつもりでした。しかし、その姿はあまりにいたたまれないものでした。結局、私はルールを無視して彼女を受け入れることにしたのです」
「大丈夫だったんですか?」
「最初のうちは戸惑いもありました。しかし、同じ女王という身分を経験したもの同士ということもあり彼女は私の大切な友達のようになりました。
しかし…やはりルールはルールだったのです」
「……」
「ある日、巣内が騒然としました。敵軍勢が攻めてきたのです。…それは紛れもなく私の友達でした」
「裏切り…」
「そうです。密かに自らへの支持を集めていたようです。一方、そのせいで私の味方は既に殆どいませんでした」
「そんな…」
「私は巣からの追放を余儀なくされました。数匹の部下を連れて…」
「……」
「と…まぁ、その後色々あってなんやかんやで落ち着いて今に至る訳です」
一気に話したエノウは一息入れる。そして、また続けた。
「だけど、別に私は後悔していないんですよ」
俺はその言葉に驚きを隠せなかった。
「何故です!?裏切られ、住処を奪われたのに…」
エノウは驚く俺など想定内だったらしく、可笑しそうに笑う。そして、彼女はこう言う。
「ふふっ、確かに私は他ニンに裏切られはしました。しかし、自分を裏切ることはしなかったのです」
「それって…」
「…人生ってWあれか、これかWって常に選択を迫られているものだと思うんです。そして、それを実行するのはとても勇気が要るの」
まさに俺の状況。あの二匹のどちらか。
「どちらかを選択するということは、どちらかを犠牲にしなくてはならない。至って普通のことですよね?
私たちは常に可能性を捨てて生きているんです。そして、最期に残ったモノ、つまり全ての可能性が剥がれた完成された自分となる…と私は思いますね」
笑顔でそう言った彼女。こう俺に言うということは彼女も…
「エノウさんも選んできたんですか?」
「そうですね…。例えば、先の話なら、傷付いた彼女を追い返せば、私は依然として女王の権威を保っていたでしょう。しかし、そうしていたら自分を許せなくなっていただろうと思います」
「……」
「私は、『救いたい』とそう心から思い彼女を救ったのです。結果が例え儚くても、このことは紛れもなく私自身が選んだ道。私は『自分を裏切らない』という道を選んだのです」
「俺にできますかね…Wあれか、これかWと…」
「出来ます。いや、出来なくてはいけないのです。選択を保留する事は、いつかそれに押し潰されてしまうこと。そうなりたくないのならば、今まさに貴方は選ばなくてはならない」
「……」
「自分で考えて、考えて…考え抜いて!そしたら、決めたことは最後まで信じ続けて!
…それが後悔しないために重要なことなのです」
「俺は…!」
「確かに、親友を取捨選択するなど酷なのは分かります。でも、それは時代に差はあれど、誰もが通る道なのです。
親友とは貴方の一部ですから、選び方で貴方はその色合いに染まるのです。だから、考えて。よく考えて…」
俺はいつのまにか泣いていた。辛いから、というのは確かだ。が、それだけではない。俺は今、救われたような気がしてその安堵に包まれていた。光が久しぶりに見えた気がしたのだ。
「貴方なら出来ますよ、組長さん」
「ははっ!…皮肉ですか?」
笑い泣く俺はとても汚い顔をしていたに違いない。だけど、エノウは笑顔でしっかり俺を見てくれていた。身体が軽くなり、俺は立ち上がる。
「すみません、そろそろ行きます。あと、本当にありがとう…!これ御代です」
「あ、いいのよ、御代は。組長就任祝いね!」
「全く、冗談も大概にしてください…でも、御言葉に甘えさせていただきます!」
エノウの顔を一瞥して、俺はドアを開けて外に出た…やっと外に出た気がした。
to be continued......