プテラとは。
「これはひみつのコハクかもしれない」
その言葉を聞いて、彼女は心が躍った。
ポケモントレーナーになって早三年。この相棒であるアーケオスと同じ太古のポケモンを仲間にしたいと思い続けてきた。アーケオスは化石で発見されたポケモンではあるが、少し前の調査で今もコロニーを形成し、その大昔の姿のままで生活していることが判った。調査の為捕獲された二羽のアーケオスを繁殖させる事に成功し、それからほんの僅かしかいないとされていたアーケオスやその進化前であるアーケンの数は劇的に増加した。
だから、一般のトレーナーであってもアーケンやアーケオスを連れている事はさほど珍しい事ではなかった。
けれど、ひみつのコハクから遺伝子を取り出し、復元させることが出来るプテラは違う。
繁殖が非常に難しいとされ、ひみつのコハクが発見されてからもう随分経つ現代であっても、プテラに出会えることは稀である。加えてこのひみつのコハクが曲者で、見た目は他の昆虫などが琥珀の中で化石化したものとほとんど変わらないのだ。琥珀は本気になって探せば幾らでも見つかるが、中身がプテラかそうでないかを判断するには専門の機械で調べなくてはいけない。これが、厄介だ。一般人が研究所に持ち込み鑑定の依頼をすると結構な額がかかる。それに対して、その琥珀がプテラである確率は天文学的に低い。
可能性が低い事を判っていながら、どうしてもプテラを仲間にしたくて、彼女はプテラの生息地であると言われていカントー地方にまで足をのばした。
カントーに来て一年目、今まで鑑定してもらった中で一番輝いて綺麗な琥珀が、簡易検査で陽性だった。だから急いでグレンタウンに最近再建された研究所に持ってきたのだ。
「本当ですか?」
飛び上がりそうになる気持ちを抑えて、彼女は努めて冷静に訪ねる。
「ええ。復元させてみないと判りませんが、可能性は高いでしょう」
復元装置はポケモン毎に違うものを利用しており、もしプテラ以外の何かが入ったただの琥珀であればエラーが出る。本当にプテラならば、復元されるシステムになっている。
「復元させますか?」研究員の男は表情を変えないまま言った。「今すぐ始められますが、復元までには一日ほどかかりますので、どこかお出かけになられていてください」
ひみつのコハクを復元させるためには、その中にある遺伝子情報を汲み取り、琥珀から化石を抽出、そこに科学的に創られたプテラの体の元になる幹細胞を注入し後は温度、湿度などを完璧にコントロールした箱の中で再生させていく。最近研究が進んできたといえどもやはり一日程度の時間はかかる。
「是非お願いします。できれば近くで見ていたいのですがだめですか?」
少し上目遣いに研究員を見る。けれどやはり研究員の表情は変わらなかった。
「夜間は警備の問題で関係者以外の立ち入りを禁じてるんですよ。今日もあと一時間程度で閉館となりますので、それまでなら大丈夫ですが。あとは明日の開館時間にまた来ていただいても結構ですよ」
「本当に、見ているだけですので。なんとかなりませんか?」
今度は上目遣いに加えて、少し潤んだ瞳で研究員を見た。
「すみません、規則ですので」
申し訳なさそうな様子は全くない。また、同じ表情のままだ。
彼女は上目遣いも全部やめて、口を尖らす。ずっと見守っていたい気持ちは大きかったが、それ以上にプテラに会えるかも知れない幸せで直ぐにその口は綻ぶ。
「わかりました。では、明日すぐに来ますので、この子をよろしくお願いします」
琥珀を渡し、ちょっとアーケオスの入ったモンスターボールを見る。今まで育てたポケモンはアーケオスの他にダイケンキだけだ。ついに、新しいポケモンが仲間になるかもしれない。それも、アーケオスと同じ化石ポケモンと思うと楽しみで仕方なかった。
閉館まで少し時間はあったが、彼女はそのまますぐに研究所を出た。エントランスを抜けた途端、腰にあるモンスターボールを投げる。
飛び出してきたのはアーケオスとダイケンキ。ダイケンキはポケモン図鑑を貰ったとき、一緒に貰ったポケモンではあるが、今ではアーケオスと並ぶ彼女の相棒となっている。
「ずっとボールの中でごめんねー」
二匹を交互に撫でてやる。二匹ともよく懐いている。
「ここは何もないから、トキワシティのポケモンセンターまで移動しましょう」
最近は移動手段が整備され始めていて、マサラタウンからトキワシティに抜けるには一時間とかからなくなった。更に火山の噴火により壊滅状態となったグレン島ではその溶岩が完全に固まり、今までのマサラタウンまでの水路の距離が半分程度となり、ポケモンにも依るが、なみのりで一時間かからず渡る事が出来る。
この近辺で一番整備が整った場所がトキワのポケモンセンターであるため、彼女はそこで休みたかったのだろう。閉館まで粘れば、つく頃には完全に日が落ちてしまう。だから、閉館を待たずして研究所を後にしたのだ。
溶岩で出来た浜辺まで二匹を連れ歩く。丁度海との境で、ダイケンキを撫でてやると、ダイケンキは静かに頭を低くした。
「ダイケンキ、お願いね」
彼女は慣れた様子でダイケンキの背中と首の間に跨る。
水深の深そうなところに勢いよく飛び込むと、彼女に水がかからないようにか水面を滑るように猛スピードで泳ぎだした。
三十分とかからずにマサラタウンに到着。空から追ってきたアーケオスも彼女の隣に降り、そこからカントー、ジョウト全土を繋ぐリニアモーターカーでトキワまで移動し、ポケモンセンターにチェックインする。
トレーナーカードを見せると無料で泊まらせてくれるが、無料宿泊の宿は極めて簡易で六人部屋である。いつもならそこに泊まっている彼女だが、わざわざお金を払ってシングルルームをとった。
部屋に入るとリュックに入れていた、ディスプレイの付いた小型の機器を取り出し、無線レシーバーとポケギアを繋いだ。
「よーし、準備完了」
小型機器を立ち上げ、ポケギア、無線レシーバーの順に電源を入れていく。ポケギアのプッシュボタンを幾つか押すと、液晶ディスプレイ上に砂嵐が表示された。更に無線レシーバーのダイアルを調整すると砂嵐が揺れてはっきりした映像が映る。
昔から機械いじりが好きな彼女であったが、いたずら好きも加わって、”こういうこと”は得意であった。
「久しぶりのIRレンズだったから上手くいくか不安だったけど、明るい映像も綺麗に撮れてるみたいね」
映っている映像は紛れもなく、研究室のもの。まだ消灯されておらず、研究員たちカメラの前を何度もいったりきたりしているのが見える。
プテラの様子を見たかった彼女は、研究室内の一角にカメラを仕込んできていたのだ。それをチェックするためにどうしても一人部屋でないといけなかった。それがわざわざ宿泊費を支払った理由である。
レシーバーにヘッドフォンを装着すると、それを片耳に当てながらさっきとは違うところにスライドバーを操作し移動させてからダイヤルを回す。カチカチという小気味良い音がして、ヘッドフォンから流れてくるノイズが少しずつはっきりとしてくる。
「うん、良い感じ」
どうやらマイクも良い角度に設置出来ていたようで、殆どはっきりとした会話や機械音が聞こえてくるところとなった。
「今日は帰られないのですか?」
若い男の声が聞こえる。会話の相手は、あの琥珀を預けた研究員のようだ。
「あぁ。お前は、どうする」
「残らせていただけるのでしたら是非。この機械を使うのは初めてですし、私も見ておきたいです」
そうか、と男。
大きなプテラ用の復元機器に接続されているパソコンを見つめ、少し考えてから電源を落とした。
「もう、ここに勤めて五年目だったよな。教えておかないといけないことがあるから丁度よかった」
「え、今電源を落とすと「復元が出来なくなる。電源は絶対に落としてはならない。停電対策として、非常用電源を必ず用意しなければ設置してはならない。って教わった?」
「ええ」
取扱説明書にもそう明記されている。途中で止めると、それまでに作り上げた組織が壊れてしまう。
見ていた彼女も焦った。今すぐ研究所に戻ろうとしたが、それでは盗撮している事がばれる。それはいけない。犯罪歴があるとトレーナーカードを剥奪され、ひどい場合は現在育てているポケモンをすべて差し押さえられてしまう。
「全部本当だけど、全部嘘。いいか、よく覚えておけ」
電源を落とした装置の細い隙間にカードを差し込むと、復元装置事態が大きく横にずれ、扉が現れた。
「プテラは、ここにいる」
扉の奥にいたのは紛れもなくプテラで、足には鎖がつながれ、衰弱した様子である。若い男は唾を飲んだ。
「どういう、事ですか」
「ひみつのコハクについての論文が発表されたのは今からもう随分と前のことだ。山の中で見つかったとても綺麗な琥珀の中に何かの化石が混入していた。もちろん、琥珀の中に化石が混入することは珍しくない。しかし余りに綺麗なその琥珀と、琥珀を見つけたのがたまたま研究者であったことから、それをうちの教授が引き取った。
彼はあの頃あった最新機器を駆使し、解析すると、驚くべき事を発見したんだ。琥珀の中から見つかった欠片にポケモンらしきもののDNAがあった。確証はなかったが、当時の機器ではポケモンであるという整合度が八十パーセント以上、という決定が限界で、それをポケモンと確定し、論文を書いた。染色体の本数などからそれが岩タイプのポケモンと非行タイプのポケモンのものに近い事がわかり、プテラと言う名前が付けられ、ジョウト地方アルフ遺跡に描かれたそれらしきポケモンを現代風に復元。生物学者と共に骨格をはっきりさせ、筋肉、血管の情報までシュミレートしできあがったのが当時発表されたプテラの姿だ」
そこまでいって、彼は持っていた資料を若い男に投げて寄越した。表紙には「古代ポケモンプテラについて」というタイトルがついている。
渡された資料を何枚かめくると、プテラの姿とされ、掲載されているイラストがあった。
「これは……」
「そう。今目の前にいるプテラと全く同じだ」
そんなことは起こり得ないはずだ。骨が見つかっていれば有る程度、姿がわかる。けれど、極少量のDNAだけの情報からここまで本物と合致するなど、当時としてはあり得ないことだった。現代であってもこんなに綺麗に合致し得ない。それにプテラの姿事態は、古代壁画から推測したただの空想上のイラスト。そんなものが全く同じになる確率など極めて低い。
「どういうことですか」
若い男の声は少し震えていた。それに額からはじんわりと汗が滲んでいる。
「最近、当時の資料から検証しなおしてみたところ、例の琥珀に入っていたのはプテラなんてポケモンのものではなく、サンヨウチュウのものだったんだよ。どちらかといえばアノプスに近い」
ふう、と息を吐き出して、プテラらしきポケモンの方を向く。
「じゃああのプテラはなんなんですか」
そう、当時の論文が誤りであれば、目の前に何故プテラがいるのか。答えはあくまで簡単だった。
「いくつかのポケモンの遺伝子を組み替えてそれらしい形にして、何体か複製したんだ。今、世の中にいるプテラというポケモンはすべてクローンだよ。だから繁殖が上手くいかないんだ。いかれても困るしね」
「それだったらなんであの女の子から琥珀を受け取ったんです?」
「この琥珀が高く売れるものだから。研究費用の足しになるから。それだけだよ。そこにいるプテラを引き渡す。復元したと偽って。今までもそうしてきた。これしか、プテラというポケモンを保つ方法はない」
即答だった。彼の目線の先には黄金色に輝くひみつのコハクがある。
翌日、正午を過ぎた頃に彼女は研究所へ向かった。
「うまくいきましたよ」
昨日彼女が会ったときと変わらぬ笑顔。その脇にはプテラがいた。
「そうですか」
彼女も表情を変えない。昨晩の全てを聞いていたから当然だろう。
「まだ人間に慣れていないので、うまく言うことを聞かないかも知れませんが。こちらがプテラのモンスターボールです」
トレイに乗せられた新品のモンスターボールを脇目に、彼女はプテラを見据えた。
途端、モンスターボールを掴む。モンスターボールを腰のベルトに装着して、それから笑顔になった。
「ありがとうございました。よろしくね、プテラ」
深く一礼して、彼女は研究員の男に背を向けた。モンスターボールを持ったことで彼女を主人と判断したのかプテラもその後を追う。
研究所を出てからも彼女の笑顔は変わることはない。
「おいで」
二匹をモンスターボールから出すと撫でながらプテラに紹介した。
昨晩の様子を見ていたアーケオスとダイケンキは、少し不思議そうにする。
「この子に出会えたことは運命でしょ。それは変わらないから。これから仲良くしましょうね」
こうして、彼女は化石ポケモンのプテラを仲間にし、また、新たな冒険に出る。
化石ポケモンにはまだまだ謎が多い。アーケオスでさえ、完全に解明されていない事があまたあり、研究者たちの興味を引きつけ続けている。数十年後、プテラというポケモンは人工的な繁殖にまで成功し、野生でも多く見かけるポケモンとなった。その事を受けてかはわからないが、プテラに関する殆どの研究は打ち切りとなり、関連する資料は破棄された。そのお陰か興味を示す学者は極端に少なくなっている。けれど、一般のトレーナーでひみつのコハクから復元させた例はほんの数件であったらしい。