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後藤がつばさを庇うようにして入ったのは、先ほどまでいた結城の育て屋であった。
結城は彼女の青ざめた表情と、後藤の険しい顔をみて、何かあったと悟ったのかすぐに奥に通し、外の様子を窺う。今にも雨が降り出しそうな不安定な空が揺れる。
「どうしたんや」
「つばさちゃんが襲われた」後藤は冷静な声で言った。「二人組の男だ。わざわざ店の中でつばさちゃんを襲った。それも目だし帽を被って。単に彼女の容姿が気に入って突発的に誘拐しようとした可能性は低い。何故狙われたんだ」
問うているのは結城に対してではない。彼の頭の中で幾つもの方程式が組み上がっては、欠陥が見つかり崩れていく。つばさの生い立ちなど深い事情は何一つ知らない。皆目見当がつくはずもなかった。
「警察には」
「言っていない」
後藤の即答に結城は怪訝な表情を見せる。
「なんでや。そんなん警察の領分やろ。なんで言わへんだんや」
少し怒っているようではあったが、つばさを不安にさせないためか、声そのものは非常に冷静であった。
後藤はつばさと結城を見比べ、少しだけ口を開きかけてもう一度結んだ。
「後藤さん……」
黙っていたつばさが初めて声をあげる。
まだ先ほどの恐怖からだろうか、震えていた。
「なんだい?」
いつもの、優しい声。つばさは少しほっとしたように後藤のそばに寄って、やっと、座った。
そっとその柔らかな髪をなでる。
「ごめん、言えない。けれど、彼女が今、警察と関わると拙い事は確かだ。それに、もしあの男たちが時渡が失踪した事に関係があるとしたらまたつばさちゃんを狙ってくる可能性がある。あくまで確率論にはなるけどね。それだったら、ずっと一か所にいて、僕か結城で彼女を守って、そうしてやってきた奴らを辿れば時渡のところまで辿りつくかもしれない」
「時渡がおらんくなった状況も、あいつがなにやっとったかも俺は知らん。知らんから、なんも言えへん。やから――」
「ごめん、言えない」
結城が言い終わる前に、また、後藤は同じ台詞を繰り返した。
結城はつばさを見たが、彼女もまた、何も知らないようで、なんとも言えない表情を後藤に寄越している。
もう一度は訊かない。本当に必要になったら、きっと後藤が話してくれるだろうと信じているからだ。
「場所は、どうするん。後藤の言う通りにするとして、どこに留まるつもりなんや」
どういう答えを出すか、それは結城にも検討がついていた。
「人が少ない方が良い。僕の研究所だろうね」
全て一人でなんとかしようとする。それで今までなんでもこなしてきた彼の意見としては妥当だろう。
「……―――」
「どうした?」
つばさが何か言いたそうにして口を動かす。かすかに空気を振動させただけで、音として後藤の耳に届かず、すぐに彼は訊き返した。
「あ……えっと」
床を見つめて、それからぎゅっと手を握った。
「わ、私は、そんなことしたくないです。トレーナーになったんだから、ちゃんと、色んなところまわったりしたいですっ」
頑張って、言った、その表現がぴったりと当て嵌まる表情。握りしめた手のひらにはきっと汗が滲んでいるのだろう。
後藤も結城もきょとんとした顔をした。
「あー。……っと」
後藤から見た、彼女の置かれている状況と、彼女からみた自分の置かれている状況は必ずしも一致していない。けれど、彼女が後藤の表情から何か察したらしく、甘い意見を述べているのではない事も確からしい。
「なぁ後藤?」
伸びた声で結城が言った。
「なんだ」
「これってつばさちゃんの命に関わる事なん?」
「殺す気はないだろうね、つばさちゃんは」
随分と物騒な言葉。
でも、結城にはそれで十分だった。
「やったらお前が守ったれよ。そんで、つばさちゃんしっかり鍛えていっちょまえのトレーナーにするんや。後藤についてけるよな?」
結城はにかっと口角をあげる。
一瞬ぽかんとしたつばさだったが、その言葉の意味を理解して笑顔になった。
「は、はい!」
しかしその後すぐにまたつばさの表情は戻る。
「うん?」
後藤がちょっとのぞきこむと、悪そうな顔で彼を見た。
「あ、あの……。後藤さんはいいんでしょうか。私についていたら研究とか、他のお仕事とか……」
「気にしないで良いよ」
こっちも見ずにそれだけ言った。ぶっきらぼうで感情の読めないあの声だ。
冷たいようなそれが、何故かつばさには優しく聞こえた。
「よし、今日はここ泊まってけばええ」
「鍋だな」
結城が言うと後藤は台所を向く。
「はい!」
今度こそ満面の笑みでつばさは頷いた。