2-3
「せっかくだから――」結城の育て屋からでると、後藤が言った。「少し、おいしいものでも食べていこうか」
つばさはきょとんとした表情を見せたが、すぐににっこりと満面の笑みを浮かべる。
「はい!」
二人は、後藤お勧めの個室がある湯豆腐屋へ向かった。
エンジュらしい、落ち着きのある建物の中で、後藤はなんとなくつばさを見る。
「出身は、コガネ?」
彼女の兄はコガネシティ出身と聞いた覚えがあった。けれど、彼女がカントーの言葉を使っていて、少しだけ違和感を覚えたのだ。
よくよく考えてみれば、時渡も同じ言葉を使っていたな、と今更ながら気付いて、後藤は頭をかいた。左上を見つめながらのそのしぐさが、あまりに物草そうだ。
「いえ、兄が幼い頃はコガネだったそうなんですが、私が生まれたのはニビシティです」
ニビとは言ってもトキワの森の近くなんですけどね、とつばさは付け加えた。
「トキワか。あそこは素敵な場所だね。僕も何度か足を運んだ事があるよ」
「本当ですか? それは、研究で?」
嬉しそうに、つばさは訊く。そのつばさの無垢な表情に、少しだけ後藤は口元を緩めた。
「いいや。僕の研究だけじゃ生計は立てられないからね。副業で色々やってたんだよ。その時は暫くカントーにいたからね」
「素敵ですね」
にっこりと笑うつばさは、年相応の女の子である。
やけに老けた表情をする後藤とは違う。
「すみません、少しお手洗いに」
そういえば研究所に来てから暫く、ずっと歩きっぱなしであった。もう夕刻。恐らく我慢していたのだろう。恥ずかしそうなつばさに対し、少し申し訳なさそうに、いっておいで、と後藤は言った。
しかし、これが間違いであったと、すぐに気付かされる羽目になった。
――たすけて!
つばさが部屋を出て数秒、甲高い悲鳴が響く。
それが彼女のものであるとすぐに悟った後藤は、乱暴に引き戸を撥ね開け、靴を引っ掛けると叫び声の方へ走った。
「つばさちゃん!」
なにが起こったのか、と辺りは騒然としている。しかしそんなもの、後藤の目には入っていない。
目だし帽の男が二人。目測で体型を読みとり、彼らの身体能力を予測する。
狭い室内でポケモンは使えない。一旦外に出て捕まえるしかないが、一体相手がどのようなポケモンをどの程度連れているのかは推測できない。
店から飛び出したと同時に後藤はモンスターボールを投げた。
「ハク、白い霧!」
男たちは最初から外にポケモンを待機させていたらしく、アーボックとマタドガス、それにゴルバットが後藤の方に飛び出したが、彼の指示とハクリュウの動きの方が一瞬だけ早かった。白い霧はその特殊効果以外に、数瞬の目晦ましになることもまた、後藤は知っている。
白い霧が少しずつ晴れたその時、つばさの体は後藤の腕の中にあった。
ポケモンたちが後藤とハクリュウの姿を捉えられなくなり、更に男たちが混乱した、その短い間。五秒にも満たないその間で、彼はつばさを奪還してみせたのだ。
後藤は持っていたモンスターボールを全て投げる。
「さぁ、やるかい?」
こんな町中で騒ぎを起こせば、警察が来るのなんて時間の問題だ。後藤の相手などしているわけにはいかない事くらい、男たちも分かったらしい。
赤い光がポケモンの姿に形成されていく途中でもう男たちは踵を返していた。
後藤は追わない。
「大丈夫?」
つばさの震える瞳を静かに見つめ、優しい声でそう言った。
その言葉を合図に一瞬静まった外界が一気に騒がしくなる。丁度白バイも到着したようだ。
こくりとひとつ頷くと、後藤が繰り出したポケモンたちをじっと見る。みな、落ち着いた表情をしていた。つばさでさえ、場慣れしているな、と感じるほどだ。
後藤のポケモンの内、ウインディがゆっくりと彼を見て、小さく喉を鳴らした。指示を仰いでいるらしい。
「追わなくていいよ。ありがとう」
ポケモンたちをボールに戻すと、人ごみをかき分けてやってくる警察の方を見た。がたいのでかい三十代くらいの男だ。
「どうされましたか」
イントネーションがコガネ訛りの、低い声。
「あぁ、なんでもないですよ」
後藤は警察が嫌いなわけではない。ただ、面倒が嫌いなだけだ。だから、その断る言葉はとても丁寧だった。
「失礼しますね」
事情聴取なんてされたら、今日はきっと帰れなくなる。つばさを襲ったあの男たちが誰だったのか、それだけが頭を巡る中、繰り出したままだったリザードンにつばさを乗せ、自分もまたがった。
そっと朱色の体をなでると、身体を低くして柔らかに地面を蹴る。荒々しい龍のイメージからは程遠い、とても優美なその動作でふわりと虚空へ舞い上がった。
真っ黒な空に、吸い込まれるようにして、一点の朱が消えていった――。