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旧京都府周辺――。
現在はエンジュシティと呼ばれ、核戦争前の様な高層ビルは何処にも見当たらず、また、緑も随分と少ない。
あれだけの戦争があったというのに、一部の古い建物は焼け爛れながらも、その原型を留め、未だに焦げ臭いような不気味な雰囲気を漂わせている。勿論、人の出入りはない。しかし、誰もがその戦争を忘れまいと、そのまま壊す事もないのである。
尤も、第二次世界大戦後にも広島の原爆ドームや沖縄のひめゆりの塔のような、戦争を忘れない為の建造物はあった。それでも、同じ悲劇を繰り返したのだから、この建物に強い効果があるとは期待できないという声もあるものまた事実だ。
そんなエンジュシティの中央都市に後藤の利用する育てやはあった。
江戸時代を彷彿させる町並みの中、一つの長屋の前に二人は立った。
「放任主義……。凄いお店の名前ですね」
「基本的に利益を考えない店主だから」
邪魔するよ、と言いながら、後藤は戸も叩かず、引き戸を引く。
「お、久しぶりやん!」
くしゃくしゃの赤毛で、派手なペイントジーンズに灰色のスウェットという出で立ちは、なんとも軽そうな印象をこの男に植え付けている。
「久しぶりに依頼だよ」
後藤が返すと、もう既に彼の目線は後藤ではなく、つばさの方へ行っていた。
「おお、可愛い娘やなっ。初めまして、オレは結城アキトって奴や」
「初めまして、時渡つばさですっ!」
「時渡……?」
「あいつの妹だよ」
後藤は相変わらず愛想笑いもしないままそう答えて、部屋の中にいるポケモン達の相手をし始めた。
イーブイを抱き上げ、頭を撫でてやると、気持ち良さそうに目を細める。他のポケモンもひょこひょこと後藤の周りに集まってきて、みな嬉しそうにしているように、つばさの目には見えた。
「こんな可愛い妹ちゃんがいるとは聞いとらんかったなぁ。時渡の奴、今どうしとる?」
問われて、つばさの顔から愛想笑いすら消えてしまう。
「いないよ。失踪した」
「は?」
「だーから、失踪した。どっかいっちゃったんだよ。この子も消息知らないみたい」
途端に結城のゆるんだ口元は消え、驚いたような表情を浮かべた。
「どういう事や?」
「あいつ、三年前に仕事へ行ったまま帰ってこないんだ」
後藤の言う、“仕事”の内容を察したのか、それとも重々しい後藤の口調から何かを察したのか、結城はもうその話題を打ち切った。
「そんで、つばさちゃん。今までポケモン育てた事は?」
つばさは不意に話を振られ、少し慌てながらも、持っていた鞄からモンスターボールを取り出し、結城の前に持っていく。
モンスターボールの中身は、外側からは何が入っているか窺えない構造になっていて、外側に中に入れているポケモンの種族名や名前を印字するサービスがあるように、多くの人はペンなどで何か記しをつけている。それを探そうと、結城はモンスターボールを回してみると、小さく“エマ”と黒の油性マジックで書かれているのが見えた。
「エマって子なんやな。種族は?」
「はいっ、ブースターの女の子ですっ!」
見せてくれる? と、結城はつばさにモンスターボールを返す。
「その子と相性の良いポケモンを考えやんとあかんしな」
にっこりと笑った結城の顔に親しみを覚えたのか、後藤に対するより、やわらかい笑顔をみせ、モンスターボールの中心にある白いボタンに指を触れた。
ボールが半分に割れると中から赤い光のようなものが溢れ出し、足元でどんどん四足の獣の形が形成されたかと思ったら、光は散乱し、綺麗な赤い毛並みに黄淡色の長い毛皮を纏ったブースターが飛び出した。
「大事にされとるんやなぁ。うん、毛並みも綺麗や。この子おったら、もう余計な手出しは無用な気ぃするわ」
結城がブースターの頭をぐりぐりと撫でる。ブースターは片目を細めながらも無理に振りほどこうとはしない。
手をブースターからどかさず、そのまま後藤の方を向いた。
「カントーからまわる訳とちゃったら別にブースターでもええやろ。信頼関係築けとるみたいやけど、そんなに育ってはない。まずはこの子だけ連れてゆっくり旅したらええと俺は思う」
「ここ最近会っていなかっただけで、どういう心変わりだ。信頼関係が既に築けているポケモンと旅をするなんて生ぬるいと言っていたじゃあないか」
別に責めている訳ではない。このお調子者は、見かけに依らず信念が強い。それが、突然今まで言っていた事を曲げたのだ。
尤もそれに少し驚いただけで、彼の中で何か変化が起きたのかとか、そういう事には一切興味はなかった。決して深入りしない、それが後藤だ。
「別にー。逆に後藤がトレーナーを丁寧に扱うのが違和感あるわ。もしや、惚れたん? このロリコンが」
にやついたその顔を、後藤が少し不機嫌そうに睨む。
「莫迦言え」
少しの沈黙の後、結城はにやついた顔をやめ、真っすぐな目で後藤を見た。
「時渡は――「あとで」後藤は目線も変えないままぴしゃりと言った。「あとで、話すよ」
少し困惑したような表情で結城が黙りこんでから数秒、おどおどとしていたつばさの肩を後藤が自然に抱く。
「俺は、もう暫くこの子の面倒みなきゃいけないしね。いきなり旅にでろ、なんてこの子を放りだせない」
きょとんとした表情のつばさと、後藤の相変わらずな無表情を交互に見てから、ははん、と顎をしゃくった。結城には、後藤の魂胆が垣間見えたのであろう。実際、彼が何かを考えているのかは、わからない。恐らく何も考えてない、それが、この男だ。
後藤の髪が少し揺れた。
「ならお前、どーするんや?」
その問いに、後藤は即答する。
「ついていくよ。丁度、色々調べたかったし、良い機会かなって」
「そんな、今日その子きてんやろ? そんでその日にお前出てくって、今やってる研究が途中言うとらへんだっけ?」
「また連絡する。邪魔したね」
ぴしゃり、と言った。
結城は少し眉間に皺を寄せたが、彼が自分から話す以外、何も語らないのを知っている。しかし、行動に対してしっかりとした根拠があることも知っている。
「おう、気ぃつけてな」
次の瞬間、笑顔で、言った。
それを聞き終えると、静かに背を向ける。つばさはぺこりと一礼して、後藤の後をひょこひょことついていった。
背の高い、後藤の体が見えなくなり、つばさが出てから、後藤が扉を閉める。
「ほんま、気ぃつけ――」
それは低い、声だった。