終わったもの
「な、なんつー無茶をするんじゃ……」
クレーターのようになってしまった爆心地に佇むロキを上から眺めながら、ミルナァルが呆然と呟く。
「黒美を巻き込むかもしれないほどの攻撃を、ましてや彼奴が放つとはのう……。嫌な意味で吹っ切れてしまったのかね?」
ロキにしてみれば「全滅させて当然」とすら思っていそうなものだ。だが実際、相性の悪いポケモンを一撃でここまで薙ぎ払えるポケモンは相当いかれている。ましてや、主が近くに居る状態で放つなど。黒美に後でこっ酷く怒られても仕方がない。
「……、む? 黒美?」
隣に居る少女の気配が変わったのを感じて、思わず疑問符のついた声を上げる。
金色の九尾から難なくするりと抜け出てきた黒き少女は、静かにロキを見据えていた。波の壁に囲まれもはやどうしようもなくなった彼の姿を。自分のパートナーの大ピンチだというのにあくまでも平静でいる彼女は、ミルナァルが思わず一歩下がってしまうほどの迫力があった。
「ロキってば」
囁くように、誰に向けてでもなく、少女はぼやくように言う。
「――どうして分からないの?」
何の変哲も無いはずその言葉は、ミルナァルの背筋を凍らせる。
金色の狐の見つめる先、あれだけの戦闘に巻き込まれながらも結局悲鳴すら上げなかった彼女の姿は、まるで……。
(本気で、怒っている……?)
いや、それどころではない。と内心の考えを断ち切るようにミルナァルは首を横に振った。――これではまるで、“別人のように”怒っているみたいじゃないか。
そもそもの話。いろんなものに怯え、警戒心も強く、根が疑心暗鬼である黒美が人に怒ることなどない。心配して注意することはあっても、自分やロキのことで激昂することなどまずもって無いのだ。それは、短い期間だが一緒に旅してミルナァルが把握した黒美の「絶対」。そして黒美自身も、己が怒りを誰かに向けることを嫌がる節があった。
いや、何も怒りだけに限った話ではない。黒美はあらゆる自身の強い感情を押さえ込もうとしている。まるでそれは、自分の心の動きを止めようとするかのようで。
……ならこの少女は、誰だ?
残酷なまでに憤っているのを抑え切れていないのに、それでも自身を押さえ込むようにして微笑むこの少女は、一体“誰”だ?
「ミルナァル」
「え? あ、なんじゃ?」
“黒美の皮を被った誰か”に声をかけられ、ミルナァルはうろたえる。――いや、そもそも黒美は、ロキ以外の誰かを呼び捨てにすることなど今までで一度もなかった。
「なぁに? その反応は。……まあ“不思議”でもしょうがないかしらね」
ふふふ、と柔らかく微笑んでいるというのに、怒っていることがすぐに分かる。ポーカーフェイスが苦手なのだろうな、とミルナァルはこの場の状況にしては呑気すぎる考えに至った。
「……何なのじゃ? お主は」
「何? というのは失礼じゃないかしら」
少しだけ嫌そうな顔をしても、少女は微笑を絶やさない。
「まあそうね。言うならばこの体の持ち主。……というのはおかしいわね。この体の“元”所有者よ。名前はもう聞いているのではないかしら?」
自虐的に自分を語る少女に、ミルナァルは深白の語っていた少女の名前を思い出す。『 』。暖かな性格をしていそうな名前だったが、この少女の性質はむしろ「氷」。どこまでも冷たく透き通り、そして凄惨で美しい。
成る程な、ミルナァルは内心で腑に落ちた。
突然黒美の雰囲気が変わる、その本当の理由を。
「まあ、今はそんなことはどうでもいいの」
心底楽しそうに、透き通るほど真っ黒な少女は笑う。
「――おいたが過ぎる人たちには、お仕置きが必要、よね?」
笑顔で言う内容ではない言葉に、今度こそミルナァルは恐怖した。
(こやつは、こやつはもはや、ロキの求めた少女ではない)
ただの化け物だ。
「“ちょうどいい機会”なのだし、試してみたいものがあるのよ。……あ、ミルナァルはそこで休んでて構わないわ。大分お疲れでしょう?」
「な、何をするつもりじゃ!」
「それは、見てのお楽しみ」
悪戯っぽく唇に指を当てて片目を瞑る。そして少女は、ビルからゆっくりと飛び降りた。“ゆっくり”と。
「なんじゃ、あれは……!」
人外染みた彼女の挙動に、ミルナァルが驚愕の声を漏らす。
少女は、まるで木の葉が落ちていくかのように、天使が舞い降りるかのように、波に静かに地面へと降りて行った。よく見ると彼女の体の回りを薄紫の何かが守るように纏わり付いている。念。もっと分かりやすい言葉でいうなら、エスパータイプのポケモンの力。
“サイコキネシス”。触れずに何かを動かすことが出来る超能力。稀に普通の人間でも使えるものがいるという話はミルナァルも伝聞で聞くが、彼女が使うそれは多分、“本当にポケモンの力”だ。
「一体、どうなっているんじゃ、これは……」
頭に前足を当てて、ミルナァルは呟く。
考えれば考えるほど、分からないことは増えるばかりだった。
けれどそんな狐の思考は、少女の一言で打ち消されることになる。
音どころか埃さえ立てずに、風に遊ばれる黒髪を弄る余裕さえ見せて、彼女は地面に降り立った。瞬間、紫、というよりは透明に近いほど薄かったオーラが急激に色濃くなる。
「これ、は、まさか……っ!」
こんな状況下であっても微笑を絶やさない黒髪の少女に一抹の恐ろしさを感じつつ、ミルナァルは信じられないといわんばかりに呟いた。何千年どころではなく生きている彼女でさえ、その少女が繰り出そうとしている『技』を見たのはたったの一度。
なぜか? それはとある「化け物」しか使うことのできない技であり、そしてその化け物は、本来「この世界には居ない存在」だったからだ。
「……“サイコブースト”」
誰にも聞こえていないであろうほどの静かな声だったが、その言葉には力があった。
ゴスロリで身を包む少女の細い指先から、紫色の閃光が放たれる。
光度の高すぎるその光は世界を、紫にではなく、真っ白に塗りつぶしていく。
その紫光の強さに、その場の全ての生物が目を焼かれて目を瞑った。
「――“もういいよ”。ロキ」
声のトーンは先程「攻撃」を宣言したときのものと変わらないというのに、妙に響く声だった。
光に当てられた水は波を形成出来なくなり、分散し、蒸発して気体になるのでもなく消失していく。ポケモンの力に違いはないのだろうが、それはどこか得体の知れないものがあった。
「剣に『守る』役目はないわ。貴方は『私の道を切り開くもの』、でしょう?」
圧倒的な質量を持って地面に叩きつけられたはずなのに、波に巻き込まれたロキと、陽動と囮が目的あったヘルガーには『なみのり』によるダメージがない。
闘気もすっかり萎え、頭と尾から噴出していた真っ白な炎も縮まってしまったロキは、目を丸くして言葉を探せずにいる。あれだけバトルを楽しんでいたこのマグマラシがここまで静かになるのは、おそらく彼にとっても初めての経験だった。
そんな大それたことをしでかした少女は、どこか疲れたように言い放つ。
「貴方が無茶するのを見るのは、もう疲れたのよ」
どこに居ても窮屈そうだった表情はそこにない。深い深い闇色をした瞳は恐ろしい色を放ち、それなのに表情には純粋な怒りしか浮かんでいない。内側から湧き出る意志だけが、心だけが、揺らがないで前面に出ていた。
その意志の強さを感じさせる色濃いオーラを、彼女は右腕に集中させる。
「“サイコブレイク”」
小さく呟いて、手袋のように右腕に張り付いていたオーラを手のひらの上に凝縮させる。ビー玉ほどの大きさにまで小さくなったそれを、まるで掌低を構えるようにして敵に放つ。
敵に近づけば近づくなるほど圧縮されるそれは、最終的に目に見えないほどの大きさになっていく。
次の瞬間には破裂するように爆発した。ガラスの破片のように尖った物体として散らばったそれは、敵を一瞬で切り刻む。その爆発に巻き込まれた敵の悲鳴が響き渡った。
「……足りない、かしら」
未だ倒れていないポケモンを一瞥して呟く彼女の姿に、ロキは思わずぞっとした。やんわりと微笑むように細めた目に宿る感情は、ロキが今までギンガ団に感じていた感情を遥かに上回る、恐ろしい代物だったからだ。
毒々しい菖蒲色の、目に見える気配が立ち昇り始める。微かに浮き上がる長髪は神話に出てくる蛇髪の怪物のようで、それを美しいと形容することはとても出来なかった。それはまるで、黒い感情に囚われる、彼の娘の内心を現しているようで。
「……! よすんじゃ!!」
制止に入ろうとビルから飛び降りたミルナァルの言葉も聞かず、少女はもう一度“サイコブレイク”を放つ。周囲の風景を歪んで見せるほどの重力を持ったそれは、今度は破裂せずに一体のキングドラに直撃する。
……いや、直撃、というのは言い得ていない。当たったとも言わない。“触れた”というがちょうどいい表現だろう。それぐらい静かにキングドラを“襲った”それは、物凄い重力波を持って水竜を吹き飛ばす。一瞬で姿が見えなくなった一瞬後に、コンテナを何個を突き破る轟音。四回ほど耳を塞ぎたくなるような音を響かせて、やっと静かになる。
その場にいる人間、ポケモンの誰もが、何も言えなかった。
「……すごいなあ、これ(この力)」
他人事のように、それでも微かに恍惚を帯びた声で呟いた、黒色の少女を除いて。
「あ、ミルナァル。それにロキ。そこで黙って見てて。どうせかなり疲れているのでしょう? 特にそこの莫迦マグマラシは一臂も指一本も動かさないで」
冷たい口調に、狐と鼬の動きが止まる。二人を手で制して、逆の掌をギンガ団たちに向ける。
「“サイコキネシス”」
今までの攻撃を見てきた彼らは、警戒して一斉に身構える。だが、その念波はギンガ団たちを苦しめることはなかった。代わりに、もっと苦しい重低音と砂と埃が辺りに包み込み始める。
「……んな……ッ!」
ロキと、その傍に寄ったミルナァルが、辺りを埋め尽くしていた巨大なコンテナが宙に浮き上がる様子を見て唖然とする。30トンを超えるはずのそれを十数個ほど軽々持ち上げるのは、エスパータイプとてポケモンでも簡単ではない。
驚愕と恐怖と傷のせいで動けないギンガ団たちの真上に浮かしたコンテナ移動させて、少女は微笑む。
「お願いがあるのだけど、聞いてもらえるかしら?」
シチュエーションさえ間違っていなければ、それはどんな男でも落とせる、チョコレートのような甘い笑顔だったろう。だが、今は違う。少女の形をした化け物が笑っても、誰も釣られて笑ったりなどはしない。ただただ恐れるばかりだ。
お願い? これはそんな生易しいものではない。これは要求。そして脅迫。さらに言えば、命令だ。
「んー、疲れてしまうしこれは置いてしまいましょう」
中に入ったものをガシャンガシャンを揺らしながら、ゆっくりと降ろして……、途中で面倒になったのか、ギンガ団員たちの頭上からずらした後は放るように落とす。轟音と煙が辺りに広がり、少女以外の面々が思わず耳を抑えて目を瞑る。
「……脅しはやっぱり、良くないかな」
少しだけ疲れた表情を見せて、少女は甘美に唇を歪める。それは普段浮かべることのない、妖艶ささえある微笑みだった。
「お願いというのは、そんな難しいものじゃないの」
だって、貴方たちは別に何をする必要もないのだから、と少女は静かに微笑んだ。
「ロキではなくて、ミルナァルでもなくて、貴方たちには」
――私に殺されてほしいの。