終わった物は始まりを告げる 2-4
「……数、多いな」
五体目。機械のように表情の動かない大顎ポケモン――オーダイルを地面に伏しながらもロキは呟いた。一瞬だけ背後を、“黒美を庇いながらもギンガ団のポケモンと戯れているミルナァル”の姿を見て呆れたように半目をさらに細くしたが、次のポケモン、ガマゲロゲが飛びかかってきたのを見て、すぐに表情を笑顔に変える。
周りの気温が微かに変わるほどの熱を持ったロキの拳が巨大な怪蛙の腹に直撃。それをまるで意にしないかのように表情を変えず、ガマゲロゲがそのまま至近距離で口を開く。大量の泡が放出されるも、それもロキがもう一つの手で蒸発させる。
「……おいおい。これだけかい?」
距離を取ろうとしたガマゲロゲの首を掴み、そのまま爆発炎上。「ふんか」。
辺りにマグマが飛び散り、その場ですぐに凝結する。だが思った以上の威力が出なかったのか、あっさり振り払われて逃がしてしまう。
気がつけばロキの体は擦り傷だらけで、吐く息も荒い。大技である「噴火」は体力がしっかりと残っている状態でないと威力が低下してしまう技であり、打てる回数も多くない。おまけに相手は炎の効きにくい相手。幾らロキの能力を持ってしても無理が過ぎる。桁違いに高温であるはずのマグマがすぐに固まっているのがその証拠だ。
「ちっ」
一度舌打ちをしてから、”でんこうせっか“で水流(ハイドロポンプ)を回避。右腕に掠ったその一撃に顔を顰めつつもすぐに火炎流(かえんほうしゃ)で反撃をする。連続して放たれたハイドロポンプを蒸発させながらも突き進み、避ける間も無くキングドラに直撃するが、傷は浅い。属性(タイプ)の相性の悪さゆえにダメージは通常の四分の一だ。当然の結果だろう。おまけにロキの疲労もあいまって先程から全然急所を狙えていない。……いや、疲労もあるだろうが、それにしたってロキの今日の戦いは精彩を欠いている。
少なくとも、浮き袋を首から背中に背負った海イタチポケモン――フローゼルが背後に迫っていることに気付かないぐらいには。
「何をやっているんじゃ! あの阿呆は!」
黒美を庇いながら戦うことに限界を感じ始めていたミルナァルが、水を纏う突進(アクアジェット)に吹き飛ばされて建物の壁に激突したロキに向かって叫ぶ。彼女を囲んでいたポケモンを“催眠術”で戦闘不能にしながら、ロキを追い打とうとしたフローゼルに焼け付く大の文字(だいもんじ)の放つ。あまり速度がないそれは途中で弾ける炎(はじけるほのお)に変化し、悠々と離れようとフローゼルの体を焼いた。
「戦場で気を抜くんじゃのうて! ――黒美、離れてはならんぞ!」
その言葉に一度だけ頷いた黒美を一瞥して、ミルナァルは一度吼えた。光の少なくなってきた世界でも鮮やかに輝く九本の尾を広げて、辺りに猛烈な熱波を放つ。
熱風(ねっぷう)。慌てて体を小さくする黒美をその九尾で守りながらも、ミルナァルは敵を熱し尽くし続けた。気温の急上昇の影響で、辺り一面の世界がゆらゆらと陽炎で揺れる。
「……こやつら、痛みを感じぬのか?」
この異様な気温の中でも動じずにミルナァルへと攻撃をしかけに来るポケモンたちを見て、ミルナァルが唖然としたように呟いた。滝を突き破る突撃(たきのぼり)を余裕を持って回避して、九尾の狐は動かないロキに向かって喝を入れる。
「面倒な。……ロキ! 主は主でどうにかせい! こちとら主が逃がした敵が黒美を狙ってわんさか来よる! 主がなんとかしないと黒美がまずいんじゃぞ!」
「はいはい。分かってるよ!」
土煙が立ち上って視界が良くないなら、ミルナァルに対抗するようにロキが声を張り上げる。あれだけの勢いで壁に激突したにも関わらず、涼しい顔で立ち上がったロキはそのまま苦笑を零した。目の前を歩いてくる真っ黒なポケモンと対峙しながら。
「 ……僕もそうしたいんだけど、どうにも真打の登場らしい。手が離せないっぽい」
小さく呟いてから、ロキはその獣と向き直る。
そいつは、闇のような色をした細い肢体に骨のような硬質のものが背中に三つ付けた番犬だった。頭についた草食動物の角の骨のようなものは、ロキが過去に記憶していた同種のポケモンよりも遥かに太く、かつ大きく反り曲がっていた。あの巨角は確か、分類上ダークポケモンとも称される“ヘルガー”の強さの象徴。大きく反り返っていればいるほど戦闘が強く、場数も踏んでいるはずだ。
半ば渦巻きのようになっているその角を見れば、そいつが今までのポケモンよりも段違いに強いことが明白に分かる。
「……よう。お前はなんか、他のとは雰囲気が違うね」
「…………」
そして何より違いが明確なのは、今までの無表情なポケモンたちとは違い、そいつには表情があった。表情は表情でも、一切の感情を押し殺そうとする無表情であり、あらゆる物への憎悪を抑え切れていないポーカーフェイスだったのだが。
ロキはそいつの表情を見て、ふと思う。
(黒美を、いや『 』を失ったときの僕は、こんなだったのだろうか)
そう考えると不意に表情が憎しみで歪みそうになって、慌ててロキは首を振った。そんな様子のロキは隙さえ見えたが、一瞬だけ不思議そうにしただけで不意打ちをしようとはしない。
「なんだよ。律儀に待っててくれてんのか。面白いやつだな」
「…………」
「まあ、挨拶はいらないか。……やろうよ」
ざり、と地に落ちた砂を踏みしめて、ロキが一歩踏み出し、そのまま静止。体の微弱な痙攣すらとまっているのかと錯覚するほどの隙のない立ち姿になる。逆にヘルガーの方は体勢を低くしており、脱力しているようにも見える。次の瞬間にはいつでも動き出せる体勢。
「……不意打ち、かな」
ボソリと呟いて、大げさに音を立てながら一歩足を踏み出す。その音に反応したヘルガーが落ちていく砂埃のように、音も無く姿を消す。転瞬、半目のマグマラシの背後に現れた地獄の番犬はそのまま別のわざに移行。
“かみくだく”。あくタイプでも上位に位置する物理攻撃のわざによって、ヘルガーの牙がロキの腕に食い込んだ。一瞬だけ苦痛に顔を歪めたマグマラシはそのまま反撃。噛み付いたせいでロキから距離を取れないヘルガーの腹部に思いっきり拳を打ち抜く。思わず顎を緩めたヘルガーに向かって、捨て身の一撃(すてみタックル)。吹き飛ぶも空中で姿勢を立て直したヘルガーは、すぐさま黒い衝撃波(あくのはどう)で反撃する。ロキはそれを跳んで回避しようと試みるも、すてみタックルの影響で痛めた体が言うことを聞かない。
一度舌打ちをして、火炎放射で相殺。エネルギーとエネルギーの乱反射によって今日何度目かの爆発を引き起こし、一気に周りの視界を悪くする。混乱する周りのポケモンを傍目に、ロキとヘルガーは再度激突。辻斬り(つじぎり)と雷を帯びた拳(かみなりパンチ)が何度も衝突する。
十五発。辻斬りのパワーポイントを使い切ったヘルガーが距離を取る。消耗具合は先程まで混戦をしていた皮肉屋のマグマラシの方が遥かに大きい。その証拠にヘルガーは体勢を微動だにしないのに比べて、ロキは少し息が切れていた。
(気のせい、か?)
なんとか息を落ち着かせたロキは思う。このヘルガーの戦い方は自分とよく似ている。己の体力を省みない無茶な戦い方。それは恐らく、ロキやこのヘルガーの通常ではありえない圧倒的な能力値による選ばれたものの戦い方だ。多少の無謀は許される。
だが、同じ炎タイプの割に彼と彼には決定的な違いがあるようにも思う。目まぐるしいほど早い戦闘の展開の中で、既にロキはヘルガーの弱点を見つけた気がしていた。
(試してみるか)
手足から勢い良く噴き出した炎がロキを包み込んでいく。“ニトロチャージ”。己の体の熱量を上げて体を動きやすくさせるわざだ。つまるところ、このわざを使うと素早さが上昇する。そのままロキは二本足立ちから四本歩行に体勢を変えて、纏う炎を螺旋に変化させていく。火炎を纏って突進する物理攻撃のわざ、“かえんぐるま”だ。水ポケモンでも迂闊に近寄れないほど、燃えないはずのマグマラシの毛がちりちりと焼けるほどの灼熱を顔色一つ変えずに操るロキは、やはり炎タイプにしたって異様なのだろう。
ざり、と助走に失敗しないために後ろ足で落ちた埃を蹴っ飛ばす。
「……ッ!」
次の瞬間、驚愕して受身を取ろうとしたヘルガーが吹っ飛ばされた。それがどれほどの勢いだったのか、周りでミルナァルと戦闘をしているポケモンたちを巻き込む。「のわあッ!?」とらしくない声を上げて慌てて黒美を引っ張って避けたミルナァルを一瞥して、高速移動による摩擦熱でさらに爆発炎上。追撃しようと突進するが、瞬時に体勢を整えたヘルガーの反撃の“悪の波動”をまともに食らう。
「ロキっ!」
思わず悲鳴染みた声を上げる黒美を尻目に、ロキは微塵も勢いを緩めない。攻撃して出来たヘルガーの僅かな隙の間に肉薄する。そのまま両腕でヘルガーの首を掴み、建物の壁まで叩きつける。その衝撃で建物に皹が入った。
「……捕まえた」
ヘルガーの首を掴んだままニヤリと笑うロキと、距離を取ろうともがく地獄の番犬。ちりちりと焼けるマグマラシの体毛が、今度は猛烈な勢いで燃え始める。普段から無茶をするロキですら耐えられないほどの高熱。
多分さ、と悪い笑みを浮かべたまま、ロキは小さく言った。
「こいつは痛いよ?」
ロキを中心にして、物凄い勢いで温度が上昇。空気中に浮かぶ埃などの物質が全て炎上し、ロキとヘルガーを抱き込むようにして燃え始める。
「“オーバーヒート”」
呟くように言ったロキを中心にして、彼の許容量を超える数の炎が全て爆散。信じられない広範囲を吹き飛ばす。“もらいび”の特性でダメージを食らわないミルナァルが慌てて黒美を庇っていながらも付近のビルまで跳躍する間も、周りのポケモンの断末魔とギンガ団の連中の悲鳴が辺りに響き渡っていく。
完全に静かになるまでには、かなりの時間を要した。
直撃を受けてもはや痙攣すらしない瀕死のヘルガーを放って、ロキは体に付いた払った。何時ものポーカーフェイスには微かに疲労が滲んでいる。
「やっぱお前、ヘルガーの癖に炎がないんだな」
動かないヘルガーを見て、ロキは何故か懐かしそうに呟いた。
「オーバーヒート」。その名の通り自分が使える以上の炎を使えるようになる代わりに、疲労故に次からの特殊攻撃力が格段に下がってしまう荒技。ただでさえ連戦で疲れている状態だというのに放ったのだから、今のロキはいつ気絶してもおかしくない状況だ。
「……あー、全然倒しきれなかったか」
その上、周りのポケモンは炎タイプに滅法強いポケモンばかりだ。かなりのダメージを与えられたとしても瀕死に陥れるまでには至らない。
自分の周り半径十五メートルほど囲むように立つ十のポケモンを眺めて、ロキは疲れた声を出す。ロキを包囲する水タイプのポケモンたち全員が同じ技を行う。海も無いのに巨大な質量水が出現し、それが巨大な波を形成する。「なみのり」。ビルを越す高さの水流に周囲を塞がれ、正に八方塞。
反撃をしようにも、もはや足も手も棒のようで動かない。
久しぶりの限界。終わり。終着点。
「はは、だけどさ」
一度は消えた炎が尾と頭から吹き出る。その炎は℃を上げていきながら色さえも変化させる。赤い炎から「蒼い炎」に。蒼い炎から「見えざる炎」に。
「こちとら、限界なんてとうに超えてるんだよ……ッ!!」
言うことの効かない体を動かして、吼える。
そんなロキの顔は、窮地だというのにどこか楽しそうだった。