終わった物は始まりを告げる 1-4
――そりゃ油断だよリナリア。
皮肉げに笑って見せた深白の顔が、頭からついて離れない。そのせいか、いつもは気にならない運動不足で体力のない自分の体が、酷く忌々しげに感じる。
深白の嫌味ったらしい言葉を聞いた後、慌てて部屋から飛び出して、黒美と借りた部屋に飛び入った。誰もいない借り部屋は静寂そのもので、窓から入る風に靡くカーテンの音が響いているだけ。ニヒルな表情のマグマラシも、真っ黒な少女も、既にそこにはいなかった。
……あんな体なのに、窓から出て行ったの?
「“フェイル”!」
紅白のボールを十メートルほど先に放り投げて、リナリアは叫ぶ。
「こうそくいどう! 先行して黒美さんを探してください! すぐに追いつきますからっ」
一瞬リナリアの方へと振り向いた深紅の影に切れ切れの声で指示を出す。流線型の線の細いフォルムを持つそいつは一度静かに頷くと、次の刹那には姿をかき消していた。
(……こんなことになるなんて……っ!)
自分の不始末を呪いながらもリナリアはひたすら走る。もっとちゃんと警告していれば、注意していれば! いや、自分がもっとしっかりしていれば! こんなことは未然に防げたはずだ。そんな自分の経験値の無さと詰めの甘さが、途轍もなく腹立たしい。深白の言うとおりだ。途中で何人ものギンガ団員とすれ違っているのがその証拠。焦りと自らへの怒りで、染み一つない彼女の額にたらりと汗が流れる。
深白と再会、いや、「遭遇」してから黒美はおかしい。もっと言えば、黒美の雰囲気がどこかおかしくなる前兆は見えていたのだ。出会った当初や、ロキを止める場面で、彼女はたまに「別人のように」空気を変えることがままあったことを思い出して、リナリアは唇を噛む。
――復讐のために私を『拠り所』にするのは構わないけれど、その為に『私のもの』を無駄にするのは絶対に許さない。絶対に許さないから――
ロキの無茶に怒った時に言い放った黒美のその言葉には、冷徹とも言える優しさが篭っていた。それはきっと、自分が死にそうになっても庇うことすら許さないという、黒美をとにかく大切にしたいロキからすれば拷問のような言の葉だった。あの時の黒美は、無邪気そうな表情をしながらもそれを分かってていっていたと思う。なんて残酷なんだろう、とリナリアはぼそりと呟いた。黒美さんの残酷性は今に気付いたことでもないけれど、それにしたって容赦がない。仮にも自分を助けてくれた存在に対する扱いだとは、リナリアには到底思えなかった。
だけど、その言葉に甘んじるロキもロキだ。
彼はたまに、黒美の指示を受けるのを躊躇していることがある。けれど、不平不満に文句は言っても、絶対に断りはしない。完璧に遂行して、また平然と笑うのだ。……けど、嫌なら嫌と言わなきゃ意思疎通なんか出来っこない。信頼関係なんて出来っこない。ましてお互いに対してパートナーとしての愛情や好意を感じることも、またあり得ない。
そう、あの二人はそこがおかしいのだ。
反抗的そうな雰囲気とは裏腹に、黒美に対して反抗一つ見せないロキ。自分が“無い”故にロキの言葉を信用し、えてしては盲信しているようにさえ見える黒美。ちぐはぐにも見える一人と一匹の関係は、それでも強固なものだ。ロキの命を救ったのが黒美だとしても、彼女はそれを覚えている風には見えない。深白と遭遇したときの反応を見ればそれぐらい部外者のリナリアにもリナリアにも理解できる。
なら何故、あの二人はあそこまで息が合っている? 記憶という人を作り出す要素の無い黒美とロキが、どうしてあそこまで信頼し合えるんだろう。それはきっと、ポケモントレーナーを初めてまだ二年ほどしか経っていないリナリアには理解できないことだ。
「……“ディーファ”が私を信頼してくれているなら、この状況ももうちょっと違うのかな」
整ったリナリアの顔に、自嘲の混じる笑みが浮かぶ。ディーファ――「こうもりポケモンの“ゴルバット”」には見事な羽があるが、人を乗せて飛ぶことは出来ない。飛ぶのもあまり上手でなく、基本的に天井からぶら下がっている種族であるゴルバットに人を背負って飛べというのはあまりに酷だ。そんな「リナリアが初めて捕まえたポケモン」は何も悪くないのだが、それでもポケモンの背に乗れたらどれだけ手早く捜索が出来ることだろう、と思ってしまう。
「……嫌な予感が、します」
呟いたリナリアの手は、強く握り締めるあまりに微かに血と汗が滲んでいた。