黒く醜く、美しいだけの少女のお話 - 1章
出会いと、出会いと 2
「ってなわけで改めて。縁に依頼されて今日から旅に同行することになった夕暮 深白(ゆうぐれ みは)だ。“深い白って書いてみは”って読む。よろしく頼むぜ」

 と、さらさらと口走った挙句、勝手にポケモンセンターの部屋を借りてそのまま篭ってしまった深白だった。
 有無を言わさないような勢いだったその言葉を流れのままに思わず承諾してしまって、リナリアは微妙に後悔した。そもそもロキが信用しているとはいえ、黒美もリナリアも知らない人間を(正確には黒美は覚えていないだけのようだが)あっさり同行させることにしてしまってよかったのだろうか。
 存在が希薄になりかねないほど白く、儚げなほど美しい深白は、その見た目に対して違和感さえ覚えるほどの男っぽい口調やしぐさの持ち主だ。そのアンバランスさも相俟って、リナリアはなんとなく胡散臭さを感じた。どこか緩い雰囲気を持ちながら、先ほどの騒ぎで見せるような威圧感も微かにある。掴みどころがないのだ。
 ちなみにその胡乱げな深白曰く、「ああ、俺のこと聞こうと縁に連絡したって無駄だと思うぜ? あいつ今日は忙しそうだったからな」とのことだ。しかもその言葉通り、以前に貰った携帯のメールアドレスに連絡を入れてもまるで返事が来ない。適当そうな素振りを見せながらもメールの返信(こういうこと)は小まめにやっていそうな彼女(ゆかり)が、メールの返信を一時間も遅らせるとはリナリアには考えがたかった。
 そもそもリナリアとしては、胡散臭さではシンオウ一位になりかねないほどとにかく胡散臭い日向縁の事情を知っている時点で、全く深白が信用できない!
 ……あまりに極論だが。
「というわけで、私が深白さんを信用するために色々質問させてもらいます。……って、なんか騒がしいですね」
「気にすることじゃねーよ。まあ、そういうことになるのな。俺は別に構わねーよ。痛くもねえ腹を探られたって困るからな」
「ええ。貴女の性格を考えたら直接聞いてしまった方が適切かと思って」
「ははは。初対面なのに性格まで考慮するのか。面白いなお前」
 わざわざ自分の部屋まで来たリナリアに紅茶を出して、にやりと深白が笑って言う。飄々としている割に、人をもてなすことはちゃんと出来るようだった。
 実は、リナリアがこの部屋に来た理由は深白に質問するためだけではない。
 「女と一緒に寝るわけにはいかねえからな」と深白は個人で部屋を取り、リナリアは黒美と同室で過ごすことになった。だが、現在の黒美はどこか様子がおかしい。感情が表に出ないのはいつもの事だが、遠くをボーっと見ていたり、一瞬転寝をしたかと思ったら突然飛び起きたり。
 時折ロキが話しかけると、一瞬、別人になってしまったかのように快活に笑って言うのだ。「ロキ、私はだぁれ?」と。そんな黒美の様子にロキはほとほと困ってしまい、リナリアも居た堪れなくなって部屋を出てきた、そんな筋書きだ。
「……でもよー」
 深白に差し出された御茶請けのお菓子に手を出そうとしてたリナリアが、含みのある深白の語調に動きを止める。
「はい?」
「胡散臭いのはお互い様だろ? 美少女画家さん」
 薄い唇に浮かべた三日月を見て、リナリアは袋に入ったままのお菓子を取りこぼしてしまった。
(……ああ、この人。隠し事の通用しない人間だ)
 どこか確信めいた感嘆。リナリアも今更気付いたことだが、眩しいぐらい真っ白な深白の相貌とは裏腹に、その二つの眼はどこまでも昏い紅色をしている。考えが読むことが出来ないどころか、その目を見つめるとこちらの心が見透かされてしまうと錯覚するほど、赤に近いとは思えないほど静かな色。
 そしてその錯覚は、おそらく間違いではない。事実、“今まで出会ってきた人間に胡散臭いと言われた事等全くない”リナリアの隠し事を、彼女はあっさりと見破って見せたではないか。
「私が胡散臭いのは否定しません。そちらに私の事情は関係ないとは言え、何も話していないのですし」
「おいおい。別に隠し事を自白しろと言ったわけじゃねえよ。てめえの事情に踏み入るつもりはないしな。お前と俺は、黒美を守るための共同戦線であり仲間だ。戦場で信頼できりゃそれでいい。その点に関しては、お前は心配なさそうだしな」
「……何の話です?」
 すっとぼけた風に微笑むリナリアに、深白は呆れた表情をした。
「お前の手持ちだよ。老いてるとはいえ、そのハッサムはかなりの実力者だろ? ロキだけじゃ不安だってことで同行したが、正直余計なお世話だったかもしれねえな」
「……ええ、(フェイル)は強いです。正確には付き添いなので私の手持ちでは無いのですが」
「そこも重要じゃねえな。問題はそのフェイルっていうポケモンがお前を信頼しているか、だ」
 こつん、と腰に付けたモンスターボールを小突きながら深白はいう。
「その点もノープロブレム、みたいだしな。……ん? いや、そのゴルバットはまだ出会って間もないのか?」
「え? あ、はい。傷ついていたところを預かるような形でボールに入れただけですから」
「ふーん……。だったらクロバットに進化してねえのは仕方ないか」
 一瞬無言になって、深白が言う。
 ゴルバットが成長した姿であるクロバット。大きな二つの翼にあんぐりと大きな口を開けている青碧色のゴルバットと違って、そいつは茄子紺(むらさき)色の小さな身体をしている。ただし、大きな上羽が二つ、小さな足羽を二つ、合計で四つもの羽を持つので、羽を含めた体長で言えば大の大人よりも大きい。
 進化前(ゴルバット)がパートナーであるトレーナーに全幅の信頼を寄せたときに、その姿に姿を変えるといわれている。バランスのいい能力に加えて爆発的なスピードを持つ、蝙蝠のようなポケモンだ。
「……まあいいか。悪いな。脱線しすぎた」
「いえいえ。こちらの我侭ですから。それでは質問させてもらいますね」
「おう」
 深白が快く頷いてくれたのを見て、リナリアはバックからその質問を纏めた用紙を机に置く。
 ドスン、というにわかには信じがたい音に、深白は思わず目を丸くした。
「……何? その分厚い紙」
「ぜーんぶ、質問を纏めた用紙です」
「……いや、まあ、やるって言っちまった手前文句は言えないが……、せめて寝る前には終わらせてくれよ?」
「保障しかねます」
「……マジかよ」
 本気で肩を落とした深白を見て、リナリアは笑った。




  結局その後、文字通りリナリアの質問攻めに遭う深白は、面白いように萎んでいった。質問に対してほぼ即答で深白が切り返してかつ、リナリアのすさまじいメモのスピードを持ってしてもこれだけかかった。質問の数など、もはや覚えていない。……リナリアに問えばすぐに教えてくれそうだったが、正直聞きたくもなかった。
(幾ら俺の存在が疑わしいからって、生年月日から身長に体重、食べ物の好みから好きな色まで根掘り葉掘り聞くのはおかしいだろ……)
 と脳内では思っていても、リナリアの真剣さに呑まれて最終的に突っ込みも出来なかった。大人っぽいのか幼いのか分からなくなるリナリアに振り回されながらも、なんとか紅茶で平静を保つ白髪の美少女、という不思議な構図が出来上がっている。
「……げ。ポットのお湯が切れた」
「次で最後の質問ですから、我慢してください」
「うう……。紅茶が欲しい……。ついでにプライバシーの侵害って言葉に前面から喧嘩売るこのガキをどうにかして欲しい……」
「肝心なところは何も答えてくれない貴女がいけないんです。ってか何杯飲む気ですか」
 そして、質問している当のリナリアはというと、深白のカフェイン中毒と、本当に経歴の分からない彼女の存在にかなり辟易していた。
 知り合い、友人は結構な数が居るらしいものの、職業、住居、出身ポケモンハイスクール、家族、両親、生年月日、年齢。社会に組み込まれるために必要不可欠な要素が、深白には全く存在しない。
 それでも、「信用されるとは思ってねえが、答えたくても俺自身が知らねえんだ」と困ったようにそう言う深白の仕草がニセモノだとは、リナリアにはどうしても思えなかったのだが。
「最後の質問はこれです」
 かちゃり、と最後の紅茶を飲み干して、リナリアが深白を見据える。
 リナリアにとっては、これは一番重要な質問かもしれなかった。
「……深白さんは男性ですか? 女性ですか?」
「……は? 何言ってんだお前。男だよ」
 当然のことのように言い放った深白を全力で白い視線を浴びせながら、リナリアは宣言する。
「分かりました。貴女のことは一生信用しません!」
「オイ。待てって」
「……、二割冗談です」
「八割本気って言うんだよそういうのは!」
 いつも平然としている風な割に、性別を間違われると本気で怒る深白だった。
「全く、どいつもこいつも俺の性別を間違えやがって。俺はどっからどう見ても」
「女性ですね」
「そうそう女性、……って違う! おいなんだその視線は! お前みたいな年下のガキにそんな視線を向けられる謂れはねえぞ! やめろ!」
 哀れみの篭ったリナリアの視線に、狼狽する深白。
「まあそんなことはどうでもいいんです」
「よくねえよ。一那由他歩譲ってもよくねえよ!」
「深白さんを題材にして絵を描いてもいいですか?」
「てめえさては俺の話を聞いてねえな?」
 青筋をいっぱい顔に浮かべて頭を抑える深白の姿は、どこからどう見ても切なげに困った表情をしている絶世の美少女にしか見えない。男っぽい仕草、雑な口ぶりをして男だと言い張っても、そこまで美人だとやはり信用できないものだ。
 信用する以前の問題に、リナリアはこの目の前に居る最高の題材をキャンバスに収めたいというワーカーな欲望があるだけなのだが。
「ふふ。なら、絵を描かせてもらえるなら信用するかもしれませんね」
「お前……、どこでどう教育を受けたらそんなにマイペースになれるんだ? オイ」
「教育を受けていない方に言われましても」
「……お前、信用するとかどうとか以前に俺のこと嫌いだよな?」
「そんだけ美人な癖に男だと言い張る貴方の存在が信じられない(ほどうざい)のは確かです」
「お前俺に聞こえない音量でなんか言っただろ! ……ったく」
 相当呆れたのか、それともリナリアのマイペースっぷりに苛立ったのか、若干声を張り上げて深白がいう。
「ああもう! あれだけ長時間付き合って性別偽ってもいねえのに信用されねえとか冗談じゃねえぞ。やりづれえなあ!」
「経歴が不明すぎるのがいけないんです」
「んなもん不可抗力だよ……。まあ、仕方ねっか」
 匙を投げた、と言わんばかりに諸手を挙げて降参する深白だった。まあ、経歴を隠しているなら問題外だが、彼が言うように「そんなもの存在しない」のなら、現状信用してもらうことなど不可能だと深白も気付いたのだろう。
 「ま、信用できない人物をあっさり信用してもらっても、心配っちゃ心配だしな」と自虐的に笑った後で、深白は一度時計を見る。短くて太い針が、いつの間にか六から九まで進んでいた。
「……なあ。結構な時間が経ったけどよ」
「はい」
「……黒美(あの女)はほっといて大丈夫なのか?」
 そういう深白は、既に狼狽していた雰囲気はどこにもなかった。
 いつも通りその美貌とは不釣合いすぎる眼光を瞬かせ、腰に付けていたボールのうち一つを無造作に放りながら、深白がいう。
「え? ええ。まさかこんな時間に一人で出かけるほど無用心では無いかと。万が一の場合にはロキさんも居ますし」
「……なるほどねえ。そりゃ油断だよリナリア。……お前さ、“こういう世界”にかかわり始めたのはいつ頃からだ?」
「え?」
「ギンガ団を追い始めて何年経つんだ、って聞いてるんだよ」
「あ、……二年、です」
「年齢は?」
「……十二です」
 気付かれていたことは既に分かってはいたが、こうも言い当てられてしまうと言葉もない。
 黙っていたことにばつの悪さを感じながら、小声でリナリアは答える。
「トレーナーになってからすぐに、ってことか。なるほど、お前のトレーナーになるっていうモチベーションは、ギンガ団の存在にあるわけか?」
「正確には少し違いますが、関係のない事でしょう?」
「あるんだよ。お前、ギンガ団を追っている割に緩過ぎんだよ」
 真剣な深白の眼差しと鋭い指摘に、リナリアは黙り込む。
「ジョウト、カントー地方を魍魎跋扈してたとある組織の残党に、未だ追われて続けている人も居るってのにさ。……現在進行形でギンガ団の緊急捕獲対象になっている黒美が狙われないわけ、ないだろ」
「で、でも、って、何故貴方がそんなことを」
「知ってるかって? 何度も言わせるなよ。俺は縁に頼まれた人間だ。大方の事情は聞いてる。流石にあいつとて黒美が何をされてきたかは知らなかったみたいだけどな」
「何をされてきたか……?」
 おう、と深白は動じた風もなく頷く。
 どんなことだろう、と一瞬好奇心でそれを思い浮かべようとしてすぐにリナリアは思考を止めた。それはきっと、想像することさえ阻まれるようなことだったろうから。
「つーわけでさ。このポケモンセンターも既に包囲されていたりするわけだ。下がやたらと騒がしいのもそのせい」
「なっ!?」
「んで多分、その包囲している奴らのお目当ての女の子も、ここには居ない」
「なんでそんなこと、分かるのです?」
「説明しようはねえけど、判るもんは判るんだよ。黒美やロキの気配が独特すぎる判りやすいのもあるけどな。俺はなんとなく『人それぞれの気配』の違いだとか、場所だとかがなんとなく判る。何ならお前らの借りた部屋に行けばいいぜ? 誰も居ないはずだからな。
 それに今の黒美は、俺が少し鎌かけちまったせいで不安定だ。……それは、俺よりお前のほうが分かってるだろ?」
「……っ!」
 弾かれたように部屋から飛び出すリナリアの姿を見送って、深白は一度ため息を吐いた。
 温い割りに判断力だけはそれなりのようだな、と一人で笑ってから、ジャグリングのように弄んでいたモンスターボールのうち一つを窓から放り投げる。
「……“グラム”。好きに潰せ」
『あいよ』
 ボールが衝撃を感知する前に開く。一瞬、花緑青色の体が窓に映ったが、おそらく下で包囲している『ギンガ団』にはその姿は確認出来なかっただろう。何かの存在を裏付けるように一度小さく吼えたそいつは、次の瞬間には「でんこうせっか」の技を持ってその場から消えている。
「さて、せいぜい楽しませてくれよ」
 雪をさらに白い絵の具で塗りつぶしたような髪の持ち主は、そのままお湯のポットを入れ替えるべく立ち上がる。
「もうこっちには、それしか楽しみがねえんだからさ」
 この世に敵は居ない。そういわんばかりの眼光を放つ双眸は、どこか遠くを見てるようだった。
 一抹の寂しさと、強い決意の光を伴って。



鳩平欠片 ( 2012/12/03(月) 06:43 )